スカーレットの心のつぶやき
つぶやき 目次|過去|未来
今年はまだ、今日を入れて三日残っているが
つぶやきはで今年最後にしよう。
今年は色んなことがあった。
ありすぎた。
嬉しいこともあったけれど
やはり、私にとっては
あまり良い一年ではなかった。
最後の最後まで
心の落ち着くことがなさそう。
来年は未年。
ふんわりゆったりした気持ちで
過ごすことが出来たらと思う。
見てくれている方へ
今年も有難うございました。
良いお年をお迎えください。
また、来年もよろしくお願いいたします。
今日、12月27日は
夫の58歳の誕生日だ。
定年まであと二年
何とか頑張って仕事をしてほしいと願うが
それが叶うかどうか?
夫の人生だから
私がとやかく言うことはできない。
何とかなると思いながら
一抹の不安を覚えている。
今夜は夫の誕生日を祝って
二人で乾杯しようか。
夫が私と結婚したのが
28歳の時だった。
だから、30年になる。
長いようでアッという間だったと
決まり文句のようだが実感している。
夫は、私と結婚してよかったと思っているのだろうか?
時々、そんなことを思いながら
過ごしてきた30年。
来年の9月1日の30年目の結婚記念日には
なにか特別なことが出来たら良いなあと思う。
夫が元気で楽しく幸せであってほしいと
心から願っている。
私にできることは・・・
きちんと支えてあげることが出来るかどうか?
不安もあるけれど
私にできることを頑張るしかない。
夫が朝、起きてきたら
一番に「お誕生日おめでとう」と言おう。
昨日のクリスマスが済んで
夜になってから
玄関に飾っていた
サンタやクリスマスの飾り付けを片づけ
同時に、お正月バージョンの飾りをした。
お飾りや鏡餅
お正月の花
タペストリーもお正月の鏡餅の絵柄のものに
そして、母が娘に買ってくれた
羽子板を出した。
絵手紙も母が塗った南天の絵にかえた。
これで、
いつお正月が来ても大丈夫となった。
でも、
我が家はそれどころではない。
色々なことがある。
今年から来年にかけても
ちょっと大変になりそう。
夫が裏の庭の雑草を抜いてくれた。
お風呂の掃除も念入りにしてくれた。
私が日ごろ、掃除をしているから
台所の隅々の細々としたところを掃除し
冷蔵庫の中の掃除と
食品庫の片づけをしたら
後はだいたいOKとなりそう。
後、まだ数日あるからなんとかなるだろう。
娘は30日の夜帰ってくる。
布団は今日用意してリビングに出している。
無事にお正月が越せるようにと祈るばかりだ。
疲れが出ないようにしよう。
今日はクリスマスだ。
昨日はクリスマスイブだった。
日本人なのだから
キリスト誕生を祝う必要なんてないのに
何故か皆浮かれている。
街の中もショッピングセンターの中も
赤と緑、イルミネーションで装飾され
皆、喜んで写真を撮り
楽しそうな顔をしている。
後一週間もすれば
神社やお寺に初詣でをして
ちょっと神妙は顔つきで
一年の無事を祈るのだから
まあ、日本人はゆるいなあと思う。
それが良いのかもしれない。
宗教戦争も起きない
多神教なのだから。
昨日のイブは鍋ものをして
そのあとチョコケーキを食べた。
ケーキが嫌いな私は
一年に一度だけ、クリスマスにショートケーキを食べる。
夫も食べてくれた。
娘に℡したら
猫とケーキで祝ったとか。
娘が一緒に居た時は
それなりに楽しかった。
子供の時はもっと楽しんでいた。
年を取り、子供も出て行き
夫婦二人になってのクリスマスは
何か侘しい気がする。
友人からとても素敵なカードが届いた。
私は年賀状は出すがクリスマスカードは出していない。
有難うと心の中でお礼を言った。
玄関に飾っている
いっぱいのクリスマスの飾りを
今夜には片付けて
お正月バージョンにしよう。
何となく気ぜわしい日々になりそう。
メリークリスマス!
人によっては
ユニクロは売国企業だと言って
製品を拒否する人がいる。
私の知り合いにも何人かそんな人が居る。
尤もだとは思うが
ユニクロの製品を買ってしまう私。
今年は極暖のヒートテックにシャツを買った。
フリースもヒートってくフリースなので
これまでのものに比べて一段と暖かい。
先日、とても安い日があり買いに行ったら
朝、開店前から行列ができて
レジを待つにも長い時間がかかった。
昨日は、夫と一緒にユニクロへ行った。
暖パンを買うためだ。
そして、姉にプレゼントする極暖のシャツも買った。
昨日は、私が着ているものは
上から下までユニクロ製品、
まるで歩くユニクロになっていた。
マネキンさんでもできそう・・なんて
自分で笑ってしまった。
ユニクロ様様だ。
人が何を言っても良い。
暖かくして風邪をひかないようにして
後数日の今年を元気にすごし
良いお正月を迎えたい。
今年は色んなことがありすぎた年だった。
来年も同じような年になるのかな・・・
日本の真正保守の政治家・西村眞悟先生
このたびの選挙で
次世代の党から出馬され
残念ながら落選してしまった。
西村先生のような政治家は
日本にとってとても重要で必要な方だが
何故、落選してしまったのか・・
私は以前から、また今日も今後も
西村眞悟先生を支持し応援していく。
その思いもあり
「愛媛西村眞悟塾」を立ち上げた。
少人数でも良い、
先生に塾長として来ていただき
話を聞き、質疑応答をして
塾生としての士気を高めたい。
先生は快諾してくださった。
一年に二回開く。
年会費を決めた。
塾生の数は多く無い方が良い。
15人程度にした。
現時点では11人が決まった。
初回の日にちも場所も決まった。
飛行機のチケットも
先生がお泊りになるホテルも
塾の後の懇親会の会場も
全て準備した。
この塾は志あるものの集まりだ。
そして、中身の濃いものにしたい。
今後の塾が楽しみだ。
2014年12月20日(土) |
スタップ細胞はなかった? |
小保方さんは、スタップ細胞を再現できなかった。
理研を退職すると言う。
あの「スタップ細胞はあります」
「200回以上出来ました」
発言はどうなったのだろう。
彼女の再実験は結構厳しい状況の中で行われた。
心身共にきつかっただろうと思う。
それはそれだ。
科学は感情ではない。
再現できるかどうか?
存在するのかどうか?
結果しかない。
だから
彼女に同情するのはやめよう。
ES細胞をSTAP細胞と勘違いしたのかもしれない。
今年の一月のあの騒動。
笹井さんの自殺。
彼女のSTAP細胞実験さえなければ
日本にとって貴重な存在であった
笹井さんを失うことはなかったはずだ。
これからの彼女はどうするのだろう。
科学者として生きていけるのかなあ。
ただ、理研を退職したことで
すべて終わりにしていいのか?
彼女には国民の前で
再実験できなかったことについての
説明責任があると思う。
下記は新聞記事。
STAPスタップ細胞の論文不正問題を巡って、理化学研究所は19日、東京都内で記者会見を開き、小保方晴子研究員(31)と、理研検証実験チームが個別に進めていた実験で「STAP細胞は作製できず、いずれの実験も打ち切る」と発表した。
論文は7月に既に撤回されており、STAP細胞の存在は事実上、否定された。小保方氏は理研に退職願を出し、21日付で退職するという。
会見には、小保方氏は参加せず、理研検証実験チームの相沢慎一リーダー、丹羽仁史副リーダーらが出席し、実験の結果を説明した。
相沢氏は冒頭、「STAP現象を再現できなかった。この時点で検証実験を終了する」と述べた。
説明によると、小保方氏の実験は7~11月末に行われ、様々な組織に細胞が変化する「万能性」の目安となる発光現象がごく少数で見られた。しかし、この現象が見られた約1600個の細胞の塊を、マウスの受精卵に入れたが、万能性を確認できる特殊なマウスはできなかった。
また、4月から始まった理研チームの実験でも、似たような現象が認められ、そのうち約240個の塊を受精卵に入れたが、やはり特殊なマウスはできなかった。
理研チームは来年3月まで実験をする予定だったが、相沢氏は、これ以上の実験を続けることについて「検証実験チームの取り組むべき範囲を超える」と説明した。
一方、理研の坪井裕理事は、小保方氏の退職を認めたことについて「小保方氏の心労が重なっていることを考慮した」と話した。小保方氏は論文捏造ねつぞうなどの問題で、理研の懲戒委員会が処分を検討していたが、実験期間中は中断していた。
小保方氏は退職するが、今後の処分について、坪井理事は「理研職員でなくなっても懲戒手続きは再開する。(小保方氏が)どういう処分に相当するかを検討して、発表する」と話した。
2014年12月19日 11時38分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
夫が大腸カメラをする。
三日前から特別な食事になり
前日はうどんかおかゆになるとのこと。
母がした時は
こんなに厳しく言われなかった。
母は当日の検査がやりやすいように
自分で考えて
前日は片栗粉の練ったのや
おかゆを食べていたが
これが正解だったようだ。
夫は職場の集団検診でひっかかかった。
今年中に病院で大腸カメラをするように
指示があったようだ。
大丈夫だと思うが
やはり、検査をしてみないとわからない。
私も病院での再診予約がある。
夫婦そろって病院通いとは
笑える話ではないが
深刻に考えるのも嫌だ。
生きていれば、病気もするし怪我もする。
生まれてきた以上
死ぬまで生きねばならない。
病院のお世話にならずに
一生を終える人も居るだろうが
それはとても幸せなことだと思う。
最近は、医学の進歩で
昔なら亡くなる病気も
治療できるようになった。
有難いことではあるが
それが、現実として高齢化社会を生み出したことになる。
平均寿命が延びたことが
それを物語っている。
さて
喜んでいいものかどうか・・・
寝たきりになっても
生きながらえることが
幸せなことなのかどうか・・・
人それぞれ考え方は違うが
私は、寝たきりで長生きなどしたくない。
最期まで自分のことを自分が出来る状態で
死んでいきたいと願う。
そのためには、病気をしないこと
早めの治療をすることが
必要なのだろう。
というわけで
今日も病院通いの一日だ。
今年の冬が来る前に
気象庁の長期予報では
今年の冬は暖冬だと言っていた。
それは間違いだったのだろうか。
この数日の寒波は異常だ。
北海道の様子を見て本当に驚いた。
生活などできないほどお積雪。
道は車も通行できない状態になっている。
家は雪の重さで屋根が壊れたり
雪おろしは本当に大変だ。
母が生きていた頃
腰痛があったため
重いものはもちろん
腰に負担のあることはできなかった。
その母が
北の雪を見て
「ああ~ここでよかった、あんなに雪が積もるところだったら
雪下ろしもできないしどうしようもない」と
言っていた。
私は年は若いが同じ思いを持った。
だから、
テレビでお年寄りが
今回の雪により、どうしようもないと呟いていたのを聞き
気の毒でたまらなくなった。
同じ日本でも
南北に長い国だから
北海道と沖縄では生活は全く違ってくる。
この雪と寒波の峠は今日だそうだ。
年末からお正月にかけて
少しは暖かくなってほしい。
それにしても
本当に寒い。
背中に貼るカイロを貼り
着る物を重ねて防寒している。
お天気のいい日は
南の窓際が暖かくて
アズキも日向ぼっこをしている。
夏は嫌いな私だが
あまりにも寒い冬も嫌だ。
ああ~早く春が来たら良いのに・・
一年ぶりにピアノの調律をしてもらった。
昨年の12月に
前の家に置いていた
グランドピアノを
今、住んでいる私の亡き両親の家に移してもらった。
リビングが少し狭くなったが
それなりに収まり今に至っている。
私の小さい頃からの夢だったピアノ!
娘が幼稚園生の時
母が買ってくれた
アップライトのピアノが届いた時
もしかしたら
娘より私の方が嬉しかったのかもしれない。
そして、娘が小学四年の時
グランドピアノを買った。
高価なものだったが
私にとって、車と同じように必要なもので
決して無駄遣いしたとは思っていない。
娘に子供が出来たら
私にとって孫にあげようと思っていたからだ。
そして
私自身が小さい頃からの夢だった
ピアノを弾くことが出来るようになったのだから
贅沢どころか
感謝している存在となっている。
調律はグランドピアノは
アップライトピアノより1時間くらい時間がかかる。
昨日は13時から16時までかかった。
アズキはピアノの音色が好きなのか
私が弾く下手なピアノの音も
昨日の調律の音にも吠えなかった。
調律してくれた人が
良い調子です
これならお孫さんにも使えますと太鼓判を押してくれた。
さて、孫が出来て
ピアノをもらってくれればいいけど・・・
グランドピアノは置く場所も広く必要だ。
娘が住んでいる今の家では
置ける部屋はあるが
多分要らないと言うだろう。
もし、娘がもらってくれなかったら
誰か知り合いの人や友人で
ほしいという人に譲ることになるかも?
あくまで私が亡くなってからのことだけど。
折角、良い音になったのだから
毎日少しずつ弾いて行こうと思う。
私の家の近所の道を
私と同年齢の夫婦が
買い物に行く途中でよく歩いている。
それも
ペアの服を着て
手をつないでいる時もあるし
仲良くおしゃべりをしながら歩いている。
きっと
近くのスーパーへ買い物に行っているのだろう。
この夫婦を見るたびに
ちょっと羨ましい気持ちになる。
私たち夫婦が何処かへ出かける時
並んで歩くのはめったにない。
どちらかと言えば
私の方が一歩先を歩いている。
勿論、歩いている時に会話など
めったにしない。
別に喧嘩をしているわけではないが
歩きながら話すネタがないのだ。
車に乗っている時は
見える車窓のことで
私が話しかけることもあるし
なにかを喋ることはある。
まあ、そんな私たちから見たら
この夫婦の姿は羨ましい存在なのだ。
この話を友人にしたら
気持ち悪いと言った人が居た。
本当に夫婦なの?と聞かれた時もある。
不倫相手じゃないの・・・なんて思った人も居たようだ。
そんなことはない。
れっきとした夫婦だ。
人は人、私は私と思っているから
同じように私たちが
手をつないで歩くことはありえない。
色んな夫婦のあり方がある。
私たち夫婦の一番の円満のコツは
お互いに干渉しないことなのだろう。
前にどこかで聞いたことがある。
「期待しない、干渉しない」
後一つあったなあ・・
確かに、期待すると裏切られる
干渉すると嫌われる。
わずらわしいことにならないためには
お互いに空気のような存在になるのが良いのだろう。
後何年生きるかわからない。
同じ生きるなら気楽に生きたい。
そんなことを思っている私。
夫の病気療養の休職期間が延びた。
正直言って色々悩む。
まあ、自分のストレスをため込まないように
適当に気晴らしをして
お互いの健康を留意し
何とかすごしていこうと思っている。
自民党が圧勝した。
自公で三分の二以上の議席を取った。
これで、参議院で否決されても
衆議院で再可決できる。
憲法改正への道も開くことが出来る。
だから結果的には良かったのだろうし
予想していた結果でもある。
しかし
これで本当にいいのだろうか。
内閣改造はしないとのこと。
安倍さんの周辺には反安倍は居ないのだろうか。
消費税値上げだけみても
安倍さん自身はしたくなかったとして
周りが増税派だったら
安倍さんへの風あたりは強かったと思う。
次の選挙までは二年ある。
その二年の間に
安倍さんの思うような人事と政策が行われ
日本がまともな道を歩むことを願う。
それにしても
次世代の党は惨敗だ。
平沼先生と園田氏が当選しただけ。
西村先生も、田母神さんも
中田宏さんも、三宅博さんも
中山成彬さんも皆落選した。
本当に悔しい。
涙が出て来る。
西村先生や田母神さんは
まさに特攻隊なのだ。
自分のことを考えず公のことに命を捧げる、
誰にでもできることではない。
どうか、先生にご加護を!
私はこれからも西村眞悟先生を支持し応援し続ける。
今日は衆議院選挙日だ。
安倍さんの政策がどうだったか?
主にアベノミクスの審判の選挙などと言われるが
私としては
経済だけではなく
国を守ることや
拉致被害者の救出についても
安倍さんがどのような政策を取って来たかを
国民が審判するべきだと思う。
自民党が圧勝だとマスコミは報道している。
このことを一番先に報道したのは
あの朝日新聞だ。
その裏には
安倍つぶしがあるに違いない。
自民党が単独で過半数を取る
三分の二以上を取るなんて
根拠があるのかどうかわからないが
そう報じることによって
半ば投票先を迷っている人は
じゃあ自民党に入れなくても良いと思うだろう。
それが狙いなのだと思う。
私は期日前投票をしてきた。
いつもなら安倍さんを支持し
自民党に一票を投じるのだが
今回は自民党には投票しなかった。
次世代の党にした。
それは
私が尊敬して止まない
西村眞悟先生が次世代の党の公認を受け
出馬されたからだ。
悲しいかな、私は先生に一票を入れることが出来ない。
でも、次世代の党が少しでも
多くの人たちに支持されることを願っている。
棄権は止めよう。
今日はとても寒い。
南のこちらでも雪が降るところがある。
寒いのに投票場へ行きたくないと思う人も
居るだろうが
自分にとっての権利を放棄するのは
損だ。
今晩から明日にかけて
結果がわかると思うが
日本の未来、日本の将来にとって
重要な選挙だ。
楽しみでもあり不安もある。
昨日、本当に久しぶりに美容院へ行き
カットしてもらった。
10月に体調不良となって以来
横の髪が長くなったのを
前髪と共に自分でカットしていた。
それなりに変ではなかったが
やはり、昨日プロにカットしてもらって
さっぱりした。
私が自分でカットしたので
先生も苦労したみたい。
横の髪の長さに合わせて
前下がりのボブにしてもらおうと思ったが
横が短いので
あまり長さの違いはない。
それでも、本当にすっきりした。
冬場はタートルセーターを着るので
短めがちょうど良い。
夏場は日焼けもあるから
襟足を伸ばして少し長いのも良いが
それでも、私に一番似合う髪型は
やはり四年前から同じスタイルの
前下がりのボブカットみたいだ。
帰りに500円のランチパスポートを使って
バイキングの昼食を食べ
エミフルによってぶらぶらした。
一昨日灯油缶の入れ替えをしたため
腰痛が復活してしまった。
痛み止めを飲んでいるから
前のような激痛ではないものの
朝、起きる時が一番痛い。
この腰痛の原因は結局不明のままだが
ストレスが原因だと医者に言われても
納得しかねる。
なんでも原因不明の病気を
ストレスによるものと診断するのも
如何なものかと思う。
まあ、ひどくならないよう
痛み止めを飲んだり
無理をしないようにして
何とか年末・年始を迎えたい。
カットしたことで
私の心も少しだけすっきりしたし
見かけも良くなった。
やはり、
人はみかけも大事だということだ。
髪型、化粧、服装には
これからも気をつけていきたいと思う。
今年は「かんたん年賀状」を使わずに
絵手紙年賀状にしたが
夫がどうしようと悩んでいたので
今年もPCですぐにできる
「かんたん年賀状」を買って来た。
これを見ているととても楽しい。
フォーマルのもあるが
子供向けの年賀状は
とても可愛いし
私のような年齢のものでも
作ってみたいなあと思うものがたくさんある。
毎年買っていたのは
絵手紙年賀状の書けない時だけではなく
母が生きていた頃
母のために何かないかと探して
求めて使ってみたら
とても便利で簡単だったので
その後も昨年まで買って使っていた。
友人の年賀状もそれで作ってあげた。
義母にはフォーマルの中から
色合いも絵柄もとても上品なものがあったので
これにしたら?と夫に伝えた。
この本の値段も398円ととても安価だ。
何よりインストールする必要がなく
CDを入れるだけでできるのが良い。
ある別の本にはプリンターがなくても
ネットで注文すれば
その本で選んだものを作成できると書いていた。
郵便局の年賀状の絵柄は
キティちゃんのは可愛かったが
後は今ひとつだった。
そして、文字が何も書かれていないので
それなら、この「かんたん年賀状」の方が便利で良い。
きっと需要は増えるだろうな・・・
私は結局絵手紙年賀状も入れて90枚になった。
県外、市内、県内と分別して
あとは15日に投函するだけになった。
今年は書けないと思った年賀状も
こうして投函を残すだけになってほっとしている。
12月も10日を過ぎると
街中ではクリスマスは別にして
お正月に向けて何となく慌ただしくなる。
15日には年賀状の受付が始まる。
来年の干支は未
年賀状の絵柄も可愛いものが多い。
私も体調不良だったから
年賀状は失礼しようかとも思った。
でも、一日机に向かって絵手紙を10枚描いた。
まあまあの出来だった。
それを郵便はがきに印刷して
絵手紙を出す人以外の人にはごめんなさいを言うつもりだ。
先月からぼつぼつ喪中のハガキが届いている。
すでに、年賀状を書いた人からも
喪中ハガキが届いた。
喪中のハガキは相手が年賀状を失礼するということで
こちらが出すのは良いと聞いた。
だから、
喪中のハガキが届く前に書いた年賀状を
添え書きにお悔やみの言葉を追加して
出すことに決めた。
昨年は相当の枚数を書いた。
でも、今年は80枚以内でおさめることにした。
私が出したから
仕方なく返事をくれた人もいるはずだ。
元旦に届く人にはもちろん出すが
10日を過ぎて返事が来た人には
今年から出すのを止めた。
6日頃に届いた人も
何となく仕方ないから出したという雰囲気の人には
書くのを止めた。
だから、80枚で十分となった。
私は宛先は手書きにしている。
パソコンで書けばきれいな文字にはなるが
下手でも自筆するのが
せめてもの気持ちだと思っているので
今年も80枚の宛先は手書きにして
添え書きも一人ひとり言葉を変えて書いた。
年賀状だけのおつきあいの人も居る。
毎年これでやめようと思いながら
一年に一度の挨拶でも
細々続いている人を大事にしようと思って
今年も書いた。
15日の受付が始まったら
郵便局へ投函しに行こうと思う。
この前日記を書いてから一か月が経っていた。
日が経つ速さを実感している。
腰痛から歩けなくなって二か月、
朝、痛み止めの薬は飲んでいるものの
ほぼ元のように元気になった。
結局腰痛も体調不良も
原因不明。
この二か月の間に
病院でいろいろ調べてもらった。
子宮頸がんの検査の結果
前癌状態であると診断されたが
今のところは癌にはなっていない。
3か月か4か月に一度
検査を続けていくことになった。
今年もあと20日を残すところとなった。
気持ちの上では
大掃除や裏の庭の雑草取りも
二階の片づけも
色々しないといけないと思うのだが
無理をしてまた前のような状態になるのが嫌で
私にしては珍しくサボっている。
それに
現在、夫が休職中で
健康管理や食事のことをしないといけない。
気持ちばかりが焦るが
この際目をつぶろう。
なんて思いながらも
日々やることはやっているのだから
私としてはこれで良しとしないとね。
でないと
私まで押しつぶされてしまいそう。
今の私のストレス解消は
食べること?
たまに気分転換で外食すること?
だから、36キロ台まで落ちていた体重が
3キロも増えてる。
しんどさも大分減った。
人間は食べることがまず一番!
なんて勝手なことを言っている。
今日も一日無事に過ぎますように。
スカーレット
|