度々旅
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2004年12月23日(木)

 噺家になった後輩の落語会。先輩と出かける。最寄駅で同じパンフを手にしたおばさんに声を掛けられ、一緒に会場まで歩く。なんと、そのおばさん。うちの後輩のファンだとか。なんか、すごく嬉しくて、何度も何度もありがとうございますと繰り返してしまった。後輩はまだ前座なのだけれど、浅草演芸場で高座に上がったのを見て、これは伸びると思い、それから応援して下さって、いつも聞きに来て下さっているそうだ。私達がその知り合いということで、おばさんは、感激してくれて、今日はとっても良い日だわぁーと言ってくださった。これからも贔屓ににしてやって欲しいなぁ。
 そういえば、学生の頃も、毎回私達の落語会に来てくださるお客さんがいた。差し入れをくれたおばさんや、自分で作った木彫りの猫をくれたおじいさんもいた。いつも来ていたおじいさんが来なくなって、どうしたのだろうと思っていたら、奥様から、おじいさんが病気で最近会に行けなくて残念がっているという手紙と、私達を写した写真が送られてきた。あの時、ちゃんとお礼状書いたのだったかな。まだ元気でおられるのだろうか。
 学生のお遊びだけれど、たくさんの方が私達を育てて下さっていたと今思う。そして、後輩はこれから沢山のファンができるのだろう。その一人として私も彼を応援し続けて行きたいなぁ。


2004年12月22日(水) 母とお出かけ

 母とディズニーランドに行ってきた。母は、大興奮だった。あたしよりずっと、TDLの遊び方を熟知していた。まずは、ショーのための座席の抽選を朝一でして、その後ファストパスをとって、その待ち時間にパレード見てなどなと、次々と案が出て、あっちやこっち歩き回った。
 コーヒーカップなんか、あたしよりガンガン回してギャハハハハと笑ってた。スプラッシュマウンテンでは、最後の落ちるところで、しっかり手を上げて写真に写ってた。初めて、あの写真を買った。なんだか、母、すごいよ!若いよ!

 そんな母は、最近吹き矢を習い始めた。弓道か、長刀か、吹き矢どれにしようか悩んだって、あなた・・・。そういう姿を見ると、あたしの母だなぁとしみじみ思う。


2004年12月20日(月)

 同じ研究室のと某教授の最終講義。いつも通り手伝いに借り出される。目立たないように過ごしていたつもりが、こういう時にはいつも借り出されるようになっていた。そして、その度に「当日民族衣装は禁止です」だとか、「フォーマルな民族衣装、着物、スーツ等でお願いします」だとか、あたしだけ先輩に注文をつけられる。むぅー。

 講義の後の、パーティーにて、同学年の一人が論文提出直前で院をやめたことを知らされる。彼は、一番本気でやっている人だっただけに、ショック。本気だっただけに、書けなくなってしまったのだろうなぁと。院に入るときも、合格したのに、自分には力が足りないと言って、その年には入らず浪人してた。そういう本気さが、彼の首を絞めたのではないかと悲しくなった。うちの研究室は、そういう人が多すぎだ。

 パーティーには、私の指導教授も来ていて、久しぶりに会った。結局、パーティー中ずっと話していたよ。この人の良いところは、授業以外では殆ど学問の話をしないこと。するとしても、普段とは違った角度からなのでかなり面白い。うちの指導教授は、特殊分野だけに今まであまり学生を持ったことがない。同じ学年に2人も自分の担当学生がいたことは、あたし達が初めてらしい。そんなわけで、「来年寂しくなるから二人の論文を落とした方がいい」などと、先輩がわざわざうちの教授に言っていた。やめてくれー。
 その後、教授と私ともう一人の担当学生K氏と呑み屋へ。そこで思い出したかのように、「落とせって言ってたけど、落とさない方がいいんだよね。」なんて確認をされた。先生、そういう言葉は真に受けないでください。


こげんき |MAILBBS

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