斜めうえ行く「オクノ総研 WEBLOG」
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2003年10月30日(木)
人間ラジコンの事業性評価とビジネスモデル
最近は企業の基礎研究もリストラ続きである。 たまに新聞などで企業経営者の「基礎研究の予算は企業の将来にとっての生命線なので聖域だ」、みたいな記事を見かける。 大ウソである。 確かに基礎研究の予算はなるべく削らないように努力している企業が多いが、実際には研究テーマの選定が厳しくなっている。 いわゆる「基礎研究」の予算は削減され、手っ取り早くお金になる「製品開発に近い研究」に予算を割くようになっている。 「研究開発」の「研究」の予算が厳しくなり、「開発」にシフトしている。 研究テーマの選定の際、将来の事業性を厳しく問われることとなり、商売になりそうもない研究テーマは認められないのである。 なので、僕のところにも、ワケのわからない基礎技術の事業性評価の仕事が来ることがたまにある。 「基礎技術」であって「応用技術」ではないので、一体何に使うのかさえ良くわからないような技術である。 そのワケのわからない基礎技術の事業性を評価し、将来のビジネス戦略を策定して欲しいという。 例えば、「人間ラジコン」みたいな技術である。 「人間ラジコン」とは人間の両耳の後ろに電極をつけ、微弱電流を流すことにより、人間を無意識下でコントロールしよう、という技術である。 「後方からクルマが近づいてきたのをセンサが検知し、これを回避する方向に誘導したり、携帯電話のGPSと連動させることで小さい画面を見ながら歩かなくてもよいようにする」といった応用方法が想定されているらしい。 僕のところには、この「人間ラジコンレベル」の技術の事業性やビジネス戦略の策定の仕事が来てしまうのである。 研究者としては、高い事業性が見込まれ、完璧なビジネス戦略を持ち合わせていなければ、予算が削減され、最悪は研究も中止となってしまうので、必死である。 僕は立場上、「事業性は見込めないので、研究は中止すべし」という答えは出せない。 「事業性の評価」といいつつ、いかにして事業性を強引に高く見積もるか、が求められているのである。 仕事の進め方としては、そのワケのわからない基礎技術を応用した製品やサービスを死ぬ思いで無理やりひねり出す必要がある。 基礎技術は基礎技術に過ぎないので、単体では事業性はない。 よって、ワケのわからない応用製品やサービスをいくつも考え、かつそれらが儲かる、ということを証明しなくてはならないのである。 人間ラジコンの記事を見て、この事業性評価の仕事が来たら困るなあ・・とフト思った。 ■人間ラジコン http://internet.watch.impress.co.jp/cda/event/2003/10/29/940.html
2003年10月29日(水)
Googleリテラシー
僕のところには、社内外を問わず、様々な質問のメールや電話が来る。 そのうちの大半はGoogleで検索すれば、一発で答えがわかるようなものである。 質問をされた瞬間は答えられないが、電話をしながらでもGoogleで検索すれば、答えがすぐに出る。 おいっ、アンタの家や会社はまだインターネットに繋がっとらんのか? 僕はGoogleで検索して、質問に答えているだけである。 僕は、TVを見ているときにもひざのうえには必ず、PCのキーボードがある。 何か疑問があったら、その場でGoogleで検索するためである。 グルメ番組でお店が紹介されたら、そのお店を検索。 ドラマで知らない俳優がいれば、プロフィールを検索。 みのもんたが健康法について語れば、真偽を検索。 ニュースを見ていても、ニュースの背景を検索しつつ、ニュースを見る。 僕が人生にはどう考えても全く必要のない無駄な事をやたらと知っているのは、毎日、ひたすらGoogleで検索しまくっているからである。 僕は仕事中もGoogleで検索しまくっているので、最低でも毎日、100回は検索をしている。 最近は、ブックマークも面倒くさくて使わなくなった。 Googleで検索するほうが早いからである。 Googlerの僕は、ブラウザを見て「Google検索バー」がついていない人がいると、「あ、この人はダメな人」と思ってしまう。 デジタルデバイド、とか言ってるおっちゃんもGoogleがちゃんと使えないと、ダメな人のほうの分類なのだけどな、と思う。 Googleがキチンと使えるか使えないかで、その人の能力は恐ろしく差が出ると思う。 学校でもキチンとGoogleで検索できるように教育すべきである。 Googleリテラシーの向上が必要だ。 ■Google検索バーのダウンロード http://toolbar.google.com/intl/ja/
2003年10月28日(火)
ゲーマーにはシミュレーター教習は意味がないかも
大型二輪免許取得のための教習所通いも何とか大詰めとなり、シミュレーター教習を受けてきた。 僕が普通自動車免許や普通二輪(当時は中免)を取得した大昔にはシミュレーターなどというものはなかった。 なので、シミュレーター教習は初めてである。 シミュレーター教習の教室に入ると、ゲーセンのバイクゲームのような大型モニターつきの機器が置いてあった。 僕は、いきなり飛び出してくるガキどもを轢いたり、暴走車に激突して吹っ飛ばしたり、ガードレールを飛び越えて、店舗に突っ込んだりするのだろう、と予想した。 Grand Theft Auto III みたいなモンだろう。 電源が入り、インストラクターが手本を見せてくれた。 画面が・・・ショボい。 音が・・・セコい。 迫力が・・・ない。 最新のゲームに慣れ親しんでいる僕にとっては、どうもつまらなそうに見えた。 ポリゴン数の少ないCG。 3世代以上まえのVR画面のよう。 僕はシミュレーターに跨り、エンジンをかけた。 ショボボボボボ・・・と、ショボいエンジン音が鳴り、発進した。 スピーカーから流れる「次の交差点を右折してください」みたいな案内に従って進む。 スピード感が全くない。 グランツーリスモ3で246コースを250キロ以上で走るようなゲームに慣れている僕は、レースゲーム感覚でスピードを上げた。 交差点でブレーキをかけると、ロックして止まらない。 しかたがないので、しょぼしょぼ走る。 スピード制限の標識も出ているので、スピードメーターを見ながら、その速度で走らなくてはならないらしい。 敵キャラがなかなか出てこない。 普通の街中と大きく変わらない。 タクシーがいきなり車線変更をしたり、歩道からいきなりチャリがはみ出てきたり、停車中の車両がいきなりドアを開いたり。 ほとんど予想の範囲である。 ゲーマーの僕からすれば、画面を見ていれば、制作者の意図がまるわかり。 どこにどのようなワナがしこんであるか、簡単に予想できる。 ほとんどぶつかる事もなく、淡々とシミュレーター教習は終了した。 ゲーマーにはシミュレーター教習は意味がないかも。 ■Grand Theft Auto III (GTAIII) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AUETU/249-3765397-6148343
1ヶ月半に渡ってサボっていた大型二輪教習を再開した。 サボっていた理由は以前にも書いた通り、教習用のコースが覚えられなかったからである。 何とか教習コースを覚え、教習所に戻った。 今週の土日は2時間ずつ、合計4時間乗車した。 1日2時間乗車すると、完全に1日がつぶれる。 連続乗車はできないので、時間を空けて予約する。 しかも、予約がなかなか取れないので、中途半端に時間が空く。 おかげで今週末は教習以外に何もしていない。 復活教習の最初の時間は、あまりにもブランクが空いてしまったので、地図上での教習コースは覚えていたのだけれど、実際のコースはすっかり忘れていた。 走っているうちに何とか思い出したけれど、やはり技能教習は時間を空けずに受けるべきだ。 久しぶりに教習に戻ると、すっかり寒くなっていた。 サボりはじめる前は、真夏だったので死ぬほど暑かったのだけれど、あっという間に寒くなった。 僕の通っている教習所は川沿いなので、風もきつい。 風のせいで新たに問題が発生した。 花粉らしきものが飛んでいるのである。 今は花粉の季節ではないので、花粉なのかどうか良くわからないのだけれど、教習中にすごーく涙が出る。 僕はフルフェイスのヘルメットをかぶり、メガネをかけてバイクに乗っているので、涙が出てもちゃんと拭けない。 涙で前が良く見えなくなる。 僕は、ちょっと花粉が飛んだくらいでもすぐに花粉症になる。 花粉の季節ではなくても、郊外に出た程度で鼻水、涙が止まらない。 山や田舎なんて、もっての他。 郊外や公園程度で、もうダメである。 教習所も周囲に大きな建物がない河原にあり、風も吹きっさらしなので、僕にとっては鼻水、涙が出まくりの最悪の場所なのである。 これではバイクの免許が取れても、山へのツーリングは難しい。
2003年10月25日(土)
バイク用の革ジャンを引っ張り出してきた
クローゼットの奥深くから革ジャンを引っ張り出してきた。 Schotのバイク用のシングルの革ジャンである。 バイク用のせいか革が異様に厚く、とんでもなく重いので、ここ何年かほとんど着ていなかった。 そろそろ寒いとまではいかないものの、涼しくなってきたし、教習用にと思って、引っ張り出してきた。 この革ジャンは数年前、ニューヨークで仕事をしていた頃に買った。 ニューヨークの革製品の専門店。 その時は、バイクに乗ろうなどとは全く考えていなかったのだけれど、なぜかバイク用の革ジャンが欲しかったのである。 海外で服を買おうとすると、僕はいつも問題に遭遇する。 つまり・・・腕の丈が長すぎるのである。 手足の短い典型的な日本人の僕にとっては、海外で服を購入する際には必ず「お直し」が必要なのだ。 この革ジャンも同じであった。 身体にぴったり合うサイズのものは腕の丈が長すぎ。 だが、バイク用の革ジャンは袖の部分がジッパーですぼめられるようになっており、通常、「お直し」は不可能。 腕のジッパー部分を取り外し、丈を詰めてからもう一度、ジッパーを取り付けなくてはならない。 オーダーメイドの店ならともかく、通常の店であれば、間違いなく断られる。 僕は、この革ジャンがどうしても欲しいのだけれど、腕の丈が長すぎる、何とかならないのか?と店員に尋ねた。 お直しも相当大変そうだ、腕の丈の短いサイズはないのか? 店員は「ノープロブレム」と、言った。 手数料も無料で直してくれるという。 日本だったら、1万円出しても直してくれんぞ。 ぶ厚い皮を切って、ジッパーを外して、またジッパーを縫い付けるのだ。 そう簡単には直せない。 かなり面倒な直しである。 3日後、僕のオーダーした革ジャンは見事に僕にぴったりのサイズになって出来上がってきた。 Schotの革ジャンは日本でも買えるけれど、日本で買うよりもずっと安かった。 限りなくオーダーに近い形の革ジャンだったのだけれど、本気のバイク用だったので街で着るには重すぎた。 で、今回、バイク用に復活させたのであった。 やっぱり、重い・・・。
2003年10月24日(金)
そろそろ購入するバイクを決めなければ・・・
そろそろ、どのバイクを購入するかを決めなくてはならない。 大型二輪の教習に通い始めたきっかけは、おやぢになってバイクに乗りたくなったときには体力的に大型免許取得は難しいので、今のうちに取っておこう、というものであった。 が、良く考えてみると、僕は既におやぢなのであった。 既におやぢなのであれば、バイクを購入しなければならない。 大型バイクはおやぢの乗り物である。 で、何冊かバイク雑誌を買ってきて、バイクの物色を始め、バイク屋にもバイクを見に行った。 バイクの価格相場を知らないので、予算はない。 お金はあり余っているので、常識的に見て高すぎなければ良い。 バイクは国産逆輸入の最高峰でも130万円、輸入車でも200万円もあれば最強のバイクが買える。 クルマに較べれば安いものである。 ただ、教習所を卒業したてで、アホほど速いバイクを買って、「ホンキの人」と思われるのはマズイ。 そこそこのバイクが欲しいのである。 大型二輪の教習に通っている、と人に言うと、「やっぱ、ハーレーですか?」と10人中10人の確率で返ってくるのだけれど、僕はハーレーを買うつもりはない。 僕はレーサーレプリカの極端な前傾の峠小僧志向なのである。 なので、選択肢はレーサーレプリカ。 遠くに出掛ける時は、基本的にクルマなので、バイクは完全におもちゃ。 実用性などどうでも良い。 走って楽しければそれで良し。 と、いう事で大型のレーサーレプリカを物色している。 が、大型のレーサーレプリカは必要以上に速い。 完全にオーバースペック。 クルマの世界で、F1が市販されて公道を走る、なんて事は絶対にあり得ないのだけれど、バイクの世界ではMotoGPのレプリカが売られているのである。 馬力はもちろん抑えられているのだろうけれど、カタチ的にはそのまんま。 市販車のくせに最高速が300キロを超えるというアホバイクだらけ。 1300ccで175馬力。 軽自動車の約2倍。 二輪のくせに軽自動車の2倍の排気量と3倍近い馬力なのである。 アホだ・・・。 僕はそのような性能は全く必要としていないのだけれど、欲しいバイクのスペックを見てみると、みんなそんな感じ。 そんなに速くても困るんですけど・・・。 でも、200万円もしないバイクで、フェラーリよりもランボルギーニよりもポルシェよりもずっと速いって、お買い得かも。 さて、何を買おうかな。 とりあえず、時間を見つけてモーターショーで2004年モデルを見てから決める事にしよう。
昨日、非接触ICカードの携帯電話への搭載について書いた。 携帯電話はサイフの機能を全て取り込もうとしている。 もっと言えば、普段持ち歩くもの全てを携帯電話に取り込もうとしている。 まず、携帯電話にサイフの全ての機能を取り込むことは可能か? 答えはYes。 サイフに入っているものは全て「情報」である。 僕のサイフに入っているものは「現金」「クレジットカード」「銀行キャッシュカード」「Suica」「パスネット」「免許証」「メンバーズカード」「ポイントカード」「自動車保険の証書」「領収書」である。 これらは全て情報。 プラスティックや紙などの物理的な形状を採ってはいるが、本質的には「情報」である。 サイフに詰まっているものは全て「情報」なのだ。 「情報」であれば物理的に持ち歩く必然性はない。 データとして持ち歩けば済む。 携帯電話に全て取り込む事が可能である。 社会制度等の課題はあるだろうけれど、技術的なハードルは全く存在しない。 「できる」「できない」の問題ではなく、「やる」「やらない」の問題だ。 サイフの機能を携帯電話に取り込むことは可能である。 きっと時間の問題で、僕らはサイフを持ち歩かなくなるだろう。 携帯電話会社の最終目標は、普段、持ち歩くモノの全てを携帯電話に取り込むことである。 普段持ち歩く時計だとか、カギだとかは容易に携帯電話で代替可能。 携帯電話の時計で十分だから、と腕時計をしない人は多い。 カギも非接触ICカードを応用すれば代替可能だ。 携帯電話はもはや携帯「電話」ではない。 日本の携帯電話会社の収入は基本は通信トラフィックだ。 だけど、これから携帯電話に求められる機能は必ずしも通信トラフィックを必要としない。 日本の携帯電話の垂直統合モデルは今までは大変うまく機能したけれど、これからはバリューチェーンの解体が必要となる。 今後は、必ずしも通信トラフィックを伴わない機能が携帯電話には求められる。 と、なると携帯電話会社は自社の収益に関係のない携帯電話機能のために投資をすることになる。 ユーザーは通信トラフィックと関係のない機能を求める、携帯電話会社はトラフィックを求める。 そこには大きなギャップがある。 現在は携帯電話会社が自社のシェア獲得のために、通信トラフィックと関係のないメガピクセルカメラやTVチューナーを搭載しているが、これらは本来、通信トラフィックにて収益を上げる携帯電話会社にとっては何のメリットもない。 よって、このような通信トラフィックを伴わない携帯電話の高機能化は長くは続かない。 そろそろ携帯電話本体の販売と通信キャリアとしてのビジネスを分割しないと立ち行かない。 携帯電話がサイフ機能を持ったからといって、お金を使うたびにパケット料金が発生するとすれば、それは完全なサイフとは言えない。 携帯電話は通信端末ではなく、持ち歩くべきモノ全てを代替するツールとして進化して欲しい。 そのために必要なのは、まずは携帯電話にGSMのようにSIMカードを採用し、携帯電話本体の販売と、通信ビジネスの部分を完全に分けることだろうと思う。 携帯電話ビジネスの垂直統合されたビジネスモデルの解体が至急必要だ。
2003年10月22日(水)
携帯電話のウラにSuicaを両面テープで貼っとけや
非接触ICカードが携帯電話に内蔵されるという。 ソニーのFelicaである。 JR東日本のSuicaもam/pmのEdyも中身は基本的にFelicaである。 少し仕様が異なるだけで、基本は同じ。 いずれはSuicaもEdyも携帯電話に内蔵されるのだろう。 僕にはずっと以前からの疑問がある。 どうして携帯電話に非接触ICカードを「内蔵」しなければならないのか?という事。 内蔵しなくても非接触ICカードを両面テープとかガムテープで携帯電話のウラに貼ってしまえば、それでおしまいじゃん。 非接触ICカードは昔ながらのクレジットカードの流れで四角いカードの形をしているけれど、物理的なカードリーダーを通す必要がないので、四角いカードの形状である必然性はない。 カードの形状だと、財布のなかで収まりが良い、といった程度の理由である。 どんな形をしてようと関係ないのである。 よって、もっと小さくもできるし、携帯ストラップにぶら下げるマスコット型にでもできる。 「携帯電話のウラにSuicaを両面テープで貼っとけや」、なのである。 実際には携帯電話に非接触ICカードを内蔵することにより、液晶画面で残高が見たり、ネットワーク経由でお金をチャージしたり、30円割引クーポンがメールで届いたり、といった「付加価値」をつけて製品化してくるのだと思う。 でも、これは付加価値であって電子マネー本来の機能ではない。 電子マネーとして非接触ICカードの機能を求めるのであれば、携帯電話のウラにカードを貼り付けるなり、携帯ストラップにマスコットのようにぶら下げれば済むことなのだ。 ソニーは、携帯電話に内蔵されようがどうなろうが、知ったことではなく、数千万人はいるであろう携帯電話ユーザーにエディーをばら撒くことが狙いなのだろう。 ドコモとしては、ネットワーク経由でのお金のチャージやネットワーク連動の押し売り(CRM)によるトラフィックの増大と、ネタ切れ気味の携帯電話の更なる高機能化を推し進めたいのだろう。 そして、「デパートとかに陳列されている商品の横にあるリーダーに非接触ICカード内蔵の携帯電話をかざすと商品の詳細情報がメールで配信されてきたり、サイトにジャンプして、その場で決済」みたいなネタが続くと思われる。 その後は、非接触ICカードだけではなく、ICカードリーダー機能も携帯に内蔵させ、「ICタグのついた広告ポスターに携帯電話をかざしたら、これまたメールで広告が配信されてきたり、サイトにジャンプして、そのまま決済」といったネタが用意されているに違いないのだ。 どうしてどの報道も「携帯電話のウラにSuicaを両面テープで貼っとけや」というツッコミを入れないのか、これも謎だ。 ■ドコモ・ソニーがICカードで提携、携帯が財布代わりに http://it.nikkei.co.jp/it/news/iccard.cfm?i=2003102109902uh
2003年10月21日(火)
聖なるアップルもMicro$oft並に落ちぶれたか?
僕は、流行りモノや先端モノは速攻で手に入れる。 リアルな買物でもそうだけれど、ソフトウエアに関してもマイナーバージョンアップであろうと単なるパッチであろうと、速攻でダウンロードする。 おかげで、誰よりも早く新製品を手に入れたり、バージョンアップ体験をすることができるが、初期モノにつきもののトラブルもあまねく経験している。 先週末、iTunesのWindows版(英語版)が発表された。 僕は、当然の事ながら日本語版のリリースを待つ事なく、速攻でインストールした。 先週の週末は、アマゾンに注文しておいたJeff BeckとSammy Hagerの2枚のCDが届き、TSUTAYAの週末旧作半額クーポンもゲット、iTunesもインストール、と絶好のMP3エンコード日和であった。 アマゾンから届いたJeff BeckのCDをPCのCD-ROMドライブに放り込み、、インストールしたてのiTunesエンコードだあっ。 と、思いきや、エラーメッセージ。 CDが見えない。 マイコンピュータを開いてみると、あら不思議。 CD-ROMドライブが消えている。 僕のPCにはDVDドライブ(IDE)、CD-R/RW(IDE)、CD-ROM(USB)と、意味なく3つもの光学系ドライブがついている。 が、その3つのドライブが全て消滅しているのであった。 システムのプロパティーを確認し、いろいろチェックしてみるとドライブ自体はシステム的には見えている。 だが、見えているだけで「!」マークがついている。 調べてみると、ドライブの接続がどうのこうの、というメッセージが出る。 素直な僕はIDEケーブルの接続を確認した。 僕はPCをイジり倒すタイプの人なのでPCケースは開けっ放しである。 内部のチェックは簡単だ。 ケースが開けっ放しなので、何かの拍子にケーブルが抜けたのかも知れない、と思い、PCケースの中を隅々まで確認した。 ケーブルは、どこも抜けていない。 しかたがない、自然治癒力に任せよう。 PCには謎の自然治癒力がある。 2、3日の間、放っておけば、大地のチカラによって、自然と直ったりするものである。 週末のMP3エンコードはあきらめ、PCの自然治癒力に任せる事にした。 2、3日経てば、きっと直るだろう。 週が明け、月曜日。 ZD-Netに気になる記事が出ていた。 Windows版iTunesをWindows2000 Professionalにインストールすると、システムが吹っ飛ぶトラブルが多発しているらしい・・・。 待てよ、僕も・・・。 Windows版iTunesをアンインストールすると、あっけなくシステムは回復。 くそっ、聖なるアップルもMicro$oft並に落ちぶれたか。 Micro$oft製品はMicro$oft製品以外のソフトをインストールすると自動的にトラブルが起きるような「仕様」になっているが、アップルまで・・・。 Windows版iTunesをアンインストールすると、システムは回復し、CD-ROMドライブは問題なく作動したので、トラブルの原因は間違いなくWindows版iTunesである。 い、いや、英語版はiTunesは日本語Windows環境では保証外とか書いてたし・・・。 聖なるアップルに限ってそんなことは・・・。 ■「絶賛」から「不満」まで――賛否さまざまのWindows版iTunes http://www.zdnet.co.jp/news/0310/20/ne00_itunes.html 追記:致命的なバグが多発したためか、iTunes日本語版のダウンロードは延期となった模様
2003年10月20日(月)
気合と汗と不眠と下痢と胃痛にまみれないためのプロジェクトマネジメント
僕の家のトイレにはプロジェクトマネジメントの本が何冊か置いてある。 プロジェクトマネジメント手法のPMBOKなどの解説書である。 トイレで読むのがふさわしいかどうかは別として。 トイレにおいておけば、少なくとも一日に何度かは目にすることになる。 僕はコンサルタントといっても、戦略系なのでITコンサルタントと違って、巨大プロジェクトをマネジメントすることはない。 たかだか数人程度の極小プロジェクトである。 「プロジェクトマネジメント導入プロジェクト」といった「プロジェクトマネジメントを導入するためのプロジェクトのプロジェクトマネジメント」みたいなややこしいことをするわけでもない。 ただ単にプロジェクトマネジメントに興味があるのである。 プロジェクトXみたいな、「気合と汗と不眠と下痢と胃痛にまみれたようなプロジェクト」は、傍目には感動的なのだけれど、自分としてはかかわりたくない。 僕としては、何事もなかったようにサクサクと進むプロジェクトが理想的。 サクサクと進んでいると、楽勝プロジェクト扱いを受けて、誰の注目も浴びないのだけれど、僕としてはプロジェクトはサクサク系のほうが良い。 若かりし頃の僕は、「気合と汗と不眠と下痢と胃痛」にまみれたプロジェクトを何度も繰り返していた。 当時の僕は、合理的なプロジェクトマネジメント手法など気にもかけず(っていうか存在を知らなかった)、「気合と汗と不眠と下痢と胃痛」で強引にプロジェクトを乗り切っていた。 小規模のウェブやデザイン系の仕事が多かったので、気合で何とかなったせいもある。 でも、きちんとしたプロジェクトマネジメントの体系を学んでいくと、プロジェクトは「気合と汗と不眠と下痢と胃痛」にまみれるべきものではない、という事が良くわかる。 本来のプロジェクトマネジメントとはきちんとした体系のなかで、行なわれるべきものなのだ。 しかるべきツールがあって、手法があって、体系があって。 気合で乗り切るものではない。 僕はプロジェクトマネジメントは決して属人的なものではない、と思う。 自己流の天才プロジェクトマネージャーと体系だった教育を受けた凡人プロジェクトマネージャーであれば、後者のほうが信頼できる。 小規模のプロジェクトであれば、自己流で何とかなるが、巨大プロジェクトになるときちんとしたプロジェクトマネジメントのツール、手法、体系がなければ、絶対に成功しない。 プロジェクトXなんかでは、どツボにハマっていくプロジェクトのほうが涙を誘うが、あれはプロジェクトマネジメントがうまくいっていないだけの話である。 実際、企業のなかではプロジェクトがどツボにハマり、メンバーが「気合と汗と不眠と下痢と胃痛」にまみれて犠牲になり、ぼろぼろになった末に何とか完了したプロジェクトのほうが賞賛を受けたりもする。 なんだかリーズナブルじゃないなあ。 ■なぜプロジェクトマネジメントは普及しないのか http://itpro.nikkeibp.co.jp/free/ITPro/OPINION/20031019/1/
2003年10月19日(日)
「男気」について考える
みうらじゅんにとっての「男気」とは、ホテルの部屋に入るとともに、有料ビデオのスイッチをいきなり入れてしまうことなのだそうだ。 有料ビデオを見る、見ないに関わらず、スイッチを入れる。 豪快でる。 男だなあ。 これぞ「男気」。 僕は、プレビュー画面をオンにしたりオフにしたりして、いかにしてお金を払わずに長時間、有料ビデオを見るか、に苦心する。 ホテルによって異なる有料ビデオのシステム攻略をし、いかにしてプレビュー画面を長時間見る事ができるか、がチャレンジなのである。 「男気」とは程遠い。 では、僕にとっての「男気」とは何か? 僕にとっての「男気」とは、スナック菓子を背からバリッと豪快に開く事である。 ポテトチップスやカールのような袋入りのお菓子をの袋を開くとき、通常は縦の上を開くだろう。 縦の上から開くとき、今日は食べきれないかも・・・、後でも食べるかもしれないし・・・、といった「男気」とは遠い意識がある。 僕は、気合いを入れて、ポテトチップスの袋を背から一気に開く。 うりゃあっ! 開いたら最後、最後まで全て食いきるぞ、という不退転の覚悟。 文化系の「男気」って、まあこんなもんなんだろう。
2003年10月16日(木)
どこでも同じサミーヘイガーの合いの手と唸りシャウト
(昨日から続く) 昨日、書ききれなかった「Through the Fire/HAGAR SCHON AARONSON SHRIEVE (HSAS)」の話題である。 これは、これでオモシロバンドなのである。 ヴァンへイレンでお馴染みのサミー・ヘイガーがボーカル。 ジャーニーの二ール・ショーンがギター。 企画モノのライブアルバムである。 1984年の発売なので、この時点ではサミー・ヘイガーはまだヴァン・ヘイレンに加入していない。 当時の僕はサミー・ヘイガーこそはシャウト部門で世界最強のボーカリストだと信じていた。 そのサミー・ヘイガーがニール・ショーンのアコースティックギターに合わせて「青い影」なんぞをシャウトしているのである。 高校生だった僕は感動し、このLPレコードをもう一枚買い求め、女の子に強制プレゼントした覚えがある。 僕が自分のマイブームや趣味を他人に押し付けるのは今に始まったことではない。 今、このHSASのサミー・ヘイガーとヴァン・ヘイレンのサミー・ヘイガーを聴き比べてみると、あまりにも芸風が同じである点が笑える。 「Missing You」という曲があるのだけれど、その曲でのサミー・ヘイガーの歌い方は100%ヴァン・ヘイレンである。 なのに、ギターの音はニール・ショーンなのでジャーニーそのもの。 違和感が面白い。 歌っている時の音はヴァンヘイレンみたいなのに、間奏のギターソロになると、突如、ジャーニーになってしまう。 サミー・ヘイガーの「あうっ!」とか「おうっ!」とか「はうっ!」とか「いやっ!」といった合いの手みたいなシャウトのタイミングもヴァン・ヘイレンと全く同じ。 サビの「う~う、いぇああっ!」の唸りも同じである。 この人はどこに行ってもサミー・ヘイガーなのだろう。 と、言うことでこの文章を書いている途中にサミー・ヘイガーのシャウトを更に聴きたくなり、アマゾンの1-Clickでサミー・ヘイガーの最新のライブ盤である「LIVE Hallelujah サミー・ヘイガー・アンド・ザ・ワボリタス」を注文してしまいました。 ついでに、昨日買い忘れ、と書いたジェフベックの「There and Back」も。 ■Through the Fire/HAGAR SCHON AARONSON SHRIEVE (HSAS) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000OMQ/250-2858747-6607436 ■LIVE Hallelujah/サミー・ヘイガー・アンド・ザ・ワボリタス http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AVTXQ/250-2858747-6607436 ■There & Back/JEFF BECK http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000025EY/250-2858747-6607436
2003年10月15日(水)
ハードロック転職王コージー・パウエル(故人)
深夜に郵便局の24時間受付窓口で国際郵便で届いた「ゼナドリンEFX」を受け取り、自宅に帰るとアマゾンからCDが2枚届いていた。 「ヴェリー・ベスト・オブ・コージー・パウエル」と「Through the Fire/HAGAR SCHON AARONSON SHRIEVE (HSAS)」の2枚。 この2枚のCDは深夜に自宅で単独泥酔し、ついついネットでオーダーしてしまった。 両者ともにLPレコードとしては保有しており、CDとしての買いなおし。 LPからMP3ファイルを生成するのはウザいので、CDとして買いなおしたのである。 LPレコードのほうを買ったのは、コージー・パウエルが中学2年、HSASが高校2年のときだったと思う。 コージー・パウエルは、ハードロック界のドラム王である(1998年事故死)。 ジェフベックグループを皮切りにレインボウ、ブラック・サバス、ホワイトスネイク、マイケル・シェンカー・グループ、エマーソン・レイク・アンド・パウエル(ELP)と、笑ってしまうほどありとあらゆるハードロックバンドに在籍していた転職ドラム王。 80年代の前期は、どのLPを買ってもコージーパウエルがドラムを叩いていたような錯覚を憶えた。 またかよ・・・みたいな。 僕は高校1年の時にコージーパウエルがホワイトスネイクに在籍していた時の来日公演を見た。 バスドラは大きければ大きいほどエライ。 スネアは胴が深ければ深いほどエライ。 シンバルは多ければ多いほどエライ。 音は大きければ大きいほどエライ。 ドカドカとツーバスが唸り、ど派手に景気良く並んだシンバルに手首のスナップを効かせ、スティックがくるくる回り、曲の最後には中国銅鑼を打ち鳴らす。 プロレス級にわかり易いドラミング。 これほどまでにライブで存在感のあるドラマーはいない。 僕は、そんなど派手一辺倒のコージー・パウエルのソロアルバムのなかの「Sun Set」という曲がどうしても聴きたくなった。 2.7L入りペットボトルのブラックニッカを淡麗生をチェイサーにしながら飲んでいたら、「Sun Set」を何がなんでもどうしても聴きたくなったのだ。 僕は「Sun Set」の入っているコージー・パウエルのソロアルバムは、LPレコードとしては保有しているのだけれど、僕の家にはターンテーブルがない。 僕の家には500枚ほどのLPレコードがある。 だが、僕はターンテーブルを持っていないのであった。 何のためのLPレコードだか良くわからないのだけれど、捨てる気にも売る気にもならないので、とりあえず保管してある。 なので、LPレコードを持っていても聴けない。 で、アマゾンの1-Clickボタンを押した。 「Sun Set」は今はブルース王のゲイリームーアがギターを弾いているインストの曲である。 ライナーノーツを読まなければ、100人中99人はジェフ・ベックの曲だと思うだろう。 コージーパウエルのソロにはジェフベックも何曲か参加しているので、余計に勘違いする人も多いだろう。 曲としては全く違うのだけれど、なぜだかジェフ・ベックの「Too Much Too Lose」と同じ空気の曲。 ゲイリー・ムーアには、サンタナの「哀愁のヨーロッパ」と雰囲気がそっくりの「パリの散歩道」のように、曲は全然違うのに、どうしても他のアーティストにしか聴こえないような演奏をたまにする。 キーボードは当時レインボウに在籍していたドン・エイリー。 ヘビメタトリオが演奏しているとは思えないきれいな曲である。 この曲を前に聴いたのは10年以上前だろう。 でも、僕はギター、ドラム、キーボードの全てのパートの音を完全に覚えていた。 僕は、メロディーだけではなく、その曲を構成する全ての楽器のフレーズを暗記する、という余計な特技を持っている。 コージー・パウエルのドラムパートも完全に覚えていた。 あ、良く考えてみたらジェフ・ベックの「Too Much Too Lose」の入っている「There and Back」もCDは持っていない。 買わなきゃ。 HSASのネタは長くなったのでまた明日。 ■ヴェリー・ベスト・オブ・コージー・パウエル http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00006HBDI/250-2858747-6607436 ■Through the Fire/HAGAR SCHON AARONSON SHRIEVE (HSAS) http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000000OMQ/250-2858747-6607436
2003年10月14日(火)
ドコモの「VISION 2010」で妄想してみる
僕は仕事上、テクノロジーの将来の活用シーンのイメージ作りをすることが多い。 だが、いつも良からぬ妄想が初手から浮かんでしまう。 イノベーティブなテクノロジーを大衆に理解、浸透、普及させていくためには、下半身系(エロ)の発想(妄想)は重要だ。 僕の立場から言って、正式な報告書に下半身系のネタがかかれることはないけれど、クライアントとのブレストやプレゼンの際には下半身系のネタは必須である。 まずは下半身系のネタで発想(妄想)し、それをベースに良い子ネタに置き換える。 例として、ZD-NETのドコモのCMに関する記事の一部をワザと伏字にしてみた。 ドコモのが2010年の携帯電話の役割についてのビジョンチックなCMを流しているのだけれど、そのCMの紹介文である。 以下、一部伏字。
++++++++++++++++以下引用(一部伏字)++++++++++++++++ ○○の主人公が遠隔地の○○に○○を教えるシーン。その手には触感を伝える手袋がはめられ、それを通信で○○に送る。○○の微妙な感覚をいながらにして遠くの人に○○できるようになり、遠隔地の人同士のコミュニケーションがさらに○ッチになるのを予感させる。 +++++++++++++++++++引用ここまで+++++++++++++++++++ 携帯電話が進化すると遠隔地の人同士のコミュニケーションは「○ッチ」になるらしい。 このネタもやはり下半身ネタから出てきていると言えよう。 以下は、参考までに伏字なしバージョン。++++++++++++++++以下引用(伏字なし)++++++++++++++++ 陶芸家の主人公が遠隔地の子供に陶芸を教えるシーン。その手には触感を伝える手袋がはめられ、それを通信で子供たちに送る。陶器作りの微妙な感覚をいながらにして遠くの人に教えることができるようになり、遠隔地の人同士のコミュニケーションがさらにリッチになるのを予感させる。 +++++++++++++++++++引用ここまで+++++++++++++++++++ ■ドコモの「VISION 2010」、見たことある? http://www.zdnet.co.jp/mobile/0310/09/n_vision.html
温泉に行ってきた。 まあ、何と言うか、温泉は癒しである。 殺伐とした生活を送っている僕にとって、癒しの温泉は重要だ。 その温泉は自宅から徒歩数分程度のところにある。 自宅から数分であろうと、温泉は温泉である。 僕は、今の場所に住み始めて、もう10年以上になるのだけれど、実はこんなに近所に温泉がある、という事を知らなかった。 ネットでたまたま見つけたのである。 その温泉は普段、僕が行くことのない方角にあったので、気づかなかったのだ。 気づいていたとしても、ただの銭湯だと思って見逃していただろう。 バスタオルや着替え等のお風呂セットを持って、キャノンデールのMTBで出かけた。 3分で温泉に到着した。 建物の外観はただの銭湯。 入浴料金も銭湯と同じく400円。 まさしく銭湯そのものなのだけれど、れっきとした温泉である。 露天風呂もある。 サウナもある。 ただし、サウナは200円の追加。 露天風呂は、正しい温泉らしい作りになっている。 住宅街のど真ん中なので、外は空しか見えない。 小さな庭みたいなのがあって、本格的な石造り。 広さもそこそこある。 明かりも落としてあり、雰囲気もある。 本物の温泉なので、コーヒー並に黒いお湯。 泉質は知らない。 効能も良くわからないけれど、温泉だから身体に良いのだろう。 露天風呂→ジェット風呂→水風呂→露天風呂→ジェット風呂→水風呂→露天風呂→ジェット風呂→水風呂→露天風呂→ジェッ風呂。 僕は、ぐるぐると何週も風呂を回った。 これで400円とはありがたい。 これなら週一くらいのペースで来ても良いかも。
2003年10月12日(日)
僕は「勇者」には程遠いようだ
アマゾンに注文しておいた「剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣」が届いた。 ずっと在庫切れでようやく届いたのである。 対象年齢6歳以上。 僕は、対象年齢を30歳ほど超えているので問題ない。 剣を振り回して戦う体感ゲームである。 プレステのようなゲーム機本体は必要ない。 本体と剣がセットになっている。 いわゆるおもちゃである。 センサーのついた本体をテレビに繋ぎ、センサーのついた剣をぶんぶん振り回して敵をなぎ倒す。 僕のテレビは43インチのプロジェクションレテレビなのだけれど、問題ない。 メニュー選びなどの基本的な操作も剣で行なう。 剣を振る強さは関係ないのだけれど、速度は関係あるようなので、結局、全力で剣を振り回している。 ぶんぶん。 ぶんぶん。 剣の腹を画面に向けるとプロテクト。 ぶんぶん。 ぱっ。 ぶんぶん。 ぱっ。 剣を全力で振り、剣の腹で敵の攻撃を防ぐ。 1、000回ほど全力で剣を振った。 腕が上がらなくなった。 筋肉痛で腕から肩、上半身の右側が痛い。 僕は「勇者」には程遠いようだ。 子供の頃の僕に会ったら、未来にはこんなおもちゃがあるんだよ、って教えてあげたい。 今の子供はこんなゲームで遊べて幸せだ。 ■剣神ドラゴンクエスト 甦りし伝説の剣 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0000AKGO8/ref=sr_aps_vg_11/249-4844119-9865931
2003年10月11日(土)
あれ?僕の立場が・・・
今、僕が進めているプロジェクトは、難易度が高い。 ここ最近、僕はあまりプロジェクトでつまずいたり、大変だったり、という経験がない。 比較的、サクサクと問題なく仕事を進めてきている。 だが、今回はさすがに難しそうだった。 クライアントから仕事のオファーがあった際も、仕事を受けて良いものかどうかが社内で議論になった。 「本当にこんな仕事を受けて本当に結果を出せるのか?」 「こんな仕事を受けて、どうやってプロジェクトを進めるのか?」 「遂行できるスタッフはいるのか?」 クライアントそのものは、僕が長らく担当してきた相手。 僕は業界知識、専門知識の面では問題ない。 だが、今回のテーマは難易度が高すぎる。 専門性が高いのである。 戦略コンサルティングの仕事のオファー内容は基本的に曖昧である。 クライアント自身も良くわかっていない場合がほとんどである。 結局、僕自身はその仕事を受けたかったので、困難を承知で仕事は受けることになり、僕はプロジェクトの進め方について、アタマを悩ませることになった。 僕は、プロジェクトのアプローチを必要以上に細かく設定した。 プロジェクトを進めるにあたって問題となりそうな部分を全て洗い出し、ひとつひとつ対応策を練り、つぶしていった。 戦略コンサルティングの仕事は、乱暴に言えば、気合でなんとかなる。 プロジェクトが途中でヤバくなっても、徹夜を繰り返したり、スタッフを増強すれば、何とかなる。 だが、今回はそうはいきそうもなかった。 EXCELに仕事の手順を細かく定義した。 次に各手順で問題になるであろう事柄を洗い出した。 そして、アウトプットのイメージを細かく設定した。 工数のかかりそうな部分は工数を減らすための対応策を練り、曖昧な部分は曖昧さを排除し、プロジェクトそのものは、アタマを使わず、かつ無理なく進められるように準備をした。 僕は通常のプロジェクトでは必要のない、異常ともいえる準備をした。 あとは、スタッフに任せてしまえば良い。 結果的に、僕がいなくてもスタッフだけでもプロジェクトを遂行できるまでに準備をした。 で、プロジェクトが無事に始まった。 完璧に準備がなされている。 マネージャーの仕事はもうない。 僕がいなくてもプロジェクトは問題なく進むであろう。 あれ?僕の仕事がない・・・ぞ。
2003年10月10日(金)
どうしようもないバックオフィスのサービス低下と官僚化
自分の勤務する会社に対する批判を公開の場で書くのは気が引けるが、最近はひどすぎるので書く。 僕の勤務する具体的会社名がどこなのかについては、このサイト上のどこにも書いていないので、会社としても文句は言えないはずだ。 僕の勤務する会社は、恐るべき勢いで官僚化が進んでいる。 官僚化と同時に後先を考えない一方的なリストラのせいで、バックオフィスのサービスレベルは落ち続け、しわ寄せは現場に押し付けられる。 月末になると、メールボックスに「○○のサービスは廃止します。今後は各自、自分でやってください。代替方法はありません」という趣旨のメールが届く。 それに前後して「○○サービスの担当者です。お世話になりました。本日で退職します」というメールが届く。 書くのもバカバカしい例。 僕は法務に見積書への捺印の依頼をした。 テープで綴じて割印を押すように作業依頼書を書いた。 見積内容のレビューは完了しており、ただの捺印だけなのに、1週間経っても返事がない。 クレームのメールを打つと1時間で、作業が捺印完了しました、との連絡がきた。 尋ねると捺印には5営業日かかるのだそうだ。 レビュー済の書類にハンコを押すだけだろ、どうして5営業日もかかるのか? 受け取りに行くと、テープで綴じていない。 単に表紙に捺印しただけである。 クレームをつけると、テープで綴じるのは法務の仕事ではない、別部門の担当なので、別途、別部門宛てに申請書を書いて、綴じてきてもらってくれ、という。 書類をテープで綴じる作業など、30秒もかからない。 テープで綴じたものを法務に持ってくれば割印を押すという。 だが、書類を綴じるテープは法務の担当者の机の上に載っている。 法務に言わせると、法務の業務は書類をレビューし、捺印するまでであって、テープで綴じることは法務の仕事ではないのだそうだ。 じゃあ、僕はコンサルタントなので、本来の業務であるコンサルティング以外の契約書や見積書を作ったりする仕事はやらなくても良いのか? 僕はクレームをつけて、その場で作業をやり直させた。 しばらく後に法務の責任者から全管理職あてに、「本来の業務」ではない作業が増え、「本来の業務」の遂行に支障を来たしているので、「本来の業務」以外の仕事は依頼しないでください、というメールが発信された。 例えば、バイク便で書類を発送してくれ、という依頼があるが、バイク便の発送の受け取りが勤務時間外になる場合もあり迷惑している、などと書いてある。 僕は、法務の責任者に「本来の業務」とは何かについて再考するよう、メールを打っておいた。 法務が契約を支援する部門なのであれば、契約が成立するまでが「本来の業務」の仕事のはずである。 ハンコを押すことが法務の仕事ではない。 僕は世界一官僚的といわれる企業に以前勤めていたが、ここまでアホではなかった。 バックオフィスの仕事は、現場が支障なく動くように支援することであり、現場の手を煩わせることではない。 現場はクライアントなのだ、という当たり前の意識がない。 上場企業として「(表面的かつ短期的に)収益を上げなければならない」の旗印のもと、長期的な成長を完全に放棄したとしか思えない施策が次々と実行されている。 単なる中止、削減、廃止。 代替策はない。 ただ単に不便になり、現場の負担が増え、企業としての競争力が落ちているだけである。 単純な中止、削減、廃止なので、短期的には定量的な効果が上がる。 代替策もないので、実行のためのコストはかからない。 僕は情けない会社だな、と思う。
2003年10月09日(木)
官僚的なことは嫌いだけれど、官僚の人たちは嫌いじゃない
官僚の人たちは巷のイメージほど官僚的ではない。 僕はしばらく前から、某省の官僚の人たちとずっと仕事をしているのだけれど、嫌な思いをしたことはない。 確かに省庁の内部的な仕事ぶりを見ていると見事に官僚的である。 だが、僕達のような外部の人間には極力面倒がかからないように取り計らってくれている様子は良くわかる。 今週、僕はその某省庁関連の研究会で、プレゼンテーションを2回行なった。 同じ内容のプレゼンテーションを2つの研究会で行なったのである。 研究会とは、いわゆる答申をまとめるためのものである。 民間企業の皆さんと研究会で検討をした結果、このような法改正の必要が出てきました、とか、予算が必要となり予算を要求することになりました、といった答申をまとめるのである。 プレゼンテーターである僕は、場所と時間が指定されただけで何をどう話そうと基本的に自由だったのだけれど、打ち合わせのメールがいくつかCCで届いていたので、官僚の人たちの根回しというか、調整業務の異様な細かさを垣間見る事ができた。 僕は何をどう話そうが自由なのだけれど、僕以外の参加者の発言内容は事前に決められていたのである。 進行役の発言内容、サクラ役の質問内容、タイミング、セリフ等が事前に用意されている。 どのタイミングで誰がどういった質問をするか、意見を述べるか、スクリプトが用意されてる。 僕もプレゼンテーションそのものやプレゼンテーション後の質疑応答で、僕が何を発言するかは自由だったのだけれど、それ以外の他のシーンでの質問や意見について、「進行役が○○について説明したら、そこで質問をしてもらえますか?」という依頼はあった。 3時間ほどの会の間のスクリプト、進行が決められ、官僚の人はそれを調整しているのである。 会の裏側を知ってしまった僕が「いやあ、大変ですね」と言うと「お役所ですからしかたがないです。こんなことのために徹夜したりしてるんですよ・・・」という返事が返ってきた。 官僚って大変だな、と思う。 一流の大学を卒業し、難関の国Ⅰの試験に受かって、こんな仕事をしているのかと思うとやりきれないだろうな、と思う。 僕は、官僚的なことは嫌いだけれど、官僚の人たちは嫌いじゃない。
2003年10月08日(水)
5,000円やるから、僕の確定申告の書類を書いてくれ
確定申告の説明会に行ってきた。 来年は確定申告をしなければならないことが確実なので、説明会に行ってきたのである。 僕の確定申告をややこしくしている元凶は株である。 個人で保有している日本の株式売却による確定申告は、あちこちに情報があるので、何とかなるのだけれど、気が狂いそうなのは、僕の勤務先関連の株である。 僕は「社員持株会」、「もらった現物株」、「ストックオプション」の3パターンで勤務先の株を保有している。 僕の勤務している会社は外資なので、もちろん外国株である。 取り扱いの証券会社も海外。 そして、この「社員持株会」、「もらった現物株」、「ストックオプション」のそれぞれがクセ者なのである。 ①社員持株会 これがただの社員持ち株会ではない。 6ヶ月の期間の初日の株価と最終日の株価を比較し、安いほうの株価で購入ができる、というシロモノ。 一種のオプション取引なのだろう。 そして、その安いほうの株価の85%で購入できる。 僕は、年俸の10%を持ち株会にまわすことにしている。 たとえば、初日の株価が100円、最終日の株価が150円だったとすると、100円で購入できる権利が生じる。 100円の85%の価格で購入できるので、1株あたり85円。 年収が仮に1,000万円だったとすると、年間10%株式購入資金100万円。 6ヶ月で50万円。 50万円÷85円=約5,882 6ヶ月間で約5,882株購入できることになる。 ややこしいのはその税金である。 上記の場合、現在の株価は150円なので、1株あたり150円-85円の75円が購入利得とみなされ、75円×5,882株=441,150円が給与所得となり、源泉徴収の対象となる。 ついでにややこしくすれば、本当はドル計算である。 このうえに為替レートの計算が入る。 買っただけなのに、早くも税金が引かれる。 売れば、また利益に応じて税金が引かれる。 こちらは確定申告対象である。 ②もらった現物株 僕は、会社から現物株をもらった。 これは数回に分けてもらえる。 一気にもらえるわけではない。 これが、株を付与されるたびに、確定申告対象なのである。 時価100円の株を100株もらったら、10,000円の給与所得。 こちらも本当はドル。 ③ストックオプション 僕はストックオプションも持っている。 付与されている株数だけを見れば、なかなか良さげな感じもするが、ストックオプションは権利行使可能価格と時価との差額が儲けである。 僕の権利行使可能価格は異様に高い。 下手すれば、時価より高い。 なので、実は全くおいしくない。 が、確定申告は容赦なくやってくる。 これも例をあげる。 行使可能価格が100円だとする。 時価が150円。 1,000株行使するとする。 (150円-100円)×1,000株=50,000円 この50,000円が確定申告対象。 もちろんこれもドル。 僕の場合は上記に加えて、自分が個人で保有している株の取引もからんでくる。 株の取引は細かく無数の回数を行っているのだけれど、その全ての損益を記録しておく必要がある。 株の損益に加えて、為替レートによる変動も加味しなければならない。 実際の確定申告はとんでもなくややこしい。 そして・・・。 株の取引口座は米国の証券会社である。 「わからなかったら、アメリカの証券会社に直接電話をして確認してください」とのこと。 「ちなみに日本語は通じませんけど」なのだそうだ。 「でも、フリーダイヤルだし、24時間受付なので時差は問題ないですよ」 株が社員に渡った時点で会社は関係なくなり、証券会社と個人の間の話になってしまうのであった。 そして「自力で書類をそろえて、税務署に行ってください」と。 5,000円やるから、誰か僕の確定申告の書類を書いてくれ。 とか言いつつ、ここにこうやって書いていたら少し頭が整理されたぞ。
僕は実年齢で言えば、オヤジである。 会社のなかで、オヤジとして分類されている人たちは僕より年下・・・。 若いスタッフが言う。 「オヤジ達がワケわかんない言うんスよ。ほんと、オヤジって嫌ですね。総裁はどう思いますか?」 あのね、君が言うところのオヤジは、僕より3歳ほど年下なのですよ。 僕は、僕の実年齢を知らない人に、僕が何歳に見えるか、ちょくちょく聞く。 ほとんどの人は、だいたい5歳くらい下に見ている。 実年齢を当てられる事はまずない。 戦略コンサルタントという仕事的は、若く見えることは圧倒的に不利だと思う。 「グレイヘアコンサルタント」というコトバがあるように、コンサルタントはある程度、老けて見えるほうが有利である。 僕らの仕事は基本的に「偉い人=じいさん」を相手にする。 実際には日常的なやりとりは「偉い人=じいさん」の周りの取り巻きオヤジと行い、報告会等で「偉い人=じいさん」にプレゼンテーションを行う。 僕は実年齢的には若くないのだけれど、「偉い人=じいさん」の取り巻きオヤジは僕を若造と見る。 僕のスタッフは更に若いので、僕のチームは異様に若いメンバーで構成されているように見える。 オヤジ達は不審がる。 マトモな発言をすればしたで、妙にキレるクソ生意気な怪しいワカモノ。 日本企業にとって、ワカモノの集団が「偉い人=じいさん」に向かって経営戦略について、偉そうに話す、という行為は異様に映る。 「コンサルタントは経験ではなくロジックとファクトで語る」のが原則なので、本来、年齢は全く関係ないのだけれど、クライアントにしてみれば、自社の経営の根幹にかかわるような戦略をどう見ても大学卒業したて、といったワカモノの集団が作っていることに違和感を感じるようだ。 だが、戦略コンサルティングは体力と知力が必要とされる職業なので、実際には若くないとできない。 戦略コンサルタントがワカモノ集団なのは、仕事内容から言って当然なのである。 戦略コンサルティング業界では、僕の年齢なんて、ほとんど定年と言っても良い。 実際の仕事でも僕は難しいことはワカモノに任せ、ワカモノからレクチャーを受けて、プレゼンテーションを行う。 「うー、わからんっ、おっちゃんにもわかるように、もういっぺん説明してくれ」 僕は外見はワカモノでも、頭はおっちゃんなのだ。 僕らはコンサルタントなので、クライアントに不利な事もズバズバという。 クライアントによっては「こんな若造に・・・(怒)」「若造にわかってたまるか(怒)」みたいな表情が見える時もある。 僕らが、正しく秘孔をビシっと突いてしまったりすると、マズい事になったりする。 なので、僕はプレゼンテーション資料の作成やプレゼンテーションの際には表現に必要以上に気を使う。 正しい事を伝えつつも、生意気に見えないように、ご機嫌を損なわず、僕らの意見を取り入れてくれるように。 「僕はロジックとファクトではなく経験で語る」事が多いのだけれど、外見的に、そんなに経験しているようには見えないのであった。 僕は若作りで若く見えるようにしているワケではない。 若く見えるような小細工は一切していない。 天然モノである。 まあ、本当は僕が若く見えるのは、外見だけではなく、キャラクターによるところも大きいのだけれど。 かといって、プライベートではオヤジに見られるのは嫌だ。
2003年10月06日(月)
ゼナドリンダイエット中間報告
ダイエットのために、ゼナドリンを飲み始めて、そろそろ1ヶ月になる。 毎朝、ゼナドリン2錠、マルチビタミン1錠、鉄タブ1錠、亜鉛2錠をヘルシア緑茶1本でごきゅごきゅごきゅっと飲み干している。 そして、午後3時にはまろ茶120でまた、ゼナドリン2錠を摂取。 ゼナドリンを飲み始めた当初は、恐ろしい量の汗が出る、心臓がばくばくする、手が震える、食欲がわかない、等のおおっ、なんだかわからないけれど、僕の身体にとんでもない変化が、と思わせる効果があった。 1週間もすると、耐性ができたのか、何の副作用もなくなった。 とりあえず、僕は1ヶ月に渡り、規則正しく毎日合計4錠のゼナドリンを摂取し続けた。 で、結果。 お、なんだかお腹が堅くなったような・・・。 たしかに、少し堅くなったような「気がする」・・・。 ぽっこりとしたまま・・・。 僕のお腹は「全く」へこんでいない。 ぽっこりとしたまま堅くなったような「気がする」。 お腹が張っているような感じである。 僕はこの1ヶ月間、ほとんど運動らしい運動をしていない。 座りっぱなしである。 ゼナドリンは代謝を上げる、というものなので、運動をしなければ、何の効果もないのであった。 運動の効果を限界まで上げる、というのがゼナドリンの趣旨である。 と、いうか全然効いてないだけか? 効果が全く出ていないにもかかわらず、海外通販で注文した追加のゼナドリン2瓶(240錠入り)が、近所の郵便局に国際郵便で届いているようなのであった。 ■ゼナドリンEFX(エフェドリンなし)2本セット:240カプセル http://www.456.com/pages/detail.php4?serial=3242&id=4-4-6-2&456SESSID=b7496294d24827510871176cbc381b1e
2003年10月03日(金)
Where the street have no name
僕はテレビ番組の録画は基本的に録っちゃ消しである。 僕のチャンネルサーバーがDVDなどの外部保存メディアを備えていないこともあって、録画された番組は見たらすぐに消す。 そのなかで唯一、消していない番組がある。 NHKで放送されたU2のライブである。 僕はU2のファンというワケではない。 カラオケでU2の曲を歌うワケでもなし。 僕にとってのU2は、大晦日のクラブで新年を迎える時に聴く、「New Years day」でしかない。 でも、僕はこのU2のライブを繰り返し見つづけている。 100回くらいは見ているだろう。 そのなかでも、特に何度も繰り返し見ている曲がある。 「Where the street have no name」 ボノの父親が亡くなった翌日に撮影された映像らしい。 「Where the street have no name」と言えば、Pet Shop Boysがカバーしてたなあ・・・。 自分でもなぜだか良くわからないのだけれど、消す事ができない。 そして、何度も繰り返して見る アーノルド・シュワルツェネッガーがカリフォルニア州知事に当選しそうな勢いである。ハリウッドスターは政治家になれるのに、ミュージシャン出身の政治家は見当たらない。 でも、それは一理あるような気もする。 だって、U2のボノが政治家になれば、どんな独裁者にだってなれると思うから。 ロックスターのカリスマ性は、尋常ではない。 音楽が歴史を変えたことは今のところないけれど、もし、ミュージシャンが蜂起すれば世界は変わる、と僕は思う。 音楽は世界を変えるチカラを持っている。 僕は、また繰り返し「Where the street have no name」の録画を見る。
2003年10月02日(木)
音楽販売激減は当然の報い
世界の音楽売り上げが、10.9%減なのだそうである。 何だかんだといいつつも、P2Pファイル交換&MP3のせいだろう。 今まで、ずっとネットを無視してきた報いだ、ザマミロとも思う。 僕は、1995年頃に音楽ダウンロード販売の企画を持って市ヶ谷の某レコード会社に行き、出入り禁止を食らったことがある。 出入り禁止を食らった理由は簡単。 ダウンロード販売により、レコード店というリアルの販売網が崩壊する危険があったからである。 当時は、ブロードバンドでもなかったし、すぐに大きな影響が出るとも思えなかったけれど、ダウンロード販売、すなわち直販にレコード会社が手をだす、という行為そのものが問題だったのだ。 僕はタブーに触れてしまったのだ。 当時、僕はコンピューターメーカーに勤務していたのだけれど、そこでもパソコンのネット販売の是非がずっと問われ続けていた。 DELLが売り上げを伸ばしはじめ、脅威になりつつあった。 コンピューターメーカーは販売店網、代理店網を持っている。 ネットによる直販は既存の流通網の破壊行為と捉えられる危険があった。 今となってはネット直販は当たり前のことなのだけれど、当時はメーカーがネット直販をはじめることは、既存の流通網を破壊するかもしれない、という点で大問題であり、全てのメーカーは悩んでいた。 結果的に、多くのメーカーはネット直販に移行した。 苦渋の決断だった。 既存の流通網の利益を保護しつつ、ネット直販に移行するため、数々の策略を取った。 そのまま既存の流通網を温存したままでは、ネット直販のメリットは何もない。 既存の流通網には既存流通網にしかない、付加価値を持たせる必要があった。 モノを右から左に流すだけの流通業者はその時点で淘汰された。 血を流しながら、改革を行なったのである。 そんななか、音楽業界はひたすらダウンロード販売に背を向け続けた。 ウラではこっそり検討をしつつ、既存の流通網への配慮のために、手を出さないフリをしていたのではない。 タブーだったのである。 完全無視。 JASRACと音楽業界は、いかにして音楽ダウンロード販売を妨害するかに専念してきた。 来るべきブロードバンド時代に備えて、準備をしてきたのではなく、いかに妨害するか、が彼らのテーマだった。 世の批判をかわすため、絶対に売れないようなしくみのダウンロード販売サイトを立ち上げてみたりはしていた。 ネットで売れては困るのだ。 ワザと高額に、ワザと不便にせざるを得ない。 音楽はCDというアトムなメディアではない。 ビットなのだ。 僕は音楽そのものが聴きたいのだ。 音楽がデータでしかないのであれば、ダウンロード販売で何の問題もない。 僕は良くAmazonでCDを購入するけれど、ウェブでCDの注文をし、宅配便でCDが届き、MP3ファイルを生成し、CDはクローゼットの奥にしまいこむ。 MP3ファイルを生成したあと、CDを取り出すことはない。 だったら、最初っからMP3ファイルをダウンロードできれば、資源の無駄がなくなる。 リサイクル可能な再生紙のCDパッケージなどというアホなものもいらない。 宅配便のトラックが排ガスを出すこともない。 僕が休日の朝に宅配便の兄ちゃんに叩き起こされることもない。 CD屋はリスナーに対し、CD代に加えて、電車に乗ってCD屋に行くなり、宅配便で送料を払ってCDを届けてもらうなりの余計なコストをかけさせてきた。 でも、今はクリックひとつで、音楽が聴けるのだ。 お金を払って正当にダウンロード販売されている音楽を手に入れようにも、そのサービスは存在しない。 存在したにしても、ワザと不便にしてあったり、高額だったり、奇妙なプロテクトがかけられていたり。 音楽業界は音楽のダウンロード販売を拒み続け、ユーザーに不便を強いている間に、ユーザーはP2Pを知ってしまった。 音楽の売り上げが下がっているのは、当然の報いでしょう。 こんな事は10年以上前から、予想できたことだったのに。 怠慢を続けてきた音楽業界は救いようがない。 ファイル交換利用者を告発することが、対策ではないだろう。 ■世界音楽売り上げ、10.9%減 http://www.zdnet.co.jp/news/0310/02/nebt_01.html
2003年10月01日(水)
今日から僕の嫌いな衣替え
今日から10月。 衣替えの季節である。 僕はイヤイヤながらスーツで出社した。 本日は外出の予定はないのにもかかわらず、スーツ。 僕はスーツもネクタイもビジネスシューズも大嫌い。 いい歳なんだから、いい加減、ちゃんとした格好をしろよ、と言われるのだろうけれど、嫌いなものは嫌い。 ビジネスカジュアルも中途半端で嫌いだ。 襟付きのシャツとか、スポーツシューズはダメとか、ジーンズはダメとか。 ビジネスカジュアルはビジネスカジュアルで、僕が日常的には絶対にしないような格好である。 僕はコンサルタントという「外見で」マトモな人と判断されなくてはならないので、アホな格好はできない。 僕らの仕事はクライアントから「アタマ良さそう」と、思われなくてはならない。 本当にアタマが良い必要はない。 外見上、アタマが良さそうに見えなくてはならないのである。 ヤクザが恐そうに見えなくては商売にならないのと同じく、僕らはアタマが良さそうに見えなくてはならない。 コンサルタントはサービス業なので、外見もサービスのうちである。 でもなあ。 クライアントと会わない時は、スーツを着たくないなあ。 オフィス内にクライアントがミーティング等でウロついていたりもするので、実際は無理なのだけれど。
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