浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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本の山が崩れたので、『銀の三角』が出てきた。もう何十回と読んでいるのだが、目の前にすると読みたくなり、ストーリーを承知しながらも読めば必ず涙することになるのだ。こういう傾向は他の作品でもあって、クーンツ『ウォッチャーズ』のアウトサイダーの洞窟だとか、わかっちゃいるけど止まらないんだよなあ。(『ウォッチャーズ』は、ほとんどの人にとって泣ける作品らしいが) 「夢も歌うことを覚えた。耳をそばだてておくれ」架空の存在、紡がれた夢の中に生きるモノに涙する心地は、作品世界の中の夢と創作物を読むことの、二重の意味をもって迫ってくる。 奥付を見て愕然とする。【1980年】ですと。ふう、ちっとも古びてねえ。20年たってる作品だなんて、とても思えないや。 あー、そういえばSFマガジンを立ち読みして「こりゃあ連載完結しなけりゃ頭こんがらがるわ」と思ったのが学生時代。ということは、『百億の昼と千億の夜』や『スターレッド』はもちろんもっと前。『ポーの一族』『11人いる!』あたりになると、かれこれ30年はたたないか? それにしても、ミューパントーとラグトーリンの印象的な表情には、いつも息をのまされる。 ラグトーリンの微笑みに、ふと『百億の昼〜』の阿修羅王を連想する。転輪王となった阿修羅王、時空のひずみと惑星開発委員会。かつて描きはった光瀬龍作品のイメージが、少し影響を与えているのかと今になって思う。 『左ききのイザン』『東の地平、西の永遠』など、たしか共通するキャラも出ていたはず。致死因子はその他のSF作品群にも出てきたテーマだ。読み返したい作品がどんどん思い浮かぶ。 本棚をかき回して昔のマンガを引っぱり出してみる。『樹魔・伝説』『ワン・ゼロ』....SFモノは、少女マンガの世界にもけっこうあったなあ。当時の少年マンガより本格的なSF色の強い作品が見られたかもしれない。 『エロイカより愛をこめて』。うー、西独もソ連もなくなっちまってるから古さを感じさせるけど、これはその時代を織り込んだ防諜モノの宿命か。今読んでも、ストーリー自体は面白い。コレもかれこれ20年以上前の作品と思えないよなあ。 そいえばこの前、『ジャッカルの日』をあらためて読んだのだった。おかげで夜明けまで本を置くことができなかったですよ。すぐれた物語は、時代を感じさせる古色をおびることはあっても、けっして老いたりしない。いつ読んでも血を熱くさせてくれる。実感しましたわ。
2003年01月31日(金) |
ハイノーズ/タバコ会社の未来 |
ドスコイふたり?(笑) あれれ、アリクイノーズ? FW25は、ずいぶんスリムになった印象がします。それとも、ふたりのお肉との対比のせいかな。マシンがスリムになったのか、ふたりがさらにドスコくなったのか? あんまり太ると、その分マシンをスリムにしないとバラストの量が....(笑) テスト中、ラルフが背中に痛みを訴えてしばらく休みをとってたというけれど。腰痛、背中痛というと、シートポジションがあわないか、マシンの振動か、と気になるんですが。 例えば、あのミハエルでも快適なシートを得られるようになったのは近年になってからということで、ベネトン時代は苦労したという話。ロリーのマシンのハイノーズって負担かかるのか、フェラーリでエディやルーベンスが腰痛や足の痺れをうったえてたことがありました。「ハイノーズで足を持ち上げられて、ドライビング中にうまく踏ん張れない」ってルーベンスが言ってたことも。 他チームのマシンでも、ノーズが持ち上がりドライビングポジションが低くなったために「前がよく見えない」→「無理な姿勢をとらざるをえない」→「首などを痛める」って例が、テストドライバーのインタビューで見られたり。 まあ、マシンの空力特性とドライビングの快適さ/前方横方向の視認性どっちが欠けてもいい成績は望めないんで、デザイナーは苦労するところでしょう。 そのうえにマシンに激しい振動や挙動の乱れが出たりしたら、ドライバーはたいへん。それに耐えうる肉体づくりっても、首などのドライビングに必要なお肉を鍛えるのは、ともかくマシンに乗っていくしかない。たいへんな仕事です。
フィリップ・モリス社が、アルトリア・グループに社名変更。 今後のタバコ広告の禁止措置などをふまえて社名を変更。現在マルボロのブランドでモータースポーツ界ではお馴染みですが、タバコ広告禁止となる2006年以降はグループ内の他ブランドでの広告に差し替えていく可能性もあるとか。 モータースポーツ広告から「撤退」ではなく「タバコ以外の広告に差し替え」ならば、スポンサー探しに苦労するチームやドライバー達にとっても将来の見通しがでてくるわけですが。 例えばJTなどもタバコだけでなく食品・飲料等も扱ってますが、フィリップ・モリス(あう、今はアルトリアだ)傘下のグループ企業には世界的な食品会社がたくさんあるんですね。BATもそうじゃなかったっけな〜。 むうう、どんな企業が名を連ねてたっけ。有名企業のグループの資料というと、ウチには「赤い楯」くらいしかないや。(笑)
2003年01月29日(水) |
寒波到来に心躍るのはなぜ? |
この冬イチの寒波到来。昨日はミゾレ程度であったのが、一昼夜にして積雪数十センチ、水道は凍結いたしましたっ。古い作りの窓や物置の隙間に忍び込む粉雪。イエーイ、さぶいぜっ!(笑) いやー、ひさびさやわー。<凍結 電気温水器のお湯をお手洗いの水道蛇口にジョボジョボかけながら、屋外のお庭水まき用水道に思いをはせる。とかしに行ってもこの積雪やと、どうせまた凍りよる。水道管が破裂しないことを祈りつつ、放置!(をい) サクサクの処女雪けちらしてノシノシ歩くのはいとたのし。歩みを進めるたびに踏みしめる足の下でキュッキュと鳴る雪道との会話を楽しむこころもち。もっともまあ、行き着く先(帰り着いた先)でぬくぬくの暖房が待ってると確信できるときに限ります。通勤時の寒い駅舎は、ちびっとつらいじぇ。(^^;) なんかこう吹雪とか雷雨・台風に心が踊るのは、私が子供っぽいからか。火事と喧嘩は江戸の華なんていうごとく、悲惨さを棚に上げとくと、人は危機には踊るんだよな。不幸なニュースには興奮するから、世の中不幸なニュースばかりになるんだよな。 ....つらつらと考えてみるに、危機が訪れたときに迅速に対処できるようアドレナリンやらなんやらが放出されておるのかもしれん。 SFパニック物やホラー、サスペンス、これらがうけるのは疑似体験のカタルシスでもあろうか。世に文学(神話・伝説)が生まれたおり、ヒトは自らと「死」や「危険」「悲惨」の間にある深淵を「想像力」とをクッションにしてかいま見ることを「楽しみ」に昇華させしめた。「危険」を恐れるなら、ヒトは「技術」も「科学」も知らず、群のリーダーに反抗することもなく、新しき地を知ることもなく、自らの可能性を閉じた世界にとどめ、気まぐれな自然の驚異に怯えながら暮らしたことだろう。「危険」に心踊るのは、それらを乗りこえて自らの生きる道を獲得してきたヒトの種の末裔であるということに他ならないのかもしれない。 雪山やら宇宙体験やらスポーツでの過酷な体験で、神秘体験をする人も多いという。宗教修行の飢餓や過酷さは、ベータエンドルフィンを放出させて、幻視やら宗教的直感やらをもたらすという。 ヒトの体と心は、神秘なり。
今日はたぶん、書籍・雑誌運搬の車も往生してるやろなあ。むかーし書店勤務の時には、朝着くはずの荷物が突然の豪雪で午後ならまだしも閉店間際に到着なんてこともあったもんな。水曜発売の雑誌は、明日見に行った方が無難かも。というわけで、本日の買い物は食い物だけにしとく。 夕飯を買いに近所のスーパーに行ったら、月に1度ほど店の前で営業してるお好み焼き&大判焼屋のおっちゃんが凍えてはりました。 雨よけテントだけの店がまえなんで、おーい、材料の卵の上にも粉雪吹き込んでるぞーい!(寒っ) 「もう今日はやめようかなーと思ってるところで」....そやなあ、こんな吹き降りで買い物に歩いてる人かて居てへんがな。おっちゃん、風邪ひきなや〜。カラダが大事よー。(^^;) というわけで、夕食はお好み焼き&トーストを食べつつ、コタツ猫状態で寒波をしのぐのであった。
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