ケイケイの映画日記
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うーん、オスカーはデミにあげたかったなぁ。元々俳優としては根性のあるタイプの人ですが、ここまで頑張るか?の熱演&怪演でした。美や若さに妄執・固執する様子は、私には共感出来ませんが、同性として充分理解は出来るもの。なので、暴走して爆発する結末にも、哀愁さえ感じてしまいました。監督はコラリー・ファルジャ。
元人気スター俳優だったエリザベス(デミ・ムーア)。今はエアロビクスのテレビ番組を持っています。しかしディレクターのハーヴェイ(デニス・クエイド)は、加齢による容姿の衰えを理由に、彼女を解雇。失意のエリザベスは、怪しげな再生美容薬サブスタンスに手を出します。その薬を使うと、エリザベスから、新たに生まれたのが、スー(マーガレット・クアリー)。二人は同一人物なので、一週間ずつの交代が必要なのですが、段々と美と若さを謳歌するスーが暴走し始め、決まりを守らず、エリザベスの存在を踏みつけにし始めます。
実物のデミは60過ぎで、エリザベスは50歳。ハリウッドは綺麗な人ばっかりで、実際の50では説得力が欠けたのかも。単体で観ると、まだまだ充分に美しいデミですが、マーガレットと比較すると、これが残酷なんだなぁ。二人とも全裸が映りますが、垂れたバスト、萎んだヒップのデミの後に、バーンと!張りと艶のあるマーガレットの全裸が出てくると、デミと同世代の私は、彼女の哀しい気持ちが良く解る。
でもこれはね、かつて超がつく美しかった人だから、昔が忘れられないの。私なんかは、若さからくる可愛さはあったけど、美人では決してなかった。そのせいか、加齢によって、衰えた容姿を嘆くより、知恵も知識も思考も深くなった今の自分が、昔より好きです。女性としてエリザベスの絶頂期には、足元には及ばなかったであろう私ですが、今の自分が大嫌いな彼女に対して、私は今の自分が好きです。人生は公平だよね。
かつての美人女優だって、老いを味方につけるように、円熟した演技や美しさを身にまとい、老女になっても素敵は人はたくさんいます。翻ってエリザベスを観ると、今はエアロビの番組だけで、芝居もしていない。美に頼った人生で、他に学ぶ事はなかったんだなぁと思うと、つくづく「美しさは罪」だと思うよな(「パタリロ!」の歌詞でもあったよね)。
それと若さは傲慢だも感じます。二人は同一人物であっても、お互いの記憶は曖昧で、スーはエリザベスの化身です。しかし若さは何事にも代え難く、自分の親とも言うべきエリザベスの存在が、段々邪魔になる。エリザベスはエリザベスで、若さを謳歌するスーに嫉妬し、嫌がらせもします。この辺、血を分けた母と娘の確執にも見えるのです。
特に印象深いのは、この関係を終わりにしたいエリザベスですが、どうしてもスーを手にかけられない。彼女は自分自身だから。しかし、スーは躊躇なくエリザベスに激しい暴行を加えます。自分自身だと解りながら。若い時は分別が無いのよな。それが以降の惨劇を招く事になると、頭が回らないのでしょう。
デミだけがクローズアップされていますが、マーガレットも体当たりの大熱演です。際物に傾きがちな内容と演出を、寸止めにしたのは、デミとマーガレットの好演あってこそです。クエイドの役名のハーヴェイは、ワインスタインを意識しての事かしら?エリザベスをババァ呼ばわりする彼ですが、充分お前もジジイだよ。「バトル・オブ・セクシーズ」で、権力ある男が好きなのは、キッチンとベッドの女性だけの台詞は、数十年経っても同じなのだと思うと、本当に腹が立つ。そんなクソジジイを、クエイドも好演しています。
私が哀しかったのは、エリザベスが絶頂期には歯牙にもかけなかったであろう同級生を、自分から誘いながら、容姿の衰えを隠せず、結局行けなかったシーンです。本当にね、年取ると、あれ?この服去年は似合っていたはずなのに?が、続出するわけね。だったら、そんな服は捨てて、新しく今の自分に似合う服を買えばいいんだよ。若さに固執するより、今から円熟も進化も出来るはず。容姿ではなく、内面のアンチエイジングを目指す方が、建設的ってもんです。私はそれが言いたい作品だったと思っています。
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