浪漫のカケラもありゃしねえっ!
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2003年02月06日(木) |
モータースポーツニュースあれこれ |
どうもウィリアムズのふたりが新車の感触に不満を感じているようで、開幕前から先行きがちょっと不安な2003年シーズンです。 ドイツの旗の下で兄とポディウムの頂点を争ってほしいのよ〜!(ああ、私の夢が実現するのはいつやねん(涙))
フェラーリのテスト組からブルティが抜け、マッサ加入が確定、というニュース。ふーん、トッドが目をつけてたのか。 ラウンチでどう発表されるか楽しみです。 以前tifoi-clubの投票の「ミハエル後のドライバーは?」ってのがありまして、私が見た時点でのダントツトップはキミちゃん、続いてモンちゃん、バドエルってところでしたが、なぜかユーンに投票の人もいたり。まあ、これはファンの願望やらジョークやらなんやら。(笑) しかし、フェラーリのふたりはどちらも30代で、F1ドライバーの最ベテラン1−2。たぶん平均年齢も、ベテラン&若手とかでそろえてる他チームより高いんですな。 ミハエル後を考えたときに、継続性を考えるなら、セカンドドライバーかテスト君、あるいはエンジンを提供してるザウバーのデータで、青田買いされた若手をチェックすることも考えられる。 以前からフェラーリが目をつけていたマッサの起用は、そういうムードを感じさせなくもありません。テストチームで鍛えて、安定した走りを仕込まれれば、大バケするかもしれない。 ....といっても、同じマシンを与えられての勝負となれば、その速さのポテンシャルが美点も欠点もあらわにされてしまう。相手は、鬼のミハエル様ですわ。 バドエルな道つき進んじゃうことになるか、他チームに目をつけられてパニスな道を歩むか、チームの正ドライバーに成り上がれるか、それは未来のお楽しみ。お手並み拝見です。ふっふっふ。(悪)
福田良がTeam 5ZIGENでフォーミュラ・ニッポンに初参戦が濃厚? えーと、Team 5ZIGENというと、服部尚貴とミハエル・クルムで参戦してたチームだっけ。 ファーマンのF1参戦で、PIAA NAKAJIMAのシートも空いちゃいました。今度の合同テスト、シート争いの舞台になるかもしれません。 ファーマンのお父さん、E.フィッティパルディのメカニックだったという話で、有名なシャシー屋さんだったのね。「Van Diemen」って、全然聞いたことなかったけど。今回初めて知りました。(^^;) ふみゅう、んじゃ、いろいろレース界のコネクションづくりには便利だったのかなー? ジョーダン側からのコメントで、「ファーマンは一銭も持ち込んでない。彼の能力をスポンサーが納得したからだ」「エディは年齢が問題だった」っつって、まあ、ちょっとばかり頭に血がのぼりましたがね。悪かったなあ、年でよお。(-_-;) 要は、ベンソン&ヘッジスにタイトルスポンサーになる資金を出させるのを納得させた、っつーことかいな。
服部茂章くん、IRL最初の4戦(モテギやインディ含む)参戦チームが、A.J.フォイトに決定。 うーん、インディ以後の参戦がどうなるかわからないのが不安ですけどね。モテギに来てくれるのは、嬉しい。 今冬のインディマシンのテストには連絡ミスで来日できなかったらしいし、たしかCART時代はケガでモテギ出場できなかったんやなかったっけか。(あう、記憶がおぼろだ) 今回は、ぜひ頑張ってほしいものです。同世代のおにーちゃんが頑張ってると、こっちも応援したくなりますわい。(^^)
2003年02月04日(火) |
ジョーダンのセカンドシート決定! |
すったもんだのあげく、ジョーダンのセカンドシートはラルフ・ファーマンに決定の正式発表がありました。 これで、2003年F1シートは全て埋まりました。それにしても、対抗馬たくさん用意してスポンサー集めにひっぱたなあ>ジョーダンオヤジ。いや、ウォーキンショウオヤジよりはマシか。(^^;)
ファーマンといえば、Fニッポンのチャンピオン。FNやその前身である全日本F3000出身のF1ドライバーは少なくない。 ....しかし、これは、日本のレースがF1シート獲得への登竜門であることを示しているわけではない。 各国のF3や国際F3000、CART、フォーミュラルノーなど、各カテゴリーでタイトルを争うドライバーには、有力なマネージメントやスポンサー、他カテゴリーのオーナー達は注目する。それとどれほどの違いがあるだろうか。 全日本F3000時代のドライバー達の多くは、F1シートを買うほどの大きなスポンサーを得られず、欧州のレースよりコンペティティブで契約金も高い、と理由で日本へ来ることを選んだという。そして、チャンスを待ち、スポンサーを集め、F1にあがっていったのだ。 他国のレースでタイトルを争う力のあるチームに自分を買わせるマネージメントの力を持ち、言葉の通じない環境での生活にもめげず、外国人チームスタッフとコミュニケーションをとって戦う。その点で、日本にやってきた彼ら外国人ドライバー達は、すでに母国で戦う日本人ドライバー達より何歩も先を歩いていたのではなかろうか。 F1にあがったドライバー達は、チーム力の差に苦しみながら戦う。早い結果を求められるカテゴリーで、習熟にかけられる時間は短い。最初のイメージが後々まで尾を引く。まず能力を比べられる相手は、チームメイトやテストドライバーだ。 ファーマンの相手は、ジャンカルロ・フィジケラである。ここでファーマンのポテンシャルは計られる。きっと厳しいだろうな〜。(^^;) それは、ファーマンと今まで戦った日本人ドライバー達、FNというレースのポテンシャルの評価にもつながるかもしれない。(FNにトラちゃん帰ってきた時みたいにさ) さあ、どうなるかな?
2003年02月02日(日) |
シャトル墜落.... |
「コロンビア墜落」....R.I.P. ニュースを聞いて、チャレンジャー墜落時の映像やあの時のショックが蘇りました。もちろん今回は状況が違って、着陸寸前、大気圏再突入前後での事故だったのですが。 スペースシャトルは、宇宙開発の世界ではそれまでになかった【繰り返しの使用を前提とした宇宙船】です。(きついジョークで有名な宇宙飛行士達は「世界で最も高価な中古車」と形容したことがありました)それゆえ打ち上げのたびに厳しいチェックがあり、わずかな不備でも打ち上げを延期し、多くの就航を事故もなく過ごしてきました。 それでも、100%故障を起こさず完璧に働く機械を作ることは不可能であり、人為的なミスを防ぎきることもむずかしい。自動車や航空機がそうであるように。ヒトにできるのは、起こってしまった悲劇から学び、その繰り返しを防ぐために真剣に問題に向かい合うことだけです。 チャレンジャー事故のおりは、原因究明と再度の事故予防のために、数年間打ち上げは停止されました。今回もNASAは、安全性追求のためにさらなる慎重さの上に立って将来の宇宙計画をすすめねばならないでしょう。 今、この空の上に、数カ国が共同研究して築き上げていこうとしているステーションがあります。シャトルの順調な就航を前提として組み上げられた計画は、修正を余儀なくされるでしょう。 宇宙計画に多くの犠牲を払い、ばく大な費用をかける価値はあるのか。その前に、地上にある病災害や社会が生んだ困窮の解決に目を向けるべきではないか。アポロの時代にもあった意見が、繰り返す波のように打ち寄せてくることでしょう。 宇宙開発は、かつて大国の威信を示すモノとして生まれ、ミサイルや探査衛星の開発など軍需産業とともに育ってきました。けれども、今はそれだけに終始する時代ではなくなっています。 ヒトはなぜ宇宙を目指すのか。 火星や他の太陽系の惑星に降り立つことが、もっと間近に思えた時代がありました。SFの世界ばかりではなく、「月」という遠い地にヒトを送ったという自信が、人々にそれを可能に思わせました。 最後に月にヒトが降り立ってから長い歳月がたちます。火星にヒトが到達するまでには、長い飛行と帰還を可能にするエネルギー、その長さが人体に与える影響、それらをはじめとして解決すべき問題がたくさん存在することがあきらかになっています。 それでもなお、ヒトはなぜ宇宙を目指すのか。あきらめようとはしないのか。 いずれは違う環境に、種のタネをまくためだろうか。どこかにいるかもしれない他の種と出会うためだろうか。それらが実現するかどうかはわからないけれど、ヒトが思いもかけなかったような未来と出会う可能性を切り開くことは間違いありません。 この宇宙の中で、生命の宿るまれなる環境を保持してきた星。宇宙についての知識が広がるときヒトはその奇跡を知り、生命なき宇宙の虚空に浮かぶその星の姿で、ヒトは初めて自らを育んできた自然の豊かさとかけがえのなさを知ります。 衛星は放送や通信など災害の警告や生活を便利でより喜びのあるものにするために用いられ、開発を通じて得られた知識はヒトの未来を広げるデータとして活用され、50年前には想像もできなかった世界が私達の前に広がっています。 かつてヒトが空を飛ぶことを目指したとき、誰もそれが可能だとは思わなかった時代が長く続きました。人々の失笑を買いながら、「夢」をがむしゃらに追った時代が。 空を飛ぶことが可能になると、商用での利用が発展し、【航空機の存在を基盤とした文化】が生まれました。もちろん多大な事故もあり、軍事利用もあり、「空を飛ぶ」という夢が実現しなかったら発生しなかったであろう悲劇は、数多く存在します。けれど、その存在を基盤とした文化は、世界の国々を精神的にもより近く結びつけることを可能にし、人の命を救うこともでき、新しい仕事や可能性を数多く生み出しました。 ヒトという種が得た知識や技術は、新しい可能性と未来を開くこともあれば、悲劇を生むこともあります。そのどちらを選ぶのか、それをどう活用するかは、ひとりひとりのヒトの心やそれを支えるために働く真摯さにかかっています。 心から祈ります。私達ヒトが、よりよき未来を切り開くことができますように。礎になった人々の悲劇を、無為にすることがありませんように。
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