思考過多の記録
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今世紀初の日記である。とはいえ、そんな実感は全くない。年末(といっても数日前だが)の日記にも書いたが、20世紀の終わりも21世紀の初めも、特に意識しなければ時間はいつもと同じように過ぎてゆく。ただ、僕は1年のうちでこの年末・年始の数日間が最も好きだ。何故かは分からないけれど、とにかくできることは今年のうちに片付けておこうと国民挙って気忙しくばたばたと走り回る年の瀬は活気がある。それが除夜の鐘を境に、そんなことは全く忘れたかのように街全体が静かになる正月の、どことなく静謐な、そしてその中にも華やぎが感じられる雰囲気。まるで新しい年の日常の喧噪が始まるのをじっと待つような、一種期待に満ちた静けさ。2つの異なる雰囲気がわずか1日で入れ替わるこの時期は、僕達も心をリセットする機会を与えられる。 そんなわけで、その2つの雰囲気がちょうど混じり合う大晦日の夜、僕は紅白歌合戦を見ていた。「大晦日に紅白」というのは一昔前の日本人の年越しスタイルで、最近はこれにとらわれない人達も多い。また、歌手の方でも昔はステータスであった「紅白」の出場を辞退するのが、逆にステータスであった一時期があった程である。最近ではNHKの努力もあってか、若手のかなりメジャーな歌手が出場するようになった。そんなわけで僕としては、ショーウインドウを見るような感覚で毎年あの番組を見ている。出場歌手の顔ぶれを見ていて気付いたのだが、白組(男性)のポップス歌手は、その殆どがグループやバンドだった(ダ・パンプ、スマップ、野猿、TOKIO、ラルク・アン・シエル、ポルノグラフィー等)のに対して、紅組(女性)ポップスの方は浜崎あゆみ、鈴木あみ、小柳ゆき、hitomi、aiko、安室奈美恵等、ソロボーカリストがずらりと並んだのだ。男のソロは、平井賢あたりを除けば、演歌か郷ひろみ、西条秀樹といった‘往年のスター’ばかりという有様だ。紅白の外側を考えても、宇多田ヒカル、倉木麻衣、ミーシャ、ココといった女性R&Bのボーカリストや、椎名林檎のような個性派等、ソロでの活躍が目立つのは女性陣である。 ここ数年、どの世界でもリードしているのは女性という状況が続いているように思われる(シドニー五輪でも、活躍が目立ったのは女子の方だった)。男性中心社会が続くこの国でも、今や恐いもの知らずの元気があるのは女性の方だ。かつて強かった男社会側からの重圧は弱まり、彼女たちは伸び伸びと意見を述べ、自己表現をしたり、そのための技術を磨くことができるようになったのだ。かくして、実力と華の両方を備えた魅力的な人材が女性の中から多く出てくるようになる。それを同世代の女性達が支持し、そのことが時代の空気となってますますその女性アーティスト達を輝かせるというわけだ。だから女性は、1人でも堂々と勝負できる。 それに対して男性は、かつての「男らしさ」という価値観や男性中心の考え方はもはやアナクロニズムになり、それに変わる拠って立つべきものも見いだせずにいる。このような状況なので、元気が出せるはずもない。それで、バンドやグループという‘チームワーク’で対抗するくらいしかなくなってしまった。アナクロニズムから抜け出せない男性が1人で歌うと、どうしても演歌になってしまうのだ。当然、それは時代の追い風を受けることはできない。‘往年のスター’達の健在ぶりは、その後を受けてたった1人でも観客を魅了し、時代と寝ることができる男性アーティストの不在を浮き彫りにしている。 男が、これまでとは全く違った価値観を見出し、それを纏って世の中で活躍し始めた時、初めて紅白(男と女)は互角の戦いができるのではないかと、自分が男であることを棚に上げて僕は思ったのだった。 以上が、かなり独断と偏見に満ちた2000年の紅白の概観である。日本のミュージックシーンをちゃんと語ろうとすれば、こんなことでは済まされないだろう。しかし、今はまだ正月。リセットから復帰したばかりのまだ醒め切らない頭での思考ということで、大目に見てやっていただきたい。 今年もこんな調子である。昨年と変わらずご愛顧を賜り、引き続きお付き合いをいただければ幸いである。
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