2004年02月29日(日)
故村井秀夫・青山吉伸受刑囚・上祐史浩・・・地下鉄サリン事件後の数ヶ月 教団の顔になっていた男達、思えば、3人とも実際は表向きの顔(イメージ) と違っていた。
故村井秀夫・・・彼が、あのまま生きていたら、新実・土谷被告のように、 “尊師”への帰依が消えなかったか。 それとも、“尊師”のぶざまな様子を見て、イエスマンを返上したか。 たとえ、帰依が消えなかったとしても、麻原以外彼しか知らなかった事を うっかりとボロボロ証言したような気がする。 ある意味、自己顕示欲が強い人間だった。
青山吉伸受刑囚・・・「ああ言えば上祐」に比べて、しどろもどろする事もあり、 容貌もお坊ちゃまというか、ボーとしているというか、何しろ「頼りない」という 印象だったけど、実は一番したたかな男だったと感じる。 司法修習時代の同期生に言わせれば、彼は「誠実で正義感の強い弁護士」 だったそうだ。 何が、其処まで彼を変えたのか。 そして、上祐史浩・・・彼が一番謎の人物である。 彼は麻原の事を尊師と父のように従いながら、麻原にとっては一番煩い存在 で、ロシアに赴任させられたという話もあったし、逮捕直前には、当時取材を 通じて知り合った人間に個人的に「事件について教団として謝罪をするだけで はなく、被害者に対しても具体的に補償していく。教団の自主解散は出来ない か?」という相談をしたという話も聞く。 滝沢和義受刑者の裁判で、第7サティアンのサリン工場建設のの人選に関与 していた事が明らかになったにもかかわらず、殺人予備罪が適用されなかっ たのは、捜査当局と何らかの裏取引があったのでは・・・という疑問も当然 おこる。
|