ひぽこんコラム

2004年06月20日(日) ひきこもりのコラムを読んで

 ふと「ひきこもり」が気になってグーグルで検索したらNHKのやってるひきこもりサイトを発見。そしてあれこれ読んでいたら、重松清さんの書かれたコラムを見つけて熟読、そうなのかぁああと思いました。重松さん、和田は何冊も彼の本を読んでいるんすが、元々女性週刊誌とかSPA!とかとかのライターやってましたという人だから、なんと言うか文章の運びが上手過ぎて時々「本当はあざといよな」とか思ってもしまうのだけど、でもその職人芸に泣かされ、また人間をどこまでも信じてるという立ち位置に「やっぱりこの人はこれでいいのだ」と思わされてきているのだけど、このコラムもヨカッタ。
http://www.nhk.or.jp/hikikomori/
2003/column/col9b.html
そしてそうだよなぁ。「ひきこもり」の人達って完璧を求めてるのかもなぁ?とか思いました。完璧な私。完璧な家族。完璧な友達。それは言い変えれば理想の私。理想の家族。理想の友達。理想の社会。さらに言い帰れば純粋で美しくて気高い?
いやしかし。むろんそんな人などおらず。そんな社会などはどこにもなくて。みんないい加減〜〜で。いいわけばかりして。ダラダラと生きて、ズルすることばっかり考えてる。汚濁ですわ、汚濁。特に最近の日本なんて「人生色々会社も色々」首相っすからね。それなのに「参院選には興味な〜い」っていう国民ですからね。そりゃもう。純粋な心で生きて、純粋さを他にも求めたらやってられないでしょう?
 でも不思議なのは、すごく不思議なのは、そういう心の状態になったときに「死」を求めずに「ひきこもり」を選択するって、どういうことなんだろうか?ってこと。そこでダ〜イブして死んじゃうってこと、大いにありえるでしょう?(しかしあのダイブ俳優君は絶対に「ハイ」だったんだと思う和田。そうだよねぇ?よくあることっすよね?)
 ああそうか。「ひきこもり」を選択した人達は、本当は「希望」があるのかも。心の奥底には。しかもそんなひどい心の状態ながらも「死」を選択「させなかった」ほどのものすごく大きな大きな希望があるのでは?……うううんむ。どうしたらそれを引き出せてあげられるのだろうか?希望を形にさせてあげられるのだろうか?
 む、むずかしいねぇ〜〜。今後考えてみまちゅ。
 でもひとつだけ思うのは「ひきこもれる環境があるのなら、気にしないでひきこもってなさい」ってこと。いいじゃん。親がいてぇ、とりあえず生活費あってぇ、どこにも行きたくないのなら、行かなくても。廻りはあれこれ言ってもさ。生き方に正しいも悪いもない。将来?そんなの誰の人生も保証ナシ。ほれ。「人生色々」首相のせいでさ〜日本だってテロ起こるで〜〜。(と、脅すのが良くないってムーア監督に怒られますね?)だからあんま先のことなんて心配せんで〜。ひきこもれるだけひきこもってしまえ!と和田は無責任に思います。でも、そう思ったら、ち〜とはラクじゃないのかな?社会的な、常識的な「通念」にあまり自分が振りまわされないほうがいいと思う。まぁ、完璧主義な方が多そうなのでその苦しみも当然なのだろうけど。でもさぁ。いいんだってば。悪くないってば。ちっとも!
 ところで。和田的希望なお話。去年、NYでハゲちゃんライブを見た直後に地下鉄駅で出会った「REM熱狂的ファン」の日本人少年@“生まれて初めての海外旅行でREMを追っかけてます”がこのHPを見つけ出してくれてメールをくれたこと。オバちゃんは嬉しかったっす。広がるハゲ・マニアの輪!えっ?広げてどうする??え〜っと、とりあえず本人(←ハゲ坊)にでも言ってみるか?広げてるって…。
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