ニムの花
ニムのひとりごと*ニムの落し物*ニムの恋

2005年02月15日(火) 無題





寂しいサミシイ淋しいさみしい。この言葉で胸が洪水を起こしている。何もかもが無意味なものに見えて、笑う気力もない。最近話す相手もいない。電話で話したところで伝わるものは半分以下。こうも自分が卑屈になれるものかと半分おかしくもある。どこへ行っても人が溢れているのに私を見ている人間は一人もいない。こんなにいる人間の中に自分を必要としくれる人がいるのであれば、私の腕を掴んで「君が必要なんだ!」と叫んでくれたらいいのに。そうしたら私は「私もあなたのことが必要なの!」と言って抱きしめるだろう。

意識の中の「無音」に少しだけ音を加えようとすると何かに反応してそれを排出しようとする。今必要な「音」を必死で探しているのだ。今一番、私の意識の中の「無音」に適した「音」が必要なのだ。音こそ不眠不休で私の傍から離れない。鼓動音、呼吸音、まばたきの音、喉と耳と鼻がつながっている場所から発される音、ひと時も離れたことのない「音」たち。けれど意識の中の「無音」が支配している中で、その「音」たちも消されかけている。

孤独になることは少なくない。なぜなら孤独を常に恐れているから、誰かと居たり、話したり、くっついたりしている。けれど、今は孤独と一緒に歩いている。むしろ孤独を観察している。このまま孤独のまま放って置いたら、本当に孤独死するのか?はたまた、また孤独から逃げ出そうと誰かにすがるのか?生きたいと望むのであれば、誰かに「ねえ!私と会っておしゃべりしましょう!」なんて軽いメールを打って送信すれば、いくらでも孤独からの出口を探すことはできる。しかし、それは唯のまやかしにすぎないのかもしれない。人はみんな独りで生きている。社会的に見たら助け合いの中で生きているし、組織や団体の中に属していれば完全に独りではない。物理的に考える場合、誰かが自分の代わりに酸素を吸ってくれるわけでもないし、自分の脳に変わって勉強をしてくれるでもない。完全に「生きる」行為を行っているのは自分自身、独りなのだ。この孤独を理解できるのも自分しかいないのだ。たとえ誰かにこの孤独を打ち明けたとしても、その誰かも自分の孤独と向き合って何か悶々としているかもしれないのだし。みんな自分独り生かすことに必死なのだ。

目に入ってくる色たちに。自然の生み出す色たちに。そして色に名前をつけた祖先たちに。呪いという名の感謝を示そう。無色透明な世界に生まれれば欲だって生まれなかった。みんな同じ色をしていれば「違い」に恐れることはなかった。けれど人間は美しいものを愛した。そして美しいものを生み出すことに喜びを見出した。美しいものが定義されたあかつきには、醜いものも生まれた。けれど醜いものほど美しいのかもしれない。何か欠如している男を愛してしまうように。誰にとって何が美しいかなんて決めることはできない。そして、この世の中に存在する美しいものと醜いものは共存しているのだ。比べることで価値を見出す人間にとって相反するものが必要不可欠なのか。


まだ私は手を差し伸べていない。誰にも。たった一人にも。
臆病で弱虫で情けない一匹の生物として、明日も生きようと何かを必死に探している。自己否定は簡単だけど他人を否定するほど偉いわけではない。どこかにあるかもしれない答えに少しだけ希望を持って深呼吸してみる。目を閉じたて次に開いた瞬間、朝が来ていることを祈ることが精一杯の努力。











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