橋本裕の日記
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2007年12月28日(金) 小浜へ写真旅行

 青春18切符を買った。これで今年の冬もJRの旅を5回できるわけだ。そのうちの2回は福井へ帰省するために使う。残りの3回の旅のうち1回は小浜へ行こうと思っていた。

昨日朝食を食べながらテレビを見ていると、若狭地方も晴れてあたたかそうである。そこでさっそく支度をして、自転車で家を飛び出した。木曽川駅7時45分発の普通列車に間にあった。米原、敦賀で乗り換えた。

昼食は敦賀の駅の売店で350円のすし弁当を買った。これを小浜線の列車のなかで済ました。小浜でうまいものをたべたかったが、予算と時間の節約のためである。しかし稲荷寿司をつまみ、お茶を飲みながら沿線の景色を眺めるのも悪くはない。12時頃に小浜についた。

まずは城跡を目差した。とちゅう昔棲んでいたあたりを通った。もう住んでいた長屋はない。大方は隣の電報電話局の敷地になっていたが、わずかな隙間があってそこに草が生えていた。

長屋の道を挟んだ向かいが山川登美子の実家である。そこが記念館になっていた。さっそく門をくぐり中に敷地の入ったが、記念館らしい施設はなく、人気もなかった。ただ母屋や蔵がそのまま残っていて、庭に立ってそれらを眺めるだけである。

しかし、それでよかった。小学生の私たちは勝手にこの家の敷地に入り込み、蔵の中まで進入して遊び場としたものである。この庭先にも侵入したことがある。40数年ぶりだったが、そのときのことを思い出した。

そのころ、この家には中学生くらいの美しい娘がいた。その少女がたまたま縁側に立っていて、私は彼女と目が合った。いきなり庭先に近所の悪童が現れたので、彼女もびっくりしただろう。大きく見開いた目に見つめられて、私はすごすごと退散した。

記念館になったおかげで、そんな思い出のある庭にふたたび入ることができた。少女の立っていたあたりに近づき、ガラス戸越に中を眺めたが、人が住んでいる気配はない。おだやかな午後の日差しの中で、石灯籠や南天の赤い実を眺めながら、しばらくは少年時代の思い出にふけり、至福の時間をすごした。

そのあと、通学路だった商店街の鄙びた道をたどった。南川の橋を渡ると、そこが私の母校の雲浜小学校だったが、少し離れた海岸近くに移転して、今はその一角が幼稚園になっている。しかし、通りには畳屋をしていた同級生の家が残っていた。数年前、私はそこを訪れ、友となつかしい再会をしたことがある。今回は時間の関係でそのまえを通るだけになった。

小浜城址に登り、天守閣あとの原っぱから小浜の町や海をながめた。そして礎石のひとつに腰を下ろして、家から持参した「なごやん」を食べた。家を出るときから、城址でこれを食べようと決めていた。好物の焼き菓子を少年時代の思い出の場所で食べられて、とても幸せだった。

城跡の石垣を後にして、小浜港に行った。運河も大半は埋め立てられ、漁船が通るときだけ片方から持ち上がる名物の勝鬨橋もなくなっている。その橋のたもとにあった小浜警察署もなかった。しかし、漁船の並ぶ桟橋や周囲の建物には往時のたたずまいが残っていた。そこでたくさん写真を撮った。

(今日の一首)

 ふるさとの小浜の町はあたたかく
 われを迎える師走の今日も







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