無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2002年01月30日(水) どうしてくれよう。/『マジンガーバイブル 魔神全書』(永井豪とダイナミックプロ)ほか

 朝っぱらからまたもや眩暈。
 今日こそは仕事に行こうと思ったが、やっぱり挫折。
 なんだかなあ、職場に「すみません、休みます」って電話を入れるのもツライけどさあ、「どうぞ、ごゆっくり御養生下さい」って言われるのもそれはそれでツライのな。
 誰のエッセイだったかなあ、日本人と中国人とじゃ、病気の時の激励の仕方が全然逆だってことを書いてあったのを読んだことがある。
 「キミがいないと仕事が滞っちゃうよ、早く治して出てきな」というのが日本人。
 「キミがいなくても仕事はちゃんとやってるから心配しないで休んでな」ってのが中国人だとか。
 日本人は、中国人みたいな言われ方されたら「じゃあ、オレは会社にゃ必要でない存在なのか」って落ちこむってんだが、私、中国人的にしか言われたことないぞ(^_^;)。
 でも、「ゆっくり休んでください」って言われた方がコトバ自体に対しての感覚としてはラクなんだよなあ。「ツライ」と感じるのは「ああ、本当に休んで迷惑かけてるなあ、すまないなあ」と感じちゃうせいなんであって。
 でも、私のケツが私を便器から離したがらないのである。
 そんなに便座のぬくもりがほしいのか私のケツ。
 いつからTOTOと結託したのだ、ケツ野郎め。
 とゆーわけで今日もウチの便器は血で真っ赤に染まる。愛の証か。


 することがないので昼寝。
 というか、貧血状態になっちゃってるので、ひたすら寝るしかない。
 しげは芝居の練習だか買い物だかわかんないが、ものも言わずに出ていって、帰ってこない。
 夫の具合が悪くてもォ、妻は全然ほったらかしィ、何一つ看病してくれなくてもォ、それでもメシだきゃ食わしてやるのよォ、なんて健気なオレェ、オレェ♪
 ……勝手に歌作って歌ってもハラの痛みは取れやしないのだ。
 はにゃはにゃ。


 とか思ってたら、しげ、いきなり電話してくる。
 「あ、起きてる?」
 「……オマエの電話で起きたよ」
 「今からハカセ(穂希嬢のこと)、連れてくるから」
 「今からって……何?」
 「じゃ」
 「『じゃ』じゃねーだろ!」
 一方的に切られた電話の受話器を片手に、私は茫然として部屋を見渡した。
 汚い。
 そりゃ、当たり前である。
 ここんとこ、ずっと寝たきり生活だったもので、ゴミなんか全然片付けてないのだ。ええいくそ、お客さんを連れてくるなら、せめて二日前に、どうして連絡しておいてくれないのだ。今から帰ってくるなら、まだ小一時間は余裕があるとしても、とても片付けきれる状況じゃないぞ。
 だいたい、どんなに部屋が散らかっても片付け一つせずに、全て私に押しつけるってのはどういう了見だ。こっちが病気の時くらい、なんでちゃんとしてくれないんだ。オマエ人間じゃねーよ、と悪態ついたって状況は変わらない。
 こんな状態の時に客を家に呼ぶなんて、しげのアタマはどうかしてるんじゃないかと思うが、現実にヒトが来るって言われた以上は、片付けるしかない。
 とほほほほ(T.T)。
 青息吐息で、ゴミをまとめ、歩けるスペース、座れるスベースを空ける。
 ……ええい、このフンダラベッチャが! ソファの上に下着だの靴下だのほっぽり出すなとあれほど言ってるのに!
 洗い場に行って、洗濯しようと思ったら、二、三日前にしげに頼んでおいた洗濯物がやっぱり放ったらかされたままで、干されていない。結局、私が全部しなけりゃならんのだ。
 何日間履き続けてるかわからないしげのパンツと、既に異臭を放っている靴下を、洗濯機の中で生乾きになって干せなくなってるやつといっしょくたにして、ぐわらぐわらぐわらと回す回す。一回すすいだだけじゃ、とても匂いが落ちるものじゃない。二度、三度洗う。
 その間にとっ散らかってる部屋を片付けながら……眩暈を起こして倒れた。


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 以上、意識の空白でした。

 いや、ホントに落ちちゃったのよ。目覚めたらもう、心臓がバクバク。
 これで心停止してたら、今頃こんなふうに悠長に日記書いてないなあ。いやあ、危なかった。
 なんとかソファを座れる状態にして果てているところに、しげ、穂希嬢を連れて帰ってくる。
 「あ、明けましておめでとうございます」
 「あ、おめでとう」
 そう言えば、穂希嬢と会うのは今年初めてだ。
 「ごめん、まだ片付け終わってないけど、とりあえず椅子にでも座って」
 けれど穂希嬢、遠慮してるのか立ったままである。あるいはゴミをどけただけでソファが汚いので座る気になれないのかも。
 しげ、あとからのほほんと入って来る。
 「あれ? 片付けてんの?」
 「片付けてんのって……オマエが穂希さん連れて来るって言ったんじゃんかよ」
 「でも別に『片付けて』なんて言ってないよ?」

 あ、切れた。
 バカだバカだとは思ってたが、しげ、ここまでバカだったか。
 え~っと、劇団のみなさん、これ読んでますか。
 私はもう限界です。みなさんがウチに遊びに来てくださるのは嬉しいのですが、しげはいつもこんな調子で、私に全て部屋の片づけをさせて自分では何もしようとしません。ですから、みなさんが訪ねてくる時、どんなに部屋が散らかってても、私はもうしげの手伝いはしません。
 部屋が臭くてもあちこちにゴミが散乱してても、知りません。それでもよかったらどうぞおいで下さい。一緒に部屋を片付けましょう。しげは放っといて。

 気持ちの上ではしげを怒鳴りつけたい気分だったが、穂希嬢がいたのでグッとガマンする。
 こういう私のガマンだって、しげには私が人前で体裁を整えてるからだっていうふうにしか映らないのだ。人前でしげを私が叱らないのは、それが即しげの恥につながっちゃうからだろうが。
 こうして日記に書いてる分には、私の虚構が混じってる、あえて露悪的にしげのことを書いてるって可能性だって考えられるのだ。だから、ウチに来て見て、「なんだ、案外片付いてるじゃん、しげさんが全然片付けしないなんて、やっぱりダンナのウソだったんだね」と取り繕うことだって出来る。
 人前でしげを罵倒しなかったのは、そんなふうに私がしげを気遣ってたってのに、そんなことにも気付いてないのだ。
 とゆーか、はっきり何度もそうしげに言ってるのに、3秒後にはしげは忘れているのだ。
 何をどうやったら、こんなバカができあがっちゃうのか。
 ああ、でも「気持ちが離れる」ってこういう瞬間のことを言うんだなあ。もちろん、しげが心から「ごめんなさい、私が間違ってました」という日が来れば、私の気持ちも戻るのだろうけれど、さて、これを読んでもしげが「ごめんなさい」と言えるかどうか。

 しげは、口で言いきかせても、すぐにヒステリーを起こすばかりで、マトモにモノを考えようとしないから、しかたなくこうして文章にしてるんである。
 ちゃんと書いとくけど、素直に「ゴメン」って言えたら許すからね。これは別に私が高飛車になって「許してあげる」なんて態度でいるわけじゃないよ、お前は勝手にそう思いこんで自分を正当化しようとしてるけど。
 自分が家事ほっぽらかしてるのは事実だろ? 「あんただって」とか「自分だって気遣いはしてる」とか言い訳をして、自分の身だけを守ろうとするな。それはただ卑怯なだけだ。守らなきゃいけないのは、自分の立場じゃなくて、「生活」だろうが。それを素直に反省しろって言ってんだよ。どんなに言い訳したって、一緒に暮らす基盤を自分自身で放棄してるのは厳然としてるんだぞ。
 自分が間違ってるとはっきりわかってるのに謝れない人間なんてクズだ。どうせ私はクズだよってヒガムのはもっとクズだ。このままクズに成り果てて、トシ取ってくつもりか?
 もういい加減で「素直に謝る」、これだけでも学習しろよ。意地を張るな。
 ハッキリ言われなきゃ分らないって、ハッキリ言ってもオマエがわかったためしがあるのか? だからバカバカ言われるんだ。

 「気持ちが離れる」と書いたが、これもお前は勝手に勘違いしちゃうだろうから、書いとくけど、「愛情」がなくなったって意味じゃないからな。単に「私だってもうトシなんだし、これ以上、お前に言葉をかける気力がもうない」という意味だよ。そこで「だったら言葉なんかかけてもらわなくてもいい」とかふてくされるな。醜いぞ。
 これだけ言葉を尽くしてもわからないか? こうして、お前に向かってること自体が、愛情でなくてなんだって言うんだよ。
 気づけ。そして働け。
 原因は全てお前にあるんだ。


 穂希嬢、何かのゲームの攻略法をパソコンでダウンロードしたかったらしい。
 私は黙々と片づけを続ける。
 なんか全然相手しなくて申し訳なかったけれど、ちょっとココロに余裕なくなってたもので。
 もちろん、しげはその間、何も片付けを手伝わない。
 30分ほどして穂希嬢の作業終わり。
 しげ、穂希嬢を送っていく。
 なんかもー、疲れた。
 
                                      ダラダラとアニメなど見る。 
 『キン肉マンⅡ世』、ああ、初めて見たけど初代キン肉マン、神谷明さんじゃなくなっちゃったのね。映画版までは神谷さんがやってたのに。ミートくんも松島みのりさんじゃなくなってるよう。作画は旧作より圧倒的によくなってるのに残念だなあ。でもギャグは相変わらずつまんない。リング上で屁をかまし合うなんて、ギャグ以前だ。こんなアホなとこだけ前作を踏襲してどうするんだよ。
 『シャーマンキング』、これもしばらく見てないうちに、ストーリーがわかんなくなってる。どうやらシャーマンファイトは始まってるみたいだけど、新キャラが増えてるなあ、女の子とか女の子とか女の子とか。みんなかわいいのはとりあえずGOOD。でもおかげで林原めぐみや犬山犬子の出番が減ってるのがオジサン、悲しいぞ。
 『テニスの王子様』、なんかマムシさんってのが出て来てますが、濃いキャラですねー。まあ、そんだけ。

 『ヒカルの碁』第十六局「saiはだれだ」。
 前回に引き続き、作画がとてつもなくいい。
 構図、テンポ、統一感の取れたキャラデザイン(言わずもがなだけど、作画監督がしっかりしてないと、各原画の印象がバラバラになる)、2週続けてハイレベルってのは、班態勢がしっかりしてるってことなんだろう。
 たまに作画が乱れるのは、どこか一、ニ班、おミソな作画監督のところがあるのかな?
 『ヒカルの碁』はネットでも公式ページをよく見るんだが、各話の脚本、絵コンテ、演出の記載はあるのに、作画監督だけがない。単なるミスか、苦情が来るのを恐れてか。でもビデオで録ってるから、誰の回がヘタレかは調べりゃすぐバレちゃうんだけどね(←イジワル)。
 今回の絵コンテの担当者を見てビックリ。「かみやじゅん」ってひらがなになってるけど、これ、『BLUESEED』、『ネオランガ』の「神谷純」監督だな? うわあ、なんちゅう豪華。脚本に難のある作品にあたることが多くて、もう一つ評価されてないみたいだけど、演出力はずば抜けてるヒトだ。
 ああ、『ヒカ碁』はDVD買うまいと思ってたけど、これで迷いが出て来たぞ。
 また驚いちゃったのは新登場の和谷、原作以上に美形だったんだよね。
 もちろん原作でだって特に「美形」の位置にいるキャラじゃないんだけど(佐為にアキラもいるし)、こうも整ったデザインで描かれちゃうと、なんだかオジサンまで頬がポッ(^^*)……ああ、いやいや、そのケはないぞ、私には。
 saiにネット碁で負けて口惜しがる和谷を初めはその口もとだけ映して、カメラをすっと引く、けれどカメラが和谷の半身を映すのは一瞬、窓の外まで引いて、そのまま上に上がり、空を見上げてやや呆けている顔を俯瞰で抑える。
 いやあ、うまいわ。
 和谷の負けて鬱屈していた心が、「saiって何者?」っていう思いに変わり、空へ広がって行くのを、ちゃんとカメラの移動で表現してるんだもの。アニメ誌も、こういう表現のテクニックをもっと特集してほしいんだけどなあ。「演出」が一番なおざりにされているのが今のアニメ誌の一番の問題点だと思うんである。
 でも、こうもいい作画が続くと、ローテーションから行って来週あたりはまた崩れるかもな。予告編見てみてもそんな感じだし(^_^;)。


 『ウンナンのホントコ』、24時間恋愛の第2週目。
 ともかく、ほぼ1ヶ月会い続けて、それ以降も会いたいと思ったら、百万円は諦めなきゃなんないって企画だけど、穴があることはあるよな。
 予めお互い示し合わせて、「もう二度と会いません」とウソついて百万円を手にして、こっそり会ってりゃいいんだから。
 けど、なんかねー、そういうダークなことってインチキだからやりたくないってムードが二人の間に漂ってるのが、もー見てるこっちはむずがゆーてむずがゆーて。
 いちいち1時間会ったあとに、日記を書かせてるんだけど、これがまた照れくさいやら何やら。女性の方の気持ちがどんどん彼に向かってて「私は相手にされてないのかも……」なんて切々としてきてるのに対して、彼は「彼女の本心が分らない」と戸惑うばかり。このすれ違いぶりがもう、臨場感のあることったら。
 原千晶なんか涙ぐんで「彼女の気持ちわかる!」とか言ってるし、いとうせいこうさんまで「おもしろい!」と真顔で(?)言ってるし。
 いやもう、結末がどうなるか、目が離せません。


 帰宅したしげと、食事に出かける。
 なんかもー、会話は上の空である。
 これから車の中ではできるだけ寝るようにしよう。

 ホンダで本を探してる間もしげはずっと「まだ? まだ?」とうるさい。自分が買い物してる間は私を平気で待たせとくくせになあ。
 そのあと、ロイヤルホストでビーフシチュー。心が寒いと温かいものがほしくなるね。いつもは買わないパンをしこたま買いこんだのも、多分ストレスのせいだ。 

 雑誌『怪』vol.0012(角川書店・1365円)。
 今回は天狗特集。
 民俗学ってのは、タテに流れるヒトの心を研究するもんだと思う。だから、ムカシの生活を研究するってだけじゃなくて、今の「俗」にだって目を向けなけりゃ、その流れは見えてこない。
 その点、この雑誌はよくわかってて、もちろん猿田彦伝説もキチンと抑えているが、「みうらじゅんのテングーを探せ!」なんて連載もあったりする。
 いいなあ、テングーTシャツ。天狗の鼻の部分だけが立体なんだけど(しかも長くて太い。もちろんアレのアナロジーである)、常に片手で持ってなきゃならないっていうのはどんなものか。着てるやつがいたら見てみたいぞ。
 テングードアノブ。鼻が垂れ下がるので、「象さん」に見えてしまうのがちょっとネック。篠原ともえもビックリしたらしいぞ。
 しかし、ほんとに巷に天狗は溢れかえってるみたいだね。「てんぐ寿司」「琉舞衣装の店・てんぐ屋」「天狗堂」「うどん・そば・てん狗」。最後のなんか、うどんとそばと天狗を一緒に売ってるみたいだ(だってロゴの大きさがおんなじだったし)。
 みうらさんによれば、尾田栄一郎の『ワンピース』のウソップもテングーだそうである。……そう言われると何となく納得できなくもないかな?(いや、ウソツキで鼻が長いってのはピノキオが元ネタなんだろうけどさ)
 けどどうしてみんなこんなに天狗が好きなのかってのは、考察しがいのあるテーマなんじゃないかね。
 もちろん、水木しげるさんのマンガ『神秘家列伝』の今回のお題は、『天狗小僧寅吉』。いや、凝ってるねえ(^^)。

 水木さんがこの雑誌のあとがきを書かれているのだが、「もう私は半分以上水木さんではないのです」とご本人が言われているくらいだから、この文章がやたらとおもしろい。
 ここ10年で読んだ文章の中でも、まさしくベスト級と言ってもいい。
 ちょっと長くなるが、一部を引用してみたい。

 「私はあと三、四ヵ月で八十歳になると思うと、『怪』の“あとがき”同様、なんだかピンとこない。こないだ、カナダのトーテムポールを観に行ったが、どんな田舎でもチャント建ててあり、しかもみな上手に作ってあるので二度びっくりした。
 そんなことを、糞をしながら考えていたわけだが、それでもどうもハッキリしないところをみると(昔はもっとハッキリしていた)、やはりボケたせいだろうか、なんとなく一日が、ゆかいになってきたのだ。というのは、〆切とか仕事の事が、どういうわけか、脳みそにしみこまないわけです。
 (中略)
 ボケを利用して生きるというわけではないが、神様がそうするのだろう。〆切でもなんでも平気だ。即ち、仕事をやろうとしないわけだ。
 ボケというものは、結局人を長生きに導き、幸福にするものだと私は思う(ボケこそ老人の救いである)。
 つい話がボケになってしまったが、“怪”はボケどころかますますハッキリしてきている。
 なにがハッキリしたのか分らないが、とにかく“面白い”方向にむかっているというわけだ。
 めでたし めでたし」

 ああ、こういう老人になれるんなら、人生、生きる甲斐もあろうってもんだ。世の中でボケを怖がる人は、知に生きているつもりで実は知の奴隷になっている人であろう。アタマのいいやつほどバカってのはやっぱり真理なんだよなあ。
 手塚治虫があれだけの作品を残しながら画竜点睛を欠いたのはボケを経験しなかったことにある。人間やっぱり長生きしなきゃね。
  

 原著作・永井豪、ダイナミックプロダクション・プロデュース『マジンガーバイブル 魔神全書』(双葉社・3675円)。
 なんか似たような企画本、前にも出てたような気がするが、それでも買っちゃうのは永井豪ファンの性(さが)か。
 資料は充実してるなんてレベルの話じゃない、ホントに「網羅」に近い、これ以上は望めまいくらいの完璧ぶり。初期企画資料から各作品、原作、テレビアニメ、劇場版の紹介や設定資料、ある限り出して来たって感じだ。
 アニメはキャラの絵柄がコロコロ変わって、あまりに劇画チックで好きになれない話もあったんだけど、私が好きだった回は、原作に絵柄が近くてさやかがひたすらかわいい白土武が作画監督だったものだったと判明。羽根章悦さんや奥山玲子さんもいいけど。
 『バイオレンスジャック』の『鉄の城』編や、『思いでのK君』にまで触れてるのはご愛嬌か。ともかく、豪ちゃんファンなら書棚の一番目立つところにドンと置いておきたくなる一冊である。

2001年01月30日(火) 昨日・今日・明日/『火の接吻』(戸川昌子)



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