思考過多の記録
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2001年01月16日(火) 高熱について

 ほぼ5日間、インフルエンザで寝込んでいた。微熱が出た初日、近所の医者に行ったところ、お年寄りばかりの待合室で結構待たされたあげく、まさに‘3分医療’を地でいく短さで「軽い風邪ですね」と診断され「2日くらいで治ります」と薬を渡された。ところがその次の日の午後から高熱が出始め、薬を飲み続けてもそれを無視するかのように熱は下がらなくなってしまった。おまけに腰は痛くなるし食欲はなくなる。たまらず週末に同じ病院に行ったところ、前回と全く同じ3分医療を行った同じ医者は「ああ、これはこの病院で確認された、インフルエンザ第1号ですね」と明るく言い放った。結局自然に熱が下がっていくのをただ待つしか手がないという時期になっていたので、同じ薬をもらってきて、ひたすら寝ていた。何のための医者なのか、よく分からない。
 高熱が出ると、さしもの思考過多な僕もまともに考えることなどできない。僕の場合は、大体38°くらいが境目になる。それに、同じ部屋の風景を見続けているのだが、平熱の時と見え方が違うのだ。どう違うと言われると説明に困るのだが、熱が冷めてみるとそのことが逆に分かる。医者に向かう道も、確かに歩き慣れたいつもの道なのだが、やはり少し違って見える。第一、自分の足が地面を蹴る感触からして違うのだ。そして、平熱に戻ってしまうと、決してそれを再現できない。
 「熱病」「熱狂」「熱を上げる」などの言葉からも分かるが、平熱より高い熱を帯びているとき、人は普段とは違う世界を見ている。そして、まともな思考ができない状態になっている。何も考えられず、視野が極度に狭まった状態。それが熱に冒された人間の姿だ。しかし、その時見えている世界が、全くの幻覚だというわけでもないだろう。ただ、熱に冒されたた視神経が、網膜に投影された像を若干歪めて認識することはあるかも知れないけれど。
 熱に冒された人々を批判するのは容易い。しかし問題は、人々をヒートアップさせているのは何なのかということである。それは単なる風邪なのか、はたまたインフルエンザなのか、そうだとすればどんな型のウイルスか、あるいはもっと別の病気の前触れか。それを知ることなしに適切な処方箋を示すことはできない。
 ただ一ついえることは、一時的な熱狂はいいとして、基本的には平熱で生きる方がよいということだ。熱病・熱狂の何も考えない、視野狭窄の中の世界だけを見続けていると、いざ平熱に戻ったときの世界とのギャップに耐えられないからだ(国中がそういう状態に陥ってしまった光景を、僕達はあのバブルの崩壊直後に見ている)。平熱に戻ることを拒否して、高い熱を維持したまま全ての器官がいかれるまで突っ走るというのも、勿論ひとつの生き方ではある。高熱の幻覚が見せる病的にして美的な世界と、全ての熱が失われた永遠の静寂が支配する世界。一方から一方へと一気に駆け抜ける精神力と体力、そして勇気に覚えのある人は挑戦してみる価値はある。そのままあちら側の世界に行ってしまうのは、決まって「狂人」か「天才」、すなわち芸術家である
 そして、凡人である僕は、今日から「会社」という厳しい平熱の世界に復帰しなければならなかった。できることなら高熱の世界でトリップしていたいが、その勇気も体力もないというのが正直なところである。


hajime |MAILHomePage

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