オミズの花道
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『日記書きは癒しになるか?』
2002年12月04日(水)


ウェブ日記とは特殊なもの、と最近つくづく思う。


私の本業は、ショボイながらも看板背負って原稿料を戴いて、物を書く身分である。
年末進行どうしよう。海外逃亡しても追いかける!と脅かされた。・・・・・・恐いわねえ。

それはいいんだが。


とにかくそういう身分としては、どうにも文章をジャンル分けして見てしまう。

ジャンルと言ってもノンフィクションとかSFとかラブロマンスとか、そういう分け方ではなく、
書き手のスタンスとしてでの話で、

・自己満足の為に書くもの
・商業として書くもの

非常に大雑把だがこう分かれるような気がする。


前者は「他人の目に触れる事は少ない世界」の文章に分類されて、
後者は「より多くの人間の目に触れることを利益とする世界」の文章になる。


勿論前者の中には自己満足ではあったが、死後クローズアップされて、
多くの人間の目に触れられる世界に行ってしまった文章もある。



だがしかしウェブ日記とはこの両者に属さないようで属す。

自己満足という自己の世界も存在し、
だが多くの目に晒されてゼニにはならんが『読み物』としての属性も発生する。


非常に面白い世界だ。
ゼニにならないのに読み物として成り立つというのはこれいかに。


********
さて最近私は、
小町さんの『 われ思ふ ゆえに・・・ 』『 vs.ストレス 』を拝読して、感心してしまった。


なるほど、と思うのはこのくだりである。

『しかし、「書く」というのは私にとってそれと対極にある行為である。
 文章にするためには自分の中の暗雲と対峙しなければならない。
 それもかなり冷静に。ひとつひとつピンセットでつまみあげ、表から見たり裏から見たり。
 その過程は私に「鬱々」を再認識させるだけで、
 「吐き出せてスッキリした」などと思わせてくれることはまずない。
 もっとも、私のテキストが「思いを切々と綴る」「胸のうちを吐露する」といったスタンスで
 書かれていないということもあるだろうが。』


いや、まさに同感だ。


私も商業の枠に嫌気が差し、ここを逃げ場に・・・という理由で書いていたが、
途中から所詮は自分が『読み物』としてのフィールドを求めてここなのだと思い直した。

私にも書く、という行為はストレス解消にはならない。

本当にストレス解消だというのなら、こっそり書くべきだろう。
読み物の世界に属するウェブは不適当だ。


********


話は逸れるが、何故だか日記書きが癒しになると云う風潮が主流だけど、
これは多分発祥元がヒーリング・ライティングから来ているのだろうと思う。


だが本来ならばこれは専門家の治療手段であって、
吐露の段階において良いイメージの暗示を刷り込む事が治療目的なのである。


私自身取材やなんやで色んな流派のカウンセラーにお話をお伺いし、
記憶のメカニズムやトリックの実験台になったりした。(楽しかった。)


その時に恐い話を聞いたのだが、
治療ではなく素人が(精神分野での)ツラツラと心を書き綴っただけならば、
その結果は良いようにも悪いようにも転ぶらしい。ああ恐ろしや。

惜しむらくも消えてしまう日記というのは悪い例なのだろうか?



小町さんの、
『その過程は私に「鬱々」を再認識させるだけで、
 「吐き出せてスッキリした」などと思わせてくれることはまずない。』

とおっしゃるのは、まさに文章の危険性を自然と認識し、
回避されている方ゆえの言葉だ。


こういう方は上手くバランスを取れるウェブ日記の上級者なのだろう。


********


勿論、彼女は人の暗も書く。
だが本当に言わんとする目的は、あくまでも自分の形であり色なのだ。


彼女はきっとリアルの世界でも彼女のまま。
文章と同じように味のある、パンチの効いた女性なのだろう。


そして文章と同じく、
1ページ1ページを積み重ね、自分を現わそうとしているのと同じく、
実生活においても自分を表現しているのだろう。

そしてまた、自分に対峙した人間を、
ゆっくりと消化しながら愛情深く見れる人だろう。


読むほうにはページを重ねるごとに、それが怖いほどクッキリと伝わる。


そしてその伝わりこそが、見る人間の本当の癒しであるのだ。
彼女自身が気づいているのかどうかは知らないけれど。
(今頃彼女の背中あたりが痒くなっているんじゃないだろうか。うしし。)


以前リンクさせて戴いた歌舞伎町の御仁も、
ともすれば客や周りへの毒舌満開なのだが、
毒舌を愛着に転換している部分に、彼のひととなりが覗く。


そう彼も、描いているのは実は自分自分自身であったりする。
客の様を売りにしながら、それ以上に自分の無様さを叩き出しながら。


そういうものが見え隠れするものはやはりいい。

今更私如き小者が、
御二人に、または皆様に向けて言う言葉では無いのだけれど。


********


良い日記を目にした時、私は嬉しくなって素直に感想を送ってしまう。
澱を残しそうなものは、自分でも気が付かぬまま遠ざかってしまう。


そして自身を振り返る時、良い日記を目にした時、私もこうありたいと思う。


オミズ日記にそれなりの美学も持っているし、
本業は尚更主義を重視して書いている。

だが本当に書きたいのは自分の姿だ。


私が良い日記を目にしたぶん、をお返し出来るかどうかは、
これまた皆様の目を通さねば、測れぬ事なのですが。



己への自戒も込めて。




みなかみ拝
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