ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年04月09日(水) 難破船

今日も気温が高くなり初夏のような陽気となる。

もう「鯉のぼり」の季節なのかはたはたと風になびいていた。

高知県の鯉のぼりは全国的にも珍しく「フラフ」を立てるのが習いである。

大漁旗のような作りで大きく男子の名を書いてあるのが特徴であった。


昔は「初節句」を盛大に祝うのが習いであったが

今は家族のみで祝う家が多くなったようだ。

皿鉢料理が並ぶ大宴会など殆ど見られなくなった。

コロナ禍の影響もあるだろうが寂しいものである。



仕事は少しだけ捗った。義父が昨夜遅くに車検を済ませてくれていた。

ぐったりと疲れていただろうに無理をさせてしまったようだ。

朝食は食べたのだろうか今日も早朝から田んぼに出掛けていて留守である。

お昼に帰って来たが昼食もたべないままハウスの管理に出掛けた。

苗が枯れたら大変なことになり毎日の水遣りが必要である。

来週には田植えを予定していてどうか順調にと願うばかりであった。


同僚はクレーム修理に悪戦苦闘しており気の毒でならない。

7年前に修理をした車であるがずっとオイル漏れが続いていたとのこと。

気難しいお客さんで仕方なく無償で修理をすることになったのだ。

今日で3日目であるがまだ直らず同僚も焦り始めている。

今週はそのため車検の予約を受け入れなかったのだが

後回しにした分来週から月末まで予約でいっぱいになってしまった。

やってやれないことはないが何だか不安でならない。

順調とは限らずいつまたトラブルが起きるやもしれない。


今日はふっと工場を閉めることを考えていた。

義父も農業一筋ならどれ程楽だろうか。

私と同僚は失業するがそれでも構わないと思ったのだ。

資金繰りも追いつかず今こそ限界なのではないだろうか。

今のままでは苦労が報われるとは思えないのだ。


まさに嵐の海を彷徨う難破船である。

沈没すれば命さえも危ういことだろう。

それでもオールを漕ぎ続けている。いったい何処に向かっているのだろう。


義父には口が裂けても云えないことだった。

二足の草鞋を履きこなそうと必死なのである。

そんな義父に水を差すようなことをどうして云えようか。


とにかく耐えることなのだ。現状を受け止めなければいけない。

明日はあしたの風が吹くと何度言い聞かしてきたことか。

何処かの島に辿り着くような風であって欲しいものだ。


        
        野薔薇(ノイバラ)


       身を守るためである
       その棘はたくましく
       強さの証でもあった

       けれども心細いのはなぜ
       不安なのはなぜだろうか

       大河に夕陽が沈む頃
       純白の花は紅く染まり
       暮れていく空をおもう

       誰も手折りはしない
       凛とした命であった

       行く末を案じてはならず
       いつだって明日を信じる

       花びらとして散っても
       思い残すことなどない

       大河のほとりであった
       永久の命が咲き誇っている



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