スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2007年02月28日(水) 中川氏の中国脅威論発言に同感

26日、中川自民党政調会長が

名古屋市で開催された内外情勢調査会において、

中国の軍事費増大に警鐘を鳴らし

「台湾がおかしくなったら、20年ぐらいの間に、

日本は中国の何番目かの省になるかもしれない」と発言した。

中国における国防費は二桁台で増加している。

核の費用や研究開発、

武器輸入の予算を入れると軍事力増強は確かだ。

中国が軍事的解決も辞さないとしている台湾独立問題では、

シーレーンの問題から

日本も大いに関係していることを念頭に置く必要がある。

まさに日本と台湾は一蓮托生の運命だと思う。

今の日本人はあまりにも平和ボケしている。

世界情勢や日本を取り囲む中国や朝鮮半島情勢を考えるとき、

中川氏の発言は当たっていると思う。

「日本さえ平和を願い大人しくしていれば、世界中平和で戦争は起きない」と

思わされてきた戦後の間違った認識を見直すべきだ。

日本の伝統文化を守り、国家を維持していくためには、

自国防衛は当たり前のことだと思う。


2007年02月27日(火) チーズケーキ

 最近チーズケーキ作りに凝っている。
 
 今朝も4時から焼き始めた。
 
 台所中に立ちこめる、チーズが焼ける良い香りに包まれて、
 
 何だか幸せを独り占めした気分になった。
 
母は洋菓子が苦手だ。

その母が、○○テレビで

「ケーキを食べるならチーズケーキが体に良いと話していた」

と教えてくれた。

「よし、母が食べてくれるなら作ってあげよう」

そう思った私は、

本棚に立てかけてある一冊のノートを取り出した。

そのノートには、母から教わった料理のレシピや

雑誌の切り抜きが貼ってある。

私が作るチーズケーキは本当に簡単にできる。

材料を全て器械でかき混ぜる。

それを鍋に入れ電磁調理器で45分焼くだけだ。

味はレアとベイクドの中間のケーキが焼きあがる。

早速、義母と母、そして、

てかがみで知り合った友人に持って行った。

後日、義母と母は「とても美味しかったよ」と言ってくれた。

娘は「これは売れるよ」と褒めてくれた。

そして友人からは、

風邪気味でしんどかったのに、食べた途端に元気になったよ」

と嬉しい言葉をもらった。

おだてられるとその気になる私、

幸せを包み込んだケーキがまもなく焼きあがる。


2007年02月26日(月) 母の気持ち

娘が数日前から体調を崩した。

定期考査中ということもあり

毎晩遅くまで勉強しているし、

無理をしたのだと思う。

熱も37度3分ほどあるが

学校を休むわけにはいかない。

土曜日、近くの内科へ連れて行った。

やはり風邪とのこと。

眠くならない抗生剤と痛み止めをもらって帰った。

見ていても体がだるそうだ。

「もう寝たら?」と言いたいが敢えて私は言わなかった。

母に娘の風邪のことを言った。

すると、昨日母は寒いのに歩いて我が家に来た。

そして、娘のために美味しそうなイチゴと

甘酒を持ってきてくれた。

イチゴは私が買うものより

粒も大きく甘く美味しいと言う。

やはり値段の高いものを母は買ったのだろう。

甘酒は米の粒がいっぱい入って

あまり甘くなく体を温める風邪の特効薬みたいだ。

去年の日記を見ると

私が風邪で寝込んだ時、

母はやはり歩いて私の口に合いそうなものを持ってきてくれた。

母には無償の愛が存在し

心からのやさしさを感じる。

私に母と同じ愛は存在するのだろうか・・

正直自信がない。

私が娘を思う気持ちは母が私を思う気持ちに勝るわけはない。

そんな母だ。

母には何もかも負けている。


2007年02月25日(日) 新鮮野菜

私が住む所はまだ田や畑があり

アスファルトだけの町から越して来た私にとって

はじめは淋しい場所だった。

でも、今は心がほっとする場所に変わっている。

何が良いかというと

新鮮野菜や果物が安価で手に入ることだ。

車で3分のところには

大きなJAが経営する市場がある。

日常の生活において要るものはたいていのものがある。

それも新鮮なものばかり。

肉も魚も野菜も果物も花々も・・

この市場が出来て本当に生活がしやすくなった。

中でも新鮮野菜は有難い。

昨日はブロッコリーが一株50円、安いと思って買った。

すると、夜になって

近所の知人が取り立てのブロッコリーをいっぱい持ってきてくれた。

義母や母に分けてあげたがまだまだいっぱいある。

今夜はブロッコリー料理をしよう。

それにしても取り立ての野菜を食べることが出来るなんて

栽培していない私にとって嬉しいことだ。

この市に嫁いで来て良かった!


2007年02月24日(土) 赤ちゃんポストは慎重に

熊本市にある慈恵病院が、

様々な事情で子育てができない親が乳児を託す

「赤ちゃんポスト」の導入を決め、

厚生労働省も認可の方向だというニュースを聞いた。

この制度はドイツではすでに導入されているが、

もし実現すれば日本では初めてのことになる。

「こうのとりのゆりかご」と名づけられたポストは、

病院の目立たない場所に置かれるらしい。

このポストを介しての里親制度が充実していくなら、

未婚の女性や経済的な理由で育てられないと思った女性、

また育児ノイローゼで虐待をしてしまう母親たちにとっては

救いの手になるだろう。

そして、子どもに恵まれない人たちにとっても嬉しい制度だと思う。

親がどんな理由があろうとも、

捨てられた赤ちゃんには何の責任もない。

捨てられて亡くなる赤ちゃんのことを思うと、意義のある制度だ。

しかし、この赤ちゃんポスト設置によって

捨て子の数が増える可能性もある。

また法律的な問題も残っている。

賛否両論ある中、今後も慎重に論議すべき問題だと思う。


2007年02月23日(金)

夢というものは思ってもみないものを見ることが多い。

今朝方見た夢もそうだった。

現実には起こって欲しくないものでもあった。

それは「夫の死」の夢だったから。

夫が海で溺れて担架に乗せられて自宅に帰ってきた。

夫は死んでいるはずなのに

私が呼びかけると薄っすらと目を開ける。

そして、私が呼びかける方向を向くのだ。

私は必死で夫の名前を呼んでいた。

そして、そこで目が覚めた。

しばらくの間

「あれは何だったのだろう・・」と考えた。

一昨日の朝、夫とちょっとした喧嘩をしたからだろうか?

昨日の朝もまだ引きずっていたからだろうか?

でも、夫の死なんて嫌な夢だった。

朝方見る夢は正夢?

それとも逆夢?

逆夢に違いないと思おう。

もし、この話を親友に話したら

彼女はきっと笑ってこう言うだろう。

「少しは○○さんにやさしくしてあげないとね」と。

私は出来るだけのことはしているつもりだが、

やはり大昔のような

夫に恋した時のような気持ちに戻れない私が居る。

神様の私への警告かな?

なんて思った。

今朝は夫の顔を見るのが何となく照れくさい。


2007年02月22日(木) 信じること


人を信じられるということは幸せだ。

何かに夢中になれることは幸せだ。

同じことでも

信じるか信じないかで心は変わる。

信じる者が救われるというが本当にそうだと思う。

信じているからこそ

気遣い無く何でも言えるのだし

どんなことをしても分かり合える。

信じること、

これは人にしか出来ないことだ。

折角人間に生まれた来たのだから

人を信じて生きていきたい。

信じることは自分の心を穏やかにしてくれる。

疑心暗鬼で苦しむことはない。

疑いを持てば持つほど

その疑いは大きくなる。

たとえ、裏切られても信じていたい。

それが私の人生だとしたら

それもまた受け入れるしかないように思う。


2007年02月21日(水) 春を感じて

先日、姉が「バーゲンで半額になっとったけん着ない?」と言って

薄ピンク色のセーターを買ってきてくれた。

スタンドカラーの襟には小さなフリル、

胸元には花の形のボタンがついた少し薄手のセーターだった。

私の着る服は黒い色のものが多い。

今の時期はタンスの引き出しを開けると、

似たような黒いセーターばかりが入っている。

スカートも黒、セーターも黒、全身黒ずくめで居ると、

何か不幸事があったのかと聞かれることもある。

たまには違った色を着てみようと思うのだが、

黒を着ると何故か安心して落ち着く。

黒が好きだし一番似合うと思っている。

だから、姉には悪いが、

もらったピンク色のセーターはまだ着ていない。

でも、この頃は日差しも春めいて、

近くの梅の花も満開になっている。

毎日歩く池の土手は黄色の菜の花の絨毯が広がり、

私の好きな白い雪柳も咲き始めた。

花屋の店先には、

ピンクのスイトピーや黄色いフリージアが並んでいる。

春の足音が聞こえてくるようだ。

私も、花たちに負けないように、

春色のセーターを着て外へ出てみよう。

春を感じて心うきうき、歩く足取りも軽くなりそうだ。


2007年02月20日(火) 好きな人のためなら

本当に好きな人のためなら

どんなに遠くても会いに行く。

本当に好きな人のためなら、

飛行機の嫌いな私が、往復乗って飛んで行きたいと思える。

本当に好きな人のためなら

どんなに遅い時間になっても

いつまでも一緒に居たいと思う。

本当に好きな人のためなら、

自分の都合も合わせることが出来る。

本当に好きな人のためなら

どんなに忙しくてもその人の好物を作る。

本当に好きな人のためならば

毎日でも手紙を書ける。

市外電話代も惜しくない。

本当に好きな人のためなら、

たとえ理不尽なことを言われたりされても腹を立てない。

本当に好きな人のためなら

高価なものを買っても勿体無いと思わない。

本当に好きな人のためなら

自分を守るために嘘もつける。

本当に好きな人のためなら

自分を押し殺すことが出来る。

本当に好きな人のためなら

何でもしてあげたいと思える。

本当に好きな人が居れば

どんなに辛いことでも乗り越えることが出来る。

本当に好きな人が居れば

心に張りを持って暮らすことが出来る。

本当に好きな人が居たら、

毎晩その人のことを想い

思い出を胸に抱いて眠れる。

そんな風に思えたのはいつだったろう・・・

昔、そんな風に思える人が居たことが

とても懐かしく思える。

本当に好きな人のためなら死ねる・・

そう思った自分が愛しい。


2007年02月19日(月) 先生の死

去年から今年にかけて

私の周りで不幸ごとが続いた。

1月は叔母の死、

6月は私の父の死、

12月は義父の死、

そして、昨日は母にとっても私にとっても

尊敬し感謝し続けた人のお葬式だった。

棺の中の穏やかな先生の顔を見て

私の両の目から一筋の涙が流れ落ちた。

穏やかで静かなお顔だった。

先生が教えてくれた教えの中で

実行できないことだらけの自分自身を反省した。

①腹を立てないこと

②心配をしないこと

③人のことを言わないこと

④足っても足らなくても不満を言わないこと

⑤天地のものを粗末にしないこと

簡単そうで簡単ではないこの5つの教えを

これからも私の人生の道しるべにしよう。

人を愛し、

人のために何か出来る人生にしよう。

それにしても、

もう人の死を見るのは嫌だ。

義母も母も、そして先生の奥さんも

元気で居てほしいと心から思う。


2007年02月18日(日) 今まで・・・

この一年、真実の歴史について勉強しているが

毎日、「こんなことがあったのだ」とか、

「全然知らなかった」とか思うことがいっぱい出てくる。

これほど真実が教えられていなかったということだろう。

あの大東亜戦争に負けたということで

私たちは全ての歴史を失ったといっても過言ではない。

戦後のGHQによって、

「戦争犯罪洗脳計画」、「東京裁判」が行われ、

「占領憲法」「教育基本法」が作られた。

その結果日本人が、

「アメリカに負けて良かった」と思わすことに成功したのだ。

アメリカが心配していた、

日本国の復讐心は消えた。

当然それまでの日本側の言い分は否定され、

英雄は勿論、

子供の教育に必要な、

生きる理想となる具体的な人間像さえも無くしてしまった。

つまり日本が独立自尊の精神を喪失したのだ。

悔しい限りである。

このままの状態が続けば、

本当に日本国は滅亡してしまうだろう。

今こそ、

日本人としての誇りを取り戻すべき時である。

そして、歪曲された歴史を見直し、

真実の歴史を知ろうではないか。

未来の日本を思うなら、

日本人としての誇りを取り戻そうと思うなら、

今、日本が置かれている立場を

世界情勢の中でとらえるべきだ。

東アジアを占領しようと企んでいる中国に対抗するには

アメリカの核の傘を拡大するのではなく、

日本が独自で自衛できる力を持つべきだ。

今まで知らなかったことを知るにつれ

私はつくづくそう思う。


2007年02月17日(土) 春の味

今年も八百屋さんの店先に

緑の葉の先が青紫色になった高菜が並ぶようになった。

お節料理は野菜不足になりがちだ。

立春を過ぎてやっと春野菜に出会えた気がする。

早速一束50円で売られていた高菜を買ってきた。

高菜を使った料理は色々あるが、

私は基本的な煮びたしで食べるのが好きだ。

大きな蒸し器を出して来た。

熱湯を沸かし、土のついた葉を綺麗に洗って湯がく。

このときに香ってくる高菜の香りを嗅ぐと、

いつも「ああ~春の香りだ」と思う。

みるみる真緑になった葉をざるに取り、

鍋に水を入れてつけて灰汁を取る。

一晩水の中に浸しておくから、今晩のおかずにはならない。

明日は刻んで松山アゲと共に炊いてみよう。

高菜は漬物にしても美味しい。

九州へ旅行に行くと必ず土産に買ってきた。

霜が下りた高地でとれる高菜はまた特別美味しい気がする。

おにぎりの中に刻んだものを入れて握ると、

まさにお袋の味が出来上がる。

また高菜付けを刻んでチャーハンにしても美味だ。

野菜嫌いな娘も喜んで食べる。

これからは春の味を堪能できるだろう。


2007年02月16日(金) 子どもの小さい頃の親の教育は大切

大阪教育委員会が小中学生を対象に行ったアンケートで、

小さい頃に親に絵本などを読んでもらったり、

博物館や美術館へ連れて行ってもらった経験のない

子どもたちが増えているという結果が出た。

私は娘が小さい頃、

毎晩寝るときにベッドに入って

絵本を読み聞かせたものだ。

日本昔話やアンデルセンやグリム童話、

心を温かくしてくれる絵本がぼろぼろになるくらい

何度も何度も読んでやった。

そして、娘は知らぬ間に文字を覚えていた。

 また、県展をはじめ本物の絵や芸術に触れさせたいと思って
 
 美術館やコンサートによく連れて行った。
 
 分からなくても、
 
 子ども時代に見たり聴いたりしたものはどこかに残っている。
 
 子どもは生まれたときは白紙だ。
 
 その白紙の心や脳に、
 
 人を思いやる心ややさしさを植えつけ、
 
 正しいものの考え方が出来るような教育をしていくことは、
 
 学校教師の責任ではなく家庭での親の責任である。
 
 子どもの情緒を豊かにする家庭環境や教育が大切だと思う。


2007年02月15日(木) 拉致問題の解決が優先

北朝鮮核問題をめぐる六カ国協議が、

核放棄に向けた初期段階措置と見返りを明記した

共同文書を採択して閉幕した。

二段階措置をとる形で終わった全体会議の結果、

六十日以内に北朝鮮が寧辺の核施設の活動停止および封印と

国際原子力機関(IAEA)の査察を受け入れる見返りとして、

重油五万トン相当のエネルギー支援を開始するという。

私はこの採択を喜べない。

拉致問題はどうなるのだろうと不安に思うからだ。

安部総理大臣は会見で、支援はしないと言っていたが、

日本はもっと強い態度を示すべきではないだろうか。

北朝鮮が核を放棄するはずはない。

金正日が存在するのは核を保有しているからだ。

どんな採択が出ても

六カ国協議では日本にとって最良の結果は出ない。

現在の日本は、

核問題よりも北朝鮮に対して拉致問題を強く迫るべきである。

この問題を解決しない限り、

日本の未来はないといっても過言ではないと思う


2007年02月14日(水) バレンタインデー

今日は日本中でチョコレートが飛び交う日

バレンタインデーだ。

かくいう私も夫や義兄、亡き父二人、友人と

チョコレートを贈った。

メル友さんたちにはチョコレートをカードでプレゼントした。

日ごろのお世話になったお礼の気持ちと

これからもよろしくという気持ちを込めて。

夫はこういうことをしない人だ。

今年もチョコレートは要らないと言われていた。

でも、考えてみると、チョコレートをあげることで

普段言えない私の気持ちを伝えることが出来る。

だから、「有難う」の気持ちを込めて贈ったのだ。

生活上の潤いというか、

気持ちの余裕というか・・

上手く言葉では言えないけれど

心のおしゃれかな・・・

義父の四十九日法要で帰ってきていた

義兄は「何十年ぶりかな?有難う!」と言って

笑顔を見せてくれた。

この言葉を言ってもらうと嬉しい。

夫はなかったから余計に嬉しかった。

亡き父の仏壇に供えて

「父ちゃん、今年もバレンタインデーがやってきたよ」と話しかけた。

父も喜んでくれているだろう。

今日一日何かほんわかした気持ちで過ごせそうだ。

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画像掲示板を外し、

一言メッセージを残してほしいと思って作ったページ、

何か一行で良いから言葉を残してくれたら嬉しいな・・


2007年02月13日(火) 「危険を顧みず命を落とした警察官の冥福を祈りたい」

先日、東京都板橋区南常盤台の東武東上線ときわ台駅前踏切で、

線路内に侵入した女性を助けようとして電車にはねられ、

重体になっていた警察官が死亡した。

危険を顧みず、

女性を救助しようとした警察官の勇気と責任感に感動した。

それにしても救助された女性は警察官の必死の制止を聞かず、

自殺願望を持っていたということを聞き、

やりきれない思いがする。

2001年、JR新大久保駅で、

酒によって線路に転落した日本人を助けようとして、

一人の韓国人留学生と日本人男性が死亡した。

警察官と一般人という違いはあるが、

どちらも自らの命を顧みず、

救助しようとした姿は、人として崇高である。

殺伐な事件が多い今の日本社会で、

こういう話を聞くとまだまだ日本も捨てたものではないという気がした。

昨今、警察官の不祥事が多いが、

この警察官のように、

真面目に責務をまっとうしようとした人も居るのだ。

ご冥福を心から祈りたい。


2007年02月12日(月) 建国記念の日

昨日2月11日は「建国記念の日」だった。

昔は神武天皇が即位した日を「紀元節」として祝った。

戦後はGHQの意向でこの日を祝うことをしなくなったが、

1966年、「建国記念の日」という名称で

再び祝日として復活した。

「建国記念日」としないのは

史実に基づく建国日ではなく

建国された事実を記念する日として

「建国記念の日」となったと言う。

今、日本において間違った歴史が教育されている。

戦後の誤った歴史教育によって

真実が封印されたからだ。

そのつけが回ってきている現在、

改めて愛国教育の大切さを思う。

この「建国記念の日」の本来の意義は

この日をわが国の歴史についての関心を高めることにあると思う。

教育的な意味において重要な日であることを認識すべきだ。

そして、その意味で

教育基本法を改正し、

国を愛し、

郷土を愛し、

日本の伝統と文化を愛する心を取り戻さなければならない。

そうでないと

後ニ三十年後には

中国が目論んでいるように

日本は消滅してしまう。

今、その危惧を皆が認識すべきだ。

日本は法と秩序を守り、

世界において羨望されるべき存在でなければいけない。

今の若者やこれからの子どもたちに

日本の歴史の真実を伝えていくことで

本来の愛国心を養うことになると思う。


2007年02月11日(日) 肩風邪?

「○○は風邪を引かない」の言葉通り

私はめったに風邪を引かない。

そして、これは唯一の自信であり自慢だった(笑)

でも、昨日の朝起きてみると

何か普段と違う気がする。

目がショボショボするし

頭が重い。

体もだるい。

喉に何か引っかかる感じがする。

背中が寒い。

これって風邪の前触れ!

最近夜遅くまでPCを開き、

ネットTVを見ていたから

疲れと肩こりから

肩風邪を引いたのかもしれない。

昨日は横になりたいと思った。

でも、やはり無理だった。

母の病院の送迎、買い物、

午後は姉が母の所に来るので話もあり行った。

熱はない。

やはり肩風邪だろう。

明日は義父の四十九日法要があり

今日も何かと忙しい。

母の風邪も今ひとつだ。

その母は私のことを心配してくれる。

母の有難さをしみじみ思う。

母に心配をかけないためにも

早く良くならないと。

明後日は父の月命日、お墓参りに行きたい。

心の元気で風邪を吹き飛ばそう。


2007年02月10日(土) 「春告げ鳥」

「ホーホケキョ」日課にしている朝の散歩の途中、

神社の森の近くを通りかかった私の耳に

鶯の鳴き声が聞こえてきた。

思わず足を止め、うっそうとした木々を見上げた。

姿は見えないが、どうも一本の高い椿の木から聞こえてくるようだ。

耳を澄ますと「カアーカアー」「チッチチッチ」「チュンチュン」と

色々な鳥たちの声が聞こえる。

しばらくして、また「ホーホケキョ ケキョケキョ」と鶯の声が聞こえた。

「やっぱり鶯だ、えー!もう鶯が鳴くんだ」と驚いた。 
  
でも、暦の上ではもう春。

隣家の庭の白梅にも白い花が咲き、

風に乗って甘い香りが漂ってくる。

近くの川の土手には黄色い菜の花が満開だ。

水仙畑の側には白い雪柳の花がちらほら咲いている。

池で越冬した鴨たちももうすぐ姿を消すだろう。

暖冬だった今年の冬ももう終わろうとしている。

時は確かに過ぎ、季節はめぐってきている。

去年は二人の父を亡くした辛い年になった。

もしかしたら、あの鶯の鳴き声は、

父たちが鶯に姿を変え、

私に「もう春が来るよ。元気を出してよ」と言っていたのかもしれない。

春を告げる鶯の声に「有難う、頑張るからね」と心の中で呟いた。


2007年02月09日(金) 現代版かさじぞう

ある新聞で、次のような記事を読んだ。

それは、10日くらい前から、東京の麻布十番に立っている、

童謡「赤い靴」のモデルの女の子の銅像の首に

赤いマフラーが巻かれているという話だ。

近所に住む人は初め、何かのいたずらかと思ったらしい。

銅像のところに確かめに行くと、

誰かが寒いからかわいそうにと思って

マフラーを巻いてあげたのだと気付いた。

マフラーが風に吹かれて外れると、

いつの間にか誰かの手で巻かれているという。

また、夏には暑いだろうという気持ちから、帽子がかぶせてあるらしい。

この話を聞き、日本昔話の「かさじぞう」を思い出した。

売れ残った笠を、おじぞうさんにかぶせてあげた

やさしいおじいさんと同じ気持ちの誰かが、

女の子の像にマフラーを巻いたのだろう。

昨今の殺伐とした事件のニュースを聞くたびに心を痛めていたが、

このマフラーの話は女の子だけではなく、

私の心まで暖かくしてくれた。

日本もまだまだ捨てたものではないと思うとほっとした気持ちになった。


2007年02月08日(木) 子どもに返るのだ・・

先日、知人のお母さんが骨を折って入院されたと聞き

母と一緒にお見舞いに行った。

病院へ行くと面会記録に名前と関係と時間を書かされた。

そして、病棟へ入る所には施錠されていて

鍵を開けてもらった入った。

部屋のある階には

認知症の人たちがたくさん居た。

母と同じ位の年恰好の人たちが

何か意味不明のことを話したり、

うろうろしているのを見て

これは家族は大変だなあと思った。

知人のお母さんは軽い認知症なので

私たちが言って会話もちゃんとできたし

変な感じは全くしなかった。

10分ほど居てお暇したのだが

帰りの車の中で母に

「父ちゃんはボケが現れなくて良かったね、

 母ちゃんもしっかりしていてね」と言ったら
 
母は「レシチンを飲んでいるから大丈夫」と言って笑った。

母は、今はまだ自分のことは自分で出来る。

ご飯のこともちゃんとしているし

新聞や本を読んで脳もはっきりしている。

でも、いつどうなるか分からない。

年を取るということはそういうことなのだ。

私もせいぜい脳を使って

手先も使って認知症にならないようにしたい。

でも、認知症の人たちは皆とても幸せそうに見えた。

要らぬことを考えたり心配しないからだろうか?

認知症の人たは子どもに返っている、

だからこそ、家族に見守られてやさしい人生を歩んでほしい。


2007年02月07日(水) 地球温暖化に世界レベルでの対策が必要」

数年前に公開された映画

「デイ・アフタートゥモロー」が現実として起こりそうだ。

米英などの国際チームが2日付けの科学誌サイエンスで、

地球の温暖化がIPPC(総合的汚染防止管理)の報告と比べて

かなり深刻な状態になっていると発表した。

このままで行くと、21世紀後半には北極の氷が消滅し、

島が海に沈み、砂浜も消える事態が予測される。

今年の暖冬はその前触れかもしれない。

平均気温も6.4度上昇することによって農作物への影響も出る。

日本ではりんごや稲の生産が出来なくなるかもしれない。

1月に紅葉が見られ、2月には桜が咲き、

5月には海開きが行われるようになると聞いて

笑い話ではすまないと恐怖さえ覚えた。

地球温暖化に対して、世界レベルで対策をとらなければならないと思う。

日本が京都議定書の約束を果たせるかどうかは

私たち一人一人が環境意識をどこまで高められるかにかかっている。

これ以上の温暖化を防止し地球のピンチを救おう。


2007年02月06日(火) 娘の面差しに似たお人形

昨日、二週間に渡ってアメリカからグアテマラを旅してきた

親友と久しぶりに会って話しに花が咲いた。

いつも会うショッピングセンターのフードコーナで

11時から午後3時半までの4時間半、

昼ごはんを口に運びながら話したのに

あっという間に時間が過ぎた。

彼女がグアテマラのお土産だと言って

買って来てくれたのが

民族衣装を着た可愛い女の子の人形だった。

作りはとてもシンプルで、日本のようにこってはない。

目は普通のシャツボタンで出来ている。

手足も胴体に縫い付けられていて

動かすと縫い目がはじけそうな感じの人形だ。

彼女がこの人形を一目見て

私の娘に似ていると思ったとか。

レストランで食事をしていたとき

子どもがこのお人形を売りに来て

そして買ったのだと言った。

ちょっとほっぺたがふくらんで

口を尖がらしている表情が娘に似ている気がする。

思わず「可愛い!」と私、名前も娘の名前をすぐにつけた。

高校から帰宅した娘にこのお人形を見せて

「友達が○○○ちゃんに似ているって」と言うと

初めは「・・・・」という表情をしていたが

やがてにっこりと笑って娘は抱きしめて挨拶した。

その途端にお人形に魂が入ったような気がした。

家にいる他のぬいぐるみと同じように

このお人形にも命が宿ったのだ。

夜、母に見せてあげると行って持って行くと、

母も「可愛いね、うん何となく似てるね」と言った。

私へのお土産だったのに

結局、娘が自分のベッドに持って行ってしまった。

でも、いいや・・

来年、娘が大学進学で家を離れたら

このお人形が娘の代わりとなって

私に話しかけてくれるだろう。

大切にしたいと心から思う。




2007年02月05日(月) 「浅野さんの朝一レポート」

2月1日の朝5時45分から

NHK第一ラジオで

「ギャラリーしろかわ」の館長浅野さんの「朝一レポート」が放送された。

内容は内子町に住む数え年105歳の上堂喜太郎さんのことだった。

喜太郎さんは

持病の心臓の病気があるにも関わらず、

油絵を描き続けている。

また、毎朝金魚体操とジョギングを欠かさないという。

500メートル歩いては一休み、

また500メートル進んでは一休みの繰り返しだが

欠かさず続けていることがすばらしい。

喜太郎さんは貧乏な家に生まれ育った。

だから、恩給がもらえる公務員になろうと思い勉強した。

そして、代用教員から教員免許を取得し、定年まで勤め上げた。

退職してから油絵を始めて44年になると言う。

内子の風景画を主に描いているとか。

浅野さんが伝えてくれた喜太郎さんが言った言葉の数々に感動した。

「貧乏が忍耐と努力を教えてくれた」

「貧乏だったからこそ今の自分がある」

「年を取っての清算は、若い人から憧れを持たれる人になること」

これらの言葉が心に響いてきた。

人生を100年以上生きてきた人の言葉は

その人の人生そのものだしとても重みのある言葉だと思う。

浅野さんの話はいつもなるほど!と思うことばかりだ。

喜太郎さんの個展は

ギャラリーしろかわで

2月8日から3月18日まで開催される。

冬の城川は行ったことがないが、

機会があれば是非訪れてみたいと思う。

そして、喜太郎さんにお目にかかれたら

どんなにすばらしいだろう。


2007年02月04日(日) 節分 そして立春

今日は2月4日、立春、暦の上では春が来た。

このニ三日節分寒波が押し寄せてめったに雪を見ない

この地域にも珍しく雪が舞った。

私の家から見える近くの山肌が薄っすらと白くなっている。

大寒から立春へ季節は巡りながら

少しずつ春の足音が聞こえてくるのだろう。

昨日は節分、

日本中で豆まきがされ

晩御飯のテーブルには巻き寿司が並んだに違いない。

今年の恵方は北北西だと聞き、

昨夜は家族そろって恵方に向かって

巻き寿司の丸かじりをした。

去年は二人の父を亡くして辛い年になったが、

今年はきっと良い事があるようにと

心の中で願いながら

田舎風の巻き寿司をかじり幸せをかみ締めた。

小さな本当にささやかな幸せだ。

こうして、家族がそろって元気で暮らせること、

いつの日か、一人抜け二人抜け、一人になる日が来る。

それまでの時間を大切にしたい。

節分の夜、改めてそう思った。


2007年02月03日(土) あなたを忘れない

昨日、母と二人で映画「あなたを忘れない」を観にいってきた。

先日天皇陛下と美智子様もご鑑賞され

感動の涙を流されたと聞く。

槇原さんの主題歌

「光~あなたを忘れない」も心にじ~んと来る歌だと思っていた。

やはり涙、涙、涙・・の映画だった。

画面から悲しみと勇気と微笑みが伝わってきた。

この映画は、

2001年1月、JR新大久保駅で、

酒によって線路に転落した日本人を助けようとして

死亡した二人の男性のうちの、

韓国人留学生 故・李秀賢(イ・スヒョン)さんがモデルの映画である。

彼の韓国での生活から始まり

日本での留学生活の中で

路上ライブをしていた女の子と知り合い

二人の間には恋愛感情が生まれる。

韓国と日本との間の色々な葛藤の中で

日本を好きになろうとする彼の姿、

韓国人だからという理由だけで毛嫌いする女の子の父、

交通事故に遭った時の日本人の対応、

色んなことを考えさせられる映画だった。

人の勇気とは何か?

祖国愛とは何か?

命よりも大切なものがあるのか?

家族への愛とは?

徴兵制度とは?

本当に色んなことを思った。

彼の母の言葉がネット検索で分かった。

それは次のようなものだった。

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その行為に対し、

韓日両国から国家勲章を授与されるという身に余る栄誉を頂きました。

またこの度は、秀賢の26年という短い生涯を、

大勢の方々の協力によって映画化して頂けると伺い、

戸惑いながらも、嬉しさの余り眠れない夜も過ごしました。

どうか、この素晴らしい映画が

息子の生前に叶える事のできなかった

両国の友好促進の夢を実現し、

韓日の大きな架け橋となるように、心からお祈り申し上げます。

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北と南の統一を願い、日韓友好を願った彼の心と勇気を

皆、一生忘れてはいけないと思う。





2007年02月02日(金) あぜんとした柳沢厚生労働大臣の発言

↓は昨日の新聞に掲載された私の投稿である。

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「あぜんとした柳沢厚生労働大臣の発言」

27日に松江市で開催された自民島根県議の決起集会で

柳沢厚生労働大臣が、少子化対策に触れ、

女性は産む機械だという発言をしたというニュースを知り、

唖然とした。

大臣はその場ですぐ取り消し発言をしたそうだが、

日ごろ思っているからこそ出た言葉ではないだろうか。

大臣は「女性が15歳から50歳までの数は決まっている。

産む機械、装置の数は決まっているから、

あとは一人頭で頑張ってもらうしかない」と述べたとか。

世界でも女性が出産することが女性の人権であるとされている。

女性の中には、出産したいと思う人、思わない人それぞれ居る。

産む機械だなどと思うことは人権侵害だといわれても

仕方ないのでないだろうか。

厚労省は昨年12月、人口推計を下方修正したが、

この時、柳沢大臣は「子どもを持ちたいという若い人たちは多い。

その希望に応えられるよう、

できる限りの努力をしていきたい」と話していた。

同じ大臣の発言とは思えない。

産む、産まないは女性側の問題である。

産みたくても産めない社会こそ問題だ。


2007年02月01日(木) 親友の帰国

今日から二月だ。

今日、アメリカへ行っている親友が帰国する。

二週間なんてあっという間だと思っていたが

親友が旅に出てずいぶん時間が経った気がする。

親友へ二日にあげずメールを書いて送った。

今日は何があった、

こんな気持ちになった

今は何している?

今はどこにいるの?

などと、あまり意味のないことを書き続けた。

親友が居なくなって改めて親友の存在の重さを知った。

元気で居たろうか?

時には私のことを思い出してくれただろうか?

早く元気な顔を見たい。

お土産話をいっぱい聞きたい。

「お帰り」という言葉を添えて絵手紙を描いて送った。

今日こそ「お帰り」と大きな声で言おう。


スカーレット