義父の誕生日もスルーした。 去年の義母の誕生日については、 本人に原因があるじゃないか、といえるけど、 義父に関しては申し訳ない気がした。
でもね、義母の余計な一言の発生率は なぜか義父の誕生日に高いのだ。
おとうさんの誕生日には、 私は何も言っても許されるの、って そんな心理なのだろうか?
だから、ストレスの元を減らすことにした。 現に夫も忘れているのか何も言わない。 誕生日って、大事な日じゃないんだよね。 騒ぐほどじゃないんだよね、って言いたくもなる。 それでいいんじゃないか、とすら思えてくる。 ちょっと淋しいけど、それでいいや、と。
私の誕生日だって、義父母は覚えてもいない。 1月?くらいの記憶だろうか。 去年はもうどこかへぶっ飛んでいて、 義母の頭は「お父さんの誕生日」でいっぱいになっていた。
夫に対しては何もくれない義父母だから、 もう私の誕生日も忘れてしまって欲しいと思う。 自分の息子の誕生日に、電話とかもなく、 好物をくれるでもなく、 私の誕生日はお年玉の季節だから、 子供向けのかわいいお年玉の袋に入って お金を渡してくれる状況だ。 その誕生日が何日なのか、なんて覚えてないだろう。
結局私は何が欲しいんだろう、と思うと、 あたたかい気持ちなんだ、と思う。 義理ではなくて、気持ち。 誕生日を祝うべきならば、 それはみんなの誕生日が大事なのであって、 嫁にだけお金を渡しておけばいいのではないと思う。
何も届かない夫の誕生日。 私にだけお小遣いをもらったところで、 例年、それで自分のものを買う気にもなれない。
今年、義母からも何もなかった。 GIVE & TAKE みたいな感じだけれど、 結局こう冷えてしまったのもしかたない。
いっそ、冷えるところまで冷えてしまえばいい。 時期がきたら、また暖めよう。
かわいくない嫁かもしれないけれど、 もうそんな我慢をすると、 自分の精神が危うくなってしまうから。 現に、少々危ういのだから。
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