にゃも日記
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2010年12月02日(木)

師走ですね。政治等色々NEWSがあった一年でした。
しかし、早いな。もう街はXmas。
とは書いていますが、恥ずかしながら、今引きこもりです。
先週の土曜朝、母から電話がありました。
留守電を聴くと、とても早口で「おはよう電話下さい」
私は父か身内に何かあったのかと心配になり直ぐかけ直しました。
「母方の親戚に子供が生まれた」が用件でした。刺々しい口調なのが気になりました…
従姉妹は皆30前後。新しい甥や姪は初ではありません。
違っていた事といえば、今回出産した従姉妹は何年も不妊治療をしていた。
従姉妹ちゃん良かったね、ばあちゃんに曾孫がまた増えて賑やかになるね。

話は終わりかと思われた時、母が
「あんた、あと何年(今彼と)付き合う気?丸2年経って、まだあんたあの狭い部屋におって…フフ」
ヒステリックに、そして、どうせ無理だと判ってると言わんばかりに粘っこい声を、ぶつけてきました。じわりじわり、ダメージが広がります…

丸一年の間違い。仲良くしてもらっていると答えれば、
どうせ遊ばれて捨てられるくせに彼を信用するなんて馬鹿やな
と返ってきます。

母と話す意味が解らなくなりました。

相変わらず週一の電話報告は厳守で、放置しても家に来ます。
義務感と家に来る恐怖感から、傷つくために電話していたようなものでした。

この度は、不妊(母にとっては蜜の味だったのでしょう)からの、大逆転のめでたいエピソードが、母は面白くなかったのでしょう。
妹には木曜に連絡があったそうで、私への2日のブランクは何だったのか?

10月、私は母に「両親に会うと体調が著しく悪くなる。私の心の弱さが悪いのだ。ごめんなさい」とカムアウトしていた。
電話は良いのねと涙しながら言う母に、苦手とは言えなかった。
前から変わらぬ刃だらけの母の話の合間、私の簡単な報告はしていて、
あの土曜は彼のお母さんとお会いすると母に話していた。

母は何もかも承知で、あの土曜の朝を選んだ…

言い様のない怒り、悲しみ、無力感に襲われ、
たどり着いた母の考えに関する推測は
母は私が幸せそうにする姿を近所中に見せびらかしたいが
私が幸せになるのは全く望んでいない。
ということだった。
出来損ないのまま子供として傍に居させたい。それこそ親子の幸せと信じ疑わない。

ゾッとした。


着信拒否から始めました。
親を捨てる?と自問自答すると辛い。でも私の人生だから。


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