無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2004年08月31日(火) 夢語りは現実語り

 一日50人から80人くらいのご来客数で細々と続いております当ホームページでありますが、どういうわけだか今日は150人以上の方がお見えになりました。こんなのはいつぞやの長崎佐世保小6殺人事件のことを日記に書いて以来のことであります。
 もしかしてまた2ち○んねるにでもリンク貼られたかな~とか思って見てみたら、全然違っておりました。いや全く失礼な想像をしてしまったのですが、私のこの日記を「お気に入り」に登録して下さっている名塚元哉さんが、ホームページのほうにもリンクを貼って下さって、そこからアクセスしてきたお客さんがいらっしゃってたのでした。
 名塚さんの「あんた何様?日記」は、政治、芸能、スポーツ、事件と、扱う話題も実に豊富で、私のこんな拙い日記よりも何倍も読み応えがあって、エンピツでもトップクラスの人気サイトなのですが、何を勘違いなされたか、こんな唐変木な私の日記をどこかしら面白がって下さっているらしい(腹を立ててる面もあるかもしれませんが)。いやまあ、過大評価も甚だしいというか、全く汗顔の至りであります。おそらく、今日来てくださったお客さんも、「なんだ。たいした日記じゃねえし、コンテンツも面白くねえ」と、1、2週間もしたら覗きに来なくなって、また静かなサイトに戻るとは思いますが、わざわざリンクしていただいたことには心から感謝しております。この場を借りて名塚さんにお礼申し上げます。


 9月に入ればまた少し忙しくなるので、今のうちに準備できる仕事をちゃちゃっと片付けておく。
 しげは今日も鬱で仕事休みなので(一応近々復帰の予定だが)、帰りは迎えに来てもらって、「庄屋」で食事。しげはステーキ丼、私は椿山寺御膳。天ぷらも頼んだが、エビ天はしげのもの。
 料理を待ってる間、新聞を広げてみて、アテネ五輪の終了のニュースなど、漫然と見る。日本のメダルラッシュとか、マラソンに乱入とか、ドーピングとかいろいろあったらしいけれども、スポーツそのものは嫌いじゃないが、周囲やマスコミの騒ぎっぷりが好きになれないので、テレビも殆ど見ていない。所詮、オリンピックったって、政治ゲームだし。
 それでも日本の選手の多くが、「国の威信」とか背負わずにのびのびと参加してきてた雰囲気だったのがよかったかなあと思う。メダル取れなくても明るい顔してるし、これなら東京オリンピックの円谷選手のような悲劇は起こらないだろう。高橋尚子選手の問題に関する陸連のメンツ主義を見ていると、まだまだ悲劇の火種が完全に消えたわけじゃないとは思うけれど、選手の気分の方が変わっていけば、オリンピックに出ようが出まいが、「スポーツが好き」でいいんじゃないかってことで、周囲の圧力や偏見なんかはねのけていけるだろう。
 けど、どこの国とは言わんけど、「参加することに意義がある」って言葉、タテマエだとしても守ろうとする姿勢くらいは見せたらどうかね。


 帰宅して、コンテンツの原稿など少し書いていたが、睡魔に襲われて、10時前には布団に倒れこんでしまう。こう早寝だと、明日は早起きか、と思っていたら、それから9時間まるまる眠りこけてしまったのだった。疲れがまた溜まりやすい感じになって来たのかなあ。


 演劇関係のシゴトなどをしていれば、知り合いにマンガ家とかアニメーターとか、少しはできる。たまにそういう人から「ウラ」事情などを聞いたりすると、まあ、夢だけ持って世の中渡って行くわけにはいかないよな、ということは分かる。しかし同時に思うことは、醜くて世知辛いはずの「そういう世界」にいながら、なお「夢を語る」ことができるという「現実」は何なのだろうか、ということだ。
 現役アニメーターである石田敦子さんが『ヤングキングアワーズ』に連載しているマンガ『アニメがお仕事!』がようやく1巻にまとまった。部数余り出てねえんじゃないかってくらいに本屋で見かけないが、ようやく福家書店で1冊だけ見つけた。読む人によっては絵柄に好き嫌いはあるかもしれないけれど、アニメに「夢」を持っている人、あるいは持った過去のある人にとって、これは必読の書だろう。
 読んだマンガの感想、コンテンツになかなか挙げられないでいるが、これだけは簡単にでもこの日記に書いておきたい。薄給・重労働は常識、周囲のアニメに対する偏見は強く、夢破れて転職していく若手が後を断たないアニメーターの世界で、なおかつ「仕事を続けて来た」石田さんの、これは紛れもない「戦いの記録」である。フィクションという形は借りていても、そこに描かれていたような「いやがらせ」はきっとあったのだ。それでも石田さんは「アニメーターをやめなかった」のだ。
 この「現実」は何よりも強い。賢しらだった皮肉屋は「夢だけじゃ食っていけねえんだよ」と言うが、威張ってそんな口を利くヤツは、たいてい、夢を実現させる能力もない自分を現実主義者に見せかけて韜晦しているだけの愚かで卑屈な猿である。こういう言い方をすると、すぐ勘違いする馬鹿が出てくるのだが、私は「現実を見るな」と言いたいわけではなくて、「現実主義を逃げ口上にするな」と言いたいのである。陳腐な言い方だが、挫折する前に何かそれなりの「努力」はしたのかそいつは。何度も挫折を味わい、挫けそうになりながらも歯を食いしばって、自分の「夢」を実現したヤツだって、世の中にはいくらでもいるのだ。そういう人間に対して、口を開けば「もう少し現実を見ろよ」としか言えないヤツは、それこそ自分の狭い世界の中の現実しか見ていない、愚か者である。さらに広い世界から見れば、彼らの語る「現実」とやらのほうが、儚い「幻」でしかない場合も多い。全く、夢を見てるのはどっちの方なんだか。
 もちろん、努力もしねえで「夢」だけ語ってる馬鹿だってたくさんいるけれど、少なくとも人に知られずとも日々研鑚を怠らないアニメーターの卵諸君にとって、いや、ささやかでも自分の夢を決して忘れないでいる若い人たちにとって、このマンガはきっと勇気と力を与えてくれると思うのである。
 ……だから部数もっと出そうよ、少年画報社さんよ。

2003年08月31日(日) 充実の休日。シャレかい/映画『乱れからくり』/『チキンパーティー』1巻(金田一蓮十郎)/『よつばと!』1巻(あずまきよひこ)ほか
2001年08月31日(金) おたくはセールス電話、おおくありませんか?/DVD『スペースカウボーイ 特別編』ほか
2000年08月31日(木) 耳掻きしてたら血が出た……/『心理試験』(江戸川乱歩)ほか


2004年08月30日(月) 『華氏911』の真価

 台風16号が九州を縦断。今年はやたら台風が来るけど、今のところ福岡は水害には合っていない。風は吹いてるが雨量はそれほどでもないからだろう。
 外はもうビュンビュン風が吹いているのだけれど、今日は仕事を休んで(出張扱いなのでサボリではないぞ)定期検診の予約を病院に入れていたので、出かけないわけにはいかない。場所は川端町なのだけれど、直通のバスはないので、比恵までしげに車で送ってもらう。
 地下鉄に乗って、中洲川端で降りて外に出た途端、突風に吹き飛ばされそうになった。道を歩く人もマバラだが、差している傘の柄が折れてしまっている人もいる。こりゃ、傘なんか差せやしない、と、病院まで思いきって走る。雨は小振りとは言え、100メートルほどは走ったので、結構濡れた。しかもスリッパで出て来たので、病院に辿りついた時には鼻緒のあたりが緩くなってしまっていた。帰りはちょっと走れそうにもない。
 病院のドアを開けてみて、一瞬、キョトンとした。広い待合に、客の姿は誰も見えない。考えてみたらこの台風だからそれも当然なのだけれど、「待合はいつも患者でいっぱい」というイメージが刷り込まれていたので、急に異次元に放りこまれたような錯覚を覚えたのだ。
 茶髪の看護師さん(いいのか?)に案内されて検査服に着替え、尿検査だの採血だのレントゲンだの心電図だの胃透視だの、あちこち引っ張りまわされるが、いつもだとこれだけの検査を受ければ、順番待ちで軽く2、3時間はかかるものが、客がいないからスムーズに進むこと。わずか1時間で終わってしまった。問診の結果は「またちょっと糖が出てますね」。やっぱり運動量が減っているのがよくなかったのである。いや、食事の量も増えてきてるし、だんだん気持ちが緩んで来ているのだな。ちょっと黄色信号である。
 検査を終えて、外に出ようとすると、暴風はいよいよ激しくなっていて、今度は帰るに帰れないのである。しげに連絡を入れて、車で迎えに来てもらうが、これに時間がかかって、結局、昼になってしまった。
 そのあと、眼科に回るが、ここも客は少ない。けれどこちらは結構待たされた。今のところ異状はないとのことだが、次回は造影の検査もしてみようとのこと。実際、右眼と左眼とで視力に差が出てきているし、目の前がぼやっと薄白くかすんでいるので、悪化してないはずはないのである。


 帰宅してひと寝入りしたあと、夜、キャナルシティに『華氏911』を見に行く。
 カンヌ映画祭のパルム・ドール受賞で、それなりに期待はしていたのだけれど、内容は単純極まりなくて、「ぶっしゅだいとうりょうはせきゆがほしいのでせんそうをはじめました。けれどたくさんのひとがしんだのでよくないとおもいます」で終わりだった。
 いやホント、それ以上の内容が何もないのよ。それがかえって驚きだったね。マイケル・ムーアに期待したのが間違いだ、と言われるかもしれないが、もうちょっとは「深み」があるかと思っていたのだよ。政治的プロパガンダ映画だって批判もあるけど、そうだとしてもこの映画、ちょっと方法が幼稚すぎないか。これ見て初めて「ブッシュってそんな卑劣なヤツだったのか!」って憤ったヤツがいたとしたら、それこそ911以降、世界の何を見てきたのかってことになると思うけど。
 だいたい石油が云々なんてこたあよ、今更マイケル・ムーアに言われんでもみんなハナから気づいとることだなんって。それ知っててもブッシュに反対できねえから我々は腹立ててるわけで、ブッシュを本気で糾弾するつもりなら、その罪を告発するだけじゃ不充分だろうが。「ではどういう道を取ればよかったのか」まで示さなけりゃ、意味がないぞ。ブッシュは確かにバカかもしれないが、それを貶すしか能のないムーアも、バカ以下のバカってことにしかならないよ。ゴダールが「この映画はブッシュを利するだけだ」ってムーアを非難してた意見が一番当たってたんじゃないかな。
 つまりこの映画は、イラク戦争が、はっきりブッシュとアメリカと、アメリカに協力を示した国に石油を落としてくれたってことを証明しているわけで、これ、ウラ読みすれば「ブッシュの業績を称えた応援映画」として見ることも可能なのである。そこんとこにムーアは気づいてたのだろうか?
 どっちにしろ、単調で退屈で、浅薄な情に訴えてる部分も鬱陶しくて、タランティーノが言うように、「映画として面白い」ってことは全然感じられなかった。なんだか『イノセンス』や『誰も知らない』がこれに負けたかと思うと、「映画のレベルが全然違うだろう!」と叫びたくもなるのである。

 映画を見終わったあと、「なんでこんなのがパルム・ドール取るかなあ」とタメイキをついたら、しげが「タランティーノってバカ映画が好きだから選んだんじゃないの?」のと言ったので、ああ、そうか、私ゃまだこの映画を「マジメに」見てたのだなあと気づいた。
 だいたい日本人はみんな一人の例外もなくアメリカさんに協力することで得ている石油の恩恵を受けて、「イラク人が何人死のうとアメリカ人の貧民が何人死のうが構わない」という生活を営んでいるのだ。本気で「反戦」を訴えるのなら、「石油および石油製品を一切使わない」生活をしてからでないと、何も言えないのではないか。当然、私にもブッシュを非難する資格はないのである(キライって思うくらいは許してほしいが)。
 それはもちろん、アメリカで飢えもせずに「数々の石油製品に囲まれて」暮らしているムーア監督自身にも言えることなんで、なるほど、確かにこれは「バカが作った映画」には違いない。トンデモ映画として見た場合、『アルマゲドン』や『アンブレイカブル』もはだしで逃げ出すほどの大傑作だろう。もしかして、タランティーノはブッシュにではなくムーアに大笑いしながらこの映画を見たのか? 我々も、ムーアが「ブッシュのこんなとこが悪」と示すたびに大笑いすればいいのかもしれない。となると、小泉さんも見て笑えばよかったのにって気がしてくる。
 でも、やっぱり上映時間が長いのは勘弁してもらいたいね。政治に関心ない人には特に「はあ、そうですか。でもできればこういう話は15分くらいで短くまとめてほしいですね」で終わる映画である。コンテンツにもっと詳しく感想を書くかどうか、悩むところだ。
 ムーア監督は、ニューヨークで29日に行われた50万人規模(主催者発表)の「反ブッシュ」デモにも参加したとか。もしブッシュが来る大統領選挙で再選を果たせなかったとしても、この程度のプロパガンダ映画に乗せられて反戦を訴える国なら、またぞろ宣伝のうまい大統領の手によって、コロッと戦争しかける国に変わってしまうだろう。全く、バカには勝てんよなあ。

2003年08月30日(土) ネットではみんな「役者」だ/DVD『恋人よ帰れ!わが胸に』/映画『ゲロッパ!』
2001年08月30日(木) 性教育マンガ(* ̄∇ ̄*)/『フリクリ』2巻(GAINAX・ウエダハジメ)ほか
2000年08月30日(水) ○○につける薬がほしい……/映画『蝶々失踪事件』ほか


2004年08月29日(日) なんか居たたまれない一日でした。

 定例の劇団練習日。しげはauにも用事があるとかで、先に出発、私はあとで合流。
 練習自体は1時からだが、早めにパピオのロビーで打ち合わせもする、ということで、11時に集合したのだが、考えてみれば私は特に打ち合わせすることはないのであった。ちょっと騙されたか(~_~;)。
 今回は「時間厳守!」をしげが散々言ってたので、出欠の連絡もほぼキチンとされていたようだ。客演やご協力の方々も含めて、今日はスタッフ、キャスト全員が集合の予定であったのだが、残念なことに都合が悪くて欠席した人もいる。よしひと嬢は、もう先からずっと家庭の事情で練習に参加できないのが痛い。あと具合が悪くて中野さんが来れず。誰とは言わないが、「現役女子高生美少女」を楽しみにしているヒトもいるので、非常に残念な様子であった。でもこの二人の欠席は仕方がないことである。
 問題なのがもう一人、Kさんという方で、一応、私も旧知の女性ではあるのだが、今回も本人は必ず出席すると言っていながら、直前になって連絡がつかなくなってしまった。実は先週もそんな感じで練習に来なかったのだが、そりゃハナから参加する意志がないのと違うか。先週来られなかったのは「急に仕事が入ったから」ということだったらしいが、休日に急に仕事の入る可能性のある職種であるのなら、そもそも芝居に参加すること自体、難しいと思う。未だに劇団ホームページの方にも出演者情報として名前を載せられないでいるのだが、早いうちに意志表示をハッキリしてくれないと、員数外にカウントせざるを得なくなってしまうのである。
 それでも、ほぼ全員の出席となると、それなりのスペースのある練習場もかなり狭く感じられる。つか、今日初めてお会いした方もいて、たとえ「名前だけ代表」の私としても、忸怩たる思いを抱かずにはいられない。まだまだウチの劇団の実体を把握しちゃいないのだと思うと、全く汗顔の至りである。

 前半は台本の通し。集まったみなさんに芝居のだいたいの流れを把握してもらうためなのだが、演技がまだとても人に見せられるレベルに達していないのが痛い。ウラの準備の方が忙しかったせいもあるのだが、主役3人のスキルがここんとこ全然上がっていないのである。つか、注意したとこも全然治ってないしなあ。いくら細かく演技指導したって、片っ端からそれ忘れられてたら、なんの効果もない。
 ことに、しげが一番ヘタクソなのが見ていてツライ。多少ネタバレして話してしまえば、これは「既知外に見えない人間が実は一番既知外だった」という話なので(『まぼろしの市外戦』ですな)、しげは多少抜けてはいても一見マトモに見えなければいけないのである。ところが、セリフは上ずる、動きに落ちつきはない、芝居の「要」として全く作用していないのである。まだ公演まで時間がありはするが、こういう役の勘所を抑えるのは、殆ど才能に起因するところなので、ちゃんと修正が効くかどうか、甚だ疑問である。正直な話、キャスト変更も考慮しなければならないくらいヒドイのだが、如何せん、代替の役者なんてウチにはいない。演出“補”の立場としては強権発動もできないが、このまま上達のきざしが見られないようなら、早い段階で客演を誰かに頼んだ方がよかないか。ってその決断もしげ自身がしなけりゃならないのだけれども。
 それが無理なようなら、脚本、今の半分くらいに削らないといけなくなるか。でもそうするとまた話の辻褄が合わなくって「意味わからん」とか言い出すヤツが出てくるんだよな。えいくそ、説得力持たせる発声もできねえ、自分でホン書く実力もねえくせに、注文ばかりつけてんじゃねえよな、全く。

 練習の後半は「劇団改FREE’ズ+」の冨田文子さんにご協力を頂いて、ラストシーンのダンスの指導をしてもらう。事前に動きを知っていたのは客演の草野さんだけで、他のメンバーは全員これが初練習。冨田さん、3時間の練習時間を貰って、初めは「時間が余るかも」とか言ってらしたのだが、冗談ではない。ダンサーズ諸君、こうまで音感の悪いヤツを揃えたか、と言いたいくらいに覚えが悪い。……いやまあ、それは最初からわかってたことだから、台本段階ではどの曲についもデタラメに踊ったって話が成り立つように作っといたんだが、練習を重ねるうちになんだかどんどんマトモなダンスを踊りたがるようになっていったのである。自分で自分のクビ、絞めてってるんだよなあ。
 3時間経って、何とかマトモに踊れるようになったのが4、5人。あとはもう、殆どワヤクチャである。各自、練習がない日もちゃんとダンスの復習とかしててくれてたら問題はないのだけれど、なんかサボリそうなやつもいるしなあ。

 まあ、前途多難ではあるが、スムーズに行った公演なんて一度もないし、ある意味ウチの劇団が強いのは、「才能もなきゃ努力もしないのにそれでも芝居を続けてられる度胸」である。誉めてないか。
 いや実際、不思議で仕方がないのは、自覚がないならともかく、自分たちが努力してない事実を知っていながら、それでも芝居を続けようとする意志だけはある、というその矛盾なのだね。
 しげにはこれまで何度となく、「おまえは何をしたいんだ?」と聞いたことがあったが、はかばかしい返事が返って来た例がない。別に難しい答えを期待しているわけではなく、「面白い芝居を作りたい」とか、それだけでも構わないのだが、それもない。多分「面白い」という要素は、しげの考えている「芝居」の中心には存在していないのだ。じゃあどういう芝居が作りたいのか、と問い詰めると、黙りこんでしまう。そりゃそうだろう、しげには「作りたいもの」なんて何もないのだから。たまに苦し紛れに「宇宙の謎を解き明かしたい」とか言うこともあるが、解き明かしてどうするのか、それを芝居でどう表現するのか、やっぱり何にも考えていないのである。
 しかし芝居に限らず、映画も、小説も、音楽も、いや人生そのものだって、結局は「無」から「有」を生み出す作業なのである。誕生は無意味だが人生は無意味ではない。というか、意味あるものにする自由を我々は与えられているのだ。私の書く芝居は、結局はそのことだけしか語ってはいない。それに共感できないのなら、私に脚本依頼するのはたいがいでやめてもらいたいんだけどねえ。

2003年08月29日(金) 戦慄の3時間/舞台『放浪記』/『新暗行御史』第六巻(尹仁完原作・梁慶一)
2001年08月29日(水) 腹立ち日記/映画『お笑い三人組』ほか
2000年08月29日(火) 後始末は大変そうだな/『ルパン三世総集編』第6集ほか


2004年08月28日(土) 夏の終わりの小さな花火

 こないだ満杯の女性客で見損ねていた『誰も知らない』、今日こそは見ようと、鴉丸嬢を誘って、朝の第1回目を狙って、開場の30分前にシネリーブル博多駅の前に並ぶ。でも既にシャッターの前には、学生らしき3人組、何人かの女性客などが陣取っていたのであった。徹夜組まではいなかったと思うけれど、それにしてもみんな熱心なことである。いくらカンヌで有名になったからと言って、それがヒットに直結するものでもないから、これはやはり作品の持っている力、役者たちの魅力に負うところが大きいのだろうな、と想像する。
 開場と同時に客が雪崩れこんでいき、開演10分前には満席、パイプ椅子が出されるほどの盛況。しげ、「この映画館がこんなに満杯になったの初めて見た」と感嘆。確かに小さな映画館で、収容人数は150人ほどだろうが、それにしても平日休日を問わずいつ来ても満杯というのはやはり大ヒットである。シネ・リーブルのように、いかにもオタク御用達といった感じのミニシアターはぜひ存続していってほしいので、こういうヒットが時々はあってくれないと困る。多少の混雑はガマンしようというもの。
 映画はリアルな描写を重ねながらも全体としては一篇のファンタジー。親に見捨てられた子供が自活していた、という現実の事件を元にしてはいるけれども、それを理想的に見えるほどに描いている。なんだこれ、「ユートピアだな」と思って、後でパンフを見てみら、監督自身、そう書いていた。なんだか川原泉の『夢だっていいじゃない』を連想したことである。
 しげと鴉丸嬢は、見終わって二人で「もうちょっと波瀾があったほうがなあ」とか言ってたが、つまりそれは「もう、一人二人死んでたら」ということである。なかなか派手好みなことであるが(そう表現していいものかどうか疑問はあるが)、これはタイトル通り「誰も知らない」物語だから、事件そのものは殆ど必要としていない話なのだ。逆にもっとドラマ的な要素は排除してもいいくらいのもので、こういう「静かな映画」もたまにはいいものだと思う。でも、そういうことを言うと、しげから「アンタ、ホントにお坊ちゃんだね」と言われてしまうのである(~_~;)。
 「やっぱ、ガスの集金人が来たら声を潜めるのは基本だよね」とか二人で頷きあってるけど、子供のころ、どういう生活してきたのかね、君たちは。

 映画のあと、「ダイソー」で芝居の小道具を買い込む。これのためにここ何ヶ月か、メンバーでチビチビと貯金をしてきていたのだが、まあまあおカネが溜まっていたので、かなりな数の小道具が買えた。うちの劇団、一応、毎月劇団費を回収することになってはいるのだけれど、実際には殆ど支払われたためしがない。練習に参加したときに、「ジュース一杯飲んだつもりになって」貯金箱に百円入れる、という形式に変えたら、ちゃんとおカネが溜まるようになったのである。払った金額に個人差はあったと思うが、こちらの方が劇団運営としてはスムーズにいった結果になったわけで、つくづく「強制」ということがキライな連中が集まっているのだな、と感心するやら苦笑するやら。

 一旦、帰宅、荷物を部屋に運びこむ。夜、其ノ他君の仕事が終わるのを待って、「夏の思い出(^o^)」に花火をする予定なので、それまでは時間潰し。私は疲れて仮眠を取るが(つか、買ったばかりのDVD『ケロロ軍曹』第1巻見てたら落ちた)、しげと鴉丸嬢はパソコン使ってなにかパコパコやってたようだ。
 夕方から其ノ他君を誘いにご自宅へ。ちょうどお食事と風呂の最中だったので、しばらく本屋などを回って時間潰し。それでもまだ時間が余っていたので、しげに「どうする? コンビニにでも行くか?」と聞くと、「玄関で待ってた方がいい!」と怒って反駁される。なにも怒らんでもいいじゃないか、と口喧嘩になるのを見て、鴉丸嬢が喜ぶこと。「藤原夫婦って、どんな小さなことでも決着つけないと気がすまないのね。私なんかすぐ流すけど」と言われてしまったが、私だって、ほかの人間相手でこんなに口論になることは滅多にないのである。今回も私は単に「どうやって待つ?」と聞いただけなのに、しげが「自分が待つのがイヤで退屈なものだから、あっちこっち引きずりまわしたいのだろう」と勝手に思いこんだのである。「他人は自分のことを思いやってはくれない」という被害妄想でしか人を見られないというのは根本的に性格が歪んでいるからで、そういう心の病気をこそ、治してほしいんだけどねえ。


 10時を回って、其ノ他君と合流。最初は皿山公園で花火をする予定だったのだが、実際にそこに行ってみると、車がワンサカ並んでいて、中ではカップルがただ今ナニの真っ最中(私の視力では全然見えないのだが、みんな「ホラホラあそこ、サカッてるサカッてる」と指を差すので、どうやらそうだったらしい)。さすがにその側でドンパチやらかす勇気はないので、仕方なくもっと山上の、人気のないところまで行く。以前、しげと二人で星を見に来た小さな公園である。
 しげの花火の好みはスモークとかヘビ花火とか地味なもの、鴉丸嬢は線香花火がメイン、ということで、ムチャクチャ地味である。私と其ノ他君は専ら飛行機とかドラゴンとかを飛ばしているので、花火にも男女で好みの違いと言うか、二極分化があるのだと理解する。しかし、夜中にスモーク焚いたり光らないヘビ花火をやったりして、しげは何が面白いのだろうか、その思考回路がよく分からないのである。実際、煙いだけで、鴉丸嬢はノド痛めちゃったし、もうちょっとTPOを考えてほしいのである。
 けれど、満月とまでは行かないが、十三夜(くらい)の月で、足元が見えないほどではなく、以前来た時のように真っ暗でもなく、ほどよい明るさの中で花火ができたのはよかった。
 帰宅したのが12時を過ぎていたので、日記もさほど書けず。最近は休日になってもなんだかんだでコンテンツを書く時間もなかなか取れないのだが、そのうちドカッと書くつもりなので、数少ない読者のみなさまがたにはご容赦頂きたい。


 なんかまあ、また三面記事からのマヌケなニュース。
 今朝、松山市安城寺町で、家の車庫に止めた乗用車から出火、木造2階建て150平方メートルが全焼した。これだけなら別によくある火事なのだけれど、出火原因というのがおおマヌケなのである。
 車内にいたのは、その家の二男で22歳の無色のAさん(まあ凶悪犯罪者ってわけでもないから仮名にしとこう)。Aさんは車内で仮眠していたのだけれど、目が覚めてみると、ブンブンと蚊が飛んでいる。寝惚けた頭で殺虫剤をまいたAさん、その直後にあろうことか煙草を吸おうとライターに火を付けた。
 結果は当然、大爆発である。本人は軽い火傷ですんだそうだけれど、引火した火が、家まで燃やしつくしちゃったというわけ。
 ……あ~、科学的知識がないと言うか、「火のあるところで殺虫剤は撒いちゃいけない(手順は逆になってるけど、同じことだね)」って常識自体、この人、持ってなかったのかねえ。火の回りが早かったせいもあるのかもしれないけれど、このマヌケぶりだと、何が起こったのかも理解できずに、消火活動もロクにできなかったんじゃなかろうか。
 この人にだって、「ガスは引火するものだ」という知識がなかったわけじゃないだろう。ただ、「知識」ってのは、往々にして「知識」のレベルに留まって、現実への応用が効かないことがしばしばである。アタマのよさってのは知識の多寡じゃなくて、その個々の知識の関連性を見抜き、現実に応用できるかどうかって点にかかってるんだけど、それができる人って案外少ないんだよねえ。日本ってクニは、下手に知識があるとかガクレキがあるとか、そんなのがステイタスとして成り立っちゃってる社会だから、世の中「馬鹿ばっか」であることに気づきにくくなってるんだよねえ。
 思うんだけど、それって、やっぱり学校での「理科の授業のつまらなさ」にも大きな原因があるんじゃなかろうか。いや、理科の授業自体は教師がよっぽどヘタクソでない限り、基本的にとても楽しいものなのである。けれどその楽しさを感じられない人がやたら増えてきてはしないか。科学の楽しさというのは、この世の一見でたらめでてんでんばらばらに見える現象に、ある一定の法則が存在していることを発見する興奮にあるんじゃないかと思う。つまりまさしく「ユリイカ!」って感得する瞬間なんだけど、そういうものを「感じられない」人って、会話しててわかるんだよねえ。で、気が付くと周囲の人間がみんな「そんな人たち」になっているのである。悲しいことに、「自分には知識がある」と思ってる人にかえってそんな人が多い。だから知識があるだけじゃ全然アタマがいいことにはならないんだってば。トリビアで言えば、3へぇくらいの知識ばかりやたら持ってる人なんだね(^o^)。
 「知識」が「好奇心」を喚起するためには、やはりそこに我々の魂に訴えかける「何か」が介在しなければならないのである。我々は今や、雷がただの放電現象であることを知っている。これを昔は雲の上に鬼や雷獣がいるのだと説明していた。もちろんそれは正しくはないのだけれど、雲の上にいる「あるもの」への思いを馳せ、雷がなればヘソを隠すような「生活習慣」まで作りあげていた。知識が我々の人生に密着していたのだ。それに対して、雷を放電現象、と説明することは確かに科学的には正しいし、それを教えることも当然のことではあるのだけれど、実はその「雲の上」への我々の「思い」まで消してしまっているのだ。正しいことを教える、だけでは実は知識の伝授は叶わない。陳腐な言い方になって恐縮だが、心を忘れた科学には幸せ求める「夢」がない。神秘を排除した科学は、実は至極つまらないものなのである。
 空はどうして青いのか、雪はどうして白いのか、月はどうして満ち欠けするのか、星はどうして瞬いているのか、虹はどうして七色なのか、リンゴはなぜ落ちるのか……。親が子に、それを「科学的に」説明することは可能だろう。でもそれで終わってしまっては、知識は決して我々の生きる糧とはならない。何ならそこで正しい知識を教えなくったって構わない。お空があんなに青いの、にペンキ屋さんがいるとウソついたっていいのだ。ちょっと理科の知識かじってる小学生なら、「空が青く見えるのは、波長の短い光が大気中で屈折して拡散しているからでしょ?」くらいのことはサラッと言う。でもそこで、「じゃあたかがその散乱現象でどうしてあそこまで澄んだ色が出せるの?」と問い返したとき、その子どもが本当に「アタマのいい」子なら、自然がどれほど“科学的な奇跡”を生んでいるのか、過去の人々もまた、その「美しさ」を説明するための“科学的精神”を持っていたのだということに気づくのである。
 ……火事の話がなんか教育の話にシフトしてしまったが、「親や教師の教育が悪い」ってとこの何がどう「悪い」のか、ヒトコトで言っちゃえば、「夢」を説得力を持って語ってないとこなのよ。パチンコやって、子供を車中に置き去りにする馬鹿親と、この殺虫剤引火男と、根底で共通してるとこがあると思うんだけどね。


 イギリスの新聞「ガーディアン」紙が、国内外の著名な科学者56人に対してインタビューを行い、「SF映画TOP10」を発表した。以下はそのリスト。

1.『ブレードランナー』("Blade Runner",1982年)
2.『2001年宇宙の旅』("2001: A Space Odyssey",1968年)
3.『スター・ウォーズ』("Star Wars",1977年)、『スター・ウォーズ 帝国の逆襲』("Star Wars: Episode V - The Empire Strikes Back",1980年)
4.『エイリアン』("Alien",1979年)
5.『惑星ソラリス』("Solaris",1972年)
6.『ターミネーター』("Terminator",1984年)、「ターミネーター2」("Terminator 2: Judgment Day",1991年)
7.『地球の静止する日』("The Day the Earth Stood Still",1951年)
8.『宇宙戦争』("War of the Worlds",1953年)
9.『マトリックス』("The Matrix",1999年)
10.『未知との遭遇』("Close Encounters of the Third Kind",1977年)

 別に「科学者」という枠を設けなくても、至極妥当な結果が出てる印象があるねえ。文系の人に聞いたって似たような結果になるだろうし、私がベストテン作っても、多少順位が入れ変わって、2、3の作品が入れ替わるだけで、同様のものになっちゃうと思う。8、9、10位を落として、『決死圏SOS宇宙船』『博士の異常な愛情』『ゴジラ』あたりを入れるかな。次点は『猿の惑星』か『スター・トレック』ってとこか。でもこれも「絶対」じゃない。
 SF映画と言っても幅は広いし、ファンタジーとの境界線も曖昧である。『2001年』のようなハードSFと、『スター・ウォーズ』のような限りなくファンタジーに近いものとを同列に論じることは、そもそもムチャなことである(『ガンダム』はSFか否かで論争が起こることはしばしばでも、『スター・ウォーズ』でそれが起こりにくいのは、監督本人が「SFじゃない」発言をしているせいもあるんだろう)。「SFコメディ」とジャンルを区切ったら、M.ナイト・シャマラン監督作品やジェリー・ブラッカイマー製作作品も上位にランキングされるかもしれない。
 それに、「ベストテン」について言えることは、調査人数が増えれば増えるほど最大公約数的な(極端な話、見ている映画が10本しかなくて、しかも有名どころしか知らない人間は、それしか選べない)結果にしかならないから、対象者を絞ったところで、明確な差異はでないことが多いのである。いろんな意味で「ベストテン」と「作品評価」とはあまり直結させない方がいいと思うのだが、今回の場合も「科学者が勧めているから素晴らしいSF映画なんだ」というようには考えない方がいいのではないか。
 いや、もちろん『ブレードランナー』にSF映画としての価値がないと言いたいわけじゃないので、勘違いはなさらないよう。あれを1位に推すことには反対は一切ございません。


 映画監督の山本迪夫(やまもと・みちお)氏が、23日に肝臓がんのため死去、享年71。
 言わずと知れた『血を吸う』シリーズの監督さんであるが、怪獣もの以外で私が最初に劇場で見た映画が山本監督の『血を吸う』シリーズだった。
 いやもう、不気味に佇む洋館、そこに誘いこまれる少女の幻想的な映像、なにより故・岸田森のクリストファー・リーに比肩する凶悪な吸血鬼像、全く、小学生の私に強烈なトラウマを与えてくれた映画であった。西洋基盤の、本来日本映画に移植することは不可能に近い吸血鬼映画を、怪談映画のフォーマットも利用しつつ見事に換骨奪胎してみせた山本監督の力量は、もっと評価されてしかるべきだったと思う。「B級映画」の監督というレッテルを貼られて久しいが、そういう区分けが結果的に監督を単純にランク分けしてしまい、個々の演出の妙をキチンと評価できなくなってしまっている弊害は結構ある。トンデモ演出を「B級」と呼称するなら、キューブリックにもクロサワにも結構B級なとこあるんだから、あまり短絡的なジャンル分けはしてほしくないんだよなあ。
 確かに、今の若い観客が『血を吸う』シリーズを見て、「怖がる」かどうかは保証の限りではない。かえって「笑われてしまう」面もあるとは思うのだが、『血を吸う』シリーズは、一見、日本的な土着の怨念といったものを排除しているように見えて、実は根底にそういうものはしっかり内包されており、それをより普遍的な西洋風の意匠で映像化してみせた、画期的なシリーズだったと思うのである。
 監督の死をきっかけに再評価を、というのは悲しいことではあるのだが、岸田森がらみでのみ語られることの多かった『血を吸う』シリーズは、もっと多方面からの再評価がされていい映画であったと思うし(例えば近年の和製ホラーとの関連についてとか)、またされなければいけないと思う。

2003年08月28日(木) 謎の暗号?(^_^;)/DVD『アパートの鍵貸します』/映画『英雄 HERO』
2001年08月28日(火) クリエイターの条件/映画『ハムナプトラ2 黄金のピラミッド』ほか
2000年08月28日(月) 完治には1週間以上かかりそうです/ドラマ『百年の物語』ほか


2004年08月27日(金) 『ガンダム・ジ・オリジン』は正しい!

 今日もしげは仕事お休み。全く、どこかの誰かさんに「鬱なのはお前だけじゃない」と言ってやりたいくらいである。昨日の日記に「仕事ヤメまではせんだろう」と書いたら、「仕事やめようかなあ」と言い出しやがった。本当にイヤなものを無理強いしたいとは思わないけれど、先のこと考えて行動するクセくらいは付けて欲しいものだ。
「モチベーションがなくなっちゃって」とか英語の成績オール2だったくせにカッコイイこと言ってるが、しげのことだから「モチベーション」の「モチ」って絶対餅つきの「モチ」だと思っていると思うのである。
 ちょうど森真理の『銀のしっぽ』の2巻を読んでいたら、「台風一過」を「台風一家」と思い違う話が書いてあったので、ふと聞いてみた。「お前、『台風一過』を『台風一家』と勘違いしてたりしてない?」
 しげ、「してないよ」というので、ちょっとホッとしたのだが、続いたセリフはこうだった。「でも、最初は誰でもそう思うよね?」
 ……思わねえよ(--;)。

 仕事は半ドンで、しげとキャナルシティに行く。
 福家書店で本を買いこんだあと、AMCへ、とはいつものコース。先日までのUSJキャンペーンはもう終わって、ジュラシック・パークやスパイダーマンの展示は全て撤去されている。けれど、路上パフォーマンスの外人さんたちはまだ営業中で、その手のアトラクションを極度に嫌うしげは、ホーバーブラザーズ(小型ホーバーに乗った二人組がコントを演じるのである)の接近にビビリまくり。こういうのをナマで見られるのがキャナルの楽しいとこなんだけどなあ。
 AMCは常時20本近くの映画を上映しているが、13館しかなくてどうしてそんなことができるかと言うと、朝・昼と夜とで、上映している映画を入れ替えているからである。今日の目的の『エルヴィス・オン・ステージ』も『マッハ!』との入れ替えで、夜はやっていないので、半ドンの今日くらいしか見る時間がない。これで見逃してしまう映画も多いので、一日おきに昼と夜の上映を入れ替えるとか、そういう工夫をしてくれたら嬉しいんだけどムリかなあ。
 他にも昼までしか上映してない映画には『金色のガッシュベル!!』などもあったのだが(で、どっちかと言うと、そっちの方が見たかったのだが)、しげの意向には逆らえないので『エルヴィス』を見る。まあ、私も別にプレスリー嫌いってわけじゃないし。でもプレスリーって、世代的にはおやじの世代のスターなのである(つか、全く同い年)。子供のころはテレビでプレスリーの映画やってたら、必ず見せられてたなあ。たくさん見たんで、もうどれがどの映画だったか、もう殆ど覚えちゃいないけれども。
 リバイバル上映ではあるけれど、カットされていた未公開映像がかなり復活しているので、実質的に新作みたいなものらしい。オリジナル版は見てないのでよく分からんけど。全盛期は過ぎていたころの映像だけれど、プレスリーはまだ太ってなくて、ステージアクションはなかなか派手。しげはジム・ベルーシ&ダン・エイクロイドがカバーした『ポーク・サラダ・アニー』を解説付きで聞けて、至極ご満悦であった。
 帰りに「レッドキャベツ」に寄って、水汲み&買い物。

 帰宅して、DVDで『鋼の錬金術師』7巻のスタッフ・キャストインタビューなど、見返していたのだが、疲れがたまっていたのか、すぐに落ちる。いつもは少ししたら目覚めるのだが、そのままぐっすり。だもんで、日記書く時間が取れませんでした。


 『ガンダムエース』の10月号、安彦良和の『ジ・オリジン』が休載。
 毎回、アニメ版ファーストガンダムをどう料理してくれるのか、楽しみにしていただけに、ちょっと残念である。来月からの完全オリジナル『シャア・セイラ編』(こんなん入れてたら、絶対15巻くらいじゃ終わらないと思うが)の準備のためだろうけれど(「プロローグ編」と称するカラーイラストの掲載はアリ)、1章描きあげるためにわざわざ1ヶ月のインターバルを置くというのは、今更ながら安彦さんの『オリジン』に賭けている半端じゃない意気込みを感じる。トニーさんや唐沢さんのパロディマンガももちろん面白いのだけれど、やっぱり安彦さんの“限りなくオフィシャルに近い”『オリジン』版が面白いからこそ、パロディが成立するのだ。
 既にシャアとセイラの母親、アストライア・トア・ダイクン、ジオンの死後養父となるテアボロ・マスなどの新キャラクターが予告で登場している。……ああ、そうだよなあ、“そういうキャラ”がいなきゃおかしいよなあ、そしてなぜそういう“重要な”キャラが「ファーストガンダム」に登場しなかったのか、その点の「補完」もしてくれるんだよなあ。そう思うと、今まさにドキドキバクバクと高鳴っているこの胸の鼓動を、どうにも抑えることは出来ない。安彦さんはまさしく「“そこ”に至るまでの『歴史』は、『人間』が紡いで来たのだ」という事実を描こうとしているのだ。納得納得。このアレンジの仕方こそが、他の凡百の「外伝」に比べて『オリジン』をものすごく「正しいもの」にしている要素なのである。
 これまでやたらと作られてきた、外伝や年表の類を、安彦さんは「よく出来ているように見えるけれど、あれには社会も歴史もない。いついつムサイ級が出来たとかばっかりで非常につまらない」と切って捨てている。ああ、『Z』以降のガンダムシリーズの展開に私が乗れなかったのは、これが理由だったんだなあ、とようやく気づいた。それなりにその時々のキャラクターたちのドラマを描いているように見えながらも、あるいはオフィシャルとして認められながらも、それは結局「年表」に並行しただけの出来事の羅列に過ぎなかったのである(もちろん綿密な考証を行いながらの年表作りそのものを否定はしないが、やはりドラマとして消化しきれちゃいないのだ)。それじゃあどうにも「萌え」は可能でも「燃え」ることはできませんがね。
 もちろん、安彦さんが描いたからと言って、『シャア・セイラ編』が“歴史的な人間ドラマ”となり得るかどうか、絶対の保証はない。けれど、失敗すれば『SEED』になってしまう危険も覚悟の上で安彦さんはその難題に取り組もうとしているのだ。期待してもよいのではないか。
 ……それはそうと、安彦さん、早くミハル出してよ(T.T)。

 久しぶりにトニーたけざきの『ガンダム漫画』も復活したけど、『公式ガイドブック』と同時収録、というのはどういうことなんですかね。

2003年08月27日(水) つらいことばかりでもないと思うけど/『江戸川乱歩全集第10巻 大暗室』(江戸川乱歩)/『人生とはなんだ 旅と恋編』(藤臣柊子)
2001年08月27日(月) ノンマルトの後裔/映画『ウルトラマンコスモス ファーストコンタクト』ほか
2000年08月27日(日) 自動車とはケンカしないように


2004年08月26日(木) 確かに人間、みんな「夢」は見てるけどね。

 幾分涼しくはなっているものの、やや夏バテ。食欲はないが、喉は乾く。水腹だと気分が悪くなるので、結局何やかやと食べる。ちょっと体重がまた増えかけているのでヤバイのである。また検査が近いのになあ。
 しげ、また鬱期に入り、仕事を休む。朝方は仕事に行くようなことを言っていたのに、夕方になって、急に鬱がぶり返してきたらしい。薬は飲んでたはずなんだが、あまり効いてないみたいだ。「仕事をやめる」とまでは言い出してないから、とりあえずそうひどくはないんだろうが、休んだら休んだでまた行きにくくなりゃしないかと、そこがちょっと心配である。
 しかし、今のしげの職場、バイトをちょっとムダにこき使い過ぎという感じではあったから、時々休まないとやってらんねえ、というのは正直言って事実なのだ。もともと芝居の費用くらい自分で賄え、ということで始めた仕事だから、別にがむしゃらになって働かなくとも、月に数万円稼ぐ程度で充分なのである。つか、実際しげはそれくらいの給料しか貰ってないんだけど、勤務時間の数時間前には出勤して準備しなきゃならんわ、残業は毎日数時間が当たり前でやっぱり手弁当だわで、労働基準法なんてハナから無視、忙しくてたまにそういう日があるってんならともかく、それが常習化してるんでは、私だって辞めたくなるというものだ。体力が続くのも若いうちなんだから、どこかでセーブしてかないと、夫婦揃って入院なんて事態にもなりかねない。ともかく人手が足りないのを何とかしなきゃならないのはしげの職場の方の責任である。いい加減、しげが「もうムリするのはイヤだ」という気分になるのも仕方がない面はある。
 もちろんスッパリ仕事を辞めてしまっても構わないのだが、じゃあそれでしげが家の中の仕事をキチンとするかというと、全くしない。たまにしても食えねえ料理と汚れの落ちてない洗濯の毎日じゃ、家にいるだけ邪魔だ。せめて自分の食い扶持くらい少しは稼げ、ということでやっぱり外で働いてくれてた方がなんぼかマシなので、まあ、今の仕事をいずれ辞めるにしても、週に3、4日くらいは近所の通いやすい場所でパートの仕事してもらわないと、かえって生活が崩壊してしまいかねない。食事は殆ど私にたかってんだから、ゴミの片付けくらいしてほしいもんなんだが。


 鬱と言えば、劇団の方でもハカセが鬱ってて、ホームページの日記など、メンバーの丁々発止でなかなかトンデモないことになっている(^_^;)。
 確かにハカセが鬱って練習に出て来ないおかげで、アノ仕事、コノ仕事といろいろ滞ってはいるのだが、彼女がなんだかよく分らないがハタから見てりゃどーでもいいことで行き詰まって鬱に逃げこむのはいつものことだし、それに振り回されて自分たちのほうがキリキリしてたら、逆にそれが自分のクビを絞める結果になりかねない。あの子にはヘンに絡まない方が、甘えられない分、自立できると思うんだけど、どうかね。
 ともかくハカセに限らず、女性の方々に言いたいのは、「誰かに依存する生き方はやめようよ」ということである。男にくっつきゃ、食いっぱぐれることはないし、人生何とかなるさあ、と思ってるかもしれないが、今の男の9割は逆に女に依存することしか考えちゃいない。「オレが守ってやるぜ」なんて言ってるヤツだって大半は口先だけだ。ヒモにまではならんとしても、浮気はする、カネは家に入れない、暴力は振るう、くらいはザラだ。「妻」をキープくらいにしか考えてないクソ野郎はゴマンといるのだ。自分だけがそんなだめんずには当たらない、と考えているのはそれこそ女の思いあがりである。いいか、バカ女にはバカ男しかくっついてこないものなのである。我が家を見よ(T∇T)。
 結婚したって損しかしないのに、なんで男に幻想を求めるかな。それよりまずは「働いて自立せい」である。未婚、少子化はもっと進んだ方がいい。でなきゃ、男のほうだって、いつまで経っても「女に甘えられる」という幻想を捨てられないのである。


 ここんとこ、この日記に、読んだ本の記録も書き忘れている。
 もともといつかこれらの本の感想もコンテンツに挙げますよ、というつもりで書いてたんだが、実質、そんな余裕はなくなっている。まあ予測できた事態ではあるけれど。でも、タイトル書くだけではやはり寂しいのだ。この日記のお客さんには、タイトルで検索かけて来てくれてる方も結構多いのだが(つか、それが殆ど)、開いてみたら書いてあるのがタイトルだけでは、申し訳ないこと甚だしい。ヒトコトフタコトでも感想書いとけば、とも思うのだが、それやりだすとキリがなくなることはもう今までの経験で学習ずみなのである。全く、どうすりゃいいんだか、という心境なのだが、根本的な解決手段はないのだよなあ。
 こうなると、タイトルをはっきり明記しない、という手段もアリかな、という気がしてくる。例えば今日はDVDで『鋼のなんたら』の8巻と、『ウルトラなんたらのダークなんたら』の第1巻を見たのだが、これだけでも分かる人には何のことか分かりはするからね。でもこれも見ていてなんかイライラしそうな文章になりそうである。いい方法があったら、ご教授頂きたい。


 撮影が押してる、というウワサの『ゴジラ FINAL WARS』であるが、新たに「USゴジラ」の参戦が発表されたとか(「Zilla」って名前になるんだと)。
 たしか富山プロデューサーは、以前の記者会見で、登場怪獣は既発表の11体のみ、これ以上出すと予算が足りなくなるから抑える、とか言ってたが、撮影もかなり進んだ段階でこういう改変を行ったということは、やっぱり「コマが弱い」と感じたのかもしれないな。カマキラスやクモンガが復活しても、どれだけのファンが喜ぶのか、ちょっと疑問だし。……まあ、世の中にはキング・シーサーのファンもいるから(北村監督がそうだってねえ)、ある一定の数のファンはきっといるんだろうけれどもね。
 「Godzilla」が「ゴジラ」に倒される、となれば、「USゴジラ」に憤った立場からすれば(「映画としてはいい出来」なんて評価はクソ食らえである)ちょっとばかし溜飲が下がる思いはするが、いかにもテコ入れ然とした導入の仕方が気になりはするのである。フォルム的に他怪獣と世界観を共有していない点もどうかな、と思う。
 でもこれで「USゴジラはゴジラではない」ことが明確に打ち出されたことになる(GMKでも少し言ってたけどね)。これは実に嬉しい。もしかしてゴジラのミュータント、という説明でもくっつけるかもしれないが、ビオランテもスペースゴジラもゴジラ本人ではないのだから、USゴジラは絶対にゴジラではないのである。
 ……でもどうせ出すならやっぱりギドラじゃないかと思うけど、これもGMKのときのテイタラクを見ていると、もうムリかなあという気がしてくるので、出さない方が無難かも。操演できるスタッフがもういないんだろうなあ。
 でも、あえてギドラを出さなかったということは、来年から「モスラ×キングギドラ」シリーズ再開! とか富山さんが言い出すんじゃないかという気がして、そっちのほうがどうにも不安なのである。いや、まさか『ヤマト……』……!?

2003年08月26日(火) サヨナラの季節/『のだめカンタービレ』3~6巻(二ノ宮知子)/『ホントの話』(呉智英)
2001年08月26日(日) アノ娘にもツバがついていたのね/DVD『2001年宇宙の旅 スペシャルエディションBOX』
2000年08月26日(土) 森の木陰でドンジャラ補遺/『金髪の草原』(大島弓子)


2004年08月25日(水) 美人プラス1

 まる一日出張。と言っても、仕事と言うか、業務研修である。規模だけなら超大企業だから、もうワラワラとあっちこっちの支店から社員が集まってくるわけだが、中には以前、同僚であった人との再会なんかもあったりする。

 朝方しげに車で竹下駅まで送ってもらって、それから電車に乗りこむ。
 電車の中で、ちょっと居眠りこきかけていたら、細身の美人さんがスッと近寄ってきて、「○○さん(私の本名)ですか?」と声をかけてきた。2年ほど前、ウチの職場に出向してたことのあるUさんである。今日もまた別の支社に出向とか。立場がまだ不安定なようで大変である。
 Uさん、何と言うか、鄙にも稀なる美人さんでいらっしゃるのだが、以前はメガネをかけていらして、髪はひっつめ、いささかケンのある雰囲気であった。それが、今日はコンタクトにされているのだろうか、素顔で髪もゆったりと流していて、こちらがちょっとドキッとするくらいに美しい。なんだか真正面からお顔を見るのが憚られるほどである。……これって「萌え」ですか?(^_^;)
 メガネを外すと美人というのはマンガみたいだけど、あれ、度がキツイメガネかけてる人だとホントにそうなることあるのね。眼の大きさがガラリと変わっちゃうのである。以前から、物腰がやわらかく、言葉も今時の若い人には珍しいくらいに丁寧で、なんかちょっと『らんま1/2』のかすみお姉さんと喋っているような感じであったのだが、今もその雰囲気は変わってはいなかった。……いや、一日出張でちとばかし草臥れそうだと憂鬱であったのだが、なんか出掛けに元気の出る出会いがあったことである。

 出張の内容が「研修」であるから、当然、一日一室に閉じ込められるわけであるが、部屋に入って時間待ちをしていたら、ちょっと目立つ感じの美人さんがスッと私の側に寄って来て、「○○さんですか?」と声をかけてきたので、ビックリした。……似たようなことが続くものである。
 その女性、もう6年くらい昔に、一緒に仕事をしていたKさんで、そのころも若くて美人さんであったのだが、お久しぶりでお会いしてみると、なんかもうモノ凄く「磨き」がかかっているのである。確かしげより一つくらい年下だったはずだから、まだ20代、ご結婚は数年前にされていたとハガキを頂いていたから、多分幸せ真っ盛りの新婚さんであろう。にっこり微笑んだ口元のホクロがかわいらしく、こりゃ同じ職場の男どもにはなかなか目の毒であろう、という風情である。同僚であった時もまあまあ私と気が合って、仕事も楽しかったのであるが、6年経っても私のことを忘れずにいてくれていたとは感激であった。……なのに、実を言うと私の方ではKさんの旧姓、とっさに思い出せなかったのだった。ダメじゃん(~_~;)。こういう女性に対する記憶力がない人間って、得てしてモテないので、世の独身男性諸君はこの点、充分注意するように(でも、記憶力がありすぎる人間もまたモテないので、バランスが難しいのよ)。
 いやまあ、仲がよかったとは言っても、Kさん、同僚時代からストレートにモノを言う方だったから、「私、○○さんとだけは絶対結婚しません」とか言われてたんだが。するもしないも、私、その時点で既婚者だったんだけどねえ(~_~;)。こうもハキハキしているといっそ清々しいくらいで、今思い返せば、あれだけ何の屈託もなく会話ができて仕事のしやすかったことは後にも先にもなく、私としては実にありがたい方であった。今のトンガリさんと取り替えたいよ、ホントに(T∇T)。
 もっともそのころは、もう一人同僚でKさんと犬猿の仲の方がいて(♂)、この二人の間に挟まれて仲裁もしなきゃならなかったので、決して全てが順風満帆だったわけではなかった。そのもう一人の人は数年後にとんでもない不祥事を起こして今は依願退職している。そのことを伝えるべきかどうか迷ったが、もうどこかで風のウワサに聞き及んでいるかもしれないし、ことさらイヤな名前を思い出させて不快な思いをさせてしまうのも悪いので、研修の合間は楽しい思い出話だけに終始した。
 Kさんは倉知淳の『猫丸先輩』シリーズのファンであったのだが(てゆ~か、私が『日曜の夜は出たくない』を貸してファンにした)、偶然にも今日、シリーズ第二作の『幻獣遁走曲』を私は持参していた。これもまた偶然なのであるが、これ、てっきりなくしたと思いこんでもう1冊買い、あとで最初の1冊が見つかって、2冊所有していたのである。「よろしければ差し上げましょうか?」と言ってお渡しすると、凄く喜んでいただけた。「(この作者のファンだったことを)よく覚えていらっしゃいましたね」と言われたが、そういう「出来事」は覚えていても、固有名詞とかはしょっちゅう忘れているので、口には出せなんだが内心ではかなり恐縮していたのである。


 なんだか今日一日で「美人責め」にばかり合っているようだが(他にも2、3人、旧知の美人さんから声をかけられたのである。……なんか、美人の知り合いって多かったんだな、私)、残念ながら、楽しい出会いばかりがあったわけではなかった。
 席に座っていると、後ろの方で、昔どこかで聞いたことのあるような声が聞こえてくる。独り言をブツブツ言っているのだが、振り返って確認するまでもなく誰かはすぐに分かった。以前、日記にも書いたことのあるホモでオタクなストーカー氏である。クビにもならずにまだ職を続けていたのか! とちょっと驚きであった。まさか私がこの研修に参加すると知って追いかけてきたわけでもあるまいが、何も私のすぐ背後に陣取る必要もなかろうに、ワザとその存在をアピールするあたり、「意図」は見え見えなのである。
 その時は完全に無視をしたが、あとでチラッとその風貌を見たら、なんだか凄いことになっていた。だらしなく太って弛んだスタイル、髪は薄くザンバラで、顔色は蒼白で皮膚も鶏皮のように荒れているところにもって来て、目の下に何重ものクマができている。目つきは頗る悪く、一目見て「コイツ逝ってるな」というのが分かる雰囲気なのだ。……いや、ホントにどうしてコレが病院に入ってないのか。衆人監視のもとだから、別に私に何かすることもできはしないのだが、帰りは後を付けられていないかどうか、気になって仕方がなかった。……これでまた、なんか誹謗中傷のハガキとか送りまくるのかなあ、この人。誰もアンタの中傷なんか相手にしてないから、ハガキ代がムダなだけだってのにねえ。


 夕方、鴉丸嬢としげと博多駅で待ち合せ。ホントは映画『誰も知らない』を見る予定だったのだが、30分前で既に満席。客はみんなうら若き女性たちである。……カンヌ効果っていうより、これ絶対、柳樂くん効果だよなあ。そんなに美少年が好きか。
 来て何もせずに帰るのも何なので、紀伊國屋で時間を潰す。歩き回って、すっかり草臥れて帰宅。公演のチラシ案をよしひと嬢に送るが、転送がうまく行かず悪戦苦闘する。……なんかいろいろと疲れることの多い一日でありました。


 先週公開の『NARUTO<ナルト>大活劇!雪姫忍法帖だってばよ!!』が好スタート、公開2日間の成績が、およそ32万6000人の動員、興収では約3億5000万円と、ゴールデンウィークの『名探偵コナン』と比べても87%という快調さで、このままの勢いなら、興収15億円以上も確実とか。
 あいたた、これがそこまでヒットするとは思いもよらなんだ。できるだけ劇場アニメは見に行こうと思ってはいたんだけど、さすがにジャンプ系はノーチェックだった。ある程度トシの行ったオタクにとっては、この夏のイチオシアニメは『スチームボーイ』ってことになるんだろうけれど、本当の意味でのヒット作品は、『ポケモン』『ナルト』『ガッシュ』の3本なのだよなあ。これだけのヒットとなると、子供や腐女子向けだから普通のアニメオタクには関係ないなんてことは言ってられない。つか、今やそれがマットウなアニメファンということになってるのだ、世間では。
 初日には徹夜組も出たと言うから、確実に中高生、大学生あたりまで、『ナルト』や『ガッシュ』のファンは浸透している。かつての『ヤマト』『ガンダム』のブームを支えていたのがこの世代だったことを考えると、世代の格差とかいう言い訳は通用しない。明らかにアニメオタクの主流はこれらの作品に流れているのだ。本当にアニメーションというジャンルそのものを愛しているなら、いいトシしたオトナであろうと、やっぱこれらの作品は見に行かなくちゃならんだろう。「見たい気が起こらない」のなら、もうアニメオタクだとか名乗っちゃいかんね。……そう考えて行くと、「見たい気」だけはある私は、やっぱりアニメオタクなんだなあ。カネが続かねえから現実にはムリなんだが。
 『ナルト』の監督、ずっと気付いてなかったけど、岡村天斎さんであった。それなら子供たちの中にオヤジが混じってても言い訳は立つな。……って行く気マンマンじゃん。でもしげはやっぱり興味持ってくれないんだろうなあ(+_;)。


 さて、またまた来ましたヘンなメール。
 差出人はsato_natsukoさん。
「初めまして。浮気相手を探している主婦です。」だそうな。

〉いきなりのメール失礼致します。
〉どうも初めまして。奈津子といいます。
〉結婚して4年、目下26歳です。
〉受付やってたんですが、何故か26歳年上の社長に目をつけられて
〉結婚しました。でも、えーとですね、主人の年齢が年齢なので
〉私、セックス面でとても満たされない日々を送っています。。
〉もとから人並み以上にエッチが好きってのもあるんですけど、
〉いますっごくしたくてしょうがないんです。。
〉どうしても我慢ができなくて、ネットで相手を探していたところ、
〉近い場所に住んでるらしい貴方を見つけて
〉こうしてメールしている次第です。
〉主婦という立場上、秘密厳守での関係を持ちたいと思っているのですが、
〉そちらとしては何か希望する条件はありますか?
〉私、仕事はしてないんですが、お金とか全然平気です。
〉絶対にお互いの生活には立ち入らない約束を守れる人メールください

 本文の一部をGoogle検索かけてみたら、391件、ヒットした。名前は必ずしも奈津子さんじゃなくて、美紀さんになってたり千夏さんだったり多恵子さんだったりなぎささんだったりするようだけれど、文面は同じ。受け取った人も、全国各地にお住まいのようで、どうやらこの奈津子(代表)さんは北海道にいても九州を「近所」と言えるくらい、足が長い人らしい。正体はダイダラボッチだな。とてもじゃないけど、奈津子さんにご満足いただけるようなモノは持ってないので、お相手はご勘弁願いたいところである。
 ここまでロコツだと、受け取った人もすぐにインチキだとわかるようで、返信したらどうなった、というところまで書いてる人はいない。その点、前回の「名前も件名もないメールが来ましたが、一応返信します」というやつに比べると「芸」がない。今回の詐欺メール、いささか効率が悪かったんじゃなかろうか。
 ……しかしねえ、こんなにウソがヘタだとねえ、なんかもっと信憑性のある、マシな文章が書けんのか、という気がしてくるんだよねえ。もちっと設定考えろよって言いたくなるような。もっとも、不特定多数に出すわけだから、どうしても不自然さが出るのは仕方がない。「相手の名前が呼べない」というのがこの手のメールの一番のネックだもんね。さらに、女性にまでこういうのを送っちゃってるから、もう「バレいでか」ってなもんなんだが、よくもまあ、これだけ堂々とばら撒けるもんだとある意味感心はする。だいたい「セックス」をキーワードにすれば騙されて引っかかるやつがいるだろう、と考えているっていうのが、心底人間というものをバカにしているのである。違法サイトにアクセスさせるのが目的だから、たとえ詐欺かもしれないと考えながらもやっぱり興味を引かれてしまうくらいスケベなヤツを想定して送ってんだろうけどねえ。実際、もしもこんなのに引っかかるやつがいたら、そいつはモノホンの変態だと思う。ま、一万人に一人くらいの割合でもいれば成り立つ商売だろうから、それくらいの割合でならいるんだろうね、変態。
 ……変態発見機としては役に立つか、こういうメールも。いっぺんそんなの作って、送ってみようか……って、もしかしたら私と同じこと考えたヤツがいて、イタズラで送られてきてんじゃあるまいな、これ!?

 ともあれ、今日は最後まで「女性」に縁のある日でありました。いい日なのか、コレ。

2003年08月25日(月) 世代の違いってことじゃないと思うけど/『ASTRO BOY 鉄腕アトム』1巻(手塚治虫原作・姫川明)
2001年08月25日(土) 夢は宇宙/『なつのロケット』(あさりよしとお)ほか
2000年08月25日(金) 唐沢本の感想書けなかったけど面白いぞ/『垂里冴子のお見合いと推理』(山口雅也)ほか


2004年08月24日(火) 江角英明さん追悼

 気温が急に下がった感じで、随分過ごしやすくなった。
 外に出ると、昨日まではアブラゼミしか鳴いてなかったのが、旧にツクツクボーシの大合唱である。季節の切れ目がこんなにハッキリしてるのも珍しいな。もちろん明日以降も涼しくなってくれるんならもう秋だって言えるんだろうけれども。
 でも仕事中、少し目眩がした。昨日までの疲れが充分に取れていないのである。だもんで、今日も日記は短めに書くが、このくらいが読みやすくてちょうどよくないかな。

 このまま永遠に来なけりゃいいと思ってたトンガリさん、しっかり復活。
 でも相変わらず、誰が挨拶をしても無視して堂々と歩いている。てゆーか、復活してもやたら持ち場を離れてて仕事してる様子ないんだけど、「どうにかする」って言ってた上司、どうにかしてるんですか。

 帰宅してみると、今日は仕事が早いと言ってたしげ、まだ家にいる。ノタクラ家で寝てたんなら、迎えに来てくれりゃいいのに。そんなしげにも、私はちゃんと晩飯でスパゲティを作ってやるのである。さらには一緒に出かけて買い物までして、ジュースだの何だのおごってやるのである。なんか少しぐらいは私に返すモノはないのか。「愛」とか形のないモノはイラナイから。
 結局しげが仕事に出かけたのは9時過ぎ。みんなさあ、なんかホントにグータラできていいよなあ。


 野村総研が「オタク」市場の規模は2600億円に上る、と推計出したそうだ。
 その、各分野に占める「オタク」の規模を算出してみると、さらにこういう結果が出たとか。

 分野   人口    年間消費額  その市場全体に対するシェア
 アニメ  20万人   10万円  13%(200億円)
 アイドル 80万人  7.5万円   2%(600億円)
 コミック 100万人  10万円  16%(1000億円)
 ゲーム  80万人  約10万円  約5%(780億円)

 アニメが一番低いってのがちょっと意外。全国に20万人くらいしかアニメオタクはいないって、そんなもんなのか? 映画オタクとかミリタリーオタクとか、他にも「オタク」と名のつくものはあるけれど、なぜそのあたりを算出しなかったのかね。それに確かに「アイドルオタク」というコトバはありはするけれど、そいつら、大してオタク度は高くないと思うけどねえ。「モー娘。だけのファン」とか、そんなのまで「オタク」と呼んでもいいものなのかな?
 いや、そもそも「年間10万円程度しかおカネを使ってない」連中は「オタク」なのか? 月に1万円以下しかおカネ使ってないってことは、DVDを月に一本くらいしか買ってないってことである。マンガを何冊か買って、映画を2、3本見たら、それだけで数万円はかかりそうなもんだけど。
 こんなのはどれも「普通のアニメファン」とか「普通のマンガファン」のレベルでしかない。だったらそのシェアは「この程度ですむはずがない」と思うんだけどねえ。『千と千尋の神隠し』や『猫の恩返し』を見に行ったやつだけで、何千万って数がいるんだからさ。


 俳優の江角英明(えすみ・えいめい)さんが22日、胃がんのため死去。享年68。
 江角さんに関しても、語り出したらキリがない。私より少し前の世代の人なら、日活の脇役、悪役としての江角さんが一番印象的なのだろうが、私にとっては何と言っても「最初に出会った名探偵明智小五郎」である。『わんぱく探偵団』での怪人二十面相の若山弦蔵との丁々発止、こんなゾクゾクする配役をリアルタイムで見られていたのだから、自分の物心がついたのが昭和40年代であったことに感謝したい。残念ながら『わんぱく探偵団』はビデオで市販されたことが一度あるきりで(しかも一本のみ)、LDにもDVDにもなっていない。博捜してその一本を入手し、これもそのうちコメントをまとめようと思っていたのだが、江角さんの訃報で書くのが辛くなってしまった。
 「声優」としての江角さんの代表作、あとは誰しもが『ルパン三世』のパイカルを挙げるだろう。脚本の大和屋竺の「引き」で配役された、不気味さとニヒルさが同時に漂ってくるような淡々とした喋りで、これぞ唯一無二のパイカル、と言っていいほどのハマリ役であったが、今思えばこれも山田康雄対江角英明というトンデモなく贅沢で魅力的な対決モノだったわけである。近年の続編、『生きていた魔術師』でパイカルの声が野沢那智に変更になってしまったことは、野沢さんには悪いが、腹立たしくてたまらなかった。
 役者の本領は舞台である(映画向きの役者、声優向きの役者がいることは分かるが、基本はそうなのだ)。映画、ドラマ出演も多いが、江角さんはマイム、狂言、バレエと、「舞台のため」の修練も怠らなかった。と言うより、晩年の江角さんの活躍の場は主に舞台に拠っていたと言っていい(屯田署長もあるけどさあ)。
 江角さんに限ったことではないが、役者が亡くなった時に、その人の舞台での活躍に触れないで追悼を述べたものは画竜点睛を欠くと言うか、殆ど無価値と言っていいくらい、肝心な部分を欠落させているのである。私も江角さんが『午後の遺言状』や『12人の怒れる男』などの舞台で活躍していたことは知っていたので、機会があれば見たいと思っていたのだが、その機会は永遠に失われてしまった。もう書きたくても書けない。
 でもどうせ、江角さんの追悼はしても、そこで舞台にまで触れてくれる文章は、プロの評論家の中でも殆どなかろうと思うのである。なぜなら、「映画評論家」という人たちは殆どと言っていいくらい「舞台」を見ないからだ。「演劇評論家」が映画を見ないということはあり得ないのに、なぜ映画評論家たちは役者が本気で取り組んでいる「舞台」を見ようとしないのだろう。博多は田舎だから、東京に比べれば舞台公演も遥かに少なく、東京に住んでる人たちが羨ましくて仕方がない。その東京人の評論家が、驚くくらい舞台を見ていないことが、どれだけ悔しく感じられることか。天本英世さんが亡くなった時も、名古屋章さんが亡くなった時も、フザケルナと言いたくなるくらい、舞台での活躍に対する評価が語られなかった。確かに江角さんの場合も、映画での活躍の方がより目立っていたことは分らないでもないが、「映画評論家だから、映画のことについてだけ語ればいいや」なんて考えているとしたら、その了見は大間違いである。例えばもし、森光子が亡くなったとしたら、彼女を『映画女優』や『川の流れのように』だけで評価できると誰が思うだろうか。
 プロならなあ、もちっと舞台にも目を向けろよ、と言いたくなるのだが、どうせ今回も江角さんの舞台に触れた追悼は少ないのだろうと予測がつくだけに、やり切れない思いはますます募ってしまうのである。
 せめてその活躍の断片なりとも、知りたいのだが、期待できるのは舞台関係者のコメントだけである。誰か書いてくれないかなあ。

2003年08月24日(日) キッチュと言うか、トンデモなのかも/『爆龍戦隊アバレンジャー』第26話/DVD『キノの旅』2・3巻ほか
2001年08月24日(金) 祝! 退院!/映画『RED SHADOW 赤影』
2000年08月24日(木) たまには一人で映画を見る日もあるさ/映画『怪異談・生きてゐる小平次』ほか


2004年08月23日(月) 第10回広島国際アニメーションフェスティバルグランプリ……『頭山』!

 前々からこの日だけは、と有休を取って、第10回広島国際アニメーションフェスティバル最終日に行く。本当は全日行きたかったけど、そうすると仕事を三日も休まなきゃならなくなる。トンガリさんじゃあるまいし、さすがにそこまではできない。それに五日間アニメ見続けって、40の坂越えるともう体力が続きませんて。

 この日記、エンピツの「アニメ/漫画」の項目に登録してはいるものの、あまりその手の話題が少ないので、今日はちょっとだけ汚名返上である。けれど、じゃあ他の日記でヒロシマ2004のこと扱ってるかっていうと、一昨年の第9回も殆ど見かけなかったのだな。毎回大盛況のイベントだというのに、一般的なアニメオタクの関心はまだまだ薄いのである。
 今年なんかな~、10回記念大会で、名誉委員長があのリチャード・ウィリアムズなんだぞ! ウィリアムズさんが、目の前でアニメの作り方について質疑応答に答えてくれるのだ! これで小躍りしないアニメファンって、何なんだろうって思っちゃうよ、マジで。
 リチャード・ウィリアムズと聞いて、ピンと来ない人には、『ロジャー・ラビット』のアニメーション監督さんだ、と言えば通りがいいだろうか。私が最初に知ったのは、『ピンク・パンサー2』のオープニング・アニメーション監督としてである。『2』と『3』だけしかウィリアムズ氏は担当していないのだが、なにしろ、ピンク・パンサーの生みの親であるフリッツ・フレリングよりも“上手く”動かせたのだから、その実力のほどは超一級と言っていい。『OO7/カジノロワイヤル』『何かいいことないか子猫ちゃん』のオープニングもウィリアムズ氏。ピーター・セラーズ出演の作品やらブレイク・エドワーズの映画を見に行ったら必ずこの人の名前がクレジットに出るので、それで覚えてしまったのである。未見の方はどれか一本でも御覧いただきたい。「アニメーション」とはこういうものを言うのだとご納得いただけよう。

 今日はしげを置いての単独行。当然さみしがって朝方グズグズ言うのだが、付いて来ても楽しいデートにはならないので(コミケにノンケの彼女を連れて行くがごとし)、しげは今日は引きこもりである。黙って勝手に行っちゃうのも何なので、朝は一応起こして、博多駅まで車で送らせる。
 新幹線で広島まではわずか1時間10分。20年前に行った時は2時間以上軽くかかってた気がするが、新幹線も速くなったもんだ。広島に着いたら外は大雨。会場のアステールプラザへは、バスで行くつもりだっちょっとした距離もあったので、タクシーで行くことにする。
 大ホール、中ホール、小ホールと分かれて、同時刻にイベントが行われているので、どれか一つに絞らなきゃならない。結局、私のたどったコースは以下の通り。

 9:15 大ホール 長編アニメ『ベルヴィル・ランデブー』(監督シルヴァン・ショメ)
 ↓
 11:30 中ホール ジョン・ハラス&ジョイ・バチェラー回顧特集
 ↓
 14:15 中ホール 第10回大会記念シンポジウム
 テーマ「長編作品制作の心得」
 パネラー 高畑勲、ジミー・T・ムラカミ、マルセル・ヤンコヴィッチ、ネルソン・シン
 ↓
 18:00 大ホール 表彰式、閉会式、受賞作品上映

 それぞれのイベントについて、いちいち感想を書いてたら、また徹夜することになりかねないので省略。どれも「すっげえおもしろかった」でカンベンして下さい。
 何が一番楽しかったかって、高畑勲氏が「長編アニメの制作がどうこうより、スクリプトのしっかりした短編アニメがもっと作られるべきです!」とコンペのテーマを無視して引っ掻き回してワヤクチャにしてたのが一番笑えた。いや、マジメだからそうなったんだけどね。

 閉会式、座る場所を間違えて、ディレクター席に座ってしまう。目が悪くて看板が見えなかったせいで、ワザとじゃない。気がついたら周りが外人さんばかりだったので、ようやくおかしいと気付いた。式の合間に立って移動したけど、なんか心臓がバクバクしました(^_^;)。怪我の功名で、ちゃっかり山村浩二さんにサインもらっちゃったけど。

 審査結果は以下の通り。今んとこ、一番早いネット情報かな。
◎ グランプリ 『頭山』“Mt. Head”  監督 山村浩二(日本)※
◎ ヒロシマ賞 『ルイーズ』“Louise” 監督 アニタ・ルボー(カナダ)※
◎ デビュー賞 『鬼』“The Demon”  監督 細川 晋(日本)※
◎ 木下蓮三賞 『ライアン』“Ryan”  監督 クリス・サンドレ(カナダ)※
◎ 観客賞   『サウス・オブ・ザ・ノース』“South of the North” 監督 アンドレイ・ソコロフ(ロシア)※
◎ 国際審査員特別賞
『ノーティス』※、『ロム・サンズ・オンブル』、『ストーミー・ナイト』※、『ループ・プール』※、『ノー・リミッツ』※、『フィッシュ・ネバー・スリープ』
◎ 優秀賞
『ティクハヤ・イストリア』、『ニブルス』、『ザ・トラムNO.9・ゴーズ・オン』※、『インスティンクト』、『ピコール』※、『ガード・ドッグ』、『プロ・ラコフ』
※ 閉会式で上映された作品

 「また『頭山』?」と思った方もいらっしゃるだろうけれど、決して日本人作家への身贔屓ではないことは、実際に本作を御覧になっている方にはご首肯いただけよう。だいたい今回の審査委員に日本人はいないし。こうなるとアカデミー賞“だけ”が受賞させなかったことの方が、あの賞の胡散臭さを逆に浮かびあがらせる結果になっているのである。
 閉会式では、フェスティバルディレクターの木下小夜子さんも表彰されて、夫の故・木下蓮三氏の遺作を引き継いで完成させた『琉球王国』も上映。メッセージ性が強すぎるのはホントは好みではないのだが、「沖縄の悲劇」は現在も続いているので、語り過ぎということはないと思う。
 木下さん、コメントで、「広島市長さんがフェスティバルの意図を評価してくれたのが何より嬉しい。つまり今後も開催し続けるのだと解釈しました!」と語っていたのが、印象的。日本人はなかなか気付いてくれないけど、この大会、ASIFA(国際アニメーションフィルム協会)の主催になる、アヌシー、ザグレブと並んで権威のある大会なのだ。にも関わらず継続がいつも危ぶまれてるってのが、この国のアニメに対する認知度の低さを表しているのである。
 再来年、きっとまた開かれると思うので、本気でアニメを愛してる方々は、ぜひご来場下さいませ。世界各国のアートでエンタテインメントなアニメーションの豊穣さに心打たれることと思います。

 帰りの新幹線の中で読んだ本、リチャード・ウィリアムズ『アニメーターズサバイバルキット』、ご本人のサイン付き。感涙(T∇T)。

2003年08月23日(土) 恋から自由であるということ/映画『呪怨2』
2001年08月23日(木) What is Okyuto?/『新暗行御史』(尹仁完・梁恵一)ほか
2000年08月23日(水) 若いって、イタいことなのよん/『エノケンと呼ばれた男』(井崎博之)ほか


2004年08月22日(日) どんなふうにイジったかはヒ・ミ・ツ♪

 今日はなんとか布団で寝たような気がする。気がするだけかよ。
 朝の特撮、アニメを漫然と見て、日記書きなど。疲れて寝ると、どうしても日記を書くのが翌日になってしまうのだが、平日はこうは行かない。やはりその日のうちに書いておくのが吉なのである。分量は少なくなるけれども、翌日に持ち越したら、記憶がすっ飛んで、思い出すのにひと苦労するもんね。
 練習は昼からなので、朝のうちにDVDや本など。『ピンク・パンサーX(トレイル・オブ・ピンク・パンサー)』を見て、ようやくこのボックスは全巻見終わった。いや、全部これまでに見ちゃいるんだけど、年月が経つと、やっぱり内容忘れるしね。でもシリーズ中、一番好きなのが『暗闇でドッキリ』であることに変わりはない。


 今日の練習の参加者、桜雅嬢、カトウ君、鴉丸嬢、下村嬢、其ノ他君、細川嬢、しげ、それに今回初参加の金子嬢、中野嬢。内容は主に黒子ダンスの振り付け。
 下村嬢が合間を見つけてはカトウ君をイジるので、女性にカラキシ弱いカトウ君は、終始タジタジであった。
 役者はみんな大分セリフが入って来ていて、アドリブを考える余裕も生まれつつある。カトウ君が、「サンダーバード」をネタにギャグを言おうとしたのだが、世代的に全く見たことがないので(最近再放送してたんだけどなあ)、うまいセリフが思いつかない。
 「『サンダーバード』の名ゼリフってどんなのがありますか?」
 と聞かれたので、「そりゃ、『サンダーバード・アー・ゴー』って言われて、ホラ、返事をする……」と言いかけて、ハタと詰まった。あの隊員たちの返事の掛け声、「F.A.B.」がアタマの中からスカッと消えて、出て来ないのだ。先に「M.I.B.」が思い浮かんじゃったもんだから、どうしようもない。
 「うーん、ど忘れして思い出せない。あとで日記に書いとくよ」と約束したので、今ここに書く。しかし年々記憶力が減退してきてるんで、ちょっと落ち込み気味なのである。


 練習後、鴉丸嬢と其ノ他君を送って、途中、「牛角」で食事。其ノ他君がナベならぬアミ奉行になってくれたおかげで、しげと一緒の時より随分楽に食事ができた。
 帰宅して、睡眠薬を飲んだとげ、ラリって本の山に蹴躓いき、大雪崩れを起こす。床は散乱した本で埋め尽くされ、私の寝るところがなくなってしまった。
 ええいくそ、明日は朝も早よから広島まで行かにゃならんと言うのに。……というわけで部屋を慌てて片付けなきゃならないので、今日の日記はこの程度です。練習場ではもっともっと面白い話もあったのに、全部はとても書けません。悪しからず。

 読んだ本、マンガ、魔夜峰央『パタリロ!』78巻。
 影崎由那『かりん』1巻。

2003年08月22日(金) 病院尽くし/『炎の転校生』1巻(島本和彦)
2001年08月22日(水) オタクの花道/同人誌『オトナ帝国の興亡』ほか
2000年08月22日(火) とんこつラーメンは臭い/『ここだけのふたり!!』8巻(森下裕美)


2004年08月21日(土) キャナルシティの「ブルース・ブラザース・ショー」4……打ち止め。

 夕べはやっぱり椅子に座ったまま落ちたけど、とりあえず、朝なんとか目覚めることができたのでヨシ。『セーラームーン』と『ケロロ軍曹』は今週も面白かった。
 『ケロロ』は真夏の停電の話と、おばあちゃんの田舎に帰省の話で、原作をかなり変更。原作は『某ヤマト』のパロディになってたけど、アニメは『カリオストロの城』のパロになってた。まあ佐渡酒造のキャラ、そのまんま出すわけにゃいかんのかな。しかし、『カリ城』のカーチェイスを見事に再現したスタッフの実力、全くトンデモないよなあ。

 今日はまたまたまたの「ブルース・ブラザース・ショー」の日。
 しげの体調がよければ『誰も知らない』か『華氏911』を見に行く予定だったが、やっぱり起きれず。仕方なく、夕方まで待つことにする。その間、DVD『ピンク・パンサー3』『ピンク・パンサー4』『特典ディスク』を見る。
 特典ディスクはメイキング集。ピーター・セラーズのバイオグラフィ、映画デビュー以前のラジオ、テレビ時代の貴重な映像などが豊富。このころからグレアム・スターク(ピンク・パンサーシリーズではクルーゾーの部下のエルキュール刑事として登場)と組むこと多かったんだなあ。『モンティ・パイソン・ホーリー・グレイル』の「従者が馬の駆ける擬音を出す」ギャグ、最初にこの二人がやってたんだね。マイケル・ペイリンが「モンティ・パイソンのルーツはセラーズだ」と語っていたのは、『マジック・クリスチャン』でセラーズとパイソンズが組むことになったことを考え合わせると、お世辞だけではなさそうだ。
 ピーター・セラーズが急逝しなければ、『ピンク・パンサー5』は「ロマンス・オブ・ピンク・パンサー」というタイトルになる予定だったとか。見たかったなあ。


 夕方、寝過ごしたしげのでかいケツを叩いてキャナルシティへ。しげ、口を尖がらせて「もうオレはダメだ」とか唸っているが、何がどうダメなのか意味不明である。どうせダン・エイクロイドへの情熱がどうのこうの、ニセモノのブルース・ブラザースを許容すべきかどうかだの、どうでもいいことで悩んでいるのだろう。
 しげがひまつぶしに買って、車の中に置きっぱなしにしている『本当にあった愉快な話』に、好きな歌手の名前を自分のコドモに付けようとした主婦の話が載っていたので、ふと、「お前、息子ができたら『ダン』って付けるか?」と聞いてみたら、「絶対付けんよ!」と言う。
 「どうして?」
 「だって、語呂悪いやん」
 確かに我々の本名はちょっと変わった名字なので、字面的にも発音的にも、ダンにはうまく繋がらないのである。
 「じゃあ、オレたちの名字が『池田』だったら『ダン』って付けてもいいのか?」
 「何で子供を『ダン池田』にしなきゃならんの!」
 「でも、漢字にしても『弾』ならいいと思うけどなあ。『諸星弾』みたいで」
 「名前付けるなら『ダニエル』にするよ」
 「日本人の名前じゃないじゃん!」
 それどころか、下手に漢字を当てはめたりしたらまるで暴走族だ。堕尼依硫とか。人名幹事にもどれか引っかかりそうな気がする。
 「じゃあ、××××とか××××とか××××とか××××って名前にするよ」
 「……お前、自分の子供をグレさせるつもりか?」
 さすがに伏字の部分はちょっと書くのを憚られるのである。


 「ブルース・ブラザース・ショー」、今回はまた最初見た時のコンビ。フリはちょっと変わっていたけど、内容は同じなので、省略。
 しげは自分では比較的おとなしく拍手してたつもりらしいが、首はやっぱり張子人形みたいにカクカクと動いているのである。エルウッド役の人、やっぱり私には「YEAR!」とか声をかけてくれるが、しげには合図なし。「しげは夢は報われたら終わりなんだよ」とか言ってるけど、やっぱりちょっとコワくて敬遠されたんと違うかな。
 ……それが原因じゃないとは思うけど、髪の毛をタテに二つ、ポニーテールにするのはヘンだからやめたほうがいいと思うぞ。
 ショー自体は明日で終わりだが、練習があるので我々が見られるのは今日が最後。ああ、しんどかった。


 帰りに「ヤマダ電器」に寄って、携帯のメモリースティックを買う。撮影したカメの画像がいっぱいになったので、こっちに移動させるためである。「またカメ?」としげから言われそうだが、これでも一応、何枚か撮って、撮り損なったやつは消去してるので、まだひと月ちょっとで三十枚ほどしか撮ってはいないのであるが。一日一枚やん。
 帰宅して、キャナルシテイで買った「タートルバイタシェル カメ用保護クリーム」とやらをカメたちに試してみる。掴むと玄武の方は逃げ出そうとして口を開けて首を伸ばし、なんとか噛み付こうとするのだが、竜宮の方は首を引っ込めてじっとしている。こういうときでも二人の性格の違いが現れるのが面白い。水に戻すと、ぬたぬた塗られて気持ち悪いのか、バタぐるって泳ぐ。岩壁にカラダをこすりつけたりしているが、さて、これでなにか効果があるんだろうか。


 CSキッズステーションで『新世紀エヴァンゲリオン』一挙放送を見る。改訂版じゃなくてテレビ放送のまんまのやつを放送してるのね。
 合間にガイナックススタッフのインタビューもあったので、ついつい見入っちゃって、日記書く時間がなくなったのであった。ニュースもたいしたのなかったし(オリンピックも興味なし)、今日はまあ、こんなもんで。

2003年08月21日(木) ぼーくーは、ないちっち(^o^)/『BLACK JACK ザ・コンプリート・ダイジェスト』(中野晴行編)
2001年08月21日(火) 台風の日は病院で寝転んで/『偶然が残すもの 記憶鮮明Ⅱ』(日渡早紀)ほか
2000年08月21日(月) 一日経つと記憶が消える。……年か?/ドラマ『柳橋慕情』ほか


2004年08月20日(金) そんなに世間は病人に優しくない。

 今日もトンガリさんは欠勤だけど、もしかして長期休暇でも取ったのか?
 まあ、ゆっくり休んで、心を回復してくださるのなら、それに越したことはないのだが。
 仕事の合間に運動療法、ここんとこ忙しくてなかなか外に出る時間が取れないのだが、やっとこさ始めた途端に雨が降り出す。こういう間が悪いことが起こると連続することが多いので、何となく気分が落ちつかない。
 私とは逆に、帰り、職場に迎えに来たしげは、いつになく落ち付いていた。
 そう言えば、今日は通院の日だったが、申請が通って、今回から治療費が安くなる模様。これまで一回三千円とか薬も含めてもう数千円とか取られていたのだが、これで一回が500円くらいになるらしい。治療費が嵩んで通院しなくなる患者さんを引き止めるために、申請すれば結構通りやすくなっているということだけれど、だったら最初から安くしとけ、と言いたいような。3ヶ月くらい通院しないといけないみたいだけど。
 でも映画の割引は福岡市はやっぱりやってないみたいね。地下鉄の割引はあるけれど、バスはダメだとか。「どうして?」と聞いてみたら、「患者さんが手帳に写真を載せるのをいやがったんで載せないようにしたら、バス会社は『本人確認ができないから』って割引を断ったんだって」。……うーん、根拠はわかるんだけど、なんか釈然としないなあ。これも一種の差別だし。
 けどこれでちょっとだけ家計が楽になったかな。その分、別のことでおカネ使ったら意味ないんだけど。


 しげと映画に行こうかと話をしていたのだが、あまり乗り気ではない様子。明日、またまたまたキャナルシティのブルース・ブラザースショーを見に行って、そのあと仕事がある予定なので、今日はゆっくり休んでおきたいとのこと。だもんで、「牛角」で食事をして、博多駅で本とDVDを買っただけで帰る。
 シネ・リーブル博多駅で、福岡では10月公開の『いかレスラー』の前売券を買う。「おまけ」に「イカ臭い匂いのするウチワ」ってのが付いてきたんだけど、これが表面をこするとホントにいや~な匂いがする。こんなんもらって嬉しいファンっているのか。話のタネになりはするけどねえ。

 帰宅して、DVD『サムライチャンプルー』第1巻。
 福岡じゃ放映してないので、今回が初見。フウのキャラ、表情がよく動いていてヨシ。『カウボーイ・ビバップ』より絵がかなりコテコテになってるけど、文句ナシ、渡辺信一郎監督の快作だった。
 DVD『ピンク・パンサー・フィルムコレクション』の中から、『ピンクの豹』と『暗闇でドッキリ』、テレビ放映時の吹替えも収録されていて嬉しい。
 今回は前記2作のほか、『ピンクパンサー3』『ピンクパンサー4』『ピンク・パンサーX(トレイル・オブ・ピンク・パンサー)』の5作品のみの収録。残る4作品は権利関係がクリアーできなかったのかな?

 DVD見てたら、また椅子に座ったまま落ちる。だからこういう寝方はしたくないんだけど、殆ど予備期間もなく、一瞬で眠ってしまうので、どうしてもこうなってしまうのである。ウトウトがないのね。寝付きの悪いしげからは羨ましがられる特技ではあるが、腰は痛くなるのよ。 


 昨日は映画関係で気になるニュースがやたら多かったんだけど、今日は少ないなあ……と思ってたら、ドデカイのが一つ来た。と言ってもデカイと思うのは押井守ファンだけだろう(^_^;)。
 『イノセンス』の次回作は〈実写〉と公言していた押井守監督であったが、一転してアニメ映画として『立喰師列伝』が2005年に劇場公開とか。……多分、押井ファンの大半が「またなんでそう売れない企画を!」と嘆いたことであろう。いやさ、『イノセンス』だって、鈴木敏夫の宣伝効果がなけりゃ、絶対十億行ってない。まして『立喰師列伝』なんて、どこのどういう人種が見に行くっちゅうねん。いや、数名絶対見に行くやつらは知ってるが。だいたいオタクの中には、無名時代からファンだった作家とか監督が、ちょっと有名になったりすると、「もうぼくらの好きな誰それじゃなくなった」とか了見の狭いこと言い出すやつがいるんだが、押井守、まだ売れてねえだろう(T∇T)。世界的な監督とか巨匠とか言われちゃいるけど、実体は伴ってないぞ。『イノセンス』が国内じゃ実質ナンバーワンヒットなんだからなあ。しかも、押井さんのギャグものは売れた例がない。『御先祖様万々歳』なんか、ギャグアニメの金字塔だと思うのだが、これが売れてねえったら。昔から「萌え」要素のないアニメばっか作ってきたから(つか、アニメファンの「萌え」感覚が異常なんだが)、売れないのも仕方ないんだけど、オタクももういい加減で美少女とメカ以外のモノにも目を向けたらどうか。
 私なんて美少女キャラに萌えたのなんて、ヒルダとかローザ姫とかジュディオングが声アテした時のフランソワーズ・アルヌールとか、ヘレナとかクララとかクラリスとか吉沢京子(『ど根性ガエル』のね)とか牧村美樹とか松島みのりが声アテした時の弓さやかとか早乙女みちるとか相原マキとか南原ちづるとかミハル・ラトキエとか大山まゆとか三宅しのぶとか藤波竜之介とか七尾こずえとか女らんまとかアメリアとかナーガとかスクルドとか二階堂頼子とか阿重霞とかピクシィミサとかダーペアFLASHの方のユリとか天野小夜子とか熊耳武緒とか火野レイとか綾波レイとか星野ルリとかおんぷちゃんとかメテオさんとか玲音とか新刻敬とかトッペマ・マペットとか廉姫とか姫宮アンシーとか芝姫つばさとか百目鬼理香とか銀鈴とかリリーナ・ピースクラフトとかプリンセス・クレールとかリザ・ホークアイとか、まあ、パッと思いつくままに挙げてみたが、この程度しかいないのである。
 話が逸れたが、もちろん、『立喰師』がシリアスものになるわきゃないんで、売れないことは必至なのだ。逆にこれをいかにして売るかが、IGの今後を占うと言っても過言ではないと思うのだが、大丈夫かねえ。
 それよりも今現在、私が一番気になっているのは、ケツネコロッケのお銀と月見の銀二を誰が演じるかということなのである。『うる星』の時のお銀は榊原良子さんだったけど、小説版じゃ兵藤まこさんが演じてたしなあ。銀二はもう、あの方以外考えられないんだけど、声の似た人探して来るんだろうか。またぞろ竹中直人だったりする可能性が一番高い気もするけど。

2003年08月20日(水) びっるーのまっちーにがおー!/『金色のガッシュ!!』12巻(雷句誠)
2001年08月20日(月) クルーゾー再び/『パンプルムース氏のおすすめ料理』(マイケル・ボンド)ほか
2000年08月20日(日) 眠い日/『大江戸化物図譜』(アダム・カバット)ほか


2004年08月19日(木) 香水は12年で熟成するか。……危険だってば。

 夕べから台風が上陸、朝は超突風。
 しげは鴉丸嬢のところで芝居の打ち合わせをしてたので、車で送ってもらえなかった。こういう時こそ役に立ってほしいのにのに。
 外に出た途端に風に吹き飛ばされて、車道にまで転げ出る。車が来てたら撥ねられてるところだった。いや、マジで命からがら。なんとかタクシーを捕まえて出勤したけど、運ちゃんも「今日は車が“浮く”なあ」と言っていた。こういう日は欠勤したいけど、そうも行かないのである。
 道路の方向版が風でぐるんぐるん回ってて、切れて飛んできゃしないかと気になって仕方なかった。


 トンガリさんは今日も欠勤で、平穏な一日。このままずっと出て来ないでくれると助かるんだけど、そうも行かないんだろうなあ。
 台風は昼を過ぎたころには九州を通りすぎる。今度のやつはスピードが速かったおかげで、電車の遅滞くらいで被害はすんだようである。でも、例年の状況から言えば、まだあと二つ、三つはデカイのが来るんだろなあ。子供のころは台風も楽しかったが、実家が水没したり、車がおシャカになったり、そんな経験をするともうゴメンだって気にしかならん。

 帰りはしげに迎えに来てもらって、食事は庄屋で。しげはステーキ丼に豚の角煮、私は冷やしうどん定食とミニトロロ丼。ミニと言いながら出て来たものを見ると軽く茶碗一杯分はあったので、食いすぎにならんように定食のエビ天をしげにやる。しげはまた、「いいと? いいと? ほんとにもらっていいと?」と鬱陶しいくらい念を押すが、これくらい貧乏性が抜けないのも心の病気だと思う。一文無しの貧乏は全く罪悪だ。
 ゲーセンに寄って、UFOキャッチャーで香水をゲット。しげ、「これで香水が二つに増えた」と喜んでいるが、その一つ目の香水というのは、私が結婚直後、“12年前に”買ってやったものである。「腐ってるから捨てろ」と言うのに、「使うのもったいないから」と言って、12年かけてチビチビと使っているのである。新しいの手に入れたんだから、前のは捨てろよ。そして今度のも“12年”かけて使わないように。


 帰宅して、掲示板を見ると、ヨナさんが「ご当地の踏み絵」というサイトを紹介してくれている。面白いので福岡県のをチェックしていると、しげが、「また博多自慢?」とウンザリした顔で文句をつけてきた。しげは私がしょっちゅう「博多はねえ」と言ってるのにムカツイているのである。別に威張ってるわけじゃなくて、自分とこの文化的な背景を説明してるだけなんだけどな。お国自慢とはチト違うのである。
 「お前はどうなんだよ、広島広島って威張ってないのかよ」と言い返したら、「当たり前やん、岡山とかと一緒にされたくない」というので、しげにもこの「踏み絵」をさせてみた。生まれは広島でも、しげは引っ越してあっちこっち移動してるので、「知らない」「分からない」という答えも多いのだが、答えるところはハッキリし過ぎてるくらいにぴしゃっと書いてるので、私よりよっぽどストレートに他県を差別してるのである。
 「山口は好きだが岡山はあまり好きではない」に対して「山口は九州。岡山は敵」とか、「中国・四国地方の中心であるという自負がある」に「なに当たり前のことを…」とか、「広島県人のくせに巨人に入団した二岡が許せない。当然、川口と江藤は嫌い」に「当然だ」とか、殆どヒトコトで切って捨ててるのである。なんか取りつくシマもないってのはこういうことだね。反論許さないっていうか。
 でも、山口は九州も要らないから、中国に返すよ(^o^)。


 今日読んだ本。
 戯曲、山元清多『心中天の網島』。
 マンガ、高橋しん『きみのカケラ』3巻。
 西森博之『道士郎でござる』1巻。


 映画、芸能界関係のニュースがなんだか腐るほど多い。ダラダラ書いても読みにくそうなので、ズラッと箇条書きで。

◎ 『十戒』『荒野の七人』『大脱走』などの映画音楽の作曲家、エルマー・バーンスタインが18日に死去、享年82。
 死因が不明、というのが気になる。私の世代にはハリウッド映画の音楽はもうこの人、というイメージだけれども、60年代の味わいを21世紀まで持続させてきたエネルギーは凄かったよなあと思う。映画黄金時代の音楽はこれで途絶えたと言ってもいい。

◎ 鈴木清順監督『オペレッタ狸御殿』にCGで再現された美空ひばりが出演し、新曲『霊峰・快羅須山のララバイ』を披露する。
 出来の悪いものにしかならんと分かってて、なぜそんな馬鹿なことするかなあ。美空ひばりを心底馬鹿にしてなければできない暴挙だ。これが鈴木清順以外の監督がやるんだったら激怒するところだけれど、あの人、昔から狂ってるから、これは怒るに怒れないんである。

◎ 香取慎吾主演の『NIN×NIN 忍者ハットリくん THE MOVIE』とのタイアップで、「キリン 伊賀忍茶」が今月24日から全国で発売。
 この脱力のネーミングがいいなあ。

◎ 『キューティハニー』の倖田來未が映画『80デイズ』(『80日間世界一周』のリメイク)の主題歌「イッツ・ア・スモール・ワールド」を歌うことになった。
 ……と聞いてびっくりしたんだけど、日本語版主題歌だけだって。スポーツ紙じゃ、随分大きく扱ってたけど、そんなに凄いニュースかあ? 海外進出したわけでもないのに。

◎ ユニバーサル・スタジオ・ジャパンは、19日、景品として配布したクマの縫いぐるみから、長さ6・75センチの縫い針が見つかったため、計8万7798個を全品回収することにした。
 なんだかホントにトラブルばっかりだな、USJ。大坂の呪いか何かが罹ってんじゃないかなあ。御払いしてもらった方がいいんじゃないかって思うぞ、マジで。5年先、潰れてないかなあ。福岡くんだりまでキャンペーンに来るヒマがあったら、態勢立て直しなよ。

◎ ニューズウィーク・コムの調査による、この夏の最悪映画ベスト5が発表。
 1.「キャットウーマン」
 2.「華氏911」
 3. "White Chicks"
 4.「リディック」
 5.「ヴァン・ヘルシング」
 どれも見たいヤツなんだけどなあ。スノッブなニューズウィークの発表だから、あまりアテにはならんけどね。でも、M.ナイト・シャマラン監督の『ヴィレッジ』が入ってないのはなぜ? 盗作疑惑なんかもあったのに。

◎ イギリスの数学者らがホラー映画の完璧度を数量化する方法を考案し、様々な作品に当てはめたところ、スタンリー・キューブリック監督『シャイニング』が世界一完璧なホラー映画、という結果になった。
 全然怖くなかったけどなあ、『シャイニング』。これだけでもこの計算がアテになんないってわかっちゃうね。もっとも、私が怖いと思ったホラー映画なんて一本もないんだけど。で、こういう芸術作品の「数値化」って、百年以上前に夏目漱石が『文学論』で試みて、「芸術が数値化なんてできるか! やるだけムダだった」と結論付けてんだよね。人間の心はコンピュータとはちゃうってば。

◎ 『ハムナプトラ』『ヴァン・ヘルシング』のスティーヴン・ソマーズ監督が、ボアロー&ナルスジャックの『犠牲者たち』の映画化権を獲得。
 『悪魔のような女』を越えられるか? という興味も、大味映画のソマーズ監督じゃ、あまり期待はできないな。M.ナイト・シャマランみたいに単に「意表を突くだけ」にならなきゃいいけどねえ。

◎ ネプチューンが司会の貧乏救済番組、『銭形金太郎』のゴールデンタイム昇格が決定。
 出演者にとっては、ゴールデンタイムの方が顔を売れるから嬉しいかも知れないけれど、番組自体はつまんなくなんないかな。深夜番組が昇格して面白くなった例ってあまりないし。この『銭金』、うちの劇団にも出演者のオファーがあったんだけど、確かに貧乏なヤツいるけど、「笑える貧乏」じゃないからねえ。ただ貧乏ってだけじゃ、なかなか選抜してはもらえないと思うのである。

 ……などでありました。

2003年08月19日(火) 懸賞つき日記(^o^)/『イリヤッド 入矢堂見聞録』3巻(東周斎雅楽・魚戸おさむ)
2002年08月19日(月) 偽善者の宴/『探偵学園Q』6巻(天樹征丸・さとうふみや)/『虹の子』(石ノ森章太郎)ほか
2001年08月19日(日) 毛が三本/『ふざけるな専業主婦』(石原里紗)ほか
2000年08月19日(土) 今日、彼氏彼女は相々傘であった/『占い師はお昼寝中』(倉知淳)ほか


2004年08月18日(水) 見てない映画は☆の数。

 久しぶりの仕事、可もなく不可もなく。
 例によって例のごとく、トンガリさんに関してのトラブルがちょびっとあったのだけれど、ご本人は欠勤であった。つまり「後始末はあんたらでやっとけ」ということか。なかなかいい度胸をしているのである。でもするしかないんだよなあ(+_;)。

 掲示板定連のふーみんさんから、安部公房の『砂の女』のレビューを依頼されたので、20年ぶりくらいに読み返す。これくらい時間が経つと、「読んだ」という記憶はあるが、ディテールは殆ど覚えていない。『壁』も『他人の顔』も『人間そっくり』も『第四間氷期』も同様で、どれくらい忘れているかというと、「えーっと、『壁』って、名前をなくした男が壁になる話だったっけ?」ってなものである。このあたりの作品群は、もう一度読み返したいところだ。
 ついつい、小説本編だけでなく、当時の批評や資料などにも目を通したくなり、本棚をあちこち探る。大学は好きで選んだブンガクブなので、一応その手の資料は山ほどある。けれど、評論家と名のつく人たちがいろいろ言葉を変えて語ってはいても、言ってることは誰しも似たようなものである。結局、安部公房の作品全てに共通するのは、「確かなものなんて何もない」ということである。
 しかしこれ、本気で書き出したら、マジで「安部公房論」になりかねないなあ。できるだけコンパクトにムツカシイ言葉は使わないようにまとめるつもりではいるけれども。
 全体、評論家は無意味にややこしい表現を使いすぎるのである。磯田光一なんか、『砂の女』評で「可塑性の人間観」なんて言い方してたけど、なんで「人間は成長、あるいは変化するものという考え方」と素直に言えんか(つか、前後の文章でそう書いてるし、わざわざ改めてこんなややこしい表現でまとめる必要はないのである)。その点、安岡章太郎なんかは平易な書き方で、わかりやすい。このあたりが評論家と作家の違いかな、とも思う。
 安部公房には映像化された作品も多く(殆ど自分で作ってるんだけどね)、川本喜八郎がアニメ化した『詩人の生涯』などは、私の特に好きな作品である。でも今日、原作戯曲(ラジオドラマ用)を読み返してみて、社会主義的思想の色濃いアニメ版に比べて、原作はずっと象徴的、寓意的なのに気付いた。やはり若い時と今とでは、感じ方にかなりの差が生じている。だからこそ、安部公房が語るごとく、人もまた変化し続けるものなのだということなのだろうが。
 なんか、ほかのコンテンツでもそうだけど、あれこれ資料をひっくり返して見てる時間の方が長いから、なかなか更新が進まないのである。実際に書く時に使えるのは、その一部でしかないのにねえ。


 夕立が激しかったので、タクシーで帰宅。
 しげは案の定、ぐーぐー寝ている。今日は舞台『ピローマン』(マーティン・マクドナー作・長塚圭史演出)のチケット先行発売の日で、しげに電話予約を頼んでいたので、昨日の夜から今日の昼までずっと寝ていないはずである。だから今日は迎えに来れなかったのも仕方がないのだが、寝相の悪いのだけはなんとかならんものか。殆ど布団と格闘してんじゃないかってくらいに転げ回っているが、寝ながら体力使ってちゃ、カラダは休まらないだろうにねえ。
 チケットは一応無事に取れたらしく、パソコン机の上に郵便局への支払いのメモらしきものが乗っている。……けどこれがまるで読めねえ(~_~;)。幼稚園児並の悪筆を誇る(誇るなよ)しげの字で、しかも筆で書いてるものだから、数字が全く読めないのだ。0と1と6の区別がつかないって、どうすんのよ、コレ。
 

 DVD『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』7巻(完結)。
 どう完結させるのかと思ったら、原作通り、“『ハレグウ』1巻に続く”、であった。でも、既に内容はお子サマ向けアニメではなくなっているから、テレビシリーズはムリだろうなあ。OVAシリーズで続けてくれると嬉しいのだが、さて、世間のニーズはどれだけあるものか。なんか私の周囲だけだと、このシリーズに対しての反応がイマイチ鈍いもので、ペイする程度の人気はちゃんとあるものかどうか(それなりにはあるのだろうけれど)、不安になるのである。


 『キネマ旬報』8月下旬号で、時代劇、ラブストーリー、アニメーションなど、ジャンル別のオールタイムベストテンを投票、発表している。
 五、六十人の批評家に順不同で十作、候補を提出してもらって集計しているのだが、いつも思うのだけれど、こういう場合、たとえ集計が大変であっても、一人50作くらいは出させないと、ベストの意味はないんじゃないか。たとえジャンル別に絞ったところで、たった10本じゃ、指の間からポロポロ落ちていくように、名作、傑作の数々が評価されないまま抜け落ちて行くのである。
 結果は以下の通り。

〔時代劇〕
1、七人の侍 26票
2、十三人の刺客 23票
3、座頭市物語 19票
  宮本武蔵〔五部作〕(内田吐夢版) 19票
5、東海道四谷怪談 17票
  用心棒 17票
7、人情紙風船 16票
  幕末太陽傅 16票
9、薄桜記 15票
10、丹下左膳餘話 百萬兩の壺 14票

〔ラブストーリー/外国映画〕
1、ローマの休日 18票
2、男と女 11票
3、アパートの鍵貸します 8票
4、シェルブールの雨傘 7票
  隣の女 7票
6、愛の嵐 6票
  逢びき 6票
  イングリッシュ・ペイシェント 6票
  恋人たち 6票
  昼下がりの情事 6票
  旅情 6票

〔アニメーション〕
1、ルパン三世 カリオストロの城 21票
2、となりのトトロ 18票
  ファンタジア 18票
4、風の谷のナウシカ 17票
5、白雪姫 15票
6、AKIRA 14票
7、映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 13票
8、千と千尋の神隠し 10票
  長靴をはいた猫 10票
10、太陽の王子 ホルスの大冒険 9票
  トイ・ストーリー 9票 
  モンスターズ・インク 9票
  やぶにらみの暴君 9票

 なんだこの偏り方は、とお怒りになる映画ファンも多かろうが、ベストテンなんてこんなものである。『七人の侍』にしたところで、選者のうち半分もベストテンの中に入れてはいないわけで(私だって、「時代劇」ジャンルと絞られたら、ベストテンに入れるのには躊躇する)、結局は各々の選者の偏りを「均した」ものでしかない。
 そんなことは昔から言われていることで、「ベストテンなんて意味がない」とは誰しも口にしながら、それでも時折思い出したかのようにこういうベストテンが試みられるといのは、やはりそれ以外に一般人の興味を引く「映画ガイド」、あるいは「マニュアル」が少ないからで(「映画の歴史」とか「研究書」などはあまり読まれない)、こういうところで埋もれがちな「名作」に若い人の目を行かせる効果もあるからだろう。
 でもねえ、批評家と言ったってさ、案外映画見てないし、映画のこと知らないって人も多いしね、さすがにそういう人にベストテン出させるのはどうかって思うけどな。正直に「あまり見てませんが」と断り書き入れてる人には苦笑しちゃうけど。けどねえ、「アニメーション」で『忍者武芸帳』(大島渚)や『新選組』(市川崑)に票を入れてる人までいるからなあ。あれ、マンガを撮影しただけで、アニメーションじゃないってば(まあ本人たちもコメントで「迷って入れた」と書いてたが)。
 まあしかし、あまり人のことは言えない。
 「時代劇」「アニメーション」については、候補に上がった百本以上の作品の大半を見てはいたのだけれど、「ラブストーリー」に関しては、二割もない。趣味に偏りがあるのは当然としても、ちょっとこれはいくらなんでもねえ。普通「映画ファン」を名乗るなら、「恋愛モノ」をこそ見ずにどうするか、ということなのだけれど、なんか他人が「惚れたの腫れたの」やってんの見ててても共感せんのよ。タイトルに「愛」って付くだけで敬遠したくなるし。
 だから私は、『イングリッシュ・ペイシェント』も『逢びき』も『ベティ・ブルー』も『ノッティングヒルの恋人』も『忘れじの面影』も『麗しのサブリナ』も『ブーベの恋人』も見てません(^_^;)。嫌いなんじゃなくて苦手なだけで、これらの作品が見るに値しないと考えているわけではないので、そこんとこ、勘違いしないように。
 なんだ、それで映画について何のかんのとエラソウな口叩いてやがるのか、と鼻白む方もいらっしゃるだろうが、結局人間は自分の見ている範囲の中でしかモノは言えない。どこまで映画を見たところで、全ての映画を見尽くすことはできないのだから、「ここまで見てる」範囲の中で、どれだけのことが見通せているのか、を語るしかないのだ。だからまあ、私は若い人が「すみません、『○○』という名作、実はまだ見てないんです」と言ったところで、馬鹿にもしないし、怒りもしない。どうしたって若い人が見に行く映画は「今」のものばかりになるから、生まれる前の映画だと、見てないのが普通だろう。ただ、曲がりなりにも「プロ」を名乗る人間が「あれも見てない、これも見てない」と威張って言うのは阿呆だ、と言ってるだけなのである。


 ヘヴィ・ロック・バンドのリンキン・パークが、日本のアニメーションをフィーチャーしたビデオ・クリップを収録したDVDシングル『ブレイキング・ザ・ハビット』(WPBR-90382 2940円)を9月23日にリリースする予定とか。
 オタクなアーチストはアチラにもいっぱいいて、マイケル・ジャクソンなんかもプロモビデオにアニメ・クリップをチラッと入れたりしていたが、今回のはなんと完全新作なんだそうな。中澤一登を作画監督に起用して、GONZOに依頼して作ったって言うんだから、もう本格的である。
 特典映像として、アニメーションのもととなった実写収録風景や、日本のアニメーション・スタジオでのコラボレーション風景なども収録予定、コミック・ブックも付くのだが、これが初回生産限定盤。今予約しないと間に合わない、ということである。
 ……ああ、すっげえ興味が湧いてんだげと、オレ、もともとヘヴィメタ聞いたこともないし、リンキン・パークだって全然知らないのだ。特にファンでもないのにDVD買うのって、邪道かなあ。いや、別にマットウな道を歩かにゃならんと思ってるわけではないけどさ、せめて曲を聞いて好きになれりゃいいがな、とは思うわけよ。どこかで試聴できないものか。

2003年08月18日(月) ギャグをやるなら命がけ/『魔法先生ネギま!』2巻(赤松健)
2002年08月18日(日) 草臥れ休日/アニメ『サイボーグ009』地下帝国“ヨミ”編/『エキストラ・ジョーカー KER』(清涼院流水・蓮見桃衣)ほか
2001年08月18日(土) オトナの玩具はコドモ/『悪魔の手毬唄』(横溝正史・つのだじろう)ほか
2000年08月18日(金) 気が滅入る話/『明日があるさ』(林原めぐみ)ほか


2004年08月17日(火) 「狐の嫁入り」考。…いや、そんな大層なもんじゃなくて。

 盆休み最後の日。
 明日から仕事だけれど、こう見えても仕事はキライではないので、休みが終わって残念、という気持ちはない。イヤなのはまだまだ残暑が厳しいということである。
 朝から映画を見にしげと博多駅まで出かける。映画は『丹下左膳 百万両の壷』。しげは初めは興味を示していたのだが、トヨエツ主演と聞いて、「つまんないんじゃないの?」と渋るようになった。てっきり、大河内傳次郎のオリジナル版の公開だと思いこんでいたのである。名作中の名作であるオリジナル版はそれとして、リメイク版はどこをどう変更したのか、そこが私の気になっていたところである。ちょうど「浴衣か着物を着て行くと千円で入場できます」というキャンペーンをやっていたので、昼でも安く見られるんだよ、と説得して、浴衣を着せて無理矢理引っ張って来た。これでつまんなかったら、またひと悶着ありかねないところだ。
 しげ、ここんとこ浴衣を着続けなので、ムナモトがちょっとゆるんでいる。それが色っぽく見えるならまだいいのだが、虫刺されがちょうどそこにあるので、みっともないだけである。「色っぽくないと?」としげは不満気だが、これから時代劇で、和久井映見とか麻生久美子を見ようってんである。同じ和服でも比較するのはチトおこがましい。てゆーかあ、何をどう着てもー、しげが「色っぽく」なることだけはあり得な~いと思う。
 私の方はやっぱり「ガマ王子」のTシャツ。それでもなんとなく蒸し暑くて、雨のひと降りでもしてくれりゃいいのにな、と思っていたら、博多駅に着いた途端に、天気雨である。
「狐の嫁入りだな」と言ったら、しげが「どこに狐がいるんだよ?」と突っ込んで来る。
「普通、森にいるだろ、狐は」
「森なんてないじゃん」
「神社にはあるよ。お稲荷さんはどこにでもあるから」
「じゃあ、お稲荷さんからお稲荷さんへ嫁に行くの?」
「そうだよ」
 もう、なんの会話だかよくわからなくなって来たので、受け答えも適当であるが、ふと、気になったのは、どうして天気雨のことを狐の嫁入りと呼ぶのかであった。狐と天狗は同一のもので、天駆けるものであることは疑いない(黒澤明の『夢』では、森の中歩いてたけど)。
 雲もないのに(ホントはある)雨が降るとは、空を狐の嫁入り行列が通っているのだろう、と昔の人が考えたのは分かるのだが、嫁入り行列の最中に「水を撒く」とかする地方があるのだろうか? 夏場の雨だから、「打ち水」でもしてるということなのだろうか。狐の小便でなけりゃいいのだが。

 映画はまあ悪くもないが、かといって感動するほどでもない、という感じ。テレビスペシャルで充分じゃないか、という気がしてしまうのがネックか。しげは柳生源三郎役の野村宏伸が適度にボケた役を演じていたので、満足したようだった。オリジナル版では、長門裕之、津川雅彦のお父さんの沢村国太郎が演じていた役である。でもあれは「強い役を演じることが多い」国太郎が、「見掛け倒しで弱い」役を演じるから面白いので、見かけも中身も弱そうな野村宏伸が演じても当たり前なだけなのだけれども、

 帰りに「レッドキャベツ」に寄って、買い物と水汲み。
 帰宅してオリジナル版『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』をDVDで見返す。林不忘の原作小説も本棚の奥から引っ張り出してきて読み返し。映画の感想をコンテンツに上げるために比較しているのだが、そんなことを細かくやってると、時間はあっという間に過ぎてしまうし、記事はどんどん長くなるばかりなのである。ああ、短くパッパと片付けちゃおうといつも考えているのに(T.T)。


 イギリスのドキュメンタリー映画監督ダニエル・ゴードンとニコラス・ボナーの二人が、北朝鮮に脱走した元米兵を題材にした新作『Crossing the Line』を製作するとか。となれば、あの人も出るのかな? と思い浮かべてしまうジェンキンスさんだけれど、既に面会しているとか。早ッ!(°θ°;)
 日本の映画作家は、こういう事件は時が立たないと扱おうとしないけど、「まだ真相が解明されていない時点で憶測で映画を作って、あとで問題になったら……」とか、気弱なことを考えてる気がしてならない。事件なんて、どこまでいったって完全に真相が分かるもことなんてないだろうに、ドキュメンタリーなら「今」何が起こっているのか、それだけでも取材して映画にするくらいの度胸があってもいいと思うけどね。
 毀誉褒貶半ばする『華氏911』のマイケル・ムーアだけれど、あの「今」を自分の目出切り取ろうとする姿勢は日本の作家たちも見習っていいと思うけどね。。


 先週のアメリカでの映画の興行収入、新作が3本、ベストテン入り。
 1位の『エイリアンvs.プレデター』は3825万ドルで初登場1位を獲得、2位は『プリティ・プリンセス2』で2300万ドルで2位、4位には『"Yu-Gi-Oh! The Movie』が入り936万ドル。
 で、4位の作品のタイトルを見て、あれっ? と思ったわけだ。これなんと、“日本未公開”の、『遊戯王 デュエルモンスターズ』の劇場版だったんだねえ。向こうでも別に「Game King」とか翻訳せずに、日本語のまんまなんだね。
 まあ、私は『遊戯王』は原作もアニメもそんなに熱心に追いかけてないから、「アメリカ、ヨーロッパ“だけ”でヒット、と言われても、「へえ、ふ~ん、そう」てな感想しか浮かばないのだが、西欧人のどれだけが、『ポケモン』や本作が日本製アニメだって知ってるんだろうか。「ジャパニメーション」や「ANIME」なんて言葉、オタク以外でどれだけ浸透してるのかつて思ったら、あまり手放しでは喜べないと思うんだけれど。

2003年08月17日(日) 穏やかな休日/映画『宮本武蔵』『續宮本武蔵 一乗寺の決斗』『宮本武蔵完結篇 決闘巌流島』
2002年08月17日(土) しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん/アニメ『プリンセスチュチュ』第1話/映画『ピンポン』
2001年08月17日(金) 代打日記
2000年08月17日(木) 明日から仕事/『夜刀の神つかい』(奥瀬サキ・志水アキ)ほか


2004年08月16日(月) 老けてるけどトシヨリってほどじゃないぞ。

 昨日の日記で、私が戦後17年経って生まれたと書いてるのをしげが読んで、「えっ、アンタってそんなに若かったの!?」と驚く。
 「だってアンタって、戦時中は焼夷弾に追われて、戦後は焼け跡をウロチョロしてて、住んでるのはバラックって、イメージがあるし」
 ……いや、確かに私ゃ老け顔だけど、そこまでのことはないぞ。古い話は確かに知ってるが、無理に年よりぶっちゃいない。一応、1歳後半から2歳くらいの記憶はもうハッキリしているから、昭和39~40年あたりから私の記憶は始まっている。
 『鉄腕アトム』『鉄人28号』以後のテレピアニメは確かにリアルタイムで見てるけれど、それ以前の「実写版」には間に合っちゃいない。『月光仮面』も『快傑ハリマオ』も再放送で見た口だ。ウルトラシリーズは第1弾の『ウルトラQ』から、映画の『ガメラ』も第一作からしっかり見ている。けれど『ゴジラ』はせいぜい「エビラ」からという情けない位置。『スチャラカ社員』は気付いたらやってたけど、『てなもんや三度笠』は初回から記憶がある。「少年サンデー」、「少年マガジン」は生まれる前からあったが、『少年ジャンプ』の創刊には立ち会ってる。せいぜいその程度の「古さ」なのだ。オタクとしては、第一世代のギリギリケツっぺたにくっついてる世代だ。私より1歳若くなると、もう『アトム』や『鉄人』、『ウルトラQ』のリアルタイムでの記憶はない。言っとくが、私の子供のころにはもう日本から「焼け跡」なんてすっかり無くなってたぞ。傷痍軍人と靴磨きはまだいたが(~_~;)。
 ……つかよー、お前、自分の相方の年齢も忘れてたってか(-_-;)。


 明日で、盆休みもおしまい。一週間とちょっとのお休みだったけれど、日記とコンテンツの更新に追われてただけの休みだったような。……ハイ、部屋の片付けはやっぱり終わりませんでした。どうせオレなんてな。
 でもそうやってやっさ書いてるコンテンツだけれども、読んだ本、マンガ、映画の感想、殆どアップできていない。予定では映画の感想は一日三つほど書いて、その合間にDVDも一日二本くらい見て、本も毎日1、2冊は読んで、余裕があれば他のコンテンツの更新もしちゃおうと思ってたんだけれどもね。
 もう、コンテンツが書いても書いても終わらねえんでやんの(~_~;)。
 できるだけテレビも見ず(見ちゃうと書きたいこと増えるし)、本とDVDだけに専念しようと思ったんだけど、難しかったねえ。
 一応、今日は頑張って、DVDでミッシェル・オスロの『キリクと魔女』と、カレル・ゼマンの『クラバート』を見た。こういうのを見ると、「日本のアニメは世界一」なんて嘯いてるココロの狭いアニメファンに、「もちっと目を広げてよ」と言いたくなってしまうのである。ユーリ・ノルシュテインやフレデリック・バックが存命中だというのに、口が裂けてもそんな身贔屓発言はできませんて。オスロ監督は高畑勲を立てて、「日本が世界一です」とか言ってくれてたけどね。
 読んだ本は、大塚康生の『リトル・ニモの野望』。これ、大塚さんは遺書のつもりで書いたんじゃなかろうか。

 しげも今日は一日寝てばかり。
 鬱でしばらく仕事を休んでいた時は、家事もちょこちょことはしていたのだけれど、仕事を再開してからはまた全くしなくなった。
 今日も買い物に誘ったら、「愛人(=カメ)の水汲みに行くのなんてヤ」と抜かしやがったので、「じゃあ、メシも作らなくていいんだな? オレはオレで勝手にメシ作って食うけど、おまえのは要らないな?」と念を押してほったらかす。
 うどんを作って食ってたら、しげはモノ欲しそうに近くにやって来たが、当然無視して一人で全部食べた。ツマランことを言うから損することになるのである。それがわかってて、あえてやるのだから、やはりしげの知能はカメ以下である。そりゃ、愛人の方に気持ちは移るってば。


 児童買春禁止法違反などの罪に問われていた映画監督の今関あきよし被告が、懲役2年4月の実刑判決。
 執行猶予が付かなかったということは、判明している事件以外にもかなり「余罪」があるのだろうな。判決理由の「映画監督の地位を悪用し『芸能人に会わせる』などと言葉巧みに誘い出し、被害者の好奇心や無思慮につけこんだ卑劣な犯行。常習性もうかがわれるの「常習性」というところで、多分かなりな数の「証人」が証言台に立ったんだろう(出られない人は文書で回答したかな)。
 マンガやドラマじゃよくある「地位を利用して」ってのを地でやってるってだけでも幻滅だけれども、「やっぱりそういう世界なのか」と、芸能界、映画界への憧れを抱いていたかもしれないウラ若き乙女たちに、多大なるショックを与えてしまった罪はかなり深い。役者になろう、歌手になろう、声優になろうって人たちの中には、なんだかんだ言っても、「夢」とか「理想」を持ってこの世界に入ってくる純朴な子がまだまだ多いからねえ。
 やっぱり、本気でこの世界に入ろうって考えてる若い子は、それ相応の「覚悟」はいるだろうと思うのである。別に犯される覚悟ってことじゃなくて、「甘い罠」はどこにでも転がっていて、そんなもんに引っかからない「目」を持つことが必要になる、ということだ。一時的にカラダ使って目的果たしてもなー、本当に本人に才能がなきゃ、続かない世界なんだから。
 今関監督はとっ捕まったけど、まだまだ「お目こぼし」頂いている人たちは多いと思うのである。……いやねえ、今度の芝居で黒子やってくれる子の中に、本気で「声優」目指してる若い子がいるもんでね。充分用心して欲しいなって思ってるのよ。少女は食われるの早いし。

2003年08月16日(土) 危険な予感/『空想科学大戦1』(柳田理科雄・筆吉純一郎)
2002年08月16日(金) ドリンクバーの果てに/『フラッシュ!奇面組』1巻(新沢基栄)/『永遠のグレイス』(川崎郷太・伊藤伸平)ほか
2001年08月16日(木) 代打日記
2000年08月16日(水) 橘外男&中川信夫ワンダーランド/映画『女吸血鬼』ほか


2004年08月15日(日) この日を記念日にしたのは「盆」だから?

 新聞の政府広報(厚生労働省)に、「本日(8月15日)は、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。」とある。ふ~ん、正式には「終戦記念日」とは言わないのだねえ。
 厳密に言うならば、「終戦」はサンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日になるので、この表現の方がよい、ということになる(この日を終戦記念日にして休日にすれば、ゴールデンウィークがまた一日増えるのだがな)。このあたりの知識も、若い人に対してはトリビア。でも一般的な感覚から言えば、8月15日を終戦記念日と考えることに違和感はない。それくらい、当時の日本人にとって、「昨日と今日とで歴史が変わった」と感じるほどの変化があったのだから。
 それにしても59年。もう来年は60年か。私も戦後生まれではあるけれども、考えてみたら、生まれた時はまだ戦後17年しか経っちゃいなかったのである。戦争の名残は、まだ随所にあった。子供のころの感覚でいうなら、大人たちはみんな「戦争を知ってる人たち」であったし、小学校の先生たちは、“自分の”戦争体験を語っては反戦を訴えていた。だからこそ言葉に重みがあったし、実感もこもっていたし、説得力もあったのである。みんな、必死になって、あの戦争がいかに悲惨で、愚かであったかを訴えていた。今考えれば、日教組の先生方が多かったせいもあるのだろうが、そういった思想云々を抜きにしても、現実に焼夷弾に家を焼かれ、家族を失った人たちの憎しみと悲しみは、ヒシヒシと伝わっていたのである。今の反戦論者の言質が観念的にしか聞こえないのとはエライ違いであった。
 戦争が「体験」として語られず、ただの「歴史」になってしまったのは、この10年くらいであるように思う。「日本がアメリカと戦争したことも知らない子供たち」が話題になり始めたのもそのころからだ。単純に、彼らを責めることはできない。教えるオトナの側がまず、「なぜ戦争のことを語らなければならないのか」、その理由がわからなくなっているのだから。


 今日はいつもの練習日。しげはもう着替えるのがめんどうくさいと、最初から浴衣である。私は昨日劇場で買ったばかりの「ガマ王子」のTシャツ。黄色地が目にまぶしい。劇場ではもう一つ、「ザリガニ魔人」のものもあったのだが、まんまザリガニでしかもカエルよりやたらデカかったので、こっちは買わなかった。デザインがどんなのか知りたい方は、コンテンツの「Phantoms of the Paradise」を開いて見ること。
 今日はなんかみんな具合が悪かったり都合が悪かったらしくて、来れたのはカトウくんだけ。しげと二人だけのシーンを重点的に。初稿があまりうまくなくてセリフが決まってなかった部分も改稿。なんとか形を整える。
 来週あたリから、ぼちぼち黒子さんが揃ってくるので、練習は女の子でいっぱいになるはずである。カトウ君はそれでトテモわくわくしているようだが、当然カッコイイとこを見せようと思ったら、セリフを全部入れといてもらわなければならないよ、とプレッシャーをかける。「いや、そんなこと考えてないですよ!」と懸命に否定していたが、ホンネは奈辺にあるや。
 でも実はセリフ入っても全然カッコヨクない役だったりするんだけどね。

 練習を1時間早めに切り上げて、父のマンションへ。送り火を庭で焚くが、風が強く、灰がそこら中に飛び散った。庭に干してあった父の洗濯物も少し汚れた。盆の間中、「さっさと行きゃあがって」とか母の悪口言いまくったので、ちょっと怒ってるのかもしれない。怒るくらいなら、夢にでも出てきてくれりゃいいのである。そう言うと、父は、「幽霊になって出て来てくれた方がいいな」と言う。
 人があの世とか霊界とか、そんなものを信じたくなるのはこんなときなんだろうが、実際、ホントに霊があるものならば、もっとバンバン出て来てくれてもいいものだ。

 指定の川縁に、線香を立てに車で移動。まだ6時くらいだが、祭壇にはもう随分供物が置かれている。親子連れが、「昔はこれ全部川に流しよったとよ」と説明している。今じゃそれは環境破壊になってしまうが、そういうものを引き受けられないくらいに、川を、海を痩せさせてしまったのはどこのどいつであるのか。
 風が強いので、立てられた蝋燭の殆どが消えているが、中に一本、やたらどでかい、百目蝋燭どころか千目蝋燭じゃないのかってくらいのものが立てられていて、これはさすがにぼうぼうと燃えていた。父が、「これくらいのものを立てんと、消えるとばいなあ」と感心してるが、まさか来年はこんなの買うつもりじゃあるまいな(^_^;)。

 父を誘って、ダイヤモンドシティまで食事に出る。近くに住んでいるのに父がここに来るのは初めて。「別に買うものない」と言うのだが、グラスの店を通りかかると、ちょっと惹かれたようである。酒に関するものになら興味を抱くってのも、趣味としてはどういうものか。
 ステーキの店で食事をして、ジャスコを冷やかして、父をマンションまで送る。何だか今年の盆はあっという間だった。盆がはよくりゃ、はよ戻る。


 帰宅して、昨日見た『ガマ王子』のコメントを書き始めるが、書いても書いても終わらない。なんだかやたら「書きたい」気分にさせてしまう芝居だったのであるが、それでも最後のオチだけは伏せるようにする。二度と見る機会がないのならばともかくも、今は舞台もモノによってはDVDになるのである。今回も劇場でDVDの予約を受け付けていたので、これからご覧になる方のために、キモは書かずにおいたのだが、そうなるとやはりどこにどう感動したのか、遠回しな表現にならざるを得ず、隔靴掻痒である。ミステリーの批評でも、これが一番困るのだけれどもね。

 今日読んだ本。
 マンガ、鬼頭莫宏『ぼくらの』1巻。

2003年08月15日(金) 記念日って何の/DVD『レッド・ドラゴン』
2002年08月15日(木) 母の呼ぶ声/『フルーツバスケット』5~9巻(高屋奈月)/『神罰』(田中圭一)
2001年08月15日(水) 代打日記
2000年08月15日(火) 盆休みも終わり……なのに毎日暑いな/映画『シャンハイ・ヌーン』ほか


2004年08月14日(土) 月に一度はお芝居に。

 休日であることもあって、ついつい長めに日記を書いてしまっているが、そろそろコンパクトにまとめて書くクセをつけなければ、コンテンツの更新が溜まるばかりなのである。「長い文章は読み応えがあります」というご意見が多いので、ついつい書いてしまうのだけれど、ホントは日記なんて30分以上かけて書いてちゃいけないよねえ(^_^;)。せいぜい2、30行くらいで短く収めておきたいものなのだけれども。


 朝は『美少女戦士セーラームーン』に『ケロロ軍曹』。ちゃんと朝起きられれば土曜日の朝も充実しているのである(これを充実と言うかね)。
 『ケロロ』は例の『ウルトラセブン』の「ノンマルトの使者」のパロディだったけれども、さすがにこれくらいは若い人でも元ネタがわかる人も多いと思う(非オタクはその限りではないが)。再放送は腐るほどされてるし(現在もCSでは放送中)、DVDだって発売されている。もしもまだ見たことがないという人がいたら、DVD第11巻をレンタルで借りて御覧になっていただきたい。『第四惑星の悪夢』と合わせて、「人生が変わる」経験をする人もいるだろうと思う。


 昼から、友人のHくんのうちに、しげともども初盆のお参りに。
 まあそれは口実で、オタク話をしに行くのが目的のようなものである。だいたい私のSFの知識とかは彼に教えられた面も多い。私なんぞは彼に比べれば全然無知である。
 お宅にはかなり以前に伺ったことはあるのだけれども、久しぶりなので、道に迷ってしまい、予定よりちょっと遅れて到着。ご家族の方から「痩せましたねえ」と言われるが、多分一番太っていたときにお会いしているのだろう。100キロ近くあったときもあったから、病気になるのも当然なのだが、それを考えると今20キロも痩せているのだから、もうちょっと健康的であってもよさそうなものなのだが。
 Hくんと会うときは、いつも本やDVDの貸し借りをするのが常なのだが(もっとも私は貰ってばかりで私は貸すばかりなので、不公平なことこの上ない)、今日は『みんなのうた』(12巻)と『カリキュラマシーン』(3巻)をお貸しする。お子さんの情操教育によろしかろう、という感じであるが、実は両作ともオタク度はメチャクチャ高いので、「英才教育」をほどこしていただきたいという謂である。で、こちらは『八雲立つ』のコミックを全巻貰った(^_^;)。モノが捨てられない性分というのは全く困ったものであるのだが。
 長居をするつもりはなかったが、気がつくと30分ほど話しこむ。お客さまもいらっしゃっていたようなので、辞去。


 しげは夜、仕事があるので、帰宅して仮眠。
 私は天神に回って、福岡市民会館で後藤ひろひと作、G2演出による舞台『MIDSUMMER CAROL ガマ王子vsザリガニ魔人』を見る。月に一度は芝居を見たいと思っているのだが、今年はなんとかそのペースで見られている。これも福岡に劇場が増え、それなりに公演が打たれるようになったおかげである。なんたって私が子供のころには、本当にこの福岡市民会館、郵便貯金会館(現メルパルクホール)、少年科学文化会館(ここは今でも遠征公演は打たれない)くらいしかなかった。「サンパレス」や「博多座」「シンフォニーホール」のような大きなホール、「西鉄ホール」のような小劇場が増えたおかけで、公演数が増えたのである。
 今回は、伊藤秀明と長谷川京子の初舞台、というのがウリで、今日がツアーの大千秋楽。
 見に行けるかどうかは分かっていなかったので、前売りは買っていなかったが、当日券で9列目が取れた。なんだか前売りで30列より後ろしか残ってない、なんてこともしょっちゅうなので、これなら当日の飛びこみのほうがよっぽどいい席が取れるというものである。ダフ屋もいたなあ。あれって法律的には問題にならんかといつも思うのだが、取り締まってる様子もあまり見たことないしねえ。たまに法外な値段で売ってた業者が摘発されることはあるけれど、じゃあ適正な値段で転売するのであれば、別に法律違反じゃないってことなんだろうか?
 お客は殆ど若い女性。これ全部、伊藤英明ファンなんだろうなあ。カップルもチラホラだけれど、40代とかの年配のお客は殆ど見受けられず。タイトルから敬遠するオトナも結構いるかもしれないけれど、後藤脚本はどちらかと言うとウェルメイドな芝居が好きな演劇ファンにこそ見てもらいたい芝居なんだけどねえ。いやもう、今回も笑って泣かせていただきました。伊藤、長谷川両氏の演技は酷評しているものあるが、ハセキョー(と略するのだそうな)の声がやや小さく感じたことを除けば、特にヒドイというほどのものではない。若手に対するバッシング、ヒガミもかなり入っているのだろう。
 スタンディングオベーションも凄かった(前回の『人間風車』よりも激しかったかも)。挨拶で、ハセキョーが「これでもうこのセリフを言うこともないのだと思って、気持ちを込めて演じさせていただきました」と涙を流して挨拶。伊藤英明は照れたのか、客席の歓声に「うるせ~!」の一言だけ。「だって何も言うことないんだもん」と言って笑いを誘っていたが、世の中にはインケンな客も多いから、若手の役者さんはこの手のナマイキに見えるパフォーマンスは避けた方が無難だと思う。実際、ちょっとムカツイてた客もいたようだし。


 帰りに、ラーメンを食べて帰宅。まだ6時くらいだったが、しげは仕事に出ていた。体力が続かないと今朝がたまで愚痴を言ってたが、夕べだって10時間も寝てたし、寝過ぎで疲れるのは言い訳にならないと思う。まあ、仕事に出るだけリッパ、と言うべきなんだろうか。
 今日劇場で買ったばかりのDVD『人間風車2003』を見る。
 2000年の初演版(さらに以前にプロト版もあるそうだ)はナマで見て大感動、これで後藤ひろひとのファンになり、三谷幸喜よりも好きになってしまったのだが、この再演版は初演版ほどには感動せず。永作博美は前回の斎藤由貴より口跡がハッキリしていてよいのだが、主演の入江雅人がどうにもヨワかった。悪い演技ではないのだけれど、ある意味役を逸脱した前回の生瀬勝久の方がインパクトは強いのである。「不死身の男」を演じる河原雅彦は、全開の阿部サダヲほどの狂気は表現できず。
 続けて、DVD『鉄人28号』2巻。不乱拳博士のエピソードだけど、辛気臭いことこの上ない。確かに背景に戦争の陰が色濃く落とされている原作ではあるけれど、それをあまり前面に出すのは物語のテンションを下げることになる。正太郎、鉄人やモンスターを指してやたら「どうしてこんなものを作ったんですか!」って敷島博士に食ってかかるけれど(だからそれは「鉄腕アトム」のセリフだってば)、そこまで言っておきながら、鉄人を操縦するってのは、物語の構造自体が破綻している。まあ『鉄人』だとか横山光輝だと思わなければ、面白いアニメではあるのだけれどもねえ。

 あと、今日読んだ本、柴田武『ホンモノの敬語』。


 以前からゴタゴタしていた人名用漢字の問題、法制審議会は、昨13日、追加する488字を決定。
 6月に一旦公表した追加案には、人名には不適切な漢字がある、という世論の声が大きく、結果、新たに「蔑」「膿」「娼」「骸」「尻」「嘘」「腫」「罵」など79字が削除された。
 基本的に私は人名用だろうと、使用できる漢字に制限をつけるべきじゃないと考えている。「もしもバカな親が子供にヘンな名前を付けたらどうするのだ」という意見については「付けたいやつには付けさせとけよ」としか思わない。いつぞやの「悪魔くん」騒ぎについても、宗教的な反発をするならばともかくも、無神論者が文句をつける理屈がよくわからなかった。子供がイジメられたらどうするんだ、という反論については、親がそれを覚悟で付けるんなら、反対の理由もない。まあ、心配しなくても、滅多にこんな漢字使って名前付けるやつもいないよ。『すすめ!パイレーツ』みたいに、「この子にも私と同じ苦しみを味わわせてやるのだ!」と、「花形見・鶴」なんて名前を付ける親はそうそういやしないって。いたとしても何万人に一人の割合だろう。
 もちろん、本人の意向を無視している、という意見に対しては納得できはするので、その代わり、改名をもっと自由化したほうがいいと思うのである。小学校を卒業するあたりで、国民全員、改名可能ってことにしたらどうなのかね。昔の日本人は幼名と元服名、両方持ってたんだから。それでも改名しない人間のほうが圧倒的に多いと思うけどなあ。
 逆に、ぜひ使えるようにしてくれという世論の要望が多かったと言われる「掬」、なんでこの字に執着する人が多いかがよくわからない。「すくう」だよ? 「水を掬う」「魚を掬う」とかの。悪い字ではないけれど、人の名前にどういう意図で付けようってのかがピンと来ないのである。

2003年08月14日(木) やっぱり長く書けません。/映画『SF巨大生物の島』/DVD『天才マックスの世界』
2002年08月14日(水) 魔性の女/DVD『プカドン交響楽』/『藤子不二雄論』(米沢嘉博)ほか
2001年08月14日(火) 代打日記
2000年08月14日(月) せっかくいい気分だったのに……/映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』ほか


2004年08月13日(金) 博多人のワルクチ

 カメを飼い始めてから、ネットで「カメの飼い方」を紹介しているサイトなんかも回るようになってしまったのだが(全く、ネットさまさまだ)、どこのサイトでも最重要事項として書いてあるのが、「カメを捨てないで下さい」……。
 父に聞いた話だが、御笠川にも捨てられたミドリガメがウヨウヨいるらしい。カメが好きで飼い始めたはいいものの、持て余して捨てる糞野郎が後を絶たないのだろう。もちろんそのせいでもともとの生態系も崩れてしまう。「命の大切さを教えるために、動物を飼うことも大切」とかほざいてる馬鹿親もいるが、そりゃ最後まで面倒を見る覚悟があってこその言葉だ。たいていの動物はすぐに病気になる。その途端に「命の大切さ」はどこへやら、病院にかけるとカネがかかるとばかりに放置し、死なせたりする例がどれだけあることか。
 母は生前、犬を飼っていたが、年を取って(たしか18歳か19歳くらいだったと思う)病気になって死ぬまでの間、何度も動物病院に連れて行き、湯水のようにおカネを使った。全部私の給料から出してたんだけど(⌒―⌒メ) ……いや、頼まれたら断れねえし。
 でもまあ、その程度のことはするのが普通である。ペットショップやホームセンターに通うようになって、動物を飼いに来る客を見てると、見るからにバカヅラしたガキが、さらに輪をかけたようなバカオヤと「カメ飼ってよう、飼って飼って飼って」「うるせえな、ちゃんと世話するか?」「するよう、するするする」「しなかったら捨てるけどいいか?」「いいよう、捨てても」とか会話してるのを聞くと、オマエらを簀巻きにして川に捨てたろか、という気になってしまう。……頼むから、最初から捨てること前提で動物飼うのはやめてくれ(T.T)。
 なんだかねえ、「かわいいから」だけで飼って飽きたから捨てるっていうんなら、椎名高志さんのマンガにあったように、「人間のしもべ、哀れで惨めな犬っころ」と名前をつけて飼い続ける方がよっぽどマシだと思うのである。
 しげは、「愛人二人と一緒に暮らしてるみたいなもんじゃん」と文句を付けるが、愛人がカメに勝てるか!
 盆休みの間は毎日、玄武と竜宮を洗面器に移し換えてベランダに出し、30分ほど日向ぼっこをさせているのだが(紫外線を浴びることでビタミンD3を体内で作り出し、甲羅を丈夫にする働きがあるのだそうな)、盆が明けると週に一度しかこれが出来なくなるのが現在の悩みである。


 夕方、父としげと寺を回って、そのあと父のマンションで迎え火。
 しげはこないだ買った浴衣を着ていったのだが、父はかわいいねとも見違えたねとも言わない。博多の人間は身内を一切誉めないものだが(それどころか貶しまくるし、誉める人間はウソツキ扱いされる)、もちろんそれは愛情がないからではない。極端な照れ屋であるか、見え透いたお世辞が大っ嫌いなのだと思って頂きたいが、あまりに悪し様に言うものだから(ゴクツブシとかバカアホマヌケは日常語である)、この人は本気で自分のムスコやヨメのことを嫌っているのだろうか、と他地方の人に錯覚されることもしばしばなのである。でも私に言わせれば、ヨソから博多に来ておきながら、その土地の風俗に文句をつける方がどうかしている。関西に行って、「どうしてコイツら関西弁ばかり喋ってるんだ」と文句つけるようなものだ。
 母は生前、父のことをもう人間のクズのように言っていた。私も「人間がイヤラシい」とか「女の腐ったの」とか「××××」とか、散々聞かされたものである。父もまた母のことを「所詮女はバカ」とか「ヒステリー」とか「××××」とか、フェミニストが聞いたら激怒するようなことを平気で喋っていた。夫婦喧嘩も日常茶飯事である。喧嘩の原因には、父の浮気もあったようだ。
 お互いの話を聞いていた人は、二人の言葉をマに受けて、この夫婦は仲が悪いのだ、と思いこんでいた人も結構いた。いつかリコンするんじゃないか、と思っていた人もいたようである。私も子供のころ、母に「そんなにイヤなら別れたら? ボクは気にせんよ」と水を向けてみたことがある。母の返事は「(別れると)商売に差し支えるからせんよ」というものであった。見栄だけでつらい夫婦関係を続けて行くこともなかろうに、と私は母の思考が理解できなかったが、今思えば、それも母の「照れ」であったのだ。
 父の浮気に腹を立てていなかったわけではない。「いやらしい」とか、悪口も全部本音だろう。母は、ウソはしょっちゅうついていたが、姑息なウソは大嫌いだった。けれど、夫婦の仲はそれだけで左右されるものではない。今日、父がしみじみと呟いていたのは、「お母さんは、『別れるくらいなら最初から結婚せん』って言いよったなあ」ということである。ケンカしていながら、最後はそのセリフで終わるのである。私にとっては、両親のような夫婦関係の方が、「サザエさん」的な夫婦より、よっぽど“普通の”夫婦らしい。
 頼むから、佐賀とか大分とか長崎とか熊本とか宮崎とか鹿児島とか、そういうド田舎から来といて博多人気質に文句つけるような野暮なことはやめてほしいのである。いや、福岡でも博多以外は全部田舎なんだけどね。……じゃあ、博多人が博多のことを都会だと思ってるかと言うと、全然そうは思っていないのである。なんだそんなの意味不明じゃないか、と文句つける人は永久に博多人の機微はわかんないから博多に来るな。

 株券を売却するために、母の戸籍を取り寄せてみて判明したことであるが、母方のヒイヒイ爺さんの名前、「亀太郎」であった。わあ、まさか自分の先祖の名前をペットに付けていたとは(付けたのはしげだけど)。明治の初めか江戸のころの人だろうが、当然「デバガメ」事件よりは以前の生まれであろう。そうでなきゃ、ちょっと外聞の悪い名前だものなあ。もっとも、ムカシの人はそんな「名前が同じだから世間体が悪い」とか、特に気にしない人も多かったかもしれないが。世間サマを気にするような「中流以上の家庭」が増えていくのは、やはり戦後の風俗なのである。
 デバガメの語源(池田亀太郎という明治期の覗き魔の仇名)が世間から忘れられていったのも恐らくは戦後以降のことだろうが、「亀太郎」という名前が流行らなくなったのは、別に「デバガメ」を連想するからではなくて、単に動物の名前を流用すること習慣自体がなくなっていったためだろう。……ムカシは女の人でも「おクマさん」とか「おトラさん」とかいたのにねえ。

 父のマンションの近くのウェスタンの店で食事。
 しげは生ビールをジョッキで二杯、飲み干してしまったので、酒が抜けるまで運転できず。父のマンションで、しばらく夕涼みして帰る。その間、父は焼酎を飲みっぱなし。糖尿はどうなった(~_~;)。
 こないだまでは、8月いっぱいで仕事を引退すると言っていた父、姉のことが心配なのでやっぱりもう少し働く、と言い出す。もうちょっとだけ続くんじゃって言って20巻以上続いたマンガみたいだなあ(^_^;)。
 まあ、働けるのなら働けるだけ働いたらいいとは思うが、やめるのやめないので姉のほうが振り回されてやしないかと思うと、そちらのほうが心配なのである。


 今日読んだ本。
 マンガ、西原理恵子『サイバラ茸』3巻。


 いま、最もつまらないミステリーマンガの一つ、金成陽三郎原作、山口譲司作画の『ミステリー民俗学者 八雲樹』が、10月15日からテレビ朝日系金曜ナイトドラマ枠(金曜・午後11時15分)でテレビドラマ化。テレビ局って、ホントに企画力ないのな、とゲンナリしてしまうが、主役を聞いてまた頭を抱えた。なんとあの及川“ミッチー”光博である。連続ドラマの主演は初めてだとか。
 しげは「王子さま」のころからミッチーのファンである。「王子さま」と言われれば、「カレー」か「ミッチー」を連想する、というくらいの熱の入れようで、間違っても、テニスのうんたらかんたらではない。
 しかし、ついこないだ、しげに「もう『八雲』はつまんないというより、『マンガとしていかがなものか』と思うからから買うまいよ」と言われて、私も観念したところであった。それがまあなんという皮肉、これではマンガも帯がつくから買わねばならないではないか。いや、私は困ってないけど、しげは困るかなあ、と思って、「及川光博、『八雲』に出るけど、録画する?」と聞いてみた。即答で「うん」。
 「マンガは続き買う?」「うん」
 ……あれだけ嫌ってたのにこの豹変ぶりはなんだ。そんなにミッチーがいいか。私の亀好きを非難できた義理ではないだろう。でも、マンガならともかく、テレビであの既成の小説のトリックパクリまくりのドラマやるのって問題ないのかなあ。ファンの指摘が激しくなるだけど……と思ったけど、これまでにもやっぱりパクリまくりの『ケイゾク』や『トリック』が成立してるから、まあいいいのかもね。
 及川光博はもうすぐ公開される『IZO』(三池崇史監督の、岡田以蔵が現代に転生して悪を切りまくるという、まあなんちゅうか……ってな映画)にも出演するらしいけど、これも見に行くことになるんかねえ。

2003年08月13日(水) でもちょっとだけ長く書きました。/『雨天順延 テレビ消灯時間5』(ナンシー関)
2002年08月13日(火) オタクの血/『アンダンテ』2・3巻(小花美穂)/『魔王ダンテ 神略編』1巻(永井豪)
2001年08月13日(月) 代打日記
2000年08月13日(日) 盆がはよ来りゃはよ戻る/『明治快女伝』(森まゆみ)


2004年08月12日(木) またまた詐欺メール……しつこいってば。

 しげの話によると、鴉丸嬢のウチに遊びに来た「劇団改FREE’ズ+」の冨田嬢(今度の芝居でダンス協力して頂いている)、私が貸している夢野久作DVD3本立てを見て、いたく興味を示されたとか。「借りたがってたみたいだけど、貸してもいい?」ということだが、否やもないことである。
 かつて貪るように読んだ幻魔怪奇の作家たち、夢野久作、江戸川乱歩、横溝正史、小栗虫太郎、久生十蘭、海野十三、城昌幸、渡辺啓助、渡辺温、稲垣足穂、橘外男、大坪砂男、中井英夫、香山滋、山田風太郎、澁澤龍彦etc.etc.……。彼らは決して埋もれたまま消え去ってよい人たちではない。
 直接小説にではなく、映画というフィルターを通してではあっても、その世界に触れ、魅了され、自ら「妖しい人」となる人がどんどん増えていくことが、彼らが後世まで「生きていく」ことになるのである。
 でも、小説の方は軒並み絶版ってのも多いんだよなあ(T.T)。
 ……そう言えば、なんで最近のヤオイ少女を私がなかなか好きになれないかって言うと、美少年趣味のバイブルとも言える稲垣足穂の『少年愛の美学』や『A感覚とV感覚』とか、全然読んでなかったりするからなんだよな。美少年に対する感覚が、アレを読んでる人とそうでない人とではまるきり違うのである。少年愛ってね、最も純粋だけれども同時に最も実利的なものなんですよ。


 昨日の日記に書き忘れていたが、「ガスト」で食事した時、+eで「バカ度診断」というものもやった。二人で勝負して、バカな方が勝ちというミもフタもないものであるが、おかしなことに、出されたクイズ、私は全問正解でしげは間違ってばかりだったのに、バカ勝負に勝ったのは私の方だったのである。
 「時速40キロで走る車が10キロ進むのには何分かかるでしょう?」
 こんな質問にもしげは答えられないくらいアタマが悪いのだが(一応時間をかければ計算できるのだが、3分くらいかかる)、それでどうして正解した私の方が「バカ」と診断されるのか、あの機械、「プラスe」とか言ってるけど、ホントは「マイナスe」なんじゃないかとか、疑わしくなるのである。みなさんも、「ガスト」のディスプレイにはご注意を。


 昨晩もまた、パソコンの前で椅子に座ったままうたた寝。
 「いつでもどこでも寝られる」が私の33の特技(^o^)のうちの一つであるが、カラダにいいこっちゃないので、今後は控えたい。そのためにはまず、居間に横になれるスペースを作らねばならないのだが。
 午前二時ごろに目が覚めたが、おかげで『ああ探偵事務所』のドラマを初めて見られた。エピソードは「美麗探偵事務所」のお話。演技はみんなヘタクソだけれども、原作をさほど改変することなく、テーマはちゃんと生かしてうまくまとめているのでそう悪い印象はない。美麗探偵事務所長役で、団時朗さんがゲスト出演。かなり恰幅がよくなられているけれど、元気にご活躍のようで嬉しい。去年は『ねずみとり』の舞台にも出演してらしたのだよなあ。福岡で公演してくれたら、素っ飛んで見に行くのだけれど。


 今日はできるだけ寝て過ごす。あまり出来事が多いと、日記に書くことが増えて、それでまた時間が取られてしまうからである。
 朝のうちに、カメの水槽の水替え。玄武と竜宮は洗面器に一旦移して、風呂場で敷き砂を何度も洗うが、水の濁りはなかなか薄くならない。なんとか水をキレイにして、「カメガーデン」(置き石にそういう名前が付いているのである)や水草をディスプレイする。
 掃除には30分くらいかかり、さて、二人を水槽に戻してやろうとすると、洗面器の中に黒い塊が10個ほど沈んでいて、水がえらく汚い。はて、泥や石を一緒に入れたつもりはないのだが、と思ってよく見ると、それは全部カメの糞だった。いやあ、カメZてこんなに大量のウンコを一気にするんだ! これでは2、3日で水が汚れてしまうのも当然である。「週に1回は掃除するように」とカメの飼い方の本には書いてあるが、やはり3、4日に1回は換えた方がいいのだろう。無精ものにはなかなか大変なことである。
 ちょうど今日の『TVチャンピオン』で、「アクアリウム」のスペシャリスト勝負で、汚水槽のリフォーム勝負が行われていたが、手入れをしない人間はここまで何もしないのか、と言いたくなるくらいに水槽を放置しているのである。中の岩に藻だのコケは生えまくるわ、珊瑚は死んでるわ、水は淀んで泥みたいだわ、よくサカナが生きてられているものであった(1、2匹は生き残っていたが、大半は死んだのだろう)。……何だかもう、生き物飼うのにどういうリスクが付いて回るのか考えてないやつって、ブレーンバスターでも掛けてやりたくなるのだが、コーディネーターの方が「生き物を飼う資格なし!」と断言していたが全くその通りである。……「ファインディング・ニモ」が流行ったからって、クマノミ飼いたがるやつは既に根本から考え方間違えてるので、反省するように。
 ……しかし、ウチの中で一番掃除が行き届いているのが「カメの水槽」というのはどうしたものですかねえ(-_-;)。


 昼ごろ起きてきたしげに、麻婆春雨を作ってやる。中辛だったので、しげの舌にはキツかろうと、牛乳で煮込んで卵を絡めて、辛味をかなり取ったのだが、それでもしげ、「辛い辛い」と水をがぶ飲みしながら食べる。もうそろそろオトナの舌に切り替わってくれてもよかろうと思うのだが。
 夕方からしばらく行くのをサボっていた歯医者に。
 明日から盆休みなので、これは行かなきゃ仕方がない。予約外の時間に行ったので、1時間近く待たされる。おかげで待合にあった『サラリーマン金太郎』を4巻まで読んでしまった。さて、1巻読むのにかかった時間は何分?(^o^)
 今日の治療は、今までで一番痛かった。治療してる最中に、歯の中からドロッと何かが流れてきたような気がしたが、気のせいだろうか(~_~;)。

 歯医者からの帰り道、ホームセンターに寄って、カメグッズを物色(またかよ)。
 カメの甲羅に塗るクリームがないかと探してみたのだが見つからず。確かあれはキャナルのペットショップにあったと思うから、今度はそこで探してみよう。手ぶらで出るのも何なので、濾過器のフィルターの詰め替えを買う。


 夕方、広島からこちらに帰省している高校時代の友人のH君に電話をかける。
 同窓会に出るつもりかどうか、聞いてみたのだが、ハガキ自体届いてないとか。高校のころから彼の実家の住所は変わってないのに、ウチの幹事は何やってるのか。まあこの幹事、気はいいし面倒見のイイやつではあるのだが、押しつけがましくて勝手にこちらをヒマと決めつけて同窓会に出ろ出ろと勧誘するので、かえって出る気をなくしてしまうのである。友達に会うのは吝かではないのだが、何しろもう殆ど名前と顔が一致しなくなってるから(^_^;)。当時見てたアニメとかそんなのは覚えてるのになあ。オタクが人として道を踏み外していると感じるのはこういうときである。
 ということをH君に話したら、「オレも同窓会に出るならアルバム見ておかないとな」と来たもんだ。当然、彼も強度のオタクである。私は彼と出会ったときのことを鮮明に覚えているのだが、彼の方はすっかり忘れている。まだ私の方が半身くらい人の道に引っかかっているということだろう(五十歩百歩という説もあり)。


 今日読んだ本。
 江戸川乱歩全集第2巻『パノラマ島綺譚』。
 マンガ、キム・ジウン、古結あかね『箪笥 ~薔花紅蓮~』
 山田風太郎・せがわまさき『バジリスク 甲賀忍法帖』5巻(完結)。
 原作とは結末がかなり変更されている。でもまあ、いい終わり方だった。アニメも期待。


 タレントのおさるが占い師の細木数子の勧めで、芸名を「モンキッキー」に変更することを正式に発表したが、この名前、「モンキー」と、「金のなる木」という意味の「金木(きんき)」を組み合わせ、画数も考えて「モンキッキー」と命名したのだそうな。てっきり細木さん、『クレヨンしんちゃん』のファンかと思ったのに残念である。
 しかし、細木さんの勧誘の仕方がすごい。「変えなかったら地獄に送る」って、殆ど麻原彰晃じゃん。「落ちる」じゃなくて「送る」だよ? これ、ある意味、脅迫罪が成立しやしないだろうか。私だったら、こんなことを言われたらかえって反発して絶対に改名なんかしないが、芸能人はそうもいくまい。占い師の占いそのものは怖くなくても、占い師に影響を受けているアチラの方やコチラの方のほうがずっと怖い。だからおさるにしてみれば、「改名するしかなかった」というのが現実だと思うが、これが裏目に出ないことを祈るばかりである。
 ……いや、『筋肉番付」に出てる時のおさるって、結構好きだったから。


 迷惑メールと言うかスパムメール、最近は特に手口が巧妙になりつつあるようだが、今日来たのはこんな内容。

> 差出人:********.dion.ne.jp
題名: この間はありがとう♪
> この間は誘ってくれてありがとう♪久しぶりに楽しかったよ(^ ^)
でもかなりドキドキだったけどね(^_^;)
やっぱり主人以外の人と遊ぶのって楽しいね!?
かおりは正直どうだった??今度は私が企画してみるね♪


 つまり、間違いメールを偽装するってやつである。慌てた人が「宛先間違ってますよ」と返信しようものなら、スパムメールが山と来る仕掛けになっているのだろう。……でもなあ、文面見る限り、この差し出し人と、相手の「かおりさん」とは旧知の間柄らしいのである。知り合いのメアド間違えるなんて、普通、あり得るかよ。
 この文面の作り手は、つまり「主人以外の人と遊ぶ」ような尻軽女のフリをして、あわよくばそういう女とお付き合いしたいと日ごろから考えている馬鹿男に「チャンス!」と錯覚させてダマしてやろうという目論見なのであろう。
 まあ、実際に返信してみたら、このあとどんなスパムメールが来るのか、興味がないわけではないが、こういうモノに引っかかっちゃアカンよ、と世間に知らしめることの方が大切である。くれぐれも「返信」などはなさらないように。
 万が一、これが本当の間違いメールだったとしても、どうせ知り合いならこのあともメールのやりとりくらいするだろうから、たかが一通、届かないメールがあったからって、差し出し人が困る事態になることは何もないことに気付こうね。

2003年08月12日(火) もうあまり長く書けません/映画『地球へ二千万マイル』
2002年08月12日(月) ほしのローカス(笑)/『トライガン・マキシマム』7巻(内藤泰弘)/『コータローまかりとおる!L』4巻(蛭田達也)ほか
2001年08月12日(日) 代打日記
2000年08月12日(土) 地雷炸裂/『スヌーピー26 ぼくはどこへも行かない夜』(チャールズ・シュルツ)ほか


2004年08月11日(水) ウソツキは恋の始まり

 掲示板で募集したウチの亀の名字、当選は其ノ他君と二上あやめさん。
 オメデトウ~! チャッ▽~ヽ(・_・)ノ~▼ チャッ△_(._.)_▲ チャッ▽~ヽ(^-^)ノ~▼
 「玄武亀吉」に「竜宮亀太郎」なんて、食い意地張ってるだけのカメにはもったいない名前だけれど、今後、日記に登場させるときにはいちいち「うちのカメの玄武亀吉は」とか注は入れない。数え方も「二匹」と書かずに「二人」と書く。人なのか亀なのか混乱する通りすがりさんがいないかな~、というイタズラ心なんだけど、まあ、あんまり引っかかるやつはいないか。
 「食い意地が張ってる」と書いたが、実際、ちょっと間を置くと二人ともすぐにガラスにぶつかって来て食事を請求してくる。モノの本を読むと、1日に、2~3回食べさせるだけで充分、と書いてあるのに、気がついたら5~6回は食っているのだ。二人のうち、竜宮亀太郎は臆病者でいつも岩陰に隠れているのだが、気配を感じるものなのか、エサに手を伸ばすと、ものすごいスピードで泳いでくる。臆病なくせに無防備である。しかも食い方が玄武亀吉に比べるとやたら汚くて噛んだエサをポロポロこぼしまくっているのである。こいつ、前世はしげだったんじゃなかろうか。
 飼い始めてひと月、二人とも1.5倍くらいの大きさになった。しげは「コイツらでかくなり過ぎ!」とそんなとこにまで文句をつけるが、カメがでかくなってイケナイということはないので、いいのである(そこの人、ヘンな深読みしない、しない)。


 昨晩は久しぶりの仕事だったせいか、しげ、朝方帰ってきて2時まで高イビキで眠る。
 レディースデイで、しかも招待券も溜まっていたので、キャナルシティまで珍しくも昼間から映画を見に行く。
 夏休みに入って、AMCの窓口にも長蛇の列が出来ていたが、中に入ってみると『サンダーバード』を見に来た客はそう多くはない。やはりたいていの客は『ハリポタ』とかに流れているのだろう。まあ、デート向きの映画じゃないしねえ。
 映画はテレビシリーズの前日譚的造りで、トレーシー家の五男、アランが正式隊員になるまでを描く。員数外と思われていたキャラクターが大活躍するというよくあるパターンで、新味はなかったが、子供連れで見に行くには一番丁度いいかな、という感じ。しかしベン・キングズレーもオスカー俳優だってのに役を選ばない人だ。

 そのあと、店をいくつか回って買い物。
 浴衣を手に入れて以来、しげは髪止めとかに凝り出して、あれやこれやと集め始めている。二つ同じ形のものを見せて、どちらの色が似合うか聞いてくるのだが、色弱の私にはどちらも同じ色にしか見えない。だからそういうものの見立てに私を引きずり回すなって言ってるのに(-_-;)。
 帰り道、ガストで食事。注文したのはロースステーキセット、しげのピンハネ付き。
 久しぶりに店内の「プラスe」で占いなどして遊ぶ。いつもこの手の占いをしげと一緒にすると、しげの方ばかりヒドイ結果が出るのだが、今日は珍しくもしげの方が好調。お互いの恋愛観をおカネに換算するのだが、これが私は一億四千万円くらいなのだが、しげは二億一千万もするのである。まあ、情熱度ってことなんだろうけれど。でも「人生の罰金」を占ってみると、私が一億円以上払わなければならないのに、しげが六千万円ぽっちでいいというのは、なんだか納得がいかないのであった。いや、たかがゲームの端末に怒ることもないのだが。
 「無意識的についているウソを診断する」という、「ウソ発見器」ってのもやってみたのだが、結果は、私が7割5分くらいウソツキなのに、しげは6割くらいしかついていない、と出るのである。どう考えてもしげの方がウソつきまくっているのになあ。
 「これまで浮気をしたことがありますか?」の質問に、しげ、躊躇なく「イエス」を押す。「誰と浮気したんだよ?」と突っ込んだら、「ひ・み・つ」と返事された。なんだよその「間」の置き方は。まあ、墓までヒミツとやらを一生持ってくつもりなら、それはそれで構わんけどね( ̄△ ̄#)。
 レッドキャベツに寄って、水を汲む。「またカメの水? オレのほうが現在進行形で浮気されとうやん!」と文句をつけるが、だからカメにまでヤキモチ焼くなよって。しげにとっては私が他人と喋ること自体が浮気になるので、どうしたって浮気者のレッテルを剥がすことが出来ない。
 浮気と言えば、昨日も一人で映画に行ったら、偶然知り合いの女の子と出会って、お喋りをした(もちろんこれだけである)。つい昨日の日記に書くのを忘れてしまっていたが、そういう出来事をあとから思い出して「そう言えば」なんて言った日には、「何で隠してたの!? やましい気持ちがあるから!?」としつこく問い詰められて叶わない。ただ単に書き忘れてただけだっちゅーのに。この程度でも、しげにとっては「浮気」ということになってしまうのであろうが、面倒臭くて仕方がないのである。……ああ、でもういう「記憶のケツラク」が無意識の「ウソ」ってことになるのかも、かも、かも?


 先日、章子怡(チャン・ツィイー)主演にならないかなと書いていたアーサー・ゴールデン原作の映画『さゆり“Memoirs of a Geisha”』のキャスティングが固まってきたようである。
 主人公のさゆりはめでたくチャン・ツィイー、さゆりをいじめる芸妓の初桃に鞏俐(コン・リー)、さゆりが慕う先輩の豆葉に楊紫瓊(ミシェル・ヨー)という布陣。見事に日本人俳優がいないが、この分だとどうやら製作のスピルバーグ、故・黒澤明監督の遺言である「日本人に英語を喋らせないように」という忠告は確実に無視する意向のようだ。黒澤監督の気持ちはわかるけど、世界配給もしようって映画を日本語オンリーで通すのは商売としては無理があるよな。どうせ『ラスト・サムライ』以上のヘンテコ映画にしかなりゃしないことはハナからわかってるから、何語で喋ろうがカタコトだろうがどうだっていい。
 申し訳程度に渡辺謙の出演も決まったみたいだけれど、キャリア落とすことにならなきゃいいけどなあ。他にも栗山千明や小雪にオファーがあるって話も聞いたけど、スピルバーグにしろ監督のロブ・マーシャルにしろ日本を舞台に映画撮ろうってわりに日本の映画見てないよな。少しはタランティーノを見習え。鈴木杏とか小西真奈美、深田恭子、加藤夏希、蒼井優、市川由衣、伊東美咲、釈由美子、いくらでも候補者はいると思うけどなあ。


 北海道石狩市の佐々木多恵子さん殺害事件、犯人の私立高校1年生男子、やっぱり佐々木さんの長男に中学時代にいじめられていたそうな。「カッターで肩を切りつけられたり、(壁に)頭をぶつけられたりしたこともある」というから、かなり陰湿なイジメだったのだろうが、どうして今頃になって復讐を思い立ったのかと言うと、「中学の卒業アルバムを見ているうちにそれを思い出し、次第に腹が立ってきた」のだそうな。
 「佐々木さんが死ねば中学時代にトラブルがあった(佐々木さんの)長男が悲しむと思った。(佐々木さんに対しては)今は悪いことをしてしまったと思っているが、自分をいじめていた長男に対してはまだ思っていない」と堂々と言い放っているから、こないだまでの報道にあった「長男がいなかったから代わりに」という話とは随分食い違っている。ただの馬鹿かと思っていたがそうではないのか。
 もしも犯人が最初から「母親の方をターゲットにしていた」というのなら、この復讐、辛辣というか、胸糞が悪くなるくらいい陰険である。被害者の長男は、まさか自分がイジメたことで母親を殺されるとは思ってもみなかっただろう。これからは「自分のせいで母親が殺されたのか」と、一生後悔し苦しみ続けることになる。これは本人を殺すよりもずっと復讐としての目的を果たしていると言えるかもしれない。
 粘着質の人間に関わると、いつまで執着されるかわからんという見本のようであるが、出会いは偶然であることが多いから、逃げようったって逃げようがないのである。しかし、事件そのものが起こらずにすんだ可能性は決して低くはない。
 生徒の代理人の弁護士によると、生徒の母親も「息子がいじめられていたので、中学の担任教師に相談した」と話したとか。これも「いじめはなかった」と先日発表していた学校側の答弁とは真逆である。結局は学校のコトナカレな姿勢が、犯人の思い込みを助長させたとは言えまいか。少しずつ、少しずつ、この犯人が狂っていった可能性だって充分にあるのだ。
 「いじめが原因にあった」「学校が対策を取らなかった」となると、この犯人、情状酌量の余地が出来てしまう。しかし、中学卒業後4ヶ月も経って復讐、というところに私はどうしても引っかかりを感じないではいられない。推測だが、そのあたりの粘着質の背景に、日頃から奇妙な言動があったとか、やはり何か心に病気があったと診断されるような状況があったのではなかろうか。
 そういう点に周囲が気付いて何らかの「治療」が行われていたら……。言っても詮無いけど、少年犯罪の原因の一つに、いつだって「オトナの見て見ぬふり」があることは疑いようもないと思うんである。……タメイキ。

2003年08月11日(月) 水がまた来る/『さちことねこさま』1巻(唐沢なをき)
2002年08月11日(日) 島田賢志君、元気?(読んでねえって)/DVD『∀ガンダムⅡ 月光蝶』/『キカイダー大全』(岩佐陽一編)ほか
2001年08月11日(土) 代打日記
2000年08月11日(金) 小心者は女房に内緒で寿司が食えるか?/『冥王と獣のダンス』(上遠野浩平)ほか


2004年08月10日(火) 本名、また変わりました(T∇T)。

 しげ、結局、朝まで帰って来ず。
 なんでも鴉丸嬢と、シンミリした話までしていたそうな。しげも鴉丸嬢も、決して裕福とは言えない家庭に育っているので、つましい話はいくらでもある。具体的なことはあまり書けないが、聞けば「お前たちゃ闇市世代か」と言いたくなるような話もいっぱいだ。しかも自分たちのことだけでなく、時として他人さまのことまで気にかけているのだから、そんな余裕があるのか、まずは自分たちの足元をしっかりと固めることの方が先決じゃないかと思うのである。
 「これから子供ができたとしてさあ、誕生日のプレゼントには、せめて3000円くらいのものはあげたいよね」って、月収いったいいくらなんだ。物価が30年は逆行してないか。
 不況だとは言え、がむしゃらになって働けば、20代でも月に15万から20万は稼げるはずである。贅沢したり、遊んだりしなければ、子供の喜ぶものを借金せずにプレゼントすることだって可能なのだ。それができない親はそもそも親になる資格がない。
 パチンコに行ってる間に子供を車の中で死なせてしまうような馬鹿親のことを嘆いたところで仕方がない。まずは自分がそうならないよう、ハラを括っていかなきゃならないだろう。


 帰宅したしげを休ませる間もなく、車を運転させて区役所に向かう。昨日父から頼まれた戸籍謄本を取りに行くのが目的。
 しげは「眠い眠い」とブツブツ言ってたが、出かけることは分かっていたのだから、ちゃんと夜には帰ってきて、寝ておけばよかったのである。
 「だったらいいよ、わざわざ送ってもらわなくても」と言うと、「送るよ、送ればいいっちゃろ!?」と逆ギレされる。逆ギレするくらいなら、最初から素直に送ればいいのに。
 謄本を取って驚いたのは、以前は手書きだったものが、いつのまにか印刷に切り替わっていたことだ。それはそれで構わないのだけれど、よく見ると私の名前の漢字の「字体」が違っている。つまり私は、私の知らないうちに本名が書き換えられていた、ってことになるのだが……って、ちょっと待てコラ、仮にも役所がそれでいいのかよ。それって、こっちが本名書いたら、本人として認めてもらえないってことじゃんかよ。
 でも、ここで文句をつけて時間を食うと、またしげがキリキリしそうだったので、苦情を言うのは諦めた。まあまた何かの機会に訂正してもらうことはできるだろうし、できなくても名前なんて所詮、記号だからどうでもいいのである。
 ……つかさ~、私の本名って結構珍名なんで、やたら書き間違えられるんだよね~、だからも~、人は自分の思いたいようにしか人のことを認識しないんだな~って、悟っちゃってっからさ~、みんな好きなように書けば~? みたいな感じでとうの昔にヤケになっているのである。
 謄本には当然、しげの名前もしげの両親の名前も載っているのだが、それを見てしげが目を丸くしている。「どうしたんだ?」と聞くと、「母さん、こんな名前だったんだ!」
 誤解のないように解説しておくが、しげは別に母親の名前を知らなかったわけではない。知ってはいたが、亡くなったのがしげが5歳の時だったので、字でどう書くかまでは覚えていなかったのである。
 でも、婚姻届出すときもしげは同じこと言ってたんだがな。多分また10年くらい経ったら、母親の名前を忘れてしまっているだろう。

 父に謄本を渡した帰り道、「はかた文具館」に寄って「認印」と「訂正印」を注文する。さっきも書いた通り、私の本名は珍名なので、ほとんど三文判で売ってた例がない。しげが職場で訂正印がほしいと前から言ってたので、思い立って作ってもらうことにしたのである。……つか、なんでしげは今まで自分で注文しなかったのかな。
 しげの旧姓も実は珍名である。しげは以前、「鳳啓介と京唄子みたいに、離婚と結婚繰り返して、記念日たくさん作らん?」とか言ってたのだが、そのためには改めて旧姓の印鑑を作らなければならないので断念したのである。つか、そんな理由で離婚しようとするなって(-_-;)。

 今日読んだ本。
 マンガ、小林よしのり『ゴーマニズム宣言 EXTRA』1巻。
 横山光輝『音無しの剣』。
 矢也晶久『なんだかコワレ丸』6巻(完結)。
 天樹征丸・金成陽三郎原作、さとうふみや作画『金田一少年の事件簿』3、4巻。


 『キング・コング(1933)』(間にクロマルが入ることで、悪名高きリメイク版『キングコング(1976)』との区別が付くようになっている。これを忘れるとマニアからえらく叩かれてしまうので、気を付けないといけないのである)のヒロイン、フェイ・レイが、8日、ニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去、享年96。
 『キング・コング』の悲鳴女優(あちらでのニックネームが“The Queen of Scream”である)としてあまりに有名になってしまったために、モノの本を紐解くと、他の作品が忘れられて不遇の女優であったように書かれている記述も多い。確かに『キング・コング』以降、彼女のセックス・アピールばかりが重宝されて安手のスリラーとかに起用される例も多かったようだが、50年代には中年の自然な演技派女優として、カムバックを果たしている。『ペリー・メイスン』や『ヒッチコック劇場』『ハワイアン・アイ』などのテレビ出演も多い(ちなみに、リメイク版でのヒロイン、ドワンを演じたジェシカ・ラングも同様の運命を辿り、カムバックに時間がかかった)。
 それでも私が見ているフェイ・レイ映画は『猟奇島(1932)』と『キング・コング』だけなので、その匂うような美しさばかりが印象に残る。苦労はしたかもしれないが、『キング・コング』に出演したことを後悔はしていないのではないか。あちらの小説を読んでいると、たまに「フェイ・レイのような悲鳴」という表現に出くわすことがあるが、それくらい、彼女の恐怖の表情と声は、人々の心をつかんで離さなかったのだから。
 現在進行中のピーター・ジャクソン版『キング・コング』は、1976年のリメイク版のときと違って、ヒロインの役名もオリジナル版と同じ「アン・ダロウ」(演じるはナオミ・ワッツ)である。これを見た彼女の感想をぜひ知りたかった。あれから70年を経てようやく、スリラーやモンスター映画に出演することが決して女優としての格を落とすことにはならなくなった現状を、喜んでいてくれたらいいと思うから。
 遺作はヘンリー・フォンダ主演の法廷もの、『冤罪』(1980/劇場未公開・テレビムービー)。ビデオ屋かどこかに置いてないかな。


 夏も中盤に入って、映画興行の成績も大方、結果の予想が見えてきている。
 何と言っても一人勝ちしているのは、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』で、累計興収が100億円を突破、まだまだ数字は伸びると見られる。続くのは『世界の中心で、愛をさけぶ』で、来週までに80億円到達の見込みだそうな。この二つまでに届くか届かないか、というのが『ポケットモンスター・アドバンスジェネレーション』と『スパイダーマン2』、先週までの興収が『ポケモン』が公開4週間で27億円、『スパ2』が公開5週間で45億円である。『シュレック2』と『キングアーサー』がこれに続いて、ここまでで全体の興行収入の8割以上を締めているというのだから、あとの作品の成績は推して知るべしである。『スチームボーイ』の無視のされ方は、大友克洋神話が完全に崩れ去ったことを意味はしないか(つか、そんなもんあったんかいって感覚なのだが)。この分だと15億にも届かないような気がする。
 あとは先週初登場の『リディック』が公開2日間の興収で既に2億円弱とまずまずのスタート、最終的には興収15億円以上になろうかというところ。『金色のガッシュベル!! 101番目の魔物』は5位デビュー、注目の『サンダーバード』は7位デビューで、両作とも興収10億円見当というところで、まあ、上位作品の牙城を崩すところまでは行きそうにない。けれども、『ガッシュ』は充分奮闘していると言えるだろう。それに引き換え、『サンダーバード』の不振ぶりはちょっと予想外だった。いや、つまんないだろうとは思いながらも一応見に行くつもりではいたから(どうしようかなあ)。なんと本国アメリカでもベストテン入りできずに大コケ中なので、やっぱり企画から何か間違ってたんだろうなあ、なんでもかんでもリメイクすりゃいいってもんじゃないよ、と判断するしかない。私はオリジナルの『サンダーバード』は黒柳徹子と大泉滉目当てで見ていたので、マリオネーションでも吹替えでもない『サンダーバード』には魅力は殆ど感じないのである。

 それにしても毎年思うことであるが、映画好きを標榜していながら、その年の興行収入上位の作品を劇場で見ていない場合って、すごく多いんだよね。あとでテレビ放送で見たりはしてるけど。例えば今回も、『ハリポタ』と『セカチュー』は“まだ”見ていない。理由はいつも「しげが見たがらないから」であるのだが、『スパイダーマン2』も『シュレック2』も、しげはそんなに見たがってはいなかったのだ。
 いや、ヒットした映画が必ずしも面白いとは限らない。しかし、いやしくもモノを作ろうとする人間が、“あえてヒット作を避ける”態度を取るというのはどんなもんかと思うのである。しげの演劇の師匠は、火野葦平とも交流の深かった劇作家の鶴島正男先生であるのだが、「芝居を見るのは素人だ。素人に分からない芝居は一人よがりなものでしかない」ということを強調されていた。忘れっぽいしげでも、そのことは覚えているはずである。自分の好みは好みとして、その国、その時代における人々のニーズを全く無視して芝居を作ろうというのはエンタテインメントを目指す者としては明らかに間違っているだろう。しげの、「嫌いなものを好きなふりはしたくない」という意見自体は間違ってはいない。多分、『ハリポタ』も『セカチュー』も見ればかなりつまらないのだろう。
 けれど、ならばその「つまらないもの」がヒットしている理由は何なのか、「つまらない」と感じている中にも実は「面白いもの」、人々の心をつかむ何かがあるのではないか、それは確かめておかなきゃならないことではないのか。そうでなければ、自分たちの作るものが、人々に何らかの形で訴えかけるものには決してならないと思う。


 というわけで、夜になって、しげを置いてきぼりで天神東宝まで『世界の中心で、愛をさけぶ』を見に行く(ホントはしげは仕事です)。
 公開15週目で、平日の最終回だというのに、劇場内にはまだ三、四十人ほどの客がいた。こりゃ本気でヒットしてるんだなあ、と感心。恋愛モノなんていつの時代でもあるありふれたものだろう、と思われる方もあろうが、そういった中でも時代のニーズとぴったり一致した「当たり年」ってのはあるのだ。
 予告編は『感染/予言』(『予言』はつのだじろうの『恐怖新聞』の映画化)、『NIN‐NIN ハットリくん・ザ・ムービー』『ゴジラ FINAL WARS』『笑の大学』『ハウルの動く城』など。
 『笑の大学』はあの傑作戯曲を映画としてどう構成するんだろうと心配の方が先に立っていたが、どうやら「笑の大学」の舞台も映像化するようだ(戯曲版を知らない人のために簡単に解説すると、戦時中、「笑の大学」という名前の軽演劇の座付き作者が、警察に台本を検閲されて削除、改訂されるたびになぜか芝居が逆に面白くなってしまうというストーリーの、三谷幸喜作のシチュエーション・コメディである)。「おみゃあさまはお宮でないか」「さるまた失敬」のあのしょ~もなくも楽しいギャグはちゃんと踏襲されるようである。映画も傑作になってくれるといいなあ。
 『ハウル』はついに倍賞千恵子、美輪明宏の声が聞けたが、この二人は声優経験も何度となくあって手馴れたものであった。でもキムタクの声はまだ流してないんだよね。……不安材料があるのかな~(^_^;)。

 で、本編の映画はというと、ところどころ“つまずく”ところはあるものの、かなりよくできたホンになってはいるのだった。ああ、これなら結構なオトナも泣くでしょ、という印象。ちなみに私もやっぱり泣いてしまったのだけれど、「人死に」のある映画では私はほぼ泣くので、映画の出来とは関係なし。
 不満は「愛の奇跡」を描ききれていない、ということ。こういう大時代的なメロドラマは思いきって大ウソをついた方がいいのである。白血病をリアルに描く気がないのなら、なおのことである(だって死ぬ間際までヒロイン、血色よくてツヤツヤしてるんだもん)。
 台本のセリフそのものに力がないのも、弱点か。山崎努の「生きてる者にできることは、死んだ者の後始末をすることだけだ」ってセリフはなかなかよかったんだけれども。

 帰宅途中、しげの店に寄って遅目の夕食。
 レジで代金を渡すと、しげまで「千円“から”お預かりします」なんて言いやがった。嗚呼!(T∇T)

2003年08月10日(日) 二元論の陥穽/『魔法先生ネギま!』1巻(赤松健)/『金田一耕助ファイル6 人面瘡』(横溝正史)ほか
2002年08月10日(土) 映画ファンってどこにいるの?/DVD『∀ガンダムⅠ 地球光』/『アフター0 著者再編集版』1・2巻(岡崎二郎)ほか
2001年08月10日(金) 代打日記
2000年08月10日(木) トマトの罠/『太陽がいっぱい(リプリー)』(パトリシア・ハイスミス)ほか


2004年08月09日(月) 「さびしんぼう」は詐欺師のエサ

 今日で盆前の仕事は全ておしまい、明日から一週間ほど盆休み。世間では帰省ラッシュが始まっているようだが、先祖代々の地元民だから、帰るところはない。祖母と母の迎え送りをするだけの小ぢんまりとした盆を過ごす予定である。
 ……まあ、コンテンツの更新もできるだけしたいのだけれど、読みかけの本やDVDも溜まってるしなあ。いい加減、日記も10行ぐらいでさっさと書いちまいたいと思っちゃいるのだが。

 父からまた電話あり、今度は「戸籍謄本を取ってきてくれ」である。……だからなんでそう、小出しに用事を言いつけてきてくれるかな。こないだ区役所に行った時に、一緒に取ってくればよかったのに。つか、急ぐようなこと言ってたから、わざわざ仕事を休んだのに、あとでもいいならまとめて今日行っておけばよかった。
 出張で赤坂まで出たので、しげを誘って食事でもしようかと思ったのだが、携帯に出ず。夕べはゆっくり寝たはずなのに、またクスリのんで寝てしまった模様。仕方がないのでそのまま帰宅したが、やっぱりしげは寝ていた。起きてきたのは七時過ぎ。
 しげはここんとこ鬱がひどくなっていて、仕事をしばらく休んでいたのだが(でも「ブルース・ブラザース・ショー」には行くのだ)、明日から復帰の予定。だから今日はゆっくりしてたいと言っていたのだが、結局落ち付かなくなったのか、ラクーンさんの練習に顔を覗かせると言って出て行った。そのまま2時を回っても全然帰って来ないので、どうしたのかと思って連絡を入れたら、鴉丸嬢のところに芝居の打ち合わせに行っていたのである。……だったらそうと連絡入れろ。起きて待ってたじゃないか。

 DVD『住めば都のコスモス荘 すっとこ大戦ドッコイダー』4、5、6巻(完結)
 マンガ、天樹征丸・金成陽三郎原作・さとうふみや漫画『金田一少年の事件簿』1、2巻。新書版の方は飛び飛びでしか買ってなかったので、文庫版で揃えることにする。以前の版と違うのは、エピソードごとに1巻ずつまとめていること、当初名前を隠していた天樹征丸氏の名前が1巻から記載されるようになったこと、パクってた小説(第2巻『異人館村殺人事件』は島田荘司の『占星術殺人事件』のトリックを流用している)を明記して許可をちゃんと取ったことをアピールしていることなど。……最初からそうしていれば、悪印象もかなり軽減されてたろうに。


 Real Integrity から、「携帯からも掲示板にアクセスできるようになりました」とのお知らせ。外出していても掲示板の書き込みがわかる、ということなのだろうが、そうしょっちゅう書き込みを確認するほどヒマじゃないし、便利なんだがどうだかよく分からないサービスである。でも世の中には「家にいた方がネットできない」人もいるだろうから。そういう人にとっては、トイレに入ったときにちょっと書き込みするとか、そういう点では役に立つのだろう。
 ……でもね、公衆トイレに入って入るとね、たまに隣で「ぴぴっぴぴっ」て音が聞こえることがあるけどさ、なんかそこまでしてメールだの何だのするもんかよ、キバってるときはそれに集中してろよオイ、って気にならない?


 北海道石狩市で、佐々木多恵子さん(46歳)が、同市内の高校1年の男子生徒(15歳)に、ナイフで胸を刺され殺される事件が発生。犯人の男子は「殺したのは自分だ」と自首したため逮捕された。
 最初ニュースを聞いたときには、46歳と15歳のカップルの痴情のモツレか? とドッキリしてしまったのだが、警察での取調べによると、犯人は佐々木さんの長男(16)と中学時代の同級生で、「(長男が自宅に)不在だったので、“代わりに”母親を殺害した」と供述していることが分かった。
 ……って、ワケわかんねえよ。
 警察は事件の背景に、学校内でのいじめなどの問題があったとみているということだが、原因はさておき、恨みの対象がいないからって、その親を代わりに殺す、ってどういうことよ? それって、「ソイツ的」には恨み晴らしたことになるっての? それ、どういうリクツよ。
 まあ、実際には現場で何らかのトラブルがあって、衝動的に殺してしまったのかもしれないけれど、相変わらず少年犯罪というのは「方法としては」アタマが悪いことではある(未成年が死刑になることはないと踏んで事件起こしてるんだったら外道だけど知恵は一応あるわな)。二人が卒業した中学の校長は、「(佐々木さんの長男は)おとなしい性格で、特別親しくはなかったが、逮捕された少年と遊ぶこともあったようだ。(2人の間に)相手の親の命を奪わなければならないような重大な問題があれば気付いているはず。担任だった男性教諭はショックを受けている」と語って、いじめなどのトラブルの存在を否定している。
 「気付いているはず」ってねえ、あーた。トラブルがあったからこそ事件は起こってるんでしょうが。教師に隠れてイジメる程度のことなら、イマドキの中学生はヘイキでやってのけますってば。……ここで、普通なら、生徒の状況を把握してなかった学校の責任を追求するところだけれど、ちょっと考えてみたいのは、確かに「トラブルらしいトラブル」なんてなかったのかもしれない、という可能性だ。何たって、アタマ悪いガキは、「こんなことで人殺すかよ」って言いたいくらい馬鹿馬鹿しいことで殺人事件起こすこともあるもんな。ナマイキだ、とか、持ってたガンプラ壊された、とかだけで。
 現段階では動機は明瞭ではないので、これ以上の詮索をすることは控える。けれど、なーんとなくではあるが、こないだの長崎佐世保小六殺人事件のときと同様、すごくしょーもない動機が発覚しそうで、もうミステリ作家が名探偵に「その程度のことで人は人を殺さないものです」なんてセリフを言わせることが「リアリティがない」と批判されても仕方がない状況になっちゃったのは確実なのである。……人を殺すのなんて、なんでもないことだったんですねえ。


 以前私のところにも届いていた"watanabe haruka"さんからのスパムメール、やっぱりうっかり「人違いじゃないですか?」とか返事しちゃって、続々と次のメールが送られ、最後は有料サイトに案内されてしまうハメに陥っちゃった人もいるらしい。
 文面が全部紹介されてたので、記載してみる。転載だけど、これは著作権には引っかかるまい(^o^)。

【1通目】From: "watanabe haruka"
Subject: メールもらったので返信します
> 私のパソコンに件名も本文も書いていないメールが来たので
とりあえず返信してみました。
私は女性で渡辺と申します。間違いだったらごめんなさい。


(「とりあえず返信」ってのが怪しすぎるよな。でもそれでも引っかかっちゃうツボは「間違いだったらごめんなさい」だろう。謝ってる相手に対しては、「赦してやらなきゃ」という気分がどうしても起こる。でもね、世の中本気で「ごめん」なんて言うオトナなんていない、ときたろうさんも言ってたよ)

【2通目】Subject: 有難うございます。
> そうだったんですかあ。 じゃあ誰が送ったんでしょうね?
けど、このメルアドが男の人だとわかって、ちょっとオロオロしちゃいました。
実は、私の周りって女の子ばかりだから、男性からメールをもらったことないんです。
でも、なんだかほっとしました。
わざわざメールをくださってありがとうございました。


(「無防備な女」をここでも演出して、男の気を惹こうとする見え透いた手段。なーにが「そうだったんですかあ」だ。でもこの二通目が来ちゃったら、返信しなくてもあとは勝手にどんどんメール送りつけてくるらしい)

【3通目】Subject: おはようございます。
> 私、メール続けてもいいんですよね?

> そういえば私の自己紹介してなかったですよね。
私の名前ですけど、渡辺春香と申します。
この間十八歳になりました。住んでいるところは横浜なんですけど、
山下公園って知ってますか?その近くに住んでます。

> 学校は中高とも女子校だから男の人との接点が全くありません。
それと身長は165cmで高い方なんですけど、
その割りにはやせているので、ちょっと食べないとなって思ってます。

> あとこの間、中島美嘉に似てるって言われたんですけど、
自分ではそんなことないと思うんですけど…
もし差し支えなかったら、あなたの事も教えてもらえませんか?

> 今、夏休み中なので、さっき起きたんですけど、
相変わらず家には誰もいません。


(中島美嘉はよく知らないけど多分好みじゃないです。ちなみに私は桜金造に似ています。つきあう?)

【4通目】Subject: お返事ありがとうございます。
> 朝起きても、家に帰って来ても誰もいない今の生活…これ以上私には耐えられません。

> 父親は浮気ばかりしてほとんど家に帰ってこないし、
母親は通訳の仕事で一年の大半を海外で過ごしているので、年に数回しか帰ってこないし、
兄弟もいないし、友達も夏休みに入ったら、みんな旅行や留学でいないし…

> 親から好きなだけお金を使ってもいいって言われているけど、
いくらお金を使っても、私の淋しい気持ちは全然埋まらない。むしろ余計虚しくなってくる。

> もうイヤ。こんな生活から早く抜け出したい…
あ~あ、いっその事、あなたのところに行っちゃおうかな?
…なんてね。無茶苦茶な事言ってますよね、私。

> なんだか、一方的に話しちゃってごめんなさい。
今日の私ちょっと変みたい…そろそろ寝ますね。おやすみなさい。


(なんか一気にリアリティのない設定になって、興醒め。家族の設定ってむずかしいんだよねえ。つか、親しくなってもそうそう家族のことまで詳しく語ったりせんわ)

【5通目】Subject: お返事遅れてしまってごめんなさい。
> この前は重いこと言ってしまいました。ごめんなさい。
あれから色々考えたけど、私にとって最後の夏休みなのに特に予定もないし、
私がどこかに行ったところで心配してくれる人がいる訳でもないし。
あなたに会う気があるのでしたら、私はどこにでも行くつもりでいます。
私の思い出作りのお手伝いをしてもらってもいいですか?


(おっ、いよいよナニを匂わせてきましたな。私んとこ九州だけど、海渡ってきますかね)

【6通目】Subject: 真剣に考えてもらえませんか?
> あなたさえよければすぐにでも会いに行きたいんです。
もし私のために時間を作っていただけるのであれば、
住んでいるところまで行って、会えるまで待っていても全然構いません。

> 私が学生だということは先日お話しましたよね。
もちろんあなたを疑っている訳ではないんですけど、
万が一、何かトラブルが起きて、学校に知られてしまうのはだけはどうしても嫌なんです。
> そのためにも信用しても大丈夫だよっていう確信を行動で見たいんです。

> 私が信頼しているこの番組 *********
に登録していただいて、私の掲示板に「はるか、約束守ったよ」って書いてもらうだけでいいんです。
その後は私の携帯アド ********* や直接電話で連絡を取り合うつもりでいますから。
今、私が抱いている小さな不安を取り除いてもらえませんか?


(99.9%の人がもう引っかからないと思うけれど、0.1%は登録しちゃうのかなあ。「アナタを信用しません」とハッキリ言ってるやつを信用するかいな?)

【7通目】Subject: 私の話を聞いてもらえませんか。
> おかしいこと言ってるって思ってますよね。
実はこの二年半の間、どうしても寂しさに耐えられなかった時、
その寂しさを紛らわすためにメールで知り合った相手と3回だけ会ったことがあるんです。

> 最初はヤフーとエキサイトの無料のメールを使って一人ずつ会ったのですが
どちらも会った後にストーカー行為にあい、しばらくは遠ざかっていたんです。

> けどある時、学校の友達にさっきの番組を教えてもらって、そこで知り合った人は
本当にとてもいい人で、一日だけでしたけど、とても楽しい時間を過ごすことができたんです。

> だからといって、その番組の中でメールのやり取りをした訳でもなく、
あくまで知り合ったきっかけでしかなくて、知り合った相手もすぐに私を見つけてくれたから、
お金もかかってなかったって言ってました。

> 私の中で無料のメールのやり取りだけで出会うのは本当に怖いんです…
それと嘘ついてしまって本当にごめんなさい…。


(この「嘘」ってのが何を指してるかが意味不明。徹頭徹尾ウソだもんね)

【8通目】Subject: 外は暑いですね(汗)
> 今、自分の家の庭からメールしてます。私、無茶なこと言ってないですよね?  都合のいい時間でいいですから、一緒に居て、同じ時間を共有してもらえればそれだけでいいんです。それに私の知らない場所でいろいろなものを見たり、感じたりできれば、きっと前向きで新たな気持ちも芽生えてくる気がするんです。ただ、私が先程お願いことだけはどうしてもわかって欲しいです。


(わかりません。さよなら)

 メールの内容は相手を男性と想定しているが、男性女性を問わずに送られてくるらしい。女性で、「私女性なんですけど?」と返事を出しても送られてくるのは同じ内容なので、会話はまず噛み合わない。
 まあ、最初の一通目で気付けばいいのに、とは思うが、やっぱり「もしかしたら本当に間違えて送って来たのかも」とか「逆にからかってやれ」とか余計なことを考えて引っかかっちゃう人もいるようだ。だからネットに無駄な労力使ったりしちゃダメだてば。やっぱりこの手の詐欺商法は千人、一万人に一人でも引っかかる馬鹿がいれば儲かっちゃうからやめられないってことなんだろうね。
 シティボーイズのコントで、「究極の親切は、人に親切をさせてあげること」というのがあったが、たとえ優しい家族に囲まれていようが、情報化社会の端末として機能せざるを得ない現代人は、その深層意識に除去することのできない絶対的な孤独を内包している。「誰かに優しくする」「誰かに親切にできる」「誰かから頼られる」ことで実は自らも癒されたいという欲求は、我々の心を知らないうちに支配していき、フト気付くと目の前にポッカリと黒い穴を空けていて、気がついたときにはズブズブとハマリこんでいて抜けないなんて事態にもなりかねない。
 ヒネた言い方であるが、「誰にも優しくせず」「誰に対しても冷たく当たり」「誰かから頼りにされることもない」方が、人として自立できる場合もあるのだ。もちろん、そこで孤独をかこつのであれば、結局は陥穽にハマることになる。孤独であってもその孤独を受容し屁とも思わぬ度胸と覚悟がなきゃただの因業ジジイかババアにしかならないのだが(想定しているのはトンガリさんなので、そこのキミ、自分のことだとか勝手に被害妄想に陥らないように)、世の中、まだまだ「さびしんぼう」は多いんだよねえ。

2003年08月09日(土) 一足遅れの祝4周年/『なんだかコワレ丸』4巻(矢也晶久)/『プリティフェイス』5巻(叶恭弘)
2002年08月09日(金) 文学を教養で語るな/劇場版『機動戦士ガンダム』四部作/『まんがサイエンスⅧ ロボットの来た道』(あさりよしとお)ほか
2001年08月09日(木) 代打日記
2000年08月09日(水) 姓は愚奈印、名は南公/映画『ジュブナイル』ほか


2004年08月08日(日) 悪魔と狂人の間に…

 昨日、中国を下したサッカー・アジア・カップ決勝戦の、“その後の”様子があれこれと報道されている。暴動になるんじゃないかなーと思ってたけど、予想は当たった。
 会場となった北京の工人体育場周辺では、試合開始前からスタジアムに入場できないファンが多数集まり、「小日本を打ち破れ」などと大声を上げて決勝戦の推移に一喜一憂していたが、中国の敗退が伝わった途端に、興奮した数千人の既知外どもがわけのわからぬ声を上げて大通りをデモ行進、一部の糞野郎は、持っていた紙製の日本国旗に火を付けた。「敵を殺せ」と叫びながら機動隊と小競り合いを繰り返す犬畜生、爆竹を鳴らす馬鹿猿、体育場から出る日本人が乗ったバスに投石しようとした豚コレラどももいたが、幸い、日本人の怪我人は出ずにすんだ。外道どものうち何人かは警察官に拘束されたらしいが、殆どは野放し状態である。
 この騒ぎで体育場内にいた日本人サポーター2000人と日本選手団が足止めを食らって、試合終了後2時間以上にわたって場外に出られなかった。サポーターの中には家族連れもいたのである。もし、子どもたちが外に出ていたら、あの腐れ脳どもに袋叩きにあって殺されていただろう。中国政府はこれまでこんな残虐かつ非道なテロリストどもを“戦時中でもないのに”営々として育ててきたのである。その責任をカケラでも感じているのだろうか?
 ……人口増加で悩んでるんだろ? こいつら全部とっつかまえて焼きはらっちまえ。凸(`△´+)
 もちろん、この事態に哀しみと憤りを感じておられる中国人の方がいらっしゃることも存じ上げておりますので、これらの罵倒は、あの場にいた既知外どもにのみ投げかけられたものであることをお断りしておきます。
 ……フト思ったけれど、『キノの旅』のキノがこの国に赴いたら、どんな感想を抱くだろうか。「逆恨みの国」?それとも「先に進むことを忘れた国」?

 ほかにも昨夜は、原田親仁駐中国公使が会場を出る際に、乗っていた車が群衆の一部に後部ガラスを割られたり、阿南惟茂大使の公用車も中国人観客に蹴られたそうである。

 話は変わるが、久しぶりに名前を聞いた、「阿南惟茂」という名前。
 覚えておいでの方も多かろうが、阿南在中国大使館特命全権大使と言えば、2002年に起きた瀋陽の北朝鮮人亡命一家の中国武装警官による連行事件の時に、それ以前に北朝鮮人の駆け込み事件が多発していることについて「大使館に入ってくれば、不審者とみなして追い出せ。人道的な面で問題になれば、わたしが責任を取る。入ってきて、面倒なことになるくらいなら、追い出した方がよい」と指示したことが問題化し、更迭もあるのではないかと批判の矢面に立たされた人物である(ご承知の方も多かろうが、ご父君は太平洋戦争時における最後の陸軍大臣で、敗戦と同時に切腹して果てた阿南惟幾(あなみ・これちか)。岡本喜八監督の『日本のいちばん長い日』では三船敏郎が演じてたね。本土決戦の強硬主張派として知られてるけど、本当は陸軍大臣という立場の手前、そう主張しただけで、敗戦は冷静に受けとめていたという説も根強くある人)。
 瀋陽事件については、北朝鮮家族の侵入を許し、武装警察の侵入も安々と許してしまった警備態勢の杜撰さは批判の対象になるとしても、阿南大使の発言自体は、まあ弱腰ではあるが特に問題はないと私は思っていた。単純な脱北者か、それともスパイか、区別がつかない不審人物を、保護なんてできるわきゃない。反日感情の強い北朝鮮人が日本大使館に亡命を試みるということ自体が不審なのだ。追い出して何が悪いか。ウロオボエだけど、結局あの家族、アメリカに行ったんだっけか韓国だったっけか。どっちにしろ日本に行く気は初めからなかったようで、ますますアヤシイのである。今は何やってんだろうねえ。まだ北と繋がってる可能性、あると思うけどねえ。仮に本当に純朴な脱朴者だったとしても、国は個人的な同情で動けるものではない。阿南大使へ批判の矛先を向けるってことは、「亡命者は何千人、何万人来ようがみんな受け入れろ」と主張するも同然なんだけどね、北の民衆の貧困がどの程度だと思ってるんだろうかね。
 北朝鮮による拉致事件が顕在化する以前は、マスコミも世論も、無批判にあの家族側に立っていた論調が多かったけど、今、同様の事件が起きたら、割合はどうなりますかね。
 日本の報道ってのは何についても尻すぼみだから、阿南大使があれからどうなったか、詳しく報道した記事はとんと見かけなくなってしまっていた。関係者は当然知っていたのだろうが、今回の件で、ああ、まだ大使やってたんだ、と一般の人たちにも判明したわけである。結局、「お咎めなし」(管理不行届で減俸くらいはあったかもしれんが)ということは、「北朝鮮人は追い出せ!」の発言は正当なものと認められたということだ。2年前、人道的見地からあの発言はどうのこうのとエラそうなことをのたまってた方々、改めて阿南大使を糾弾したらいかがですか。


 練習日だけれども、参加するのは夕方からにして、昼からシネリーブル博多駅で、長編アニメ『マインド・ゲーム』を見る。一週間しか上映しないんで、休日利用して見に行くしか仕方がない。しげは練習に行ったが、仮に予定が一致していても「絵柄が好みじゃない」と言って付き合うつもりはなかった。「嫌いなものを好きなフリするのはやめたから」という意見はゴリッパに聞こえるが、単に我を通してるだけである。映画でも何でも、作品は見てからでなきゃ評価が下せるものじゃないので、見もせずに「嫌い」と言い切るのは即断に過ぎるというものだろう。「だってえ、あの人ってえ、車持ってないしい」という理由で自分から言い寄った男をフルような馬鹿女とレベルはたいして変わらん。これまで散々我を通してきて、さらに頑固になろうってんだから、しげの将来は因業ババアになったも同然である。今からアタマがイタイよ。
 映画は『クレヨンしんちゃん』の湯浅政明監督の本格的映画デビュー作であるが、文句なしの大傑作。『クレヨンしんちゃん』はまだまだあの絵柄に“縛られて”いて、アニメとしての面白さを表現しきれていなかったのだなあ、と痛感。これを見ずして今年のアニメシーンを語ることは画竜点睛を欠くと言ってよいだろう。……いや、マジで私のココロの中では『カスカベボーイズ』『イノセンス』も遥かに越えた大感動映画でしたよ。思わず原作のロビン西の単行本にサントラ、Tシャツまで買っちまいましたから(^_^;)。

 ココロに感動の嵐が渦巻いたまま、パピオビールームへ。
 今日の練習参加者は千客万来、桜雅嬢、カトウ君、鴉丸嬢、ヒゲちゃんこと圭人嬢、其ノ他君、穂稀嬢(ハカセ)、しげに私。ある程度人数が揃っているので、黒子ダンスの練習をやっていた。演出としてはあまり口を出せる段階ではないので、傍観。
 よしひと嬢考案のチラシ案、もう一つインパクトが弱いというので、何とかならないかと相談、結局はキャストを変えて撮り直すことに決定。其ノ他君と鴉丸嬢のツーショットではどうか、ということになる。カトウ君としげはメインキャストであるにも関わらずチラシに登場しないことになってしまったが、まあウラで熱烈紹介するつもりなのでご甘受頂きたい。
 じゃあ、いつ撮影するか、ということになって、二人にスケジュールを聞いたところ、「今日しかない」ということになって慌てる。其ノ他君、明日から仕事で、一週間ほど全くからだが空かないのだ。仕方がないので、撮影場所を求めて、慌てて街中をさまようことになる。
「鴉丸さんちで撮る? 壁が白ければいいんだけど」
「ああ、うちの団地、車とかあってジャマ」
「じゃあ、ダイヤモンドシティに行く?」
……というわけで、鴉丸嬢、其ノ他君、と連れ立って、ダイヤモンドシティに向かう。なんか最近、ここにばっかり来てる気がするな。
 車中で、こないだの中村獅堂の丹下左膳はよかっただの、『誰も知らない』はイタくて見られそうにないだの、映画の話ほかしきり。今度の『丹下左膳余話 百万両の壷』は、キモノorユカタで来場すると千円興行だそうだ。こないだゲーセンでユカタを当てたばかりだったので、これをしげに着させれば、前売券を買わずにすむ。なんとまあグッドタイミングであったことか。でもこの映画もしげはあまり乗り気じゃないんだよねえ(~_~;)。
 『マインド・ゲーム』面白かったよ、と言っても、しげ、プリプリ怒ってノってこない。やっぱり私一人で映画を見に行くと、それだけで嫉妬するのである。だったらスケジュール合わせて見に行きゃいいのに、偏屈と一緒に暮らすといろいろめんどうくさいのである。

 エスカレーターの昇降口の壁をバックに、鴉丸嬢と其ノ他君とのラブシーンを撮影。いや、そんな濃厚なものじゃないけど、通りすがりのお子サマが見たりするとちょっとばかし教育上悪いかもしれないので、私が見張りに立って、人が来たら合図を送って、二人は素知らぬフリをして離れるという、ゲリラ撮影みたいなマネ。まあ、10分かそこらで撮影は終了したので、特に「ヘンな人たちがいます」とお巡りさんを呼ばれるような事態にはならずにすんだ(いやだから、ヘンなポーズとか撮ったりしてたわけではないのだてば)。
 そのあと、ジャスコで下帯買ったり、フタバ図書で本買ったり。最近亡くなった中島らもさんや野沢尚さんの本が平積みになっていて、なんだか心が痛い。「もっと活躍してほしかった」と口にする人は多いが、所詮は現世の人間のエゴである。苦しみなど、結局は当人自身にしか分からない。人は語れば語るだけ、孤独と虚しさの陥穽に陥らざるを得ない。そこから抜け出せるものなど、ほんのひと握りにすぎないのだ。今はもう、安らかにお休みくださいとしか言えない。
 みんなで和食の店でぶっかけうどんを食べる。ここで其ノ他君が生姜嫌いと判明。幸いなことに、この店は客が自分で生姜を摺ることができるのである。初めから薬味として入れてあるのであれば、せっかく注文したうどんが食べられないところであった。


 帰宅して、日記を書いていたら、椅子の上でそのまま寝てしまう。カラダの節々が痛むが、床で寝ても本の山にはさまれて節々が痛むので、状況はたいして変わらないのであった。
 今日読んだ本、さくらももこ『ももこのトンデモ大冒険』(徳間文庫版)。
ガッツ石松・鈴木佑希『最驚! ガッツ伝説』。


 「アトランティス大陸」はアイルランドだったという新説をスウェーデンの地理学者が発表したって。
 もうご承知の方も多かろうが、アトランティスは古代ギリシャの哲学者プラトンが『クリティアス』『ティマイオス』の中で紹介している伝説の島で、高度な文明を有していたが、地殻変動のために約12000年前に大西洋に没したとされている。一昔前のSF作品だと、やたらモチーフに使われてたけど、今はもうネタに使うことも憚られるくらいに陳腐になってしまっている。『百億の昼と千億の夜』とか、『アトランティスから来た男』あたりまでが何とか「マジメに」取り上げられていた最後の例じゃなかろうか。『ふしぎの海のナディア』あたりになると、ワザと狙ってやってるのがハッキリしているので、素直にノレないのである。
 なんたって、文献資料がプラトンの著書にしかないから、マジメに考えれば、実在の可能性などないに等しい。けれどその「ロマン」に惹かれるのか、「アトランティスはここだ!」という説を唱える人はこれまでまさに百花繚乱、ポルトガル沖のアゾレス諸島、エーゲ海の島などさまざまな説があり、合計するとその説は千とも二千とも言われている。
 今回の「アイルランド説」を唱えたのは、地理学者のウルフ・エルリングソンという人。世界中の大きな島50について、データを収集調査したところ、プラトンが描写したアトランティスの大きさ、地形、景色にほぼ当てはまり、特に中央に広大な平原があったのは、アイルランドだけだったという。
 ……と聞くと、「あれ? でもだったら『大西洋に沈んだ』という記述はどうなるの?」と誰しも疑問に思うだろうが、それについても氏はこう説明している。アトランティスが海底に沈んだという伝説は、英国北東100キロ沖の北海にあった浅瀬ドッガーバンクが津波で紀元前6100年に沈んだ出来事と混同したのだと。……ま、大陸があっという間に沈んじゃったって記述をまんま信じるよりはずっと科学的ではある。
 けれど、「アトランティス探索」ってのをマジメに研究するとすれば、「それがどこにあったか」ということよりも、「その伝承がいかに形成されていったのか」という民俗学的研究の方が本当は重要なんで、場所の特定にはあまり意味はないのだ。その点、日本の「邪馬台国はどこにあったか」論争と似ているところがある。
 「一夜で沈んだ島」の伝説など、世界各地に散らばっている。アトランティスは東洋で言えば蓬莱島なのであって、なぜ人は「島」に理想郷を求めるのか、そういった思想はどこからどのようにして伝播していったのか、それを辿ることで人類の文化、思想の源泉を求めていくことができるはずであり、その方がずっと意義あることだし面白いと思うのだが。
 このエルリングソンという人が勘違いしてるなあ、と思うのは、ロイター通信に対して、「誰もこれを思いつかなかったことに驚いている。信じられない」と語っていることである。信じられないも何も、「そんなつまらない説なんて誰も考えたことがなかった」というのが本当のところだろう。「ロマン」を求めるということがどういうことなのか、魚戸いさむの『イリアッド』を英訳して、読ませてやりたいところである。

2003年08月08日(金) 新車の名前はまだない。/DVD『諫山節考』/『低俗霊DAYDREAM』5巻(奥瀬サキ・目黒三吉)ほか
2002年08月08日(木) モラリストは読まないように(^_^;)/『軽井沢シンドロームSPROUT』1巻(たがみよしひさ)ほか
2001年08月08日(水) 代打日記
2000年08月08日(火) ボケ老人の夕べ/『カランコロン漂流記』(水木しげる)ほか


2004年08月07日(土) キャナルシティの『ブルース・ブラザース・ショー』3……多分4まである(^_^;)

 コンテンツの更新は滞っているわ(日記もだけど)、カメの名字は決めかねているわ、時間が今の3倍は欲しい今日このごろ、みなさんお元気ですか? 今日は立秋ですが、夏はこれからが本番です。暑中見舞いもあちこち出そうと思いながら書く時間が取れませんでした。残暑見舞いに切り替えようかと思いますが、これも書けるかどうかわかりません。とりあえず、掲示板の方に「残暑見舞」のイラストだけ挙げときますので(日記の方はうまく画像のアップができないんですよ)、こちらでご勘弁を。色つけようかと思ったけど、時間食うしヘタなんで諦めた(^_^;)。

 長いこと見る機会を逸していたアニメ『ケロロ軍曹』だけれど、ようやく見られた。テレビは相変わらず修理に出していないので、電波だけ飛ばして風呂のテレビで見ているのである。今日のエピソードは原作の夏祭りの話と、ラジオ・ジャックの話だけれども、原作よりアレンジがうまく効いていて各段に面白くなっている。やっぱ、佐藤順一監督にハズレは(たまにしか)ないわ。

 今日は朝からしげがずっと興奮している。もちろんキャナルシティでまたまたUSJの「ブルース・ブラザース・ショー」出張ライブがあるからだが、いい加減、あちらのスタッフの人たちにも、「こいつらまた来てやがるぜ」と顔を覚えられてやしないだろうか。まあ、覚えられててもいいんだけど。
 しげは、こないだ「行きたくない」とかゴネていたのがまるでウソのようで、もう何日も前からこの日が待ち遠しくてヤキモキしていたのである。しげがどれくらい興奮していたかというと、前回撮影したビデオを、特にB.B.のファンでもない鴉丸嬢に「ダビングしてあげようか?」と押し付けがましく言うほどであった。もちろん鴉丸嬢は断ったのだが、しげは「だってジマンしたかったんだい」と反応がまるでコドモである。
 「ねえ、今日もMCの人、前の時みたいに『今日キャナルシティにお越しのお客さんは超ラッキーですよ!』って言うのかな?」とか聞いてきたが、そんなことオレが知るか。台本あるならまんま同じでもおかしくないと思うが、しげがいったい何を気にしているかと言うと、「自分は『ラッキー』でここに来てるんじゃない! ちゃんと時間調べて来てるんだ!」ということらしい。別にそんなことでMCさんに文句つけるってのも、なんだかなあ、なのだが。
 ショーは、p.m.5:00/6:30/7:30の3回。夕方までには時間があるから、昼間は映画でも見て、それからショーに行けばいいんでないの、と提案したのだけれど、しげが無駄な体力は使いたくないと言うので、夕方まで休むことにする。時間はあるので、日記の更新などして過ごす。でもこれが書いても書いても終わらねえんだ。いや、途中で本読んだりしてるせいもあるんだけど。

 しげの気が急くので、車で20分もかからないキャナルシティへ、1時間早めに出かける。着いたのは当然4時20分頃で、ショーまでには40分もあるのだった。ステージではスヌーピーやらシュレックやらの撮影会が行われている。着ぐるみ嫌いのしげは怖くて近寄れない。本当なら、今の時点から、ステージ前に陣取って、B.B.ショーを待ちたいところなのだろうが、世の中全てがしげの都合のいいように動いているわけではないのである。
 福家書店で時間をつぶして、私は二階へ移動。俯瞰でショーをビデオ撮影するためである。しげは当然のごとく、ステージの真正面に移動。「日本で一番ダン・エイクロイドを愛している」と自信をもって断言しているしげだから、「遠慮」の二文字は全くアタマに浮かんでいない。
 前回同様、『ピーター・ガン』の噴水パフォーマンスのあと、MCの人が登場。これも前回と同じくジュンボーさんで、喋りも全く同じ。けれど、今日のB.B.は、みんなこないだのキャストとは変わっていた。サックスのジミーさんも、女性ボーカルのメイベルさんも別人。これならショーの中身が同じでも、ビデオ撮影する意味があるというものである。
 案の定、ショーの内容自体は前回と同じで、『エヴリバディ・ニード・サムバディ』『スウィート・ホーム・シカゴ』『シンク』『監獄ロック』と、曲目も同じ(あと一曲、エルウッドがプレスリーの曲を歌っていたが、こちらはタイトルを失念)。途中のカタコト大阪弁、「かまへん、かまへん」なども同じだった。
 けれど演技自体は前回のグループよりずっとコミカルだった。ダンスの振り付けもちょっと違う。集まっていた観客の笑い声も、前回より大きかった感じで、前回の渋く決めたB.B.もいいけれど、子連れ客の多い夏休みはこちらのグループの方がウケはいいんじゃないかと思われた。しげはやっぱり最前列で座り込んで、タテノリだかヨコノリだかわかんねえ動きでバッチバチ拍手しまくり。ショーが終わったあと「手がイタイ~」と泣いていたが、当たり前である。
 ハンバーガーで食事をしたら、あっという間に1時間。二回目はま真正面から撮影することにして、しげの背後に立つ。二回目の曲目が入れ替えられたのも前回と同じなら、女の子を攫って、舞台で踊らせる展開も同じ。どうやらショーは2パターンしかないようである。新しく歌ってくれたのは『ソウル・マン』と『フリップ、フロップ・アンド・フライ』だが、しげは特に『フリップ』が好きで、これが聞けて嬉しがっている。
 途中、B.B.がお客さんの中にまで乱入する。これは前回にはなかった趣向だった。私のデジカメに向かってエルウッドが「イエ~!」と親指を立ててきたので驚いたが、こちらもすぐに「イエ~!」を返した。……なんか、イエーをしたのなんて、10年くらい前のような気がする。
 三回目は一回目と同じ。今度は上手側から撮る。当たりはすっかり日が落ちて、暗くなっていた。しげは、3回見終わって、一応満足したようだったが、「エルウッド、オレにだけ全然マイク向けたりしてくれなかった。オレってそんなに怪しい?」。
 ……そりゃ、B.B.を意識して、全身黒づくめで来れば、かえって「アヤシイやつ」と思われるのは当然でしょ。


 帰宅したら、ちょうどアジアカップ決勝の真っ最中。中国対日本、結局は日本が3‐1で勝利したが、最初から最後まで、中国人の観客の凄まじい態度の悪さを見て、いつか中国に行ってみたいという気がすっぱりと消えてしまった。どこで既知外に会ってひどい目に会うか分からないクニになど、とてもじゃないがコワくて足を踏み入れる勇気などないのである。
 ……それにしても、メダルを渡すねーちゃんまで仏頂面というのは、あちらの洗脳教育も行き届いていることである。あの国じゃ、イヌやネコまで赤旗振ってそうだな。


 今日読んだ本、マンガ、吉崎観音『ケロロ軍曹』9巻。
 雷句誠『金色のガッシュ!!』17巻。
 尾田栄一郎『ONE PIECE』巻三十四。
 手塚治虫『新選組』。

2003年08月07日(木) さよならロドリゲス/『クロノアイズ グランサー』2巻(長谷川裕一)/『謎解き少年少女世界の名作』(長山靖生)
2002年08月07日(水) コギャルかく語りき/DVD『久里洋二作品集』/『ヒカルの碁』18巻(ほったゆみ・小畑健)ほか
2001年08月07日(火) 代打日記
2000年08月07日(月) 胃袋には限界があるのだ/『江戸幻想文学史』(高田衛)


2004年08月06日(金) 女の子がいっぱい

 今度の芝居、黒子として出演してくれる人が10人ほどいるのだけれど、一番若い子はまだ10代の高校生で、なかなかの美少女である。……こういうことを書くと、またぞろしばらくウチの練習場から足が遠のいていたヤツが覗きに来て妙なちょっかいかけやしないかと心配になるのだが、事実だから仕方がない。まあ、危険人物についてはウチの連中も対処の仕方を覚えているから、仮にホントにやってきたとしても、適当にガードしてくれるでしょう。余計な手間がかかって大変ではあるが。
 今日はその子を含めた二人と、しげと、最初の簡単な顔合わせ。台本とスケジュール表を渡して、練習に参加できる日程などを確認する。しげはどんな子が来るのか、話が合わなかったら困るなあとか、いろいろ心配していた。練習中、打ち合わせそっちのけで世間話だの人生相談だのオタク話だのし始めるヤツとかだと鬱陶しくてかなわないし、そんなヤツならゴメンだと思っていたのだが、実際に会ってみると素直そうで可愛らしい子だったので、安心した模様である。つか、いきなり気に入ったらしい。
 「何か言っとくことはないかい?」としげに言ったら「(この子たち)抱いていい?」と来た。……お前、感覚だけなら充分中年セクハラオヤジだぞ。……まあ、相手も笑ってただけだからいいけど。
 女性にはみな「レズ」の傾向があるという話を聞いたことはあるが、なんかしげのそれが人一倍強い気がするのは気のせいだろうか。


 今日はしげの通院の日。しげのいつもの普段着はへこたれたシャツにズボン、髪は適当に結んでつっかけ履き、化粧っ気はまるでなしで、とてもトシ相応のレディーの姿ではない。しげ自身、「オレって、端から見たらヘンなヤツ?」としょっちゅう私に聞いてくるのだが、もちろんその通りである。しげを見た人間に、「実はコイツ、精神科に通院してるんですよ」と告げたら、十人中七人は「なるほど」と膝を叩くことであろう。なんでフツーの格好ができないかな。
 今日もしげは他人の眼など一切気にせず、腰に『魁!! クロマティ高校』の校歌入り手拭いをぶら下げていた。……だから、それ、女の趣味じゃないってば(~_~;)。それどころか、カウンセリングのお兄ちゃん(としげは呼んでいる)に、「それ、クロマティ高校ですね?」と聞かれて、「あ! こいつ、『クロマティ高校』のこと知ってやがる! ……もしかしてオタク?」と思ったとか。……いやね、普通、そんなの知ってる人間より、現物を堂々とぶら下げてる人間の方が、かな~りオタク度は高いと思うんだけどねえ。


 夕方から、株券譲渡の手続きのために、父の店に向かう。サインするだけなので、用事は5分で終了。
 しげ、「シーメイト」のチラシを父に渡して、保養に覗いてみるのはどうか、と勧めていたが、車持ちでなければあそこはちょっと行きにくい。一応は風呂も大広間もあるけれど、風呂もそれほど広くはないし、子連れ客と出くわしでもしたら、かなりうるさいだろう。値段が安いのがトリエではあるのだが。
 店の新聞を見ると、一昨日、近藤真彦が溺れかけた子どもを救った記事が載っている。4日の午前中、和歌山県の白良浜海水浴場で水上バイクを操縦中に、沖合約150メートルあたりをゴムボートにつかまったまま流されて助けを求めていた大阪府の小学2年生の男子を、たまたま水上バイク(ジェットスキー?)で通りがかったマッチが、海に飛びこんで助けたのだとか。
 実はついさっき、車の中でしげがそのニュースを話しながらウキウキしていたのである。「やるじゃんマッチ!」ということなのだが、しげがかつてはマッチの熱狂的なファンであったことは、知る人の少ない事実である。何しろ貧乏のどん底であった時代でも、親にせがんでマッチの映画にだけは連れていってもらっていたというのだから、ダン・エイクロイドを知る前のしげの完全無欠のヒーローはマッチだったのであろう。「なぜそこまでマッチに」と思わないでもないのだが、まあ、人の趣味はいろいろだからとやかくは言うまい。しかし、かつてのたのきんトリオの中で、「人助け」が一番似合うのは(まあ、似合う似合わないの問題ではないのだが)何と言ってもマッチであろう。その点、今回の件は言っちゃなんだが出来過ぎている。
 確か先週だったか先々週だったか、海外でもダスティン・ホフマンが行きだおれの女性を助けた、なんてニュースがあった。ホフマンなら、これまでに人命救助の3回か4回はやっててもおかしくない感じだが、善人のイメージの強い人物がまさにイメージ通りの行動を取るというのはなんだかかえって意外である。しげは、「善人のイメージがあるから、見捨ててはいけないでしょ」と言うが、逆にそのイメージがあるからこそ、関わらずに通りすぎてく人間だっているんじゃないかと思うけど、現実にはどうなんだかねえ、そこんとこ。
 ただ、マッチが「これをきっかけに、海難事故が減るといいと思います」とコメントしていたのは意味不明だった。……いや、別に海難事故は起こる時は起こるでしょうに。


 映画と食事に、ダイヤモンドシティに回る。
 「フタバ図書」で本を物色して、フードコートでラーメンとサイコロステーキ。映画は『キング・アーサー』。伝説のそれではなく、“史実の”アーサー王を描く、という触れ込みだが、だったら円卓の騎士がいるのはヘンだと思うけどねえ。戦闘シーンが延々と続くだけで「大作」と言ってるわりにはいささか退屈な映画だった。

 「フタバ図書」で見つからなかった本があるので、「ブックセンターほんだ」に回り、ロイヤルホストで軽食。時計は12時をとっくに回っていたが、連休の前日なので、チョイと夜更かし。
 帰宅して、忙しくてこの一週間ずっと水替えができなかったカメの水槽を思いきり洗う。水をたっぷり入れたら、それまであまり遊ばなかったカメの遊び場でも遊ぶようになった。“水中の”跳びこみ台から“水中に”跳びこむ姿はさて、カメとして正しいのかどうか。ウチの亀は、しげに脅かされて以来、水の上に上がるのが好きではなくなってしまっているのである。

 読んだ本、バク天! 総合研究所『爆笑問題のバク天! 発表! 輝くバカテスト大賞』。……テストの珍答案を投稿させたものだけど、インチキ投稿の方が多いような気がするぞ。
 鉄拳『新編集 こんな○○は××だ! Pocket1』『Pocket2』。しげがほしいと言うので買ったけれど、全然面白くない。
 マンガ、高橋葉介『悪夢交渉人』。


 9月6日から始まるNHKBS2の新番組『BSアニメ夜話』のラインナップが決まった模様。岡田斗司夫さんの『オタキング・スペースポート』に『銀河鉄道999(劇場版)』、『ルパン三世・カリオストロの城』、『あしたのジョー』、『カードキャプターさくら』の4作品が紹介されている。
 制作会社のアマゾンのホームページには『機動戦士ガンダム』と『アキラ』をやるように書いてあったけど、岡田さんの情報の方が正しいらしい。『ガンダム』や『アキラ』が後回しにされたのは、あれについては語り出したら止まらない(けれどもウスイ)連中が腐るほどいそうだし、ゲストの選定とかに手間取りそうだからかな? どの作品も語りつくされた感のある作品だし、下手をしたら『マンガ夜話』のように「今更そんなこと解説されなくても知ってるよ」みたいな内容になりかねないのだが、後発で深夜だし、何より今回は岡田さんがメインになるのだから、オタクが随喜の涙を流すような分析とか薀蓄とか秘話の数々とかを期待したいものだ。……でも松本零士や宮崎駿のワルクチって、やっぱり言いにくくないかなあ。
 ああ、あと、『マンガ夜話』の「一作家一作品」の枠もアニメの場合は取っぱらってもらいたいものである。大多数の作り手の手になるアニメに「一作家」って判断基準は当てはめるべきじゃないし、手塚作品なんか、原作、構成、監督とか、関わった作品の中から一作だけとかいうことになったら、作品がごそっと抜け落ちて、アニメの歴史自体が語れなくなるぞ。

2003年08月06日(水) 落ちていくのーねー♪/『ミステリー民俗学者八雲樹』5巻(金成陽三郎・山口譲司)/『クレヨンしんちゃん』36巻(臼井儀人)
2002年08月06日(火) プールサイドの妖精……誰が?/映画『パワーパフガールズ ムービー』ほか
2001年08月06日(月) 復活日記(笑)1・加筆もあるでよ/村上春樹『約束された場所で』ほか
2000年08月06日(日) まぬけ三態/『テレビ消灯時間2』(ナンシー関)


2004年08月05日(木) 尾篭なお話。

 昼日中、いきなり携帯が鳴り出したので何なんだと思ったら、また父からである。
 「また、お母さんの株券見つかったから、サインしに来てくれんか」
 ……母はいったいどれだけ株に金を注ぎこんでたんだろうか。
 今日は歯医者に行く予定なので、明日、仕事帰りに店に寄ると答えて電話を切る。
 今日の歯医者は女先生。この先生は男先生と違って、「こんにちは」と挨拶をしてくれる。治療がいつまでかかるか教えてくれないのは一緒だけれど。

 食事は久しぶりの「めしや丼」。しげは焼肉とロースカツ定食、私はハンバーグ定食。
 ご飯のお代わり自由がありがたいところだが、以前はウェイトレスさんを呼んでよそってもらっていた。それが今はセルフサービスになっている。初めそのことに気が付かず、ウェイトレスさんに「お代わりお願いします」と頼んだら、ちゃんと持ってきてくれた。しげが「お代わりあそこにあるんだよ」と言われて、指差されたところを見ると、なるほど大釜が置いてある。いちいち頼まなくても自分でよそえるのはありがたいのだが、なんとなく不衛生な気もする。
 しげが続けてウェイトレスさんに「お代わりお願いします」と頼むと、今度は「すみません、お代わりはあちらにありますので」と断られる。「お代わりのある場所、知ってるのになんで頼むんだよ」としげに言ったら、「だってあんたにはついでくれたから」と口をとんがらせる。知らずに頼んだ私と、知ってて頼んだしげとで、ウェイトレスさんの対応が変わるのは当たり前である。普段、客商売をやってるくせに、自分が客に回った途端にイヤな客になるのだから、今更ではあるがしげの性格の悪さに嘆息する。

 夜、グータロウ君からメール。実は最近、私の知り合いの知り合いが(直接の面識はない)女の子にチカンして逮捕されてしまったのだが、どこでそれを聞きつけたか、「いろんな人がいるねえ」とからかってきたのである。なんか、私も同類? みたいな言われ方はチト心外なのだが、そういう偏見で見られること、なぜか多いのである。そんなにオレってスケベ面してるかなあ? 一応、言っとくけど、無作為に100人の男を選んで、そのなかで一番スケベでないやつを選んだら、多分私はベストテンの中には入ると思う。そこにチチとケツがあれば、触ってあげるのが男の甲斐性、と思ってるような脳ミソが性器に侵略されててザーメン浸しのセクハラオヤジとは違うのである。もっともそれは、私が男としてのセックスアピールに著しく欠けているということでもあるのだが。
 中年男が若い女に入れあげたりするのは、「自分もまだまだ男としての魅力に溢れているのだ」と錯覚していたい「悪あがき」だという話であるが、ドン・ファンやカサノヴァや世之介じゃあるまいし、普通、人はトシを取ってもなお「もてたい」と思うほど気力、体力に満ち溢れちゃいないものである。このトシになると若い子とつきあうのにどれだけエネルギーが要るか、その手間隙を考えると、とてもじゃないがワリに合う話ではない。不倫だの失楽園だの痴漢だの、よくやるっつーか元気だねっつーか、そうなっちゃった人はそれはそれでしょうがないとは思うのだけれど、仮に目の前に素敵でナイスな(死語)異性が現れて、どんなに心がときめいたとしても、たいてい次の瞬間に「でもやっちゃったらあとがめんどくさいしな」とヒュン、と冷静になってしまうのが中年というものなのである。それもやっぱりしょうがないことなんだがね。
 ……と思うのだけれど、実際のところ、既婚者の浮気率って、どの程度なのかね? 離婚率が上昇の一途を辿ってるようなことを聞くと、確かに結構高いのかなあとも思うのだけれど。……いやまあ、誰とは言わんが知り合いでお盛んな人もいるしねえ(-_-;)。

 読んだ本、コナン・ドイル『まだらの紐』(創元推理文庫)。シャーロック・ホームズシリーズの外典。小説ではなく、戯曲版の方である。
 マンガ、安田弘之『先生がいっぱい』1・2巻。
 岡崎二郎『アフター0 NEO』1巻。


 またまた教師のおマヌケな不祥事……らしいニュース。
 熊本県阿蘇郡内の県立高校(どこも校名発表してないなあ。根回しがうまくいったな)の30歳代の男性教諭が、携帯電話のカメラで自分の下半身の画像を撮影して、メールで送信していたことで、自宅謹慎の処分を受けた、とか。
 最初、それだけ聞いたら、メールを受けた相手が怒って訴えたりしたのか、と思ったのだが、どうやらそうではないらしい。先にこの教師にメールを送り付けてきた「女」、これがまず「謎」の存在なのである。
 6月下旬に、自称「20歳前後の女性」と称する相手から教諭の携帯電話にメールが届く。メールは、教諭の実名を挙げて、「先生のアドレスに間違いないか」と確認をする。自己紹介を交わした後、2日間でそれぞれ約20回のメール交換をした……というのだが、さて、いったいこの「女」はどうやってその教師を「納得」させたのだろうか。普通、実在しているかしていないかも分からない見知らぬ女からいきなりメールが送られてきたりしても、怪しんで親しいやりとりなどはしないものだろう。「知り合いのふりをした」とも考えられるが、それだとすぐにバレてしまうのではないか。それともこのセンセイ、人の言うことはすべて信じてしまうようなすごく素直でピュアなココロをお持ちだったのであろうか。
 なんたって、このメールをやりとりしている間に、相手から顔写真と下半身の画像を送ってきたので、このセンセイ、自分の画像もお返しで送信した、というのである。相手が稀代の詐欺師で、相当な手練手管を使ってダマシにかかったというのでなければ、自分の下半身を送る気になったというのは確かにピュアじゃなきゃできるこっちゃなかろう(^_^;)。
 ……で、その後、その相手から「(教諭からの)メールが複数の生徒に出回っている」とのメールが寄せられたというのだけれど。
 ……犯人、生徒じゃん(-_-;)。
 つまり、このセンセイのメアドを知った生徒か、生徒の関係者が、「コイツをちょっとハメてやれ」とイタズラを仕掛けた、ということなのだろう。当然、送られて来た写真とかは本人のものではなく、どこぞのエロ雑誌かサイトで取得したものなのであろう。犯人(あるいは犯人たち)が、果たして女性であるかどうかも疑わしい。センセイがまんまと引っかかって、下半身写真を送り返してきたもんで、犯人は大笑いでトモダチみんなにメールを送りまくったのだと想像される。……イタズラのレベルとしては、『ハレンチ学園』でヒゲゴジラたちを引っ掛ける山岸たちと対して変わらんが、だからこそ逆に思うのである。……こんなアホなワナに引っかかるなよ、センセイ(~_~;)。
 事件は、県教委に匿名の情報提供があって発覚した、ということであるが、その情報提供者が犯人自身である可能性も高い。相当嫌われてたんかな、このセンセイ。
 まあ、悪いのは確かに犯人である生徒(?)のほうだけれども、このセンセイが処分されちゃったというのも当然であろう。罪状は「マヌケ罪」か。謹慎が長引いてクビにでもなっちゃったらチトかわいそうではあるが、こういう脳みそつんつるてんな教師に教壇に立っててもらうのも確かに困りものではある。
 この学校の校長は、「教師としてあってはならないこと。生徒らに迷惑をかけて申し訳ない。綱紀粛正を徹底したい」と語っているそうであるが、それってつまり、先生の方は責めるけれども、生徒の方は責めない、あえて犯人探しは行わないってことなのかな? メールを受け取った生徒を探し出せば、その友人関係から、「最初にメールを送ってきたやつ」をつきとめることは可能だと思うんだが、そういう手間をかけることはしないってか。でも、先生の行状は行状として、こういう陰湿な生徒だって取り締まっていかなきゃ、教育は成り立っていかないと思うんだけれどね。報道に校名が挙げられていない点一つ取っても、この事件を「なかったこと」にしようって学校側の姑息なハラが見える。でも断言してもいいけど、そういう体質のままだとこの手の事件は絶対に続発する。しかも次はもっと巧妙になってね。仮に、この学校の教員全員にそういうメールが送られて、引っかかった教師が半数以上出た、みたいな事態になってしまったら、この学校、どうするつもりなんだろう。……まあ、なったらなったで、アホな学校が一つ消えて、メデタシメデタシ、っていうことになるのかもしれないけれど。つか生徒も、どうせ学校を追いつめるつもりなら、それくらいしちゃえばいいのにな。……煽ってんのか、オレ(^_^;)。
 ……タイトルの「尾篭」って単語、昔はよく使ってたけど、最近聞かなくなったなあ。若い人はやっぱり何のことかわかんないだろうか。

2003年08月05日(火) 仕事ひと区切り/『金魚屋古書店出納帳』1巻(芳崎せいむ)ほか
2002年08月05日(月) いのち棒に振って/『おせん』其之四(きくち正太)/『ワンピースブルー』(尾田栄一郎)
2001年08月05日(日) ちょっとさよなら/『シルバー仮面・アイアンキング・レッドバロン大全 宣弘社ヒーローの世界』ほか
2000年08月05日(土) しまった、翌日になっちゃった/『人喰いの滝』(有栖川有栖・麻々原絵里依)ほか


2004年08月04日(水) 既知外にサッカー

 ここんとこ、トンガリさんとあまり顔を会わせなくてすんでいるので、精神衛生上、頗るよい。でもやってる仕事はトンガリさんの後始末。トンガリさんが秘匿しているデータを探り出して、経理上、問題がないかどうかをチェックしてるんだが、考えてみればこれってやってることまんまスパイだな。オレ、退職しても探偵社で務まるかも(ムリムリ)。
 案の定、会議に挙げてない出費がン万円もあって、これまでのものと合計すると、かなりな額になってしまう。よくよく調べてみれば、不正出費らしきものはあまり見当たらない(かつてはあったらしい)。要するにトンガリさんが「報告」だけしてくれれば何の問題も生じないのだ。結局、全ての元凶はトンガリさんの心のカベなんだよなあ。


 迎えに来たしげと、今日は久しぶりに「ジョリーパスタ」で食事。ここのスパゲティー、美味いことは美味いのだが、量が少なくて高いのが難点。しげはスパゲティーというと、いつもクリームソースばかりを頼む(こないだダイヤモンドシティで鴉丸嬢、其ノ他君と食事した時もクリームソースだった)。好みがあるのではなくて、目新しいメニューに飛びついて、自分の舌に合わない場合をひどく恐れているのである。……だったら自分が作る段になって、「創作料理」という名のゲテモノを食わせるようなマネはやめてほしいものだが。私はエビとホタテのウニソース。初めて食ったが、ウニがしつこくならない程度にパスタによく絡まっていて、風味のある上品な味。エビが殻付きなのがちょっと面倒だったが。
 そのあと「ブックセンターほんだ」に回ってもらう。昨日見た『箪笥』で、一部映像の意味がよく分からない部分があったので(メイントリックは冒頭で見破ったが、ディテールで見損ないがあったのである)、ノヴェライズを買って確認しようと思ったのだ。
 タイトルは映画とは違っていて『姉妹』(吉岡達也・著)。小説として読もうとすると退屈なことこの上ないが、それはそのはずで、これは映画を見た人が「あのシーン、どういう意味だったの?」というのを解説するために書かれているのである。だからくれぐれも映画を見ないで小説だけ読もう、なんて気は起こさないように。『箪笥』は「映像だからこそ成り立つ」トリックなのである。

 ほかに読んだ本、マンガ、みなもと太郎『挑戦者たち』、『風雲児たち幕末編』5巻。
 井浦秀夫『弁護士のくず』1巻。
 山本英夫『ホムンクルス』3巻。


 俳優の渡辺文雄氏が、今日、急性呼吸不全のため死去、享年74。
 これだけのキャリアをお持ちの方が亡くなったのに、最初に渡辺さんの出演作で真っ先にアタマに浮かんだのが、「『ウルトラQ/カネゴンの繭』のヒゲオヤジ」だったのが、病膏肓である。普通は大島渚監督作品などを挙げるべきだろうにねえ。
 ご面相は、似顔絵を描けば全部マルですんでしまいそうなくらい、まんまるとした印象、『くいしん坊!万才』でのリポーターや、『連想ゲーム』のレギュラー、『ソルマック』のCMなんかで、お茶の間への浸透度、好感度もかなり高いだろう。役者さんが亡くなっても、若い人にそれを話すと、一様に「誰それ?」って反応しか返ってこないくらいに彼らはモノを知らないが、さすがに渡辺さんはみんな結構知っている。同じ大島グループでも、故・戸浦六宏さんにはあまりCMの声などかかりそうになかったが(失礼)、渡辺さんには視聴者の購買欲をそそる天性の明るさがあった。
 ただ、ドラマや映画では、その「善人顔」で損している面も結構あったのではないかと思う。実は善人役よりも、悪人役のほうが意外にも多いくらいなのだが、あまり極悪人を演じられても似合わないのである。手塚治虫キャラクターシステムに譬えるなら、ボス役のアセチレン・ランプほど悪辣ではないが、卑劣で機を見るに敏なハム・エッグあたりの役どころなら、いい味を出す、といった感じだろうか。『眠狂四郎人肌蜘蛛』の都田一閑とか、『子連れ狼 子貸し腕貸したてまつる』での柳生備前守とかを演じてもどこか不自然で浮いてしまっているのだが、『絞死刑』でレイプの様子を懸命に再現しようとする教育部長などを演じさせると、そのヒクツな小市民ぶりが実におかしくて、ああ、この人の本領はこういうところにあるのかなあ、と思わされるのである。
 渡辺さんの代表作と言えば、まさにこの『絞死刑』を真っ先に挙げねばならないのだが、逆に言えばこの役があまりにハマッてしまっているために、あれだけたくさんのドラマ、映画に出演していながら、他に印象に残る役が少ない。必ずしも「うまい」とは思わないが、もっと使いどころのある役者さんではなかったかと思う。後年、役者以外での活躍の方が目立つようになっていったのは、やはり、渡辺さんをうまく使うことのできなかった映画界の不明ではなかろうか。


 中国で開催中のサッカー・アジアカップ、中国人の観衆が日本人選手への反日感情剥き出しの抗議行動(アジなんてもんじゃない)をエスカレートさせている状況に、ついに日本政府も中国政府に対して正式に抗議を申し入れたとか。ま、受け流されそうな気はするけど。
 最初はああいうお国柄だし、多少はあるよなあ、とか軽く考えてたんだけど、さすがに最近のニュースを聞くにつけ、ちと度を越していると思わざるをえなくなった。これはもうマナーが悪いとかそういうレベルではない。明らかな政治活動だし、規模は小さいが実質としてはテロである。……小泉さ~ん、これ、テロなんですよ~、認識してますか~?
 それにしてもこれを政治問題としてキチンと取り上げようってマスコミは少ないねえ。やっぱりみんな、この問題、軽く見てない? 「歴史を直視し、アジア人民におわびし、釣魚島(尖閣諸島・魚釣島の中国名)を返せ」と書かれた横断幕を掲げる、『君が代』演奏のときにはブーイング、日本の勝利が決まり日本人サポーターが日の丸を取り出して歓声を上げると、周りの観衆が紙コップなどのゴミを投げつけて「帰れ、帰れ」とヤジを飛ばす。うっかりすると人死にまで出そうな気配なんだけど。テレビでは「小泉首相の靖国参拝反対」とか「こんなに何万人もの人と一緒に不満を表せる機会はなく、とても楽しい。けけけけけ」とか言って喜んでた若い男女が映ってたけど、どうにも気が狂ってるとしか見えない。
 言うまでもなく、スポーツは「政治」である。まあ、政治とスポーツは切り離されるべきだという「理想」はあるだろうが、そんな理想がこれまで現実化したためしはない。「親善」という美名はあれども、スポーツは、どの時代にあっても常に、クニとクニとの関係を象徴する政治・外交の道具として使われてきたし、場合によっては「代理戦争」の様相すら呈してきた。「政治」と「スポーツ」がイコールのものでなければ、どうして「靖国参拝」と「サッカー」という、何の関係もないものがあっさりと結びつけられるものだろう。日本人だって、これで日本が優勝すれば「ザマアミロ中国」と、「親善の気持ちなどどこかに吹っ飛んで中国人を嘲笑する」に決まっているのだ。
 それがイカンとは言わない。私は別に理想論など述べたいとは思わないから、スポーツが政治にどう利用されようが、知ったこっちゃないのである。ただ、あちらが明らかに政治的に「運動」を行っているのに、こちらがそれを傍観しているのでは、そりゃいつもの「弱腰外交」「負け犬外交」とののしられても仕方がない、ということなのである。抗議を申し入れたと言っても、「あくまでも平静に対応し、スポーツの交流なので反日感情をあおるようなことになってはいけない」なんてコトナカレなことを述べている程度で、まあ、何もしていないのと同じである。こちらが煽らなくても、向こうが勝手に反日感情募らせてるんだから平静に対応したって状況が改善されるはずがないじゃないの。何らかの報復措置を取らない限りは事態は悪化しかしないと思うんだが、なんで中国人観客をつまみ出すくらいのことができないのかね(政治とスポーツがあくまで別だと主張したいなら、少なくとも横断幕張った連中は追い出してしかるべきだろう)。結局は中国政府だって、内心、「日本人ごときが何を偉そうに文句つけてくるのか」とナメてかかっている、ということに日本の政治家は気付いているのかいないのか。
 中国人があれだけ根拠のない優越感でもって抗議ができるというのも、彼らの中に未だに「中華思想」が存在しているからであろう。ならば、彼らの「歴史を直視せよ」との主張を鑑みて、「中華思想」などという愚劣な思想も古代の遺物にすぎないという「歴史」だって、ちゃんと「直視」してもらわなければならないのではないか。このままでは北京でのオリンピック開催は不可能だ、という理由で、開催国を変更させるくらいのウラ工作を謀るくらいのことを日本政府もしてみたらどうかと思うんだけど、そこまで「強腰」に出られますかねえ。

2003年08月04日(月) 映画の話いくつか/『モンティ・パイソン・スピークス!』(デヴィッド・モーガン)/『だめっこどうぶつ』1巻(桑田乃梨子)
2002年08月04日(日) 爆走……できねーなあ(^_^;)/『スーパーロボット烈伝』(石川賢)/『光の島』3巻(尾瀬あきら)/『黒ベエ』1巻(藤子不二雄A)ほか
2001年08月04日(土) やっと入院準備/映画『猿の惑星』/『20世紀少年』6巻(浦沢直樹)ほか
2000年08月04日(金) 特許成金、夢じゃない?/『20世紀モノがたり』(紀田順一郎)ほか


2004年08月03日(火) 5周年! ……タイトル考えなくていいのはラクだ(^o^)。

 今日で日記を書き始めてまる5周年。
 実は「5年続いたら1回そこで打ち切って止めようかな」とか考えていた(3年だったかもしれない)。モノゴトには始まりがあれば終わりもあるので、そのあたりですっぱりと終わるのがキレイでいいかなとか、ナルシスっていたのである。
 でも実際には中断があったりとか、ホームページ立ち上げることになって、コンテンツあちこちほったらかしたりとか、今ここでやめるのも中途半端、みたいな感じになってしまったので、全然キレイじゃないのであった。そのあたりがかえって私らしいとも言えるんだが。今は「10年ですっぱりやめようかな」という気分に切り替わっているが、これもどうなるか分らない。10年経ってもまだ続けているかもしれないし、明日いきなりやめてしまうかもしれない。
 この五年の間、ネット上でいろんな人と知りあったが、せっかく楽しい日記を書かれていたり、豊富なコンテンツを持ったサイトを開いたりしていた人でも、何か事情があったのだろう、急にふっつりと更新がなくなり、サイトを閉じてしまった、という方も結構いらっしゃる。理由は憶測の域を出ないのだが、単純に忙しくて書くヒマがなくなったとか、ネット依存に陥って家族の反対にあったとか、向上心のあまり自分の書く文章の拙さに嫌気がさしたとか、誰も自分の書いてる文章を面白がってないのじゃないかと疑心暗鬼に囚われたとか、批判に晒されてメゲたとか、いろいろあるのだろう。
 逆に言えば、私がこうして続けていられるというのは、始終ヒマだし、家族の反対もモノともしてないし、向上心なんてカケラもないし、実は自分の文章に多大な自信を持っているし、批判はするやつの方がバカだと思っているのかもしれない。なんか究極のイヤなやつという感じである(念のため言っとくが、私ゃそうそうヒマでもないし、自分の文章には自信なんて持ってないし、批判するやつがバカだとも思ってないよ。向上心がないのは当たってるが)。
 これも何度か書いてることであるが、私はこの日記を「誰かに読んでもらいたい」とか「自分の意見を世に知らしめたい」と思って書いているわけではない。もしそんなつまらん自己顕示欲で始めたものであるなら、読者のあまりの少なさに絶望して、とうの昔にヘコんで書くのをやめているだろう(実際、お客さんは一日に五十人ほどしか来なくて、しかも半数が「通りがかりさん」なのである)。
 ……私がこう言うと、猿な脳ミソしか持ってない連中はすぐに「でも誰かに読んでもらいたいんじゃないなら、書いたりしないでしょう」と突っ込んでくるのだが、別に日記を書く書かないに関わらず、そんなこたあ、コトバを持ってる人間ならアタリマエの欲求として誰のココロの中に存在しているものなんであって、そういった人間の基本的な表現欲と、「読んでもらうことで人に認めてもらいたい、誉めてもらいたい、崇められたい」とする低劣な上昇志向とは全く別種のモノである。水と油と言ってもいいその両者の区別もつかず、いかにも伝家の宝刀を抜いたかのごとくそれを批判の手段として成り立つと思って主張するヤカラが、やたらいるということは、つまりはそれを主張する人たちが取りも直さず、「自分は他人を嘲笑い蔑むことで生きているのだ」と主張しているのと同じことだ。この手のセリフを吐いた途端に、「この人はホンモノの下司なのだな」と相手に知れてしまうので、ちょっとでもアタマの働く人間は(あるいは「対話」の意味を知っている人間は)絶対にこんな言葉遣いはしないのだけれども、いいトシしたオトナでも、こういうことを平気で口にする場合があるから、なんかもう、情けなくなってしまうのである。
 言うまでもないことだが、これはただの日記である。ウェブ上で公開されてはいるが、プロの書いた面白い読み物なんかじゃ毛頭ないし、読んでタメになるようなことも一切書かれていない。好きな本を読んだり、映画を見たりして、日常のなんちゃない出来事をテキトーに綴ったりしただけの、陳腐な駄弁りに過ぎない。だから続いているのである。
 日記がなかなか書けないなー、なんて悩んでいる全国の諸兄諸姉、リッパなこと書いて誉めてもらいたいとか、余計な邪念を抱いてはおられませんかね?(^o^)
 

 朝、っつーか真夜中だけど、しげがいきなり鴉丸嬢を連れてやって来る。舞台の打ち合わせで、「ジョイフル」で話をしていたのだが、ヤンキーが大挙して入って来たので、避難してきたのである。……ったって、うち、座れるスペースなんてないのだが。もう山積にされた本はいつ何時雪崩れを起こすか分らないし。
 鴉丸嬢、「けいちん、この夏でこれを全部片付けるんだって~?」と笑って言ってたが、そのセリフの後に「毎年そんなこと言ってなーい?」というセリフが続きそうな気がする(^_^;)。
 今度の芝居、衣装替えもデハケも、これまでの芝居の軽く3倍はあるので、しげも鴉丸嬢も、悲鳴を上げている。イラストを描いても描いても終わらない感が迫ってくるのだろう、鴉丸嬢、「ああ、もうこれ描きたくない!」とわめくことしきり。私は明日仕事があるので、さっさと寝室に引っ込む。無慈悲なようだが、私の立場はあくまで演出“補”なんで。

 ひと寝入り、と言っても睡眠は3時間ほど。昨日帰宅して何時間か寝てしまったので、夜、寝つかれなかったのである。それでも少しは寝ておかないと中年男にゃもうカラダが持つもんじゃない。目覚ましは一応携帯で「アニメ店長」が流れるはずだが、起きられる自信はなかったので、「朝になったら起こして」と頼んでおいた。案の定、6時半になっても関智一の「いらっしゃいませ~! 『アニメイト』にようこそ~!」の絶叫にも気づかず、イビキをかいていた(らしい)。
 鴉丸嬢の「けいちーん、もう何回もアニメ店長が呼んでるよ~」の声で、ようやく目が覚める。声質だけは優しげだが、やっぱりその後に「いい加減うるせえんだよ、さっさと起きろ馬鹿」というセリフが続いているような気がする(^_^;)。

 顔を洗うのもそこそこに、しげの車で鴉丸嬢を送りがてら、私も職場まで送ってもらったのだが、二人の姿をたまたま見ていた職場の若い子が、あとで「奥さんと娘さんですか?」と聞いて来た。以前、よしひと嬢としげと歩いていた時もそんな風に勘違いされたことがあったが、いったいどっちをムスメだと思ったのだろう(~_~;)。


 今日で歯医者も四日目。今日も担当は男先生だったが、相変わらず、「今、こういう状態です」とか、「あと何日ですよ」とか、一切の説明はない。ガリガリっと削って、ツメモノをして終わりである。最終的には折れた歯に上からかぶせものをすることになるのだろうが、せめてそれがいつごろになるかくらいは教えてもらいたいものなのだが。
 治療を終えてホークスタウンに向かう。9時台の映画を見るためだが、到着したのは7時。間があったので、映画のチケットだけを買って食事をしたあと、ゲーセンを回る。
 しげが「映画のチケットがあると、ボーリングが1ゲーム無料になるよ」と言うので、久しぶりに(5年ぶりくらいか)ボーリングをしてみる。結果はしげも私も100に届かず。いやもう、ボールが重くて重くて。そのあと、二人でゲーセンで太鼓を叩く。始めてやってみたが、リズム感は私よりしげの方が圧倒的にあるのであった。やっぱり私は音楽は演奏するより聞くだけのタイプなのである。

 ユナイテッド・シネマで映画『箪笥』。福岡でこの映画を上映しているのはここだけなので、仕方なく百道くんだりまで来たのだが、公開後2週間くらい経ってるし平日でもあるためか、客は少なめ。けれど、これは近ごろ珍しいくらいの怪奇ミステリーの傑作。物語は実は単純なのだが、その単純さが実はトリックになっているのである。何がうまいって、この映画、純粋にミステリーなんだけれどもミステリーだと気付かせない点にあるのね。だから別にミステリオタクでなくても充分「ホラー」として楽しめるのである。
 ……けどやっぱりしげは怖がって怖がって、やたら私の指を握りつぶそうとするのである。……今度ホラーみる時はタクアン持って来てそれでも握っててほしいもんだ。


 読んだ本、マンガ、星新一原作、鬼頭莫宏ほか作画『コミック★星新一 空への門』。
 魔夜峰央『妖怪学園ザビエル』(秋田文庫版)。
 吉崎観音『ケロロランド』夏号。


 『ザ・リング2』撮影中の中田秀夫監督が、『エンティティー/霊体』をリメイクすることになったとか。あれ? 桐野夏生の『OUT』は? と一瞬、そちらの監督は降ろされたのかと早合点してしまったが、『エンティティー』の脚本は既に用意されており、『OUT』の前にさっさと撮ってしまうらしい。
 ハリウッド・メジャーでここまで引っ張りだこになった日本人監督というのもちょっといない。「ホラー」というジャンルゆえ、という点もあるのかもしれないけれど、中田監督のあの「ぞわわ」っと来る演出が、あちらの観客も魅了したってことだろう。スプラッタもショッカーも嫌いじゃないが、それ以上に『女優霊』『リング』の恐怖の「見せ方」は革新的で「これぞホラーの決定版」と膝を叩いたものだった。「背後で誰かが覗いている」恐怖というのは、心霊写真などではお馴染みだったが、それを映画にまで持ちこんだのは中田監督の功績だろう(ほかにもたくさん誉めたいとこはあるけど省略)。
 もちろん、その恐怖の根底に「性」が存在していることも忘れてはならない。精神分析的解釈はあまりしたくないが、『女優霊』の名も知れぬ女も、『リング』の貞子も、男性による性の被害者としての暗喩を持たされていた。その意味で霊によるレイプ事件を扱った『エンティティー』は、題材としてはまさに中田監督の独擅場と言えよう。予算は1500万ドル(約16億6000万円)。存分に使って頂きたいものである。

2003年08月03日(日) 見つかりませんでした/『アニメ&漫画コラボBOOK 茄子 アンダルシアの夏』
2002年08月03日(土) 手帳求めて花いちもんめ/DVD『刑事コロンボ 別れのワイン』/『忍者飛翔 桜の章』(和田慎二)
2001年08月03日(金) 1周年!/TVスペシャル『ルパン三世・アルカトラズコネクション』ほか
2000年08月03日(木) 巻頭言&近頃の若いやつぁよぉ……/『ジェームズ・ボンドへの招待』(ジェームズ・チャップマン)ほか


2004年08月02日(月) 9年目のお小遣い。

 午前中、仕事の真っ最中にしげからメールが来る。今日しげは、父と一緒に、母の遺産(つか、株券だけど)を売って、現金化して受け取る手続きをしに出かけていたのだが、なんか、銀行の通帳番号が必要だとか何とか言ってきたのだ。
 とりあえず折り返し電話を入れてみたのだが、父の返事は「簡単に売ってもらえん」とかで、とんと様子が解らない。なんかもー、直接私が行って段取りつけないとカタがつかないみたいなので、仕事を早引けして、午後から天神に出る。証券会社に行って、担当に話を聞いてみると、要するに「株を売ってほしくない」から引き伸ばしにかかっていたのであった。
 私は株には全く興味がない。父も同様で、賭け事の類が性に合わないのである。ところが母は生前は大の株好きで、私の給料を勝手に抜いては株を買うくらい熱中していたのだが(そのたびに怒ってたのだが、母は決してやめようとしなかった)、唐突に倒れて行っちゃったので、株券のありかなんかも分からなくなっていた。今度見つかったのは、私名義の株券で、結構いいとこのものがなんと1000株もあった。これが儲かっていたなら、今ごろ私は左団扇の生活ができるところだろうが(そこまでではないにしろ、半年くらいは無職で暮らせたろう)、残念ながらバブル崩壊前に購入したものである。今や私のひと月の給料よりも安くなってしまっている。母が亡くなった時点でも相当株化は下落していたろうから、その存在を私に言えなかったのも頷けるのである。もちろん、後生大事に取っておく気は全くないから、さっさと手続きをすませた。
 父も、母が死んだ当初は「お母さんが好きだったから」とか何とかリクツをこねて、株券を手放さなかったのだが、もうこれが面白いくらいにどんどんどんどん損していくものだから、いい加減でようやく処分する気になったのである。父は「早いとこ売ってりゃ、こんなに損はしてなかった」としきりに残念がっいたが、だから人間、余計な欲なんてかくもんじゃないんである。
 もっとも、母がこれを私への遺産としたいと考えていたことは間違いないだろう。そんなに早く行くつもりはなかったろうから、まとまった額になったら、生活の足しにしなさい、と言って渡すつもりだったのに違いないのである。その気持ちはもちろん嬉しいのだ。普通の親なら「貯金」に回すところを、そこで株を買っちゃうのが、「人生はバクチ」の母の性格を表しているようで、かえって微笑ましいくらいである。父の分も合わせると、損した分は家一軒が買えるほどであるが、借金を相続したわけではない。マイナス分も含めて、私は母の「気持ち」を相続したのだ。それは充分プラスと言うか、予想外のプレゼントであった。
 母が「ゴメン」と謝ってる姿を想像すると、こりゃまあ、許さないわけにはいかないのである。

 父とは大丸の京料理の店で食事をして別れる。時間の余裕があったので、映画に誘ったのだが、「もう、このトシになると映画館の中で寝るから」と断られた。「録ってるビデオも見んずく行くかなあ」と言うので、「録るのが楽しいっちゃけん、それでよかろうもん」と答える。引退が近くて、弱音発言が確かに多くなっている。けれど、江戸時代の髪結い床からの子孫を自負していて、心底仕事の虫だった母とは違って、父は結構遊び好きである。引退したからと言って、必ずしも気が抜けて何をしたらいいか分からない、ということにはならないだろう。盆休みには、ちょっと、近場で家族旅行でもしようか、と相談をする。

 帰宅してからは、遅れてる日記を書いたり、本を読んだり。
 マンガ、島本和彦『ゲキトウ』1巻。
 小原愼司『二十面相の娘』3巻。


 山本弘さんの『SF秘密基地』、久しぶりに見てみたら、なんかまたすごいトラブルになっている。……イヤね、もう1、2ヶ月に1回覗くか覗かないか、くらいのペースになっているのだけどね、『スチームボーイ』の感想、誰か書いてるかなあ、とふと気になって覗いてみたら、別のあるスレッドが、もうなんかすげえワヤクチャになってたんである。どうしてたまにしか覗かねえのに、そのとき必ずトラブルになっているのだろうね、あそこは(^_^;)。
 全部読む元気はなくて、飛ばし読みの把握だから、ところどころ理解し損なっているところはあるかもしれないけれど、「重力レンズ」がどうの、「難破船」がどうのと、つまりは『ギャラクシートリッパー美葉』の歌詞と、『水の星に愛をこめて(『機動戦士Zガンダム』)』の歌詞のどっちがよりトンデモか、という論争らしい。
 ……論争、というよりただの感情的な貶しあいじゃん(-_-;)。 絶句したっつーか、脱力したっつーか、情けなくて涙が出てきましたよ(T∇T)。
 ともかく何度も何度も何度も何度も私ゃ書いてるけどね、「荒らし」は無視すればいいんです。「荒らし」を呼びこんじゃうことは、これはあそこのホームページの性格上、仕方がないことだ。どんなつまんないスレッドが立てられても許容するというスタンスだから、考えなしのあほんだらはそりゃウンカのごとく寄ってきますって(ルールには「許容しない」と書いてるけど、実質上はどんなバカばなしでもOKになってる)。
 けれどそこでどうしてみんな「荒らし」に反応して突っ込んでいくのか。ヘタに山本さんを擁護しようとして、「ガマンできなくなってヒトコトだけ」とか言ってしゃしゃり出て行くウンカが後を断たないから、山本さんも激昂して冷静さを失うし、伸びる必要もないスレッドが伸びて行くのである。「荒らし」の対応は山本さんに任せておけばよい。たとえ山本さんご自身にトラブルをうまく回避できる力がないと判断したとしても、それが「じゃあ自分が出ていかねば」と、「荒らし」に対応しなければならない根拠にはならない。そこんとこをいつまで経っても学習できないのだ、あそこの住人は。一回、二回の失敗ならば愛嬌ですむかもしれないが、もう、5回か、10回か。「反省した」「もう今後は感情的な書き込みはしない」などなどの言質を簡単に翻したヤカラがどれだけいたことか。
 何度か「最初は『荒らし』だとは思わず、話の通じる相手だと思ったから意見を書きこんだのだ」という言い訳を聞いたことがあるが、いったいなぜそう思えるのだろうか。最初に「荒らし」始めた何人かが、意図的に「荒らそう」と考えていたのか、結果的に「荒らし」になってしまったのか、それは確かに分からないことである。一応、筋道を立てて山本さんを批判しようとしているようにも見えるので、本人たちも全然「荒らし」てる自覚はないのかもしれない。しかし、論議がどういう方向に収束して行くか、それを予測せずにただ意見をぶちまけるだけなら、そこにどんなに根拠があり、論理的な筋道が存在していようが「荒らし」以外のナニモノでもない。最初は判別がつかなくても、50も60もスレッドが伸びて行けば、いい加減で気がつかなきゃおかしいだろう。そんな「荒らし」に反応して反駁しまくった連中も、レベルは同じなのであって、やはり「荒らしに反応するのも荒らし」なのである。
 擁護派だろうが批判派だろうが、つまらなかったり、いいかげんな内容だと思ったスレッドに対しては、いちいち批判なんぞしなくて、無視すりゃいいのである。たかが掲示板の雑談なのに、なぜ、不必要にからかったり熱くなったりしなきゃならんのか。読んでて真っ先に思ったのは、「ほかにすることないのかコイツら」であった。
 「荒らし」の最たる人は、「これは山本さんへの『諫言』である」とかフシギなことをのたまっておられたが、自分の行為が「荒らし」になっていることの自覚もない人間の言葉に何の説得力があろう。それに本気で諫言するつもりなら、まずはメールで直接山本さんに言うのが先ではないのか?(多分、あのスレッドに参加せずにそうした人はいるだろう)。メールしたけど、無視されて仕方なく、というのならまだ分かるんだけど、特にそれらしきことを行ったという言質は見当たらず、恐らくそんなことはやっちゃいない。つまり、ありゃ明らかに最初から公衆の面前で山本さんを罵倒したいという「荒らし」が目的なのである。……そんなのの尻馬に乗ったって、山本さんに声が届くわけがない。
 ……覗いた目的の『スチームボーイ』、誰も見てた形跡がなし。なんか殆どのオタクから見捨てられてるんかな、あれ。

 ……ついでながら、昨日の日記の「あなた」への私のコトバも「諫言」だの「忠告」だのって類じゃない。私ゃそんな意見の押しつけは大嫌いだし、したこともない(されたと思った被害妄想なやつはやたらいるが)。メールや電話であんなこと言ったら、「押し付け」だと思われるから、それはしなかったし、「~してほしい」というのも「願望」を表したに過ぎないのだ。どうしても「忠告」だと受け取りたいならそれでも構わないが、無視されたって全然構わない。それは当然本人の自由なのである。
 自分のホームページにしか批判としての意見は書くまい、と決めたのには、そういう理由があるのである。

2003年08月02日(土) 新番組いくつか/映画『パイレーツ・オブ・カリビアン 呪われた海賊たち』/『ルパン三世公式マガジン』8月18日増刊号
2002年08月02日(金) 復讐正露丸/『快傑ズバット』第一話/『芥川龍之介 妖怪文学館』/『秘宝耳』(ナンシー関)
2001年08月02日(木) 『題未定』ってタイトルのエッセイ集があったな/『キノの旅Ⅳ』(時雨沢恵一)ほか


2004年08月01日(日) あなたへ

 ある知人に関すること。
 その知り合いについての、基本的にはめでたい話を聞いたのだが、ちょっと素直にはお祝いを言えないような状況なのである。正直な話、その知り合いと言うのが、周囲からどのように見られているか、ということについて、あまりに無頓着であるからだ。
 多分、本人は喜んでいるのだろうし、私もその人の判断や決意、行動を基本的には支持したい。したいのだが、それに必要な具体的な準備とか、なにより心構えとか、そういうものが全くできてはいないと思うのだ。これまで自分がどういう行動を取ってきたか、そのことでどれだけ他人に迷惑をかけ、心配されてきたか、そのことをいったいどれだけ自覚しているのだろう。しかも話によると、このままでは、さらに周囲に迷惑を拡大させていきかねない状況もあるのである。果たして脳天気に喜んでいていいものなのかどうか。
 最近、その人とはすっかり疎遠になってしまっていて(私がその人を嫌っているわけではない)、この話も伝聞でしかないので、私の方から何かが言えることではない。その人が私に何も言ってこないのも、何かを言えば自分がたしなめられることを承知しているのであろう。あるいはそんな義理はないと、今はそう考えているのだろうか。見栄張りと言うか、根拠のないプライドだけは高い人だし、私ごときにたしなめられるというのは、本人にとってはどうにもガマンのできないことなのかもしれない。だからと言って、一度は縁があって、私の家にだって遊びに来たこともある人が、今、後先考えない行動を取っているというのは悲しくて仕方がない。
 ベクトルは必ずしもプラス方向に向かっているとは限らない。本人は甘く見ているのかもしれないが、マイナス要因は既にある。そのことから目を背けているというのなら、カタストロフは必然となろう。本当にいいのか、それで。
 ……心配しているのは私ばかりではない。「あなた」を知る人はみな「どうかしてる」と思っているのだ。やるせない気持ちでいる人もいる。せめてそこでいったん立ちどまって、今、自分がいるところをもう一度確かめてみる心の冷静さだけでも持ってほしいのだ。
 この日記をもしかして「あなた」は見ていないかもしれない。しかし、見ているかもしれないと思って、これを書いている。自分のことではないかと思ったら、今、本当に自分がしなければならないことが何かを、真剣に考えてほしい。なぜ、電話やメールで個人的にそのことを言わないかは、「あなた」にはきっとご承知頂けるだろう。
 ああ、それからこの話を私が誰から聞いたのか、なんて余計な詮索はしないように。どこからでも話は伝わってくるから。それが「あなた」が本当はどう見られているか、ということの、なによりの証拠なのです。


 台風は昨晩のうちに四国に上陸。九州は直撃ではないが暴風圏には入っている。とは言え、「ちょっとひどい雨」程度なので、今日の練習に支障は来さない。
 そう思って、朝方しげは鴉丸嬢に連絡を入れていた。ところが会話の様子がなんだかヘンである。どうも鴉丸嬢は、今日の練習は台風で中止、と思っていたらしい。
「そんなに雨降ってないのにねえ?」とフシギがりながらも、鴉丸嬢を車で迎えに行く。ところが、山を一つ越えて、鴉丸嬢の住所の近くに来た途端、豪雨と暴風がドッと襲ってきたのだ。道が一部、川になっているところもある。
 「何これ?」としげと二人で顔を見合わせた。どうやら、鴉丸嬢の家の近辺だけ、局地的な雨が降っているらしい。実際、鴉丸嬢を乗せて、今度は其ノ他君の家に回った途端、ウソのように空が晴れた。……雨の降ってる地域とそうでない地域の「切れ目」が、こうハッキリ分かれているというのもなかなか滅多に経験できることではない。
 鴉丸嬢、夕べは寝てない、というのでやたらハイ。ネットオークションにかけたイラストが、今度は五千円で売れたというので喜んでいる。三枚目でもうこの値段というのは、なかなかスゴイのではないか。もちろん、売れてるものには三万円の値段が付いているものもあるのだが、そこまで行けばもうちょっとしたプロ並である。そうなると、一枚二千円でイラスト書いてくれと頼んでるのがなんだか申し訳なってくるのだが、もちっと値上げした方がいいのだろうか(~_~;)。


 ともかく、「一部」が豪雨状態であることはハッキリしたので、今日の練習は打ち合わせだけで、早目に切り上げることにする。参加者はカトウ君、鴉丸嬢、其ノ他君、穂稀嬢、しげ、私。スケジュールの確認や、香盤表の作成、SE、MEも確定、黒子人員の確認など。黒子役者の場面ごとの割り振り、連絡担当なども決める。これでほぼこれからの「道」が見えてきたので、みんなウキウキしている。夕べまた寝ていないという鴉丸嬢はハイになってただけかもしれないが。
 今回の出演者、結局、あちらこちらからのお手伝いも含めて、男3人、女10人、計13人で、これまでの公演中、最多となった。年齢も16歳から30歳まで幅広い。デハケも一番ややこしく、かなり派手な舞台になりそうである。
 これまでが「これこれの人数でこれこれの練習量でこれこれの予算でやれる芝居は」という引き算の計算が多すぎた。今回も「とても照明までは手が回せない」ということで、照明効果を工夫することだけは諦めたのだが、拘れるところには拘ろう、つまり、「これだけの芝居を作るにはどれだけの準備がいるか」、という発想に切り替えているところがある。具体的には、音楽とダンスには力を入れている。「うまくなくても魅せる」というのがコンセプト。おかげで、使用曲も初稿から二転、三転し、かなりバラエティに富んで来た。……って、ダンス曲、最初は五曲のはずだったのに、いつの間にか八曲に増えてるじゃんかよ(^_^;)。
 今日は鴉丸嬢のテーマソングとして『プロジェクトA』の主題歌を追加することに決まったのだが、ここで鴉丸嬢も実はジャッキー・チェンのファンだったことが判明した。役と本人が偶然一致したという、まあなんというシンクロニシティ。なんでも『酔拳』のころからのファンだというから、年季は入っているんだが、初公開時、まだ生まれたばかりくらいじゃないのかな。ウチからDVD『ジャッキー・チェン・マイストーリー』&『マイスタント』を借りて有頂天である。
 初出演でもっともセリフの多いカトウ君はヒイヒイ言ってるが、あとひと月弱で全てのセリフを入れねばならないのである。しげは「私はもう入れたよ?」、鴉丸嬢は、「私も最初の芝居はひと月で入れたし」とプレッシャーをかけまくること。全く、イジメが大好きなことである。これもカトウ君への期待が大きい故であるが。

 練習は4時に引けて、カトウ君、穂稀嬢とはお別れ。
 鴉丸嬢、其ノ他君と連れ立って、ロイヤルホームセンターへ向かう。私はそこでまたカメの水槽の草とか、水質調整液とかを買う。「また買うの?」というしげの不満そうな顔は無視する。でも、文句言ってるわりに、しょっちゅう自分がエサをやりたがっているのだから、本当はカメを気に入っているのである。私が死んだらドブに捨てるとか言ってるが。
 水草は、こないだ買ったカメの遊び場になかなか亀吉たちが乗って遊んでくれないので、足場になりゃいいかと思ったのである。いや、うまく乗ってくれるかどうかはわからないんだが。異物に対して臆病になってるからなあ。

 そのあと、ダイヤモンドシティへ買い物に行く。雨は相変わらず降ってはいるが、峠は越したようで、これならばたいした水害にもなるまい。けれど、ダイヤモンドシティまでの道はやたら込んでいた。こんな雨天では、出かける人もきっと少なかろう、と思っていたのだが、それどころか晴れの日の休日よりも込んでいるのだ。見事にアテが外れたのだが、多分みんなも「こんな雨の日にはきっとダイヤモンドシティは空いているに違いない」と踏んだのだろうな。これもシンクロニシティか。雨天時の選挙の投票率とはエラい違いである。
 「満」「満」「満」と、駐車場はどこもかしこもひしめきあっていたが、ぐるぐる回って、何とかスペースを見つけて、駐車。携帯の新機種を見たり、フタバ図書で買い物したりで、結局3時間ほど散策。
 食事はピエトロだったが、偶然そこで知り合いが働いていた。なんだか知らないが、私に会って緊張したのか、やたら注文を取り違える。以前会った時、なにか立腹するようなことがあったわけじゃなし、別に取って食ったりはしないのになあ。

 帰宅して、早速、水草をカメの水槽に入れたのだが、やっぱりカメの遊び場には乗って来ない(T∇T)。
 今日読んだ本、マンガ、関崎俊三『ああ探偵事務所』6巻。
 ゴツボ★マサル『サムライチャンプルー』1巻。
 疲れてすぐ寝ちゃったので、読めた本はこれだけ


 山田風太郎原作・せがわまさき作画による『バジリスク 甲賀忍法帖』もテレビアニメ化決定。制作はGONZO。
 マンガ版がどこまで続くかわからないけれども、必ずしもマンガ版の結末と同じにならなくても、原作通りにアニメ化するという手もあるから、不自然に打ち切り、とかいう自体にはなるまい。キャラデザインももうあるのだから、『戦闘妖精雪風』の時のように、「原作のイメージとあまりにちがーう!」という声もあまり上がらないだろう。そもそもそういう人は、マンガ版自体、認めてないだろうから。
 制作体制で今回一番面白いのは、製作資金が個人投資家から集められる「アニメファンド!」から出される、という点である。ジャパン・デジタル・コンテンツ(JDC)、楽天証券、ジェット証券が、個人投資家から1口5万円で資金を集めてファンド化し運営するというシステム。映画ではたまにこの形で制作が行われることがあるけれども、アニメでは今回が初めてとか。
 投資した人は、上限10%の利回りが得られるだけでなくて、一定額以上の投資をした人は氏名がDVDのエンドロールに表示されるなどの特典も用意されているという話だが、そういう特典はさておいて、好きなマンガが、好きなスタッフによって作られるのならぜひ協力したい、という気にはなる。当たり前の話だが、予算が潤沢にあれば、作られる作品も当然、その予算に見合うだけの完成度が得られるからだ。
 恐らくGONZOも、対象となるのが『バジリスク』なら、広くファン層に、またそれ以外の所謂「投資家」にもアピールして、充分な予算が集められる、と計算したのだろう。やっぱねえ、オタクだけじゃあ、ちょっとその予算が賄えるかどうか分からないし、スレたオタクは「ファンに頼るな!」とか言って、かえってそういうやり方を嫌って、協力しないかもしれないし。全方位的に求められる作品、例えば宮崎駿監督作品のような質を“最低でも”保証している作品を送り出せる自信がなければ、とてもこの方式でアニメを制作しよう、という気にはなれないのではないか。まさにその対象として『バジリスク』がふさわしい、とGONZOが決断してくれたことが、私には嬉しくてたまらないのである。
 けれど一方でまた、今後こういう形での「投資」が定着化するかどうか、心配もある。当然、最初の何発かは成功してもらわないと、「なんだ、カネ出したのに、こんな出来にしかならなかったのか」とか、「利潤が出ねえじゃねえか、出し損か」とかいう反応がたくさん出れば、せっかく生まれようとしている送り手と受け手の新しい相互関係が失われてしまうことになる。「本当に求められている作品」を今後も送り出していけるのか、というのも課題だろう。このスタッフになら、作品がまだ海のものになるとも山のものになるとも分からない段階で、投資しても構わない、と思えるような制作プロダクションが、いったいどれだけあるものなのか。スタジオジブリは? シンエイ動画は? プロダクションI.G.は? マッドハウスは? 私がパッと思い付くのはこれくらいで、あとはいい作品作ってるところもあるけど、投資することまでは、と二の足を踏みたくなるところが多いのである。サンライズとかは、私にはちょっとねえ。「たとえ自分の意に染まない出来になったとしても文句を言わない」という覚悟がないと(あるいは完全に投資目的で、作品そのものには興味がない場合)、参加は難しいと思うのだが。
 私が迷うのは、もともと株とか投資自体を私はやらない、と決めていることである。けれど、今回の場合、『バジリスク』を応援したいだけであって、投資が目的なのではない。けれど、結果として投資を行うことになるのはどう判断すればいいのか。というのも、もしこれが「投資」目的でなければ、しげが絶対反対するに決まっているからだ。しげを説得するには、「大丈夫だ。ぜったい儲かる!」とゼニで釣るしかないのだが、それは私の目的とは全くベクトルが違うし……いや、困っているのである。

2003年08月01日(金) 引用は盗用じゃないぞ/映画『茄子 アンダルシアの夏』/『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』
2002年08月01日(木) MANGA ATACK!/テレビ特番『パワーパフガールズムービー』/『トランジスタにヴィーナス』4巻(竹本泉)ほか
2001年08月01日(水) 掲示板変更&21世紀の夏/『日本はなぜ負ける戦争をしたのか。 朝まで生テレビ!』(田原総一朗)ほか



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藤原敬之(ふじわら・けいし)