French Wolf の日記
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2000年12月07日(木) 文庫本のパワーと通訳のコツ

今朝もまたサザエさんをやらかしてしまった。出かけるときに文庫本を持っていくのを忘れてしまったのである。「永遠の都」以来 (正確にははるか昔に読んだ「宣告」だったと思うが)、すっかり加賀乙彦の虜になってしまった。今週の前半に例の「永遠の都」は読み終えてしまい、全 7 巻の長編小説に幕が下ろされた。なんとなくさびしくうら悲しい気分である。一生読みつづけたい、登場人物の行く末を全員が死を迎えるまで見届けたい。なんて勝手なことを思っていた。読み終える直前にはすでに、別の加賀乙彦の作品を購入しておいた。今回は「ヴィーナスのえくぼ」という本である。時代背景も前回のものとは全く異なりもう今の世の中の話である。それを毎日通勤の往復の電車で読むのを楽しみにしていたのだが、それを迂闊にも忘れてきてしまったのである。

仕方ないと諦めて、行きの電車の中ではボーっと目の前を通過する駅名の表示板を眺めてやり過ごした。帰りにはやはり何かすることがないと寝てしまう恐れがあったし、実際降りるべき駅を乗り過ごしたこともあった。めったに買わない週刊誌を駅の売店で手に取り、雑誌のページを繰っているうちに意外にも早く目的地にたどり着いてしまった。

今後玄関には「火の用心、電気のスイッチ、財布、本」という看板でもかけておいた方がよいのだろうか? だいぶ耄碌爺になってきたようである。



さて、話はがらりと変わって、通訳について。今日で合計 4 日間の通訳をこなしてきたことになるのだが、ようやくコツらしきものがつかめてきた気がする。通訳は、絶対に相手の言っている言葉をそのまま別の言語で伝えなおさなければならないものと決め付けていたのだが、そうでもないらしいということに気づいたのである。

たとえば、英語から日本語の場合。英語で何を話し手が言おうとしているのかを自分が理解し、自分の言葉で表現しなおせばよいのだ。何も相手が使った言葉を単語レヴェルにまで緻密に解析して、英文解釈のように翻訳する必要はない、ということに気づいたわけである。日本語から英語にしても同じである。要するに、今まで大前提だと思っていた「通訳は話してに対して質問を発してはいけない」というのが、実はそんなこともないのではないか、と思えるようになってきたのである。相手の言いたいことを自分が理解しなければ、通訳はできない。至極当然のことではあるが、今までこれに気づかなかったとは翻訳屋として情けない。


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