日々の思い

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茨木のりこさんの詩
2006年05月29日(月)




先日のNHKテレビ「ゆるなび」のコーナーでコラムニストの天野祐吉さんが紹介していた、茨木のりこさんの詩


ぱさぱさに乾いてゆく心を   
ひとのせいにはするな   
みずから水やりを怠っておいて
 
気難しくなってきたのを  
友人のせいにするな   
しなやかさを失ったのはどちらなのか
  
苛立つのを   
近親のせいにはするな   
何もかも下手だったのはわたくし
  
初心消えかかるのを   
暮らしのせいにはするな   
わずかに光る尊厳の放棄
  
自分の感受性くらい   
自分で守れ   
ばかものよ



女性でここまでしっかりと自分の意思でまっすぐに前を向いて発せられた強い言葉。

今のうつむいてばかり歩いている私の背中を平手でぴしゃりとたたかれた気がした。


そうなのだ。そうなのだ。

ばかものよ

前を向け

すべては人のせいではない

自分でわずかに残っている尊厳をなくすことは

おおばかものがすることだ


もう一枚(笑)

わが愛犬と薔薇の花









薔薇
2006年05月25日(木)





青春は なおそれぞれに 痛ましく
   いま抱き起こす  一束の(ひとつかの)薔薇

               松坂弘「輝くときは」



今薔薇が真っ盛り、我が家のフェンスにもつる薔薇が見事に咲きそろっている。

薔薇の花を詠んだ詩や短歌は数知れない。

それぞれに詠み人の気持ちが織り込まれ、悲しく美しく、そして妖艶に、上品に

彩られている。

棘のない薔薇を、かき抱けばやさしい。

しかし、思い切り棘の大きな薔薇をかき抱けば、わが身は切り裂かれる。


ダヴィンチ・コード
2006年05月22日(月)

原作を文庫になるときに予約して読んだ。そして、私には肌に合わないと感じた。

それなのにブームに惹かれて(笑)映画を見た。


映画は原作とは内容がちょっと違っていて面白い娯楽作品になっていた。

謎解きの活劇ムービーといったところか、2時間半が切れ目なく面白かった。


最近、数字を使った映画が多い。

訳のわからない筈の数学が、「美しい素数」になったり、

暗号の数字であったり・・・・・


つい最近、何気なく見た短いテレビ番組みでは面白い数字を紹介していた。



たとえば13%。

よく、ポイントが13%つきますとチラシ等でやってるけれど

ある数字の13%とはいくらになるかなんて、計算は難しい。

そこで、数字のマジック。


つまり13%とは約8分のⅠなのである。

そして、同じように16%とは約6分のⅠなのだ。


こうして計算すると、いったいいくら得するか、と、割と簡単に頭に入る。


人というのは、難しい表現をされるとそれだけで、頭が受け付けなくなってしまうのだけど

見方を少し変えると案外、何だこんなに簡単だったのかと嬉しくなったりする。

数学をこんな感じで楽しいものとして教えてくれていたら人生もしかしたら変わっていたりしたかも。


雨  そしてしばわんこ
2006年05月19日(金)

このところ、ずっと雨が続く。

昨日は狂犬病の予防注射だった。

わがしばわんこは散歩だと大喜びで出かけたが会場の近くに来ると

しり込みをして違う方向へ行こうとする。

抱き抱えて注射を受けて帰ってのだが・・・


今朝は、雨にあわないようにと早めの散歩に出かけようと呼ぶのだが

警戒してテーブルの下に隠れてしまう。

外で遊ぼうと誘うと警戒しながらもやってきた。

そして、散歩。

会場周辺へなど行かなければいいのに怖いもの見たさなのか

その近くへ行こうとする。

そして、遠くからうかがい、コースをあちこち変更して遠巻きにしながらやっぱりうかがっている。


(わんこの行きたい通りに行ってしまう私も甘すぎる飼い主なんだが)


近頃、わんこは夫をひどく怖がっている。

いったいなぜなのか・・・・

今まではご飯をもらうのに、夫の帰りを待っていた。

待って尻尾を振りながらえさをくれるのをひたすらお座りして待ち、

お手、おかわりをして、嬉しそうに食べていた。

それなのに、ご飯をもらうのにも、遠くに座って(3メートルは距離をとる)

お手、お変わりをする。夫が近づくとさっとテーブルの下に隠れてしまう。

原因が分からないので、困っている。

よっぽど何かあったんだろうね(わんこにだけわかることが)

早く元に戻ってほしいのに、どんどん、距離が出来てしまっている。

夫の食事中には今までどおり、おねだりしてよっていくのだけど。


ああ、シャンプーをしなくてはいけないのにこのままでは出来そうもない。

どうすればいいのだろう。


思いがけない
2006年05月17日(水)

お年ではあるけれど昨日まで元気だった人が・・・と、言う話、

どこか人事のように思っていたのだが現実にあった。

朝になって、会う予定なのに来られない。不思議に思ってあちこち連絡して

夕方になってチェーンを切ってやっと入ってみると・・・・

お元気な人だっただけに誰もショックを隠せない。

ご本人もきっと納得いかないだろう。

せめてものご冥福を祈る。

母の日のカーネーションが悲しい。


片付けられない
2006年05月12日(金)

とにかく整理整頓が苦手だ。

どんどん物が増えていく。もう少しまとまったらそこからはじめようと思うのだけど、

その時になると、今日はお天気悪いしとか、なんか気分が乗らないしとか、

自分に言い訳をいっぱいこしらえて後回しにする。

ようするにものぐさなだけなのだ。


母親は、そんな私のために家にやってきては次々にモノを片付けていく。

あ、待って、それは要るのに。 なんて 口は決して挟めない。

「こんなもん、なんになるの。場所ふさぎになるだけ」と

手厳しくさっさと片付けていく。

その度に、「待ってよ、もう少し考えてからにしてよ」

と思うのだけど、一切受け付けない。


しかし、そんな母も、数年前から1人では来ることが出来なくなってしまった。


昨日、何年ぶりだろう、久しぶりに妹に連れられてやってきた。

朝5時から起きて煮込んだ、たけのこや、イカなどを鍋ごと温かい状態で持ってきた。


そして、笑うのだ。

「80歳になろうとする母親が60歳になろうとする娘のところにくるのに

料理持参のその上に、畑の支柱立てまでするなんて」と。



しばし、つもり積もった愚痴やその他思いのたけをしゃべった後にやおら、

周りを見回して、

「そのキャスターつきのモノ入れはどう見ても邪魔だ。

中身をどこかに移すとかして外に出すとかよその部屋に移すとかしろ」と、

言ったかとおもうと、その方法を考えている。


去年まで母にはいろんなことがありすぎて、もう元気にはなれないんじゃないかとずいぶん心配した。




目いっぱい傷つけられた心はずたずたのままなのだけど

そこに少しずつ潤いが戻ってきてるのが分かる。


どうか、安らぎが少しでも増えるようにと、願わずに居られない娘である。

そのために、60歳を過ぎようといつまでも母の手をとる仕様のない娘で居ようと思う。




天丼 1万円也
2006年05月10日(水)

福岡市にある西鉄グランドホテルで1万円の天丼が食べられるという。

食材の内容はどうなっているかというと

「大分産のクルマエビ  
玄海島産のアワビ
北海道産のウニ  など17種類
すべて、旬の素材を国内の産地から厳選

油は茶の実からとれ価格が普通のてんぷら油の3倍から5倍するという「茶油」
有田焼の釜で炊いたコシヒカリとともに、有田焼の器に盛り付ける。というものだ」

以上、西日本新聞から



茶油(私は存在すら知らなかった)とはどんな香りがするのだろう。

器も選りすぐりの名の通った人の作品なんだろうな。
落として割ったりするとなんて思ったら、手が震えそうになるに違いない
(それでは逆効果になってしまうけど)

いったいどんな人が食べに行くんだろう。

ちなみに1日10食の限定だそうで二日前までに要予約とのこと。



携帯メール
2006年05月09日(火)

まるで必要もないのに携帯をもって1年半が過ぎた。


同年代の人はパソコンよりも携帯でのメールが簡単でよいという。

しかし、私はずっとパソコンを使い慣れている(経験年数で言うとゆうに17年を超えた)こともあって

メールを思うように入力するにはパソコンがいい。

パソコンだと長い文章でも、間違ったり推敲したりするのにも何の問題もなく気持ちよく出来る。

どうしても必要があって、携帯メールを打とうとするのだけどその度毎に

ものすごいストレスを感じてしまうのだ。


そのために、簡単でそっけない文章で済ましてしまう。

なぜか、携帯だと早く返信しなければならない気がして、強迫観念に襲われるし、

こんなに時間がかかると相手がいらいらしちゃうんじゃないかなんて馬鹿なことを

考えてしまったりする。


高校生になったばかりの甥と会話しようものなら、

短文で次々と返信がきて絵文字や小文字(や、よ、そのた小さい文字)が、

あちこち多用されていて眺めるにはきれいだけど、判読するのは疲れる。

それに対して、返信していくのは3回もやるともうだめ。


送られてきた文章に対してきっちりとお返事を送るって言う、「お手紙」だったはずの

メールはいまや存在しなくなったのかしら。


いやいや、携帯というのはすぐに連絡が取れるから携帯なんだもの

私の考えが古いんだ。きっと。



NHKスペシャル プラネットアース   
2006年05月08日(月)

美しい映像だ。

動物たちの生態を見ることも楽しみの1つだったのだけど

上空からの撮影が見事でまるで絵画を見てるような錯覚を起こす。

ゆっくりと水の動きを追ったり、動物が走るシーンがまるで目の前にあるように

その毛並みまでが伝わってくる。

「ああ、ハイビジョンで録画を撮りたいなあ」

けど、我が家のテレビは地上波ハイビジョンは見れるが、デジタルは見れない。

そして、DVDはハイビジョンが録画できない。


そして、来年の7月には地上波ハイビジョンは送信は停止される。

テレビではデジタルの良い点ばかりがコマーシャルされる。

「こんなことが出来ますよ。こんなにきれいに見れますよ。」


それは、わかった。


でも、なぜ、デジタル化してしまわなければならないのか、いまだ良く分からない。

どうしてもそうするのなら、国がすべての経費を持つか、各家庭のテレビが壊れてしまい

買い換える必要があるときに順次変えるようになぜ出来ないのだろう。

かたくなに買い換えずにいたら、テレビは見るなってことかしら?

納得できない。それとも私がわかってないだけ?



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