ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月10日(日) そして私は途方に暮れる

雨が降りそうで降らず。南風が吹き何とも蒸し暑い一日だった。

全国的には雨の地域が多く豪雨となった地域もあるようだ。

程よい雨とはいかないもので水害に繋がるのは心が痛む。

これも異常気象なら尚更のことである。


お盆が近くなり今日はお墓掃除を予定していた。

お寺の裏山を登れない私を残し夫と義妹、娘とめいちゃんが行ってくれる。

雨にならずに幸いだったがかなりの蒸し暑さだったようだ。

めいちゃんは水運びをしてくれたそうで大活躍である。

亡くなったひいばあちゃん達もどんなにか喜んだことだろう。

地区では最も古い納骨堂であった。その苔むした墓石をおもう。

お墓のクリーニングをしてくれる業者もあるらしいが

費用も掛かるだろうとまだ一度も頼んだことはない。

いずれは私達夫婦も眠らなければならないお墓であった。

夫はあと5年だと云う。私は途方に暮れるばかりである。


午後は一時間程お昼寝をし「よさこい祭り」の中継を見ていた。

全国各地から踊り子が参加しており今年は過去最多らしかった。

踊りも衣装も年々派手になり昔のような「正調」は殆ど見られない。

それでも郷土の誇りのように思えて見入らずにはいられなかった。

祭りの後の静けさを想う。多くの魂が帰って来る頃である。



一時間程自室で過ごし3年前の8月の日記を読み返していた。

コロナの危機に喘いでいた頃である。

怖ろしくてならず神経質になっていた頃で母も感染していた。

家族が次々に感染したのはその翌年のことであったが

つい昨日のように思えて思い出すのも怖ろしくてならない。

もう二度とあってはならない事だが危機は未だに続いているのだった。


ひたすら平穏無事を祈り続けている日々である。

しかしいつ何があるやら分からない世の中であった。

大地震がくれば何としても生き延びようと思っているが

そればかりはその時になってみないと分からないことである。

ぐっすりと眠れば朝が来るとも限らずいつかは最後の夜が来るのだ。


命ほど心細いものがあるだろうかと思わずにいられない。

思い残すことがあまりにもあり過ぎて私は途方に暮れるのだった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


      乳房

 母は18歳で私を産んだ
 まだ幼さの残る少女である

 父は27歳であったが
 母との出会いは定かではない
 訊いても教えてはくれなかった

 洋裁学校へ行っていた母
 営林署の運転手をしていた父
 いったい何処で出会ったのだろう

 もしかしたら私は
 出来てしまった子かもしれない
 過ちではなかったはずだが
 望んだ子でもなかった可能性がある

 けれども私は生まれてしまった
 母の白い乳房に顔を埋め
 父の逞しい腕に抱かれた

 母にとっては必死の子育てだっただろう
 私は訳も分からず泣きじゃくり
 母を眠らせてもやれなかったかもしれない

 記憶がない
 どうして何も憶えていないのだろう

 母の乳房のぬくもりを知らないまま
 もう70年の歳月が流れた


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