2004年06月30日(水)  よし、越そう。
 
このままでは今年の夏も引越しせずに終わってしまうなぁ。と、天井を眺めながら考えていた休日の朝。引越ししたい理由としたくない理由をいくつか考え、引き算をして答えを割り出そう。なんだかよくわからないけどポイント制で。
 
引越ししたい理由
・職場まで40分と、微妙に遠い(8pt)
・スタジオ(新宿)まで1時間と、なんだか遠い(5pt)
・駅まで徒歩10分。雨の日にタクシーで帰るとタクシーのおじちゃんが嫌な顔をする距離(3pt)
・池袋で飲んで帰ると面倒臭い。電車の中で吐きたくなる(4pt)
・ライター関係の仕事はなぜか新宿が多い(4pt)
・満員電車嫌い(7pt)
・池袋で「私、今日帰りたくなーい」なんて言われても、うちに連れて行くまで50分かかる(10pt)
・しかも駅からうちまで徒歩10分(3pt)
・酔ったカップルということと、たかが徒歩10分という距離に、タクシーのおじちゃんが嫌な顔をする(3pt)
・電車が臭い(8pt)
・隣に座ってる酔っ払いも臭い(7pt)
・駅の階段でパンツ丸出しで階段を登る女子高生の貞操観念の喪失さ加減に愕然(12pt)
・夜勤明けで電車に乗ると決まって深い眠りに就いてしまい、起きると埼玉の奥地で降ろされたこと数回(9pt)
 
引越ししたくない理由
・家賃の割に建物がキレイ(‐7pt)
・隣に住んでる留学生の女の子がなんだか心配(‐8pt)
・BOAに似てるから(‐10pt)
・時々ご飯作ってくれるから(‐15pt)
・だいいち雷が鳴る日はどうするんだ(‐3pt)
・隣の子は誰の部屋に避難するんだ(‐4pt)
・ただ引越し作業が面倒臭い(‐10pt)
・この一年間で、不要な物ばかり増えている(‐5pt)
・近所の美容院のお姉さんがキレイ(‐4pt)
・近所のクリーニング屋が安い(‐2pt)
・この前備え付けの冷蔵庫新品に替えてもらったばっかりなのに(‐4pt)
・ビールもギンギンに冷えてるのに(‐6pt)
・だいいち隣の子のレポート誰が手伝ってあげるんだ(‐9pt)
 
と、おおむね引越さない理由は隣の子が心配なのであって、僕が過剰に心配しているのかもしれないけど、心配すればするだけ僕の彼女も心配してしまうので、中途半端な優しさなど捨ててしまって、まずはポイントを整理してみよう。
 
引越ししたい理由(88pt)-引越ししたくない理由(87pt)
 
わずか1ptの差で僕は引越ししたいと判明。無理矢理引越ししたいという気持ちに誘導するこの茶番劇。明日、不動産屋に行こう。善は急げ。中途半端な優しさが覚醒する前に。
 
2004年06月29日(火)  マリオ・アンド・ルイージ。
 
どうしても思い出せない。二人して困っている。
 
先日、友人と電話で会話している折、
 
「ほら、アレなんだよね、アレ」
「うん。アレでしょ。なんていうんだっけ」
「アレだよ。ほら、キャッチアンドリリース?」
「違うよー。似たような感じだけど違う」
「じゃあアレだ。ケースバイケース?」
「あー。ちょっと離れた気がする」
「ミッションインポッシブル?」
「なんかバカになってきた」
 
思い出せない。僕たちは会話の中で、モノを与えて、その恩恵がいずれ自分に返ってくるという内容のことを話していた。それを英語で、ナントカと言うんだけど、キャッチ・アンド・リリースみたく、ケース・バイ・ケースみたく。それが思い出せない。
 
「じゃあアレだ。キャッチアンドリリース?」
「それさっき言ったじゃない。もー。私答えが出かかっていたのに忘れちゃったじゃない」
「どのあたりまで?」
「えっと、みぞおち?」
「微妙に遠いね。じゃあいいよ。キャッチアンドリリースにしようよ」
「私はアナタみたいに妥協ばかりする人生は送りたくないのよ」
「人生を持ちださないでくれよ」
「じゃあもっと真剣に考えてよ」
「キミと僕のこと?」
「バカ。キャッチアンドリリースじゃない言葉のことよ」
「ミッションインポッシブル?」
「もう嫌い」
 
と、僕だって考えているのだけど、どう頭を捻っても出てこないので、多分、言葉の神様が、この言葉は不適切だというような理由で、世の人々の記憶からこの言葉を取ってしまったのかもしれない。僕たちは今、神によって失われた言葉を再び手中に収めようとしている。
 
「キャッチアンドポッシブル?」
「もうホントにアナタのこと嫌い」
「ゴメン。僕も苦しんでるんだ。こういう時はおどけて見せるしかないんだ」
「また道化? もうそういう言葉使うのやめてよ。太宰治?」
「その、なんていうんだろ。お互い様っていうような意味なんだよね」
「でもさ、こうやって文章書いてる人って答えがわかってて、その答えに向かって文章書くわけでしょ」
「そうだね。起承転結ってやつね」
「で、アナタは現に私達の会話をこうやって日記に書いてるわけだけど、答え知ってるの?」
「いや、本当にわからない」
「じゃあ駄目じゃん」
「どうして? 僕が駄目ならキミが考えればいいじゃないか」
「だから、私の会話はアナタが書いた文章でしょ」
「そっか」
「そうよ」
 
休憩。
 
「マルイ・イン・ザ・ルーム?」
「そうよ! それよ!」
「そうか?」
「キミが居て私帰る」
「ばいばい」
「さよなら」
「ご飯どうする?」
「たまには私が作ろっか」
「おぉ。ありがとう」
「それじゃあ買い物行ってくるから後でお金ちょうだい」
「あなたがお金出して私が作る」
「ギブアンドテイクってやつね」
「あ」
「あ」
 
2004年06月28日(月)  彼氏の自慢。
 
というわけでなぜか女性客しか存在しない。レディースルームというものなどあるはずないと思う傍ら、そう断定できる確固たる理由もない僕は、挙動不審のまま、こんな時に限って、アイスコーヒーとマンゴープリンなんて買ってるものだから、マンゴープリン、あの人男なのに堂々とレディースルームに入ってきてのうのうとマンゴープリン食べてるわよ。格好悪い。私平日の昼間からレディースカフェでマンゴープリンを食べる男とだけは結婚したくないわ。と皆思っているようで冷汗。
 
しかし、こう、都会のカフェというものは、なんというか、ぎゅうぎゅうに座席が設置してあって、テーブルとテーブルの間がすこぶる狭く、ものすごく窮屈。
 
僕の左隣のテーブルでは水商売系のお姉ちゃんが、水商売系の名刺に延々と携帯電話の番号を書いている。時々休憩してタバコをふかしながら僕をチラと睨むのでちょっと怖い。そして右隣のテーブルでは若い女性2人。テーブルとテーブルの間が狭いものだから、余裕で会話が聞こえる。
 
「彼氏がねー、今度2台目の車買っちゃってー。親に買ってもらったみたいだけどー。ベンツー? パンツー? なんかそんなやつー?」
 
語尾を伸ばしつつ疑問系にする都会の女性独特の会話にイライラしながら、イライラしてるのはその会話を聞いている友人もそうであって、彼氏がいかに金持ちかという話を延々と聞かされるほどくだらないものはないと思う。くだらねーなー。しかし彼氏金持ってんなー。いいなー。しかし彼氏の自慢話っていうのはくだらないなー。僕の彼女は誰かに僕の自慢をするのだろうか。するのだったらどのような自慢をするのだろうか。やめていただきたい。彼氏の自慢などやめていただきたい。
 
その夜彼女に電話。
 
「ねぇ、ヘンな質問だけどさ、友達に彼氏の自慢なんかしたりする?」
「ん? そんなの全然したことないよ。しようとも思わない」
 
少しはしてほしいと思った。
 
2004年06月27日(日)  休日、レディースカフェ。
 
休日。午前中は部屋でぐだぐだして、このぐだぐだというのは文字通りぐだぐだしていて、第三者が僕の姿を見たら「あぁ、ぐだぐだしてんなぁ」というくらいぐだぐだしていて、ほどなくして、ぐだぐだにも飽きてきて、あぁ映画でも見にいこうか知らん。と、だらだらと歯を磨き出して、このだらだらというのは文字通りだらだらしていて、第三者が僕の姿を見たら「あぁ、だらだらしてんなぁ」というくらいだらだらしていて、休日の午前中はそうやって意味もなく消化される。
 
午後1時。池袋。別に見ようとも思ってないのに、彼女が見たいと言っていたので彼女に電話して「今から映画見るんだけど、ハリーポッター見ようかなぁなんて思ってたりして」「イヤー! 一緒に見るー!」と彼女を手の平でコロコロ転がしつつ、本来の目的である『シルミド』の上映時間をチェックする。
 
「あぁ。2時30分からだって。あと1時間以上あるよ」
「キャー! 見ないでー! ハリーポッターやめてー!」
「見ないよ。シルミド見るんだよ」
「なんだシルミドか。じゃあね」
 
と、ものすごく一方的に電話を切られて、上映までの1時間半、何をして過ごそうか知らん。と、意味もなく巨大な書店に寄って小説を購入し、ドトールコーヒーに入って3階に登って買ったばかりの小説を読み始めて30分後、僕はまた気付かなくてもいいことに気付いた。
 
この階、女しかいない。
 
以前も喫茶店に女性客しかいなくて、ここはもしかしてレディースカフェかもしれん。と、レディースカフェというものが存在するのか否かわからないくせに、勝手に自分の中で断定して挙動不審に陥ったことを書いたが、今回もまた同じ状況。しかもまた池袋。池袋に来る男は喫茶店に入らないのだろうか。
 
長くなりそうなので続きは明日。
 
2004年06月26日(土)  二つの六時。
 
不規則な生活をしていると、睡眠から目覚めた時に、今日は何の日か全くわからない日が多く、天井を眺めながら、一体何時だ。朝だったら仕事行く準備しなければならないし、午後だったら夜勤の準備をしなくてはいけない。天気が良かったら洗濯をしなければならないし、金曜日だったら可燃ゴミを出さなければいけない。さぁ、何時。
 
と、テーブルの上に置いてある目覚まし時計を見る。この糞時計、先月の給料で購入した目覚まし時計なんだけど、こんな音で誰が起きるんだというくらいアラーム音が微弱で何の役にも立たない。爾来、僕はこの時計を糞時計と呼んで、この閉鎖された6畳1間のワンルームマンションで虐待を繰り返していたのだけど、踏んでも投げても壊れないばかりか、先週などは踏み所が悪く、右足の土踏まずの部分を負傷してしまった。糞時計は6:00を示している。
 
この時計が糞時計と呼ばれるもう一つの理由が、24時間表示できないところにあって、僕のように不規則な生活をしている者には6:00といわれてもそれが午前6:00なのか午後6:00なのかわからないことも多く、今の季節の6:00は外を見ても午前も午後も明るいので釈然としない。よって時計が6:00もしくは18:00と表示してくれたらとてもありがたい。なのにこの糞時計ときたら。
 
で、一体どっちの6時だ。とテレビをつける。そしてこの糞テレビ。いや、テレビには罪はない。この糞チャンネル。ケーブルテレビのチャンネルか何のチャンネルかわからないが、うちの場合は2チャンネル。このチャンネル、どんな天災や大事件が起きようとも通信販売の番組を放映している。どんな商品も「注文が殺到しています」など表記されている。なんなんだこのチャンネルは。田舎に住んでたときはこんなチャンネルなかったぞ。と憤りながらチャンネルに見入り、注文が殺到しているフランス製の掃除機を購入。
 
2004年06月25日(金)  愛の回路。
 
こういう年齢のせいか、最近よく思うのだけど、恋愛経験は少ないに越したことはないと思う。例えばいつも思い出すのが19の頃の彼女。現実的にも、僕はあの彼女と結婚することができた。22歳で別れるまで、周囲にも結ばれて当然だと思われていた。僕の親にも彼女の親にも。
 
なのに僕たちは別れた。彼女は僕との将来を見ていて、僕は心の底で、今までとは違う人生を見ていた。抽象的なものより漠然的なものへと憧れを抱いていた。この彼女と別れて、どのような人生を送るのかその時は見当もつかなかったけど、彼女のいない人生というものが、彼女と過ごす人生と同様、魅力があった。
 
そして僕は27歳になった。来月には28歳になる。彼女と別れてから6年の月日が経とうとしている今、僕は東京で看護師として働くようになって、あの頃は到底考えられなかったモノを書くという仕事を始めた。あの彼女がいないこの人生とは、果たしてどういうものなのか、今はまだ判断できない。
 
そして僕には現在彼女がいる。19歳の彼女。あの彼女の付き合い始めの頃と同じ歳の彼女。19歳。彼女が感じている19歳とはどういうものなのだろう。27歳の彼氏を持ち、どのようなことを考えているのだろう。僕達のゴールが結婚だとは考えられない。彼女は僕と結婚する気など全くなさそうだし、僕も現実的には無理だと思っている。
 
それでは、なぜ、僕は彼女と、彼女は僕と付き合っているのだろう。「どうして付き合ってるの?」「好きだからよ」
 
僕は「好き」という感情は幻想だと思っている。本当は好きという言葉なんて存在しない。ただそれに代価する言葉がないから、僕たちは便宜上、好きとか愛しているという言葉を使っている。好きという言葉がこの世からなくなったら僕たちはどんな言葉を使うだろう。
 
こういう年齢のせいか、最近よく思うのだけど、恋愛経験は少ないに越したことはないと思う。好きに代わる言葉を探すとき、いつもそう思って思考の回路を切断する。答えは目の前に見えているんだけど、それを見ないように切断する。
 
2004年06月24日(木)  Sunny Sunset'S.
 
部屋に閉じこもって駄文ばかり書いていたのでは、三十路目前にして人格が崩壊する恐れがあるので、文章を書く以外に何かしよう。してこまそう。発散しよう。そして我が身に還元しよう。と考えていた去年の今頃無職だった時代、今のリーダーに出会い、ウッドベースのデュークと共に「ストリートでソウルする」をテーマに、ボーカルグループSunny Sunset'Sが誕生してから早一年。後に入った新メンバーが打ち解けないまま脱退し、陽気で頼り甲斐のあるジェシーが加入し、現在4人で主に新宿のストリートで活動しております。
 
60・70年代のアメリカンポップスからソウル、R&B、ゴスペルなど、歌の範囲は幅広く、曲ごとにメインボーカルも変わるので、決して飽きのこないサウンドを提供しています。新宿中央公園で歌うときは、お客は主に酔っ払いかホームレスです。あと外人。英語の曲ばかり歌っているので外人が聞いてるとかなり緊張するのです。
 
ボーカル3人とウッドベース1人の組み合わせは、人目を引くインパクトは十分で、将来はエイベックスなどにスカウトされ、商業染みた似たような譜面ばかりのジャパニーズポップスを歌わされ、やがて飽きられ捨てられてしまうことのないよう、エイベックスだけにはスカウトされぬよう頑張っている毎日でございます。
 
7月25日に【恋愛歪言】の出版記念パーティで、何曲かお披露目させていただく所存ですが、親しみやすい曲ばかりですので、参加される方は是非、メンバーの顔写真をうちわに貼り付けてはっぴをまとい、応援して下さい。そうです僕たちはこの歳でジャニーズ入りを目指しているのですうそです。
 
2004年06月23日(水)  世の中の仕組み。
 
今回の参院選は、候補者総数が前回より下回る少数激戦になるそうで、与野党とも着実な改選議席確保を図りつつ、互いの弱点選挙区などを突いて議席の上積みを目指す方針だということですけど、選挙に無関心な僕は何を言っているのかさっぱりわかりません。
 
と、先週食事に行った女性と、東急ハンズでソファーや自転車などを選びながら一般常識について話をしていたのだけど、僕はこの知ってて当たり前という一般的な知識があまりにも欠如している。
 
例えば政治。参議院と衆議院の明確な区別を説明できない。まったくできない。この人たちがいったい何のために働いているのかさえわからない。芸能人が選挙に出て国がどう変わるのかが理解できない。
 
天気図。これもわからない。ここ高気圧、これ低気圧。あとグニャグニャした線。あれの見方がわからない。あの天気図を見ながら今日は晴れるぞとか言う人を見ると弟子入りしたくなる。
 
あと株価。東証大引け反発で1万1700円台回復。何を言ってるんだ。何のことを説明しているんだ。大引けで反発で回復で、何をやってるんだ。儲けてるのか損をしているのかすらわからない。
 
日経ジャスダック平均は3営業日ぶりに反発。わぁ。また反発。しかも3営業日ぶりに。なんのこっちゃ。この前、ライブで会った女性に仕事何してんの? と尋ねたら「証券アナリスト」と言ったので、もうダメ。何を話していいのかわからない。たぶん証券アナリストともなると政治の仕組みもわかるし、天気図も平気で解読できると思う。僕は何もできないよ。朝大きなウンコを出して喜ぶ毎日。
 
2004年06月22日(火)  ウサギとダイヤ。
 
結局帰れたんですけどね。昨日の台風は午後から四国を離れて、雨が止んで外を歩けるようになって、一人でとぼとぼ高松の駅周辺を歩いていたんだけど、彼女がいないとつまんないということと、すぐ迷子になってしまうという理由で、レンタカーを借りて、2日前とは違う色の日産マーチに乗って、彼女を迎えに行く途中に寄った店でウサギのぬいぐるみを買って、彼女を車に乗せてドライブをして、ぬいぐるみをプレゼントしたら助手席でずっとぬいぐるみを抱いていたので、買ってよかったと思いました。
 
結局空港で見送るときも、彼女はウサギを抱いたままで、少女のようなたたずまいで僕を見送り、僕は飛行機の中で彼女からもらった手紙を読みながら今回の旅の出来事を追憶していると、「東京の天気がすこぶる悪いので、もしかしたら関西空港に引き返すかもしれぬ」という内容のアナウンスが流れて、なんで関西空港なんだろ。東京は雨と風が強かったので大阪に降ろすことにしました。って何このルール。大阪に降りて僕はいったいどうすればいいの? と、機内で終始ソワソワしていたらいつの間にか眠っていていつの間にか羽田空港に着いていた。
 
それから無事に我が家に辿り着いて、シャワーを浴びて部屋着に着替えて部屋の真ん中の赤いソファーに座ってプロ野球ニュースを見ていると、あっという間にいつもの日常に戻っていて、今日の午後まで四国にいたことが信じられない。信じられないので彼女に連絡してみると、「ウサギありがとう」と、まだウサギのことを言っているので、買ってよかったと思いました。
 
来月の彼女の誕生日には、多分会えないので、はやめのバースディプレゼントとして、ダイヤが入っているバングルをプレゼントしたのだが、手首が細いから取れちゃうかもー。と、あまり嬉しそうじゃなかったので、やっぱり愛はダイヤじゃなくて気持ちなんだと思った。なんて言ってみたけれど、ことあるごとに左手首につけたバングルをのぞく彼女を見て、やっぱり買ってよかったと思いました。
 
2004年06月21日(月)  卒倒ヘクトパスカル。
 
今回の旅行で何に一番目を通したかというと、観光地案内でもグルメ案内でもなく台風情報であって、午前8時。ビジネスホテルの小さな窓を開けて卒倒。なんだこら。何この暴風雨。人っこ一人歩いていない朝の観光地。電池が切れる前なのか、全力で、ボタンが潰れんばかりの力を込めてリモコンのボタンを押し、テレビの電源を入れる。
 
「お、お、おおが、大型で……ひ、非常に、あっ、せいり、生理、せいり、勢力の強い、台風6号は……」
 
馬鹿だなぁ。勢力が強いってことはわかってるんだから屋内でレポートすればいいのに、わざわざ高松駅近くの海に面した堤防で危険にさらされながらメガネをずらしながら顔を歪ませながら。
 
シャワーを浴びて、髭を剃って、お洒落して荷物をまとめて狭いビジネスホテルの一室で観光モードに入った僕はチェックアウトするためにフロントに降りる。
 
「お客さんこれからどこ行くの?」
「いや、今日帰るんですけど、とりあえず駅に」
「この雨と風では外には出れんよ」
「それじゃあお昼くらいまで部屋にいていいですか」
「いや、それはできんけど」
 
できんのかい。とフロントのおばはんを呪いながらチェックアウトを済ませ、思春期のような反発心を抱き、勢いよく外へ出た瞬間ビニール傘粉砕。親の制止を振り切って田舎から東京に出てきた青年の心境のように、今更戻るわけにもいかず、とりあえず駅へ向かう。
 
高松駅には徒歩で5分もかからない距離なんだけど、この風と雨でまったく前に進めない。前が見えない。明日が見えない。今日は帰れないかもしれない。飛行機飛ばないかもしれない。前に進んでるのに斜めにしか進めない。駅が遠くなっていく。
 
「大型で非常に勢力の強い台風6号は……」
 
びしょ濡れになり、駅に到着し、暴風のため駅の扉が開かず、駅員2名に手伝ってもらい、ようやく駅構内に入るや否や、足止めを食らっている観光客が一気にびしょ濡れの僕を見て「こいつアホや」という意味を込めた冷たい視線を投げ掛ける。お前らもアホやんけ。
 
駅の大型モニターにはNHKの台風情報が絶えず流れている。もう今日は絶対に帰れない。このまま彼女にも会えない。朝、堤防でレポートをしていたアナウンサーには会った。暴風雨にさらされなくてもメガネがずれていた。
 
とりあえず今回の旅の目的を達成させるため、駅の構内でうどんを食べた。食べてるのはびしょ濡れの僕一人だった。店員が「こいつアホや」という意味を込めた冷たい視線を投げ掛けていた。月見うどんに涙が一粒こぼれ落ちた。
 
2004年06月20日(日)  饂飩の国。
 
「大型で勢力の強い台風6号は現在鹿児島の……」と、朝から憂鬱。こんな時に限って台風が近付いている。しかし、神様、天気の神様か恋愛の神様かわからないけど、とにかく神様が、あ、そうだ。昨日の金刀比羅宮の神様かも知れんね。800円で買ったこの黄色いお守りの御加護があったのかも知れんね。外は晴れ。雲一つない青空。天晴れな晴天。密かに今日は観光することを断念していたのだが、今日観光せずにいつするんだというような晴天。神様、ありがとう。彼女、起きなさい。
 
「もう起きてるわよ」
 
と、メール。僕も早速準備をして高松駅で待ち合わせ。高松ではうどんしか食べないという意味不明の決意というか強迫観念に支配されている僕は、駅近くの立ち食いうどん屋で朝から月見うどんを食す。ややあって彼女が店の前に表れて呆れ顔。待ち合わせの時間になぜ立ったままうどんを食っているのかという疑問の表情を僕に投げ掛けている。気にしない。僕には神様がついている。
 
レンタカーを借りて左を指しながら素の表情で「右に曲がって」と、混乱をきたすことばかり言う彼女のナビのもと、ロマン溢れる源平古戦場、屋島に車を走らせる。パンフレットには「山上での楽しい買い物・おみやげ・お食事・ご休憩にどうぞ」と書いているのだが、山上の土産屋は近年の不況のあおりを受けてか、ことごとく破産・閉店している。朝が早いせいもあってか、観光客は僕と彼女だけで、あとは源氏と平氏の地縛霊しかいない始末。2人だけの瀬戸内海国立公園、屋島。愛を語り、うどんを食った。
 
屋島を降りて、その麓にある「四国村」という場所に寄る。パンフレットには「屋島山麓に広がる約5万㎡の敷地に、四国各地から集めた江戸・明治時代の民家33棟を当時の姿そのまま復元した民家の博物館」と書いてある。当時の民家に驚いたというよりも、約5万㎡という広さに驚く。歩けど歩けど民家ばかり。30℃以上の炎天下の中、時に手を繋ぎ、時に手を離し、時に上着を脱ぎ捨て、愛を語り、ポカリスエットを飲んだ。
 
それから観光パンフレットには載っていない建物で、シャワーを浴びて「ご休憩」なのか運動なのかわからないことをして、愛を語り、延長をした。
 
北浜アリーというお洒落スポットや、鬼無(きなし)という桃太郎の物語に関りが深い場所や、前を通るだけに留まった彼女の実家や、高松のシンボルタワーがそびえ立つサンポート高松と、明日は絶対台風だから時間が許す限り香川を楽しもうと日産マーチに乗ってどこまでもどこまでも。
 
2004年06月19日(土)  気分転換。
 
「お疲れ様でしたー」と、職場を出た夜勤明けの午前9時半。池袋のサウナの大浴場に身体を浸し、はぁ、疲れた。やっと終わった。今日は何しよ。久し振りに転換でもしようかしら。しかし具体的に何を転換しよう。方向転換。家とは逆の方向の電車に乗ってどこか知らない町へ行こうかしら。人生転換。僕はこのまま看護職に従事して一生を終えるのだろうか。世の中には、僕の本当の天職がどこかに転がっているのではないだろうか。うーん。あーん。あの人刺青入ってるー。怖ぇー。都会のサウナ怖ぇー。やめた。方向転換も人生転換もやめた。今日は気分転換をしよう。
 
ということで、颯爽と全身を流し、ロッカーで掃除のおばちゃんにオチンチンを見られてもちっとも動じず1500円を支払いサウナを出て、池袋駅から山手線に乗って、モノレールにも乗って、羽田空港。搭乗手続きを済ませたあと、トイレでウンコも済ませて、約1時間の空の旅。暑い雲に覆われたその場所は高松空港。
 
「久し振りだね」
「そうかしら」
 
彼女と3ヶ月振りの再会を果たし、彼女の友人2名の案内のもと、香川といえば讃岐うどんという夜勤明けの短絡的な思考でうどん屋に連れてってもらった。今日を含め3日間滞在することにして、3日間うどんのみ食べていこうと3人の前で意味のない誓いを立てる。
 
気分転換。
 
彼女の友人と別れた僕達は、緑豊かな象頭山の中腹に位置する金刀比羅宮の入り口に立っていた。雨が降っていた。「しあわせさん。こんぴらさん」という黄色い幕が張ってある鳥居をくぐり、御本宮までの785段の階段を登り、心身共に疲弊し、東京に帰るどころか、階段を降りて帰ることさえも億劫になって、汗なのか雨なのか、びしょ濡れになりながら彼女と手を繋いで、僕だけぐびぐびとポカリスエットを飲んでいた。
 
夜は食事の前にスタバで休憩して「キャラメルマキアートうどん下さい」とご当地ギャクを飛ばしたら、店員がたいそう憤慨して、ある種の屈辱にでもあったような表情を浮かべ、いたたまれなくなったので長居できず、本当のうどん屋に行って、19歳の彼女の前でビールをぐびぐび飲みながら「久し振りだね」「そうかしら」という会話を交わしながら気分転換。台風が近付いている。
 
2004年06月18日(金)  中休み。
 
「明日からしばらく梅雨の中休みが続くでしょう」て。中休みって言葉は、梅雨意外にも応用できるのかしらと天気予報を見ながら。
 
例えば恋愛の中休み。恋愛には中休みのようなものが存在すると思う。付き合い始めの情熱は、何年も何ヶ月も長続きするものではない。恋愛当初に抱く情熱というものは、「好き」という感情にプラスアルファされたものであって、その情熱を失ったとしても「好き」という気持ちには変わりがなかったりする。変化しないどころか「好き」という気持ちはより一層強くなったりする。
 
だけど往々にして恋人というものは、コーヒーの中にミルクや砂糖を混ぜながらカップに視線を落とし、情熱を失った僕に対して「最近冷たくなった」「あまり話をしてくれなくなった」と言う。例えば、僕は初対面の人に対して、かなり多弁になる。あることないことほぼ一方的に話し続ける。これは僕と相手との間に生じる沈黙への畏怖があるからであって、付き合いが長くなってくると、本来の自分、いわゆる寡黙で無表情、無感動の性格が出てきて、そこで僕はようやく気を休めることができるのである。
 
よって、僕が無口になったら、対象に対して逆に心を開いている状態なのである。例えばこの日記。あることないこと一方的に書いている。これはこの日記を読んでいる人達が初対面ではなく、まだ合ったこともない人達ばかりなので、ダラダラと内容のないことばかりを書いている。この日記を僕が知っている人達ばかりが見ていたら、僕は何も書かない。
 
本来の僕は、非常に無口でつまらない人間なのである。と、これは僕にも責任がある。この無口でつまらない人間と思われたくがないために、初対面の人に対して空元気を出してしまう。
 
思うに、僕の恋愛は、この冷たく思われた時に最初の危機を迎える。次の危機はイビキがうるさくて相手が耐えられなくなった時。最初の危機。これを乗り越えるのは容易なことではない。例えこれを乗りきれても冷酷かつ、イビキのうるさい男という、モテる要素が一つもない僕が待っているのだから。
 
しかし「愛してる」という気持ち。胸の中でいくら大切に抱いていても、口に出して言わなければ恋愛において、全く効力をなさないものだと思う。相思相愛なんて、便宜上使われるようになった言葉だと思う。
 
恋愛の中休み。暑い雲が去ったらきっと暑い夏がやってくると信じて。暑い夏という比喩表現が恥ずかしいほど格好悪い。
 
2004年06月17日(木)  善意の消耗。
 
「ヨシミ君、これやっといたからね」
 
と、夜勤明けの看護婦さん。僕は日勤帯の看護婦さん達の輪に入り、今日も仕事だ、今日も電車が込んでいた、今日も暑くなりそうなどと、ドラマの台本を読むような当たり障りのない会話をしていたところ、まだ仕事中の夜勤帯の看護婦さんが「ヨシミ君、これやっといたからね」と、患者さん数人を採血したスピッツを僕に渡す。
 
ここで僕は言葉に窮する。応対に困惑する。今日はこの採血をしなければいけない病室は僕の受け持ち部屋ではないのだ。その病室の受け持ちの看護婦さんは僕の横で時間が止まってしまうようなゆっくりとした動作でお茶を飲んでいる年配の看護婦さんであって、僕は違う病室の受け持ち。
 
しかしこの夜勤明けの看護婦さんは「感謝されたい」と思って、夜勤の仕事以外、日勤帯の仕事をしたのであって、致命的なのは感謝される対象を間違えているのであって、同時に感謝される対象を間違われたのも致命的なのであって。
 
「わぁ。ありがとうございます! 助かりました!」
 
と、僕がここで歓喜の声を挙げれば夜勤明けの看護婦さんは、採血してよかった。喜んでくれて私も嬉しい。こんなに喜んでくれるのであれば次の夜勤の日も、ヨシミ君の手伝いをしてやりましょと思う。
 
「あ、すいません。今日この病室の受け持ちじゃないんです」
 
と、対応した場合、看護婦さんの善意と苦労が水の泡。受け持ち病室を間違えた看護婦さんが悪いのだけど、責めるべきことではない。
 
結局僕は「わぁ。ありがとうございます! 助かりました!」の台詞を選択肢。隣で茶を飲んでいる看護婦さんが「あ、その採血、私の病室の患者さんのやつじゃない」と言わないように気付かないように祈りながら、夜勤明けの看護婦さんには最大の敬意を表し朝から消耗。
 
2004年06月16日(水)  ノキアに揺れる。
 
「人生に行き詰まりを感じたら、僕はグルメになろうと思ってるんだ」
「どういう意味?」
「美味しいものを美味しいって感じることができたら世の中どれだけ素晴らしいんだろうって思う」
 
新宿の焼肉屋。1年振りに会う女性と食事。例えば僕たちが食べているロース。「ロースセット」1200円。そのメニューの上に「上ロースセット」2400円。この1200円の差額を舌で感じることができたらどんなに素晴らしいことかと思う。寿司屋で口に含んだだけで中トロと大トロの区別ができる生活。素晴らしいじゃありませんか。そんな人生って、きっと楽しいと思う。
 
「んー。無理ね」
 
彼女はカルビを頬張りながら呟いた。僕がカルビセットを注文し、彼女はロースセットをオーダーした。1年振りに会う女性と焼肉を食べるなんて、僕も少しは気を遣うべきなのだが、一度肉が鉄網に乗ってしまうと、どれがカルビでどれがロースだかわからなくなるので、口に入れて確かめようと思うけど、咀嚼しても尚、肉の種類がわからない。よって、僕たちは気を遣い合うこともなく、肉を突き合っていた。
 
「そんなもの禁煙したって直りはしないわよ」
「うーん。それではどうすれば僕の人生は」
「亜鉛を摂るの」
「亜鉛?」
 
亜鉛が不足すると味覚障害が生じるらしい。だけど僕は明日の仕事で患者さんたちと七夕の飾り付けをしなければならず、味覚よりも職場のレクレーション係である僕はそちらの方が切実で、焼肉屋を出て、というか実は待ち合わせ時間より早目に新宿に到着してドンキホーテで七夕飾りを探していたのだけど、歌舞伎町近くのドンキホーテには、七夕飾りなんて平和なものは売っておらず、異常に安いいかがわしい下着や下着や下着ばかりで、それらに目を奪われていたら待ち合わせの時間が過ぎていて、急いでアルタ前に走ったらタモリが亜鉛。
 
焼肉の後は東急ハンズ。七夕飾りはどこにある。さーさーのーはーさーらさらー。……。その後が歌えない。ずっと歌えない。さーさーのーはーさーらさらー。ノーキアーにゆーれーる。なんだノキアって。携帯か。わからないものはわからないので、「笹の葉さらさら置き場に揺れる」というところで現在は収まっている。なぜ笹の葉が置き場で揺れているのかわからないけど、ノキアよりは置き場だろうと思う。
 
七夕セットを買って、それから彼女に画期的なアイロンの存在を教えてもらって、大型家電製品店で洗濯機の開け方すらわからず途方に暮れて、亜鉛が減って、美味しい手作りのケーキ屋さんに連れてってもらってリンゴ丸ごと1個食べた。
 
2004年06月15日(火)  ずる休み。
 
閉鎖病棟。18歳の少年がテレビの前に立ち、流れてくる歌をうたっている。直立不動で。一心にテレビを眺めながら。その風景が見えるナースステーションで、一人看護記録を記入している。彼の楽しそうな歌声が、夕日と一緒に午後6時のナースステーションに入ってくる。
 
知的障害をもっている彼は、とある犯罪を犯した。そして精神鑑定の結果、この精神病院に入院した。親元を離れ、友達と別れ、この閉鎖病棟に入った。ここは彼と同年代の人間はいない。だから一人で漫画を読んだり歌をうたったりしている。震える手でスタンガンを持ち、ある場所に侵入した彼。それにはちゃんと理由があった。
 
「神様もずる休みしちゃってしょうがねぇなぁ」
 
彼がここに来たとき、同室の年輩の患者が彼を見てそう呟いた。もう何年もここに入院しているその患者は、一日中妄想に支配されて意味不明のことばかり言っているが、なぜか、その言葉だけは、なんとなく理解できるような気がした。
 
仕事が終わってから、18歳の少年とオセロをして帰る。勝ってばかりも大人げないので、時々は負けようとおもうけど、それがなかなか難しくて、いつも勝ってしまう。勝たせてもらっているという雰囲気を出さずにオセロをするのは、結構難しい。彼は負けても嬉しそうで、「今度いつ来るんですか」と何度も訊ねてくる。夜勤が多い僕は、今度は夜にゆっくり遊ぼうと言って手を振って帰る。閉鎖病棟の鍵がついた鉄の扉の向こうで、「おつかれさまでしたー!」と元気のいい言葉が聞こえてくる。鉄の扉のこちら側で、―――皆が一様に平和とか自由とか言っているこちら側で、僕は小さく手を振って病棟を出る。
 
夜勤の夜は、彼と一つ一つの病室を頭を下げてまわる。というのも、この病棟にはテレビがディ・ルームという少し広い場所に1つしか置いていない為、年齢層が違うこの場所で彼が見たい番組はなかなか見れない。だから病室を一つ一つまわりながら、「今夜7時から犬夜叉を見せてください」「コナンを見せてください」と、患者さん一人一人に許可をもらいに行く。深々と頭を下げる彼を見ながら、「キミはそんなに頭を下げる必要はないんだ」と、言って、僕が他の番組を見たい患者さんと交渉をする。
 
皆、彼のような歳のときに、こんなに頭を下げることがあっただろうか。僕には、まだ早いような気がする。今、頭を下げなくても、これからの人生、いくらでも下げる機会が出てくるんだから。
 
彼は今日もテレビから流れてくる歌に合わせて、直立不動で歌をうたっている。ナースステーションでその歌声を聞いている僕は、どうしようもない無力感に襲われる。健康とは何なのか、社会とは何なのか。こんな少年を閉じ込めて、皆好きなことばかりやって、好きな時間にテレビを見て、カラオケに行って大声で歌って。
 
「神様もずる休みしちゃってしょうがねぇなぁ」
 
涙が出てきた。これから彼がどのような人生を送るのか僕はわからない。僕の瞳から流れている涙の理由もわからなかったけど、これからも僕は、この人為的に閉鎖された空間で、こうやって人生を学び続けていくのだろう。
 
2004年06月14日(月)  僕は心身症。
 
最近朝、電車に乗った途端に腹痛に襲われる。これは心身症の症状ではないか。精神科の看護師が言うんだから間違いない。職場に行くことが嫌だとか辛いとか思ったことはないけれど、僕は無自覚なストレスを抱えているのかもしれない。そのストレスが腹痛という身体症状として表出しているのかもしれない。
 
あぁ、この腹痛の原因は何だろうと考えていたら、なんてことはない。乳製品を食べると必ず下痢をするという体質であるにも関らず、出勤前にヨーグルトを食べているからであって、これはストレスでも僕のせいでもなく東武ストアのせい。
 
なぜかと申すと、僕が人類史上最高のプリンであろうと確信しているジャージー牛乳プリン。3個入りで148円。これが突如商品棚から消えてしまったのがそもそもの発端。こんな美味しいプリンがなぜ陳列棚から姿を消すのか、と憤りを感じ東武ストアの中で一人思案を巡らす。おそらく政治家とか宮内庁の人とか、資産家とか医者が皆一人占めしちゃって庶民の手に入らなくなっちゃったんだ。という結論。やっぱ金持ちはいいな。という結論。
 
んで、ジャージー牛乳プリンの変わりに、プリンちゃんという何のひねりもないキャラクターがパッケージに記されている『プリンちゃんプリン』や、確実に機械の手がくわわっているだろうと思わせる『とろける手作りプリン』など新参者が表れて、恋愛でもプリンでもとにかく一途な僕は、ジャージー牛乳プリンじゃないとイヤだ。と地団駄を踏み、誰も相手にしてくれないので、じゃぁこれでいいや、とジャージー牛乳ヨーグルトを買うようになった。
 
ジャージー牛乳ヨーグルト。ジャージー牛乳プリンの兄弟分として、例えヨーグルトであろうとも、最高の味を僕に与えてくれるであろうと思いきや、意外や意外。これフツーのヨーグルトじゃん。やっぱプリンじゃなきゃだめだなぁ。僕の朝はプリンじゃなければ演出できないなぁ。しかし今やジャージー牛乳プリンは政治家や宮内庁の連中が占拠してるしなぁ。これで我慢するしかないのか。うむむむむ。ムマー! と僕の朝はジャージー牛乳ヨーグルトから始まって電車の中でお腹が痛くなる。
 
2004年06月13日(日)  一球入魂。
 
数年振りにボーリングに行きました。ボーリングというと、皆一様に「私1年以上やってないわよ」「私なんて3年振りよ」「俺なんて生まれてこのかたやったことないぜ」なんて、しょっちゅうボーリングに通うことが恥ずかしいみたいな風潮があって、今回も皆、自称久し振りの人達ばかり。僕も3年振りとか言ったけれど、よく考えてみれば、よく考えてみなくても1年前に行っている。皆に小さい嘘をつきました。
 
というわけでボーリング。なんか皆、どこに行っても、例えば鹿児島でも東京のボーリング場でもストライクで皆ハイタッチをする。これはベタだなぁ。ベタでぇ~すだなぁ。何か違う仕草はないものかなぁ。と考えていたら全然ストライクできない。スペアすらできない。よって自らの実力で自発的にハイタッチできない。ガビーン。ビガーン。
 
例えば僕の横に座ってる可愛いコ。名前も歳も知らないけど、何の縁があってか、ってただ友人の友人なんだけど、僕はこのコとハイタッチがしたい。肌と肌を合わせてみたい。と人知れず希求。しかし僕がストライクできないのでハイタッチできない。しかも彼女もガーターばかりなのでハイタッチできない。しかし僕の隣の男は、ボーリングなんてどのくらい前にしたか覚えてないなんて言ってたくせにストライクばかり。たまには1投目2本しか倒せなくて、2投目に8本倒してみたりと、もはやハイタッチマンと化している。隣の彼女とも当然のようにハイタッチしている。うむむ。
 
うむむむむー! と一球入魂。やったぜやったよストライク! ガッツポーズで颯爽とハイタッチ。はいキミもハイタッチ。はいあなたにもハイタッチ。はいお前にもハイタッチ。そして、
 
「あ、トイレ行ってる」
 
ガビーン。
 
2004年06月12日(土)  生臭い。
 
数ヶ月前の日記に「胸が焼ける」いわゆる「胸やけ」という状況がわからないと書いたけれど、無論今でもわからなくて、二日酔いなどで胸やけをしている人の話を聞くたびに「あぁ胸やけたいなぁ」とひそかに羨望しているのだが、あともう一つ。
 
「生臭い」これがわからない。概念がわからない。「臭い」という言葉を使っているわりにはそれが味覚だったりする。しかも味覚のくせに「生」なんて、その他にどう表現したらいいのかわからない文字がついている。
 
例えば、安物の寿司を食ったとき、皆一様に「生臭いねぇ」と言う。皆が一様に言うので周囲の影響を受けやすい僕は「そうだねぇ」と同意してしまう。しかし全然生臭くない。
 
果たしてどういう感じが生臭いんだろう。と、「生臭い」の代表格であるサバの寿司を口に入れ咀嚼。モグモグ。んー。あー。うーん。あ、あ、これか。今のやつか。これが生臭いという感じかもしれぬ。うへー。生臭せー。なんて言ってみたけれど実感がわかない。そして他の生臭いと言われている食べ物を食べても、今の感じを応用できない。皆気取ってんじゃないかと思う。
 
皆が僕のような考えをしていて、というのは「生臭い」という味覚はもともと存在しないのであるが、「生臭い」という感覚が一般化していて、それを知ってないと格好悪い、もしくは粋じゃない。なんて思っていて、右の人が生臭いと呟けば、隣の人は、ホントだ生臭い。そのまた隣の人も、私もそれ思った。と周囲と同調したいがための知ったかぶり。やめてーって思う。僕が困るー。自分に正直な僕が困るー。生臭くないじゃんかー。と思う。
 
多分そうだと思う。そうなんでしょ。そーなんでしょー。なんか文章が生臭い。
 
2004年06月11日(金)  昔の彼女と鼻の下。あと携帯。
 
平原綾香が、昔の彼女と極似しているので、平原綾香を見る度に昔の彼女を思い出す。薔薇の花が大好きだった彼女を思い出す。Day after tomorrowのボーカルのミソノってコが、昔の彼女と極似しているので、Day after tomorrowを見る度に昔の彼女を思い出す。十代の頃の恋愛を思い出す。二人とも、もう結婚してしまいました。
 
大塚愛は、昔の彼女と極似しているわけではないけど、彼女を見ると鼻の下が止まらないくらいに伸びる。一時期、外に出られないくらい鼻の下が伸び過ぎてみっともなくなったけれど、彼女は大塚愛はやめて下さいと言ったので大塚愛はやめた。チョー従順。モーニング娘の誰かさんを好きになろうと思ったけど、もう誰が誰だかわかんないので断念。メロン記念日のふとっちょのコがちょっぴり痩せててビックリしました。
 
携帯を買い替えようと思ったけど、買い替えたい具体的な理由がまったく浮かんでこなかったので断念。皆、どのような心境のときに携帯を買い替えるのだろうか。昔の彼女と縁を切りたいとき? もう誰からも電話がこなくなりました。
 
2004年06月10日(木)  レモンの種。
 
「あなたは『自分』というものを持っていない」と、常日頃から周囲に注意・勧告を受けてばかりの僕ですが、今日はこのようなことを言われました。『自分』を持っていない。これはかなりショックな言葉で、青年期のアィディンティティーの構築の最重要課題である自我の形成。これを真っ向から否定された僕。否定した女。レモンティーのレモンの種がコップの底に沈んでいる。
 
じゃあキミは『自分』を持っているのか、と訊ねると「持ってるわ」と尋常の口調で申すので、議論は避け、自己弁護の準備を始める。人は皆、自分のことばかり話したがる。相手は「私がどれだけ自分というものを持っているか」ということについて話したくてうずうずしている。僕は他人の『自分』なんて聞きたくない。他人の給料の額を聞くようなもの。野暮なこと。
 
僕の『自分』 それは「他人と平気で同調する自分」これでいいじゃないかー。之でよろしいではないか。なぁ女。「あなたがいいと思ったらそれでいいんじゃない」ほらきた。ドンドンドン。ベタでぇ~す。他人のことになると突如無関心になるこの態度。あらゆるやる気を失う。生きててもしょうがないと思えてくる。見えない孤独。
 
2004年06月09日(水)  世界平和と忍耐の関係について。
 
電車の中で、隣の車両から思いっきり走ってきた5歳くらいの女の子。僕の目の前で激しく転倒。エヘヘ。と膝をさすりながら周囲に向けて照れ笑いを浮かべる少女。エヘヘ。とその照れ笑いに同調する僕。と、周囲を見る。誰も笑ってない。表情が死んでいる。誰もこの少女を見ていない。なんだこの国は、と思った。
 
だいたい皆冷たすぎる。ピースな愛のバイブスが足りない。9階から人が飛び降りても「やっぱり」とか思ってる。悪い意味でクールになっちゃダメです。
 
左の頬を叩かれたら右の頬を差し出し、その右の頬まで叩かれたら左の尻を差し出す。その左の尻を蹴られたら右の尻を差し出す。そしてその右の尻まで蹴られたら、そこでようやくブチ切れる。このくらいの忍耐が必要なのです。自らの欲求に忠実では世界はいつまで経っても平和にはなりません。
 
とある高層マンションに「○○不動産の高層マンション建築反対!」という横断幕。忍耐。まず耐えなさい。高層マンションの前に新しい高層マンションが建つと日当たりが悪くなるだろうけど、それじゃああなた達が住んでいる高層マンションの後ろの人達はどう思っているのか考えなさーい。と思いまーす。愛のバイブス。
 
世界平和でも人間関係でも、円滑な状況を望むのであれば、まず忍耐。我慢すること。そこから優しさが生まれてくるのです。そう、膝を打っても周囲に照れ笑いを浮かべる少女のように。
 
2004年06月08日(火)  福神漬けの女神。
 
僕は、職場で職員にすれ違うとき、気持ち悪いくらいの笑顔で会釈を交わす。それにはちゃんと理由があって、今日はそのことについて話します。
 
職場の昼食のメニューは患者さんと同じものなので、今日のようにカレーの日だと、ちょっぴり憂鬱。だって病院のカレーって給食のカレーみたいで全然辛くないんだもん。
 
で、福神漬け。職場の食堂は、自分で飯をよそって汁を入れてサラダにドレッシングかけてと、全てセルフサービス。カレーの日は福神漬けが銀色のボールにてんこ盛りに入っており、皆それを小さな皿に入れる。もしくはカレーの端に入れるなどするのだが、今日の僕は残り番といって、他の看護婦さんより休憩が1時間遅れるのであって、そういう日に食堂に行くと銀色のボールに入っている福神漬けが空っぽになっているのである。
 
その原因は明確で、病院食のカレーは給食のカレーの如く、とてもマイルドな味に仕上げてあるので、日々刺激を求める健常人は、福神漬けによって病院食との違いを計るのであり、みな我先にとわんさか福神漬けをカレーに入れる。皆が自分の欲求に忠実になるものだから、残り番で他の人より1時間遅れて食事を摂る人はその弊害を被ることになる。
 
福神漬けなしで、こんな味気ないカレーなんて食べれなーい。と、食堂の端で肩を落としショボーンと座っていた。涙でカレーがにじんで見えた。脳が福神漬けを希求していた。スプーンを手に取る気にすらならなかった。
 
いつの間にか、どこかの病棟のヘルパーさんが僕の前に立っていた。そして笑顔でこう言った。
 
「これ、私が家から持ってきた福神漬けですけど、残っちゃったので食べませんか?」
 
た、食べるー! その時、地下食堂内が一瞬にして幸福の光で満たされた。このヘルパーさんは女神ではないだろうか。初対面の人間に福神漬けを食べませんかなんてそう言えるものではない。慈悲に溢れ過ぎている。そのヘルパーさんはタッパーに入った福神漬けを僕のカレーの皿に移してくれて、「どうもありがとう。残ったまま持って帰るの面倒臭いのよね。捨てるわけにもいかないし」と、笑顔で言って食堂を出ていった。病院仕様福神漬けではなく、一般家庭仕様の福神漬けを食べた僕はその日の午後、いつもより気力に溢れているように思った。
 
あのヘルパーさんにお礼を言わねば。しかしこの馬鹿でかい病院。職員の数も膨大で何人いるのかわからない。よってあの時、あまりの嬉しさに福神漬けばかりに目を奪われてヘルパーさんの顔をちっとも覚えていない僕は、福神漬けの女神とすれ違っても、何ら感謝の念を示さず素通りするかもしれない。すると福神漬けの女神は、私はあの時あの人に福神漬けを与えてやったのに挨拶すら交わしてくれないわ。冷酷な人ね。自分の欲求が満たされればそれでいいとでも思っているのだわ。と、僕を酷評するかもしれず、それだけは避けなければいけない。
 
よって僕は職場で職員の人とすれ違う度に、みな福神漬けの女神だと思って気持ち悪いくらいの笑顔で会釈を交わすのである。
 
2004年06月07日(月)  引越ししない理由。
 
数日前まで引越し引越しと騒いでいたのに、今では全く口にしなくなったのは、単に引越し熱が醒めたからであって、現状で十分といえば十分なのに、あえて都心に引越しすることはないと思ったわけで、先送り先送り。夏に引越しなんて暑くて面倒臭いしね。
 
と、これは建前。引っ越したいに決まってんじゃん。と相変わらず思っているわけで御座いますが、現在いくつかの原稿に追われており、一つが終われば一つが発生するという具合に、一向に出口が見えない。パソコンは原稿その他、各種のやり取りに重要なツールであるわけで、引越しして、数日であれどネットに繋がらない状況が発生したら、それこそ致命的。大変なことになるわけで、ひとまずこれらの原稿が落ち着いてから引越ししようと思っているということと、もう一つの重要な問題。
 
「お願い。引越さないでください」と、隣の女性。彼女は夜遅くまでバイトをしており、自転車での帰り道、夜な夜な同一人物に後をつけられているらしい。隣でドアを閉める音がするので、隣の女性が帰ってきたということがわかる。そして電話。
 
「今そっと外を覗いてみてください。公園の横の電柱のところに男が立っているはずです。その人が毎晩私をつけてくるのです」と、怖えー。覗きたくねー。と思いつつ、恐怖心と好奇心との葛藤の末、少しドアを開け、公園の横の電柱に身を隠すように立っている男を凝視する。顔がよく見えなーい。午前1時。こんな時間に若い女性の後を追尾するとは何事ぞ。と、正義心に燃えるように見えて、単に好奇心旺盛なだけの僕は、どんな奴か顔を見てみようかしら、とTシャツの上にポロシャツを着てジーパンを履いてマンション前の公園へ。
 
刃物とか持ってたら怖ぇーなー。おし。目には目を、歯には歯を。というわけで僕も刃物を持参しようと考えたが、僕の部屋にある刃物といえば爪切りのみで、これじゃあ自分を守るどころか、爪を切ることすらできず、相手を引っ掻くことすらできない。困ったなぁ。と、約20メートル先に男。推定30代の男。の傍らに自転車。男、自転車に乗る。間髪入れず逃亡。待てー。と、追い掛ける理由も体力もない僕は、ちぇ、つまんないのー。と、自動販売機で缶コーヒーを買って部屋に帰った。
 
以上の理由で、僕はなかなか引越しができないのであります。
 
2004年06月06日(日)  お洒落の極意。
 
「ヨシミくんの私服姿って白衣姿と全然違っていてステキよ」と帰り際に看護婦さんに言われ有頂天。最近、職場にお洒落して行くことに何の意義があるのか考えていたところにこの台詞。努力が報われました。
 
と、このお洒落。何がお洒落で何がダサいかというライン。どの線を越えたらお洒落になるのかしらと考えた場合、それはやはりアクセサリーでアクセントであろうと思うわけで、この何気ないアクセサリーをチョイスするセンスにかかっているわけで、先日購入したグッチのネックレス。鏡の前のグッチをまとった僕を見て、「あ、あ、あ、悪趣味!」とのけぞり、その後僕のグッチは陽の目を見ることなくお蔵入り、もしくはオークション行き、もしくは女の子にプレゼントという具合になりそうだが、
 
これは僕がパチンコの勝利によって発生したあぶく銭で、ブルジョアを気取ってグッチでも購入せしめようか知らん。と、色気立ったのがそもそもの間違い。何事も身分相応。日頃は松屋。贅沢してモスバーガーというこの小市民ぶりを忘れずに。お洒落も背伸びせずに、この短い足に合うパンツをチョイスして、靴の色は季節に合わせて、Tシャツにジーンズという普遍的なファッションはなるべく避け、ちょっと技ありの小物を見にまとう。と、それだけで周囲からお洒落だとはやされ、そんなことないと謙遜し、内心チョーウハウハ。
 
だけど僕が使っているジッポには、「大和魂」というなんとも形容しがたい恥ずかしい刻印が記されているので、お洒落度が著しくダウン。ピーコだったら激怒もの。でもこれは前の職場をやめるとき、後輩が金を出し合ってプレゼントしてくれたものだから、今でも大事に使っている。デートの時は別のやつを使う。
 
2004年06月05日(土)  千差お万別。
 
「あなたって本当に悩みなんてなさそうだよねー」と今日もまた言われたので一念発起。悩んでやろうじゃないかと。悩み事つくってやろうじゃないかと。何らかの事象に対して頭を抱えてやろうじゃないかと。第一この歳になって悩み事が皆無だということは少々おかしいのではないかと自問。
 
皆あらゆる陰を内面に抱え、それに対して日々悩んでいる。僕はというと日々のらりくらりのケセラセラ。あっちにフラフラこっちにケセラ。こっちの蜜は甘いぞと言われたら疑念すら抱かずにその蜜を吸いに行き、あっちの蜜は甘いぞと言われたらこっちの蜜吸ったからいいやと、何の躊躇もなくあっさりと断念するという具合に行き当たりばったりの日常生活。
 
皆、何について悩んでいるのか。と、電車内で目の前に座っている金髪で破けたジーパンを履いているオネーチャンを眺める。このオネーチャンは自分のジーパンが破けているということに悩むことがあるのだろうか。その横に座っているメガネの中年サラリーマンは第3者から見ても明白なほどメガネの右のレンズに指紋がついている。拭けばいいのにと思う。しかし拭くという実行の前にレンズに指紋がついていてうっとうしいということに悩んでいる最中かもしれぬ。うむむ。
 
で、僕は気付いたわけ。悩みという感情と、悩みを引き起こす問題というものは違うということを発見したわけ。例えばね、靴下に穴が空いているという問題。まぁいいや。どうせ靴を履くから穴が空いていることなぞ他人に悟られまいと思う人もいれば、あぁ靴下にぽっかりと穴が空いている。如何ともしがたい。恥ずかしい。穴があったら入りたい。あぁもう穴が空いているのだった。とくよくよ悩む人もいる。
 
というように、ある共通した問題に対して、悩みの内容は主観的なものであり千差万別。千差お万別でございます。よって、僕もすでに人並みの問題を抱えているかもしれず、ただそれに対して鈍感というかやはりケセラセラというか、ちっとも自分の人生に真面目に取り組んでいないから、悩みがなさそうなんて他人に馬鹿にされるのかもしれぬ。
 
2004年06月04日(金)  運命の出会い。
 
今朝、トーストをくわえながら疾走する女子高生を見た。吃驚した。初めて見た。実際に寝坊したにも関わらず空腹を辛抱できずに欲望に忠実になるがあまり周囲の目を気にせずに焼いた食パンをくわえ駅まで疾走する女子高生。本当にこういうコがいるんだと感動した。感銘を受けた。食パン1枚のカロリーくらい我慢すればいいのにと思った。ロックユア代謝だなぁと思った。
 
さて、職場では僕のキャリアや人格を否定するような動きがあった為、しばらく静養でもしようかと思ったが、実際はキャリアや人格を肯定する動きばかりなのでチョーウハウハ。またお見合いを勧められた。お見合いだけはよそうと思う。
 
僕は運命的な出会いを求めるのです。そう、朝の慌しい時間に道路の角で、突然走ってきた人と衝突し双方転倒。イテテテテと尻をさすりながら立つと、衝突した相手は口に食パンをくわえている女子高生だった。と、そんな感じの出会い。お見合いはよそうと思う。
 
2004年06月03日(木)  森ひろみについて。
 
パチンコは1ヶ月に1回3000円。これは日常生活を送る上で数多くあるルールのうちの一つである。エアコンのタイマーは1時間、歯磨きは5分以上、ビールの空き缶はクリーニング屋の自販機のゴミ箱に捨てるなど、日常のくだらないルールは数あれど、パチンコは1ヶ月に1回は、そのルールの中で楽しさのあるルールでもある。あとは苦痛です。
 
パチンコは1ヶ月に1回3000円。このルールを決めた理由は、パチンコを3000円以上使うと、お金の感覚が麻痺してきていくらでもつぎ込んでしまう恐れがあるということと、長時間あの騒音だらけの場所に座ってはいられないということであって、3000円。当たっても当たらなくてもいい。ルールはルール。でも当たればいいな。
 
で、今日は当たった。パチンコ台の名前は恥ずかしくて言いたくないけど、「パチンコイエローキャブ」 これは、その台しか空いていなかったとか、たまたま座った台が「パチンコイエローキャブ」だったとか、僕の思考や文章の流れでは、大抵そのように書かれるんだけど、本心は水着の女性が大好きであって、具体的にいうと佐藤エリコが大好きなのである。この大好きというのは佐藤エリコのエリコを漢字で書けない程度の大好きなのである。
 
ネモトハルミはいけないと思う。漢字すら知らないけど、ネモトハルミはいけないと思う。好みじゃない。時々テレビで見かけるが、あの少ないボキャブラリー。学校の休み時間かと思わせるような会話内容。笑い方が下品。ネモトハルミはいけない。
 
というわけで、ネモトハルミのガンマンリーチというやつで確変大当たり。ネモトハルミが水着の上にウェスタンな格好という変テコな格好で、数字を拳銃で撃っていくというリーチだが、タバコを吸いながら缶コーヒーを飲みながら眉間に皺を寄せてネモトハルミはいけないなぁと、画面を眺めていたら大当たり。大当たりに導いてくれたからネモトハルミ大好きっ! と感謝してもいいはずなのに、僕の本心が許さない。
 
結局、2時間程で14箱。なんだこら。壊れてるのではないかしらという具合に出るわ出るわネモトハルミが。佐藤エリコはあんまり出ない。小池栄子は親戚のおばちゃんに似ているので怖い。MEGUMIは一重かと思ったら二重まぶたなんだよね。あと知らないイエローキャブ軍団。森ひろみって女の子が可愛いかった。確変絵柄ではないんだけどね。森ひろみが揃ったら嬉しい。写真集とか欲しい。でも彼女に怒られるので買わない。
 
3000円で14箱で、こらすごいぞ。尋常じゃないぞという金額に換金して、前から欲しかったスイスの時計と、グッチのネックレスを買った。いやーん俗物。
 
2004年06月02日(水)  ラテとモカ。
 
僕がモスバーガーのことばかり文句を言っているのは、夜勤に入る前に必ずモスバーガーで一服するのであって、この近くに女子大でもあるのか、女学生の連中が臆面もなく生理中だの羽根付きだのの話をしている中で、あぁあの患者さんの状態どうなってるんだろ。今日はあの患者さんの話を聴いてみようなどと考えているのであって、このモスバーガーは、これから始まる夜勤の心の準備をするような場所である。
 
で、アイスカフェラテ。僕はアイスカフェモカを注文したはずなのにアイスカフェラテ。また間違えおった。先日はオニオンリングを単品で注文したらオニポテがきた。また間違えおったよ。佛々。
 
こらー。アイスカフェモカて言うたやんかー。と文句を言いたいところだけど、これ、アイスカフェモカかもしれない。店員が「アイスカフェモカ」というところを間違えて「お待たせしましたアイスカフェラテで御座います」と言うただけかもしれん。僕はアイスカフェラテマニアでもアイスカフェモカオタクでもないので、その二つの区別がつかない。ただ注文するときにアイスカフェモカいいね。名前がいいね。なんていう軽薄な意思でもって注文しただけであって、チキンカレーを注文してビーフシチューがきたら、こらー。カレー違うやんかー。シチューでおまけにビーフやんかー。と堂々とクレームがつけられるのに、アイスカフェモカとアイスカフェラテ。モカとラテしか違わない。そしてその違いがわからない。
 
悶々。ストローでチューチュー吸いながら、どの変がモカ、もしくはラテなんだろう。真実は誰が握っているのだろう。この泡が怪しいね。あとこれ甘すぎ。これも怪しい。でも泡が立って無闇に甘いものがモカなのかもしれないね。むーん。
 
「お待たせしました。アイスカフェモカで御座います」
 
隣に座っていた生理中の女学生にアイスカフェモカ。わーん! やっぱりこれアイスカフェラテやったー! 隣のアイスカフェモカと僕が信じ込んでいたアイスカフェモカと違うやーん。店員間違えてるやーん。やーんやーん。と。僕のグラスはすでに空っぽ。気分が屈託。
 
2004年06月01日(火)  あっ、ふぅ、ちょっ。
 
「ひよこ」を食った人にしかわからないと思うが、まずは「ひよこ」の説明。って僕も詳しくは知らないんだけど、おそらく福岡のお菓子。「ひよこ」を土産にもらったら「あぁ、福岡に行ったんだね」と言っていたのでおそらく福岡のお菓子。実際どうなんだろう。東京の人って「ひよこ」食べたことあるのかしら。って9ヶ月前くらいに考えていたら、今日電車の中で若い女性2人が「ひよこ」に関する話をしていたので目を閉じて静かに傾聴。
 
「ひよこって外の皮も美味しいけど中のあんこも美味しいのよねー」
 
と、なんだそりゃ。結局「ひよこは美味しい」って最初から言えばいいじゃん。外の皮とあんこをわざわざ分けることないじゃん。と、思います。終わり。もう終わりにしたい。ウンコ行きたいからね。だけど今日は「ひよこ」のことを書こうとしたのではなく、口語体について書こうと思ったのです。排泄の衝動を抑えつつ。
 
さて、僕は、僕じゃなくてもいいや。文章を書く人達は皆、台詞を書きます。AさんとBさんの会話を書きます。それは当然です。しかし、この文章、いくら自然に見えてもすごく不自然なのです。ドラマで何気に話している台詞も我々が生活している日常と照らし合わせてみると、その不自然さが俄然際立ってきます。
 
例えば、これは台詞じゃないんだけど、CMの場合。夜が安心だからと、ただそれだけの理由で、コンビニの店内で生理用ナプキンを手に取ってニコニコ笑う女優。そんな奴は実際いない。はちきれんばかりの笑顔でハンバーガーを頬張る奴なんていない。
 
「もしもし」
「あ、あぁ」
「もしもし」
「あぁ。あ、ちょっ、あ、ゴメンね。久し振り」
「何してんの?」
「猫が、あっ、ちょっ、ちょっ、猫が」
「猫飼ってるの?」
「うん。ちっちゃいやつ。今テーブルの上に乗ってて、あ、こら、ちょっ」
「何かふっ、楽しそうだね。ふーん」
「すごい元気なのよ。あ、そういえばこの前ね、あん、ちょっまっ、ちょっ」
 
と、実際の会話というものはこんなもので一向に話が進まない。よし、今日はこの人との会話をそのまま文章にしてみるぞと想いながら会話をしていると、いかに口語体をそのまま文章にすることが不自然かということがわかる。自然に話をしているけど、文章にすると不自然。ということは文章で描かれる会話自体が不自然といえるわけで、あ、ふぅ、ちょっ。
 

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