調べ物をしていたら 「マリアの奇跡」 というものを見つけて 覗いてみる事にした
ポルトガルやフランスでは 牧童や修道女に 奇跡が起こっている そこには教会が建てられ 祈りを捧げたいという信者で 各国から客人が絶えない
どのような奇跡だったのだろうと 読みすすめてみると ひかりのようなものの中に マリアの姿が現われて 語りかけたという
第一次世界大戦の終結の預言 第二次世界大戦勃発 を言い当て これから起こる人類滅亡の預言もしたという
・・・読むうちに 暗い気分になってしまった
「とにかく教えのとおりに祈りなさい 祈れば人類が救われる」 と聞こえたらしい 同じ内容の奇跡が 秋田にもある
その奇跡の預言を信じる者の多いこと・・・・ そして日々 彼らは祈りつづけている 宗教を持つ人の少ない日本も 大半がもうじき宗教を持ち 人類のために祈り始める とあった
アダムとイブが罪を犯してから 人類は生まれながらに罪を負っているという 原罪・・・・ カトリックを信仰し 原罪の許しを請うために祈り 奇跡の預言を心に止めて 地球と人類に 危機感を感じている人たち
今の自分の生活と 自分の周囲の人たちとは 内容がかけ離れているため 今 この手の話が なかなか理解できなくなっている 日々の生活に追われている私にとって 腹立たしいほど ・・・・人事だ 内容が心に感じてこない 人と宗教との出逢いは 難しいと思った 今の私が 地球は大丈夫なのか・・・ 人類はこれで良いのかと 日々なやんでいる時に この文章に出逢ったら おそらく感動し 軌跡が起こった場所に立ちたい 祈りを捧げたい・・・・ 明日にでもフランスに行きたいと騒ぐだろう
満たされている時 満腹の時は 見たものを感じとりにくく 求めている空腹の時には どれも吸収しようとするのだろうか ・・・・都合のいい心
「あの時に何も思わなかったのに 今日はすごく大切に思える」 といういうことがある
「あの時はあれほど夢中だったのに 今は全然 感心が無い」 ということもある 私の生活の中には こういうことが頻繁に起こる 続けていく精神力 信じる力の乏しさ
常に祈る事をすすめる教え・・・ 生涯祈りつづける人たち・・・ 宗教 信仰の「力」を感じさせられる 心に根付いた力 体中に染み込んだ信仰・・・ 彼らの物の見方 感じ方 考え方 生活観に関心が湧いた 理解してみたいと思った
ロザリオの祈り
めでたし清寵 満ちみてるマリア 主は 御身と共にまします
御身は御女の内にて祝せられ
御体内の御子 イエズスも祝せられたもう
天主の御母 聖マリア 罪人なる我等のために
今も 臨終の時も 祈りたまえ
アーメン
難しい言葉・・・・・ この祈りは カトリックの世界共通の祈り とにかくこれを唱えるようにとのお告げだったらしい 聖書も祈りも 現代語に訳されていく わかりやすく変わりつつある この祈りも変わるだろう 「めっちゃ祈っちゃう」 日も・・・近いのかも・・・
祈り
自分が幸せである事を
恵まれているという事を
取り去ってください
満たされた心では
見え無いものや
気付け無いことが
多すぎるのです
私を不幸にしてください
私から奪ってください
苦しみを与えてください
心痛める者 孤独な者 なやめる者を
理解できるように
心が添えるように・・・
このような私でも
力になりたいのです
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