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■ I'm in VULGAR
結局この心地良さが己のツボなだけのような感じもする訳で。 もともと洋楽一辺倒だった自分が、Dirにハマってからこの道のりになんの無理も無かったのが問題だ。 批評家じゃないので音楽性なんて高尚な事は別として、切り口は他につけてみたいと。
Final横浜のDVDでも思ったんやけど、やっぱ他メンバーが京くんに置いてかれてるやろ。 努力してどうなるもんでもないのでこればかりは、、、 確かにこの数年、京くんのみに人生観を変える程の事が起こったのは予定外やと思う。 バンドは運命共同体である方が楽だろう。きっと。 他メンバーの意識がどこまで昔と変化してないかが知れない以上、不安は棄てきれない。 もしも昔と変わらない意気込みがあるなら自ずと苦境へ身をもっていくだろうけど、それを誰も強要できない筈。 それが分かっているから京くんの意思表示には警告めいたものを感じる。 多分彼は本人の云っている通り誰の巻き添えも望んでないし、どこかで身軽になりたがっているんだろう。 他が二次元で動き回る中を彼だけが三次元へと進化し、今は異なる場所にいるファンにさえその姿をリアルな生臭いものへと具現化する勢いだ。 大事なのは肉体のありかではなくて精神の居場所だ。 理想の共有は同じ次元の精神のみで支えられ、ゴールは分からないにしても同視力でないとその方向性は一致しえない。 無神経に作り上げてしまった見えない壁から通した凡人の眼力では潜在的な屈折率に気付く事が出来ないだろうと。 ファンにも同等に云える。あくまでも偶像としての彼を望むか、より昇華しはじめた彼を受け入れるかでファン層もとことん変わるだろう。
歌詞でうったえる彼の見据えた場所は涅槃に違いない。 どんな言葉でそれが表現されようと、そこには何ら動かない普遍の香りがする。
そんなに生き急がないで欲しいよ。
彼の中ではマイナスのエネルギー同士が激しくぶつかってプラスへと変換されるらしい。(通常人は数学ではないのでマイナスのままだ) 彼の云う脳内の一部で生成された空洞故か、彼のシナプスは悲哀と苦痛にしか手を延べないのか。 稀な人だと思う。
(余計なこと書き過ぎたな)
2003年10月08日(水)
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