スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今朝から雨。
雨は有難いが憂鬱なことも。
髪の毛がまとまらない。
じめっとして湿気を帯びた髪の毛は
さらっとしないしまとまらなくて
癖毛がひどくなる。
出かけないといけないときも雨は嫌。
勝手なものだ。
あれほど雨が欲しいと願っていたのに
渇水の心配がなくなった途端、雨が嫌だなんて・・・
今朝はまた嫌なことが。
今日は燃えるごみの日だったので
ごみ袋を持って家の前の信号を待っていた。
青になったのでわたろうとしたら
右方向から軽トラが走ってきて
水溜りの雨水を跳ね上げていった。
私のスカートと長袖の服にパシャッ!
ああ~!!と思った時には
すでに軽トラは走り去っていた。
泥水だから染みになるだろう。
今日は母を病院へ、
それから会の集まりにすぐ行かないといけないので
外出用の服を着ていた。
普段着にしていればよかったのに・・
準備しすぎたのが駄目だった。
服を脱いで洗濯をしたが
今日の雨で乾かないだろう。
ここで腹を立てても仕方ないし
こんなこともあるだろうと諦めよう。
今日一日が無事に済めばそれで良い。
ああ~!!と思った私が損だった。
明るく元気に!
嫌なことは忘れて、良い日になりますようにと願ってる。
昨日開催された講演会はまあまあの入りだった。
200人来てくれると大盛況だと思っていたが
実際は120人、でも、動員に走り回った
会員たちの努力の賜物だったように思う。
講演会は午後1時半から始まったのだが
準備のために9時に会場へ。
会場の準備や器具の調整など
お昼以降も開演までかかった。
私は受付や書籍販売を担当したので
桜井裕子先生の講演は聴くことが出来なかった。
講演後のアンケート用紙に記入してくれた人たちの
感想やご意見を見て、意義のある講演会になったと思う。
今朝の産経新聞の地方欄にも講演会のことが載っていた。
本当に日本の危機だと思う。
親の意識、それぞれ一人ひとりの意識の改革が必要だろう。
午後6時からは桜井先生を囲んでの懇親会に出席、
先生からまた色々なためになるお話を伺うことが出来た。
今日からは結果の集計や会計報告等まだすることがある。
正直、主催者側に立った講演会は初めての経験だった。
どんなことでも実際にやってみる立場にならないと
その大変さや苦労は分からないのだとつくづく思う。
いよいよ、講演会が開催される。
数ヶ月前から準備していたが
今日になってやっとすごいことをするのだという気がしてきた。
昨日は高島屋の前でチラシ配り。
予定では市議会議員の人たち数人が
一緒になってやってくれることになっていた。
でも、実際に手伝ってくれたのは女性市議一人だった。
会からは6人。
電車から降りてくる人、
デパートに入ろうとする人、
商店街から出てくる人など
それぞれが声をかけ
チラシを手渡そうとしたが
なかなか受け取ってもらえない。
拉致被害者救出のチラシ配り署名活動の時と同じだった。
関心のない人は見向きもしない。
手渡そうとしても、私から逃げようとする人、
チラシを受け取ってもその場で捨てようとする人・・・
色々だった。
今回の講演会のテーマは
「若者に蔓延する性感染症」
若い人たちにも現実を見てもらいたいと思った。
また、若者だけではなく中・高校生を持つ保護者にも
実態を知ってもらいたかった。
でも、チラシ配りの1時間、
あまり成果は得られなかった。
昨日のチラシを見て聴きに来てくれる人は居ないだろう。
そんなものだと仲間に言われた。
きっとチラシを配っている私たちを
変なものを配る変な人ととらえた人たちも多かったに違いない。
今日の講演会が盛況で終わることを祈らずにはいられない。
昨夜というか今朝は朝生を見ていて4時半までおきていた。
それから1時間ほどうとうとしたがいつものように起床。
今日はとても良いお天気なので
大きなものの洗濯をしている。
一昨日、西村眞吾さんがあの「改革クラブ」に入党したと
送られてくる時事通信で知った。
昨夜は西村さんがチャンネル桜に特番で出演して
今回の入党についての話をしていた。
「改革クラブ」は今年の8月29日に
民主党から離脱した参議院議員の渡辺秀央、
大江康弘氏と無所属の荒井広幸氏、松下新平氏によって設立された。
当初は4人の他に民主党の姫井由美子氏も参加する予定だったが、
前日の8月28日に新党立ち上げが明るみに出ると、
民主党の執行部の説得を受けて翻意し参加を取り止めた経緯がある。
今回、この「改革クラブ」に衆議院から
西村眞吾氏が加わったことにより5人となって
政治資金規正法上の政党要件を満した。
配信されてきた時事通信によると
西村眞吾氏は次のように語っている。
「志が同じであり、党として
拉致被害者救出を真っ正面に取り上げることができるからである。」と。
先の首班指名においても
西村氏は拉致議連の平沼赳夫会長の名前を書いたという。
これからは政党のマニフェストとして
拉致問題を取り上げ
救出に取り組んでもらえると思うと
とても頼もしく、またこれからの日本も
もしかしたら変わるかもしれないと
期待したいと思う。
改革クラブには頑張ってもらいたい。
私がお葬式をあげたわけではないのに
こんなにしんどいのは何故だろう。
本当に疲れた。
疲れがとれず翌日に持ち越すから
毎日がしんどいのかもしれない。
母のことが心配だ。
腰の具合はどうだろう?
ひざのバイオサポーターがとてもよかったから
一昨日、腰のバイオサポーターを買って
昨日はそれを巻いていたから大丈夫だとは言っていたが
10時から3時まで座っていた時間が多いし
気分的に緊張もしていたから
きっと疲れているだろう。
今日は、母を整形外科へ連れて行く日だ。
私も明日はチラシ配り
明後日はいよいよ講演会だ。
今日、一日ゆっくり出来そうだから
休める日に体を休めよう。
外は雨、雷も鳴っている。
こんな日は一日家に居てのんびりできたらいいな。
それにしてもしんどい・・・
2008年09月25日(木) |
死んだ者の損か・・・ |
昨夜は一昨日急死した叔母の御通夜だった。
午後6時から始まる御通夜に母と出席した。
お坊さんの枕経の後
御通夜振る舞いというか、ちょっとした食事が出た。
一般の人は帰った後なので
残ったのは家族や近い親戚のものたちばかり。
本来、御通夜は故人を偲び
生前の思い出などを語り合うのが本当だと思うが
昨日の御通夜は
久しぶりに会った親戚たちが
故人の話よりも
自分たちの近況や小さい頃の思い出話に終始して
時に大きな笑い声や話し声が行きかった。
これって何か変・・と思いながら
そういう私も話の輪の中に居た。
確かに、従兄弟同士というものは
幼い頃はまるで兄弟のように付き合っていても
成人し、それぞれが家庭を持って
別々の人生を歩み始めたときから疎遠になってしまう。
そして、会うときは結婚式やお葬式・法事の時だけになってしまう。
何だか淋しい気もするが仕方ない。
昨夜の御通夜も
私たち従兄弟6人が集まり
子供の頃の話に花を咲かせた。
その話の場に母が居たのだが
帰る車の中で母がふともらした言葉に
私はドキッとさせられた。
母は「死んだものの損だ」と言ったのだ。
確かにその通りだ。
もし、母が亡くなった御通夜の席で
親戚のものたちが母を偲ぶのではなく
自分たちの話ばかりしていたら
私はきっといい気持ちにはならないと思う。
御通夜の意味がないではないかと思うだろう。
でも、母はそれで良いと言った。
賑やかにしてほしいと言った。
私は違う。
私は自分が死んだ後
夫や娘や姉たちが涙を見せず
笑顔を振りまいていたとしたら
きっと嫌な気持ちになるだろう。
私の了見が狭いのかもしれない。
やはり長生きしないと損かも?
せいぜい元気で、娘たちに迷惑がられるまで
長生きしてやろうと思った。
まるで台風が通り過ぎたような
慌しい一日だった。
昨日は、免許合宿に行っている娘の
本検定の日で、これが終わればめだたく卒業するという日。
夫と午前中に家を出て1時間半かけて教習所へ。
途中で、娘から「合格した」というメールが届いた。
良かった。
一安心だ。
同じように検定を受けたあとの二人は
駄目だったらしい。
荷物をまとめ、仲間たちと別れを告げ写真を撮り、
名残惜しそうに教習所をあとにした。
合宿はとても楽しかったらしく
演劇部に居るよりも楽しく卒業するのが
何かとても淋しかったみたいだ。
でも、合格して無事卒業できたことは嬉しい。
帰りに犬や猫、動物の愛護センターでフェスティバルがあり
寄って、犬や猫たちと1時間半ほど遊んで帰った。
娘は犬が大好きだ。
飼ってと言われているが責任もありなかなか思い切れない。
母や義母の介護がこれから必要になるはずだし
ペットは勿論飼いたいがきっと無理だろう。
可愛がるのと飼うのとは違うのだから。
家に戻ったとたん電話が。
それも叔母が急死したとの知らせ。
今夜がお通夜で明日がお葬式だ。
急なことだったので信じられない。
年も母より11歳も下だから、母が気落ちしていた。
明日は高知から遊びに来る約束をしていたから
急遽彼に電話をして断った。
とても残念そうな弱々しい声を聞き心が痛む。
でも、仕方ない。
そして、今朝7時のバスで娘は大阪に帰っていった。
明日から演劇部の合宿へ参加すると言う。
合宿に必要なものを忘れていたので
宅急便で送ろうと思ったが
クロネコも郵便局も今日中に届けるのは無理だとのこと。
これも仕方ない。
娘がなんとかするだろう。
ああ~~本当に嵐が過ぎ去ったみたい。
慌しい一日だった。
落ち着いたゆったりした時間が一番良い。
2008年09月23日(火) |
案ずるより産むがやすし |
昨日、地元のケーブルテレビ出演した。
放映は25日の夜だそうだ。
内容は28日に開催される講演会のお知らせの放送だ。
この出演の話を頼まれたとき
正直言って嫌だな・・と思った。
人前で話すのは苦手ではないが
それはグループや会合でのこと。
TVカメラに向かっていくら短い時間だと言っても
話をするのは得意ではない。
でも、頼まれて引き受けた以上逃げるわけにもいかない。
TV画面に映るのは初めの10秒、
後は原稿を読んでも良いと言われて
原稿を作り、何回か練習した。
途中でつまらないように
話す速さが速くならないように、
何を言っているのか分からなくなるように
はっきりとゆっくりと大きすぎず小さ過ぎず
ちょうど良い大きさで話すことを心がけて練習した。
約束の時間の10分前にTV局についた。
担当のカメラマン(女性)が来て挨拶をして
ここで撮影するというではないか。
会社の玄関ロビーで。
周りには一般の人が数人テーブルで話をしている。
ええ~~~!驚いた。
でも、こういうところで話すのがかえって良い放送になると言う。
テーブルに腰掛け、説明を受けたあと
練習のつもりで一回の収録。
原稿が少し長めだったので
3分以内に話し終わろうと早口になってしまった。
途中でつまったこと3箇所。
これで良い、適当に修正するからと言われたが
もう一度させてほしいと頼んで再録。
今度は詰まることもなく話も落ち着いて
ゆっくりと話を出来てOKが出た。
何と10分ほどで終わった。
不安に思っていたが拍子抜けした感じ。
「案ずるより産むがやすし」とはこのことだ。
まあ一安心だ。
今日は娘を今治の教習所へ迎えに行く。
娘の本検定も案外簡単に合格するかもしれない。
あまり、やる前に心配しないほうが良いのかも?
今日は22日、明日は23日、秋分の日だ。
昔から「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉があるように
昨日の夜からとても涼しく
半そでのパジャマでは肌寒いと感じるようになった。
夏のあの暑さをすっかり忘れてしまうほど
季節は確かに移っていて
これが日本の四季の良さだとしみじみ思う。
昨日は、夫の母の家に
夫の兄がお彼岸のお参りに来てくれたらしい。
らしいというのは、
夜、義母が自分の知らない間に義兄が来たみたいだが
結局、何も分からず、上にも上がらず
お供えものを玄関先に置いて帰ったと
おはぎを持って来てくれたのだ。
そういえば、義母の家の玄関のチャイムが鳴っていたような気もする。
午前中から昼にかけて、大雨だったので
網戸も閉めていたのではっきりとは聞いていない。
多分、そのときに来てくれたのだろう。
それにしても、玄関は開いていたのだから
義母の姿が見えなくても上がって
仏壇の前で拝んで帰ってくれたら良いのにと思う。
義母も同じことを言っていた。
でも、まあお彼岸を忘れずに
お参りに来てくれたことは有難い。
明日23日、秋分の日を堺に
お昼の時間が段々と短くなる。
最近は夜明けが遅くなったし夜も6時半には暗くなってきた。
秋は私の一番好きな季節だが
何となく物悲しいのも確かだ。
心に秋が来たという表現は淋しい気持ちを表すのだろう。
心に春が来たとは反対だ。
私はどうだろう。
季節は秋、でも、心は?
秋ではなく、一年中春ならいいな。
明日は、娘の運転免許実技の本検定だ。
一昨日は高速を走って気持ちよかったとメールが来た。
どうか明日は合格しますように・・・
そして、無事大阪へ帰れますように・・・
明日は夫と二人で今治へ迎えに行くことになっている。
この年になって、また私の悪い癖が出てしまった。
今まで生きてきて、一度だけ同じ思いをしたことがある。
それは、自分の非を素直に認めない、
自分のせいではないと知らん顔をしてしまう癖だ。
癖と言うより、駄目な点かもしれない。
私が入っている会のHPを
今まで作ってくれていた人が出来なくなり
後を私にお願いしたいということになった。
私自身、今までHPを開いたこともあるし
今も大東亜戦争のHPを作成中だったのを
ようやく昨日完成させたところだ。
だから、やろうと思えばできると思って引き受けてしまった。
でも、そのためには前にしていた人から
色々なことを引き継ぐ必要がある。
IDやFTTPサーバー名やパスワード等
結構ややこしくて夫に手伝ってもらうことにした。
夫に全て任せておけばよかったのに
一人で出来るかも?なんて甘い考えを持った私は
夫に頼んでおきながら自分でもやろうとした。
その途中でミスをしてしまって
サーバーの中に今まであったファイルやフォルダが
皆消えてしまったのだ。
今朝、夫が作ろうとして
PCのインターネット上から会のHPが削除されていると
私に言ってきた。
嘘!
驚いて見てみるとやはり消えていた。
どうしよう~~~オロオロ~
今まで苦労して作ってくれていた人に
本当に悪いことをしてしまった。
どんなにしよう・・・・
夫は自分のせいでそうなったのではないかと
とても心配していた。
私は自分の中で私自身に原因があるとうすうす分かっていたのに
それを夫に言えない。
ボケて知らぬ顔をしてしまったのだ。
胸の中は申し訳ない気持ちと自己嫌悪でいっぱいになった。
どうにかしなければならない。
PCの中のゴミ箱を見てみると
削除されていたファイルやフォルダがあった。
だから、それを夫に話すと夫から何であるの?と聞かれた。
そして、何もかも正直に夫に話して謝った。
夫は笑って何も言わなかった。
HPは何とかなりそうで、
インターネット上で見ることも出来るようになった。
こんな嘘を言っていてはいけない。
本当に何も成長していない。
昔昔、大昔にも似たようなことがあり
あの時は知らぬ顔をしたまま今に至っている。
もう時効だが、私は死ぬまで忘れられないし後悔するだろう。
やはり正直に言うのが一番だ。
私の悪い癖を直そう。
人の縁とは不思議なものだ。
先月、ヒッチハイクをしている若者を車に乗せ、
双海まで連れて行ってあげたのが縁で
その若者と文通が始まった。
文通なんて何年ぶりだろう。
郵便受けを覗いて、手紙を見つけたときの嬉しさは、
若いときも今も同じだ。
心うきうき、封を切る手ももどかしくハサミを入れる。
中学生だった私は同い年の男の子と文通を始めた。
医者になることを夢見ていた彼は、
その思いを便箋いっぱいに書いて届けてくれた。
また、森鴎外の「ヰタ・セクスアリス」や
三島由紀夫の「潮騒」など、
私がまだ読んだことのない本を教えてくれた。
ちょっとだけ大人になった気がした。
彼との文通はお互いが大学生になるまで続いた。
私にとって淡い初恋として今も懐かしい。
あれから40年、相手は娘と同じ年の大学生。
親子ほど年の差がある。
でも、若者から届く手紙は、
昔と同じように私の心を温かくしてくれる。
ヒッチハイクのお礼の言葉で始まった文通はすでに三通。
将来の夢や家族の話、日本の未来など話題は広がる。
大学の寮で私への手紙を書いてくれていると思うと、
つい自分の年を忘れそうになる。
手紙ってやっぱりいい。
あの河野洋平が政界から引退するというニュースを聞いた。
遅すぎる!引退だ。
彼の歴史認識は間違っている。
そのために、彼の発言は日本の国益を損するものだった。
あの従軍慰安婦問題に関する「河野談話」がそれだ。
宮沢喜一内閣が総辞職する前日の平成5年8月4日、
河野洋平官房長官(当時)は、
「慰安所の設置、管理および慰安婦の移送は旧日本軍が
直接あるいは間接に関与した。
慰安婦の募集は、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、
甘言、強圧など本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、
官憲等が直接これに加担したこともあった」とする談話を発表し、
謝罪した。
これによって、日本は国が従軍慰安婦は軍の強制だったと
認めたことになった。
しかし、河野談話の根拠は元慰安婦女性からの聞き取り調査だけで、
平成9年3月の参院予算委員会で、
平林博内閣外政審議室長は
「個々の証言を裏付ける調査は行っていない」と答弁した。
本当に無責任きわまるし勉強も何もしていないのに驚く。
河野氏のような人が
衆議院議長をしていたということが
まさに、今の日本を象徴しているように思う。
河野氏は中国と結びつきがあり、
日中友好のための団体というか
利権のからんでいるであろう、
経済団体の会長でもあった。
そんな人がいる限り、日本は駄目になると思っていたから
河野氏の引退を聞いて、良かったという思いと
遅すぎたという思いがするのだ。
河野氏の責任追及はなされないのだろうか。
また、無条件で北朝鮮に出した食糧援助も
いわば、日本国民の税金を使ったのであり、
その食糧も北の国民に行ったのではなく
住民一般を監視・弾圧する国家保衛部要員らに
まわされたかもしれないと聞くと
拉致問題に対してはどんな考えがあるのか?と
河野氏の口からその答えを聞いてみたい気がする。
河野氏が引退するのは当たり前のことであり
遅すぎたことであることは確かだ。
今月末、28日に開催される
桜井裕子先生の講演会のチケットが売れない。
最低200人は動員しないと赤字になる可能性が大だ。
コムズの支援事業にもなり
支援金ももらえるし
県や市の後援ももらったから大丈夫だと思っていた。
でも、講演会のテーマ「若者に蔓延する性感染症」には
あまり関心がないようだ。
一軒一軒、チケットを持ちチラシを持って挨拶に行き
協力をお願いしてもなかなか買ってくれない。
私に割り当てられた5枚は
全て私が買って行ってくれる人に差し上げることにした。
親友が一人、あまり乗り気ではないものの
聞きに行ってくれることになった。
毎日、走り回っている会員も
成果があがらないから疲れも出るようだ。
それでも、頑張って動員しないといけない。
この問題は国家の存続にも関わる重大な問題だ。
自分に関係ないとか、関心がないとか言わないで
自分たちの子供、孫のことを思って
皆危機感を持って真剣に考えて欲しいと思う。
ピンチだからこそ、ここで挫けてはならない。
今、免許合宿をしている娘が
一昨日仮免試験に合格したというメールが入った。
さすが合宿だ。
早い!
入所して一週間目に仮免試験とは。
学科の勉強も運転の教習も皆はじめてのことだけに
娘も不安があったみたいで
合格したという連絡のメールからは
喜びがにじみ出ていた。
そして、昨日からいよいよ路上教習が始まった。
娘の電話では一日二回路上に出るらしい。
感想は?と聞いてみると怖いという返事。
そして、速度計を見る余裕がなくて
自分が何キロ走行しているのか分からなくなるとも言っていた。
運転に慣れると何でもないことが
初めてのことだけにおぼつかないのだろう。
しかし、これらも日を重ねるにつれて
段々と慣れ、自然に運転するようになる。
23日の本検定までには不安も消えていると思う。
それにしても、娘の免許取得を思うとき
私が初めて免許取得のために
自動車学校へ通った頃を思い出す。
19歳の夏、大学の夏休みを利用して免許と取ろうと
暑い中、それも心臓の手術をして4ヶ月後のことで
途中で投げ出してしまった。
学科は全て終了し
仮免目指して運転をし始めたのだが
隣に乗る教官が私のクランク練習のところで
舌打ちしたのを聞き、腹が立ってやめてしまった。
上のことは、私が親友に話したことで
彼女から最近教えられたことだが
正直、私自身の記憶にはない。
ただ、今と違ってオートマ運転ではなく
ミッション車でギアチェンジが必要で
それがうまく出来ないために
嫌になり途中でやめたと記憶している。
どちらにせよ、投げ出したことには違いない。
恥ずかしいし情けないことだと反省している。
その後私が運転免許取得したのは
娘が生まれてから、どうしても運転が必要だったからだ。
娘を母の所に預け、21日間で取得した。
本検定では教官に「何もいうことはない」と褒められ
学科試験は満点合格で名前を呼ばれた。
やれば出来ることなのに
19歳の時の私はやはり甘かったということだろう。
「母は強し」の言葉通りでもある。
娘も短期間で取得するために合宿をしているのだから
それなりの決意もあるだろう。
事故のないように路上教習を頑張ってほしい。
昨日は本当に久しぶりに雨が降った。
この夏は雨が降らなくて
石手川ダムの水位も下がってしまって
このまま雨が降らないと
10月の末には断水になる可能性があるとのこと。
伊予市も地下水の水位が下がっているので
松山と同じことになるだろうと心配している。
昨日の雨は昼頃に激しく降ったし
今日も同じように激しい雨が降ったら
水不足の心配もいらないようになるかもしれない。
被害のない程度に大雨になってほしい。
昨日はあの大雨の中
めざす会の人に誘われて
今度の講演会のチケットを買ってもらいに
何軒かの家を訪ねた。
でも、皆一応に「あまり興味がない、
大変なことだとは思うけど
もう私には関係ないから」と言う。
それを私が一緒に行った人は
説明し納得してもらうように話をしていた。
まるで営業みたいな感じで私の一番苦手な仕事だ。
今日も一緒に動こうと誘われたが
昨日、雨にぬれながらしんどかったので
今日のチケットを売りに行くのは断った。
何でもできるのではなく
何かがお手伝いできるという風に
少しずつ自分を取り戻して
無理に付き合うことをしないようにしたい。
今日は思いっきり雨に濡れた。
風邪を引かないように気をつけよう。
昨日は、今治の自動車教習所に
免許合宿に行っている娘に会いに
夫と私の母と一緒に行ってきた。
15日間の合宿の間に休みは昨日一日だけ。
家に帰るのも大変なので会いに行ったのだ。
合宿教習の様子が気になっていて
無事にやっているのか?心配していたが
案外楽しそうに順調にやっているのが分かり安心した。
第一日目からS字カーブやクランクを運転させられたときは
パニックになって泣きそうだったと言っていたが
その後はうまくやっているみたいだった。
同じ部屋の女の子たち(三人部屋)も大学生で
いい人たちで話もあって楽しんでいる様子。
その三人の女の子たちも明日卒業していくので
一人部屋になるようで少し淋しいかもしれない。
母がお昼ご飯をご馳走してくれて
娘の秋物の洋服も買ってくれて
申し訳なかったが、母も行って良かったと言っている。
娘は母が大好きで私よりも母を大事に思っている子なので
母に会えたこと、話が出来たこと
おいしいものが食べれたこと、服を買ってもらったこと・・・
全て嬉しそうだった。
今日は仮免試験があるそうだ。
どうか無事合格するように!
頑張ってねと今朝娘にメールをしておいた。
23日は本検定。
娘の夏休みは本当に忙しかったがきっと思い出に残るだろう。
昨日は13日、父の月命日だった。
最近は、体調があまり良くなかったりで
お墓参りは姉に行ってもらっていたが
昨日は久しぶりに母と行くことが出来た。
母は、退院して以来
食べるものにも気をつけて段々と元のように元気になっている。
私も自宅に戻ってから
母のことばかりにかまっておられず
毎日顔を見に行くし
買い物も一緒にすることにしているものの
やはり泊り込んでいた頃に比べると心配なものだ。
そんな、母が父のお墓のお花を換え
掃除をし、父に語りかけている姿を見て
ああ~やはり母を連れてきて良かったと思った。
私は父の眠るお墓の石を一生懸命に拭いた。
「綺麗になったよ、さっぱりしたね」
と語りかけると
綺麗好きだった父が嬉しそうにしている顔が
目に浮かび、涙が出てきた。
いずれは、母もこのお墓の中に入ってしまう。
そんなことを思うと悲しくなった。
来月の月命日も母とお墓参りに来よう。
母の家に寄り、
父の仏壇に父の好きだったお煎餅を供えて手を合わし
どうか母がこれからも元気で居てくれますようにと
心から願った。
2008年09月13日(土) |
私の嫌いな10の人びと |
新聞の下段広告に載っていた
中今義道著「私の嫌いな10の人びと」という本。
一部紹介されていた項目に心惹かれて買って読んでいる。
この著者は今までも「私の嫌いな10の言葉」を出している。
正直、興味半分で読み始めたのだが
ついつい考えさせられてしまっている。
この著者が嫌いな人は
一般的には世の中で良しとされている人だ。
中には憧れや理想の対象になる人たちでもある。
①笑顔の絶えない人
②常に感謝の気持ちを忘れない人
③みんなの喜ぶ顔が見たい人
④いつも前向きに生きている人
⑤自分の仕事に誇りをもっている人
⑥「けじめ」を大切にする人
⑦喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人
⑧物事をはっきり言わない人
⑨「おれ、バカだから」と言う人
⑩「わが人生に悔いはない」と思っている人
以上10の人びとだ。
私は正直ショックだった。
私が努力してなろうとしている人だったからだ。
そして、あのパン屋の誠さんだったからだ。
いつも笑顔で人に感謝し、
前向きに誇りを持って生きている人だからだ。
確かに、理想だ。
でも、こんな生き方が出来る人って
この世の中にどのくらいいるだろう。
私も心元気で明るく前を見て!なんて
つい落ち込みそうになる自分自身に対して
励ましながら生きてきた。
だから、しんどかった。
もう少し自分の心に素直に生きれば楽だろう。
泣きたいときには泣き
落ち込むときにはとことん落ち込む。
後ろを振り向いてもどうしようもないけれど
たまには後悔するのも良い。
結局、他人にどう思われるか?
悪く思われないようにとか
嫌われないようにとしたいとか
そんなことばかりして自分を見失うのだ。
ある意味、この本は開き直りの哲学だ。
そして、もっと自分の感性で生きろと言っているのではないだろうか。
人と同じ生き方、普遍的な生き方、
自分をなくし、人に同調する生き方の中には
何もないし自分らしい生き方は存在しない。
ある意味卑怯な生き方なのかもしれない。
そんなことを思ったら
最近の落ち込みややる気のない自分を肯定できる気がしてきた。
自分の頭で考えず
人の考え方に無批判に従う
そんな生き方をしたくない。
私には私の生き方があるのだから。
私たち「健全な男女共同参画社会をめざす会」(めざす会)の第七回講演会が桜井裕子先生を講師にお迎えして「若者に蔓延する性感染症」と題して開催されることになりましたので、ご案内申し上げます。 {講演会} 「若者に蔓延する性感染症」 講師 桜井裕子先生(ジャーナリスト) 日時 9月28日(日) 13時開場 講演13時30分ー15時30分 会場:コムズ(松山市三番町6-4-20 電話 089-943-5777) 入場料:1000円(前売り券あり)学生無料 主催:健全な男女共同参画社会をめざす会 会長 小笠原ミワ子 〒790-0931 愛媛県松山市西石井1-3-30 電話 090-3181-4004 メール t64r59@bma.biglobe.ne.jp 後援:愛媛県 愛媛県教育委員会 松山市 松山市教育委員会 愛媛新聞社 朝日新聞社松山総局 読売新聞社松山支局 毎日新聞社松山支局 産経新聞社松山支局 南海放送 テレビ愛媛 愛媛朝日テレビ 日本会議愛媛本部 (社)松山青年会議所 愛媛県モラロジー協議会 尚 この講演会はコムズ(松山市男女共同参画推進センター)の 男女共同参画市民活動支援事業となっております。
昨日、三週間ぶりに家に帰った。
母は、少しずつ元気になっている。
年を取って病気をすると
若い頃に比べて回復には時間がかかるんだと
今回の母の入院でつくづく思った。
気丈な母も、このたびのことでは
気弱になっていたのかもしれない。
それが本当だ。
昨日は私が帰るときに
「本当に有難う」と言ってくれたが
私にとっては当たり前のことをしただけだ。
だから、また次にどんなことになろうとも
私は母の側で過ごしたいと思うと答えた。
母がどんな状態になろうとも
施設にだけは入れたくない!
家が一番いいに決まっている。
私の自己満足かもしれないが
父と同じように
最期まで母の世話をしたいと思う。
そんな日が一日でも遅く来てくれることを
心から願っている。
明日から土曜日まで大阪の娘の所へ行く。
姉に母のことを頼んでおいた。
何事もなく無事で済んでくれれば良いが・・・・
そういえば、今日は私たち夫婦の23回目の結婚記念日だ。
夫と二人で夕食を食べることが出来て良かった。
ご馳走は作らないけれど
二人が元気で今日を迎えることが出来たことは
本当に有難いことだ。
お互いに心の中では感謝しているはず。
私も心の中でありがとうを夫に言おう。
スカーレット
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