ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年06月03日(火) 米作りの苦労

梅雨入りを思わすような小雨が降っていたが次第に曇り空となる。

夕方からすっかり晴れて今は夕焼雲が紅いお魚のようだ。

明日から数日は晴れるそうで梅雨入りはもう少し先のようである。


朝の道ではアマリリスがぐったりと項垂れており枯れ始めていた。

アマリリスも散れない花で茎にしがみついたまま朽ちて行く。

そんな定を嘆きもせずに球根はまた巡り来る季節を待つのだった。

私にも球根のようなものがあれば良いのだがどうなのだろう。

例えあったとしても嘆かわしく腐ってしまうのかもしれない。

永遠の命など在りはしないのだ。そんな夢を見ることも愚かなことである。




義父は今日もまだ微熱があり本調子ではなかった。

発熱からもう5日目である。どれほど体に堪えていることだろうか。

お昼過ぎに車検が一台。任務であるかのように仕上げてくれた。

その後またハウスへ行くと云って聞かない。

長靴を履いてしまえばもう止めることも出来なかった。

苛立ちと焦りのせいだろうか酷く不機嫌である。

そんな時はなるべく会話を避けるのが一番であった。


2時を過ぎても帰らず待っても仕方なく思い退社する。

自動車専用道路を時速90キロで走っていたのだが

後続の大型車が車間距離を詰めて来て恐怖心を感じる。

「煽り運転」なのだろうか。初めての経験であった。


サニーマートまで帰り着くと何とほっとしたことだろう。

タイミング良く半額品をゲットしすっかり笑顔になっていた。

ふとお米売り場を見たが備蓄米は売っていなかった。

大手のイオン系のスーパーなら売っているのかもしれないが

サニーマートは高知県のみの中小企業である。

我が家は義父の作ったお米を食べているので買う必要はないが

先月は義父の入院もあり仕方なく3回程買ったことがあった。

特売のお米は美味しくないので少し高めのブランド米を買う。

美味しいお米を食べ慣れていると当然のことだろう。


だからなのか備蓄米には大きな抵抗がある。

もし義父のお米が無くなっても決して買うことはないだろう。

義父に云わせれば「飼料米」以下なのだそうだ。

古米ならともかく古古古米などとても食べようとは思わない。


お国も報道も消費者のことばかりで生産者は話題にも上がらない。

手間暇かけてどれ程の苦労をして米作りをしていることだろうか。

後2ヶ月もすれば収穫だが百円でも高い値でなければ報われない。

それはお米に限らず農作物全般に通じることだと思う。

野菜の値段は今は少し落ち着いて安くなって来ているが

高い時期にはそれなりの理由があったからなのだ。

高い高いと文句を言うのは大間違いだと思う。


家計は相変わらず苦しいが義父のお米に助けられている。

もし買わなければいけなかったら大きな痛手となったことだろう。

炊きたてのご飯に昆布の佃煮を載せて食べるのが最近のブームであった。

義父が苦労して作ったお米である。朝に晩にと感謝せずにはいられない。

今は苦境に立たされているがどうか無事に収穫できることを祈っている。


※以下今朝の詩


         音符

    雨だれの音が耳に心地よい
    まるで空が歌っているよう

    音符のような雨粒が踊り
    五線紙を埋めていくのだ

    もう弾かなくなったピアノ
    子犬のワルツが聴こえて来る
    いつも同じところで間違えた

    わたしは完璧にはなれない
    出来損ないの玩具のように
    螺子が巻けなくなっている

    少し動いては立ち止まった
    人生なんてきっとそんなもの

    相応しくないのかもしれない
    もう音符のようには踊れない

    それでいて歌いたがるのだ
    謳歌するために生きている








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