脳内世界

私が捉えた真実、感じた真実などを綴った処です。
時に似非自然科学風味に、時にソフト哲学風味に。
その時その瞬間、私の中で、それは真実でした。


※下の方の○年○月っていうのをクリックすると、ひと月ぶんはまとめ読みする事ができます



 迷惑メール

『突然のメールで申し訳ないと思っています。貴方が既婚者でも彼女がいてもかまいません!
よろしければお相手をして頂けませんでしょうか?』


私が女でもかまわないのだろうか。

2004年07月29日(木)



 嘘NEWS

デジタルプレーヤー「iPoodミニマム」日本上陸

 米国で熱狂的人気を博した米アップルコンピュータのデジタル携帯音楽「iPoodミニマム」が24日午前、日本でも発売開始となった。同社直営店では前日夜8時半から徹夜の人を含め、午前10時の開店時に約1500人が並んだ。

 iPoodミニマムは米を模した形のおよそ米粒大で重さもほとんど感じさせない。同種の携帯型プレーヤーとしては世界最小を誇る。
内臓する小型ハードディスク駆動装置(HDD)に、パソコンの赤外線ツールを使って約15000曲を録音でき、簡単に持ち歩いて音楽を楽しめる。愛らしさのある丸みをもったフォルムや押し加減だけで扱える操作の新しい仕方も魅力だ。

 アップルは「MDやCDが中心だった携帯プレーヤーのスタイルに新風を巻き起こす」と意気込む。
その試みはどうやら成功しているようだ。

 銀座で朝五時半から並んだ北海道札幌市の中学2年生の女子(14)は、一緒に来た母親に7色あるうちの白の一台を買ってもらうと「小さくてかわいい。ふとすると何処にいったかわからなくなるような可愛さがいい」と喜んだ。

 大手家電量販店・ビックカメラでは、初回入荷分は事前予約で売り切れとなり、予約なしで来店した客は、商品がないことに憤慨して刃物を振り回すほどの盛況。IT(情報技術)関連の新製品上陸としては、01年の米マイクロソフトの基本ソフト「ウィンドウズ変えてみた」日本語版の発売時以来の熱気、という。


*****
滑稽なほど人気ですね、iPod。

2004年07月24日(土)



 「いのちの重み」を読んで④

 最後に「人工授精」について、少し。
とある国で人工授精として生まれた女の子がいた。
母親が企業を通じて望むタイプの男性の精子を貰いうけ、自らの卵子と人工授精させて生んだ子供だ。
その企業の決まりとして、精子を提供する男性の素性は明かされないようになっていた。
つまり子供は、自分の本当の父親が誰だかわからないということなのだ。
調べようとしても、真っ向から臨むのは無理。
 その女の子はやがて成長してその事実を知らされ、それでも今の母と二人きりの生活に不満や不自由は感じていなかったが、ただ一つだけどうしても気になることがあった。
「自分はどこからきたのか」ということだ。
普通父と母がいればおそらく疑いもしなかったであろう、自分の遺伝子のルーツだ。
 「自分が何者か」というのを知りたい一心で、壮年になっても自分の(顔も名前も知らぬ)父親を探し続ける男性もいた。

 何だかそれって、哀しくないだろうか。自分の存在のルーツを知りたいという切実な渇望、どうして自分の親が誰だか判らないなんていうことが在らねばならないのだろう。精子や卵子を提供する側も、もしかしたら自分の子と会うのを望んでいるかもしれないが、それさえも絶たれることだってあるのだ。どうして自分の親を自分で調べなくちゃいけないのだ。何が哀しくて。


 どんどん進歩する技術に、私達のこころは悲鳴を上げているように思えた。



******
課題で提出した感想文をそのままネタにしたりしてごめんなさい。
まるでこの「脳内世界」がゴミ箱のようになってきている・・・

2004年07月23日(金)



 「いのちの重み」を読んで③

 だがDesigned childのことを知ったとき、子供を持っているわけでもない私が憤ってしまった一番の理由は、少し別にあった。
 生まれてくる生命のプログラムをあらかじめ操作しようというその事実だ。その考えだ。
 都合の悪いものを排除して、後々に更なる問題が浮上しなかったことがあるだろうか?帰化動物や帰化植物という言葉はいったい何故生まれたのか。
 
 遺伝子の塩基配列はそれそのものが一つの完成された存在だと思っている。
 「エラー」や「配列ミス」が生じているとされるのは、それは「我々が知っている枠から外れている少数派」だからそうとしているだけではないのか。
 「障害を起こす」とされている塩基配列は少なくともエラーではないと思っている。あれは、理由があってそういう配列なのだと思っている。でなければ、本当にエラーなのであれば胚の段階で死亡している筈である。
 
 そもそも遺伝子にとって、生命にとって、種にとっての「エラー」とは何か?「障害」とは何か?その少し違った塩基配列の持ち主は、もしかしたらある種の病気に非常に強い抵抗力を持つかもしれない。特異的な力を秘めているかもしれない。それは一体何を意味するのか。種が生存していくための模索中の現われ、永遠の試行錯誤なのではないのか。必死に変わっていこうとする塩基配列を、手前で全部古い、同じ型の配列に「戻す」ことがはたして本当に我々のためになるというのだろうか。
 私達は一体何を知っている?何を知らないのか、ということすらも知らないのではないのか。
 私達の生命のプログラムに秘められた方向性や本当の意味もわからず可能性を排除しようとするのは、後退しているように思う。そうして邪魔なものを排除して私達は、一体何を目指すというのか。「必要ないもの」と切り捨てられたあとに残ったもので、本当にやっていけると思っているのだろうか。
 その背後にあるもののもっと大きなものの意図を理解したい。

 それに本当に問題なのは、「障害を起こす塩基配列」なのではなく、「ひとたび障害を持てば生きにくいこの社会」なのではないかと思う。これから生まれてくるものたちのことをどうにかしようと思うのなら、どうして今生きている人たちのことも考えないのだろうか。


2004年07月22日(木)



 「いのちの重み」を読んで②

 第五章「誕生を待ち望む」に出てきた人工授精の話。
私も、前々から気になっていた話題だった。
あらかじめ生まれてくる存在の塩基配列やその並びの逸脱がわかる、という技術の進歩には驚いた。
 そこから更に「あらかじめこの障害を起こさないように」と中絶の道を選んだり、果てはその遺伝子を操作することによって将来的には障害や特定の病気になる可能性の排除、更には性別だって操作できるようになるという、いわゆる「designed child(designed babyだったかどっちだったか記憶が定かでないが)」を産めるようになるだろうという話まであったりする。
 それを最初に聞いた当時高校生の私は、「な、なんだそれ・・・!!」と憤りを覚えてしまった覚えがある。

 この本の著者は「生まれてくるものの立場に立って考えてみてください」と言っている。それも最もだ。
 生まれてくる存在は、誰のものでもないのだ。自分が生むからといって自分のものではないし、自分の子供だからって好きなように扱っていい存在でもない。
 「私の子なんだから私がどうしようと勝手でしょ」とか、そういう考えは何処かおかしいと思う。「あなたの子だけれどもあなたの所有物ではない」と思う。
 私達はこの地球に生きていて、その存在は何者にも侵され得ない存在のように思う。
 私達は生まれては生き、死んでいく過程でこの世界をバトンにしてリレーしているのだ。そのためにどんどん次の世代が生まれてくる。いや、次の子孫が「授けられてくる」。そして私達はその子孫に、なるだけいい状態の「世界」を渡してそうして色んな「いのち」をつなげていくのだ。この「世界」すら、私達のものではないのではなかろうか。
 私達は通過者だ。そんな私達は通過していく過程で色んなものを「授けられ」ては「次に伝えて」いく。それが何を目指しているのかわからないが、それが私達の営みの一部であることは間違いない。
 DNAの二重螺旋のように連なっていくこのつながりは、私が思うにDNAが生命の設計図であるという重大な意味を持つのと同じくらい何かとてつもなく大きなもののためにあるような気がしてならない。
 そして廻っていく色々な存在やいのちが、どれだけ価値のあるものなのか、そしてそれらを伝えていく意味や重要性を、私達はもっと考えたほうがいいように思う。


2004年07月21日(水)



 「いのちの重み」を読んで①

「科学は前進するが、人間は変わらない」というベルナールの言葉がある。医療も科学と同じように、技術はどんどん進歩していくけれど私達人間は変わらない、いや本質が変わらないから表面の言動が変わってくると「なんかおかしい」と思えるのだろう。我々が人間だという紛れもない事実は、変わらない。変わらないからこそ、離れていく医療にあわせようとする姿が異様に映る。
 科学と哲学がお互いに離れていっているのは前々から思っていたが、医療と哲学も離れていっている、と書かれていて今更ながらなるほどと思ってしまった。科学は問題が詳しくわかってくるにつれて分野が細分化し難しくなっていき、本来「何故在るのか」と存在の極限にまで論じる哲学的な部分が「どう在るのか」という現象を明らかにする部分のみになってきてしまったように思う。両者はもともと一つであったろうに、両面から論じられるべきであったろうに、いつのまにやら科学が一人歩きをしはじめたのだ。医療も、どうやら一人歩きをはじめたようだ。

2004年07月20日(火)



 「テレビ」⇒「自閉症」??


『テレビを見せたせいで自閉症になったのでは』と悩む親が多い。
と、書かれてある記事を見たが(因果関係は「不明」とされている)、どうしてテレビのせいにするんだろう・・?と思う。
何故テレビが悪いのだろう。情報の伝達が一方的だからなんだろうか。
だが赤ちゃんをあやしはじめる親たちのコミュニケーションだって、ある意味一方的に見えはしないか。
一つの「外部からの刺激」と受け止めるにとどめないのは、どうしてか。

「テレビを見たから」言葉が遅れたとか、「テレビを見ていたから」自閉症になったとか。
じゃあ、親のほうはどれだけ子供にはたらきかけようとしていたんだろう。
一緒にテレビを見てそれについて色々お話するなりしてみればいいじゃないか。
どうして子供の視点に立とうとしないんだろう。
何故子供が長時間テレビを見るという事態に陥ってしまったんだろうか。
テレビがあったってなくたって、それだけある意味放置しているという事実の方が問題じゃないのか。

それにテレビには色んな情報が詰まっている。
それを育児やお話のネタに使わなくて、どうするよ。
「科学は前進するが、人間は変わらない」っていうベルナールの言葉をこないだ見つけたばっかりだけど。
ここまでその言葉を具体的に再現しなくっても。





排除するのではなく、こやしにする方法を。





ものごとをよく知らずにずけずけ云ってる自分がどうしようもなく愚かに見えるときもあるけれど、
これは思考の結末ではなく、まだ経過途中なので。
また新たな情報によって考え直すことがあるかもしれない。


2004年07月19日(月)



 大好き(20題/12)

今日も20のお題ネタです。番号順にはいかないのであしからず。



12 「大好き」

人と人との間の気持ちとはふしぎなもので

一方が「やだなこいつ」と思うともう一方も「やだなこいつ」と思うように、

よく なる。

だから一方が「こいつ大好き」とか思えばもう一方もけっこう「なんだこいついい奴」

とか 思ってたりする。

だからちょっと考えてみた。



人から嫌われたり いがみあったりするの やだな

と 思うんだったら

こっちから先に好きになればいいんだ と。

プラスが生むのはプラスの相乗効果で

マイナスは更にマイナスを引き起こす

じゃあ取り敢えずこっちはプラスの札を出そう。

いいところを見つけていこう。

そうして相手を尊重できるようになると

なかなかどうして 

ここちよくお互い 話せるのである。



もう こいつ大好き

いいやつじゃん



20のお題詰め合わせ




ところでここによく来られる方がいらっしゃいますよね。どなただかわからないけど、ありがとうございます。なんだか嬉しいな。最初は解析の表示ミスとかかなぁと思ってたんですが、ちゃんと生身の方が来られてるんですよね。もう きみ大好き(笑)
きもくてごめんなさい


2004年07月18日(日)



 おひさま(20題/01)

○○のお題というのがある。
私も世間の流れに乗じて、20のお題というのをやらせてもらおうと思った。
この文章たちに後々背景をつけて「日がな一日。」の散文ページにでも置こうかなと思う。

というわけでお題。

******************

01 「おひさま」


私がちいさかったころ

大好きなものがいっぱいあった。

お母さんがしてくれたたくさんの事たちだ。

おおきなプリン

あかるい部屋

公園にあるようなおおきなすべりだいとブランコ

あらいたてのパジャマ

ふわふわしたベビーパウダー

いつでもあったお菓子

いつでも振り向けばそこにいたお母さん

「○○ちゃん」っていうお母さんの呼び声

抱きとめてくれた手

干したてのおふとんの

おひさまのにおい


それはあったかくて ふわふわして

おかあさんみたいだった



わたしが子供を育てるようになったときも

わたしが大好きだったものたちで

その子の周りを包んであげたい


そうして

おひさまのように

あたたかくて大好きなものを

いつまでも憶えていてほしい



おひさまのように

やさしい子であれ

おひさまのあたたかさを

忘れない子であれ


******************


20のお題詰め合わせ

2004年07月17日(土)



 

理解してくれ
とは いわないから
ただ否定しないでほしい



2004年07月15日(木)



 

ものごとの線引きって
いつもマイノリティ側
疎外感を感じているほうがしてしまうよね



「子ども扱いしないでよ!!」
そういう自分が一番自分を子ども扱いしたりして。

2004年07月04日(日)



 やっぱり仲間はずれ

ピアノはピアニスト。
フルートはフルーティスト。
バイオリンはバイオリニスト。
ビオラはビオリスト。
チェロはチェリスト。
ではコントラバスは?
コントラバスィスト?嘘だあ。
仲間はずれじゃん、コンバスだけ無いなんて。




あっ、わかった、ベーシストだ。






やっぱり仲間はずれ

2004年07月03日(土)



 初めての

はじめての受け持ち患者コミュニケーション実習


たった三日間だった。



本当は、「もう大丈夫や」いうて退院するまで、ちゃんと歩けるようになるまで一緒に頑張りたかったなぁ。
なんか、感情移入しすぎていかんなぁ・・涙が止まらん。
たった三日間だけなんて、短すぎだよ。
せめて、あの患者さんが一人で歩けるようになるまで一緒にいたかった。普通にずっと座ってられるようになるまで一緒にいたかった。
そして、達成できたときに一緒に喜びたかったなぁ。
共有した目標を、最後まで一緒に共有していたかった。

お見舞いとか、行ったらあかんのかなぁ。
ああ、でも今はしんどいからお見舞い断ってたんだっけ。

せっかく笑顔見せて色々話してくれるようになったのに。
毎日30分でもいいから、来て話したい。

なんだろなぁ、自分、おじいちゃんとかおばあちゃんとかとそんなに関わりなかったから、余計に色々話したい。

明日はもう、お別れだ。
さみしい。大学生にもなって、こんな幼いこと云うのもなんだけど、
―――さみしい。


こんなに頑張って患者さんのこと色々考えて、思ってみれば身内以外の誰か一人のためのことをこんなに思ったことってなかったかもしれない。だから余計に、お別れが辛い。辛いと思ってるのは私だけで、勝手に私が盛り上がってるだけかもしれないけど、つらい。

73まで自転車乗ってた83歳のおばあちゃん。今日やっと痰も自分でちょっと出せるようになったね。
歩行訓練でも、昨日よりたくさん歩けたね。もうちょっと歩けたら、トイレまで行けるよ。息のあがるのも少し遅くなったね。
歩いている間の表情も、ずっと軽やかだった。
今日は尿道カテーテルも抜けて、行ってみるとドレーンも抜けてたね。横向きやすくなったよね。
ポータブルで排尿をしてみたよね。がんばってる。その後少し座ったよね。ずっと座りたかったもんね。
まだちょっとお腹のつっぱりが残って痛いけど、昨日よりはましになったって云ってたね。
上までずり上がる早さも、昨日より少し早くなってたね。でもちょっと頑張りすぎて、お腹がまた痛み出してたね。左のお腹はそうでもないけど、右とか右上のお腹のあたりが痛くてよく手をおいてたね。
「よくならんと困る」早く退院したくて、早く元通りになりたくて、歩けるように色々してたよね。
それを最後まで見届けたかった。一緒に最後までいたかった。




「学生がほんとに頑張ってるんですよ。私だけ抜けるわけにはいかない」と、他の先生からの専攻での何かの誘いを断る先生にも、涙が出た。

2004年07月02日(金)
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