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今年も夏の特番の季節がきた。 昨日、今日とフジ系列で「再会」をテーマにやってたね。
私は普段あまりテレビを見ないのだけど、 今回はちょこちょこ見てたかな。
人と人が出逢うってすごいことだと思う。 望んで止まない人に再会できるって素敵。 私にも再会したい人はいる。 だけどあそこまで走れるかどうかは疑問。
でも、視聴率稼ぎのお涙頂戴には同意できない。 いや、今回のこの番組がそうだというわけじゃないけれど 「ほら、どうだ。感動するだろう」というお仕着せは御免だ。
それに最近の「癒しブーム」もどうかと思う。 確かに癒されたい人は多いのだろうが、 「ほら、これで癒されただろう?」だの 「これで癒されなければ人間じゃない」みたいなムード。 泣けない私にとっては、苦痛だったりもする。
泣けない私は鬼なの?
ふとそんな事が頭を過ぎって、考え込まなきゃならなくなるから。
それから、もう一つ思い出したから書いちゃおう。 ほんのちょっと前に(現在進行形でまだ流行ってると思うけど)、 随分流行ったあるアーティストの曲がある。 やはり「癒し」をイメージされたと思われる曲で、 初めてその曲を聞いた時には、昔の曲のリメイクかと思った。
中学生の頃、デビューしたてのそのアーティストが好きだった。 無骨な顔とはかけ離れた曲調で、とても言葉が好きだった。 だけどヒットが出て、時代が流れて行くと彼の曲は変わってしまった。 それが悪いとは思わないけど、私はついてはいけなかった。
丁度、その過渡期の頃、彼のアルバムに収録されていた曲のサビの部分と 今度の新曲の出だしは酷似している。 世の中を敵にまわしたような詩を書いていた彼が、 世の中のルールを逸脱した彼が、 今度は「癒し」ですか。
売れればなんでもアリかい。 ふとそんな気がした。
世の中にはお仕着せの「癒し」が溢れているけれど、 自分の癒しは自分で見つける。 自分が一番心地よいことこそが、自分にとっての「癒し」だと思うから。
つまり・・・・・ モニターの中の出演者と、モニターのこちら側のテンションが あまりにもかけ離れたお祭り騒ぎは好きじゃない。 それが書きたかっただけなんだけど。
時々、無性に泣きたくなる時がある。 というよりも、涙を流したくなる時がある。
特に悲しいことがあったわけでもなく、 悔しいことがあったわけでもないのに、 涙を流したくなる。
私はどちらかというと、というより、 ほとんど泣かない人。泣けない人。 私自身の中には「号泣」というものはなく 泣いても涙が一筋こぼれ落ちるだけ。
涙が止まらなくて困ったことは 本当に数えるくらいしかない。
だから尚更泣きたくなる。 泣いてみたくなる。
あの時、もしも泣いていたなら、 今とは違う日常を送っていたのかもしれない。 あの時、もしも歯を食いしばらなければ 失わずにすんだ物もあったかもしれない。
突然泣きたくなった時は、 悲しい映画を観る。 たまには涙腺の掃除をしなきゃ 泣き方さえ忘れてしまいそうで。
だけど、涙を武器にするやつにだけは なりたくない。絶対ならない。
そう堅く心に誓うけれども、 泣けないんだもの。 武器にしようが無いっか。
子供の一周忌を済ませたら、何も変わってはないのだけれど なんだかすっきりしました。
そう書かれた手紙は、今までとあきらかに違っていた。 お兄さんに勧められたパソコンで、初めて書いたという手紙。 彼女の「生」に対する意気込みが、こちらにまで伝わってきた。
すべてを受け入れて愛そうと決めたのです。ちょっとカッコつけすぎ? でもね、怨んだり憎んだりしていると、自分が幸せじゃないのよ。きついの。 怨んで怨んで、そして自分の身体を駄目にしていくみたいなの。 そして関係ない周りの人まで傷つけてしまって・・・でもね、 愛そうと思ったら心が軽くなって、幸せな気持ちになれたよ。 本当に愛せるかどうかわからないけど、心では愛そうと決めたのよ。 すべてを。向こうの両親も夫も。生きているものすべて。
努力して愛するものではないんだろうけど、愛するって決めて、 愛せますようにって願ってる。
だけど、頭ではわかっていても行動が伴わなくてね(笑) なんかあればすぐ不満になる。不平を言いたくなる。 昨日なんて、なんか暑いというだけで幸せじゃなくなる自分を発見して がっかりしたよ。 強い心が欲しいなぁ。 とにかく、今日起きて寝るまで楽しく過ごそう。 明日のことは考えまいと思って過ごしています。
それからの彼女は、こちらがビックリすることを次々とやってくれた。 突然大型免許を取得して、マイクロバスの運転手になった時には 大笑いしたっけ。 偶然彼女の運転するバスの隣を走った時は、 思わず車線変更しやすいように、前や後や横でチョロチョロしてしまった。 スキューバダイビングを始めると沖縄へ行ってみたり、イルカと戯れるんだと 天草へ行ってみたり。それもすべて一人で行ってしまうのだからすごい行動力だ。 時折現地から届く絵はがきを見ては、目を丸くさせられた。
この頃には彼女はもう旧姓に戻っていた。 とても拘り続けた姓を捨てた。 最後の最後までご主人が迎えに来てくれるのを待っていたけれど とうとう彼は来なかった。
自分の母親が並べたてる言葉を鵜呑みにして、何一つ自分で確かめようと しなかったご主人は、離婚届でさえ郵送で送ってよこした。 彼女が何をした? 子を亡くして悲しいのは同じ。いや、心の痛みは陣痛の何百倍だったはず。 彼女の痛みを察することもなく、なんて自分勝手なヤツだと思った。 私がそう言うと彼女は庇う。 そんな男でも彼女にとっては、かけがえのない家族だったんだよね。 だけど親しんできた姓に戻ってからの彼女の顔には、一段と笑顔が増えたよね。
時々私の家に遊びに来ては、娘のほっぺたを撫でていたっけ。 「このプニョブニョが気持ちいいのよねぇ~」と娘を膝にのせてくれた。 辛かっただろうに。そう思いつつも、腫れ物に触るように接することはしなかった。 世の中に出れば、嫌でも子供の姿を目にする。 彼女もそれを承知で我が家へ来てくれているんだ。 私がいれたコーヒーを飲みながら、取り留めのない世間話に花を咲かせる。 待ち続けていたそんな時間を、私達は充分楽しんだ。
そして、マニュアル本を片手に彼女がHPを作り出したのもこの頃。 私も随分パソコン購入を勧められたけど、まだ二の足を踏んでいた。
さあ今からだとおもった矢先、神様がいるのなら怨みたくなった。 彼女に宣告された「結核」という診断結果は、彼女を打ちのめすのに充分だった。 結局、彼女のHPは完成することはなかった。 何を書き、何を伝えたかったんだろう。 彼女のHPこそが、一番読んでみたいサイトであることは今でも変わりない。
 私のリクエストで、年賀状もイラストで送ってくれていた。 文字は表に書いてねって言ったのに、忘れて裏に書いてきた彼女。 そんなおとぼけも彼女らしくて、今ではもう笑い話。
逢いに行っていいかとの問いに 彼女は答えは「まだ誰にも会えない」だった。 いつ逢えるのかと私も食い下がった。 「明日もしれないし、1年後かもしれない」 その返事に納得するしかなかった。
彼女と私が再会したのは、手紙が届いて3ヶ月が過ぎてから。 もともと小柄だった彼女は、一廻りも二廻りも小さくなっていた。 抱きしめると折れそうなほど。 「涙の跡がとれないのよ」と彼女は小さく笑った。 ほんの小さな笑みだったけど、ほんの少しだけ心の中で 何かが前進したんだろう。
それからの私達は、文通をした。 口に出したら少し気恥ずかしい言葉でも、文字だと素直に書ける。 それは彼女も同じだったようで、手紙のやり取りはしばらく続いた。
その「しばらく」の中で、彼女からの手紙の消印があちこちと変わった。 ふらりと出た旅行先からや、お兄さんの家、まるで実家にいたくないと 言わんばかりにあちこちに出かけていたようだ。 それで気が紛れるなら、それで何かを見つけられるなら 彼女の突発的な行動に苦笑いしながらも、宛先の住所を確認しながら返事を書いた。 ただ一つ、いつまでも変わらなかったのは彼女の苗字。 別居状態が続いていたのだが、彼女はあくまでもご主人の姓に拘った。
私達はまだ家族なんだ。 それが彼女の口癖で、それがとても悲しかった。
私ね、変な話しだけど、小さな頃から死にたくて。というか、 生きてるのが面倒で仕方なかったんだ。小学生の頃からね、 遠足の前の晩とかね、とても楽しみなんだよ。それなのに もし神様が明日遠足に行くのと、今、死ぬのとどちらかを選べって言ったら 死ぬ方を選ぶだろうなぁ・・・って。 考えてたんだよ。小さな頭で。
それは大人になっても変わらなくて ずっとこれと死とどっちがいいか?って自分で考えると死を選ぶんだよね。 死といっても自殺ではないよ。自然死。神様がもたらしてくれる死。 私は生きる意志が弱いんだろうね。 長生きなんかしたくないと思っている。 でもどこかで死にたくない!って思うほどの幸せになってみたいなぁ。とも思う。
でもね、この頃違うんだよ。子供が死んでからね。 そりゃもうその後は自殺することばかり考えてたよ。 だけど死ぬという行動を起こすことも煩わしくて、家で寝てばかりいた。 でもいつの頃からか変わってきた。死んでも一緒だって。 死んでもこの悲しみも苦しみも何も変わらない。周りの人に余計な悲しみを 与えるだけなんだよね。
自然な死が訪れるまでは、人は生きなきゃいけないんだ。 これは義務なんだなぁって感じるようになったよ。 どんな人生でもいいから、とにかく生きなきゃいけないんだ。 そう考えられたのは、子供のおかげだと思う。 できれば幸せに生きたいけどねぇ・・・
夫はね、知らぬ間に退院してた。知らぬ間というのがすごいでしょ。 会いに行かなきゃと思うけど、それだけのエネルギーがない。こわいよー。 今まで主人に出した手紙、届いてるのかなぁ。不安だなぁ。 届いてるとしても、返事が無いから不安だ。
東風もお母さんのこととか子供のこととか、大変だと思うけど 頑張ってね。頑張ってね。東風が大変な時に力になれなくて本当にごめんね。
彼女からの手紙の最後は、いつも私を励ます言葉だった。 自分が一番つらいのに、私のことを気遣ってくれていた。 その優しさ故に、自分が一番辛い目に遭ってしまうんじゃないか。 もっとわがままに、もっと自分本位に、人生を生きても良かったんだよ。
 珍しく水彩画で描かれたイラスト 彼女はよくゾウの絵を描いていた。 遺品として残っていた絵本もゾウが主人公だった。
彼女から結婚式の招待状が届いた頃、 私は息子を妊娠している時だった。 奇しくも式の日取りと予定日が同じ日で、 「欠席」という返事しかできなかった。
彼女のご主人は同じ職場の同僚で、同じ信仰を持つ人だった。 新婚旅行後に送られてきた葉書には、寄り添って笑う二人が写っていた。 とても優しそうで、少し神経質そうで、ナイーブな感じのご主人だった。 写真の中の二人は、とても嬉しそうで幸せに満ちあふれていた。 そのまま幸せになってほしかったのに・・・
しばらくすると友人から、妊娠したという連絡がきた。 その頃はご主人の実家の近くに転居してしまっていたから、 車で1時間ほどの距離に住んでいた彼女。 なかなか里帰りができないと悔やんでいた。
それでも受話器から聞こえてくる彼女の声は、 表情が読みとれるほど、弾んでいた。 母になる喜びを延々と語っていた。 家族が増える楽しさを喜々として語った。
あの頃の私達は、頻繁に連絡を取り合うこともなく どうしてるかなぁと思ってると偶然に連絡が来るという具合だった。 「今日、どうしてるかなって思い出してたところだよ。」 「うん、なんかテレパシーみたいだね。」
考えてみれば、あの頃からいつもそんな感じだった。 お互いに引き合っていたのかもしれないと思う。
でも、しばらく連絡がなくて、どうしているのかと思っていたら お腹の赤ちゃんの調子が良くなくて、絶対安静の時期が続いているらしかった。 里帰りもできず、知らない土地で、 一人横になっているのはどれだけ心細かったろう。 後でこのことを彼女は悔やんでいた。 生後7ヶ月で逝った我が子の責任を、一人で全部背負い込んで。
あなたが何かをしたから、そうなった訳じゃない。 あなたが何かをしなかったから、そうなった訳でもない。
それから何ヶ月かたって、彼女は男の子を出産した。 少し小さかったけれど、産声も元気で、保育器に入ることもなかった。 彼女がどれだけほっとしたことか。 私はそっちの方が嬉しかった。
だけど彼女とご主人の子育ては、私達の予想以上に大変だったようで 小さな物音一つにも敏感に反応し、両親の方がおたおたしているようだった。 たまに電話をかけても、話し声が昼寝を邪魔するとからと彼女はヒソヒソ声で話し 私は受話器を必死で耳にあてなくてはならなかった。 マタニティーブルーというやつで、私にも経験があったから 元気付けようと電話をしているのに、早々に切られてしまうことさえあった。
少し神経質になっている。そんなふうに感じた。 時間が経てば落ち着くだろうと思っていた。 電話をかけるタイミングを見計らっていたけれど、 気を使っているうちに時間が経ってしまった。
しばらくして彼女から手紙が届いた。 いつもの彼女の文字とは少し違っていた。 私は最後まできちんと読むことができない手紙だった。
1ヶ月の頃、東風の電話で励まされました。ありがとう。 しかし、息子は死んでしまいました。7月です。 肺炎と言われました。 その後、主人も私も入院し、主人はまだ入院しています。 姑が子供が死んだのも主人が身体をこわしたのも、 私のせいと主人に会わせてくれません。 人生って色んなことがあるのですね。思ってもみないことがあるんだ。 今まで住んでいた家は引き払い、私は実家にいます。 毎日がただすぎていきます。笑いたいと思います。 毎日笑えたらどんなに幸せだろうと思いながら暮らしています。 悲しい手紙でごめんなさい。 そのうちきっと元気になって遊びに行きます。
11月2日
次の瞬間、私は受話器を握っていた。 そらで覚えている彼女の実家の番号を押した。 だけど言葉が見つからずにただ泣くことしかできなかった。 彼女も向こうで泣いていた。 二人とも声を殺し、ただ静かに泣き続けた。 大声で泣くことができたなら、少しは心の痛みが癒えたんだろうか。

彼女の命日である今日(6月20日)、このイラストをアップしようと思ってました。 中央のボーダーを着たのが私、横にいるのが子供たち。 懐かしい人達が皆ないます。そして彼女も、彼女の子供も・・・
期せずして、彼女の実家へお参りに行くことが出来ました。 遺影の彼女は笑っていました。 あの日からもう1年。 彼女がいなくなってもう1年。
高校は別の学校に進学したから、私はあまりあの頃の彼女を知らない。 たまに電話で話して、ごくたまに逢って話した。 美術が好きだった彼女は美術部に入り、 素敵な先輩とおつき合いを始めたとも聞いた。
ある時、彼女の美術部が野外活動をしたときに どうしてだろう、私も参加した事があった。 「お姉さん?」 と聞かれた私、彼女と顔を見合わせ苦笑いをした。
2年の頃からか、彼女とまったく連絡をしない時期が続いた。 私はアルバイトなどで忙しく、彼女も元気でいると思ってた。 ずっと時間が経ってから、あの頃の彼女が交通事故に遭ったと知った。
彼女が入信していた宗教は、原則として医療行為を受けない。 だから事故後の彼女は、ずっと自宅で療養したのだと聞いた。 後遺症もなにも残らなかったから良かったようなものの、 笑い話として彼女の口から聞いた時には寒気がしたものだ。
どんなに仲が良くても、環境が変われば遠のく友はいる。 悲しいけれど、どこにでもある話しだ。 それでフェードアウトしてしまうのか、 またつき合いが濃くなるのかの分かれ道はなんだろう。
彼女と私、そして仲の良かった5人組。 近くもなく、まったく離れもせず、 そんな微妙な関係を維持しながら大人になった。
だけど、大人になってからの私達は、 5人が揃って顔を合わせたことはない。 そしてそれももう決してできない。
それが悲しい。 とても悲しい。
入院してからの彼女のイラストには、ピクニックをしている絵が多かった。 何度もピクニックへ行こうと約束もした。 果たせなかった約束。
私と彼女の出逢いは中1の春 3校の小学校がひとつの中学校に集まった。 彼女と私は別々の小学校だったから、初めて見る顔だった。 偶然同じクラスになり、偶然同じ演劇部に入部した。
第一印象は小さくて可愛い人だ。だったと思う。 髪が長くて、目がクリクリしていて・・・
私は既に身長が165㎝を優に越えていた。 それがコンプレックスにもなっていた。 お互い無い物ねだりだと後に話したことがある。
クラスメートで同じ部活。 最初の一年間はそのくらいの仲だった。 特別ベタベタしていたわけじゃなく、特別話さなかったわけじゃない。
ただ、そのクラスはまとまっていてクラス全員で楽しいことが多かった。 教員1年生の担任は随分と手こずっていたようだけど・・
クラスの男子の中にチョイ悪が一人いた。 どうしたものかと悩んだ担任が、こともあろうか学級委員に指名した。 責任を持たせることで、少しでも大人しくさせたかった。らしい。 その相棒に彼女が抜擢されることになった。 勉強が出来て、優しくて、とても賢い。それが選考理由
結局、彼女はとんでもない3学期を過ごすことになった。 委員会はサボル、職員室には行かない、そんな相棒に手を焼いた。
彼女は相当嫌だったようだ。
数々のエピソードを残し、私達は2年生に進級した。
進級するとクラス替えがあり、私はまた彼女と同じクラスになった。 他に3名を加え、仲良し5人組が誕生した。
中学2年と云えば青春の真っ盛り、好きな男子がどうのこうの・・・ 好きなアイドルがどうのこうの・・・ 女が5人もあつまればピーチクパーチクと騒がしい。
勿論私も例外なく、好きな男の子がいたわけで 「今日、廊下ですれ違ったよ~」なんて浮かれていた。 現在になってよく考えれば、 彼女は好きな男子がいたんだろうか・・・ ほとんど自分の事は話さず、いつも聞き役に徹していた。 誰かが落ち込めば慰めて、誰かが喜べば一緒に喜んで、 いつもニコニコ横にいてくれた。
彼女は部活を2年と3ヶ月で辞めた。 理由は、つまらないからだと言った。 一度だけ同じ舞台で演じたことがある。 どういう内容の芝居だったかは忘れたが、 彼女が天使の役だったことは鮮明に覚えている。
彼女のイメージ そうイメージにぴったりだった。 私の中の彼女は、どれだけ時間が経っても天使のまま。
あの頃は仲良しだったと云え、ほとんど彼女の事を知らなかった。 私の家に2度遊びに来た。 だけど私は彼女の家には行っていない。 「今度行くね」と云うと彼女の顔は曇った。 私はもう何も言えなかった。
大人になってから中学の頃の話しをすると いつも彼女はバツの悪そうな顔をした。
家に友達を呼びたくなかった理由も、大人になってやっとわかった。 人とは違う環境で生きていた彼女だからこそ、 学校ではみんなと同じでいたかったのだ。
だけど、あの頃に戻れるものなら戻りたい。 彼女の笑顔は本当に可愛かった。 あの笑顔の後にあった寂しさを、わかってあげたかった。
 彼女がときどき送ってくれたイラストの葉書をアップします。 とても優しい絵を描く人でした。
夕食中に雷が鳴って、娘がちょっと怪訝な顔をした。
「雷ってねぇ、神様が怒ってる怒鳴り声なんだよ。 何を怒っているのかなぁ・・・」
神様か。 でも娘の考える神様って、いったいどんな神なんだろう。 訊いてみると白い髭を生やしたお爺さんだそうだ。 まるで「ロード・オブザ・リング」に出てくる魔法使いのようだと思った。
宗教について考えることがたまにある。 私自身、無宗教だと思っているが、神の存在は信じている。
キリスト教の神でもなく、仏教の神でもなく、 自分の先祖でもない。
私の中にいる、私だけの神。 そういう表現以外は思いつかないのだけれど。 とてつもなく大きな存在であるその者に、抱かれて生きている。と思う。
私は宗教を否定しない。 新興宗教と呼ばれるものも基本的には否定はしない。 ただオウムの事件のように、正義という名の下に傷つけようとしたり、 霊感商法のように信仰心を逆手に取るやり方は許せない。
神を信じて心安らかに過ごせるのであれば、それはそれで良いと思う。 ただ布教活動と称して、信仰心の押し売りはゴメンだけれど。
昔、友人と宗教について話したことがある。 世間話程度の話しなら誰とでもするのだが、 深く掘り下げた宗教の話しとなると、やはり二の足を踏んでしまう。
彼女は新興宗教に入信していた。 入信というよりも、生まれた時点で親が信仰していた宗教に 自動的に入信させられたと言った方が正しい。
ご両親も姉弟も熱心な信者であったようで、 ご両親はその宗教関係のお仕事をされていたようだ。
子供の頃からそれが当たり前で育ってきて、 自分が人と違うということに気がついた思春期。 とても言えなくて悩んだらしい、彼女は誰にも話さなかった。
そんな彼女の宗教観がある日崩壊した。 目の前で起こった悲惨な現実に、自分が信じてきたものを見失った。
神がいるというのなら、なぜ私から愛息を奪う。 なぜ夫も自分も病で伏せる。 そして・・・ なぜ夫と自分を引き裂くのか。
彼女の叫びは悲痛なものだった。 彼女は30年以上信じた神を捨てた。 それはきっと、とても辛くて、苦しい決断だった筈だ。
それからの彼女は、いろんな本を手当たり次第に読みあさり 自分の中にいる神を見つけた。 自分だけの神を見つけた。
その数年後、彼女は神に抱かれた。 ただ安らかに眠るために・・・
これからしばらく、彼女のことを綴っていこうと思います。 彼女がこの世の生きていたという証に。 彼女がかけがえのない友人だったという証に。
あの日から、もうすぐ1年が経とうとしています。
2003年06月11日(水) |
断ればすむだけなのに・・ |
疲れた。 本当に疲れた。 予定外の長距離運転で、もうヘトヘトになった。
「ねぇ、買い物行かない?」
朝っぱらからの電話に、内心どうしようかと迷った。 目的地は車で1時間ほどかかる大型ショッピングセンターで 外は横殴りの雨。 映画を見に行くかどうか悩んでいる最中だった。 それを告げると、敢えなく却下されてしまった。
足を持たない彼女は、私をアッシー君(死語は承知です)だと思ってる。 いやいや、ただのアッシー君だけならよいのだが、 時々ATM代わりまでさせられる。
「銀行行きそびれちゃって、ちょっと貸してくれる?」 「救急病院に子供を連れて行くから、ちょっと貸してくれる? ついでに、乗せてってくれない?」 無駄使い防止のために、キャッシュカードを付けていないのは感心するが それがこう頻繁だと、危機管理能力に欠けるとしか言いようがない。 それも悪びれたふうでもなく、あっけらかんと言われると 何か私の方に落ち度がある気にさえなってくる。
常に自分のペースを崩さない人。 強引に自分の意見を押しつける人。 正直言って、苦手だ。
そう、こんな事を書くくらいなら はっきり断ればいいんだ。 それをできない自分自身に、心底辟易している。
人間関係をギクシャクさせたくないからと正当化させつつ、 「NO」を言わない自分自身に自己満足しているだけだ。
強い雨が降る帰りの車中で、 「また行こうねぇ~」との彼女の言葉に、 「アッシー君はもう懲り懲り」と言ってみた。
でもこれは「NO」じゃない。 ただの嫌味。 思いっきり嫌味。 ああ、これこそが最低な行為。
こんな嫌味を言うくらいなら、 旦那にグチグチ言うくらいなら、 最初っから言えばいいんだ。 ただ一言「NO」と。
なんで私の方がこんなに凹まなきゃならないのだろう。 あー莫迦ばかしい。
洗顔だ。洗顔だ。 今夜も思いっきり洗顔だ。
美容部員をしている友人に、「美肌の秘訣は?」と訊いたら 一言、「洗顔」という答えが返ってきた。 そういえば、美人女優もテレビでそう言ってたっけ・・・
友人に言わせれば、 決して、高い洗顔石鹸も、高い化粧水もいらないらしい。 当たり前のことだけど、皮膚についた汚れをちゃんと落としてあげればいいと。
そうすれば後のお手入れが2倍にも3倍にも効くらしい。 化粧水も、美容液も肌に浸透しやすくなる。
「ほら~、人間の心と同じだよ。 いくら音楽を聴いたところで、心が吸収しようとしなきゃ、 クラシックもパチンコ屋のBGMもいっしょ。 要は土台が大切で、いかに真っ新の状態を保つかよ。 肌の汚れも心のくすみも、その日のうちになんとかしなきゃね。」
ふ~ん、そんなもんか。
肌の汚れは正しい洗顔でなんとかなるのだろうが、 心の汚れはどうしたものか。
人を妬む気持ち 人を恨む気持ち 感謝もできず、謝罪もできず
自分を嫌悪する心 自分を否定する心 愛するすることもできず、認めることもできず
誰だって、心に汚れはある。 純真無垢な人なんているもんか。 だけど、汚れを洗い流そうとするかしないか きっとそこが分かれ道なのだろう。
感謝をしようと、 謝罪をしようと、 愛してみようと、 認めてみようと、 ほんの少し語尾が違うだけで、正反対の意味を持つように ほんの少しの気の持ち方で、心の汚れが薄くなるんだろう。 どうしても染み付いてとれないシミは ソバカスとおなじでチャームポイントだ。
そうやって開き直れる日が、私にも早く訪れてほしい。
いつもより念入りに、たっぷりの泡で洗顔をしてみた。 美人主婦と呼ばれる日も間近か(笑)
自分を良く見せようと、無理をしてきた。 特に、青春と呼ばれる自意識過剰な時代には 自分をギリギリまで追い込んだ。
弱みは見せない。 いつも涼しい顔をして、 よほど心を許せる人の前以外では できるだけ感情は出さなないように振る舞った。
クールでいることがカッコいいと思ってた。 それが大人であると思ってた。
だけど、 なんという勘違い。
自分のダメな部分や、弱い面を最初にさらけ出すと その後のつき合いがなんと楽になることか。 無理をせず、カッコつけることもなく 自然に振る舞えるということを知った。
肩の力を抜く
それができるようになっただけ、 自然に過ごしていると思う。
初対面の人に逢うのに、着て行く服を随分悩んだ。 第一印象って大切だと思うから。
最初に袖を通した服は、白いシャツと黒のパンツのクールな私。 髪もきりっとまとめてみたし、何年も前の私が出来上がった。 鏡を見ると、張りつめていた頃の自分がそこに居た。 この服は現在の私には似合わない。
次は普段着に袖を通した。 お気に入りの白のTシャツと、主人に買ってもらったジーンズ。 いつもの自分、飾らない自分。
鏡の前には、肩肘を張らずに自然な私が居た。 うん、こっちの私の方が好き。
そう考えてみれば、クローゼットの中には 肩肘を張る為の服が多すぎる。 フリルや花柄なんて1枚もない。 甘い色の服もほとんどない。
だからといって、 今更、フリルや花柄に挑戦しようとは思わないけど 鎧のようにガチガチに身構える服ももう必要ないのかもしれない。
ありのままでいられる幸せ 自然体でいられる喜び
そんなことを感じながら 失礼にならない程度の普段着で出かけることにした。 もうね、鎧を着込むのはヤメにした。 普段着の自分を好きになれたから。
つまりね、服を選ぶという行為を 深刻ぶって書くと、こんな感じになるのかな(笑)
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