アナウンサー日記
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6年前の7月4日の夜、父は日付が変わる前に病院で息を引き取った。
「その瞬間」を、私たち家族は気づかなかった。昏睡状態の父は静かに、いつの間にか亡くなっていた。ナースルームで心電図をモニターしていた看護婦が「心臓が止まった」と血相を変えて飛び込んできて、私たち家族はやっとそのことに気づかされた。ただちに電気ショックなどの蘇生措置が施されたが、再び父が目覚めることはなかった。
享年65才。3ヶ月の激しい闘病生活の幕切れは、意外なほど静かだった。
母が父の寝巻きを脱がせ、入院前に注文していた一度も袖を通したことのない新しいスーツに着替えさせた。ダンディな父にふさわしい3ヶ月ぶりの背広姿だ。だが、ポカンと開いたままの遺体の口は、どうしても閉じることが出来なかった。
通夜と葬式は葬儀社の会場で行うことになったが、一晩だけでも父を家に帰してやろうということになり、真夜中、遺体を長崎市内の実家のマンションに運んだ。
葬儀社スタッフとの打ち合わせが終わったのが午前4時頃(葬儀社は24時間営業とのこと・・・ご苦労様です)。夜も白みはじめ、ほんの2,3時間だけでも横になろうということになった。私はおやすみの挨拶に、居間に寝かされた父の顔の白い布を取り、・・・一瞬息を飲み、「お父さんが」と叫んだ。
病院でどうしても閉じることができなかった父の口が微笑んでいた。無表情だった目元も緩んでいた。まるで湯上りのように気持ちよさそうな顔だった。それは「奇跡」と言っていいほどの、劇的な表情の変化だった。ガンであることが分かって以来見たことの無い・・・いや、ひょっとしたら私が知る限り、一番ステキな父の笑顔であった。
ふと、「ああ、お父さんは満足して死んだんだ」と胸落ちした。ちょっと短かったけど、いい人生だったのだ。でなければ、こんなに嬉しそうな顔で死ぬはずがない。父が死んで初めて、私の両目から涙がぽろぽろとこぼれてきて、止めることができなかった。父が昏睡状態になってから亡くなるまで、ついに会話を交わすことはなかった。したい話がたくさんあった。父の人生のこと、やがて生まれてくるだろう孫へのメッセージ、私たち残された家族への別れのことば・・・。
だが、父の死に顔は、なにものにも変えがたい素晴らしいメッセージだったと思う。
6年後のきょう、父の七回忌をした。
本当の命日は7月4日なのだが、出席者の都合などで、命日に一番近い日曜日を選んだ。とはいえ母の希望もあり、集まったのは私たち家族と親戚あわせて8人だけの、こじんまりとした七回忌だ。会場は実家のマンションである。
お経を読み終わって和尚さんが帰られると、姉が父の遺影を見て「お父さんが笑ってるような気がする」と言った。
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