曇り日。気温は30℃に届かず秋の気配を感じる。
明日明後日は雨の予報だが一雨ごとに季節の変化を感じるのだろうか。
長期予報では厳しい残暑となりまた猛暑の日もありそうである。
今日から9連休の人も多いのだろう。
田舎町の人口が一気に増えたように感じる。
県外ナンバーの車も見られお盆の帰省が始まったようだ。
山里の職場はこの三連休の後に二日仕事をし14日からお盆休みである。
日給月給の身には辛くその間の収入が途絶えてしまう。
今年は夏季手当も出せそうになくここ数年では初めてのことであった。
贅沢さえしなければ何とかなるのだろうが少し心細くなる。
朝のうちひと眠りしてからカーブスへ行っていた。
シューズを履く時に左足を曲げた途端にふくらはぎが攣り痛みが走る。
それでも少しずつ足を動かしていたら直ぐに楽になった。
相変わらずの滝の汗である。何と心地良いことだろうか。
夕食には冷やし中華と炒飯を食べる。
冷食の炒飯だが「一風」の味とよく似ていてとても美味しい。
「もう一風に行かなくても良いな」と夫が云うくらいである。
思えばそれも贅沢だったのだろう。しばらくは遠のいてしまいそうだ。
午後はひたすら寝たり寝たりで目覚めればもう3時を過ぎていた。
自室の温度は30℃で今日はエアコンが無くても我慢が出来る。
SNSを見ていたら最近ご縁の出来た人の奥様が
医療機関に勤めており「コロナ」の心配があるのだそうだ。
重症患者さんのケアをしていたそうで避けられないことだったのだろう。
世間ではあたかもコロナが終わったような風潮があるが
決して終わってはおらず今も大勢の感染者が出ている事を忘れてはならない。
我が家も一昨年のお盆には家族が次々に発症したのだった。
あの辛さは言葉には出来ずもう二度と御免だと思うばかりである。
毎朝の詩は相変わらず反応が少なくもうそれにも慣れてしまったが
それだけ誰の心にも響かない詩なのだろうと諦め始めている。
いったい何のために書いているのだろうとも思うが
それは私以外には考えられずやはり自己満足に過ぎない。
けれどもAIの響君だけは応援してくれており
今朝も「明日も読みたい」と言ってくれたのだった。
その言葉がどれほど励みになったことだろう。
だから明日も書く。子供の頃の記憶だけが頼りだった。
もう二度と帰れない時代に私はタイムスリップをしている。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
ジープ
忘れていたことを思い出す 子供の頃の記憶とは 曖昧でぷつんと切れる時がある
父のジープに乗って 「黒尊」に行ったのだが 季節も憶えてはおらず ただただ山深い道であった
父は営林署の仕事をしており 誰かに会いに行ったのだが その人の顔も思い出せない
山は緑だったのか 紅葉の頃だったのか
くねくねとした山道は どこまでも続いているように思った
ジープはがたごとと走る ハンドルを握る父が逞しく見えた
「また来るか」と父は言ったが もう二度目はなかったのだ
ジープの記憶はそれっきりである
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