スカーレットの心のつぶやき
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2009年03月31日(火) |
母が喜んでくれたこと |
昨日は、夫が休みだったので
本当なら、母と義母と四人でお花見に行こうと思っていた。
でも、図書館の電気工事が入ったとかで
夫は立会のために休めなくなってしまった。
母はお花見を楽しみにしていたので
誘っていたことがとても申し訳ないと思った。
朝、母を眼科に連れて行ってあげ、
その時に事情を話したものの
やはり母に桜を見せてあげたいと思う気持ちは残っていた。
午前中は出ることができないので
絵手紙を描いて時間を過ごし
お昼を家で食べた後
母を誘って石手川の土手の桜を見に行った。
一昨日も通ったが、一日違うと花の開き方も違って
満開に近い木もあれば、五分咲きのものもあり
それでも、今週末には満開になるであろう桜を見ながら
車を走らせた。
年によって花の美しさが違うのだろうか。
今年の桜はあまりきれいだと思えない。
老木のため花の勢いがなくなったのか?
もっときれいに咲くと良いのにと思った。
母に双海の桜を見に行こうと言って
その後双海まで走った。
右手に海が見えてきた。
青い空の下に青い海がキレキラ輝いていた。
母はわー綺麗と声を出していた。
本当にまるで水面のキラキラが宝石箱のようだった。
桜は残念なことにまだ二分咲き、
花見には早すぎた感があった。
いつものように道の駅によりじゃこ天やお土産を買ってもらった。
そして、ソフトクリームをひとつ買ってもらって
母と半分ずつ食べた。
こうして、母と出かけることができることが嬉しい。
母も小旅行ができたと喜んでくれた。
小さな幸せはすぐ傍になることを
改めて思った半日だった。
早いもので、3月もあっと言う間に過ぎ去ろうとしている。
明日で終わりだ。
この数日は寒の戻りがあり
肌寒い日々が続いたが
例年より早く開花宣言をした桜は
今、二分咲きから三分咲きといったところだろうか。
昨日は、夫と二人でドライブをした。
入院している友人を見舞いに行きたいと言ったら
カーナビを買って試運転したいので
夫が乗せて行ってあげると言ってくれたのだ。
午後から石手川の土手を通って病院へ行った。
この間、通ったときには
つぼみは真赤になっているものの
花はチラホラといった感じだったのに
三日たっただけで
二分咲き、木によったら満開近い桜もあった。
日曜日ということもあって
家族や友人同士でお花見に来ている人が多かった。
やはりお花見は良い。
桜はパッと咲いてパッと散る。
それが潔いと好まれるのだろう。
やはり日本には桜は似合う。
そして、この時期にしかできないお花見をしたいと思う。
母も義母も年老いている。
来年の花見ができないかもしれないと言う。
だから、夫に親孝行をしようと言った。
夫はカーナビを買い、ETCを取り付けることにしている。
お天気がよくて肌寒くない日に
四人でお花見に行こうと話している。
病院で寝ている友人に
石手川の桜がきれいだったよと声をかけたら
友人の顔が一瞬明るくなった気がした。
2009年03月29日(日) |
胃がチクチクと・・・ |
いつもなら金曜日に母を整形外科へ連れて行くことになっているが。
金曜日は私の都合が悪かったので
昨日、土曜日に連れて行くことにしていた。
母は、私にお昼を食べさせてやりたいと思うので
一週間に二度、火曜日と金曜日に
母を病院へ11時にまでに連れて行き、
病院が終わってからエミフルへ寄って
お昼を食べることにしている。
昨日も同じようにお昼を食べて帰るつもりだったが
朝、母を迎えに行ってみると
母がお腹を壊していると言う。
一昨日の夜に食べたものの中で
大豆をたいたのが古かったのだろうとのこと。
吐き気がして、少し下痢をして
食欲がないというのだ。
それじゃ昼は食べない方がいいよということになり
私は母が買ってくれたお昼を持って帰って一人で食べた。
ちりめんじゃこ梅ごはん一パックとゴボウの天ぷらひとつ。
決して食べすぎではないが
私にしては残さず平らげるって珍しい。
でも、美味しかった。
だから、食べている時は何ともなかった。
それが夕方になって晩御飯になり
これもまた美味しくて
揚げだし豆腐にかぼちゃの煮物、白菜と夏ミカンのサラダ、
これも皆食べたのだ。
夜中になったお腹が痛くなってトイレへ。
朝も右の鳩尾がチクチク痛む。
母に電話してみたら
母の具合は大分よくなって
お粥を食べたと言う。
母は回復しているようで安心したが
私のこの胃のチクチクは治るかな・・・
これからは、美味しかっても
全部食べるのはやめないといけないかも・・・
この間の日曜日に
「日本の歴史に学ぶ会」の講演会があり
占部賢志先生が中江藤樹の「翁問答」について話された。
この「翁問答」は
師と弟子との問答とその説明をしている本だとのこと。
この中で
弟子の体充が師へ次のような質問をする。
体充:
「身体髪膚を損傷しないのが孝行であるならば、軍陣で負傷し討死するのは不孝でしょうか?
と。
それに対して師がどのように答えたのか?
占部先生は自分で「翁問答」を読んで見つけてくださいと仰った。
家に帰って、本を買おうとアマゾン検索したら
何と、中古品でも8000円ほどするではないか。
岩波文庫から500円ほどで出ているというのに。
出版社はもう発行していないという。
だから、本屋に頼んでも手に入らない。
図書館で借りるしかないと思い
県立図書館の蔵書検索をしてみるとおいてあった。
でも、3月中は休館しているとのこと。
松山市立図書館へ問い合わせてみると
この文庫本はないが
「日本の名著」の中にあると言う。
でも、北条図書館にあるので取り寄せが必要だと言われた。
夫に言ってみた。
伊予市の図書館に「日本の名著11」の中に
この翁問答があるらしい。
早速、私が知りたい箇所をコピーして持って帰ってきてくれた。
以下がそれである。
夫がコピーしてくれたものを
PCに書き写した。
長いので読みづらいが
関心のある方はゆっくりと読んでみてほしい。
意味は分かりやすいと思うから。
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「翁問答」
体充:
「身体髪膚を損傷しないのが孝行であるならば、軍陣で負傷し討死するのは不孝でしょうか?
師:
「それは大きな心得違いである。
不義無道なことで損傷するのが不孝であると言う意である。
『孝経』に、「身体髪膚ハ之ヲ父母ニ受ク、敢ヘテ毀傷セザルハ孝の始メナリ」と教えられているが、この毀傷は、血肉の身体髪膚を損い破ることではない。
孝徳を損い破ることを意味している。
「仁ヲ害(そこな)ウ」(『孟子』梁恵王下篇)の害の字の意である。
血肉の身体髪膚のことではなくて、孝徳の形体のことである。
「仁ハ人ナリ」(『孟子』尽心下篇)と教えられた人の字の意であり、「形ト色トハ天性ナリ、惟り聖人ニシテ然ル後以テ形ヲ践ムベシ」
(『孟子』尽心上篇、形は血肉のすべてをいい、色は形の働くにつれて現われることで、この形と色には天の性が備わっていて当然の理の行われないというところはない。
しかし、常人は、形はあるがその理を踏み行うことができない。
ただ聖人は、これを踏みつくして、残すところがない。)と解き明かされた形色の字の意である。
この聖人の教えと賢人の手本の心は、人間の身体髪膚は本来天性の仁孝が凝り集まったものであることを示されたものである。
『孝経』に示された身体髪膚は、これを指しているのである。
だから、天性の仁孝の道を心に守り身に行う時は、たとい血肉の身体髪膚を損傷しても、不孝なことではなくて孝行である。
なぜというに、血肉の身体髪膚を損傷しても、天性の仁孝の身体髪膚を損傷しないからである。
「身ヲ殺シテ仁ヲ成ス」(『論語』衛霊公篇)と孔子がいわれたのは、この意である。
天性仁孝の道を心に守らず身に行わないで、悪逆無道である時は、たとい身は安全で毛一筋も損傷しなくとも、孝行ではなく不孝である。
血肉の身体髪膚を損傷しなくとも、天性仁孝の身体髪膚を損傷するからである。
曽子は次のようにいっている。 「戦陣ニ勇ナキハ孝ニ非ザルナリ」(『礼記』祭義篇)
この賢人の手本の意は、戦陣で武勇を励み、先駆けをして手柄を立てる場合には、疵を受け討死するのが孝行である。
もし、武勇を励まず手柄を立てない時は、たとい臆病の悪名を受けないまでも不孝であると、戒められた。
明の陳明卿(名は仁錫、号は芝台。天啓二年に進士。権臣魏忠賢に追われたが、のち南京国子祭酒となるは次のようにいっている。
「若シ曽子ノ心アラバ、即チ龍比(龍逢・比干)ノ身首分裂ト手ヲ啓キ足ヲ啓クト一般ナリ、然ラザルトキハ即チ牖下ニ老死スルモ亦刀鋸ノ僇辱ト何ンゾ異ナラン」
これは、曽子が臨終の時、門弟を呼んで、「予ガ手ヲ啓ケ、予ガ足ヲ啓ケ」といって、詩を引用して「敢ヘテ毀傷セザル」の心法を示されたことを『論語』に記してある。
曽子の本意は、血肉の身体髪膚を損傷しなかったことを示して、天性仁孝の身体髪膚をも損傷しなかったことを証明されたのであって、このことは『孝経』に教えられているとおりなのである。
しかるに、章句だけを教えている儒者が、曽子の本意を理解しないで、ただ血肉の身体髪膚を損傷しないことであると講説するので、陳氏はここに解明されたのである。
この語の意は、全孝の心法をよく受用すれば、竜逢は夏の桀王を諌め、比干は殷の紂王を諌めて、それぞれ殺されたが、つまり身体髪膚を切り破り身体と首が断たれたけれども、曽子が手足を啓いて一毛も損傷しないことを示したのと同じ孝行である。
もし、また全孝の心法をよく受用しない人が、八十歳九十歳まで齢老いてわが家の中で病死して毛一筋も損なわなくても、刀で切られ鋸でひかれるような刑罰にあった恥と同じことで、それは不孝であるという意である。
よくよく体認しなければならない。
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つまりは、孝をすればたとえ体を損傷しても、それは許される。
何も孝をしないで、生き続けることこそ恥であり不幸なのだと。
一般的に言われている
親にもらった体だから傷つけてはいけないというのは
間違いだということがわかった。
私は心臓の手術や他の手術でメスを入れている。
でも、公のために動こうとしているし
親孝行をしようとしているから
たとえ、傷つけていてもかわなかったのだと分かり安心した。
それにしても、
中江藤樹先生は素晴らしい人だと思う。
昨日は、メル友さんと二人で
ランチを食べてきた。
この間、本当に久しぶりにメールがあり
数年ぶりに会って話をすることができた。
メールで何処に行く?という話になり
あまりランチが美味しい店を知らない私にとって
何処にしたら良いか分からず
ネット検索したり色々と考えた。
メル友さんが提案してくれた店は
繁華街にあって駐車場のこともあり敬遠してしまった。
市駅までバスで来るメル友さんを迎えに行き
20分ほど走って
砥部にある「あこう」という店に行った。
ここは、一昨日、友人のお見舞いに行った帰りに
親友と立ち寄った「ゆうゆう亭」の反対側にあり
駐車場が満杯でとても混んでいる店だった。
その時に一度行ってみたいねと話していたので
昨日、偵察する意味もあってメル友さんと行って来たのだ。
「あこう」という店は
元々ゆうゆう亭があった場所で
居抜きで買い取ったのかと思うくらい
内装は変えているものの
雰囲気も二階の席もメニューもなんとなく
前のゆうゆう亭と同じ感じだった。
お昼前に着いたので駐車することはできたが
昼には満席になった。
メニューは日替わりランチにした。
一番安い945円のランチでもお腹いっぱいになった。
メイン料理を三種類の中から選ぶ。
スープも味噌汁か澄まし汁か選び
ご飯もご飯だけ、パンだけ、ハーフごはんとパンの
三種類の中から選ぶ。
飲み物はコーヒーや紅茶やジュース等を選ぶようになっていた。
豚肉料理を選び、
味噌汁を選び、
ハーフごはんとパンのセットを選び
食後のコーヒーを選んだ。
味は美味しかった。
チマチマとした料理が何種類も
三段重ねの重箱に入って出てきた。
話に夢中になったので
あまり料理の味を味わう余裕がなかったのが
今思うと残念だ。
次は親友と行こうと話している。
今度は味をちゃんと確かめて来ようと思う。
昨日は一年前から入院している友人のお見舞いに行って来た。
予てより、行きたいと思ってはいたものの
病状が面会に適しているか分からなかったし
友人を身内のように支えている私の親友から
まだ、行かない方が良いと言われていたので遠慮していたのだ。
最近、彼女のご主人の了解が取れたと親友から連絡が入り
お見舞いに行けることになったのだ。
けれど、一日とて、彼女のことを思わない日はなかった。
何気ない、さりげない日常の中で
ふと、思い出し涙することもあった。
意識はあり、耳も聞こえながら
自分では言葉を発することが出来ない状態の彼女のことを思うと
本当に胸が痛んで、かける言葉も考えてしまった。
それでも、昨日の彼女は今までと違って
目をぱっちり開け
私たちが顔を覗き込んで話しかけたら
表情が変化したり、目も分かっていると感じた。
意志の疎通ができたのだ。
涙は出そうだったけれど
彼女の反応に思わず笑顔で話しかけてしまった。
何を言っていいのかも分からないまま
結局、10分ほど居てお暇してしまった。
もう少し長く居てあげれば良かったのにと
病院の外に出てから後悔した。
彼女に「また来るけんね」と声をかけたら
今までは反応もあまりなかったというが
「ウウウウ~~~」と答えてくれたのだ。
嬉しかった。
やはり誰かが来てくれることを
彼女は待っていたのだと思う。
また行こうと思う。
そして、今度はもっと色んなことを話しかけてみようと思う。
政府インターネットテレビ・アニメ「めぐみ」を見た。 http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg1754.html 涙で画面がぼやけてしまった・・・ めぐみさんが生まれた時に、
お父さんが願った小さな望み
「家族みんなで幸せに暮らすという夢」は
北朝鮮によって砕かれてしまったのだ。 まだ13歳だっためぐみさんが、
暗い船底で血まみれの爪で、
船体をひっ掻いた時の気持ちを思うと、言葉にならない。 ご家族の悲しみや怒りは
私などが想像する以上のものだろう。 何の罪もないめぐみさんを拉致した北朝鮮に対して、
改めて憤りを覚える。 拉致は人権問題などではない。
日本国家の主権が侵害されたのだ。 戦争になってもおかしくないのだ。 それなのに、
麻生総理は胸にブルーバッジをつけてはいるものの
一体何をしているのだろう? 政府主導で動くべき問題なのに、一向に進んでいない。 私が、拉致被害者救出のための署名・募金活動に参加して、
いつも思うのだが、
なんと無関心の人が多いかということだ。 自分たちの家族が拉致されたとしたら?
と想像できないのかと言いたい。 首相の決断で自衛隊の特殊部隊を作って、
拉致被害者の皆さんを奪還できないのか? ご両親は年老いた。 そして、健康を害されている。 ご両親がお元気な間に、
めぐみさんと会わせてあげたい!
心からそう思う。
この政府インターネットテレビ
アニメ「めぐみ」を一人でも多くの人たちに見てもらいたいと思う。
昨日は、めざす会の役員会が開かれた。
会長辞任やその後の活動について話し合われた。
出席は5人。
会長・顧問・幹事・そしてオブザーバーとしての私の5人だった。
会長が辞任することは
めざす会にとって、とても残念なことだが
辞任の挨拶を聞いていて
それは仕方ないことだと思った。
また、顧問も同じように辞任したいと言った。
これも事情を知ると反対もできなかった。
私が幹事に昇格した。
めざす会に入会して一年になる。
初めは、何もわからないまま
無我夢中で走ってきたように思う。
それが今年の初めころには
何もかもしんどくなり
一時はやめようと思ったこともあった。
しかし、今は違う。
私なりにこの会のため
また公のためにできるだけのことをしたいと思えるようになった。
会計もHPの作成も任されている。
責任がある。
私を捨て、公に生きようと決心して
私の生きる指針は決まったように思う。
会の活動については
内部でも色々な意見があり分かれている。
正論で政治的要素で突き進む立場の人と
そうではなく
一般の人たちの視点に立った
市民団体としてやるべきだという人もいる。
どちらの要素も必要だし
これはその時その時の問題で取り組み方を変えることができると思う。
昨日は、幹事になったばかりで
私の意見を言える立場ではなかったから
言わないこともいっぱいあった。
会の存続が一番だ。
会員を増やすことも大事だし
会として一つの目標に向かって進むことも大事だ。
これからが正念場だ。
私ができることに力を尽くしたいと思う。
ここだけの本音だが、
昨夜は午後6時から8時半までの2時間半、
正直疲れた。
昨日は「日本の歴史に学ぶ会」主催の
占部賢志先生の講演を聞いてきた。
先生は現役の高校教諭である。
そして、ある意味で孤軍奮闘されている先生だ。
去年の大分の日教組と教委との問題に触れ
それは「舐犢(しゅとく)の愛」であり目先の愛に血迷った結果だと仰った。
この「舐犢の愛」とは
中江藤樹の「翁問答」の中に出てくる言葉だ。
舐とは舐めること、
犢とは牛のこと、
つまり、雌牛は自分の子供を産み落としたあと
子牛の体をぺろぺろと舐める。
いわば、それは目先の愛情のことであり
その愛の反対にあるのが慈悲の愛ということになる。
先生はまた
人の根源にあるのはこの舐犢の愛であり
これを道徳・明徳によって慈悲に変えることが大事だと仰った。
道徳を語ろうとするものは
この中江藤樹の「翁問答」を読まないで語るべきでもないとも。
先生が例に挙げたこの問答の中で
ひとつの答えを見つけたいので
翁問答を読んでみたいと思った。
でも、今は岩波文庫は発刊予定はないとのこと。
アマゾンの中古品は18000円もしていた。
図書館で借りてきて読むしかないなと思う。
先生の話の中に出てきた言葉
「孝は私をやぶりすつる主人公なり」
親孝行とは自分を産んでくれた親に対して
何か悪いことをしようとする心を封じ込め
心のブレーキをかける力でもあると。
日本人は古典を読まなくなった。
私も高校時代に古典が好きだった時には
授業の中で興味を覚え読んだものだが
それは実際の私の力にはなっていない。
日本人として
①古事記
②平家物語
③太平記
④万葉集
は読むべしとも。
また、吉川英治の話もしてくれた。
彼が非行からまもともな道に戻れたのは
母が送ってくれる
小包をしばっていた薄赤い腰ひもだったと。
感動した心をうまく言い表すことのできない自分がもどかしい。
話を聞いていて涙があふれてきた。
私は親孝行をしていると人は言う。
しかし、私の親孝行なんてたかが知れている。
もっと本当の意味での孝をつくすことができるように
精進しなければならないと思う。
最近、よく本を読んでいる。
結構、ハイペースだ。
「田母神塾」
「アメリカの鏡・日本」
「だから、男と女はすれ違う」
「『私の手は母を殺めるためにあったのか』」と男は泣いた」
「反日記念館」
「雪の下の炎」
「明日に続く道」
以上は読み終えた。
約2~3日に一冊の割合だ。
今、読んでいる途中の本は
「國敗れて マッカーサー」
「日本史の中の世界一」
「日本国憲法 無効宣言」
買ってまだ読んでないのは
「古事記と日本国の世界的使命」
私の趣味は第一が読書だから
本を読んでいる時はとても充実している。
そして、食費や服飾費等を削っても
本を買うのは惜しくない。
新刊本は高くても
アマゾンの中古を買うとまあまあ安く買える。
娘がこの間帰省していた時に
私の本棚やベッドの上に並べられた本の数々を見て
「お母さん、これどしたん!なんでこんなに買えるん!」と
抗議した。
私は「あんたに言われたくない」と言いたかったが
「お母さんがお金を遣うのは本代よ、それもほとんど中古」と言った。
娘に文句を言われる筋合いはないのだが
もめたくなかったからそう答えておいた。
本は私の心を満たしてくれる。
一日に一冊も読めない日があるとイライラする。
活字中毒かな?
既読した本の中で
一番感動したのは
チベットの僧侶の自伝である「雪の下の炎」だ。
これは10年前に発刊されたあと絶版になっていたのが
昨年、出版されたと聞き購入したのだ。
読んで心が怒りに震えた。
チベット問題に関心のある人は是非読んでみてほしい。
また、「明日へ続く道」は
吉田松陰から安倍晋三へと副題がついているが
本当にわかりやすく書かれていて
誰でも抵抗感なく読めると思う。
映画は肩が凝るが本は凝らない。
これで、メガネをかけなくても読むことができたら
どんなに良いだろう。
もっとハイペースで読めるのに・・・
昨日のWBCの韓国戦は良かった。
久々に燃えた。
野球は高校野球以外は見ない私が
WBCだけは興味もあり観ている。
選ばれた優秀な選手で構成されたチーム、
これ以上の最強チームはないだろう。
スタンドで観戦するひとたちは
日の丸を大きく掲げ、
顔にまで日の丸のシールを貼り、
必死で応援している姿を見て嬉しくなった。
愛国心はこんな時にだけ見受けられるのが残念だが
これも全くないよりはましだと思おう。
韓国にだけは負けたくない!
どうしてもそう思ってしまう。
韓国の人も同じだろう。
これは歴史認識の違いによる
政治的意識が反映されるのだろうか。
あの韓国の熱狂ぶりの異常さに圧倒されることもあるが
昨日はスタンドの観客たちも
何か呆けたような顔をしていたのが印象深い。
イチローや小笠原、岩村選手など
ここぞというときに踏ん張ってくれた。
イチローは本当にかっこいい。
見ているだけでほれぼれする。
確固たる信念を持ち、
自分に厳しく、
世界舞台で活躍する姿は以前から素晴らしいと思っている。
この間の韓国戦で負けた時には
心が折れそうだったと言う。
それが、キューバ戦で勝利して
今は波に乗ったのだろう。
本当にあの凛々しい姿は素敵だ。
明後日はアメリカとの試合がある。
去年は判定の際の疑惑の残った試合だった。
是非とも雪辱をはらしてもらいたいものだ。
そして、韓国とは二勝二敗の成績を
三勝二敗に持って行ってもらいたい。
頑張れ、サムライジャパン!!
初恋の人から私へ手紙が届いた。
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ナオ、元気?
今でも玉の輿に乗る夢を追いかけていますか?
「私は勝ち組になる」って毎日言っていたナオをなつかしく思います。
別れたくないおれに、
ナオが「別れても連絡するから大丈夫だよ」と言いつつ
パッタリ連絡が来なくなったあの日から、
もう35年が経ったんだね。
月日が流れるのは早いものです。
あ、そうそう、手紙を書いたのには特に理由はないんだ。
ただ部屋の掃除をしていたらナオからの昔の手紙が出てきたから、
なつかしくなって。
びっくりさせたかな。
今あのころの付き合いをあらためて考えてみると、
ひどい恋愛をしていたなぁと思います。
基本的にモテたし人気者だったナオに対し、
おれは地味で日陰の存在だったから、
いつもジトジトして迷惑をかけていましたね。
おれに「堂々としてよ。いいところもたくさんあるんだから」
と勇気付けながら、
だんだんと距離を置いていったナオが今でも忘れられません。
そういえば、おれはともかく、ナオにとっては初恋でしたね。
最初のころのナオは、
手をつないだときに手汗をびっしょりかいていたと思います。
あれはなんだか、こっちも緊張しました(笑)。
まだ付き合い始めのラブラブだったころ、
ナオは「もう彼氏は人生に一人いれば充分」
などと言っていましたよね。
嘘つけと思ったけど、嬉しかったなぁ・・・。
ま、結果を見てみても、完全に嘘だったけど(笑)。
全体的に言えば、おれはナオと付き合えてよかったと思っています。
だいぶ自由人なナオに疲れたところはあったけど、
おかげでかなり精神力が鍛えられました。
いろいろ書いたけど、おれはナオが大好きでした。
これからもナオらしさを大切に、
そろそろサインペンでアイライン描くのはやめて(笑)、
新しい誰かと幸せになってください。
またいつか会いましょう。
では。
P.S. ナオがクリスマスにくれた観音像、まだ飾る場所が決まりません。
ハハハ・・・
これは遊び。
mixiで知ったのでやってみた。
案外当たっている箇所もあったりして
ひとりで笑ってしまった。
こんな遊びをして昔を懐かしんでいる私。
あなたもやってみる?
http://letter.hanihoh.com/q/
昨日は本当なら
友人のお見舞いに行く予定だった。
一緒に行ってくれる親友の
体調が悪くなり中止になったので
母と伊台の母の実家のお墓参りに行って来た。
母は結婚して父の家のお墓をとても大事にしてきた。
私がばあちゃんのお墓参りに行こうと言っても
遠慮してなかなかウンと言わなかった。
でも、母の両親・ご先祖様が眠っているお墓だ。
父や父の両親が眠っているお墓と同じように
私はお参りしたい。
子供の頃はバスに乗って母と春のお彼岸や
夏のお盆にはお墓参りに行って来た。
昨日はお天気もよく、お彼岸ということもあり
遠慮する母をせかして、お墓参りに行くことができた。
母のお墓の前で手を合わせる姿を見て
連れて来てあげて良かったと思った。
帰りに母の弟夫婦が住む家に寄った。
夫婦二人とも思ったより元気そうで嬉しかった。
叔父は心臓に水がたまっていると聞いていたので心配していたのだ。
叔母はひざの人工関節の手術をしてから
歩くことが出来るようになった。
叔父の長男・私の従兄は一昨年亡くなり
叔父と叔母は息子の昔話をいっぱいしてくれた。
死んでから、親孝行をしたと言っていた。
親よりも先に子が死ぬということが
どんなに辛いかを私は知った。
母は5月で88歳、叔父は84歳になる。
ずっと元気で居てほしい。
そして、たった二人になった母と叔父の姉弟が
話をできる時間がいつまでも続いたら良いのにと思う。
一昨日は父の御墓へ
昨日は母方の御墓へお参りができて良かった。
明日は夫と夫の父のお墓参りに行こう。
昨日は春のお彼岸の入り、
母とお墓掃除・お参りに行って来た。
昔から母に聞いていた言葉
「入り花は立てるな」の意に反してはいたが
最近の母はもうそんなことは良いと思っているようで
私の中では拘りがあったものの
母の言う通りにしようと思って行った。
昨日は3月のお彼岸の頃の気温より数度も高く
4月中旬の気温だった。
5月下旬の気温になった所もあると言う。
車の中は暑くて冷房を入れて走った。
雨が降るよりお天気の良いのに越したことはない。
お墓参りをするひとたちの姿もちらほら。
父のお墓のまわりを掃き
お墓をブラシで磨いて汚れを取った。
お花とお水を換え、
父の好物のおかきを供え手を合わせた。
母は何を父に話したのだろうか。
私は父に母も私たちも元気よと報告、
そして、これからも元気で居られますようにとお願いをした。
本当はお願いをしてはいけないと言うが
父に頼みたいこともあったから、お願いをした。
鶯の鳴く声にうと空を見上げると真っ青な空に白い雲が浮かんでいた。
そして、境内には白モクレンの花が満開で
思わず次の句を口に出していた
「墓参り 見上げた空に 白モクレン」
母も父のお墓参りができて安堵したと言っていた。
今、私がこうしてこの世に居るのも
父・母・そしてご先祖様が居たからだと
改めてご先祖様への感謝の気持ちを強くした。
20日は嫁ぎ先のお墓参りをしようと思う。
専業主婦って結構忙しい。
世間からは暇で遊んでいると思われるかもしれないが
家のことや母のこと
そして、自分がめざしていることをやろうとすると
じっとしている時間はほとんどない。
PCに向かっている時や
本を読んでいる時、
食事の時は座るけれど
その他の時間でじっとしていることってほとんどない。
今年になって、特に最近とても忙しく
その分無理をしていたのだろう。
一番弱い歯に影響が出てしまった。
歯が痛いのではないけれど
歯茎の腫れがひどくて
食事もままならなくなってしまったのだ。
数日前からは
やわらかなカステラのようなものを
牛乳・ヨーグルトに浸して流し込んでいる。
固形物を噛んでみるが
痛くて噛めない。
それでも、甘いものばかりは嫌になり
昨日は辛いお煎餅をつまんでみた。
美味しかった。
やはり辛いものが良い。
そう思って調子に乗って数枚食べてしまった。
その結果、腫れがひどくなって
首の筋も腫れている。
母からもらったガウスエレキバンを貼っているが
あまり効果はないみたい。
日にちがたてば治るのだけど
それまでの間は苦しい日々となるだろう。
参った・・・
少しは休めということか・・・
肩こりの知らない人が本当にうらやましい。
昨日、夫とお昼を食べていた時
TV画面のニュースに
今米で活躍しているイチローの姿が写った。
私はあまり野球には興味はないが
WBCで頑張っている日本の選手たちには敬意を表したい。
その中でもイチローは好きな選手だ。
とても自分に厳しいストイックな人のように感じるからだ。
夫がイチローはものにたいしてのこだわりが強い人で
朝は何、昼は何と食べるものが決まっているとか。
また、他のことでも同じことをし続けると聞いた。
私もどちらかと言うとイチロータイプだ。
規則正しい生活を子供のころからしている。
特に食事の時間を決まった時間に食べるこだわりは
時に不便なこともある。
朝は6時、
昼は12時、
夜は18時にご飯を食べる。
特別なことがない限りこの習慣を続けている。
朝は夫はまだ寝ているので一人で食べる。
その内容も一年終日のごとく同じメニューだ。
トースト一枚に牛乳カップ一杯、
そしてバナナ・リンゴなどのフルーツ入りのプレーンヨーグルト。
昼はその日によって食べるものは違うが時間は12時に食べる。
夜も昼と同様だ。
これって、自然な私の生活のリズムを作っている。
友達にそのことを話したら
「だから、太らないのだ」と言った。
同じ時間に食べる習慣をつけていると
体がその時間になると食べ物が入ることを知っていて
安心してその前にエネルギーを消耗するのだそうだ。
不規則だといつ食べ物が入ってくるかどうか分からないので
体はどうしてもため込もうとするらしい。
変に納得した。
お腹の空いた時に食べたいものを食べるのが
長生きの秘訣だと言った100歳の人が居た。
また、規則正しい生活をしていると言っていた人もいた。
私は後者と同じだ。
体に悪いとは思えないから今後もこんな生活を続けようと思う。
昨日は、午後、会の仲間から
あの美味しいイチゴ大福を予約してもらっていたので
受取りに行った後、
姉の所に持って行った。
そして、姉から大叔母へのお見舞いのバラの花を預かり、
母と二人で大叔母の家に行った。
大叔母は今年94歳になる。
半年前までは毎日三越行き
デイサービスへも行って楽しんでいたが
腰を悪くして歩けなくなってしまった。
あれほど生き甲斐にしていた三越行きもダメになった。
週二回のデイサービスでの時間も過ごせなくなり
午前中、病院へ行く以外はずっと布団の中で過ごしていると聞いた。
大叔母のことがとても気になっていた。
忙しくてお見舞いに行く時間もなかなか取れなかったが
昨日は行って本当に良かった。
思っていたより元気そうだった。
腰が痛く、歩けないが
内臓は異常なく、食べるのも美味しく食べれると言っていた。
ただ、お喋りが大好きだった叔母が
半日以上誰とも話すことなく
布団の中でTVを見るだけの生活を思うと
とてもかわいそうに思える。
昨日は1時半から4時まで話をしてきた。
思い出話に始まって
色々な話をしてとても楽しい時間を過ごすことができた。
イチゴ大福を一個ずつ三人で食べた。
こんな美味しいイチゴ大福は生まれて初めて食べたと喜んでいた。
夜にはその大叔母からお礼の電話が入った。
私の話がとても素晴らしくもっと聞いていたかったと言う。
また、私も話に行くからと言ったが
本当に大叔母が喜んでくれるなら行きたいと思う。
母は大叔母を手本に頑張っている。
そんな母のためにも大叔母には元気で長生きしてもらいたいと思う。
この間のイチゴ大福に続いて
昨日はまた春の味を楽しむことができた。
義母からつくしをもらったのだ。
もう土手にはいっぱいつくしが出ているらしい。
今年は春の訪れが早かったから
つくしたちも早くに顔を出したのだろう。
今はしていないが
朝のウォーキングをしていた頃
土手を歩きながらつくしを採ったものだ。
正直、つくしは採ったものの
袴をのけて、湯がいてと手間がかかる。
つくしは採るのが楽しいのだ。
だから、採っても食べないでひとにあげることが多かった。
そんな私が義母からつくしを上げようか?と聞かれ
思わず、袴をとらないといけないから面倒だと答えてしまった。
義母はそんな私の応えを見透かしていたかのように
袴もとって湯がいているからと言った。
一抱えもあったが、お爺さんになっているものが多く
半分になってしまったよと言っていた。
まだ幼いつくしの方が味が良い。
もらったつくしを卵とじにした。
そんなに美味しいものではないが
ほろ苦い味は春の味だ。
夫も普段と違う料理が一品あったので
目新しく思ったみたいだ。
やはり旬のものは良い。
タラの芽の天ぷらを食べたいとふと思った。
先月の末に帰省して以来
何も連絡がなかった娘から
昨日、久しぶりに電話が入った。
以前は、毎日電話をかけて
娘の様子を聞いていた私だが、
「便りのないのは良い便り」という言葉通り
娘から何も言ってこないのは
別に変わった心配なことがないという証拠だろうと思い
私からは電話をしていなかった。
母は娘のことを心配して
私に電話をしてみたら?と言っていた。
昨日の娘からの電話は
私にガムテープや電磁調理器やおろし金が何処にあるか?を
尋ねる電話だった。
私が大阪に行った時に部屋を片付け掃除をし
帰るときにはここに何が入っているという話をしたのだが
娘はそんな私の話など聞いてないようだ。
聞かれたもののありかを答えた後
来年の1月の成人式に着る着物の話をした。
娘の高校時代の友人たちは
こちらでレンタル着物を予約したと聞く。
私のところにも呉服店からのダイレクトメールが
次々と届いていた。
この間の帰省時には時間がなくて
着物を見に行くことができなかった。
私の母が娘の成人式の着物は買ってくれると言っている。
母は、孫の成人式の晴れ姿を見ることが出来ると
とても楽しみにしているし
娘もまた、買ってもらいたい、レンタルは嫌だと言っている。
連休は帰れないから夏休みに帰って来た時に
母と三人で呉服屋さんへ行ってみようという話をした。
昨日は演劇サークルの仲間たちと一緒に
娘の部屋でお鍋をするらしい。
まあ、元気で楽しくやっているのが分かって安心した。
確かに、困ったことや病気になったときには
必ず私に電話をかけてくるのだから
何も言って来ないのは元気な証拠だと思おう。
昨日は6週間ぶりの心臓の病院の診察の日だった。
予約は午後1時過ぎだった。
それより40分前には血液検査をする必要があるので
病院でお昼を食べようと早めに行った。
母は私のとぎ(方言なので分からないかも?)になるから
一緒に行こうと言ってくれて、母と一緒に行った。
病院の食堂のメニューは安価で栄養のバランスのとれたお弁当がある。
昨日は母も私もそのお弁当を頼んだ。
フライもの、煮物、和えもの、酢豚・・・
ご飯と味噌しるがついて¥420。
食後のコーヒーを飲んでも¥570ととても安い。
ご飯を食べながら、金賢姫元工作員と
拉致被害者田口八重子さんのお兄さんと息子さんが
対面された時間であろうと思った。
夜、そのニュースを聞いて、涙が出てきた。
一日も早い帰国を望みながら
日本で何もできず、ただ待っているだけのご家族を思うと
日本政府にもっとしっかりとしてほしい、
拉致は戦争原因となる国家の主権侵害なのだから!と
新聞投稿等、機会があれば言い続けてきている。
この方たちを思うとき
平和な日本で、病気を持っているとしても
毎日、元気で暮らせる自分自身がとてもありがたいと思った。
ちょっとした幸せ、身近にある幸せに目を向けず
不平不満を言っている人や自殺しようとしている人たちが
このことを考えてくれたら、
きっと「ああ~自分はなんて幸せなのだろう・・・」と
思うのではないだろうか。
昨日の診察は変わりなかった。
最近はバセドウ氏の症状も全くない。
病気だということすら忘れて
毎日元気に忙しくしている。
これが本当の幸せなのだと
毎日心の中で有難うの言葉をつぶやいている私だ。
元々、甘いもの、特に和菓子・餡ものが苦手だった私が
年を取るにつれて
段々、食べてみても良いと思えるようになった。
最近は店先に美味しそうな桜餅が売っているのを見て
何度か買い求め、夕食後に夫と食べている。
昨日は、会の経理のことで仲間と会った。
その時に、売り切れ状態で
なかなか手に入らないというイチゴ大福を買ってきてくれた。
色が薄ピンク色をしていて
思わず「わ~可愛い!」と声を出した。
2パック計6個もいただいたので
母と義母におすそ分けをした。
ピンク色のやわらかな求肥に包まれて
中にはイチゴと白餡。
味は甘くなく、やさしい味で
今まで食べた中出一番美味しいイチゴ大福だった。
娘が居たら泣いて喜ぶだろうと
夫と話しながらいただいた。
そして、お礼の気持ちをこめて
イチゴ大福の絵手紙を描いた。
添えた言葉は
「はんなり ほんのり 春の味」
土曜日にまた買ってもらう予定だ。
昨日は渡しそびれた姉に届けようと思う。
そして、外出できなくなって家に居る
大叔母にも持って行こうと思っている。
日頃から質素倹約を心がけている私にとって
万のつく服は高いというイメージがある。
勿論、「安物買いの銭失い」という言葉もある。
私の母や姉は良い物を買って着る。
私がいつも着ているものと比べたら
そりゃ違うと思う。
でも、ひとの価値観は違う。
ファッションにお金をかける人もいれば
そうではなく趣味にお金をかける人も居る。
食事だけは豪華にしたいと思う人も居るだろう。
私は自分が勉強するためなら
本や講演会や会費などにお金を使うのを厭わない。
昨日は、そんな私に姉が
冬物バーゲンで良い物を見つけたから
私に買ってあげると言ってきた。
ちょうど、母の家に姉が来るので
買ったものを持って行くから見に来てと言われた。
姉が買ったのは冬物のコートだった。
定価は¥58900となっている。
コートならこのくらいが当たり前なのだろうか。
私が買うコートは高くても¥20000までだ。
そして、今、着ているコートは二年前のものだ。
去年は何も買わなかった。
姉が買ってくれたコートは
やはり値段だけあってセンスが良い。
色も濃い茶系統。
いつも黒ばかり着ているが
茶系は顔がやさしく感じられる。
姉の好意に甘えて買ってもらうことにした。
勿論、もう着ることはないが
今年の冬には着ることができるだろう。
その値札についている訂正シールを見て驚いた。
半額どころか5分の1の値段になっている。
姉に有難うの言葉を言った後で
何で買ってくれるの?と尋ねた。
すると、姉はいつも母のことを私にばかり頼んでいるから
そのお礼だと言う。
自分の母親のことをみるのは当たり前だ。
それも、近くに住んでいる私がみるのは尤もなことだ。
でも、今回は有難く受け取った。
傍で見ていた母が
姉が着るより私が着た方が似合うとも言っていたから。
もうすぐ春のお彼岸だ。
お彼岸の入りは17日だから
16日に三人で父の御墓掃除とお墓参りに行こうと言っている。
やはり家族は有難い。
姉に改めて有難うと言いたい。
昨日、やっと会報の印刷・発送を終えた。
結局、二人で三日間かかって仕上げたことになる。
私が手伝わなければ、
仲間はひとりですべてをしていたのだと思うと
本当に頭が下がる。
昨日は10時半から2時前までかかった。
お昼に彼女が近くの市の
とても美味しい巻きずしといなり寿司を買ってきてくれて御馳走になった。
私もお茶といよっこらで買ったチーズケーキを持って行った。
昨日、無事発送を終え帰宅してすぐ
めざす会のHPに新しい会報をアップした。
会員に会報が届く前にアップしない方が良いと知り
サーバーから削除するか
リンクを外そうと思ったものの
会員がそんなに熱心に会報とHPを見てくれることはないかと思い
アップすることにした。
本当は届いてからにした方が良かった。
夜は20年度の会計の収支を
エクセルの表に追加。
これは夫に教えてもらったというか
夫がしてくれたようなものだった。
明日、もう一度仲間と会って
預かっている小口現金を渡して
最終的な経理を仕上げることになっている。
母が私が毎日忙しくしているのを見て
とても心配しているようだが
大丈夫・元気だからと言っておいた。
本当に忙しい方が私は元気で居られる。
終わった途端にしんどさが出ないようにと祈っている。
人が生きていく人生において
何かに出会ったときや
あることに感銘した時
また、誰かの話を聞いた時に
それまでの自分の人生と180度違った人生観を持つことがある。
この数年の私の毎日は
昨日という日を迎えるための日々であったのかと思うほど
昨日は、まさに人生転換の日と言ってもいいくらい
感動の日であり、自己実現に向かって
歩き始めた日であったと言っても過言ではない。
私のこれまでの人生は
いつもどこかで自分が優先していた。
勿論、誰でも自分が一番大切だし
自分自身を大切にすることが
他の人を大切に思うことへの第一歩だ。
しかし、自分が今、ここに居ることは
決して己の力で居るのではない。
誰かのお陰で居られる、
つまり生かされているということを
体で感じることができた日だった。
涙が出た。
母への感謝の気持ち
夫への感謝の気持ちが
知らず知らずのうちに私の心を満たしていた。
今までの私は何と傲慢であったのか。
自分で何かを模索しながら
悩み続けてきた日々、
何かが起きると人を恨んだり
人への憎しみさえ募らせていた私が
相手が一番良いと思うことを優先し
相手が幸せになることを素直に喜びたいと思えた。
先の世に生きてきた人たちの
すぐれた倫理道徳を見つめた時
その倫理道徳を自分自身のものにし
また、それを後世へ伝えることがいかに大事であるかがわかった。
私自身があいつも安定した心で居られたら
周りの人たちも幸せになれる。
そして、何事にも感謝の心を持っていれば
不満も怒りも発生しない。
己の自我ばかり言い張るのではなく
己が他のために何ができるかと考えれば
自然と答えは出てくる。
昨日、そう思ったことを
夫の前でも母の前でも口にはしていない。
私が変わったことを夫も母もきっと気付くだろう。
母が生きていてくれるうちに
私自身が気づき、
母や夫、回りの人たちへの感謝の気持ちで
生きられるようになったことは
神様が私に下さったプレゼントだろう。
人生の転機は何度もあったが
今回の転機は私にとって素晴らしい転機となるだろう。
昨日は一日、忙しいが充実した一日だった。
午前中は、母をいつもの整形外科へ連れて行き
その間に郵便局でチケット代金を振り込んだ。
母の整形が終わり、帰りに買い物。
その後12時からめざす会の学習会。
参加はいつもの4人だけだったが
なでしこ通信27号の話や
会長が辞めるということの話に関係することを聞く。
今、話題になっている小沢側への西松建設の献金問題。
等々、色んな話をする中で
私自身のスタンスも決まりつつある気がした。
去年の春に入会してもうすぐ一年が経つ。
一年の間にはやめようかと思ったことも何回かあった。
それでも、続いたのは仲間の熱心さと
私自身の公のために活動したいという気持ちが強かったからだ。
最初は何をしていいのか分からないまま
仲間に言われるままに動いていたが
最近は、こうしたらいいのだということが
段々分かってきたし
私の中で、この会のために頑張ろうという気持ちが強くなった。
会が終わってから
なでしこ通信の印刷を二人で始めた。
2000枚近く印刷してもまだ半分しかできなかった。
今日は残りの印刷と発送の手伝いを午後からすることになっている。
確かに、母が心配するように
私に無理がいっているのではないかと思うときもあるが
それでも、頑張りたいと思う私の気持ちは本物だ。
会長が三月で辞められた後、どうなるのか?
会長が辞められても
会の活動は今まで通りに動く。
だから、仲間たちと会のため、日本のために頑張りたい。
昨日、県議会における議員の一般質問を傍聴してきた。
議会傍聴は初体験だった。
議員会館ロビーに9時半集合。
傍聴券と質問内容が書かれた紙が手渡された。
昨日の一般質問では三人の議員たちが質問したが
私が傍聴したのは
自民党の三宅浩正議員の質問だった。
三宅議員が質問したのは八項目。
①天皇陛下御即位20年に際しての知事の所感について
②北朝鮮による拉致問題について
③本県出身のブラジル移民の支援について
④廃棄物処理センターの経営安定化について
⑤療養病床再編における医療・介護体制について
⑥新学習指導要領の円滑な実施と教育の更なる充実について
⑦家庭教育の支援について
⑧学校の授業の一環としての靖国神社や護国神社の訪問について
質問もその答えも、始まる前から分かっている。
だから、答える行政側は答えを準備して
ただ、読み上げるだけだ。
突っ込んだ質疑応答を期待していただけに
何か拍子ぬけした感じだった。
この中で二番目に質問した「北朝鮮による拉致問題について」の中で
伊予市出身の大政由美さんの件について質問された。
教育長の応えによると
学校現場等でこの問題を知ってもらうための
参考資料「拉致問題の解決に向けて」を配布するという。
確かに、子供たちに関心を持ってもらうことはとても重要だ。
しかし、何か紋切型の応えの仕方であると思えた。
捜査状況についての質問に対して
県警本部長の応えは
「大政由美さんが北朝鮮に拉致されたという証拠はなく
今の段階では拉致被害者と判断されない」というものだった。
勿論、失踪届が提出された時点で捜査はしているとのこと。
大政由美さんは2008年の秋に
北朝鮮に拉致された疑いがあるとされ、
特定失踪者問題調査会の「1000番台リスト」に載った。
しかし、この特定失踪者問題調査会は民間の組織であり
政府の団体ではない。
従って、奪還する権利を有しない。
失踪者に指定することしかできないのだ。
拉致は日本国の主権侵害にあたる。
それなのに、今の日本では自衛隊が取り戻しに行くことすらできない。
情けない国になり下がってしまった。
拉致被害者・ご家族のお気持ちを思うと本当に心が痛む。
何もできない自分自身が情けなく腹立たしい。
昨日の議会を傍聴して
日本はだめだと思った。
西松建設の小沢代表側への献金問題で日本中騒いでいるが
国民が本当に騒ぐべきは
「拉致問題をどうするのだ!」ではないだろうか。
2009年03月05日(木) |
パン屋の誠さんに会いに |
先月の初めに
パン屋の誠さんから
詩集・第十五集が届いた。
以前に体調が悪く、痛み止めを中止して
心身共に弱っていたと思われたので
とても心配していた。
でも、詩集を完成させてくれるほど
気持ちを元気に持たれて頑張ったのだと思うと
嬉しくて早速お礼のはがきを書いて出した。
それからひと月ほど経つ。
昨日は午後から雨も上がったので
母を誘って長浜にあるパン屋さん・まことやさんの
誠さんの顔を見に行った。
御留守だったらいけないと思い事前に電話をしてから行った。
詩集のお礼をしないでそのままだったのが気になっていた。
双海の道の駅で売っている日本一だと思えるじゃこ天を10枚買って
アツアツ・ホカホカ状態で持って行った。
玄関先でいつものようなあの溢れるような笑顔で
誠さんが座っているのを見たとき
本当に嬉しかった。
息子さんともご挨拶をして
焼きたてのジャムパンを御馳走になりながら
誠さんの話を聞いた。
痛みはいつもある。
夜中には大きな声で家族を起こしてしまう。
痛みに耐えられないのだ。
何度死のうと車椅子に乗り海岸まで行ったことか。
それでも、死ねない、生きなきゃと気を取り直す。
地元の中学校の小年式では講演をしたとか。
その時の子供たちの誠さんへの手紙を綴った本を見せてもらった。
皆、生きるということ、頑張るということ
夢をあきらめないということに
それぞれが自分の感想を書いていたが
それを読んでいて、私は涙が止まらなかった。
かつて、死のうと思っていたころの
自分自身を思い出していた。
どんなことがあっても生きていこう。
今はそう思えるようになった。
そして、自分が生きていること、生かされていること
この世に生まれてきたことの意味と
両親・ご先祖様への感謝。
子供たちの感想の中にあったのと同じ気持ちが
私の心の中にも存在している。
高校生の前で講演したことや
老人会で講演したことなどの話を危機
母も誠さんに会えて本当に良かったと言っていた。
誠さんと母は同じ酉年生まれだ。
母が誠さんより一回り上ではあるが
お互いの干支の話をして笑っている姿を見て
こうして笑って話ができることのありがたさを思った。
有難いという文字はありがたいという意味だ。
当たり前ではなく「ありがたい」ことなのだ。
一時間半ほど話し込んで
美味しいパンやロールケーキのお土産を貰って
誠さんとさようならした。
本当に行ってよかった。
今度は桜の咲く季節に姉と母と三人で会いに行きたい。
2009年03月04日(水) |
絵本「りゅう子の白い旗」 |
昨日、ここに書いた絵本「りゅう子の白い旗」を読みたいと思い
夫に伊予市の図書館にあるかどうか尋ねたがないとの返事。
県立図書館の蔵書検索をしてみるとあったので
思いついて午後から県立図書館まで車を走らせた。
何と、県立図書館は今月いっぱい
改修工事で休館だとか。
せっかく、ここまで来たのだからと思い
帰り道にある松山市の図書館へ寄ってみた。
本はあった。
閲覧だけしかできないと思って聞いてみると
貸出もしてくれるとのこと。
申込の手続きをして借りることができた。
この絵本の表紙は影絵作家が描いている。
中も、影絵を背景に文が書かれていた。
一番問題な点は
この絵本が反日・反日本軍の意識で書かれているということだ。
実際に白い旗を持って歩いていた女の子は
自分がその子だと名乗り出たことで事実が判明している。
日本軍が女の子を盾にして投降したという
醜い、情けない話は皆嘘だった。
それなのに、何故今も出版されているのか?
これは抗議しないといけないと思い
出版編集者あてのメールを送っておいた。
子供たちにこのような絵本を教材として
日本史を教えるとしたら
簡単に若者の意識を変えることが可能だろう。
真性保守の考え方とは段々と違ったものになってしまう。
断固、絶版・回収の措置を講じていただきたい。
今回のようなことは
この絵本だけではなく
私の知らないところで色んな反日本が存在するのだろう。
怖いものだ。
昨日はさすがに疲れていたのか
外出したい気分にもなれず
近くのマーケットに買い出しに一回行っただけで
後は田母神氏の著書や正論等を読んでいた。
夫に「勉強家だね・・」と皮肉を言われても
読み出したら止まらなくなってしまった。
3分の2まで読み終えたころ
クロネコメール便で
沖縄の新聞「南島志報」が届けられた。
この新聞は、ある人が購買料を一年間だけ出してあげるから
一度読んでみてほしいと言われていた新聞だ。
昨日届いた一番新しい新聞に
沖縄戦で白旗を掲げて投降する女の子の話が
実は、全くの捏造された話になってしまっていると知った。
沖縄は日本でも唯一地上戦が行われた所だ。
そして、あの集団自決という悲劇も起きた。
それが軍の命令ででもあったかのようにいう人もいる。
今は裁判で争っているが
私が読み聞しした限りでは
軍の命令はなかったことになっている。
白旗の少女」の場合も同じだ。
絵本では、白旗を掲げて投降した女の子を盾にして
その後ろから日本の兵隊たちが
両の手を上にあげて、出てきたことになっている。
しかし、その後、この少女が名乗り出てきた。
そして、事実と異なると主張したのだ。
これで絵本は絶版になっても良かったが
何と、今でも発行は続いているらしい。
まさに、あの沖縄の集団自決を
軍の命令があったとする「鉄の暴風」や
「沖縄ノート」と同じではないか。
この本を図書館ででも借りてきて読んでから
出版元へ抗議しようと思っている。
先週の火曜日に帰省していた娘が
昨日の夜の最終便の飛行機で大阪へ帰って行った。
夫と二人で早めに空港へ行き
スカイメイトのキャンセル待ちをしてチケットを入手。
どうしても、今日の朝からの演劇練習をしないといけないとか。
夫は普段は仕事だったので
娘とは夜しか顔を合わせることができなかったからか
娘が搭乗ゲートに入った後も
名残惜しそうに娘を目で追っていた。
私は正直疲れた。
娘が居ない生活に慣れていたから
一週間という短い期間でも
自分のペースが乱されたことによるストレスと
娘への気遣いや娘のための行動をしたためか
いつもの一週間の倍以上の疲れを覚えている。
昨夜は9時から布団の中に入った。
今度は夫と二人で春のゴールンウイークに大阪へ行こうと思う。
娘と三人で京都へでも行ってみようと話した。
段々と娘も親離れをしている。
大学を卒業して大阪で就職・結婚したら
私たちからは段々と遠い人になるだろう。
せめて、今のうちに親子の思い出を一つでも多く残したい。
娘が小さい頃、家族で遊びに行った時の思い出のように
大人になった娘との思い出も大切なものになるだろう。
盲腸炎はもう大丈夫のようだ。
腸炎も帰省している間に治っていた。
元気で楽しく好きなことをしてくれると嬉しい。
去年の今頃は合格発表待ちをしていた。
あれから一年。
本当に月日の経つのは早い。
娘にとっても大学生活はすぐに過ぎるだろう。
また、夏休みには帰省すると言っていたが
演劇部の練習が忙しいからどうなるか分からない。
少し、今日はのんびりしたい。
今月の半ばあたりから
バセドウ氏の症状も改善され
一時は37キロ台にまで痩せていたのが
少しずつ体重が増え
昨夜は何と39キロになっていた。
1キロは太ったことになる。
喜ばしいことであるが
痩せていた時期の体に慣れていたので
1キロ増えただけで
お腹回りが重くて仕方ない。
若かったらこんな太り方はしないのだろう。
中年を過ぎたということか。
変に納得している私が居る。
昨日は、母と娘と三人で
ちょっとリッチなランチをしてきた。
母から娘の盲腸炎の時にお見舞いをもらっていたので
快気祝いも兼ねて母に御馳走してあげた。
娘が予てから行きたいと言っていたパスタの店へ行った。
ここは前に一度友人と行ったことのある店で
とても美味しいと評判の店だと聞いていた。
その評判通り
その料理もすべて薄味であっさりしていて美味しかった。
パスタもピザの生地もこの店で作っている。
だから注文してから出てくるまで時間がかかる。
待ち遠しくてたまらなかった。
私は日替わりピザランチ
母は日替わりパスタランチ、
娘は一品料理を三品注文した。
いつもは節約生活をしている私が
¥5400のランチは家計に痛いが
美味しいと言って食べている母や娘を見て
連れて行ってあげて良かったと思った。
でも、また太るぞ!
調子に乗って食べていたらあとで後悔するぞ!
スカーレット
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