スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次過去未来


2009年06月30日(火) 北朝鮮の核・拉致問題

昨日は、拉致議連の総会の後

恵谷治早稲田大学アジア研究所客員教授の講演会があった。

恵谷氏はTVで顔を知っていたが

講演は聴いたことはなかった。

昨日は北朝鮮の核・拉致問題ということで

親友を誘って聴きに行ったのだ。

1時間30分の講演会は

正直面白くなかった。

話が下手だと思った。

聴衆を惹きつけるという点では

田母神氏や櫻井よしこ氏には到底及ばない。

自分は知識もありわかっているのだろうが

こちらは、もっとわかりやすい説明をしてほしかった。

眠気を抑えて聴いた内容は

今の北は核弾頭を積んでの発射はしないだろう。

北は経済的に貧しい。

そして、技術的にも劣っている。

だから米が主張するように

北がすでに核弾頭を作っているという話には

無理があるというのである。

そして、去る5月に発射したのは

ミサイルではなく人工衛星だったと思うと言われた。

私は人工衛星という名前で

実際は将来の核ミサイルの準備段階での

ミサイル発射だったと思っていただけに

先生の話は意外だった。

拉致問題に関しても

今の、金正日の病状では

今後の北の体制がどうなるか分からないから

日本への対応についても断言できない。

日本の政治の行く末も関わってくる。

日本の政権が決まり

北の体制も決まったときに

改めて、拉致問題を再調査するという態度に出るだろうとのこと。

最後に拉致議連の会長が質問をした。

今どのくらいの人が拉致され

どういった暮らしをしているのか?

分かる範囲で教えてほしいと。

それに対して、先生は

100人のうち14人は亡くなっている。

残り86人のうち

10パーセントは強制労働させられている。

40パーセントは一般の暮らしをしている。

残りの45パーセントは収容所に入れられているのではないかと

説明された。

これら全て、恵谷先生のお考えであって

決して真実ではないと思う。

先生個人の考えは

核武装論に反対だそうだ。

理由は、もう原爆は必要ないからであるとのこと。

原爆は広い範囲で攻撃する手段であるが

現状としては核弾頭を搭載し

敵地を的確に攻撃するミサイルがあれば

原爆は必要ないという意見だった。

正直、私には分からない。

しかし、北に対しては

制裁を続けるべきだし

核問題よりも拉致問題を重視すべきだと思う。


2009年06月29日(月) 動画配信

一昨日の大阪抗議デモのときに

ビデオ撮影している人が居た。

自転車に乗ってデモを追いかけていたが

ニコニコ動画に配信している人のようだった。

多分、いつも配信されている人なのだろう。

ニコニコ動画はめったに見ない。

でも、昨日はデモの様子が配信されているのを見た。

プロローグから始まって

デモ行進7までが完全に見えていた。

改めてみてみると

大阪の抗議デモは素晴らしいと思う。

集まった人の数は200人ほどで

東京に比べると小規模だが

行進する人たちの熱い思いが伝わってきた。

また、デモの前での集会で

西村眞悟先生や三宅博先生の

力強い演説は感動ものだった。

国民がこれだけNHKに抗議しているのに

NHKはまだ歪曲報道はしていないというのだろうか・・・

昨夜はジャパン・デビューの第四回が放映された。

ビデオに撮ったので、まだ見ていないが

見なくても想像は出来る。

この動画を多くの人たちが見てくれて

NHKの大罪を再認識してもらえたら嬉しい。


2009年06月28日(日) 感激

昨日は本当に行って良かった。

デモに参加出来て良かった。

お名前だけは知っていても

実際にお目にかかったことのない方々にもご挨拶が出来たし

何より、西村眞悟先生にお目にかかり

言葉を交わすことも出来た。

先生は私の名前を知っていてくださった。

そして、デモに行く前に頑張れと声をかけて下さった。

主催者側の方に、集会のときに紹介され

皆の前で挨拶をした。

そして、デモ行進では前列で横断幕を持って

行進させてくれた。

3時15分から始まったデモが終わったんもが5時。

NHKの前を通った時にはシュプレヒコールの声も一段と大きくなった。

皆怒っているのだ。

NHKの捏造報道・開き直りと思える説明文。

謝罪することもなく、

訂正放送するわけでもなく

今も尚、中国の放送局と成り下がったまま

反日の姿勢を変えない・

このようなNHKは解体するしかないと思う。

朝からバスの中でも

真っ黒の「NHKの大罪」と書かれたTシャツを着て行った。

デモ行進は生まれて初めての経験だったから

余計に感動もひとしおなのだと思う。

それにしても、通行するん人たちの無関心の多いこと。

今NHKを批判し、訴訟を起こしたのも皆

未来の日本を支えてくれる子供たちのことを

思ってのものこそだ。

日本は素晴らしい国だと

誇りを持って言えない人を出してはいけない。

それにしても、昨日のデモは凄かった。

また機会が出来たら活動に参加したい。


2009年06月27日(土) 行ってきます

いよいよ、今日は大阪へ。

NHKの大罪への抗議デモに参加したいと思っていた私は

愛媛でデモが無理だとわかっていたので

思いは東京へ飛んで行っていた。

しかし、正直東京は遠い。

夜行バスで行かないと間に合わない。

今日、大阪でも抗議デモ第三弾が行われるのを知り

参加したいと思い続けていた。

多分、駄目だろうなと思って

仲間に声をかけた。

皆、気が進まないようだったが

一人が検討してくれて

今日は一緒に行ってくれることになった。

チケットを手配し

大阪の主催者側に連絡をした。

日帰りで行けそうだ。

今朝6時45分のバスで行き

帰りは18時20分のバスで帰ってくる。

大坂に居る娘に連絡して

少しの時間でも会えないかと思ったが

時間的に無理だとわかった。

地理に疎い私はどうにかして

桃園公園まで行かなくちゃいけない。

果たして無事行けるだろうか?

そして、どんな抗議デモとなるのだろうか?

まるで遠足へ行くようなワクワク気分だ。

あの黒のNHKの大罪と書かれたTシャツを着て

国旗日の丸を掲げて

メガホンを持って・・

愛媛県支部の皆の気持ちを背負って

頑張ってきたい。


2009年06月26日(金) 4時間のお喋り

昨日は、検査のためつけていた

24時間心電図ホルダーを返却してきた。

結果は二週間ほどかかるらしい。

次回の診察日に説明をしてもらうことになっている。

ホルダーをはずしてからも不整脈は同じように起きている。

しかし、医者の言うのは命を落とすことはないとのことなので

一瞬でもふっとなったとしても

もう気にするのはやめようと思う。

昨日は、ホルダーをはずしてもらった帰りに

Oさんと会って4時間も喋った。

まあ、この方と話す場合は

いつもの私とは違って

話の主導権はOさんが持っている。

昨日も、私が作成した支える会の会則を見てもらった。

一箇所だけ、言い方を変えるほうが良いといわれた以外は

これで良いでしょうといわれた。

帰り道に途中でよったのは

ワイズカフェ。

大勢の人たちが昼休み利用して

漫画を読んでいた。

Oさんの体験談をはじめ

病気のこと、命拾いをしたこと

日本のこと、民主党のこと・・・

などなど、4時間もよく喋ったと感心する。

年齢は84歳、母よりは年下だが

頭のはっきりされていることや

記憶力においては

母を遥かにしのぐ。

これからも色々とアドバイスしてもらうつもりだ。

もっともっと色々な話を聞きたい。


2009年06月25日(木) 不整脈

この最近、不整脈がよくおきている。

それもダダダダダ・・といった感じの

脈の乱れの続くもので

これがおきているときには

一瞬だが、頭がふっとなって

めまいというか、意識が途絶えるというか・・

なんとも気持ちの悪い状態になる。

5月の初めに、会を立ち上げて以来

休む暇もないほど忙しい日々が続いていて

睡眠時間もろくに取っていない。

それが原因がどうかはわからないが

昨日、思い切っていつもの心臓の病院へ

急な予約を入れてもらって行って来た。

心電図をとっている間にも同じような状態になったが

先生の診察をうけている間は何も起きなかった。

医者は実際にどうのか?わかるはずがない。

たいしたことはないですと言い切ったので

私は納得できず、長い心電図を取って検査してほしいと言った。

不整脈の薬には副作用があり

前には飲んでいたが中止してしまっている。

やはり飲まずにすませたい。

24時間心電図をとって調べてみるということで

お昼前にホルダーをからだにつけた。

分刻みでの私の行動をチェックして記録する。

面倒だけど仕方がない。

今日のお昼前に、また病院へ返却に行くことになっている。

27日の大阪でのデモのときに倒れたら大変だ。

休める時には少しでも休んで無理をしないようにしたい。


2009年06月24日(水) 忙しい日々

この数日は本当に忙しい。

新聞も本も読む暇もない。

20日土曜日は

支える会のチラシ配布を

高島屋の前で1時間半に渡って行った。

真っ黒に白文字でNHKの大罪と書かれた

とてもインパクトのあるTシャツを着て

通行する人たちにチラシ配布をしたのだが

反応は今ひとつだった。

東京や大阪では1000人の人たちが集まって

NHKを取り囲み

シュプレヒコールをあげ

手には日の丸、プラカードをもって

デモ行進をした。

愛媛は田舎だ。

数人の人は興味を持ってくれたようだが

ほとんどの人は無関心。

それでも200枚のチラシ配布をし終えた。

21日(日)は

日本の歴史に学ぶ会の講演会があった。

仲間たち4人でこのTシャツを着て参加。

見る人へ訴えるいわば歩く広告塔だった。

月・火と母の用事や家の用事

そして、昨日の朝からPCが接続しなくなり

夫が何とか接続するようにしてくれたものの

初期化したために

今までのバックアップを取っていなかった

メール等は消えてしまった。

HPは何とかバックアップを取っていたので

こうして再開できる。

しかし、めざす会のHPはできなくなってしまった。

支える会が忙しくなったので

めざす会の幹事を退いた。

いずれは退会するだろう。

二束のわらじは履けない。

これからは支える会一筋で頑張っていくつもりだ。


2009年06月18日(木) 全国かまぼこ板の絵展

昨日はとても嬉しい知らせが入った。

地元新聞に

「全国かまぼこ板の絵展覧会」の

受賞者の名前が出ていたが

その中に、

何と、私の名前が出ていたのだ。

今年出品した5枚の作品のうちの一つが

特別審査員賞・車ダン吉賞を受賞したのだ。

三年前の6月13日

丁度、父が亡くなる数時間前に

団体賞を受賞したという知らせを受け

信じられない思いがした。

そして、父の四十九日の法要に当たる日が

表彰式と重なり、

お寺で法要だけ出席した後

父の遺影を持って式に参列した。

その思い出が脳裏を駆け巡った。

三年前に私の作品について

長い文章で評してくれた車ダン吉さん、

今回は、その車ダン吉賞をもらったのは

何か不思議な縁を感じる。

姉から優秀賞に入るはずだったと聞いた。

優秀賞は10点だ。

賞金も10万円。

大賞の次に凄いものだ。

それになるはずだったと聞いただけでも嬉しい。

今年のテーマは「こころ」

昔、子供だったころの

ちょっと不安な胸がドキドキする心を描いた。

まさか、受賞するとは思わなかったが

もしかして赤丸はつくかも?と思ってはいた。

受賞するなんてもう二度とないだろう。

姉に頼まれて企画に乗り

13人が協力してそれぞれモナリザを描いて送ったが

この作品も佳作に選ばれたとのこと。

13人が描いた30点ほどの作品は

すべて赤丸がついたらしい。

これも凄いことだ。

来月の最後の日曜日には表彰式がある。

今から緊張しそうだ。

やはり、描き続けて良かったと思う。

まさに継続は力なり。

これからも賞を取る取らないに関わらず

自分の思いを一枚のかまぼこ板に託して

描き続けようと思う。

本当に嬉しい!




2009年06月16日(火) 従兄のこと

昨日の午後、

少し休む時間ができたので

本を読みながらベッドで横になっていた時

枕もとに置いている携帯電話が鳴った。

誰から?と思って開いてみると

私の父方の一歳上の従兄からだった。

この従兄とは小さいころは兄弟のように仲良くしたが

大人になりそれぞれ家庭を持つようになってから

お祝いごとか不幸事の時にしか顔を合わせることはなくなっていた。

一番最後に会ったのも去年

叔母が亡くなった時の葬儀の席だ。

だから、電話をもらって正直驚いた。

怪訝そうな声で出た私に従兄は

「近々入院して心臓のペースメーカーを入れないといけない」と言った。

数年前、まだ父が健在だったころ

父方の叔父の葬儀の時に

不整脈がひどくて運転中に意識を失ったことがあると聞いていたが

やはり具合が悪かったのだろう。

しかし、ペースメーカーを入れねばならないほど

悪かったとは知らなかったからびっくりした。

従兄は、日赤でそう言われたものの

他の病院で診てもらった方が良いかな?と聞いてきたのだ。

私が心臓の手術をした病院は

今は心臓外科はない。

しかし、ペースメーカーの装填手術は行っている。

他にも名医は居る。

だから、入院する前に他の病院で診てもらい

本当に入れないといけないと診断されたら仕方ないけれど

一軒の病院で決めるのはやめた方が良いと答えた。

日赤の医者は次のような発言をしたと言う。

「ペースメーカーを入れると一種一級の身障者になる、

身障者になると得することも多いから良かったですね」

私はこの言葉を聞いて信じられない思いがした。

医者として、否人としても言うべき言葉ではないと思った。

誰が好き好んで身障者になりたいと思うだろう。

私自身身障者であるから余計にそう思う。

従兄がなんだかかわいそうになった。

私には何もしてあげることはできないが

相談には乗ってあげられる。

だから、今後も連絡してねと言って電話を切った。

どうか、大変なことにならないよう願っている。

それにしても人間、健康が一番だ。

元気で居られることは病気になってみて

初めて有難いと思うことだ。

体が宝。

そう思う。


2009年06月15日(月) 役員会

昨日は「チャンネル桜を支える会・愛媛県支部」の

第一回役員会を開いた。

会員数は16人、役員は私を入れて7人いるが

昨日出席できたのは4人だった。

その中でも年配で他の活動で経歴もある方が

色々な意見を述べてくれた。

私としてはすべてに賛同できるものではなく

反対の意を唱えるつもりはないが

それでも、意見は言っておいた。

後の2人は30代の男性で

やはり気遅れすることもあっただろうが

それでも、自分の意見を言ってくれたのは有難かった。

決まったのは毎月第一日曜日に役員会を開催すること。

会費未納者にについてはしばらく様子をみること。

チャンネル桜の広報活動として

番組をDVDにして配布したら良いということ。

意見が分かれた点は

活動を広報活動主体にして

社会活動をする時には

他の保守団体と連携してするということ。

私は少人数でも良いからやることに意義があると言った。

また国旗を掲げての活動は

見る人が右翼だと思ってしまうからやめようという意見と

堂々と掲げてやるべきだという意見に二分した。

日の丸は日本の国旗であり

堂々と掲げて活動をするべきだと私は主張。

何か後ろめたい気がするから

右翼がどうのこうの・・というのだと思う。

何故、国旗がダメなのか

私には理解できない。

その他にもいろいろ意見が分かれたが

目指すところは同じなのだから

出来ない人を強制的にさすのではなく

出来る人たちがこれからも頑張ろうと思う。

やってみることが大事なのだ。

初めから逃げていてはことは進まないのだから。


2009年06月14日(日) 父の祥月命日

昨日、6月13日は父の祥月命日だった。

丁度三年前の昨日の午後6時前に

父は吐瀉物を肺に詰まらせてあっけなく逝った。

あれからもう三年、早いものだと思う。

昨日は、母と姉と三人で

父の御墓参りに行き

お墓をブラシでこすって綺麗に掃除をし

草をひき、水を代え、お花をあげて手を合わせた。

そして、帰りに少し車を走らせて

ちょっと雰囲気の良い洒落たお店で

ランチを食べて帰った。

父のことを思い出さない日はない。

でも、一日のうちそれは何か瞬間的に

私の心にふと思い出す程度になってしまった。

日が経つということはこんなことなのだろう。

私にとって大事な母が亡くなったとしても

三年経ったら、こんな風に思えるようになるのだろうか。

父が亡くなったその日に

私にとってとても嬉しいニュースが飛び込んできた。

だから、喜びと悲しみが入り混じった複雑な思いをしたことを

改めて思い出している。

昨日は、父が亡くなる日の朝

果汁が飲みたいと言ったスイカを

仏前に供えた。

そして、父がかき氷を口にしたときの

あのにこっとした顔を思い出し

涙が出そうになった。

一生、かき氷を食べることはできないと思っていたが

父のにっこり笑った顔を思い出しながら

口にできるようになった。

父の七回忌は後3年後だ。

母が元気で父の七回忌をしてあげることができたら

こんなに嬉しいことはない。

父もお墓の下で喜んでいるだろう。


2009年06月13日(土) 幼少期に論語素読を

昨日の新聞記事によると、

文部科学省は、

乳幼児から高校までの発達段階に応じて

重視すべき項目を挙げた提言案をまとめたそうだ。

目標の意図はわかるが、具体的な視点が見えて来ない。

私は、幼稚園・小学校低学年で

論語の素読をさせたら良いのではないかと思う。

意味が分からなくても良い。

先生が先に読み、それについて子供たちが復唱する。

幼少期は脳も柔らかく吸収力もあるから、

声に出して何度も繰り返し読んでいるうちに、

スラスラと暗記するはずだ。

こんな話を聞いた。

ある幼稚園で、友達をいじめている子に向かって、

一人の子供が「己の欲せざるところは人に施すことなかれ」

と言ったそうだ。

先生が驚いて、

「お宅はどんな家庭教育をされているのか?」と

その子供の親に尋ねた。

親は我が家では論語の素読をさせていると答えたと言う。

その子は自然に意味を理解していたのだ。

子供時代に素読をしたことは、

きっと大人になって人生の指標になると思う。

論語の素読を道徳教育の中に取り入れるべきだと思う。


2009年06月12日(金) 渇水

今年も、また渇水の心配をしないといけない時期が来た。

例年だと梅雨の大雨で被害も出ることが多いが

この数年は本当に梅雨と言っても雨が降らない。

松山市は今日から夜間断水となるはずだった。

それが、昨日中止となった。

一昨日降った雨のため水位が上昇したというが

これは本当だろうか。

一昨日の雨は大雨ではなかった。

地下水の水位が上昇するとは考えられない。

現に隣の砥部町では今日から夜間断水すると言う。

私が住む市も昨日から水圧を低くしたらしい。

毎年渇水で悩むところに住んでいる身としては

娘の居る大阪が渇水の心配がないと聞いて

本当に羨ましい。

夏休みに帰省するだろうが

大阪に居た方が良いよと言いたいくらいだ。

松山市が断水を一時見送った裏には

私の推測の域を超えないが

旅館組合から文句が来たのではないかと思う。

何故なら、

土日・祝祭日高速道路が¥1000となった。

当然、四国を訪れる人の数も増えた。

松山市・道後温泉に入りに来る人たちも増えている。

だから、今から夜間断水と聞けば

道後温泉に行こうと思っていた人たちも

考えてやめるかもしれない。

ただえさえ、不況で客足が減っていたのだから

夜間断水で訪れる人が減っては

旅館・ホテルとしては死活問題だ。

ということで、もしかして?

松山市に反対意見が多く集まったのではないかと

邪推する。

いずれ、大雨が降らない限り

一時断水、夜間断水が行われるだろう。

私も水を用意しないといけないと思っている。

母のように高齢者が水を確保し

重いバケツを持つことにならないように

雨が降ってくれると良い。

そして、毎年のように心配となる渇水、

どうにかしてその悩みから解消されるよう

節水以外に何か良い方法はないのだろうか。


2009年06月11日(木) 人は様々

今回、チャンネル桜を刺さる会の支部を立ち上げたことによって

今まで経験しなかった

良いことも悪いことも

さまざまなことを経験した。

人の考え方は色々だ。

しかし、ひとつの方向へ向かっている時

それは一致団結という形を取ると思っていた。

しかし、そうではなかったことを

今回嫌というほど味わっている。

嫉み、妬み、自尊心など

人間として一番醜い心が渦巻き

初めは一つの方向に向いていた足が

段々反対方向へと向いているのだ。

それを感じたからこそ

どうにかしてまとめようと必死になった。

しかし、やればやるほど虚しくなり

最後には鬱になりそうだった。

そんな時、味方は居るもので

弱くなりそうな心を支えてくれる人の言葉は

どんなに力強く思えることか。

考えてもどうにもならぬこと、

私が努力してもどうしようもないことが

この世の中にはいっぱいあるのだ。

私が生きてきたこれまでの人生の中で

どれだけ周りに恵まれていたのかを

つくづく感じる。

まさに、温室の中で大事に育てられてきたのだ。

それが急に外の世界へ出て

痛みを伴う強風にあい

倒れそうになったということだ。

私は地面にしっかりと足をつけ

自分が正しいと思うことを

自信を持って主張していきたい。

勿論、相談することが一番だ。

しかし、全員の声が揃うはずはないのだから

民主主義の世界の多数決で決めよう。

そして、人は様々だということを

これからも胸の中に置いておこう。

揺れ動いていては行動はできないのだから。


2009年06月10日(水) 面白い話

昨日は午後から、Oさんと会って

2時間ほど話をしてきた。

話をすると言っても

相手の話を聞く立場に徹することにしたので

2時間はほとんどがOさんの話だったが、

それがユニークでとても面白い話だった。

①北方領土について

 北方領土は元々日本の領土であり、

 ロシアが勝手になんだかんだ言っている。

 そこで、日本は北方領土を米に売ってやるのだ。

 米が漁業権などほしくはない。

 あらかじめ、日本が漁業権を有する旨を決めておく。

 米は核基地でも軍事基地でも何でも作れば良い。

 ロシアは脅威と感じるだろう。

②ツバルについて

 エルニーニョ現象により、ツバル共和国は沈む予定となっている。

 そのツバルを日本領土とするのだ。

 ツバル国民は1万人ほどだというから、全員日本に呼び、山間部に

 住居させ、森林伐採などお仕事に従事させる。

 山の村は過疎地となっているから、そこへ住まわせて住人も増える。

 ツバルのまわりは日本の海となり、漁業権を得ることもできる。

③太平洋の真ん中で米と戦争を起こす。

 日本から宣戦布告して一発古くなった船を撃沈する。

 米もそれに対して日本に宣戦布告をして日本の不要な船を撃つのだ。

 日本はただちに無条件降伏をする。

 米は日本を占領する。

 占領下では現行の憲法は凍結される。

 そこで、予め根回ししていた、新しい憲法を作り発布するのだ。

 米の国益に利する憲法には、きっと9条などないだろう。

 その代わり、軍隊もでき、米を守る義務を負わされるだろう。

 しかし、今の憲法のままでは米との連携は望めない。

 集団的自衛権を行使するためにも憲法を失くするのが一番。

以上の3点。

ありえないことに思う。

無理よという声も聞こえる。

しかし、発想としてはとても面白いと思う。

Oさんの話によると

新しい憲法の第1条は

天皇の地位を今以上に確かなものにするための条文を。

そして、次に天皇陛下が靖国神社参拝を憲法できめるのだ。

本当に不可能なのだろうか?

一般人がこんなことを考えて

日本を守ろうとしているのだ。

政治家も、もっと目覚めてもらいたいと思う。

他にも一つあったがまた別の機会に。

お粗末でした。





2009年06月09日(火) NHK集団訴訟

ついに、今回のNHKの捏造・歪曲報道に対して

チャンネル桜が弁護士を立て

一万人を集めて

NHKに対して集団訴訟を起こすことに決めた。

昨日の夜、その放送を聞き

早速訴訟委任状に署名・捺印して

今朝、一番にポストに投函した。

消印は22日となっている。

私たちの会は二度抗議活動をした。

一度目は松山放送局へ抗議文を持って行った。

二度目は街頭署名活動を行った。

でも、まだまだ愛媛県人には

NHKの大罪が浸透していないように思う。

チャンネル桜は20日と27日にも

第三弾・四段一斉活動をすることにしたと言う。

出来たら大阪や東京へ行って

デモに参加したい。

でも、それは難しいので

20日には前に配布した「NHKの大罪」のチラシを

ひとりで配布しようかと思っている。

チラシ配布だけなら

警察への許可申請もいらないと聞いた。

念のため、確かめて

許可が要らないなら

100枚のチラシ配布を頑張ろうと思う。

集団訴訟については

ある人から

受信料を支払っていないと

原告になる資格がないのではないか?と言われた。

そういえばそうだ。

我が家は悔しいが支払っている。

支払っているからこそ

抗議もできると思っているからだ。

原告になるのも大丈夫だ。

でも、支払っていない人が原告になれないのなら

友人に委任状を郵送したが

ちょっと待ってと言わないといけない。

集団訴訟は、NHKにとってとても痛手となるだろう、

日本中の人が怒っているという認識を

NHKに持ってもらわないといけない。

今度はNHKも知らん顔はできないと思う。


2009年06月08日(月) 図書館へ

昨日はとても暑い一日だった。

朝から良いお天気。

日差しも夏だ。

最近は疲れがたまっているのか

目覚めた時に体がだるい。

しかし、このだるさは動いているうちに消える。

もし、しんどいからと言って家でゴロゴロしていたら

余計にしんどさがひどくなるかもしれない。

そんなこともあって

昨日は、副支部長と二人で

県立図書館と市立図書館へ行き

チャンネル桜関連の図書を購入してもらうよう

頼んできた。

その三冊の本は

①「1937 南京の真実」水島聡原作

②「南京事件 証拠写真を検証する」東中野修道・小林進・福永慎次郎著

③「再審 南京大虐殺」竹本忠雄・大原康男著

県立図書館は

これら三冊ともなかったが

市立図書館は②と③はおいていた。

リクエストはしたものの

予算の関係もあり

果たして買ってもらえるかどうかわからない。

でも、このような地味な活動も会として大切だ。

11時に終わり

その後、「あこう」へ行きお昼を。

混んでいた!

席を確保するのに30分待ち

注文してから料理が出てくるまで30分。

計1時間待つことに。

でも、美味しかった。

本当はもっとゆっくりしたかったが

店の外で順番待ちをしている人もいたので

そこそこにして引き上げる。

副支部長を家まで送り帰宅。

やはり疲れたが、やるべきことを

やっていくことが大事だと思う。


2009年06月07日(日) おしゃべり

ハハハ・・・

いつものことながら笑ってしまう。

昨日は親友と会って

いつものようにおしゃべりを楽しんだのだが

何と、昨日は5時間話続けた。

場所はエミフルのフードコート。

11時半に待ち合わせて

お昼を食べながら話しをした。

お昼を食べ終えてからも

コーヒーやコーラを再注文し

話し続けること5時間、

気がついたら16時半になっていた。

親友はお尻が痛くなったと言っていた(笑)

私は途中で飲みかけのコーラをひっくり返し

テーブルも床も汚してしまった。

何と間抜けなことか。

それにしてもよく話が続くものだ。

電話やメールで話しているくせに

会うと何時間でも話すことができる。

それも、話が途切れることがないのだ。

笑って、しゃべって、飲んで、食べて・・・

気の置けない友と過ごす時間は

私にとってとても貴重なものであり

有難いものである。

どんなに嫌なことがあっても

彼女に話すと嘘のように気が晴れる。

辛いことも悲しいことも

嬉しいことも楽しいことも

何でも話せる人が居ることを

本当に幸せだと思う。

友人も居ない、心から話すことのできる人も居ない

もし、私がそうだったら・・

きっと人生半分以上、損をしていると思う。

本当に楽しかった!

また彼女と会って話がしたい。

今度は新記録を作ろうかな・・・


2009年06月06日(土) 古川先生のご自宅へ

昨日は、先日お電話を差し上げ

また、私たちの会の活動の資料を送っていた

「台湾を愛した日本人 土木技師八田與一の生涯」の著者

古川勝三先生のご自宅へお邪魔して

先生のお話を伺うことができた。

午前中、先生からご連絡があり

午後2時にお会いする約束が取れたのだ。

今回のNHKの捏造報道「ジャパンデビューアジアの”一等国”」で

私たちの会はNHKへ抗議し

また放送法改正の署名活動を行った。

そんな時、偶然に新聞で先生が

八田與一の生涯を描いた本の改訂版を出されたのを知った。

タイミングが良い。

早速購入して読んでいる。

昨日はその本を持って行き

先生から台湾の話を色々聞いた。

やはり台湾は親日国家であり

素晴らしい国だとわかった。

今でも日本人が来たと知ると

好意の眼で迎えられると言う。

八田與一は台湾の人たちにとって神様だ。

その神様の慰霊祭が5月の初めにあり

先生はご夫婦で参列してきたという。

毎年参加している慰霊祭は

年々派手になっており、第一回目から参列している先生曰く

前の慰霊祭の方が思い入れもあり重みもあったらしい。

30代の時に台湾へ日本語教師として行ったことが

その後の先生の人生を変えたと仰っていた。

そして、八田與一のことを調べていくうちに

それまでは自虐史観に覆われていた

先生の歴史観が180度変わったとも言われた。

人生には何か一つ、

そのひとにとって転機となることがある。

先生は台湾へ教師として行き

そして八田與一が作ったダムのことを知り

八田與一のルーツを調べ

一冊の本を出したことが

人生の転機だと仰っていた。

話は弾みあっと言う間に二時間が過ぎた。

奥様もご一緒に話の中に入ってこられ

同じように台湾の素晴らしさを言われた。

私が行きたい外国は台湾だ。

先生のお話を伺って

その気持ちは一層強いものになった。

台湾を訪れ

八田與一が作ったダムを見てみたい。

そして、そこに立っている銅像と

八田與一夫婦のお墓参りをしたい。

先生は私の活動を評価してくださった。

とても力強い言葉もいただいた。

先生にお会いしたいと思い

行動にうつしたのだが

初めはちょっと躊躇していたのも本当だ。

でも、思い切ってお電話をして良かった。

これからも先生とのご縁が続くと良いな。

帰りに先生が丹精込めて育てている

ピンクのバラを頂き

奥様からはお手製のドイツのパンをいただいた。

本当に良かった。

出会いを大切にしたい。


2009年06月05日(金) 忙しかった!

昨日は本当に一日があっと言う間に過ぎた。

午前中は家事をする。

30日の署名活動でできなかった

細かなところの掃除、

そして片づけもの。

その合間を縫って買い物へ。

姉の絵手紙を印刷。

郵便物の処理とお礼の電話。

昼前に姉が母の家に来るというので

お昼を三人分調達して母の家へ。

姉に絵手紙の印刷とこの間のバラ園の写真を渡す。

5月の連休に夫と娘の所に行き

部屋を片付け、冬ものを三箱

母の家宛てに送っていたまま

何もしていなかったのが気になっていた。

昨日はそれを整理。

クリーニングへ持って行くもの十数点。

家で洗ったもの数点。

残りはコインランドリーへ持って行き

大型の洗濯機と乾燥機を使って片付ける。

お金も6000円かかった。

時間も相当かかった。

何をしているのかと途中で自分自身が

分からなくなってしまった。

疲れた。

でも、片付けることができたので

少しほっとしている。

夜はチャンネル桜に私たちが紹介された。

朝から晩まで休む時間もない一日。

今日は母の病院がある。

止まらない馬車に乗ったような気分。

どこかにぶつけて止まるのかな・・・


2009年06月04日(木) 心臓の病院へ

昨日は、6週間に一度の

心臓の病院の受診日だったので行って来た。

予約は午後1時半。

母と11時半に家を出て

途中、グランフジ重信に寄りお昼を食べる。

12時40分病院へ。

病院へつくと案外すいていた。

いつもならすぐに血液検査をするのだが

20分安静にした後で血液検査をすると言われ

ベッドに20分横になった。

看護婦さんに起こされた。

どうも20分ほど、ウトウトしていたようだ。

最近寝不足が続いているので、

ちょっとの時間もつい寝てしまう。

何で安静にして血液検査をするのか聞いてみた。

すると心臓の働きが血液の中の酵素を調べることで分かるらしい。

肝臓機能が血液検査で判明するのと同じだそうだ。

昔はこんな検査はしなかった。

医学が発達したから出来るのだろうか。

いつもの検査結果には変わりなく

薬の量も変化なし。

一応安心する。

酵素の検査結果は外注するので

次の診察日で教えてくれると言う。

多分、異常ないだろう。

今、もし、私の体調に変化があったら

立ちあげたばかりの会の運営も危うくなる。

絶対に元気でいないといけない。

再来週にはバセドウ病の検査がある。

これも一応今は落ち着いている。

再発した時にはしんどくて歩くのも大変だったが

薬投与のお陰で元気になった。

元気が一番だ。

病気になったときに一番そう思う。

これからも無理をせず、

毎日を無事に過ごしていきたい。


2009年06月03日(水) 母のこと

私が支える会を立ち上げて以来

本当に多忙な毎日を送っていて

母を病院へ連れて行き

帰りにお昼を食べて帰ることしか

母のことをしていないのに気付いた。

だから、

母が歩いて近くのホームセンターへ

観葉植物を買いに行ったと聞いても

ああそう・・と返事をしただけだった。

昨日、母の家の玄関に

見知らぬ観葉植物が置いてあったので

これは?と聞くと

この間買いに行って、置いていたというではないか!

母の家には毎晩お風呂に入りに行っている。

玄関の観葉植物も毎晩目にしていたはずなのに

それを認識する気持ちの余裕さえなかったことに

ショックを受けた。

これじゃ、母の体調が悪くなっていても

それに気づくこともできなかったかもしれない。

先日やってもらったハンドヒーリングのその後の経過も

尋ねることもしないまま今日にいたっている。

母はその日は良かったけど

また、前の状態に戻りつつあるようだ。

これをしてくれた人に報告しないといけない。

母は、私にとって優先順位でトップに居る。

本当に最近の私は

会のことや、抗議活動のことで

頭がいっぱいでそのほかのことは差し置いて

頑張ってきたが

果たして、これでよかったのかと反省している。

二足のわらじを履くのはやめよう。

何か一つのことに専念しよう。

そして、母のことは私の一番のことだと再認識した。

放ってはおけないのだから。


2009年06月02日(火) チャンネル桜

昨日は、疲れていたにも関わらず

休む暇もなく、次から次と用事をこなしていった。

午後にはめざす会の役員会へ。

秋に開催される講演会についての計画打ち合わせ等をした。

この会の会場がまた遠くて・・

何でこんな所にしたの?とつい愚痴ってしまいそうになった。

駐車場も空いてなくて帰ろうかと思ったが

それでも二回周りを回ってから行くと一台置けるスペースがあった。

帰宅して家事をしているともう夕方。

夜にはチャンネル桜が新しい番組構成となり

私たちの30日の署名活動が紹介され

私の名前も写真も出してもらった。

私たちのような田舎で少人数で

このような活動をしているということが

各支部の方たちが奮起するきっかけになれば良いと思っている。

一日の疲れが

夜のチャンネル桜の放送で一気に吹き飛んだ気がする。


2009年06月01日(月) 疲れが

30日(土)の街頭署名活動に向けて

私なりに全力を傾けたと思っているが

その疲れが体の色々なところで現れ始めた。

肩から肩甲骨そして首と

また固まりそうになっている。

昨日は用事があって

PCをほとんど開けていないにも関わらず

この前と同じような症状が出るのは

やはり体が相当疲れている証拠だと思う。

今月に入っても

なかなか暇な時間はなさそうだ。

眠い、

右半分の体が硬い。

どうにかしないと

また歯の方に影響が出そう。

休めるときには休もうと思いながらも

今日は役員会がある。

やることだけはやらねば。

それにしてもつかれた・・


スカーレット