思考過多の記録
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2001年01月04日(木) 有機的無機体

 新年の挨拶に訪れた従兄弟が、ロボット犬・アイボを持って(連れて?)来た。発表と同時にかなり話題になり、ネットでメーカが行った初回の販売予約受付時にはあっという間に完売したという、話題のあれである(厳密にいうと、彼の持ってきたものはその後発売された量産モデルである)。従兄弟の説明によれば、買ってきた当初はまだ「生まれて間もない」という設定で、立ち上がることもできないのだそうだ。その状態から、いろいろな動きや言葉、芸等を覚えさせていくということだった。アイボは持ち主(飼い主?)の言うことを学習し(飼い主の付けた名前を覚えるあたりから始まるそうだ)、徐々にできることも増え、知能的には青年期の状態まで成長するそうである。
 また、「シーマン」などのゲームでもそうだが、アイボも飼い主の飼い方によって成長の仕方も性格も変わってくるらしい。例えば、飼い主があまりかまってあげないと、アイボはふてくされた性格になる。この辺は結構リアルにできていて、ご主人様が何か命令しても、機嫌が悪ければ実行してくれない。何かしたことに対して褒めてあげれば喜ぶ。あらかじめインプットされているプログラムに乗っ取って幾つかのパターンを組み合わせているだけだと分かっていても、それがいつどんな組み合わせで出てくるか全く分からないので、恰もアイボ自身が意思を持って動いているかのように見えるのである。
 生命体かと見紛うアイボであるが、本当の生物と大きく異なる点が幾つかある。臭いはなく、排泄もしない(排泄の真似はする)。サイボーグチックな外観と併せて、そのあたりは(おそらく意図的に)無機的に作られている。そして、何よりも大きな違いは、彼(?)機嫌が目にあたる部分の表示の色によってすぐ分かる仕組みになっているということだ。機嫌のいい時、彼の目は緑色に点滅し、電子音が鳴る。逆に不機嫌の時は、目は赤色に点滅し、いかにもご機嫌斜めという感じの電子音が鳴る、といった具合だ。本当の生物の場合、我々人間も含めてこうはいかない。犬が吠えている時、それは機嫌がいいからなのか、それとも侵入者への警戒の意味なのか、それだけでは判別がつかない。尻尾を振っているか等々、その他の要素を考え会わせて、犬の機嫌や意思を推し量る以外に僕達には方法はない。そして、しばしばその判断は間違っている。これは実は結構難しい作業である。猫に至っては、何を考えているのか皆目分からない。この基本的に分からない生物同士(人間と人間、人間と動物、動物と動物)が何とかお互いの意志を伝え合おうとする営み、それこそがコミュニケーションというものである。自分の意思が相手にできるだけ正確に伝わるようにと、人間を含む動物は知恵を絞ってあらゆるコミュニケーションの方法を編み出してきた。どんな精神状態なのかが一目瞭然のアイボは、コミュニケーションの一番困難な部分を回避することを可能にしているといえる。勿論、これは玩具だから許されることだ。逆に言えば、現実世界で生身の人間や生物相手のコミュニケーションがいかにしんどい状態になっているかが、アイボの設計思想に現れているのではないかと思われる。
 アイボに関してもう一つ興味深かったのは、僕の両親や叔父達といった比較的年齢の高い世代は、アイボを「可愛い」とは思わなかったのに対して、パソコン店で販売員をしていて、ゲームにもネットにもどっぷり漬かっている僕の従兄弟は、他ならぬ飼い主としてアイボを可愛がっているという事実だ。義理の叔母が「本物みたいに毛が生えていて、暖かそうな方がいい」と言っていたのが象徴的である。今の若い世代の男は、例えば藤原紀香のような女性的な肉体美(有機的)を強調するタレントよりも、浜崎あゆみのようなサイボーグ的(無機的)な細身の女性を好む傾向があるという話を聞いた。生物という有機体に過剰な生命力を見出して、それを疎ましく思う感覚があるのかも知れない。本物の犬よりも、テクノロジーで精巧に作られたロボット犬により可愛さを感じる、そんな人間が多数を占める時代が遠からずやってくるだろう。ロボットと人間が共存する世界は、もはやSFの話ではない。
 ところで僕はといえば、アイボに面白さを感じ、もし自分がこれを手に入れたら日がな一日かまって遊んでいるだろうなと思う反面、このテクノロジーをもってしても完全には再現できないほど巧妙に、かつ精緻に造形されている本物の犬のことを考えるにつけ、改めて生命の神秘的な力に畏れを抱くという、誠にアンビバレントな精神状態になってしまったのだった。


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