思考過多の記録
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2000年12月31日(日) 見た後に跳べ

 今日が正真正銘、今年の、そして20世紀の終わりである。昨日の日記にも書いたが、本当にこの1年はいろいろなことがあった。特にここ数年は、これまでには考えられないような事件が立て続けに起こったという印象がある。つい昨日も、まるで駆け込みのように高校生カップルによる血生臭い事件が報道されていた。時代の変化が早く、既存のカテゴリーには収まり切らない事象や、常識を覆す出来事が日々起きている。まるで川底の砂が流れによって少しずつ削られていくように、僕達の社会は根底からゆっくりと変わろうとしている。
 こういう時に「時代を超えて変わらないもの、それは人の心の温かさです」などという言説に惑わされてはいけない。確かに時代の流れとは無関係に不変なものとしてあり続けるものもある。また、民族や文化の違いを超えて普遍的な価値としてもいいこともあろう。しかし、これから始まる新世紀は、一言で言って「一寸先は闇」の世界といっていいと思う。これまでも基本的にはそうだったが、ますます確実な予想というものが立たない状況になっていくであろうと思われる。あらゆることに対して全く逆の予測がなされ、どちらも確からしく見えてしまう。先に進むことも躊躇われるが、動かないことは死を意味する。加えて、これまで先送りにされてきた数々の問題が、決済の日がやってきたのだとばかりに僕達に請求書を突きつけてくる。そんなシビアな時代はすぐそこだ。いや、もはや僕達はそんな状況に突入しつつある。
 「見る前に跳べ」とい大江健三郎の小説がある。僕はどちらかというとそうすることが苦手だ。跳ぶ前についつい見てしまい、足が竦んでしまう質だ。結局跳ぶことができずに後悔する結果になる。しかし、そんなことを言ってはいられない。来るべき21世紀に僕が目指すものは「見た後に跳べ」。希望的観測という偽りの光に惑わされることなく、目の前の闇に目を凝らし、できるだけ客観的な情報を得た上で、踏み切る勇気とできるだけ遠くまで跳べる跳躍力を持ちたいものだと思う。
 こうして20世紀も終わる。偉そうなことを言っても人間はなかなか本質的には変われない。来年も僕の思考過多は直りそうもない。引き続きお付き合いいただければ幸いである。
 それでは、よいお年を。


hajime |MAILHomePage

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