鼠小僧白吉のうだうだ日記

2004年11月25日(木) 無責任の時代

もうたいていのおかしな事件でびっくりしなくなってしまったのは、あまりにも世の中のゆがみ、きしみが大きくなりすぎてるからだろうか。奈良の小1女児殺害事件を聞いても「またか」と思ってしまうし、水戸の鉄アレイ殺人事件を聞いても「あっそ」と思ってしまう。

前はそうじゃなかった。「人を殺す経験がしてみたかった」と言って3人の老女を殺害した事件がおきた時は、その異常さにぞっとしたし、酒鬼薔薇事件は特異な少年の犯罪だと思っていた。大学2年の時、教育評論家の尾木直樹先生の授業を学校で受けてて、「こういった事件はこれからどんどん起きてくる。まだ起きていない兄弟間殺人も絶対におこる」という話を聞いた時、「まさか」と思っていたが、半年もしないうちに兄弟間殺人が起きた時には、今、自分が暮らしているこの国の行く末を本気で心配したもんだ。今となっちゃ、小学生の女の子が友達を殺してしまう時代だから、そんなのでびっくりしていた時代が懐かしい。

今年に入って「自己責任」という言葉が流行した。おいらは実はこの言葉「無責任」の裏返しだと思っている。4月13日の日記にも書いたが、政府が「自己責任」と言って万が一の場合の保険を取るのは、政府や外務省の怠慢でしかない。ようは自らの無責任を自己責任という言葉でカバーしようとしているのだ。
本来この国にはそんな言葉は必要なかったはずだ。「助け合い」の文化、「いたわりあいの文化」がこの国にはあった。今は「助け合い」「いたわりあい」が下手したら「余計なお世話」と受け取られてしまう。そして他人のことには無関心になっていき、「自己責任」が蔓延するのだろう。

もちろん「助け合い」の精神が行き過ぎたばかりに、その弊害があったことも事実だ。企業のなかにあった「護送船団方式」なんていうのは日本でしか通じない常識だったかも知れない。でもそれをくずした今の日本が幸福な国かどうかを考えた時、行き過ぎるグローバルスタンダードはいかがなものかと思ってしまう。社員の首切って、血流した会社から株価が上がっていくなんておかしな話だ。

水戸の鉄アレイ事件。親にとやかく言われたのがむかついたらしい。しかしいい歳した若いもんが、家でぼーーーーっとしてたらそりゃなんか言うわな。「家族を皆殺しにしようと思ったけど2人やったところで気がなえた」。NEETはどうやら犯罪すらも最後まで達成することができないらしい。働かなくても家にいつけば食っていけるからNEETが増えて行くというのは当たり前の話。そんな状況は10年も20年も前から変わらなかったと思う。高校生の就職率が80%を割って久しい。就職できない人がどんどん増えていき、その状況があたり前になり、働かなくてもいいやというやつが出てきたのだ。そんなヤツがクラスに何人かいたら、その状況も当たり前になってしまう。

どこかで何とかしなくては、本当に日本は漂流してしまうかも知れない。まあ、無責任の小泉に何か出来るとも思えないが。



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