2004年07月30日(金) |
怒濤の終わりとキラキラ味の弁当屋 |
仕事のドタバタがやっと終わりほっと一息。そんな今日はまず弁当屋の話。
良く「虫の知らせ」とか「何かに呼ばれた」なんて言葉があるけれど、まさに今日そんなコトがあった。千駄ヶ谷にある「キラキラ味の弁当屋」という店の話しである。
先週終わりから今日、金曜日まで仕事がおいこみでものすごくドタバタ状態だった。そんなドタバタもやっと今日、午前中に片付き一安心。午後はなんとなくぼーっとしていた。昼飯なにたべようかーと考えた時、ふと千駄ヶ谷にある「キラキラ味の弁当屋」という店の弁当が食べたくなったので、飯田橋からクルマを飛ばし千駄ヶ谷に向かった。
わざわざクルマでと思うかも知れないが、ここの弁当、とくにから揚げはサイコ−の味なのだ。久々に食べるぞーキラキラ味の弁当、と意気込んで店に行ったらなんかはり紙がはってある。 「10年間お世話になりました。本日を持ちまして閉店させていただきます」 なんと、今日が「キラキラ味の弁当屋」最後の日だったのだ。
この弁当屋との出会いはもう8年前に遡る。おいらが浪人生のころだ。大学受験に失敗し1年間、千駄ヶ谷の予備校に通っていたおいら。週5日予備校に通っているうちの、3日間は、予備校の裏にあったこの弁当屋の弁当を食べていた。 ここの弁当、何を食べても本当に美味しいのだ。味があまり濃くなく、素材もけっこういいものを使っているように感じられた。サラダなどを食べても新鮮な感じがするのだ。
1年間、あまり楽しいことのない浪人生活のなかで、この弁当がかなり心の支えになったと言っても言い過ぎではなかったかもしれない。
弁当のおかげもあってか、なんとか大学合格。大学は飯田橋だったので、千駄ヶ谷の弁当屋には行かなくなった。それでもここの弁当を食べたいなーとは、いつも思っていた。呑み会の時、おいらはいつもから揚げを頼むので、から揚げの話しになると、おいらは必ず「一番おいしいから揚げは、千駄ヶ谷の弁当屋のから揚げ」と言っていた。
そんな大学時代のおいらのバイト先は本屋さん。その本屋さんで、思いがけず「キラキラ味の弁当屋さん」に再会することになる。
ある日商品の品だしをしていたら「キラキラ味の弁当屋奮戦記」(って感じのタイトル、正確な題名は失念)という本を発見したのだ。読んでみるとあの千駄ヶ谷の弁当屋のおかさんが書いた本だった。本を読むと……まさかあの弁当屋の裏にそんなドラマがあったとは。
SB食品陸上部のバスが交通事故で、選手が全員死んでしまったと言う、15年ほど前の事故を覚えているだろうか。当時かなり大々的んい報道されたので、おいらは頭の片隅で、かすかに覚えていた。この時亡くなった方のひとりに、この弁当屋のおかみさんの旦那さんがいたのだ。
陸上選手だった旦那さんが亡くなり、生活と心の支えとして始めたのが、「キラキラ味」の弁当屋さんだったのだ。
陸上選手の奥さんだったという経験からだろうか、食べる人のことを考えて、無農薬野菜を使う、体に悪い素材は使わない、そうしたこだわりを持って弁当を作っていると書いてあった。なるほど、あのおいしい味にはこんなこだわりがあったのか。
その本を読んでから再びものすごく食べたい衝動にかられ、その後は国立競技場や、神宮球場に行く時は、ここで弁当を買ってから行くようにしていた。しかしここ数年は仕事が忙しいということもあり、足が遠のいていた。
今日、4、5年ぶりに足を運んだらなんと「閉店」である。もっと食べにくれば良かったと思うと同時に、最後の最後、ここの弁当を食べれてよかった。
お店をやるっていうことはものすごく大変で難しいことなんだろう。だからこそ辞めるのかも知れないが、どこかで是非、「キラキラ味」を復活させてもらいたい。もったいないあの弁当をなくしてしまうのは。
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