2005年03月06日(日) |
われおもう ゆえに われあり |
冬になると鬱になりやすいのは何故なのか。曇りの日が続くから?寒さが身に沁みるから?悲しい記憶が蘇るから?どこにもない答えをみつけようとしているから?バスの中から眺める風景。夜の闇にマンションの家や看板のネオンが明るさを灯す。明かりの数だけ人々の生活が存在し、脳細胞の数よりも多くの人間の人生が存在する。その中に私の人生も含まれる。私は私として生きていかなければならない。苦しくても悲しくても。楽しいことも幸せなことも力いっぱい感じなければならない。それが命の営み。
心から笑ったのはいつなのか思い出せないくらい笑っていない。なぜなら分厚い鉄の扉が私の心を頑なに閉ざしてしまっているから。涙も出ない。笑えもしない。楽しむことを忘れ、生きがいを失っている。自分が生きていてもしょうがないのではないかと思い始める。完全に鬱の傾向。ここまで落ちたのも久しぶりかもしれない。けれどそんな時期であることは自分でもわかっている。周期的にくるものだとはわかっていても抜け出すのに時間がかかってしまう。冬だから?
みんなはみんなの悩みで苦しんで、私も私の悩みで苦しんでいる。辛いのは同じなのに、ワガママな性格が共感を求めてしまう。こんなに弱い自分が嫌いでさらに自己嫌悪に陥る。許しを請うでもないが、なにかに頼りたいのだ。頼れるものは自分だけと今まで思ってきたせいか、頼り方や甘え方がわからないのだ。そう、素直じゃないからかわいくない。素直になれない。素直になりたい。けど怖い。自分をさらけ出すのが怖い。本当の自分を見られて相手に嫌われたり、拒否されることが怖いのだ。昔のトラウマのせいだろうか。
どこかに消えてしまいたい。なにも考えずにすむ楽園と言われるような場所へ。不満の塊を捨て去って、裸になって、リセットできるのならば、全てをなくしてもいいから楽園に行きたい。私に「全て」と言えるようなものがあるならばの話しだけれど。このままみんなの記憶から綺麗に消えてしまえたら、どんなに楽だろう。痛いくらいの悲しみに打ちひしがれるだろうけど。 苦痛を伴う幸せを望むか、何も得ることのできない楽園を選ぶか。そんな選択権もないのに、何を迷っている。本当に阿呆な私。
暗い暗い闇の中。
君が私を見つけてくれるのならば、
何時間でも、何百年でも待つよ。
君が私の存在を愛してくれるなら。
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