二十四節気の「立秋」初めて秋の気配を感じる頃。
暦の上では今日からもう秋である。
厳しい残暑を覚悟していたのだが少しだけ雨が降り
気温も30℃に届かずこれが秋の気配なのかと思う。
陽射しがあるとないでは随分と違うものだ。
朝の山道を行けば「鉄砲百合」が咲き始めている。
まだ蕾が多いが直ぐに花と開くことだろう。
俯き加減に咲き控え目な花に感じるが
その純白の姿こそが可憐なのだろう。
どうして「鉄砲」なのかその理由は未だ知らずにいる。
職場に着けば義父は早朝から工場の片付けをしていたらしく
稲の乾燥機の準備も整いいよいよ稲刈りが近くなる。
田舎の修理工場にしては広い工場なので
大きな乾燥機を3機も備えてあった。
事情を知らない人が来ると「ここは何屋さんですか?」と訊く。
昔気質のお客さんからは「百姓をしよっていくかや」と言われたこともある。
けれども義父はめげなかった。何としてもお米を作りたくてならない。
今日もとにかく興奮しており明日は稲刈りをすると言い出す。
当初はお盆休みにする予定だったが居ても立ってもいられなくなったようだ。
お仲間の稲刈りを手伝ったのでお尻に火が点いたのかもしれない。
そんな時は決して茶々を入れてはならない。
応援する姿勢を見せれば義父は増々張り切るのだった。
とにかく明日の事である。天気予報は晴れでほっとする。
同僚は義父のアドバイスを受けやっと修理が完了した。
また新たな修理も入庫しており午後にはそれも完了する。
仕事中に電話があり伯父さんが亡くなったのだそうだ。
高齢のお母さんは施設に入居しており同僚も大変である。
せめてお嫁さんが居ればと思うが結婚には縁がなかったようだ。
そんな同僚の事が憐れに思えてならない時がある。
2時半に退社したが帰宅したら4時になっていた。
時間は待ってはくれない。どうしてそんなに急ぐのだろうと思う。
それだけ寿命が縮まっているのだろう。
やり残したことはないかといつも思うが
それは焦り以外の何ものでもない。
もがいてもがいて歩もうとする道も真っ直ぐではなかった。
別れ道があれば迷うのが人の常だろう。
直感を信じて道を選べばもう引き返すことは出来ない。
私はいったい何処にいるのだろうと思う。
そんな時は「生き甲斐」だけが頼りであった。
認められないことを嘆いてはならない。
「書く」ことを失ってしまえばもう生きている甲斐はないのだ。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
安田川
父の生まれ故郷は安田町 家の前には安田川が流れていた
祖父は病でずっと臥せっており 幼い私は寝ている姿しか知らない いとこたちと遊んでいると 「うるさい」と怒鳴り声が聞こえた
祖母は足が悪くいつも杖をついていた 優しい祖母で笑顔を絶やさない人だった
夏休みは安田川で水遊びをした 私は泳ぐことが出来ず いつも浮袋にしがみついていたが 急流に流されそうになった時 いとこの明兄ちゃんが助けてくれた
あれは秋ではなかっただろうか 祖父が死にお葬式があった お棺の中をおそるおそる見ると 怖かった祖父が安らかに眠っている
もう怒鳴り声は聞こえない 私はとてもほっとしたのだった そうして祖父は何処に行くのだろうと思った
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