スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
心って本当に不思議だ。
体とは別物なんだと思う。
そして人の数ほど心もあるのだと思う。
今、自分がこうして思っていることは
私自身の何が思うのだろう?
脳かな?
脳の研究はまだまだ未知のものがあるという。
脳のメカニズムも全て解明できてないようだ。
体の構造は解剖すればある程度わかる。
でも、心は解剖されない。
人って、死んだら心もなくなるのかな?
それとも、肉体は死んでも、
心は生きつづけるのだろうか・・
こうして心というものを考えていると
とても神秘を感じる。
心なんて明確に分からないほうが良いのかもしれない。
私の今の心だって、
私一人が感じていることであり、
誰も共有できないものだと思うから。
考えるということは
頭の中の脳で考えることと
胸の中の心で考えることがある。
そして、心の中で考えることの方が
脳で考えることよりも
はるかに分からないことが多く、
それがまた心の不思議な点なのかもしれない。
肉体を離れた心の存在を信じたい。
心は永久に存在するものだとも思いたい。
心の持ち方一つで
体の具合も良くなるし、
生きる姿勢も明るいものになる。
いつも自分の心を見つめていたいと思う。
そうして、大したことでもない
日常のちょっとしたことに触れては
何かに感動したり、
喜びを感じたりしながら
生きていきたいと思う。
今日の私の心はこんなことを思っている。
新米の美味しい季節、食欲の秋。
10日ほど前から、我が家のご飯は白いご飯ではなく
赤飯のような色をしたご飯になった。
高島屋の地下の食料品売り場の催し物会場で
この黒米に出会った。
色々な説明を聞いていると本当に体に良いと納得した。
黒米の歴史は紀元前の中国、漢の時代に遡る。
その昔に歴代皇室に貢米とされて珍重されたきたという。
黒米は穀物の中では進化していない野生種だそうだ。
そして、野生種だから無農薬、無堆肥で放置されて育つらしい。
黒米の中に含まれる栄養素は優れている。
ポリフェノール、アントシアニン、リジンなどを大量に含んでいて
老化防止、癌予防にも効果があるという。
でも、いくら栄養面に優れていても、
毎日食べるものだから
美味しくなければ続かない。
それが、この黒米入りご飯は本当に美味しいのだ。
我が家は3人家族で毎日2合のお米を炊いている。
1合に5グラム、つまり2合で10グラムの黒米を入れて炊く。
出来上がりはまるで赤飯と同じ色をしていて、
もっちり感のあるご飯になる。
冷えてもぱさつかず、
チーンして温めなくてもそのままでも美味しく食べることが出来る。
娘が最初に一口食べて「美味しい!」と言った。
娘はこの黒米のことを前にどこかで聞いたことがあると言った。
それ以来、毎日のご飯が赤飯のような黒米ご飯になったのだ。
最近はこの黒米に限らず、
黒い食べものが良いと言われる。
黒ゴマ、黒大豆、黒松の実、黒砂糖、黒酢・・と。
だから、私も普段から少しでも多くこれらの黒い食品を摂ろうとしている。
娘にはこれからの果てしない未来がある。
私には残された人生がある。
同じ生きるのなら元気で生きたいと思う。
いくら長生きできるようになったと言っても
自分で何もできないようにはなりたくない。
将来的なことを考えても
この黒米入りご飯はとても良いように思う。
体に良いことは出来るだけ取り入れて
家族みんなが健康で過ごすことが出来るようにすることが
専業主婦の私にとっては大きな仕事のように思う。
姉が絵手紙展を来年の初めに行われるのを最後にやめようと言った。
姉は今自分の家で数人の生徒さんたちに絵手紙を教えている。
教えると言っても教師の資格はない。
ただ、楽しく描くことを教えているようだ。
その姉が最近は絵手紙展がしんどいと言っていた。
何でも楽しいからこそ出来るのであって、
それが負担になっては何もならない。
絵手紙展は私達の大きな目標になってきていた。
昨年も今年も結構好評だった。
でも、私もヴァイオリンを始めてから
時間的にも絵手紙だけに向うのが難しくなり、
前に比べると描く時間も大分減ってきている。
また、今はほかにすることができたので
本当に時間を作って座ることが少なくなってしまった。
絵手紙展を開催するとなると普段よりも神経を使う。
テーマを決めたらそのテーマに添ったものを描くようになる。
力の限界もあるし、思うように描けないことも多い。
姉が絵手紙展の開催をしんどいと感じ、
開催をしないと決めるのならそれで良いと思う。
姉も先日のヘルペスから体調も芳しくないみたいだ。
好きなことはなんでも続く。
そして、少々のことでは諦めたり投げたりはしない。
楽しいから余計にやる気が出るというものだ。
大げさに言えば、
幸せはこういうふうなことから来るような気がする。
喜びを感じることがまず一番大事だと思う。
そして、その幸せをどのくらい感じられるかが
その人の生きる価値にもなってくる。
幸福感=生きがいでもあるだろう。
生きがいがあるからこそ幸せにも思うのだろう。
ドイツの聖職家ケプラーの言葉に
「喜びは人生の要素であり、
人生の欲求であり、
人生の力であり、
人生の価値である」というものがある。
幸不幸は人生の中での重大な要素であり、
人生の欲求は幸福であるということなのだろう。
幸福は生きる力になり、
幸福感は人生の価値を決める。
人生の目標、目的はいろいろあり
それはひとそれぞれ違っていると思う。
人生の価値は本人にしか感じられないことだからそれで良い。
人間は皆、自分自身の幸福感を感じたいから
一生懸命努力もするのだろう。
楽しいから幸福感は生まれる。
私も小さな幸福感を感じながら、
これからの人生を有意義なものにしたいと心から思う。
私は今まで人との出会いを大切にしてきた。
出会いは奇蹟にも近いことだと思うから。
今まで私が出会った人に心から感謝している。
昨日はあのパン屋のまことやさんの「誠さん」から
毛筆の手書きの色紙と、
別に手紙が添えられて送られてきた。
先日の私の新聞のエッセイを見てくれたらしい。
姉に私の住所を問い合わせてくれて、
本当に心のこもった色紙と手紙が届いた。
脳梗塞の後遺症で半身不随になり、
今も車椅子の生活をしながら
パン屋の店頭に座っている。
不自由な手で墨をすり、
訪れる人たちにご自分で書かれた詩やことばを差し上げている。
にこやかな誠さんの笑顔に接すると、
どんなに心が暗く、落ち込んでいる人でも
生きる意味や生きる勇気を考えたりもらったりして
元気で明るい笑顔で戻っていくと言う。
人生には、別れの数ほど出会いがあるという。
私が今まで出会った人の中で
私の人生を左右することになった人が数人居る
その人たちそれぞれのことは今も忘れることができない。
私にとって一番の出会いは娘だ。
娘と出会ったことは私のそれからの人生を大きく変えた。
結婚も勿論人生の中で大きな出会いの一つであるけれど、
やはり自分の子供を持つということは最大のものだと思う。
娘と出会ったことを思うとき
やはり私の中で夫の存在が大きい。
夫と出会えなければ娘とも出会えていない。
そんなふうに思っていると
何かとても不思議な気がする。
もし、私が夫ではなくほかの人と結婚し、
子どもを産んでいたとしたら
私は娘には出会わなかった。
今の私にとって娘は生きがい以上のものになっている。
小さい頃のような「私のもの」というのではない。
でも、やはり娘の存在を考えずに私の人生は語れないようになった。
勿論、私の人生の中で
娘以外の大きな出会いも沢山ある。
悲しい結果になった出会いもあった。
あの時、彼と出会うことがなければ
今の私は存在しないと思うような出会いも。
彼とは結ばれることはなかったけれど、
私にとっては一生忘れることのできない人であることは確かだ。
そして、夫。
夫とはお互いに空気のような関係になっているが、
あの時の胸のときめきを今でも思い出すことがある。
あの時のあの二人の時間を今思い出してみたい。
出会いというものの意味を考えるとき
それはとても重要なものになってくる。
私にとってはとても大事な出会いだ。
他にも色々な出会いがあったけれど、
私が今まで生きてきた思い出の中で
楽しいことだけを覚えていたい。
出会い、人との縁を大切にしたい。
誠さんがいつも言っている「感謝の心」を大切にしたい。
今までの私を支えてくれた人たち皆に有難うと心からの言葉を言いたい。
昨夜は午後6時半から8時半頃までの約2時間、
激しい背中の痛みを感じた。
前にも同じ痛みが胃の辺りでしたことがある。
その時はあまりの激痛に胃腸科で検査してもらった。
経験はないけれど、
まるで胃穿孔のような痛みだと思った。
でも、検査の結果そういうことはなく、
また超音波でもすい臓や胆嚢にも異常はなかった。
あれから一年経つ。
昨夜の痛みも同じように息ができないほどのものだった。
自然と顔が下を向き、
あれほど笑顔で居たいと思っている私だったが
鏡の中の私は苦しそうな顔をしていた。
どのくらい痛むか分からない、
原因も分からない、
もしかして心臓の関係かも?とも思った。
娘が心配して「救急車を呼ぼうか」と言ってくれた。
いつもは知らぬ顔をしている娘も心配をしてくれたようだった。
でも、この痛みに耐えればきっと楽になる。
そう信じて蒲団に入り横になった。
2時間ほどして、
あれほど痛かった背中が楽になった。
やはり原因は不明だ。
今朝も痛まないから、
きっとたいしたことはないのだと思う。
こんな痛みで根を上げていては駄目だと自分に言った。
被災者の人の置かれた状況、
精神的にも肉体的にも限界に来ている人たちに比べたら、
暖かい蒲団の中で眠れることのできる私は幸せだ。
天風先生の言うように、
先のことを心配しても始まらない。
事態は変わらない。
それよりも、痛みがあろうとも、
心だけは元気で居たいと思う。
そして、痛みのほうが逃げてくれるような
強靭な精神が持てるように
日々努力したいと心から思う。
「天は自ら助くるものを助く」
私の尊敬する中村天風先生の言葉に、
「何かあるのが人生
たとえ不運にあろうとも 心まで病ますまい
命あるのは 最大の幸せ」という言葉がある。
今回の新潟地震は初めに思っていたよりも大きな被害が出ている。
今日もTVのニュースを見ていると
村の再生さえ難しいと言っていた。
被害を受けた人々のストレスはいかほどのものだろう。
まだ避難できていない人々も沢山居るようだ。
村が孤立して救助も間に合わない人たちは
お年寄りも小さな子供達も皆
一丸となって荷物を持ち自力で避難してきていた。
病弱な人や体の不自由な人たちはどうしているのだろう。
食事も簡単なものしか食べられない。
避難生活をしたことのない私には
想像できないほどの辛く、苦しいものだろう。
相当の精神的ダメージを受けているであろう人々の顔を見ると胸が痛む。
避難している人の中でも
この地震の疲れのために亡くなった人や、
疲れのために入院した人も居る。
身体的にも精神的にも限界に来ているはずだ。
避難生活が長引けば長引くほどストレスは大きくなる。
どうにかならないものだろうか。
どんなことでも良いから
皆で助けてあげたい。
元気な人たちのボランティアも始まったようだ。
亡くなった人たちの中には地震のショックで亡くなった人が数人居る。
それほどの精神的なダメージは大きいのだ。
命があっただけ幸せだと思うしかない。
命が助かったことだけでも喜びたいものだ。
命あってのものだねという言葉の通りだ。
命さえあれば、また元の状態に戻ることは出来る。
命さえあれば何とかなるはず。
不可能を可能に変えることだってできる。
どうか負けないでほしい、
今のこの苦しみに耐えてほしい。
きっと明るい朝は来ると思う。
私には何もできないけれど、
こうしてこころの中で頑張ってほしいと願っている。
人と何かが違うこと、
そのことを駄目だと否定すること、
これは差別だ。
何かが違っていることを受け入れた上で、
違うと認識することは区別だと思う。
人権問題を取り上げるとき、
必ず差別をなくそうと言う。
差別をしてはいけないと言われる。
差別を受けたものは、
まるで自分自身の存在そのものを否定されたような気になる。
でも、差別をしたほうは別になんとも思ってないことが多い。
私は先天性の心臓疾患を持って育った。
でも、私の周りには私を差別する人は居なかった。
いじめられたこともない。
もしかしたら、
心の中で私のことを白い目で見ていた人は居るかもしれないが、
面と向かって私に言った人は居なかった。
だから、私は自分自身をかわいそうだと思ったことはなかった。
かわいそうだなんて思うこと自体おかしいと思った。
人は色々だ。
顔も姿形も同じ人は居ない。
双子であっても、個性はあり全く違う存在だ。
そして、障害を持っている人も居ない人も、
そのことで偏見を持たれることはないと信じていた。
こんな私が一番初めてショックを感じたのは、
卒業して就職をしようと思った時のことだった。
当時は今と違って、
身障者雇用制度がしっかりとしてなかったのだろうか。
雇用法はあったとしても
それはあまり意味を持っていなかったのだと思う。
難関な筆記職試験も合格し、
家庭調査も済み、
後は内定を待つばかりだったとき、身体検査が行われた。
そして心電図とレントゲン検査で
私の心臓の病が判明した途端、
その就職は不採用になった。
生まれて初めての挫折感を味わった。
海へ行き、砂浜に打ち寄せる波を見ながら一人で泣いたのを覚えている。
本当に悲しかった。
私は心臓が悪い。
このことは事実だ。
でも、これは人と違っているというだけであり、
私の人生の中で障害になるものではないと思っていた。
だから、社会の中で受け入れられなかったことが辛かった。
足の不自由な人、目に障害を持っている人も皆、
立派に働くことができる。
現に耳も聞こえず、目も見えない人が東大の教授として皆に教えている。
人と違っていることで差別するのはいけない。
人権とは、人が皆幸せになれるためのものだ。
どんな人にも幸せになる権利が存在している。
区別と差別の違いしっかりと理解してほしいと思う。
2004年10月24日(日) |
こころが痛むことが・・ |
今起きてTVをつけてみた。
昨夜、起きた地震の被害が広がっていた。
昨日の夜、お風呂に入って出てみたら
TVで地震のニュースが流れていた。
午後6時過ぎに新潟を震源とする
マグニチュード6.8の地震が数回起きたという。
はじめはまたか・・というくらいの軽い気持ちで居た。
でも、段々と被害が広がっている様子が映し出された。
道路の陥没、
家屋の崩壊、
火災、
新幹線の脱線、
けが人も沢山病院に運ばれた。
死者も出ていた。
持病のあった人が地震のショックで亡くなった。
TVを見ているとあの阪神大震災を思い出した。
あの時も初めは被害も少なかったのが
時間が経つにつれて被害が広がっていった。
数千人の人たちが犠牲になってしまった。
今回の地震が同じことにならないようにとこころから願う。
それにしてもどうして今年は色々なことが起きるのだろう。
先日の大型台風によって日本各地に被害が出た。
まだ復旧もできていないのに
まるで追い討ちをかけるような今回の地震だ。
天変地異。
人間がいかに無力かを感じる。
天災は忘れたことにやってくると言われるが
今年は忘れる暇もないくらいだ。
いついかなる時にでも
慌てずうろたえないで居られる人がどのくらい居るだろう。
いつもは冷静に行動できる人でも
いざとなると慌てふためいてしまうかもしれない。
災害に備えての準備は勿論必要だが
何かあった時のための
心の準備もしておかなければいけないように思う。
どんなことが起きても
平常心でいることができるように
心を強くしておくべきだと思う。
たとえ、何もなくなっても
命さえあれば生きていくことができる。
だからこそ、自分自身の心を元気にして
平常心を養うことが必要なのだと思う。
どうかもうこれ以上被害が大きくならないことを
心から祈りたい。
昨日、私が新聞社に送っていたエッセイが採用された。
今月の私の誕生日の翌日に書いたものだったので
もうボツになってしまったのかと半ば諦めていた。
朝の姉からの電話でこのことを知り、
嬉しくて駅にその新聞を買いに行った。
開いて自分の書いた文章を目にしたとき、
なんとも言えない気持ちになった。
私は毎日色々なことをこのつぶやきに書いてはいるけれど、
それが活字になって新聞の紙面に載るということは、
新鮮な嬉しさだった。
書いたのは母への思いを綴ったもので
「母の後ろ姿」という題のエッセイだ。
母と一緒に出かけ母の後ろ姿を見たときの
私の素直な気持をそのまま言葉にしたものだ。
誰かに認めてもらおうとか、
褒めてもらいたいとか、
そんなことは全く思わなかった。
ただ、今私が感じている母への思いを
言葉にして書きあらわしたかっただけなのだ。
この私のエッセイを見た人から
色々な感想をいただいたが、
「感激して涙が出た」という感想が多かった。
「私の思いを代弁してもらった」と言われた。
皆の心にあるなんでもない心だったからだろう。
そして、皆が思っている自分自身の母親への思いだったからだと思う。
私の母への思いは言葉にはできない色々なものがある。
ほかの人とは違って
私は生まれてから母に心配ばかりかけとおしてきた。
でも、母は一度も私のことを突き放すことはなかった。
いつでも私の側に居て
私のことを見てくれていた。
いつも見守っていてくれた。
そんな母が今はとても弱い存在に思えるようになった。
年を取るということがこんなにも弱いものになるのかと思うと
何故か淋しい気がしてならない。
母への思いは皆心の中に持っているはずだ。
こんなにも反響が大きかったことでよくわかる。
私の母への思いはほかの人の思いでもある。
書くということ、
思いを言葉にするということ、
簡単そうで難しいことだけれど、
これからも私の素直な気持を書き綴って行きたいと思う。
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私の新聞に載ったエッセイをもう一度読みたいと言ってくれた。
本当にありがたいと思う。
PCから投稿した原文を載せるから、
字数の関係でこれより数文字減ったが
内容は同じだった。
「母の後姿」 人の後ろ姿を見ると何故か悲哀を感じる。
その人の人生をすべて背負った背中を見るからだろうか。
私をこの世に送り出してくれた母、
今年83歳になる母のその後姿を見ると
私の胸はじ~んと熱くなり、
泣き出したい気持ちになってくる。
母は昔から気丈で弱音を吐かない人だった。
太平洋戦争の中を生き抜き、
満州での生活も経験し、
私の知らない母の話しを聞くたびに、
私には到底真似はできないといつも感心していた。
そんな母の後ろ姿が、
このころはとても小さく感じる。
また、見るたびにとても淋しい感じがする。
歩く速度も随分遅くなった。
背中も少し丸くなって、
つえをついて歩いている。
階段の上り下りも足腰に響くようだ。
年を取ったと感じる母と
あとどのくらいこうして一緒に歩くことができるのだろう。
母はいつも私とともに歩いてきてくれた。
私の喜びや悲しみを全部受けとめてくれた。
自分のことは放っておいて私を見続けてくれた。
私が若い頃はその絶対の愛情を重く感じたときもあったけれど、
母は私を心から慈しんで育ててくれた。
私もやがて母と同じ後ろ姿を娘に見せるのだろう。
そしてまた、娘も今私が感じている気持ちになるのだろう。
母から私へ、
私から娘へと母の命は続いていく。
私には親孝行したい母と、
見守っていくべき娘がいる。
残された人生、 自分に恥じない生き方をしたいと思う。
そして、娘の目に映るであろう私の後ろ姿を、
ステキなものにしたいと心から思っている。
--------------------------------------------------------------------- 本当に°・:,。★\(^-^ )♪ありがとう♪( ^-^)/★,。・:・°
別れがあるから出会いがある。
本当にそうだと思う。
あの人と出会い、
そして別れた。
あの時以来、
私の心は凍ってしまっていた。
どんなに暖かな日差しの中を歩いても、
私の心が溶けることはないと思ってた。
でも、神様は私を見ててくれたんだと思う。
そう、きっと神様は私にもう一度チャンスをくれたんだと思う。
あの人とはもう終わった。
今はもう昔のこと、
思い出の中の人になってしまった。
確かに私の心のアルバムのページをめくると、
あの人の顔や言葉がちゃんと貼り付けてある。
でも、その日記を見ない限り、
あの人に会うことはない。
私は新しい日記帳をつけることにした。
もうあの人のページをめくることはないと思う。
今日までの私は、
決別したと言いながら、
これで良いのだと思おうと無理をしていたところがる。
一生懸命に自分自身を納得さえようとした。
それはとても難しかったけれど、
努力したお陰かな・・・
今は本当に私の中で終わったと思えるようになった。
私には私の人生があり、
あの人にはあの人の人生がある。
お互いに歩み寄ることのできない道を選んでしまったのだ。
だから、もう二度と交わることのない道を歩いているのだと思う。
そして、このことを悲しんでいない私に驚く。
同じことが若い時に起きていたら、
そうあの頃の私だったら、
きっと心を病んでいただろうと思う。
でも、今の私は違う。
随分強くなったものだと思う。
今は本当に素直にあの人に有難うが言える。
あなたのお陰で私は今の幸せに気付くことができた。
あなたとの出会いと別れが、
私に一番大事なことを教えてくれた。
今は本当に感謝の心でいっぱい。
今まで有難う。
私は私の新しい道を歩いていくね。
今は無理をしているのではなく、
素直な気持ちでこう言える私が居る。
きっと神様はこんな私になることを知っていたのだと思う。
今の私は、朝の来ない夜はないと心から思える。
今回の台風23号の被害は相当のものだった。
日本中で死者は25人を越え、
行方不明の方も居る。
今年は日本に上陸した台風の数が10個。
例年は3個位だから
10個という数はとても異常な気がする。
気圧の関係で台風の進路が変わり
日本に上陸したしまったらしい。
異常気象の始まりなのだろうか。
これからの地球の異常の前兆なのだろうか。
今年の台風さえ来なければ
亡くなることもなく、
これからの人生を楽しむことが出来たはずの人たち。
本当に悲しいことだ。
日本は昔から地震や台風の影響を受けてきた。
その経験を通して前もって防災することはできないのだろうか。
自然の力の前には人間の力なんて無力だと思う。
幸い、私の住む地域はほかに比べて
気候は温暖で災害はほとんどない。
だから、気持ち的に安心しているのだが、
いつなんどきどういう状態になるかわからない。
もっと防災について真剣に考えることが必要だと思う。
私の友人の家も会社も水浸しになったと聞く。
どんな声をかけて良いか分からず・・
絶句してしまった。
また、家が山に崩されたり、
高潮で家が押しつぶされたり、
家の屋根まで浸水したところの方々は
これからどういうふうに元の状態に戻すのだろう。
政府の援助の充実を期待したい。
そして、災害に合われた人たちが
一日も早く元気な顔を見せてくれることを心から願っている。
それにしても今朝の私の心は暗く悲しい。
台風23号が接近している。
こちらには警報も出たが、午後は暴風雨になりそうだ。
こんな日は外へ出る気がしない。
家で好きなことをするのが良いのだろう。
何をしようかな・・・
絵手紙、ヴァイオリンの練習・・本・・
私はどちらかというと直ぐに行動したいと思う方だ。
自分ではあまり飽きやすい方ではないと思っているのだけれど、
何かをしたいと思ったら直ぐに行動するタイプの人は、
やはり直ぐに飽きることが多いらしい。
飽きることが駄目だとは思っていない。
自分にあってないということを認識するから飽きるのだと思うから。
では飽きないで続けることのできる人は
どういうふうに続けているのだろう?
皆趣味を持っている。
私には特別な趣味はないけれど、
音楽を聞いたり本を読んだり、
ヘタなピアノやヴァイオリンを弾いたりもする。
文章を書くのも好きだ。
今までにも色々なことをしてみた。
でも、はじめから取り組もうと思わないものもある。
やはり向き不向きがあるのだろう。
人は好きなことをしている時が一番幸せなときだと思う。
そんな時間を持てることってとても大事だ。
好きなことをしていると
時間が経つのも早く感じる。
嫌なことをしている時は、
時間がなかなか経たない気がする。
好きなことは飽きない。
つまり逆のことを言えば、
飽きないためには、
今自分がしていることを好きになることなのだと思う。
色々なことにチャレンジする精神は必要だ。
特に年を取ってからのチャレンジは難しいことが多い。
やりたいことがあっても、
思わず逃げの体制に入ってしまう。
今までしてきた自分のことが分かるから、
余計に逃げの姿勢になるのだろう。
でも、逃げないでなんでもやってみたいなあ・・・
昨日は外で働きたいと思った。
また先日はハングル語の教室へ行ってみようかと思って問い合わせてみた。
どちらも私の正直な気持だ。
確かに迷いもある。
働くことがベストなことなのか?
語学の勉強が本当に好きなことになるのか?
このことをもう少し考えてみようと思う。
今はヴァイオリンの練習が苦にならなくなってきたところだ。
好きなことに変わってきたかもしれない。
だから、きっと長く続けることができると信じている。
飽きることがないと信じている。
今はヴァイオリンのことだけ見つめていこうと思う。
最近どこかで働こうか?と思っている。
娘の友人のお母さんたちは殆どパートに出て働いている。
家のローン、教育費を考えると
家で専業主婦をしていることができないと言った。
なるほどそうだと思う。
私には娘が一人しか居ないし、
家のローンもないから、
何とか夫の給料だけで生活が出来る。
でも、子供が3人居れば教育費も3倍かかる。
3人を大学まで出そうとしたら3000万はかかるだろう。
公務員の夫の給料の中で、
贅沢をしなければ、
私が外へ出て働く必要はないとは思うのだが・・・
来年は娘も高校生になる。
通学のための交通費も要るようになってくる。
大学へ進学し仕送りもしなければいけなくなったとき、
今のこの状態でやれるのかどうか・・
時々不安になるのだ。
でも、私は大学を卒業して、
本当に短い間しか社会に出て働いていない。
どちらかというと、外へ出て働くのは苦手だ。
それに健康面を考えると自信もない。
でも、一日2時間くらいの仕事なら出来るような気がする。
午前中に出て働いても
お昼から家事も趣味も出来そうな気がする。
昨日、母に話したら案の定反対された。
母の言うのはもっともなことだ。
私は寝込まずに人に迷惑をかけずに
家事や子育てが出来るだけで良いのだと思う。
分かっている。
でも、娘の通学費くらい稼げるような気もするのだ。
そして、忙しくしている方が、
考えすぎないで日々暮らすことができるようにも思う。
勿論甘い考えでは無理だろう。
一度始めたら、簡単に辞めることもできない。
もっとよく考えてから決めるのが良いのかもしれない。
でも、働いてお金を稼ぐのも
私にとってはとても良い勉強になるようにも思う。
ああ~考えるな・・
迷うな・・・
働くってそんなに甘いものではないことは分かるのだけれど・・
この気持ちって何だろう・・・
やる気満々というわけではない。
でも、とても平穏な気持ちになっている。
少々のことで動揺しない自信ができた。
平常心の大切さをしみじみ思う。
人は何かあると直ぐに気持ちが動揺してしまい、
落ち着いていられなくなることが多い。
それもまた人間らしくて良いことなのだろう。
でも、それによって、
落ち込んで何も手につかず、
不安でいっぱいの気持ちで毎日を過ごすことになるとしたら、
それはとても損な気がする。
心配しても、
悩んでも、
不安で眠れなくても、
時間は同じように過ぎていく。
だから、いつどんなことが起きても
同じ気持ちで居られたらどんなに楽だろうかと思う。
私の今の状態は何も変わっていない。
ただ、気持ちの持ち方を変えただけなのだ。
同じことの繰り返しをしないためにも、
少しでも自分が楽に生きるためにも、
色々と悩むことはやめた。
もし、何かあったとしても、
それはその時に考えたら良いことだ。
悪い方へ思わないことにした。
なるようにしかならないのだから。
こう思うと随分明るい気持ちになる。
心が元気になってくる。
積極的な心になってくる。
自分で自分のこころに暗示をかけるのだ。
魔法の言葉を言ってみるのだ。
「私は元気だ、私は嬉しい、私は幸せだ」
この言葉はきっと心を明るくしてくれる。
同じ一生、泣いて暮らすより笑って暮らしたい。
こんな気持ちになれた私に乾杯!
新米の季節がやってきた。
炊飯器のふたを開けると、
ふわ~と立ち上がる湯気とご飯の香り。
こんな時、幸せだな・・・と感じる。
先日心臓の病院へ行ったとき、
同じ人工弁置換手術をしている友人に会った。
彼女の実家は高知に近いところにある。
そこで、お母さんが一人で田と畑を作っている。
そのお母さんが作ってくれた新米をいただいた。
この数日夕食にはこの新米の炊きたてのご飯が食卓に上っている。
私は元々、アツアツの炊きたての白いご飯と美味しい漬物があれば
おかずは要らないと思っている。
お米の一粒一粒が立っている。
かめばかむほど味が口の中全体に広がる。
もちっとした感触。
粘りもある。
こんな美味しいご飯を食べていると、
日頃の嫌なことなんて忘れてしまう。
なんと単純な私だろうと思う。
でも、こうして当たり前のように口にするご飯を
食べることの出来ない人のいることも忘れたくない。
世界には貧困で苦しむ人たちが居る。
またお金はあっても、
病気でご飯を食べることができない人たちも居る。
そんなことを考えると、
この小さな出来事が大きな意味を持っていることに気付く。
感謝の心で暮らしたい。
小さなことに喜びを感じ、
どんなことでも受け入れることのできる
広い心を持ちたいと思う。
今日は娘が日曜特訓で出かける日だった。
お昼のお弁当が要る。
朝早起きして、この新米のご飯を炊いて
お弁当箱に詰めた。
いつもはおにぎりにすることが多いのだが、
今朝は娘の注文でお弁当箱に平らにご飯を入れた。
つやつやと光っていた。
「わたしは美味しいよ」と言っているように思えた。
おかずは昨夜の残りの肉ジャガと玉子焼きとウイイナー・・
娘は帰宅したら「今日の弁当は美味しかったよ」と言ってくれるかな?
そんなことを考えながら朝働いていると、
母としての喜び、
主婦としての嬉しさを感じた。
これで良いのだと思う。
これ以上、私は何を望むことがあるのだろうか。
私の人生は私のものであるけれど、
また家族のものでもあるに違いない。
今朝の私の心はこんなことをつぶやいている。
本当に何でもその人の考え方次第だとつくづく思う。
この数日の私は、
それまでの私と違って、
とても心が元気だ。
夜寝る前には、
嫌なことや、心配なことを考えないようにしている。
そして、楽しいことや嬉しいことを心に思って寝ている。
朝起きた時の気分がとても爽快だ。
昨日は夏と冬物の入れ替えをした。
いつもならこの衣替えがとてもしんどいと感じていた。
朝から夕方までかかって、
押入れのものを全部ひっくり返したような状態で、
まるで泥棒に入られたかのようになった。
でも、一つ一つ片付けていけば
きっと最後には整理できると思うと、
嫌だと思う作業も苦にならなかった。
ついでに冬用の蒲団やカーペットも出した。
昨日の朝はとても冷え込んだので
ファンヒーターを出して灯油も入れた。
扇風機の掃除もして片付けたが、
一台だけ同居している。
私がこういう仕事をすることによって、
今日から家族が暖かく過ごせると思うと、
それがとても嬉しくて、
しんどさをまったく感じなかった。
私のやっていることが
夫や娘のためになっているということが嬉しかった。
こんな気持ちになる私自身も好きになれた。
なんでも気持ちの持ち方一つで変わるものだ。
ものは考えようだとつくづく思う。
心を元気に、
心を積極的にするだけで
同じものでも違ったように感じることが出来る。
中村天風先生の言葉のお陰だと思う。
先生と出会えたことに心から感謝している。
そして、こうして私が元気で
家事ができることにも感謝している。
さあ、今日が始まった。
今日も元気に過ごしたい。
インドの政治家マハトミ・ガンジーは、
「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ」といった。
どんな人でも明日自分が死ぬかもしれないと思ったら
今日を一生懸命に生きるだろう。
否、今日ではなく今を大事にするのではないだろうか。
人の寿命は分からない。
もしかしたら明日死ぬ運命にあるかもしれないけれど
それは神様にしかわからないことだ。
自分がいつ死ぬかということを考えず、
ただ時間を無駄に過ごしている人であっても、
もしかして明日死ぬということが分かったら、
きっと今日を充実させようとするに違いない。
そして今日を充実させようと思うなら
今を大事しないといけないと思う。
「今日一日を大切に」という意識があれば、
その日を充実させることができるだろうし、
そういう日々の積み重ねが自分にとってとても価値のあるものだと思う。
人の幸不幸なんてその人の心の問題ではあるけれど、
幸せだと思う日々の積み重ねが、
その人の本当に幸せな人生につながるのだと思う。
中村天風先生も言っている。
「一度だけの人生だ。
だから、今この時だけを考えろ。
過去は及ばず、未来は知れず。
死んでからのことは宗教にまかせろ」と。
済んだことをくよくよ考えていたってどうしようもない。
先のことを心配してもどうしようもない。
取り越し苦労くらいバカみたいなことはない。
人は生まれた以上必ず死ぬ。
だから今、生きている時間を大切にしていけば良いのだ。
本当に今という時間は二度とやってこない。
もう取り戻すことはできないのだ。
今、自分は何をしたいのか?
何をしたら幸せにつながるのか?
何を楽しみたいのか?
何を大切にしたいのか?
今は何をどういうふうに感じたいのか?
自分の人生の中でどういうふうにすれば
今を大事にすることができるかを
もう一度考えてみるのもいいのではないかと思う。
一度しかない人生なのだから。
2004年10月14日(木) |
これで良いのだと・・・ |
今朝書いた文章を今見て、
なんと情けない私だろうと思った。
今で良いのだと思う。
これ以上何も望まない。
私は私の楽なような考え方をする。
相手と言い合っても
喧嘩したとしても
何も生まれない。
これで良いのだ。
私の心を積極的にしようと思う。
心が元気ならどんなことがあっても平気で居られる。
私は強くなりたいと心から思う。
外国人から見てとても不思議に思うのが
日本人の笑いだそうだ。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の
随筆「ジャパニーズ・スマイル」によると
日本人は悲しみの極地でも笑うという不思議な民族らしい。
このことについて柳田国男は
「不幸なる芸術」という論文集の中で
民俗学の立場から次のように説いている。
日本人には笑ってもらいたい神様が居る。
人間にとって神様は怖い存在だ。
神様に怒りを買うことなく
いつも自分たち人間をバカにして笑い飛ばしてくれたら良いと考える。
では、どうしたら神様に笑ってもらうことができるか?
そこで次のように考えた。
自分たちがおかしなことをして
自分達がまず笑うのだ。
そうすればきっと神様も笑ってくれる。
そう信じることに、
日本人の笑いについての本質があるのだと。
人が悲しみの極地で笑い、
恐怖の限界に居ても笑ってしまうのが日本人だというのである。
このことを考えたみたときに
私にも思い当たることがあった。
それは昔、恋人とのトラブルの時、
笑いというものが存在するべき時点ではなかった時でも、
私は自分自身の悲しみや怒りの中で笑顔を見せた気がする。
今思うと、その笑いは、
辛い状況をなんとか切り抜けたいと思った時
私自身の心の悲しみや怒りを抑えた笑いだった。
悲しいものであってほしくないという
願望から出た笑いだったのかもしれない。
そして、私が笑うことによって
彼に笑顔を見せて欲しいと願ったのだろう。
その笑いによって、
二人の間に流れていた気まずい空気を消し去りたいと願った
私の本能的な笑いだったように思う。
心の中からの本当の笑いではなく
自分自身を守るための笑いだったのだと思う。
笑うということは体にとても良い影響を与えるという。
体が病気でも笑うと、
免疫力が増えて元気を取り戻すことができると言う。
笑いと言うものは日本人に限らず、
この社会で生きようとする人間にとっては
とても大事なもののように思う。
笑うということくらい素晴らしい表情はない。
悲しみの極地でも、
怒りの限界のときでも、
笑えるということは凄いことだとつくづく思う。
あるメル友が、私に教えてくれた廣瀬裕子さんの本「HERT BOOK」
の中に「Again and again」という章がある。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー かなえたいもの、
こうなりたいと願うもの。
そういうものがあるとき、
そのことを何度も何度も
自分に言い聞かす。
それも、かなり、しっかり、と。
最初はちいさな声かもしれない。
言葉に自信がないかもしれない。
だけど、くりかえすことで、
その声は、つよく、
しっかりしたものに変わっていく。
そして、
何度も言いきかすうちに
かないそうに思えてくる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー これを読んだとき、
私はハッとした。
今の私が思っていることと同じだったから。
ヴァイオリンを始めて10ヶ月になる。
年が明けると一年になる。
でも、本当に進んでいない。
嫌になったことが何回もある。
やめようと思ったことさえある。
夏休みだと言って二ヶ月の間
一度もケースから取り出さなかった時もあった。
そして、心の弱い私は
弱い心に流されそうになっていた。
そんな私に勇気をくれたのは
天風先生の言葉だった。
理想は必ず実現すると信じて
それに向って努力することが大事だと分かった。
そして、今度はこの言葉に出会った。
当たり前のことかもしれないけれど、
なかなかできないことだと思う。
今、ヴァイオリンの練習が少し楽しくなってきている。
勿論進歩なんてない。
でも、今私が弾きたいと願う曲も見つかった。
毎日最低1時間弾いていると、
少しだけましになってきたように思う。
何度も何度も繰り返すこと、
これがいかに大事なことか!
私の夢がただの夢で終わらないように
必ず実現するのだという気持ちで
大きな目標に向って練習しようと思う。
何年かかっても良い。
私の「My memory」を弾きたいと心から思う。
2004年10月11日(月) |
変わることができれば |
私が今、自分自身を変えれば
きっと他の全てのことも上手く行くに違いない。
今を受け入れ、
今に満足できればそれが一番だ。
それが出来ないのなら、
何故?今の私が居るのかを考えれば良い。
今の私が何故今の自分自身に満足できないのか。
それは今まで生きてきた私自身の道に満足せずに来たからだ。
満ち足りた気分は人によって作られるものではない。
自分自身の心が感じるものだ。
私は今何をしたいのだろう?
何がどうなれば幸せだと感じることができるのだろう?
若い頃のように
自分だけのことを考えて
周りの人の気持など考えずに
思うままに生きることができたとしたら
今の私はまた同じことを繰り返すのだろう。
ああ~こんなことではいけない。
今を大事にしようと思うのなら
今のこの一瞬一瞬を一生懸命に生きなきゃ。
諦めずに、投げ出さずに・・・
私さえ変われば全て上手く行くのだ。
分かっている。
頭では分かっているのだ。
でも、心が強くなれない。
この心の闇は何年かかれば晴れてくるのだろう。
待つしかないのだろう。
いつかきっと霧は晴れてくる。
何もしたくない、
誰とも会いたくないと思うのなら
それは私が自分自身を追い込んでいるのだ。
誰がしているのでもない。
私が自分で自分の心を縛っているだけのことだ。
解放してやらなければ・・・
もういい加減に諦めるということを覚えなきゃ。
未練なんて最低のものだ。
私は過去を引きずっていつまで生きるのか!
それが嫌なら今無理をしてでも変えよう。
変われば良い、それだけのことなのだから。
ある人が、人間関係のトラブルを解決する方法には
3つの方法があると教えてくれた。
この人間関係は仕事上でも家庭の問題でも同じだ。
例えば、相手との折り合いが悪い、
相手に自分の気持ちがうまく伝わらない、
相手の気持が分からない、
上手く会話ができない、
自分自身も相手もお互いに誤解しあっている。
そんな関係を解決するためには、
①自分を100%相手にあわす。
②とことん話あって、自分自身にあわしてもらう。
③どんなことがあっても、気にしないようにする。
という3つの方法だといわれた。
①は私にはできないことだと思った。
いくら相手に合わせようとしても限界がある。
私は神様ではない。
だから腹が立つことも、
相手の言葉に左右されるときもある。
そして私自身の考え方もある。
だから、どんな時でも
相手に100%あわすなんてことは不可能だ。
②の方法は良いように思うけれど、
これは相手次第だと思う。
いくら話しあっても理解できずに終わることがあるだろう。
話をしていて余計にこじれる関係もあるだろう。
そして、私に合わせてもらいたいとも思わない。
結局は③の方法が一番なのだと思う。
気にしないようにすること。
これは逃げているような気もするけれど、
自分自身の気持ちを楽するためには
一番良い方法だと思う。
どんなことがあっても、
どんな言葉を言われても、
それをいちいち気にすることは、
自分の心をしばり苦しめるだけのことだ。
なるようになれ・・と思うくらいの気持ちが良い。
気にしない!気にしない!
人は人、私は私。
こう思うと今の私の悩みや苦しみも少しは楽になる気がする。
でも本当は、
この気にしないようにするということができないから悩むのかもしれない。
簡単なようで一番難しいことなのかもしれない。
もっと自分自身の心を強くしなければいけないと思う。
私は今日から生まれ変わる。
昨日までの私とさようならする。
完全に決別。
心の中に残るものは確かに存在するけれど、
いつまでも引きずっていては前に進めない。
新生スカーレットの誕生だ。
私の心の中に鉛のような存在だった、
あなたと今日で別れる。
そして、私は楽に生きる。
自分の思うように、
したいように・・
人のことなんか気にするのはやめよう。
残りの人生を楽しくしたい。
自分の心のまま、
なるがまま、
無理をせず、
正直に生きよう。
時には悩むことがあっても、
それを駄目だと思うのはやめよう。
そんな私も私の一部だ。
時には強がることもあるだろう。
でも、それも良い。
強がって、
肩肘張って生きることが、
私の元気の源になるのなら
それも良いと思う。
悲しい時には泣こう。
腹の立つときには怒ろう。
自然体で生きよう。
あなたにあわすのはもう疲れた。
求めない代わりに
私も自由に生きる。
何か大きな鎖で繋がれていた気分だった。
毎日が重くしんどい日々だった。
後何年生きるのか分からないのに、
こんな気分で生きるなんて
本当にあほらしい。
ああ~何かほっとしている。
ここへ書く事も好きなことを書こう。
私の心のつぶやきなのだから。
そして、私のHPも簡素なものにしよう。
自己満足の世界、
それで良いのだ。
シンプルイズベスト!
台風も通り過ぎた。
青空が見え始めた。
私の心の空の色はどんな色だろう・・・
ちょっとしたことで気分がころころ変わる「気分屋さん」が居る。
そういう人は言うことが一貫していなくて
その時の気分でどんなに変わるか分からないこともある。
そういう気分屋さんは
本質的には良い人なのかもしれない。
その時の自分自身の気持ちに正直であるに違いないから。
でも、私は自分自身もそうだから余計に気分屋さんが苦手だ。
勿論誰でも、気分の良いときと悪いときはある。
そして、自分では支配できない力で
そういう気分に左右されることがある。
勿論、人間にとって気分はとても大事なものである。
例えば、気分が沈んでいると、
どんなに才能のある人でも
良い思いつきができないこともあるだろう。
また、反対に気分がとても良いときには
普段は気付かない素晴らしい考えが浮かび、
それを実行する力さえも沸いてくるだろう。
私が出会った人の中には、
怒った顔が想像できないくらい
いつも笑顔でいる人がいる。
その人はきっと気分が一定している人なのだと思う。
そしてそういった人たちは、
いつも気分が良いから良い仕事も出来るのだろう。
悩むことも落ち込むこともないから
気分も悪くなることがない。
到底、私には真似はできない。
でも、付き合うにはとても楽な人たちだ。
気分の一定している人と付き合うときには
要らぬ気を使わなくても済む。
自分がいつも上機嫌で居られることは、
人との付き合いの上でとても強い味方になる。
相手に不愉快な感じを与えない。
喧嘩も起きないだろうし、
自分自身が一番楽な気持ちで居られる。
私は、ちょっとしたことで
気持ちが動揺してしまうタイプなので、
彼らのように気分が一定している人が羨ましくなる。
できたら、私もそうなりたいと思う。
ささいなことで、
自分自身の気分がよくなったり悪くなったりするのって
何か情けない気がする。
自分自身の周りの物や出来事や人に、
振り回されていることになる。
私も気分屋さんを卒業し
いつも一定した良い気分でいたいと思う。
そうしたら、毎日を平穏な気持ちで暮らすことができる。
この最近のような落ち込みも起こらないだろう。
同じ一生ならいつも安定した気持ち、
良い気分で過ごしたいものだ。
10月5日は「レモンの日」だった。
高村光太郎の詩集「智恵子抄」の中に、
レモン哀歌という詩がある。
光太郎の妻智恵子が亡くなる前に、
レモンをかじり、正気に戻ったと彼は感じた。
私は若い頃彼の詩にとても惹かれたときがあった。
その詩「レモン哀歌」に惹かれた人は、
私だけでなく多いと思う。
彼の妻への愛情がにじみ出ている詩だ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「レモン哀歌」 高村光太郎
そんなにもあなたはレモンを待っていた
かなしく白くあかるい死の床で
わたしの手からとった一つのレモンを
あなたのきれいな歯ががりりと噛んだ
トパアズいろの香気が立つ
その数滴の天のものなるレモンの汁は
ぱっとあなたの意識を正常にした
あなたの青く澄んだ眼がかすかに笑ふ
わたしの手を握るあなたの力の健康さよ
あなたの咽喉に嵐はあるが
かういふ命の瀬戸ぎはに
智恵子はもとの智恵子となり
生涯の愛を一瞬にかたむけた
それからひと時
昔山巓でしたやうな深呼吸を一つして
あなたの機関はそれなり止まった
写真の前に挿した桜の花かげに
すずしく光るレモンを今日も置かう
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この詩からは、
愛する人を失った悲しみが感じられる。
人にとって喪失感ほど、
辛く悲しく耐え難いものはないのではないだろうか。
今まで自分の側に居た人が居なくなる・・・
同じ空気を吸い、
同じものを見、
同じことを感じていたであろう人が居なくなる・・・
その淋しさは言葉では言い表せないものだと思う。
幸せなことに私にはこの喪失感の経験はない。
勿論恋愛に失敗して愛していた人を失ったことはあるが、
それはこの詩の中にある悲しみとは全く別のものだと思う。
私はきっと母が死んだ時、
この喪失感に襲われるのだろうと思う。
それがどんなものか想像もしたくない。
食事も睡眠も出来ず、
ただ茫然自失の日々を送るだろう。
今は現実感はないけれど、
いつの日か必ず襲ってくるのは確かだ。
その時に私はどうなってしまうのだろう・・・
私にとって、母が居なくなるということは、
私自身の死にも等しい。
ああ~もう今は考えるのはやめよう。
今は今だけを見つめていよう。
せめて、今だけはそんな悲しいことを思わずに過ごしたいから。
今日はとても良いお天気になりそうだ。
今日のような秋晴れの穏やかな日を
小春日和と言うのだろうか。
この小春日和という言葉を聞くと、
あのさだまさしの歌「秋桜」を思い出す。
歌ったのは山口百恵。
嫁ぐ日の前の娘の心境を歌った歌に惹かれたものだ。
♪こんな小春日和の穏やかな日はあなたの優しさが しみてくる・・・♪
娘にとって母の存在は大きなものだ。
父親に対する感情とは違うものがある。
自分を産み、大きくしてくれたということだけではなく
自分自身と一体化した思いがする。
この歌ではないけれど、
今日のような良いお天気の日は
母と二人でどこかへ出かけてみたいな・・・
今年の秋桜を母はまだ見ていない。
今日は誘って見に行ってみよう。
母と過ごす時間を大切にしたい。
真っ青な空と白い雲、
肌に気持ちの良い秋の風を感じながら
母の歩調で散歩してみよう。
ゆらゆらと揺れる秋桜を見ていると
今の私の心も和むはずだ。
家に居るばかりでは気持ちも晴れない。
母とヨン様の話でも、
思い出話でも、
何でも良い、
話ながら歩いてみよう。
今が一番良い季節だ。
心も軽くなるだろう。
人の後姿を見ると何故か悲哀を感じる。
何故だろう・・・
その人の人生を全て背負った背中を見るからだろうか。
昨日、私をこの世に送り出してくれた母、
今83歳になる母のその後姿を見ると
私の胸はじ~んと熱くなり、
泣き出したい気持ちになってくる。
私の母へのイメージはとてもしっかりした人というイメージだった。
昔から母は気丈で弱音を吐かない人だった。
太平洋戦争の中を生き抜き、
満州での生活も経験し、
私の知らない母の話しを聞くたびに、
私には到底真似はできないといつも感心していた。
そんな母の後姿が、
この頃はとても小さく感じる。
また、見るたびにとても淋しい感じがする。
歩く速度も随分遅くなった。
背中も少し丸くなって、
杖をついて歩いている。
階段の上り下りも足腰にひびくようだ。
そんな母の後ろ姿を見ると、
「ああ~本当に年を取ったのだあ・・・」と思う。
後どのくらいこうして母と一緒に歩くことが出来るのだろう。
私は今まで母の居ない人生なんて考えたこともなかった。
母はいつも私と共に歩いてきてくれた。
私の喜びや悲しみを全部受けとめてくれた母。
私のことを絶対の愛情で守ってくれた母。
自分のことは放っておいて私を見続けてくれた母。
私が若い頃はその絶対の愛情を重く感じたときもあったけれど、
母は私を心から慈しんで育ててくれた。
そんな母を悲しませることだけはしたくないと思う。
そんな親不孝は絶対にしたくないと思う。
私もやがて母と同じ後姿を娘に見せるのだろう。
そしてまた、娘も今私が感じている気持ちになるのだろう。
母から私へ、
私から娘へと母の命は続いていく。
私が弱音を吐いていてどうするのか!
私には親孝行したい母と、
見守っていくべき娘が居る。
自分に恥じない生き方をしなければ・・・
これからの残された人生を
良い生き方をしたいと思う。
そして、娘の目に映るであろう私の後ろ姿を、
ステキなものにしたいと心から思っている。
2004年10月04日(月) |
My Birthday |
今日はMy Birthday。
昨日から今日になる瞬間を
複雑な思いで過ごした。
先日来のめまい、
不整脈、
そして落ち込み・・
色々なことがあった最近の私だった。
今まで生きてきた時間と
私をこの世に送り出してくれた母を思うとき、
落ち込んで暗い穴の中に入っている私が恥ずかしくなった。
勿論まだ本当に立ち直ることはできない。
今回の落ち込みはそれほどひどいものだった。
何もする気が起きず、
胸の中に重い鉛を抱えたような気持ちの日々だった。
いつこの落ち込みから抜け出すことが出来るのか?
正直言って私には分からない。
でも、今はただじっと耐えるしかないのだと思う。
嵐が私の頭の上を通り過ぎて行くのを、
待つのと同じように・・・
いくら考え、悩み苦しんでも結果は見えてこない。
行き先の見えない旅に出ているようなものだ。
心の彷徨。
でも、私は思った。
彷徨い続けても必ず帰るところは見つかるはずだと。
今はただ、道の向こうの明かりを見失っているだけのこと。
私のこの落ち込みもやがて
薄紙をはがすように
少しずつ回復していくことだろう。
せめて、自分の誕生日くらい自分を幸せな場所に連れて行こうと
真っ暗な穴の中からちょっとだけ頭を外へ出してみた。
いつの間にか、外は秋の風が吹いていた。
コスモスがゆらゆら揺れ、
トンボが飛んでいる。
季節は秋・・
私が落ちこんでいても
時は同じように過ぎている。
この時間に流されてみるのも良いかもしれない。
無理に竿をさそうとせず、
流れに身を任せて漂うのが良いのかもしれない。
無理はせず、
嫌なときはそれを素直に認め、受け入れる。
どんな暗い夜でも朝は必ず明ける。
もう少しこのまま居よう。
心って不思議なものだ。
いくら自分の心だと思っても、
それを自由に操ることができない。
いくら考えてもどうしようもないことだってある。
でも、いつかはこのトンネルを抜ることができる。
そして、きっとトンネルの向こうには青い空があるはず。
私の本当の幸せを見つめていこうと思う。
この頃、何かやる気が起き来ない。
でも、毎日同じように家事をこなしている私。
何もかも放り出して、
一日中、蒲団をかぶって寝ていたい気がする。
一年に数回、こんな気持ちになる。
本当に自分でも不思議で仕方がない。
いくら理屈では分かっていても
どうしようもないことに焦りを覚える。
そして何故か何もかも嫌になるのだ。
季節は夏から秋へ移っている。
肌で感じる空気も、
見上げる空の青さも、
そして白い雲も。
でも、私の心は晴れない。
何もしたくないときには
思い切って何もせず
一日蒲団の中で過ごすのが良いのだろう。
私のように、
それも出来ず、
同じ家事を繰り返し、
達成感のない暮らしの中で
自分自身の存在感も感じることなく、
ただ、毎日時間の過ぎるのを待っている。
虚しい・・・
思いっきり叫びたい時がある。
何もかも放り出して、
どこかへ消えてしまいたいと思うときもある。
でも・・・
それができない。
家事も育児も放り出し、
好きなことをして過ごすことが出来るなら、
私は一日でいい、
本当に一日でいい、
一人でぶら~と出かけたい。
行くあてのない旅に出たい。
私という人間を知らない人の中に行きたい。
でも、たとえ、それが叶ったとしても、
それは一時的な逃避に過ぎないのだと思う。
結局、私の帰るところはこの家しかないのだから。
考えてみたら、自由でありながら、
自由ではないのだと思う。
体はここに縛られていても、
せめて、心だけは自由でありたい。
誰にも邪魔されることなく、
心だけは羽ばたかせたい。
こんなに思う日があっても良いのだろう。
がんじがらめに縛られていると感じる今の私の心が、
また、何かの拍子に解き放たれる時も来るだろう。
今はじっと耐えるしかないのかもしれない。
今日から秋、10月。
私の一番好きな季節だ。
でも、今日の私の心は、
出口の見えないトンネルの中で彷徨っている。
人を頼っては駄目だ。
こんな日も自分の心の中で耐えなくては。
いつか、このトンネルを抜けることができるはず。
そして、そのトンネルの出口の向こうには、
きっと、晴れ晴れとした青い空が広がっているはず。
今は耐えるしかない、
頑張らなくてもいいから、
逃げることだけはしないようにしよう。
スカーレット
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