人間の生活あるいは成長は、ここまでは1でここまでが2ということはない。 今日は1メートル40センチ、明日は1メートル50センチ。0時になったら切り替わるという訳ではない。 1も2も連続していて、少し高いところに立って後を振返るとあそこがだいたい1だったのだと感じることが多い。 前の面影や影響を持ちつつ、いつの間にか変化していくものである。 体や生活、考え方やこころの在りようもそういった道筋をたどるのではないだろうか。 確かにきっかけはある。 じつは、きっかけは、ありとあらゆるところにあり、いつでもある。 私たちは、何かに影響を受けたり突き動かされたり、偶然な事故のような出来事を、あれがきっかけだったのだと思い、きっかけが突然やって来たように感じることが多い。 しかし、気付きの中で或いは偶然にそのきっかけの引き金を引くのには、 じつは自分の知らないうちにその準備が行われているものなのである。 肉体的な、精神的な、知識、経験、経済的物質的な側面でさえも。 偶然の事故や病気、或いは人間的な変化、この人に出会って私は変わったということも、何らかの準備がなされている。 外を歩くという準備、車に乗るという準備、いろいろ経験の積み重ねや共感するこころを持つということ。 昨日の私と今日の私が違うということはあり得ない。 今日の私は昨日の私を経験して、引きずって、積み重ねてできている。 そうやって少しずつ変化する。
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