TENSEI塵語

2009年04月01日(水) 初めてのありがたきお坊さん

私は坊さんに敬意を抱いたことがない。
そりゃあ、子どもの時にはそれなりの躾をされていたので、
子どものころから敬意を抱いてなかったとは言わないけれど、
成長するにつれて、儲かる商売人ていどにしか思わなくなった。
今までいくつもの通夜・葬儀に参列したわけだけれど、
その僧侶観はぜんぜん改善されなかった。

だから、今回の父の葬儀に関しても、
誰でもいいから、葬儀屋が頼みやすいところを頼んでもらった。
若いお坊さんですけど、、、という葬儀屋のお断りにも、
いいよ、誰でも、、、という気持ちで承知した。



彼が枕経に訪れた初対面の時、その精悍な姿に驚いた。
読経が始まって、その声の響きに惚れ、凛々しい横顔に惚れ、
指の長い合掌の姿の美しさに惚れた。
枕経が終わり、実務兼雑談に入った時、読経の声とは違って、
実に軽いざっくばらんな口調に驚いた。
お布施の金額も、戒名の金額もさらっと自分から言ってくれるのも
どういう時に渡してほしいかも話してくれるのもありがたい。

それ以上にありがたかったのが、通夜と初七日の法話である。
通夜の時には、通夜・葬儀・その後の法要の意味を中心に、
とてもわかりやすく話してくれた。
初七日の時には、戒名の構造と意味について、
これもまた、とてもわかりやすくありがたく話してくれた。
私も含めて教員連中だって、これほど美しく話せる奴はいない!
と思わせるほどに。。。
今までにも、通夜の法話を聞いたことがあったけれど、
これほど心に響く法話を聞いたことはなかった。

その法話を、きちんと再現できるほど覚えていないのが残念だ。


母の妹たちや母の弟の嫁であるおば(あ)さんたちも、
この2日間ですっかりファンになったらしく、
四十九日は絶対来るからちゃんと連絡して! だったそうだ。
親戚中でもっとも口うるさくいばっている母の末弟でさえ絶賛していた。

私はイエス・キリストのファンだけどキリスト教徒でもないし、
仏教徒でもないし、神道にもなじんでないので、
死んだときには無宗教でやってくれ、などと言っていたのだが、
彼なら自分の死後を委ねてもいいと思い始めたのだった。


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