ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年06月04日(水) 人生の歯車

爽やかな晴天。気温は30℃近くあったが風があり過ごし易い一日。

高知市内では31℃を超え今年初の真夏日だったようだ。


今朝は山影に咲く「くちなしの花」を見つける。

初夏に咲く花には違いないがまだ咲いているとは思ってもいなかった。

車の窓を開けていたが芳香は匂わず見間違いだったのかもしれない。

明日の朝もう一度確かめてみようと思っている。

くちなしの花は古くから縁起の悪い花だと云われていたらしい。

「死人に口なし」を連想させるからだそうだ。

けれども花言葉は「優雅」で優しい花であった。

純白の絹のような花びら。触れずにはいられない花でもある。




義父がやっと平熱になり顔色も明るくなった。

しかしまだ食欲がなくまた2キロほど痩せてしまったようだ。

高齢になり痩せると筋肉も当然のように落ちるだろう。

体力勝負の日々だけあって心配は尽きない。


体調が良くなったせいか今日は上機嫌であった。

田んぼの見回りにも行かねばならず颯爽と出掛けて行く。

あれもこれもと動き回ればまた疲れも出て来るだろう。

くれぐれも無理をしないようにと告げるばかりであった。


お昼には帰って来て2時間ほど居室で休む。

それから車検場で整備完了の車を仕上げてくれた。

そんな順調が嬉しく私も遣り甲斐を感じすにはいられない。

書類を書き終えてから少し義父と話していたのだが

この半年の何と不運続きだったことだろう。

新年早々の怪我に始まり二度の入院。今回の発熱と続いた。

「何かの祟りだろうか、取り憑かれているのかもしれん」

それは笑い話ではなく心底身に沁みているように思われた。

「お祓いをしてもらおうか」義父は本気でそう云うのだった。


悪いことが続く時は誰にでもあるものだ。

どうして自分ばかりがと恨めしく思う時もある。

けれども決して悪いことばかりではない。

良いことが続く時もきっとあるのではないだろうか。


義父も母もそうして私も苦労の多い人生だった。

人生の歯車はそうして回り続けているのだろう。

ふと幸せを感じれば直ぐに消えてしまいそうで怖くなる。

大きな落とし穴があるのではないかと不安さえ感じるものだ。

ようは幸せに慣れていない。むしろ不幸に慣れているのだろう。


けれどもいったい何が足りないのだろうと思う。

こんなにも恵まれているのに何が不服だと云うのだろう。

「幸せ」は「仕合せ」とも書く。

日々糸を紡ぐように仕合せて生きて行かねばならない。

もし不運な境遇になっても仕合せた結果ではないだろうか。



※以下今朝の詩(日記の内容とは全くそぐいません)


        転校生

   山と田圃ばかりの村だった
   何の前触れもなく突然に
   父の転勤が決まり
   引っ越すことになったのだ

   56年前の6月の事である
   中学生活にも慣れた頃だった

   何と遠い道のりだったことか
   海辺のちいさな町に辿り着く
   海が鳴るのを初めて聴いた

   同じ高知県なのに言葉が違う
   まるで異国のようにおもえた

   誰とも話せない日々が続く
   校舎の窓から海ばかりを見ていた

   ある日隣のクラスの男の子に
   呼び出され校舎の裏庭に行った

  「俺のことどう思うちゅう?」
   どうもこうもありはしない
   見ず知らずの男の子であった

   どうして恋など出来るだろう
   たとえどれほど海が鳴っても
   海の一部になどなれはしない

   紫陽花の季節であった
   白い花が次第に青く染まる頃

   私はもう独りぼっちではなかった


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