2004年07月10日(土) |
999さん江:炎の天使 |
「何故本気でやらないの?お前の剣の腕ならどの決闘にだって充分勝てたはずよ!」 「‥そんな、買いかぶりですよ」 上半身の服を脱ぐように言われ、ファルネーゼの前に立つセルピコの身体は傷だらけだった。決闘を巧みに引き分けに導いた痕と、その後儀式の様に繰り返されるファルネーゼの鞭による詰問の跡。昔の傷が治っても、すぐに新しい傷がつく。ずっとそんな事の繰り返しだった。 詰問し鞭をくれても、新しい傷をえぐって血が流れても、セルピコは呻き声一つあげはしない。ただ、苦痛に端正な顔を歪めるだけだ。ファルネーゼにはそれが気にくわない。また傷に噛みついて傷口を開かせた。いつも、人の血は鉄錆の様な味がした。
「もういいわ、下がりなさい」 「はい‥」
セルピコは手早く衣服を整えると、就寝の挨拶をして部屋を出ていった。生傷に服地があたって苦痛であろうに、その顔はいつのもとおり平静そのままだ。ファルネーゼは気にくわない‥。
「やれやれ‥」
セルピコは夜の廊下を歩いて溜息をつく。自分の傷よりも、ファルネーゼと自分の関係に妙な噂を立てられる方が心配だった。ヴァンディミオンの令嬢は警護役の男と恋仲だと。実際、社交界でそんな噂話は囁かれていたし、そちらの方がよほどファルネーゼ様の名誉に関わる。 そして思春期に入ってから、ファルネーゼが自分にぶつけてくる感情の意味を思った。肉欲めいた思い‥。たぶんそれは愛では無く。 そうセルピコは思っていた。
「ふん、自業自得よ」
セルピコのいなくなった自室でファルネーゼはつぶやく。侮辱されたと言うのに相手を叩きのめす事もしない。ファルネーゼはセルピコが、剣の師匠を瞬く間に凌駕する様をこの目で見ているのだ。ファルネーゼはセルピコの優秀さを己の事がごとく喜んだ。それは素晴らしい馬が自分の物になった、そんな感覚に似ていなくもない。 俊足の駿馬を見せびらかしたいのに、いざ決闘となると肝腎の馬は走らない‥。苛ただしかった。いや、それだけではない。
「‥うっ、ぐっ‥」
怒りが収まると、次に湧き出てくるのは涙と悔しさに似た思いだ。それはセルピコが決闘に手を抜く事実に対してではない。彼の瞳のせいだ。 いくら鞭打ち苦痛を加えようと、セルピコの瞳にはなんの感情も浮かばない。憎しみ、哀しみ、愛、快楽、欲望すらも! むち打てば打つほど、肉体に傷が増えれば増えるほど、セルピコの薄い碧の瞳は冷え、静かにファルネーゼを見下ろすばかり‥。
「お前が悪いのよ」
涙を流しながらファルネーゼは思う。私は誰からも抱きとめられない。お母様からも、お父様からも、誰からも! 双生児の様に育ったセルピコさえも、その殻を破って自分を抱きしめてもくれないのだ。
また、彼を鞭打つだろう。ますます独りである事を確認する事になっても。
完
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