ミドルエイジのビジネスマン
DiaryINDEX|past|will
2007年01月28日(日) |
体調不良につき、飲み会中止 |
お正月に、今年のテーマは「自由」と決めたので、週末の金曜日はできるだけ飲み会を設定し、なじみの人達とコミュニケーションを図ることにしようと考えた。先々週は前の会社で一緒だった若手(と言っても今はもう四十代らしい)としゃぶしゃぶ食べ放題に行った。
先週は第二弾として、三十代ほやほやの若者と居酒屋に行く計画だったのだが、朝起きてみると前の日の夕食が全然消化されていなくて胃の辺りがグルグル鳴っている。体は割りと丈夫にできていて、こんなことは普通、年に一度もない。
大事な会議もあったので、出勤前に胃薬とオフィスに入る前にコンビニで栄養剤を飲んで仕事に向かった。モーレツサラリーマンのようだ。午前中の会議は何とか持ったのだが、会議の流れでみんな一緒に食事に行くことになり、いつもと同様に食べてしまったのが運の尽き、再び具合が悪くなって午後はただ座ってそこにいるだけ、生産的なことは何もできない状態だった。
夕方、若者とは日本橋高島屋デパート前で待合せをしていた。とにかくその場までは出向いて飲み会は延期とし、お詫びの印に独身の彼にショートケーキを買ってあげることになった。おかげで高島屋の食品売り場でケーキを買うなどというエスタブリッシュな経験をさせてもらった。さすがに店員さんもおっとりしていて、包むのもこちらがイライラするくらい丁寧だった。成行き上、彼の分と合わせて、直ったら食べようと思って自分用に3個買った。そうして、コーヒーショップで紅茶を飲みながら少し話して帰ってきた。
家に着くと、ちょうど下の子供が強い雨に打たれながら塾から帰ってきたというので、ご褒美にとケーキを取られてしまった。ついでに兄の方も2階から降りてきて、二人揃って美味しそうに食べているのをみると、子供たちが小さかった頃のことなど思い出されるし、自分は空腹でも子供にだけは食べさせたいという、昔聞いた親としての気持ちも多少解るような気がしたりして、ほのぼのするひと時だった。
残った一個のチーズケーキは、翌日、最愛の妻と両端から少しずつ仲良く食べることに決めたのだが、案の定、何でそんなに沢山すくうのか、はたまた、どうして上に乗っている最後のブルーベリーを無断で食べてしまうのかと醜い争いになってしまった。
すぐ直ると思い、週末の休みの間節制しなかったので、体調はあまりよくない。日曜の夕食を抜いて、様子を見ることとした。
2007年01月21日(日) |
番組を見ながら納豆を練っていただけに |
夕御飯はとっくに終わっても、番組を見ながら改めて納豆を練っていただけに、朝刊の一面で「あるある大事典Ⅱ」に捏造があったという記事を発見して大ショックだ。さすがに、朝晩2回も納豆食べて飽きずに長続きする訳がないとは思ったが、中身が全部ウソで固められていたとは・・・。
自分の価値観に照らし合わせると、不二家の消費期限切れ事件よりも、公共性の高いテレビ局のやったことの方が罪が重い。新聞でも、時々自作自演のスクープ事件が起こるが、それはあくまで個人の仕業だ。人気のテレビ番組全体をウソで固めるのは、一人でできることではあるまい。
決して、孫請けの製作会社が勝手にやったことなどと言って済ませてはならないと思う。しかも、大手の食品会社だけには、番組のかなり詳細な情報が事前に流出していたとも。それでは、タイアップ番組ではないか。
休日、一時間ほどスポーツクラブに行った後、いつものように本を持ってコーヒーショップに向かう。そうして、自慢のノイズキャンセリングウォークマンで絢香の「I believe」を聞く。
この曲をバックに滑っていたグランプリシリーズ、アメリカ大会での安藤美姫はいい顔をしていたなあと思う。トヨタの力でオリンピックの選手選考は最初から決まっていたと週刊誌で叩かれ、ブクブク太っていては4回転など夢のまた夢、案の定、二度も三度も転んでは無様な姿をさらしてしまった。
その安藤美姫が、鬼気迫る演技で一位になった。まだ、19歳という彼女と絢香は生年月日が同じという縁で友達なのだそうだ。「絢香、やったよ!」「美姫ちゃん、おめでとう」などと、ファミリーレストランでお茶でもしながら、語り合ったのだろうか。
1月4日は仕事始め、職場で年始の挨拶をし早めに会社を出た。家に帰るには少々早いので、途中下車して映画「硫黄島からの手紙」を観てきた。昨年から、NHKのドキュメンタリー、クリント・イーストウッド監督の映画を二本、そして原作も読んだので、硫黄島尽しとなった。
開明的な栗林中将指揮下の日本側から見た「硫黄島からの手紙」は戦争映画ながらヒューマニティ溢れる、その意味では良い映画だったが、これまで口を閉ざしていた元日本兵がテレビのドキュメンタリーで語った話と比べれば、こんな物ではなかったろうと思わざるを得ない。日本兵で生き残ったのは半死半生で救助された一握りの人達だけだ。米兵の機嫌の良いときに降伏して、許された人もいるのだろうか。
兵士にとって戦争はいつの時代も変わらない。貧乏人(庶民)の若者が格好良さと待遇の良さに引かれて軍隊に入ってみれば、あれよあれよとロボットにされ、戦さで友を失って初めて敵兵への憎さ百倍、何でもやった挙句、運良くやっと生きて帰っても、熱狂が過ぎればただの人。太平洋戦争も、ベトナム戦争も、イラク戦争も。
仕事の本格稼働は9日から。
穏やかな年末年始は、日本酒を飲んでは昼寝をし、ビールを飲んではうたた寝をして、朦朧としたまま時が過ぎていく。覚醒しているときは文春文庫の「硫黄島の星条旗」を読んでいるので、恐怖と犠牲心、怒りと勇気にあふれ、そして凄惨な情景が支配する戦場にいるようで息苦しい。
今年の標語は「自由」だ。精神の自由、発想の自由、時間の自由。ひと言で言えば、捉われない心で生きたい。
|