思考過多の記録
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2001年01月06日(土) 選択肢

 去年僕の舞台に出演してもらった女優の卵の人に久しぶりに会った。今日から自分が所属する劇団(学生が中心)の春の公演に向けての稽古が始まるそうだが、彼女はそのさらに次の芝居の劇場を押さえようしていた。彼女は美術系の大学生で、今年3年になる。学生やフリーターをしながら劇団活動をしている人間は、僕の周りにも、彼女やその仲間意外にも結構存在している。ただ、彼女(と彼女の劇団のメンバーの多く)は劇団を旗揚げした一昨年あたりから、はっきりと「職業」=「食べること」を意識しているのだ。これは凄いことだと思う。
 若いということは、あらゆる可能性に溢れているということだとよく言われる。それは決して間違ってはいない。だが、それが全て実現可能であるということとは別問題だ。ましてや「食べる」ための手段にするためには、ある程度以上の力が必要とされる。それが所謂‘虚業’(芸術)系のことであればなおのことだ。彼女はそのあたりのことを実に冷静に見極めていた。自分の役者としての実力がどれだけのものであるかを知るために、幾つかの事務所(劇団や芸能プロダクション等)や舞台のオーディションを受けていたのだ。一番最近受けたプロダクションでは、最終選考まで残ったそうである。彼女はそういう経験を通して、自分の実力や売り込めるポイント等をかなりの程度まで把握していたのである。それだけではなく、そうすることで少しでも多くの方面に繋がりを作り、声をかけられるチャンスを増やしたいという狙いもあってのことなのだ。自分が所属する学生劇団はさておき、自分自身がいかに役者として「食べて」いけるようになるかを追求する彼女。一見仲間に冷たい女性とも思える。しかし、それが本気で役者を自分の「職業」にしようという彼女の意思の強さを表しているとも言えるのではないか。
 その上、僕が「若さの特権」と思えてならなかったのは、彼女が役者の他にも幾つか進みたい方向(=「職業」)を持っていて、どれを選ぶのかについて悩んでいるということだ。写真・美術関係・旅行雑誌の編集者…。成る程、僕の目から見ると、彼女はそのいずれにもある種の才能がある。今からでも本腰を入れて力を伸ばしていければ、ある程度ものにはなりそうだ。まだ彼女自身、役者程にはそれらについて自分の力を客観的に知るための試みを行っていない。結論を出すのは、それをやってからでも遅くはないのではないかと、僕は彼女に言った。若いということは、時間があるということなのだ。「僕も昔はいろいろやりたいことがあったんだよな」と言う僕に、彼女は「そういうのって、だんだん捨ててきてしまうものなんですかね」と少しだけ寂しそうに言った。
 幾つもあった筈の選択肢から、人は意識的に、もしくは無意識のうちに一つ一つ外していく作業をする。その全てを極めるのは、余程の才能の持ち主でない限り不可能だからだ。しかし、残ったものが最良である保証はない。場合によっては、選択の結果が正しかったかどうか死ぬまで分からない。だが、僕の失敗は、試すことなく捨ててしまった選択肢が幾つもあったということだ。それは、おそらく僕が自分の進みたい方向を、本気で追求しようと思っていなかったからである。越えられそうもない「現実」という壁の前で、選択肢を持っているということだけで満足するという、一番安易な選択をしていたのだ。そして今の僕は、何も選んでこなかったことの結果である。
 現在の僕の持っている選択肢は、最早殆どない。だが、いつの日か僕も彼女のように、地に足をつけて自分の力を試す機会を作ろうと思う。僕は彼女と違って若くはないので、時間はないのだけれど。

※彼女が所属する劇団α.C.m.e(アクメ)のHP
http://www1.interq.or.jp/~mikazuki/


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