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■ 国家という名をはずせ、その偽りの正義を。
すでに何人もの生命が失われている。 そんななかで、わたしは普段どおりにお昼ご飯を食べた。 信じられないことだ。 なんてまずい食事だったのだろう。
国家のイデオロギーが、国民を覆い、個人の生命の集合体である という事実を見えづらくする。 少し考えればわかることが、それぞれのエゴから発端し、 「国家」をむごいところへ方向付けてしまう。
あれだけたくさんの戦争反対の動きは、これで無視されてしまった ことになる。 結局のところ、ごくひとにぎりの権力を握る人々が 頭を突き合わせ、その結果政府として打ち出す結論が 誰かを死に追いやるわけだ。
民主化とはいったいなんだろう。 市民パワーとは幻想だったのだろうか。
アメリカが、内包される反戦派の存在にもかかわらず 国家として国際的に非難をうけるとき、それを指示すると トップが発言した日本という国家もまた、その反戦派の 存在にもかかわらず国際的な非難にさらされる危険性がある。
世界中を駆け巡っているらしいメールの署名も、 4、5通ほど受け取ってしまった。 少しむなしくも思える。 このことだけが、我々個人の答えではない。
人間が人間を見ながら暮らす日は、やってくるのだろうか。
2003年03月22日(土)
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