rokoのNotebook


rokoのNotebook



麻原彰晃の弟子達③

2004年02月29日(日)


  故村井秀夫・青山吉伸受刑囚・上祐史浩・・・地下鉄サリン事件後の数ヶ月
  教団の顔になっていた男達、思えば、3人とも実際は表向きの顔(イメージ)
  と違っていた。

  故村井秀夫・・・彼が、あのまま生きていたら、新実・土谷被告のように、
  “尊師”への帰依が消えなかったか。
  それとも、“尊師”のぶざまな様子を見て、イエスマンを返上したか。
  たとえ、帰依が消えなかったとしても、麻原以外彼しか知らなかった事を
  うっかりとボロボロ証言したような気がする。
  ある意味、自己顕示欲が強い人間だった。

  青山吉伸受刑囚・・・「ああ言えば上祐」に比べて、しどろもどろする事もあり、
  容貌もお坊ちゃまというか、ボーとしているというか、何しろ「頼りない」という
  印象だったけど、実は一番したたかな男だったと感じる。
  司法修習時代の同期生に言わせれば、彼は「誠実で正義感の強い弁護士」
  だったそうだ。
  何が、其処まで彼を変えたのか。  
  
  そして、上祐史浩・・・彼が一番謎の人物である。
  彼は麻原の事を尊師と父のように従いながら、麻原にとっては一番煩い存在
  で、ロシアに赴任させられたという話もあったし、逮捕直前には、当時取材を
  通じて知り合った人間に個人的に「事件について教団として謝罪をするだけで
  はなく、被害者に対しても具体的に補償していく。教団の自主解散は出来ない
  か?」という相談をしたという話も聞く。
  滝沢和義受刑者の裁判で、第7サティアンのサリン工場建設のの人選に関与
  していた事が明らかになったにもかかわらず、殺人予備罪が適用されなかっ
  たのは、捜査当局と何らかの裏取引があったのでは・・・という疑問も当然
  おこる。
  
    
  


麻原彰晃の弟子達②

2004年02月28日(土)


  地下鉄サリン以後の旧オウム真理教のスポークスマンの務めを果たしたのが
  青山吉伸受刑囚・上祐文浩現アーレフ代表・故村井秀夫。
 
  「カモメのジョナサンのように生きたい」と言って入信した故村井は、サリン
  事件の約1ヵ月後、4月23日、当時の教団総本部前(南青山)で元山口組系羽
  根組組員の徐裕行当時の青山本部まで刺殺される。
  テレビのワイドショーがオウム真理教一色になっていた頃、テレビで見る村井は、
  穏やかな物腰の人で、うっかりしたことを言ったりする、ちょっと間の抜けた
  人に思えた。
  それが原因で口封じされたとも言われた。
  しかし、実は、彼こそは、一連のオウム事件に関与し、地下鉄サリン事件の総
  括指揮官であった。
  彼は、麻原の指示がとても期限に間に合わないような無茶なものでも二つ返事
  で受け入れてしまう麻原の尤も忠実な「イエスマン」であった。
  麻原の逮捕も無様な公判での姿も見る事無く、自分の罪を省みる事無く逝っ
  た。
  
  青山吉伸受刑囚は、次々と逮捕される幹部達に弁護士という立場を利用し
  て、接見。
  「否認して耐えるのが修行だ」という教団からのメッセージを伝え続けた。
  その悪影響を断ち切るためか、5月の早い段階で「名誉毀損罪」で逮捕。
  10月の初公判で、罪を認め脱会表明をしたが、果たして本意であったかどうか。
  その後、他の被告の検察側・弁護側証人として法廷に立ちながら、のらりく
  らり。
  脱会表明してから5年も経っているのに、新実被告の公判では、弁護側証人
  として呼ばれながら、「証言しない方が誠実」などと主張して、弁護士・検察官の
  説得に応じず、宣誓すら拒否した。
  「誠実」と言うのなら、他の幹部のように、自分の記憶をたぐり寄せる努力
  をしてもよさそうなものだ。
  日常生活を思い出せ!と言っているのではなく、麻原の殺害の支持いう特殊
  な状況の事なのだ。
  それだけ、私達にとって特殊な事が彼らには日常茶飯事になっていたのか。
  或いは、自分が上告中だったので、自分の保身しか考えていなかったのか。
  (2002年滝本太郎弁護士サリン殺人未遂事件を8事件で、殺人未遂罪など
  に問われ、東京高裁で懲役12年が確定。)
  その前年に滝川弁護士に対して出した手紙に
  "私は、できる限り、他の苦しみを自己の苦しみとし、さらに自己の心を
  静かに見つめて反省の毎日を送りたいと思います"とあるのは、偽りか。

  「ああ言えば上祐」という流行語まで生み出し、追っかけギャルも登場、
  ファンクラブも出来た当時の外報部長。
  サリン事件当時は、ロシア支部長で、事件後、日本に呼び戻された。
  ロシアへ行く直前には、第7サティアンのサリン工場建設のの人選に関与
  していた事は、サリンプラント製造責任者で殺人予備罪に問われた滝沢和義
  受刑者(懲役八年刑確定)の1996年の法廷での証言により明らかになった。
  しかし、上祐はこの件では起訴はおろか逮捕もされず、熊本県波野村の国土
  利用計画法違反事件のみで立件、懲役3年の刑を終了し、1999年末に出
  所、2002年1月よりアーレフ代表となる。
  本質的には麻原の評価を全く変えようとしないまま、アーレフを存続させ、
  世間に認知させるために「脱麻原」を計ろうとしたが、他の幹部の反発で、
  昨年秋に失脚したらしい。(アーレフ側の説明によると長期修行中)
  今となっては、たとえ失脚したとしても、彼の生きる場所は、教団の中しか
  ないのだろう。
  本来ならば、彼が知っている過去の全ての事を話し、塀の中にいる元幹部達に
  代わって、オウムを完全に解体させる事が被害者達へ出来る彼の償いでは
  ないだろうか?
  只、オウムの解体と一口にいっても、表向き解体して、地下に潜ってしまう
  方が今よりももっと危険であるし、社会が元信者やオウムの子供達を受け入
  れるかどうか・・・

  
    
  

  
  


麻原彰晃の弟子達①

2004年02月26日(木)


 麻原彰晃こと松本智津夫・・・言わずとしれた旧オウム真理教の代表。
 1995年3月の地下鉄サリン事件を始めとして、全く罪のない人々の命を奪って
 きたにも拘らず、麻原は今でも事実と向かい合おうとはしていない。

 麻原は、無差別殺人によって、多くの人々から最愛の人間を奪ったばかりでない。
 旧オウム真理教の若い幹部信者達は、麻原に拘ったばかりに、麻原を信じてしま
 ったばかりに人間とは思えない犯罪を犯し、自らの人生も狂わせてしまった。
 地下鉄サリン事件の被害者の遺族達でさえ、あの事件の実行犯らに極刑を求める
 証言をしながらも「彼らも人生を狂わされてしまった。対麻原との関係では被害
 者の側面がある」と言う。
 勿論、彼らが犯した犯罪は、たとえマインドコントロール下であったとしても、人間と
 して許されるべき事ではない。
 
 しかし、彼らも最初からあの一連の犯罪を犯すような凶暴な人間だったのでは
 あるまい。
 自分達の生きている社会に矛盾を感じ、人間関係に悩む普通の若者だったに
 違いない。

 一連のオウム事件では、11人が死刑判決(全員が控訴又は上告中)を受け、
 無期懲役が6人(2人確定)。
 この長い年月の中で、土谷正実・横山真人・新実智光被告らのように、死刑判決
 を受けても“尊師”への帰依が消えない元幹部。
 早くから地下鉄サリン事件の全容を自供した林郁夫受刑囚・逃亡を計り他の幹部
 より後に逮捕されながらも捜査・公判段階を通じて、自分の犯した罪を全面的に
 認め、被害者に対する謝罪の言葉を述べた林泰夫被告のように、麻原と決別した
 元幹部。
 端本悟・中川智正被告のように、自分が犯した犯罪への後悔と責任はありなが
 ら、麻原の法廷での不規則発言に動揺し、揺れている元幹部。
 
 彼らは、オウム真理教という狭い閉ざされた世界の中で自らの頭で考え、自らの
 心で感じ、自ら歩んでいく事が出来なくなっていった。
 地下鉄サリン事件の運転手であった杉本繁郎被告が最終意見陳述で、「実行役に
 なるか運転手役になるかなど、麻原の一言で決まっただけで、私も実行役に選ば
 れたなら、最後まで実行していたと思う」と述べているように、全ての事が麻原
 の一言で決まっていた。
 
 自分達の犯した罪を認め、被害者に謝罪している幹部たちも「オウムはこのよう
 な事件を起こしたのか」という疑問に関しては、彼ら自身も本当のところは分か
 っていないのだろう。
 法廷で「私たちは、サリンを作ったり、サリンをばらまいたり、人の首を絞めて
 殺すために出家したわけじゃないんです!」と泣き伏した中川智正被告、
 麻原の不規則発言に号泣した早川紀代秀被告、
 声を荒げて「あなたに対して反省を促したり、本当のことを言えと言っても、無
 駄なことだと私は十分承知しているけれども、大声が出るなら証言すればいい。
 宗教はあなたにとって道具であり、信者は手足に過ぎなかった。色々と一人で考
 えて欲しい。」と証言を求めた林郁夫被告・・・。
 麻原を教祖と崇めていたかつての弟子達の問いかけにも、応えようとはしていな
 い。

 明日、麻原は、第一審の判決を受ける。
 かつて麻原を「尊師」と呼んだ弟子達は、たとえ、塀の中にいようとも、生きて
 いる。
 今、何を考えているのだろうか。
 自分の犯した犯罪への悔恨し、被害者に対して、謝罪の気持ちがあるのなら、
 他の宗教に逃げるのではなく、自分は生まれて来ない方がよかったという極論に
 逃げるのではなく、与えられた生をどう生きるべきか、誰かから指示されずに、
 自らの頭で考え、自分の心で感じて欲しい。
 

 控訴とは、第一審を不服として上級裁判所(高等裁判所)に控訴する事をいい、
 上告とは、第2審を不服として最高裁判所に上告する事をいいます。






サラリーマン川柳

2004年02月18日(水)


 今年も第一生命が募集したサラリーマン川柳の優秀作100句が発表されました
 ね。こちら
 皆さんは、気に入った川柳ありましたか?

 私が気に入った川柳:
 オンリーワン 職場じゃただの 変わり者 (ロンリーワン)
 
 思い出の 電話ボックス 一つ消え  (くるみ)
 
 何故言わぬ 言うと仕事が 倍になる (-無我夢中ー)

 一日(いちにち)が 終った頃に やる気でる (一応前向き…)

 あの世まで 一緒と思うな 墓(はか)は別 (深チャン)

 体重計 踏む位置ちょっと 変えてみる (彩のパパ)

 携帯の 置き場所忘れ 電話する (意味無いじゃ~)

 恋仇 譲れば良かった 今の妻 (卜占(ボクヤン))

 ストレスの 元が君とは 言えぬ僕 (まじめ公務員)

 妻の声 昔ときめき 今動悸 (紙風船)

 おまけ・・・
 過去の優秀川柳でツレが特に気に入った川柳は、次の2句。
 まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる (遠くの我家)
  念のため、我家でも絶対にそんな事はありませんよ。

 耐えてきた そう言う妻に 耐えてきた (マスオ)
  絶対に私の方が耐えてきたよ!

 
 


前途多難?

2004年02月11日(水)


  先月の事件になるけど、
  サマワで、自衛隊を狙ったテロを計画したという垂れ込みがあって、
  5人が逮捕されたという情報(新聞記事)に対して、陸自の代表
  2名がオランダ軍と一緒に、現地の警察に確認をしにいった。
  その結果、情報自体が、恨みによるガセネタで、逮捕は誤認逮捕であり、
  テロとは何にも関係なかったというものだった。

  ところで、現地の警察に確認をしに行った、陸自の代表のお二人、英語が
  駄目で、取材同行したカメラマンが急遽全部通訳したとの事。
  ちょっとお粗末じゃありませんか?
  英語が出来ないっていうことよりも、このカメラマンがいなかったら、
  どうするつもりだったのでしょう?
  自分達が英語が出来ないのだったら、普通は通訳を用意しないのかしら?
  それとも誰かが用意してくれるとでも思ったのかしら?
  もしかして、自分達は援助してやっているのだから、通訳がいて当たり前
  なんて思っていたりしたのかな?
  まさか、相手が日本語を話すなんて事を考えていたわけではないと思う
  けど・・・

  それにしても、アメリカ軍やオランダ軍と違って、自衛隊は現地の人達に
  溶け込んで、人道的援助をしていくって言っているし、その為の共通語は
  “英語だ”って言っていたけど、本当に大丈夫なのかしら?

 < 過去  INDEX  未来 >


roko [MAIL]

My追加