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この時、1つの回答が得られました。 うちの父は、白の負、母は黒の正でした。それが 見えました。 父は普段優しい人でしたけど、突如機嫌が悪くなると (独自の基準やルールみたいなものはあるのでしょう けど)突如怒り出す人でした。暴力とかはなかった けど、怒鳴り声はうるさかったです。 母が他界し、3人になったら、父はめったにキレは しませんでした。しかし、幼い頃はわからなかった けど、父が怒る時って娘の私から見ると単なる 気分にしか見えませんでした。 同じような出来事が起きても、日によって態度が 違ったからです。 父のそういった所は、私が大人になるにつれて (屁)理屈で、ぐうの音も出させなかった。 私は日常においては、父よりも強く出る事が 出来てました。 でも、父が譲れないところだけは、父に従うという 感じでした。 父と母の直接のやり取りについては、私はあまり 記憶にありませんが、父の好みでない食べ物は母は 出さなかった気がします。 「お父さんは○○だから」と言っては、お父さんの 好み通りに努力している感じがします。 で、思ったのですが、母は本当に父にホレていて 父に意見するとか、逆らうとかをしなかったのでは ないでしょうか。で、父が突然キレたことに対して 母が傷ついたりしてなかったか? 普段は優しいのに、病気の事とか掃除の事とかは なんで厳しかったのか。 母は父に押さえつけられた感情を、そんなつもりは なくても、私達に多少なりとも矛先を向けていたの ではないでしょうか? それで、そんな自分が嫌になる事も。 また母の姉達もぐちゃぐちゃ言って来て、私達も 子供だったから、そういうことはわかってあげられ なくて。本当に参っていたのかも知れません。 人によっては、16歳ってもう大人ですよね。 いろいろ世の中のことが見えている人達もいると 思う。 でも、私は子供だったな。周りがよく見えるように なったのは正社員になってからだった。 それまでは結構主観的に生きて来た。だから、親に なんて甘えて当たり前!って感じだったから、 親に気を遣うとか、親の気持ちを察知するって事は なかったな。 当時、母の立場というものをわかってあげられる のであれば、違っただろうか。 でも、母は、私を思い通りの進路に進ませる事が 生きがいみたいだったから、多分、母が生きていたら、 母の言われるがまま、多分4年制の大学目指せとか 言われ、そこそこのサラリーマンとお見合いさせられ… って人生を歩んでたかも知れないとゾッとする。 多分、私の想像している通りの関係で、母はいろんな 条件が重なって苦しかったんだと思う。 そして娘の私達は、妹が父に似ていて、私は母に 似ている。そんな状態だ。
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