嘆息の記録



親友が死んだ

2003年01月19日(日)

死んでしまった
ずるい。

死ぬのは悪で無い。
別に、選択肢の一つ。

残された人たちにかかる課題。

おれは、それをどう乗り越えよう。

この日記を書き続けることが
彼の記憶を残すことになるのかもしれない。

丁度今がターニングポイントかもしれない。

死因は今のところ、自殺。

詳しくは明日書くというかわかる。

今は、いろんな事考えています。

思い出や、生命の存在とか
精神体の意味とか俺の為すべきことや

今は整理が付きません。

どうしても怒りが収まりません。
ずるすぎる。


死んだ人に言うのは意味無いけど
一言も多分残してくれてないだろうなあ

俺は、死んだ意味がわかるよ。

でも、他人だから100%じゃない。
彼の嫁さんよりもわかるよ。
でも、他人だから。
あいつなりに答えが出たんじゃないかな。

もう、居ないあいつ。

普遍的無意識が存在するなら
俺は、あいつと会える。
そう信じる。
また、
今度会おう。
時間は意味を成さないはず。
俺が年をとっても、あいつも俺もそのときのまま会えるよ。

この記憶と記録に感謝。
そしてこの業に・・・・・・・・・・・・。

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