ミドルエイジのビジネスマン
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土曜日に不動産のセミナーに参加した。有料だったので、どうしようか迷ったが、その道では有名な人たちが集まるというので、出掛けてみた。驚いたことに参加者の人数は1,100人だそうだ。千人というのは、既に参加者と呼ぶより、聴衆と言うにふさわしいレベルだ。しかも、年齢が若い。聴衆の中心的なプロフィールは中年のおじさんや大きな指輪をはめたおばさんではなく、おそらく平均年齢は30から35歳くらいの普通の会社員だろう。30歳代でアパートやマンションを持とうという人が千人も集まるなんて、世の中どうにかなってしまったのではなかろうかと、頭がクラクラする思いだった。
もう一つ特徴的なのは、ステージに登場した人たちが、善意に溢れていることだ。不動産の世界は商品の個別性が強く、また、様々な専門家や先達に頼ることも多いので、成功するには人間性を信用してもらったり、熱意を買ってもらうことのできる人柄が強みとなるのであろう。
ただ、こんなことも思った。日本においては、企業内の暗黙の掟や上司の言うことを信頼していれば、人生の道を踏み外すことなど、ほとんど考えなくても良い時代が終わってしまった。精神的な不安定さが常態化してしまったので、逆に独立した人格として人を安心させることのできる暖かい人間性が商取引の世界でも、より重要になってきているのかもしれない。そうして、あの人は信頼できるというクチコミがクチコミを呼び、善意の人達が集まっているネットワーク集団が形成されるのだろう。ちょうど、レストランや居酒屋をネットで調べ、何人かのクチコミ情報を見れば、一度も行ったことのないレストランでも自分にとって良い店かどうか、ほぼ誤りなくできるように、必要であれば、人物の評価についてもかなり公正に下されるようになってきているのではあるまいか。
最近、自分が心の有りようについての本を読むことが多く、自然栽培などの情報に関心が向いているのは、なぜだろうかと思う。もしかしたら、自分だけではなく、世の中の多くの人が、ごまかすことの出来ない善意を持つ人格の人物や、あるいは商品でも、作ったり取扱ったりしている人の人柄の表れたものを欲するようになってきているのではないだろうか。そうして、人柄や、商品に込められた情熱、広めたいという熱意や自信がネット上の情報で集められるようになってきているのではないだろうか。
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